フォト

ギャラリーバウハウスの展示

オンラインギャラリー

バナー

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

無料ブログはココログ

« ロバート フランク ビオゴンを持った写真家 | トップページ | ウイーンの自写像 »

2011年3月 5日 (土)

ライカM1の昔

M

日本デザインセンターに入社したのが1970年。翌年のボーナスで買ったのは、ライカM1だった。本当はMDが「街が戦場のように写る」のではないかという期待があったのだけど、銀座の三共カメラにはMDの在庫はなかった。それでMDが登場するまで「とりあえずM1」ということになった。

このライカはレンジファインダーを省略したM2である。当時のライツはM1からM2への改造を引き受けていた。だから改造されてしまったM1はM1ではないのだからその総数はかなり少ないはずだ。

日本カメラのTさんが欧州のオークションでライカの代理店の部品をたしか250キロほど落札して、正月の2日という日にその開梱を見学に行った。その中には膨大なライカのパーツがあったわけだが、それを見学に来たのは、赤瀬川さんと坂崎さんだった。

パーツの中に例のM1のめくら蓋というのがあった。つまりこれはM2に改造されたM1のもう必要のないパーツなのである。「これはいいピアスになりますから、、、」というのでそれは坂崎さんがもらったのである。

あたしのM1は主に35MMのレンズがついて、もっぱら目測でスナップをした。35MMなら別に距離合わせは必要ないからだ。50MMも同様である。

85MMのレンズを付けて、アクセサリーファインダーを付け、それで目測でスナップをしたこともあった。

ウイーンのフォトオラーターでライカビットMPがついたM1を買ったこともあった。価格は当時の貨幣価値で3500オーストリアシリングだから、7万円ほどであったろうか。なにか非常に高いような気がしたのは、1974年当時のことである。

M1は考え方によってはMDより「街が戦場のように写る」のではないかということに気がついたのは最近のことだ。常に35MMと50MMのブライトフレームが見えていて、それはパララックスが矯正されるのである。こういう具合にライカビットも装着できる。

« ロバート フランク ビオゴンを持った写真家 | トップページ | ウイーンの自写像 »

ごあいさつ

  • Note新ブログのお知らせ
    新ブログのお知らせ お世話になっております。2018年11月27日より tanakachotokuカメラノートがスタートしました。スポンサーに頼らないIndyなカメラストーリーです。
  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31