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チョートクカメラ塾ブログ

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2010年8月31日 (火)

アナログなアリ

Arri_35_bl_3

パワーブックの不調にて、再生するPCによって画像が逆さまになったりするのであるが、ご容赦。

楕円形の中にARRIFLEXのロゴの入ったのは、これは1937年登場したアリ35以来の定番のマークである。このマークのついたTシャツ(ていしゃつ、と読む)を、ミュンヘンのアリの会社から買ってそれを着て喜んだのが70年代のウイーンでの話であった。オレンジ色のTシャツであった。
80年代になってアリのロゴは一新されたが、クラシックカメラ人類としては、昔のロゴが好きだ。
アリBLは1972年に登場したが、その当時のカタログはオリンピックのトラックのような場所でカメラマンが、新鋭機のarri  35 BLで撮影している様子が、表紙になっていた。それまでの見慣れたアリフレックスとはまったく異なったデザインなのである。その時にアリ35 BLの姿を写真で初めて見た。

実物をその3年後に見たのはシュレンドルフ監督のロケ現場である。もっとも1型の生産台数は200余台であるから、おいそれと見るわけには行かない。この広い世界にたったそれだけの台数だ。

アリはBL3とBL4になってそのデザインとかログのスタイルは大幅に変わった。最初のモデルにその精神が宿るというアイデアは、アリフレックスにも当てはまりそうだ。

2010年8月30日 (月)

木星珠クラブのTシャツ

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一週間前にブログで思いつきで、木星珠クラブのTシャツ(ていしゃつ、と読む)
あったら面白かろうと書いたら、その7日後の28日の土曜に、四谷荒木町のアローカメラのシドニーに行ったら、お店の前に怪しい人だかりがある。そこに蝟集している連中は知り合いであるから、恐れるに足らないが、この連中を知らないまじめな市民がみたら、やはり怪しい連中である。
ただ、あたしの目から見て本当に怪しく見えたのは、段ボールになにか入っていて、それを数人が取り巻いていることだ。これが段ボールだけで中から「にゃーにゃー」とか聞こえるのなら、それは捨て猫であって、これは可愛いけど、この場合は段ボールの周囲は無人である。
段ボールの周辺に人間(売人)が居る場合には、たいていはご禁制の品物を売っている。マンハッタンでも秋葉でもパリでも同じだ。
中には木星珠クラブのTシャツとトートバッグが入っていた。

まさか実物がこんなに早くできるとは思わなかった。木星珠クラブは出来てから1年余になるけど、今までこの手の企画ぶつは、例えば「ブレッソンの使った速写ケース」とか「ネーム入りのどかジャン」とかすべて計画倒れであった。

今回は機が熟したというのであろうか、言語デザインがスエード御嚆酷を「批判」する目的で制作したロゴが「一人歩き」をして、一週間後にこういうことになった。まったく負のスパイラルは恐ろしい。

この場合のキーパーソンは、木星珠メンバーの中に某アパレル関係会社の偉い人が混じっていたことにある。それで彼が実際の商品のサンプルかなにかのラインに乗せてくれたらしい。聞けばこのTシャツ(ていしゃつ、と読む)の生産もとはあたしの80年代の初頭におつきあいのあったアパレルのCなんかも受けているファクトリなそうである。

なかなかの出来であるが、かなりみっともなかったのは、それを倶楽部メンバーがそこで着替えて、シドニーの後に付き島の倶楽部エダムまで「示威更新」をしたことだ。こういうTシャツ(ていしゃつ、と読む)は二十四時間TVとか、法輪功とかなにか「きわどい感じ」を受けるのは、それを着た人間が複数人数になると、いきなり政治的な意味が増してくる。

裁判所ではゼッケンなどの着用は禁止しているが、このTシャツ(ていしゃつ、と読む)も禁止事項のトップ項目である。

Tシャツ(ていしゃつ、と読む)の中央のレオタックスGはそのスエード伍高酷塗装有言会社の仕事であるが、なかなかのできだ。ただしあたしの塗装依頼した、このカメラは巻き上げクランクの調子が悪くなって戻ってきた。塗装もするけど、カメラも壊すスエード伍高酷塗装有言会社なのだ。

2010年8月29日 (日)

ライカM8-2 夏期大演習 木星珠バスライド

Mm82
M821

1970年代のスイスの文化雑誌[DU]の編集長がマニュエル・ガッサーの時代のロバートフランク特集はウイーンの本屋、モラバ(スイスの本なのでウイーンの洋書屋で買った)で買ったのはその特集の中の「マンハッタンのバスライド」が良かったのである。ライカに多分50mm(フランクなのだからまあ当然のレンズ選択)でマンハッタンのバスの中から路上を撮影した。
このシリーズは写真集にはなっていないし、断片的にそこここに出るだけなので、フランクのこのバスの写真が好きなファンは相当なレベルと言って良い。

まだ20代の当時にこのバスシリーズを見て、理解できたことは「バスは移動撮影には最適なツールである」というのがまず最初の一点。二点目は「バスからの視点は人間の見えることへの常識を破壊する」ということだった。
それ以前にも膨大なトウキョウのバスからのショット(それ以前には都電からの)を撮影していたあたしなのであったが、巨匠が同じことを指向していることに気がついて、実に嬉しかった記憶がある。二十代のこういう同胞意識ななかなか色あせるものではない。
それで、パリ、ベルリン、香港、ローマ、ウイーン、リスボンなどでバスからの撮影のカット数が貯まっていった。

バス内からの撮影で問題点はあっという間に36枚を撮ってしまうことだ。それでフィルム交換している間に惜しいショットを逃したりする。
その点、ライカM8-2(BMW野々宮協力)での撮影では、フィルムを交換の手間がないのは実にバスライド用のカメラである。
レンズは木星珠倶楽部の膣撃隊長からもらったジュピター50である。ただしきったねえ、あたしのクロームのレンズと異なり、美麗なブラック仕上げ(プロ仕様)である。
ジュピターは大成功したレンズだが、コスト削減なのか最近のは、回転鏡胴式になっている。そこがまた安っぽいので気に入っている。

2010年8月28日 (土)

「先駆者の現場」の現場

Photo 2 Photo_2

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あたしは東京の東北部の人間である。だから小学校の遠足のバスツアーなどでも、クルマが芝公園から南に行くと、そこはもう異世界であった。

あの感覚は何と言うべきか?似た感覚を追体験するなら、マンハッタンからメキシコ市に行った時のあの感じである。

「ああ、俺、南に来たなあ。。。」と強く印象付けられるあの空間の新鮮さである。

もっとも、メキシコより、東京の城南の方が遙かに異国趣味を強く感じるのは、グローバルな視点からすれば「メキシコ」より「城南」の方がはるかにローカルだから、そこに強烈な印象が倍加されるのであろう。しかも飛行機を乗り継ぐ必要はないのだから、これは一石二鳥である。

デジタルカメラマガジンの連載の「先駆者たちの現場」は今回、同誌リニューアルにともない、114 回で最終回となる。その取材でご指名がかかったので、かねての「最終兵器」であった、戸越、大崎方面を持ち出したわけだ。「トリ」に出演させてもらえるのは実に嬉しい次第である。

まず、つけめんの六厘舎の行列がこの界隈の「麺類人類学」の観察としては恰好である。以前、この界隈を斜めに突っ切って、下神明から大井町に抜けた時に、やはり無地ののれんの前で沢山の若い人が並んでいるのを見て、一種、宗教的感慨にうたれた。ここは城南の「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」だなと感じた。

ライターの蟹江さん、フォトグラファーと監修の吉田さん、編集の福島さんとあたしで、サウストウキョウを西から東に大横断した。

途中で品川駅から海を越えて、レインボーブリッジ経由で東京テレポートに行くバスがある。これが今回のメーンであったが、これは一日に朝と夕方の合計7便しかない。その少なさが逆にいかにも辺境を旅している感じでよかった。

ペンデジタルで取材中のクリューを撮影したら、偶然にストロボがこっちのカメラとシンクロした。これは得難いことだ。何か良いことがありそうだ。、

最後は門仲から、月島の倶楽部エダムに行って、クリューの皆さんと立ち飲みで立ち話が出来たのも最高だった。

2010年8月27日 (金)

アリとライカ

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最近、このアリフレックス撮影機を手に入れて、ライカM2を手放したわけである。

そのライカを発送する朝に撮影したのが、このショットである。ライカと別離するに当たっては、ライカインコ(2009 07 03)と分かれた時と同様な一抹の寂しさを感じるのは世の常であるが、ライカにせよ、アリにせよ、それを必要としているカメラ人類の所を巡回しているのだから、それがカメラの摂理というものだと思う。

それにしても心理的に面白いのは、新しいM2のオーナーがその「元気な画像」を送ってきてくれて安心したことだ。それと「他人さまのライカ」となると、いきなりその存在が良く見えることだ。

ライカもアリフレックスも同じドイツの出身であるが、こうして見ると、そのデザインはやはり普遍的な美学をそこに持っていることが分かる。

2010年8月26日 (木)

空筒を640MMでクローズアップ

640mm

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佃の大ガラスの部屋から見る「空筒」(スカイツリーのこと、くうとう、と読む)はこのところ、内部を充実させてこれからさらに伸びようとしているそうだが、」それが構造上の内部のことであって、外見からはその成長がないのは面白くない。高さが変わらないのである。

大ガラスの部屋から、この1年以上その「空筒」をペンデジタルで撮影している。高倍率ズーム付きのペンが側にぶらさがっている。これはライカインコの鳥かごを下げていたスタンドがそのまま流用されているのである。普段は14-150ミリであらゆる空筒の風景を撮影するには充分なのだけど、傍らに置いてある、640の西ドイツ製のノボフレックス640mm f9をペンに付けて撮影したら、そこに新たな視点がもたらされた。いきなり空筒の上部の構造が立体的にあきらかになったのだ。
この視点はなかなか得難いものである。この構築物は下から見ると迫力はあるが、そのアングルでは上の細かいデテイルは見えない。それを観察するためにはやは相当の遠距離からかなり長いレンズで撮影する必要がある。

ペンで手持ちの超望遠撮影なら、まず300mmくらいがあれば良い。これだとフルサイズの600mm相当になるから、まずズームレンズで長端が300mm見当のがあれば持ち歩きで、空筒を撮影するには格好であろう。

この 640mmレンズのピントはご覧のようにちょっと怪しいけど、それを言っても仕方ない。これは1950年代のレンズなのである。当時、手持ちで撮影できる軽量なレンズはこれしかなかった。田村彰英さんが1960年代に伝説の「BASE」の写真でファントムを撮影したのは、優美レンタルから借りたこのノボフレックス640mmレンズだった。

ノボフレックスは便利だけど、640mmだからフルサイズ換算で1280mmだ。このレンズは一群二枚なので、その全長は実に700mmほどある。だから大ガラスの部屋での撮影には問題ないしとても、外での撮影にはレンズが長大なのが向かない。超望遠系のズームでペンに使える小型軽量のがあれば、空筒撮影には格好の玉になるだろう。

2010年8月25日 (水)

戸越大好き

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東京の各地に散在する、なんとか銀座の中では、戸越銀座はかなりの格上であると思う。砂町銀座はこの手の横綱であるが、あれだけTVとか待ち歩き雑誌の種になると、もうおなかいっぱいという感じだ。

戸越の都営地下鉄の駅でおりて、戸越銀座はすぐだ。ここはその地形は南北はゆるやかに丘になっていてその緩く走る東西の窪地が商店街である。

今、はやりのシャッター街ではないのもうれしい。デジタルカメラマガジンの114回目の「先駆者の現場」にお呼びがかかった。それであまりいい加減な歩行も出来ないので、ロケハンに行った。

例の六厘舍は「見るだけで列に並ばない」というのが我が「比較三原則」であるから、反対側の通りから見るだけ。

しかしその行列よりやはり、戸越銀座の周囲の街のたたずまいの方がずっと面白い。奇態なのは、この商店街のトレードマークだ。まるい顔に と ご し と書いてあるのがそのまま、人間の顔である。

しかし戦前、このあたりが農地と雑木林であった当時、こんな顔の満月が戸越の谷に上ったらそれこそ、むじなの化けている怖い月というので、近在で有名になったであろう。この顔はドイツの農民カレンダーの満月にも持ている。すなわち古代の(恐ろしき月)である。

2010年8月24日 (火)

ぼけこっこのお姿 8/23

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津久田からの行き帰りに地元小学校のぼけこっこのお姿を見るのは楽しみなものだ。
「お姿」と書くとなにを冗談を!と言われそうだが、20年ほど前、思いつきで九品仏の「おめんかぶり」を見に行ったら酷暑の盛りに阿弥陀如来の黄金のお面をかぶった信者(コスプレだな)が、渡り廊下から本殿に列を作って歩行するのが、効果絢爛であった。中にはかなり腰の曲がった如来も居て、脇侍の孫に手をひかれているのあった。その後で家人と九品仏の境内から近所の駅まで歩行したのは忘れられない。
家人とは長年、海外は一緒に行っているが、国内ではそういうことはないので、それが理由らしい。
その「おめんかぶり」で寺院の境内で「実況放送」があって、男性の有り難い声で「阿弥陀様のお姿が、、、」というスピーカーの声がこれも記憶にはっきり残っている。それでぼけこっこ様も「お姿」になるわけだ。

飼育係りの人のお話では、なにか土からぼけこっこさまの脚に菌が入って一時は土地を交換したり大騒ぎであったそうだ。ただし記録がないので、この二羽が何時からここにいるのかも分からんという。
たしかあたしが津久田に住み始めた1991年からここに「お社」があった記憶もあるが、いずれにしても「土地の古老の鳥の記憶」だから信用はできない。

2010年8月23日 (月)

大ガラスの部屋の窓辺のアリ

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部屋の窓際に映画撮影機を据えておくというのは20年来の「生活習慣病」である。37fに住んでいた当時にはアリフレックスとエクレールがその役割をしていた。これはガラスを開けないでそのまま外風景が撮影が出来るから「全天候型」なのである。
もっとも南中の月を撮影する時はそうも行かないので、バルコニーに三脚を持ち出して、天頂を狙った。レンズはアストロベルリンの640mm f5,6 という「バズーカ」である。
その後、六本木ヒルズの森タワーが建設中にも37fから映画を撮った。ヒルズが完成しても撮った。今の北西の部屋に移動して、見えるのは筑波山だけかと思っていたら、今度は空筒(スカイツリーと読む)が伸び出した。それは昨年の7月からなのでそれはペンデジタルで撮っている。
ペンデジタルでムービーも撮っている。

それで実用は十分なのだけど、なにか物足りない。それで映画撮影機を据える。1年来、仏蘭西製のparvoが北西の方角を監視していた。それの任務が終了して先週から、アリフレックス35BLそれを引き継いだわけだ。
マガジンには1000ftのイーストマンカラーが装填予定(まだアメリカから到着していない)だ。
クルマファンでお金持ちは居間に、クルマを持ち込んだりするらしい。あたしは住環境が限られているから、その代わりにアリを室内に停めているわけである。

上は400ftで、下は1000ftのカメラセットアップである。ともに20-120のズームが付いている。ファインダーには延長チューブがついている。これはスタジオのセットアップ、それも1970年代初頭のそれである。最近はデジタルシネマであって、REDなどは確かにこれをブルックリンの空き地で観察すると、火星探査機が火星上に着陸したように見えるが、何かが足りないなと思うのは、フィルムマガジンがないことだ。CFカードじゃなあ。
これが映画撮影機の情緒に欠けるのである。人工の闇を作るというのが、フィルムマガジンの抗しがたい魅力にあたしは思えるのだ。
ところで、1976当時、フォルカーシュレンドルフ監督はアリBLで撮影していたが、マガジンは400FTの方であった。ミュンヘンのレンタルハウスにその在庫がなかったとは思えないが、全部がロケであったから軽量な400FTMAGにしたのであろう。ローストックは5222であった。ダブルXというモノクロである。その1976年2月のロケ(邦題 とどめの一発)では、カメラには延長ファインダーは付いていなかった。これは案外にレンタルハウス代が高価だったので、止めにしたのではないかと愚考している。

2010年8月22日 (日)

命綱が1年でずたずたに

あたしは消費が非常にかたよっているので、カメラは3000台あるから、どれが壊れても、趣味にも業務にも差し支えないが、アップル関係のアクセサリーはひとつしか持っていない。
カードリーダーがそうだ。これが一個だけで、ヒルズの仕事場に置いてある。だからデジカメで撮影した画像はヒルズでないとアップできない。ところがそうばかりも言っていられないので、異フォンで撮影した画像を飛ばして送ることになる。

この異フォンとか異パッドにつなぐケーブルは重要であって、海外に行く時の持ち物の準備でも最重要項目になっている。
これがないと、デバイスは充電できないし、命綱である。
その命綱が使い初めて1年もたたないのに、ずたずたになって充電も出来なくなった。それで銀座のリンゴ屋に行ったら、予約をしていないので半時間待たされ、複雑な書類にサインさせられてようやく、新しいのと交換となった。

以前はプロ用機材のパワーケーブルは象が踏んでも壊れないような頑丈な造りだった。脇で映画機材を見ていても、そのケーブルがごついのでそれが信頼につながった。海外取材で治安の悪い所で、プロ用ビデオカメラがひったくりにあったが、カメラマンはバッテリーベルトとカメラをパワーコードで結線していたから、ひったくり犯にケーブルでずるずる引きずられたけど、パワーコードは外れなかった。
そういうのは本物の耐久度合いというものだ。
最近のケーブルは見ていて情けない。14

2010年8月21日 (土)

有言会社スエード伍高酷塗装

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何事にも仕事と趣味がある。あたしなどは二十歳の頃には「日本を代表する写真家になろう!」という夢があったが、それがだんだんと方向がそれてきて、今は「日本を代表するカメラエッセイスト」になっているらしい。
こういうのが人生の予定と目的地の違いだ。

さて、家人は声楽家であるが、30数年前にお弟子さんの女子とその兄上が当時の大泉学園に遊びに来て、そこで手料理のカレーライスをふるまったそうである。
その甥御さんにあたるのが、スエード伍高酷こと、細谷某である。
スエード伍高酷物語に関しては、今度出る「ライカワークショップ」(えい出版社)にその経緯が書いてあるのでここでは繰り返さない。
愉快なのは、スエード伍高酷はなかなかのイケメンであって、最初に配偶者のリサイタルに登場して、家人をして銀座のホストさまが来たのかと思ったと言わしめたほどである。家人の2010年の春のリサイタルで駆けつけてくれた旧友の浅田恵里子もスエード伍高酷を見て同じ反応であった。
彼はいわゆるイケメン組なので、カメラなどにはまったく興味がないと思ったら、これが逆である。我々の時代には、カメラ好きというのはあたしのような「婦女子にご縁のない輩」が逃げ込む避難場所であったのが、最近ではイケメン、イケガル方面がクラシックカメラに興味を持つようになったのは実に新機軸だ。

そのスエード伍高酷は、所謂イケメンおたくであって、プラモ塗装とかクルマの板金とか卓上鉛筆削りの修理とか、DELLの安PCの修理、並びに小型非行器の操縦などが出来るらしい。
倶楽部エダムで彼のM2のブラック仕上げがなかなか良い感じであったので、手元のレオタックスGをブラックにしてもらった。このレオタックスは10年ほど前に買った。前の持ち主が、ブラック仕上げにしようと、トップカバーをやすりでごしごしやったのがこれである。その塗装をお願いしたのだ。

これがその完成図である。実に立派なものだ。世の中には高橋塗りとか、しんたろー塗りとかのブランド塗装があるらしいが、これが将来、スエード伍高酷塗りとしてブランドにならないとは、誰も断言できない。
そしたら、水戸のカタカナ職業の言語デザインの田辺某が、スエード伍高酷が起業した時の用心の為に会社マークまで制作してくれた。

スエード伍高酷は佃の建築設計事務所のスタッフであるが、これは塗り方面に方向を転じることは心配していない。というのも、昨年の芥川賞の受賞者の某氏はあたしも随筆を連載している「新潮」で昨年の6月号掲載の「終の棲家」で受賞されたが、お仕事は商社の偉い人難なのである。どうも正解は作家で一本より、二足のわらじのようなのである。
スエード伍高酷はまさか、この会社マークの勢いで起業するほどの迷走はしないであろう。なにしろ彼は一児の父でもあるからだ。
それにしても、この会社のデザインはいかにも水戸あたりの独立行政法人めいていいな。これでTシャツ(てーしゃつ、と読む)でも制作したい。

あ、これは使用フリーです。どんどんステッカーなどにして、そこらにべたべた貼って不愉快な気分になりましょう!

Yvg

2010年8月20日 (金)

六厘舎

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ろくりんしゃと入力すると、ろく、でまず六厘舎と出てしまう。あたしの仕事場の六本木ヒルズなどは、入力のサジエスチョンでずっと下位である。
品川区のこの界隈を徘徊していて、白眉は上神明と新幹線のクロスである。そのずっと北側にある百反通りというのは、なかなか高級感ある通りである。その理由は樹木があるせいだ。

昨年の暮れであったか、やはり戸越から大崎に抜けようとして、この店の前を通過した時には、これがブームの元であるとは知らなかった。単にローカルな流行っているお店であると思った。

それが最近、閉店宣言をしてからかなりの行列のようだ。思い附いて、ヒルズに行く前にそれを見学に行った。不特定多数の人間がラーメン店の前に蝟集している状況が理解不能である。というより、あたしの若い頃に若い連中が集まっていたのは、まずデモ行進しかなかったからだ。

だからこういう若い連中の無届けで集会しているのを見ると、8/19国際反戦デーという風にとってしまう。きわめて政治的な集まりであって、つけめんを待っているというのは、官憲を欺く為のテクニックなのではと考えてしまう。最近の若いもんはその意味で偉いと思う。

この数ヶ月前の胃パッドとイフォンの銀座の並びにくらべて、あたしの心中でこの手の行列に反感がないのは、それが食い物の列であるせいらしい。
日本ではあたしは行列はしない。気が短いからそれが出来ない。エアポートでYクラスの長い列に並ぶのが嫌だから、わざわざ隣のカウンターに並ぶ。
何時だったか、リスボンからウイーンへの飛行で、あたしはCクラスのチケットなのに、Yのカウンターしかないことがあった。それで真剣に係りの人に抗議して、もう一つカウンターを作らせた。

無論、こういう列にならぶつもりはない。2枚だけ撮影してさっさと、戸越銀座に抜けてヒルズに帰ってきた。

2010年8月19日 (木)

あたしの本棚@六本木ヒルズライブラリ

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ヒルズのライブラリで仕事をするようになって、すでに足かけ8年になろうとしているが、今のところまずは理想的な環境なので当分はここを仕事場にするつもりだ。

それ以前はプラハのアトリエで仕事していた。あそこは外国という感じはないがアトリエの天窓が固定されていたので、外を見ることが出来なかった。それが4年ほど前に天窓のガラスがモダンな開閉式になると同時に、クリアなガラスになった。正岡子規が病床で当時はまだ珍しかったガラス障子に交換した時、その視線が上野の山まで到達する、その自由さに感動している。

プラハのアトリエで仰向けになって流れ星を観察するのも良いものだ。

ヒルズの場合、真上は見えないけど高さが高さなので東京が一望できるのが凄いことだ。蔵書にはあたしの著作がまとまって置いてある。これは実にありがたい。カメラエッセイを書くときなど、昔はどんな「馬鹿」を言っていたか、それを実地に調査できるからだ。記憶などが曖昧なものだから「原書」にあたるのが一番なのである。

ここにあるのは著作の一部であるから、全著作を積み重ねたら、恐らくあたしの身長ほどにはなっていると思う。そんなことをしても何の面白さもないけど、この言い方は「大きさが東京ドーム何杯分」という例えに何か似ている。

2010年8月18日 (水)

アリフレックス35BLの横顔

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アリフレックス35BLは1972年のミュンヘンオリンピックの記録用にデビューした。アリフレックスの会社はミュンヘンにあるから、これは地元の世界的なイヴェントを記録する、「一世一代」のがんばりであった。世界最初の手持ちカメラで、サウンドシンクで撮影できる35MMカメラだった。それ以前は巨大なミッチエルのような三脚上に固定されたカメラで映画を撮っていた。アリフレックスBLの影響を受けて、アメリカのパナビジョンは同様なカメラ、パナフレックスを出す。

アリフレックスBLは瞬く間に世界中のスタジオで使われるようになった。とは言ってもその生産台数は326台ほどである。このシリアル番号は最初が捨て番で35がつく。あたしのカメラは35200番だ。かなり数が少ないようにも思えるがプロ用の機材は高価であったし、まずそんな数であろう。

これで映画を撮影できないこともないが、まずそのデザインが70年代的で実に美しい。あたしはシュレンドルフ監督の仕事のお手伝いをしていた時には、すぐ側にこのBLがあった。ただしドイツはまだ「貧乏な国」であったから、フィルムマガジンはご覧の1000ftではなく、400ftの小さい方だった。1000ftマガジンはなにかハリウッドの物量作戦という感じがあって、極めてアメリカンである。

2010年8月17日 (火)

瑞光二百粍高千穂光学謹製

200mm 2001

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終戦記念日に顔見知りの菅直人さんは、色々なアクションを起こされたようだ。こちらも終戦記念日になにか感慨を持っていた。この感慨は菅直人さんと同年代のあたしなどが感じるものだが、すでに還暦世代が戦争体験はないのである。
戦争を知らない子供達が、とんでもない高齢者になったものだ。

戦闘的に蒸し暑い午後、BMW野々宮と東京を周回した。まさか行くと何時も休みのさんぽーカメラはお盆休みであろうとたかをくくっていったら、電光掲示板(例の休みを知らせるやつ)が出ていた。
店内は夏枯れ状態だった。
それで散歩ーの駐車場の熱い露天で、ハリウッドから到着したばかりの蟻35BLをパーキングロットの柵の上に乗せて鑑賞会を開催。
それから野々宮がそれを肩に乗せて体験していた。担ぎ易いという。

かんかん照りの無人の東京を北上してカメラのキ(タ)ムラに行く。すでに蟻BL方面に感覚が行っているので、いい加減にお店のウインドウを見ていた。
そこでこの瑞光二百粍高千穂光学謹製を発見した。このPENPENチョートクカメラ日記で冗談でよく高千穂光学のことを書いている。何時かは本物の高千穂ブランドに遭遇できるのではという「予感」はあったが、それが8月15日とは思わなかった。
レンズはM44マウントと値札に書いてある。44粍径とはミランダのマウントである。レンズのバレルはかなりの出来であって、ドイツのテレクスナーに似た上等である。この200MMのズイコーはオリンパスの広報さんでその来歴を調査してもらおう。通常なら、大判用のレンズをバレルに入れて一眼レフ用にしたのであろう。
戦後に一眼レフと言えば、オリオン光学しかなかった。ミラックスというミラーボックスとか、プロ用にカメラを改造したりした会社で後にフェニックス。それからミランダを出している。
このレンズには手製のフード(ボール紙製)と三脚座(コムラー製)が附いている。実際にこのレンズえ撮影をしていた証拠である。そのレンズはブルーのコートなのも良い感じだ。木村伊兵衛さんが「古井戸を覗き込む感じ」と言ったのはノクチルックス50mm f1,2だが、瑞光200はアテネの空の映った古井戸のようだ。
さっそく、津久田に戻って、ミランダTに附いていたズノー50mmを外してこの瑞光二百粍高千穂光学謹製をねじ込んだ。
ぴったりである。
ミランダのファインダーに夜景の永代橋が綺麗に見えた。

============

このレンズの情報を読者の方からいただきました。どうもありがとうございます。

>>内容:
--------
ご機嫌よう

このズイコー200mm f/4.5 ですが、

大戦末期に偵察カメラ用に製作されたレンズのお流れでは?と推察されます。

番号が28**番台の現物を最近見かけましたが、戦前のツァイスのNormal Fassung =普通鏡筒ふうな筒に収まってました。

ーーーーーーーー
また、別の旧友から以下の情報あり。
>>内容:
--------
ごぶさたしてます。

このレンズは空撮用とかで、
多分キャビネ判用に作られたと思いますが、8x10まで楽にいきます。おそろしくシャープです。こんな鏡胴に入れるのはかわいそう。

2010年8月16日 (月)

気圧計

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大昔に買った気圧計がある。あたしの世代は、気圧は水銀の柱が760mmの高さになるのが標準気圧と教わった。小学校の理科の授業で実際に目の前に水銀の柱が立ったのを見た。
家は万年筆工房であったが、なせか水銀の小瓶があった。小瓶なのにずっしりと重かったのは中に水銀が詰まっていたからだ。その中に指を入れると「圧力」が指を締め付けた。下敷きの上のその水銀の一滴を転がして遊ぶこともあった。

なぎらさんと話をして、なにかの拍子でなぎらさんが石綿をいほぐしてそれを口に運んだ話を聞いた。小学生には石綿は綿飴と近似値であった。
あたしの場合、よく水銀の一滴を飲み込まなかったと思う。

この気圧計はアデノイド気圧計と言ったか?真空の缶(だと思う)を外気が圧迫したその度合いで気圧を見る。
昔のウイーンの普通の家庭の居間にはこれがかかっていた。

何も現在の気圧を測るのではなく、天気を予想するのである。気圧が下がってくれば天候悪化で、上がれば天候回復。プラハで大昔に買ったこの「晴雨計」はダイヤルの独逸語表記の上をチエコ語で書き直してある。それでよく理解できない。

その気圧計を部屋の古ダンスの脇にぶら下げてある。天気はインターネットで見るので、気象情報をこれで知ることはない。ただweather infoは倫敦から来る。日本のデータがいったん倫敦のサーバーに行ってまた戻るのより、津久田の今がライブで分かる方がいい。ただし示している数値が740bmとあっても、それが1000ヘクトパスカルより上なのか下なのか分からない。25

2010年8月15日 (日)

アリフレックスのケースが三個

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アメリカで発行された、ARRI SR BOOKは版を重ねて今でも出ている。この本はアリフレックスSRつまり16ミリの小型撮影機に関しての実践的な扱いを書いたもので非常に参考になる。
その中で、機材の運搬の項目があり、アリフレックスのオリジナルのケースは、充分なプロテクションがないので、ゼロハリバートンにした方がいいと書いてある。もともと、70年代にSRが登場した時、カメラマンが一人で、飛行機でキャリーオンで旅が出来るようにする為に、このSRのケースは最小限の大きさでそのまま、飛行機の座席の下に入るサイズだった。
アメリカのカメラマンは機材の扱いが荒いかどうかは知らないけど、ゼロに入れた方がケースのサイズは大きいのでそれだけ保護にはなる。

最近、清水の舞台から落下して手に入れたアリフレックス35BLが加州から送られてきた。これはアリフレックスの専用ケースである。3個で90ポンドはあるが、これは「本編」を撮影するスタッフが複数で移動するのだから、ワンマン体制ではないし、機材はちゃんと別送するわけだから、飛行機の座席の下に押し込む必要はないわけである。
真ん中の四角いのが本体と付属品で、手前のに400ftのマガジンが二個。奥にケースには1000ftマガジンが二個入っている。
このアウトフィットで本編を作るのではない。この機材を隅田川に据えて、撮影ををするつもりだ。これはエドワード・スタイケンが晩年に家の窓だったか、庭だったか忘れたけど、35mmのフレックスで庭の大樹を撮影するショットがあったのを記憶していて、ただただその真似をしてみたいだけの話だ。

2010年8月14日 (土)

ムッシュ フォカ

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フォカが好きな人は数は多くはない。しかし本気で、この仏蘭西製のライカコピーに一生をささげる人も居る。「時計王」の松山猛さんにはこの1月のジュネーブで初めてお目にかかった。その時、あたしは松山さんがフォカの最後のモデルを首から提げて、欧州を歩いている雑誌のカットがあったので、あれはかっこよかったという話をした。それが初対面であったが、話が弾んで、メッセのカンテーナでランチと一緒に赤ワインを3杯づつ飲んだ。

フォカは仏蘭西製だから、本来はブレッソンが愛用してもよさそうなものだが、かの巨匠は終生ライカであった。なにか密約があったのであろうか。
これはかなり初期のフォカである。レンズは35mmの広角がついている。スナップならこういうピント合わせの要らない方が楽でいい。

問題にしたいのは、この紅い箱である。カメラメーカーのトレードマークは数あるが、その中の一級品であろう。一瞬見ただけで、カメラを構える人間であることが分かる。
ビックカメラで3Dテレビのゴーグルを覗いている人にも見えるけど、それは最近の話である。この紅い箱はカメラ本体に比べて数が少ないことは言うまでもない。その大半は捨てられてしまった。
カメラが好きになると、箱に興味が行く。その無限循環でますます、カメラの変な高みに行ってしまう。
松山さんと笑談した時、彼がカメラの箱に興味があるかどうかは聞き逃した。

2010年8月13日 (金)

かもめーる嫌い

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今では、民営化されたのでもうないのか、それとも今もあるのか知らないけど、あたしは夏の郵便はがきの「かもめーる」嫌いである。時節外れにこのはがきで事務的な用件のはがきが来たりすると、その発信者がきらいになる。
郵便局で見る、かもめーるの宣伝デスプレーの安っぽい感じも嫌いだが、それが何なのか考えるに、この劣悪な立体が日本全土に展開しているその「均一化」を不快に思っているのだ。

20年前、伊豆の南の果ての青ヶ島に、JTBの取材でヘリで行った時、ちょうどその日から郵便局のオンラインが開通したので、その記念に1万円を引き出したことがある。島内を行き来する軽四輪が品川ナンバーであった。
こういう要素はポジテイブなのだから、あたしの郵政事業へのネガ感覚はただただこの「かもめーる」に突出しているようなのだ。

このはがきはあたしに唯一「手書きのメール」をくれる、鵠沼のブレッソンからのものだが、こういうのはいい。
捨てられない。メールだったら削除は面倒ではないが、紙のメールはごみ箱まで歩行しないといけない。だから紙のメールはそこらに堆積する。あ、クレジットの請求も最近はオンラインになったから、紙のメールは誰かさんの出版記念会のご案内くらいになった。それも還暦過ぎるともう来なくなる。

その意味ではまことに快適な生活環境になった。

2010年8月12日 (木)

ブロニカD

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ブロニカDの姿を見ることが稀になった。

最後に3台目を買ったのはもう15年以上前である。
どうしてもドル建てで中古カメラの値段を考える癖がついているのは30年来のことだが、こうも円高になると日本のカメラ店でこのブロニカDが出ていても二の足を踏んでしまう。なにしろ3000ドルである。

3台のブロニカDの中でこの個体が一番最初に買ったやつだ。レンズのバレルの根本にS.SOENOとネームが貼ってあるのが、品がある。大体がカメラに刻印、それもソーシャルセキュリテイナンバーなどが刻印されているのは(業界用語で外人名前入り)下品である。それから推測すればUS NAVYの刻印も品がない筈だけどこちらは値段が高い。

刻印入りの中には「ロバート・ブラウンからの盗難品なり」などとライカのトップに刻印してあるのを見て、参った!と思った。

ブロニカDは機構複雑にて「もう修理は勘弁」と言われて10年が経過する。機械はぎくしゃくしつつ動いているが、マガジンの光漏れが時々ある。撮影時にはブラックテープを本体に一巻きするのが望ましい。レンズは40MMから350MM経由で、600ミリまで持っているので心配は要らない。

2010年8月11日 (水)

ライカM8-2 夏期大演習 ニッコール85オキュパイド

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佃の大ガラスの部屋は、大デスクの上はレンズだらけで、もう立錐の余地もない。それでレンズは二重重ね、三重重ねにしてある。そこでバランスの良さそうな平面を発見すると、さらにその上にライカとキエフを重ねる。それで机上のスペースはもう真ん中のPowerBookを置く場所しかない。似たようなことをしていたのは、プラハのヨセフ・スデクであった。これはなにか理想の仕事場という感じで、その代表作は「写真家の迷宮」という11X14インチの密着印画である。実に仕事デスク上の密林を撮影したのだが、真ん中には珈琲カップを置くスペースのみ。この手の日本代表はやはり小屋暮らし時代の百鬼園であろう。小屋の中は満杯で重力の磁場が狂うのではという感じする。

大ガラスの部屋のデスクの上のレンズの堆積から、ニッコール85MMを発掘した。ながらく自分の誤解があって、DDダンカン氏がその極東の85MMを発見した神話は、メイドインオキュパイドジャパン時代のものだとばかり思っていた。

だからカメラ屋でそのレンズが出ると即手に入れて半ダースほどになった。あとで調べてみたら何のことはない。講和条約発効後の「普通」の日本製なのである。このレンズはちゃんとレンズの連動カムにMADE IN OCCUPIED JAPANと入っている。なかなか目立たない場所に刻印したものと感心する。

毎年、終戦記念日前後にそのことを思い出す。今年は手元にあるM8-2(ライカ原始共産団の野々宮BMW同志の協力)で、この占領国日本のレンズで撮影してみた。

なにか戦後の空が映った気分だ。静物を撮影するとなかなか味のある描写をする。このかぼちゃのスープ入れは1981年の夏にベニスのサンマルコ広場の裏手の古道具屋で買った。

2010年8月10日 (火)

するめいかの煮物

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住吉さまの陰祭で、昨年のお祭りは日曜の午後に大雨になったと、これを言ったのは、麗江の保谷さんである。彼はここで仕事しているから、そういう記憶ははっきりしている。言われればそんな記憶がある。
今年の日曜のお祭りは別にそれをみたいというわけではないが、録音ではない本物の江戸囃子が聞こえるのは良い感じだ。冷静に考えてみれば江戸時代も明治時代も江戸囃子は「ライブ」が当たり前であろう。

日曜の午後になって、YNYに行こうと思って、家人が使い残しの都バスの一日乗車券を使おうと思ったが、月島でバスがなかなか来ない。そのうち、雨がぽつぽつ。結局、八重洲口行バスにて、リバーシテイ前までバスストップ2つ分だけ乗って、家に戻る。

リンコスにて、するめいかを買ってこれを煮付けにする。するめいかは刺身にはしたくないが、煮付けはいい。これで賀茂錦を飲る。
300円ほどでこういう贅沢ができる。かつおも底値でまことに結構だ。

2010年8月 9日 (月)

子規全集

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子規の、この全集は大正末に出たもので、出版はアルス。

非売品だが、会費で購読者を募集する形で、価格は各巻4円弱。全15巻で完結。全15巻で約60円という本だ。大正末の60円の価値は知らないが、明治30年代には子規は自らの墓碑に「月給四十円」と書いたりしたのである。だからそれなりの値段であったようだ。

古い本だ。巻頭に自筆の書画のレプリカが入っているのが値打ちである。中でも一番好きなのは、この14巻目の随筆である。

この本は布装の天金で、みかけの割に軽い。夏場などは枕の代用にもなって便利だ。
同じ内容をこのように、異パッドでも読める。異パッドの方は、青空文庫であるが、最近新手を考え出した。
異フォンで、この大正の本のページを複写して、メールする。それを異パッドで読む。そうすると、当時の活版の文字もページの焼けも楽しめる。

(画像が正しく表示されていない向きはご容赦)

 

2010年8月 8日 (日)

ニコンSPに暗い広角レンズ

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ニコンSとS2の「ぐにゃり」とした、ログが痺れる。などと、いささか時代に逆行するようなことばかり書いてきたので、今日はぐっとモダンなカメラデザインのこと、つまり最新鋭機である、ニコンSPの話だ。
とは言え、その「モダンデザイン」も、1957年当時のことであるから、古いことには違いない。あたしが10歳当時のこれは大事件であった。アサヒカメラのその紹介記事がたしか当時としては珍しいカラーページだった。無論、10歳なのだからこのカメラが欲しいなどとは考えもしなかった。

常々思うのだが、ニコンSの「ぐにゃり書体」から、一気にモダンなロゴへの移行ということを考えるに、デザインの進化というのは、だんだん、とか序々に進化すするものではなく、常に「一足飛び」に新しい段階に突入するもののようである。

ニコンSPを見ると感じるのがこの点である。
それにSPというカメラは「ミラーを取り去ったニコンF」であるから、そのシャッター周りはまったく同じというのも面白い。

数年前に世に出たSPの復刻版では、35mm f1,8のレンズの復刻がついていた。SPとこの明るいレンズは好適なカップルというわけであろうが、この組み合わせは「あまりに分かり易い」のが逆に面白くない。
かと言ってあまりクラシックな広角レンズ、たとえば真鍮のクロームのバレルも似合わない。真鍮のクローム仕上げの重いレンズはなんとなく、朝鮮戦争の硝煙をそこに感じるのである。この35MMF3,5のレンズは占領国日本の当時からある、大クラシックレンズだけど、後期はこのようなブラックになった。
この玉がSPに案外にマッチするので気に入っている。
 

 

2010年8月 7日 (土)

カメラ好きな人

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2001年宇宙の旅 を見たのは70年代初頭であったが、当時の東京の時間感覚からすれば、30年後のイメージとしては、あまりにも進化した未来だった。
70年に東京で感じた未来イメージは、銀座の高速を走って、8丁目の急カーブで流れ去る「中銀カプセルタワー」の宇宙ステーションめいた姿だった。

あれは自分の 2001年 であったわけであった。
その直後にあたしは8年間、ウイーンに行ったわけだが、そこであの映画の監督の出身のルーツの国とクロスオーバーしたことになる。

キューブリックは大変なカメラ好きで、このライカD3を構えた セルフポートレートは、思うに リー・フリードランダーのセルフポートレートより30年も早い。
彼のライカが、当時、普通のブラック仕上げではなくクローム仕上げというのは、新時代の好みであったのだろう。
キューブリックの右手の指がシャッターを押すのに力が入っているのがいい。

下の画像は映画監督になってからのキューブリックだ。アリフレックス35BLの前で「怖い顔」をしているのはいかにも完璧主義者である。デビュー当時のフォルカー・シュレンドルフがやはり同じ型のカメラの脇で、あれこれ指示している脇で仕事をしたのは、あたしが29歳の当時だがシュレンドルフはこんな怖い顔はしていなかった。監督によりそこらが異なるのが面白い。

上のライカであれ、下のアリフレックスであれ、これらは20世紀の「フィルムカメラ」の遺物ではある。現在のデジタルカメラとかデジタルシネマとはその存在感は異なる。だからフィルム時代の機材の世界にはそれなりの真実と美学があった。
最近のスチルもムービーも同時に撮れるでじかめは便利と言えばその通りだけど、それが軽すぎる存在だな。

2010年8月 6日 (金)

高千穂の二眼レフは造りがいい

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高田の馬場の鈴木カメラの先代がお元気だった当時だから、1970頃、そこで高千穂二眼レフを買った。このカメラのチャームポイントは、その作りの良いことだ。まさにぜんぶの部品が手で作られている実感がある。まあ昭和20年代だからオートメーションと言う言葉が未来の夢のような意味で語られていた時代だから、案外に手作りであったろう。

PENPENチョートクカメラ日記750万頁ビューというおめでたいイベントであるから、数週間前に買った高千穂広角小型写真機だけではちょっと情けない。あれは0.25カメラ円であった。それで今回、その奉祝行事第二弾ということで、ちょっと予算を付けて本機を手に入れたわけだ。その代価0,945カメラ円。

その定価が昭和20年代に4万円以上した高級機にこの値段は可愛そうだが、レンズの最初の貼り合わせに「バルサム」が来ている。でもこの程度のバルなら問題なし。

カラーフィルムを装填して町を撮影した。二眼レフで真面目に撮影するのは、昨年の秋のカイロ以来である。高千穂フレックスの良さを思い出した。このカメラのセクシーな操作感覚はそのノブ式のフィルム巻き上げにある。まるで絹のようなという言い方がぴったりであって、こういうのは筆舌に尽くしがたい。実際にフィルムを巻いてもらうしかない。

1972年だったか、最初に買った高千穂二眼レフは日大の一級下のKに請われてゆずった。最初の個体はピントがちょっとずれていたのである。銀座で有名は名物修理名人の所に行ったら、すでに就業後であったので、酒盛り中だった。名人がういすきグラスを脇に置いて、レンズをぐっと「かしめて」くれた。
そのせいかどうかは知らないけど、レンズの周辺に流れが出た。Kはそれに気がつかずに、その高千穂で卒業制作を撮って提出した。その作品のタイトルは「あえかなる光」というのである。まるで白樺派である。
あの卒製はまだ日大の保管庫に誰にも見られることなく、40年も保管されているのであろうか。いや、すでに白骨化しているかも。

2010年8月 5日 (木)

写真集 テョートク海をゆく にサインする

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この数週間、なぜか非常に忙しく、8月のプラハ行きもキャンセルして秋に伸ばした。もっぱらヒルズの49階で雲とか空を見ながら雑文書きをしている。ようように先が見えてきた。それで久しぶりに無理矢理東京大周遊の時間をつくって、都内徘徊して銀座教会上の「カメラ贖罪所」に行ったら、佐久間さんがなにか言いにくそうにあたしに寄ってきたので、最初はこの店に未払いの金があるのかと思った。

聞けば何のこともない。
写真集 テョートク海をゆく にサインを請われたのである。この1000頁の本は一昨年、日本郵船の為に撮り下ろし書き下ろししたもので、横浜の氷川丸がテーマになっている。しかし動かない船も素晴らしいが動く船ならもっと素晴らしいというので、NYKのライラというコンテナ船に同乗して取材した。
ライカとライラは一文字違いというのも良い感じだった。

この本はあたしのアマゾンの125冊ほどの扱い本の中では常時に上位にランキングされている。うれしいのはサインが「本の天」に書けたことだ。あたしは1000頁の本を数冊出しているけど、その著者の楽しみというのは、実は本の天にサインを出来ることなのである。これは新書のような薄い本では不可能な技である。

アマゾンではサイン本はないが、これはサイン本なので好事家にはおもしろがられるかも知れない。

2010年8月 4日 (水)

今朝のヒルズからの眺めがいいぞ!

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仕事も佳境で早朝出勤。
こういう素晴らしい光景に出会える。もう8年目なのになかなかこういうのはない。20

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午後2時。これならリゾートに行く必要なし。

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午後4時。まるで「アンダルシアの午後」だ。 気温31度 体感37度 湿度70㌫(午後3時7分現在)

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午後5時40分。

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午後6時20分。

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午後6時35分。

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午後7時。

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午後7時15分。

素敵なかばん

P7280059 P7280060 これはドクターズバッグタイプのかばんである。上がぱかっと開いて中のものが取り出せるようになっている。ただしこのかばんがその用途が異なるのは、医療品とか薬品が格納されているのではないとことだ。
中にはアリフレックスSR2とマガジンと付属品が入っている。アリフレックスSRは、70年代のまだTVなどはフィルムで撮影されていた時代にカメラマンが一人でオペレートできるカメラとして開発された。
素人でも操作可能なので、当時のNASAのスペースシャトル内でも、アストロノーツが慣れない手つきでこのカメラを操作している画像がある。

でもここで話題にするのはカメラではなく、そのケースのことだ。このSRの一つ前のカメラが16BLであった。そのカタログに普通の金属製ケースの他に、このドクターズバッグが小さく紹介されていた。ただしカタログはモノクロであったから、その鞄は黒革だと思っていた。
7年ほど前の暮れにウイーンのペーターの店に行ってこの鞄を発見した。そのカメラバッグが黒ではなく、こういう色であったので、これは即買ったのである。中にかアリフレックスも一式入っていたので、これはついでに買ったことになる。
こういう物品の細かい属性に惹かれてそれを手に入れるのは我が儘の行き詰まりである。
似たような例で、あたしはボレックス16PROという、西独逸製の映画撮影機を数セット持っている。これは売れないカメラで全生産台数が60台ほどらしい。
そのうち4台がうちにある。2台で止めようと思っていたら、3台めのアウトフィットには珍しい取り扱い説明書の分厚いのがついていた。世界で60台というのは少なすぎて希少価値は逆にないものである。ゆえに取説はは販売時に一部だけ附いているものだから、さらに貴重だ。
その次の年いに同じアウトフィットで今度は専用の一脚のついたセットが出たので、それも買った。こういうモノの買い方はコレクター的な病であってあまり感心しない。
さて、アリフレックスの革ケースだが気に入っている。ダイナーズ倶楽部の機関誌シグネチャーでカメラ話しを書いた時に、その背景の小道具にも使ったことがある。
これはドイツ人の粋に通じる鞄である。これにアリフレックスを入れて旅したらまさか映画取材のチームとは思われなかったであろう。この前のオーナーはウイーンの映画関係者のようだが、さすが!と言うよりない。

2010年8月 3日 (火)

スイスアーミーナイフ

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★御礼★
2010年7月26日午後0時5分(ローカルタイム)PENPENチョートクカメラ日記は750万頁ビューを達成しました。
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スイスアーミーナイフは外国暮らしでは必須である。これがないと、ワインがあけられないし、チーズも切れない。パンも切れない。
1989年にリスボンのアベニーダパレスホテルの隣の店で買ったアーミーナイフは一番安いやつで、ワイン抜きはついていなかった。それを20年近く使っていたが、最近、欧州のどっかのホテルに忘れてきた。

それで、新ししのを買うつもりでこの1月と3月に、スイスに二度も行ったのに、買い忘れた。スイスだからその方面は本場だとうと思ったのである。
こういう品物は趣味の品ではなく、実用品だから逆に買い忘れるようである。それでなるべくそういう店を探そうと思っていたのだが、1月のジュネーブもチューリッヒもある店は銀行と高級時計店ばっかりでそういうものを売っていない。3月のバーゼルでも中古カメラ店はすぐに発見できたのに、家庭雑貨店は発見できなかった。
それで5月にリスボンで買ってやろうと決意したら、今度は例のアイスランドの火山灰騒ぎで、ヘルシンキに逗留することになってしまった。ヘルシンキの市場で買おうと思っていたら、そういうものは売っていなくて、これもあてが外れてしまった。
ヘルシンキ滞在の終わりが迫ってきて、今回、ヘルシンキでアーミーナイフを買わないと向こう数年、その手のものを売っている都会には行けないような脅迫観念にとらわれた。
ヘルシンキの街の西の造船所の前に広場があって、そこの蚤の市(Flea Markt)で探したがやはり発見できない。あきらめて市電を待っていたのだが、今度は市電が来ない。
ちょうど午前中でこれからまだ蚤の市に店を出す人が居て、電車を諦めてもう一度、蚤の市を廻ったら、手ごろなアーミーナイフ(恐らく中国製)があったのでようやく手にいれた。ほぼ20年ぶりだ。その間、スイス製の時計とかカメラとか映画撮影機は売るほど買ったのに、ナイフを買わなかったのは消費のアンバランスだ。手にいれたナイフは惜しむらくは道具が沢山付属していて、使いにくそうである点だが、この場合、ワイン抜きはマストであるのでここらへんで妥協したのである。

この前、紛失したナイフはそのワイン抜きがないので、別にソムリエナイフを持参したりで、かえって面倒だった。日本ではこれを持ち運んでいると、ポリスにあげられるというのは本当であろうか。もし本当なら、ワインの栓を抜くのは治安を害することになる。それで危険をさける為に東京では持ち歩かない。

ところで日本では蚤の市のことを「フリーマーケット」だと思っている人が大多数のようである。
これは不思議なことだ。ここは平壌ではないのだから、自由市場も不自由市場もあったものではない。これは蚤の市なのだ。

2010年8月 2日 (月)

高倍率ズーム強化月間 その4 ぼけこっこのお姿

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最近のデジカメの使い方だが、最近は、まずイフォンが基本にあってこれは常時携帯。それにペン2の高倍率ズーム付きを持つ。そうでない日はライカM8-2を持つ。ライカに木星珠50MMF2が附いている。この組み合わせを交互に使っていると、それぞれのカメラの持ち味が分かって面白い。その心理的なファクターと実戦的な要素とを研究して次のカメラ本に書こうと思う。
まず明らかなのは、ライカで撮影している時には「場」を写していることが明確に理解できる。これはフィックスのレンズで撮影しているので、モノへの興味というより、その場の空気感みたいなものを撮影しているのである。
これはライカが以前から持っていた撮影世界の特徴である。

一方で高倍率のズーム付きのペンでは撮影に向かう対称は具体的なモノに集約されるようである。10日ほど前に本ブログで紹介した佃のぼけこっこのお屋敷の全景は、あれは高千穂ワイドで撮影したが、固定の広角レンズだから事実上はライカで撮影したも同じである。(最近では自分の中でフィルムで撮影した画像をスキャンすることと、現実をスキャンするのはほぼ同じ意味になった)
35ミリの広角レンズでとらえたシーンは「場」なのである。

一方この作例のように超望遠で撮影した「ぼけこっこのお姿」はモノへの興味である。そこらへんを分析するとなにか面白い結果が出るかも知れない。

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ペンは優秀なフォーカス機能がついているが、おしむらくはワンタッチでマニュアルに切り替えるのが出来ない。(ショートカットで可能かも知れないが知らない)それでいちいちバックの液晶で切り替えると、今度はMF時には画像の中心が変に拡大される。これは有り難迷惑である。

こうして、高倍率ズームにてぼけこっこのお姿を拡大して見るとなかなかの面構えだな。通りがかりの若いママが「ほら、にわとりよ!」と子供に教えていたら、当のぼけこっこが長鳴きをした。

「ちがわい!わしはちゃぼ、いうんや!」〔意訳)と抗議していたのである。

2010年8月 1日 (日)

10円玉と10コルナ玉

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★7/27のココログ総合アクセスランキングは76位の大躍進!

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佃の部屋に甕がある。
中には酒が入っていた。その酒が呑んでしまってもうない。甕だけが残っている。その甕の中に酒を入れるという「アイデア」はその酒メーカーの会社の店主が「これはおれのアイデアだから、他のやつが真似したら、訴える」みたいなことが「店主敬白」めいた栞に書いてある。実に剣呑な話しだ。大昔、バルセロナのサグラダファミリアを撮影した欧州の写真家が居て、「これは俺のモチーフだから他の奴にた撮らせない」と言ったそうだが、なにかそれに似ている。「や」な感じだ。

しかしあたしは気が弱いので、酒を入れたら訴えられるのは「や」だし、母親の時代みたいにこれで「ぬかみそ」を漬けるわけにも行かない。第一、台所に床下がない。

数ヶ月、甕は空のままだったら、ある日、家人がたまった十円玉を入れてあった。金は貯まらないのに、小銭はたまる一方である。思い附いて、これを毎日のヒルズの電車賃にあてることにした。自動販売機は10円玉なら20個までは入る。それで東京メトロで月島ー六本木は190円だから、朝適当に掴みだしてこれで切符を買う。最近では皆さん、前払いのカードだから販売機はすいている。それに小銭で切符を買うと心にゆとりができてくる。

この前、切符を買おうとしたら、1枚だか弾かれた。よく見たら10円玉ではなく。チエコの10コルナであった。それは脇にとっておいて次回のプラハで使うと思う。

 

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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