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チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

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2010年7月31日 (土)

ニコンS2の革ケース

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カメラの革ケースがなかなかお洒落な存在であることに、気がついたのは50歳を過ぎてからだ。それもニコンS2時代の革ケースが最高だ。S3以降になってしまう と、コストのことが頭にはいっているので、なんとなく「手抜き」とは言わないけど、その制作態度は「まあ10年もてば良いであろう」という感じで、これは 今のすべての工業生産物に当てはまる。いや、間違った最近では5年持てば良いのか。デジカメなどが3年程度持てば良いのであろう。
このニコンS2用の革ケースは数年前に四谷アローカメラで手にいれた。当時の製品が凄いのは、そのプロテクターが完璧であって、カメラの底部などはまるで アメリカンフットボールのそれである。革ケースで一番痛むのは、前のカバーを本体に取り付けてある「フラップ」の部分だが、このケースもそこが切れてい る。それで補修して前のスラップはそのまま固定されているが、実際にハードな環境で使うのにはこの方が良い。
ところで、日本カメラの次回の連載で、ゲバラが使っていたニコンS2のことを思い出すに、彼は革ケースは使っていなかったようである。ちょっと残念だ。
このニコンには35mmf3,5が付けてある。このレンズは初期のやつは全部真鍮で出来てるからやたらと重い。この黒仕上げのは軽金属だから携帯には向い ている。かなり最近のレンズ(とは言っても60年代のS3時代の)かと思っていたら、なんとすでに50年代にはこの黒いレンズが登場していた。

2010年7月30日 (金)

PENPENカメラ日記750万アクセス記念カメラ

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せっかくの750万アクセスなので、記念になにか素敵な高千穂のカメラを買おうと思った。
ところがこの1月というもの、多忙にて外出などおぼつかない。どれだけ多忙かと言うと、神保町のエチオピアの70倍をずっと食べていないほどだから、これは尋常ではない。
大体、時計が早く進行しているらしく、8時間から9時間ヒルズで雑文書きをしていても、その時間は3時間ほどにしか感じられない。
それで外出して高千穂のカメラを買いをするのは時間的技術的に困難なので、一番最近に買った高千穂カメラをもって、この大役を代任せることにした。

それが、 オリンパスWの最初期モデルだ。
このカメラが忘れられないのは、森裕貴さんの撮った写真集「京都」に負うところが多い。たしか1970年代初期のニコンサロンブックスというシリーズの中の最初の1冊がこれだった。森さんは京都の出身かどうかは知らないが、京都の町をオリンパスWで撮影したシリーズで、それがニコンから出ることが、非常におおらかで良い感じであった。いまだとこういうカメラブランドの横並びってのは出来ないのではないか。
面白いのは、その写真集の中で、森さんがオリンパスWを持った姿がよく、古い商店のガラス窓に反射していたりして、その画面を見ると、オリンパスWは2型以降のレバー巻き上げのモデルではなく、クラシックなノブ巻き上げのそれである。当時、写真学生仲間でも、「ワイドは1型に限る」などと分かった風を言ったものであった。

このカメラは目黒の定休日が移動するので有名な、散歩ーカメラで買った。しばらく前にBMWの飲み屋の車に便乗して行った時、その価格が0.25カメラ円であったので、これはワイドのレコードローであろうというのが話題になり、記念に買ったのである。これを持って、「PENPENカメラ日記750万アクセス記念カメラ」とする。

以下は高千穂ワイドの作例。レンズは銘玉D瑞光35mm f3,5 佃とヒルズの通勤の往復で撮影した。無論、露光は山勘。フルカラーの「コンポラ写真」である。

カラーネガは工事用の400のやつ。現像とCDはヒルズ6階のゴーゴーステーションに依頼。昭和30年当時のワイドカメラが2010年にこれだけ写れば誰も文句は言うまい。というよりもデジカメの売れ行きに影響が出そうで心配だ。
特に ぼけこっこの「お屋敷」などは、夏の感じが良く出ていると思う。(伍高酷の真似)

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2010年7月29日 (木)

彼の背中のPEN  あたしのおなかのPEN

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この2週間ほど、ライカM8を持ち歩いた。これも斜めがけにすると、身体にフィットして長い時間行動しても楽だ。
それが久しぶりにデジカメを持ち替え、ペンを斜めがけして、朝、佃を出たらあまりの軽さに驚いた。そのままメトロに乗って、はっとしたのはペンを持っていないのではと思ったのである。
しかしこのようにちゃんと斜めがけで鎮座している。
ライカだと、いかに軽量の木星珠でも首から金属の塊が下がっていることはちゃんと分かるのである。父親が亡くなって10年以上になるが、50歳過ぎてから父はカメラが重いとこぼしていた。当時、こちらはまだ二十歳くらいだからその意味が分からなかったけど、最近、だんだん分かるようになった。
やはりカメラは小型で軽い方がいい。

久しぶりに東京大周遊で、都心を歩行していたら、いきなりあたしの眼前にペンが登場した。これが斜めがけなのである。しかもワイシャツ姿の後方にペンが廻っていると、これはなかなか粋なものであると感じた。
それで3枚だけ連続してペンでペンを撮影したのがこれである。
残念なのは、このペンペンクラブの人はレンズキャップを付けている点だ。まあ、それは個人の勝手、信教の自由であるわけだが。

やはり、斜めがけで背中にペンを廻した時には、パンケーキがいい。
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2010年7月28日 (水)

M8+きったねえ木星珠で東京バスライド

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木星珠倶楽部の面々は、口では「反ノクチルックス!」などと勢いの良いことを言っているが、やつらは経験は乏しいから、心の中では「やはりノクチルックス欲しい」などと思っている腰抜けどもである。

あたしの場合、木星珠(ジュピター8号 50mm f2)とはすでに40年の経験があるから、その性能に惚れているのである。同時に木星珠のブランドそのものにも惚れているのである。
この前、東急BE(べ、と読む)のライカ愛好会に、M8-2にその木星珠を持参して講義をしてたら、前列あたしから見て左側のライカ人類やろーは、あたしの木星珠を見て「きったねえ、レンズだなあ」とぬかしやがった。
これが個人的なあつまりならすぐにちゃぶたいをひっくり返して、そこから戻ってくるところだが、東急BE(べ、と読む)は、文化人の教養を高める講座らしいので、紳士らしくないので、それは思いとどまった。

その日は午後からまたもヒルズで重要な会議(嘘)があったので、渋谷駅から都バスでヒルズに戻った。その車中、東急BE(べ、と読む)のメンバーのあたしの銘珠に対する理由なき誹謗中傷が腹に据えかねたので、車内から撮影をしたびである。木星珠披露回復じゃなかった、名誉回復ですね。
「目には目をレンズにはレンズを、ノクチルックス、論より証拠」と古代のユダヤの本にも書いてある通りだ。
それでヒルズに来るまでに車中から撮影した数カットがこの画像である。
あたしはなかなか良くその場の感じが写っていると思うのであるが、やはりぼろぼろなソ連製の珠で撮影したしょうもない画像なのであろうか。
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2010年7月27日 (火)

やきとりの神髄

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やきとりは世界中で食っている。シンガポールのニュートンサーカスの界隈のサテイなんかは、取材に行ったこともある。当時はライカM5がメーンカメラだった。やきとりやを取材してタクシーを拾って、ホテルで降りる時に車から下にM5を落下させた。ほんの20センチの高さだが、M5の測光の例の腕木が出なくなった。それで10分ほどかけて、それを指でだましだまし直したらまたちゃんと使えるようになった。これがアナログライカの良さだ。
この前、BMW野々宮の車に乗っていた突撃隊長がやはり車から降りる時に20センチの高さからM8を落下させた。それは動かなくなって、今、独逸のサナトリウムに行っている。
地上の20センチの引力にさらされると、結果として1万キロかなたの独逸に往復運動をするというのは、実に不可解だ。精密機器であることは分かるけど、あまりに脆弱である。岡村昭彦や澤田教一の愛用のフィルムライカはそんなに弱くはなかった。
それにこの最先端技術の日本でM8が直せないということはない。日本はまだ鎖国時代か。

やきとりの話に戻る。
アテネの古代遺跡「風の塔」の側にやきとりの屋台店があった。これはオリンピックの前の話だが、撮影の行き帰りにそこに寄った。おやじでいつも込んでいる。というよりおやじ連が屋台を取り巻いているので、最初は何かの予想屋かダフ屋だと思った。
立ち飲みの酒はアラキ酒である。なかなかのMTF曲線のやきとりであったが、その周辺に猫がおこぼれを待っているので、そのお相手をする楽しみもあった。

やきとりは焼きたてに限る。これほど味の多彩な食い物というのはなくて、ワインのソムリエに対して、やきとりのソムリエがあってもよさそうなものだ。
上の画像はM8-2にソ連製のインダスターで撮影。
バス通りの前が煙幕状態になる。すぐに常連さんで満員の高品位店だ。むろん、名前は個人情報保護法の下で守られている。
デジタルライカは感度があがるから、レンズの明るさはf3,5もあれば十分である。あたしは「反のくちるっくす修正主義」なのだ。

2010年7月26日 (月)

750万頁ビュー御礼!

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★御礼★

2010年7月26日午後0時5分(ローカルタイム)

PENPENチョートクカメラ日記は750万頁ビューを達成しました。

毎日のご愛読ありがとうございます。
その切り番は偶然あたしがゲットしました。これも良い記念になります。
記念になにか素敵な高千穂製品を自分にプレゼントしようと思います。

思えば、昨年の12月「PENPENチョートクカメラ日記」にリニューアルしてわずか7か月ほどで総計100万頁ビューを超えたことになります。

このカウンターはPCのアクセスだけの集計ですので、ケータイからのアクセスも含めるとその数倍のアクセス数はありそうです。

これからもよろしくお願いいたします!

さて、さて、次は800万頁ビューにむけて、ゆるゆると。

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ばなな と ぜぶら

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机の堆積の間から、夏向きの品物が発見された。
ペンデジタル1用のゼブラパターンの貼り革である。いつ買ったものかとんと記憶にないが、高倍率ズームに似合うのではと思いついて貼ってみた。案外と簡単に貼れたのは、これがライカの革だと最初に前からあるのを剥がす手間があるからだ。ペンデジタルの場合には、本体はもともとフラットな金属パネルだからその行程は省略できる。
独逸はミュンヘンのノボフレックスの会社が70年代に出していた、貼り革(実際にはプラスチック素材)で、400ミリの望遠レンズに貼るので、ミュンヘンオリンピックの当時だから、各種のスポーツ競技のシンボルをあしらったデザインでなかなか良かった。

他にもラウテンと言ってバイエルンの州の旗の空色の矩形の連続模様などもあった。サファリ用のゼブラパターンのもあった。その貼り革のセットを大事にしていた。それを貼るべき本体のレンズはすでに持っていたのである。こういう改造品のパーツはそれを使わないのが楽しみであるわけだ。

ところがどうしたことか、そのレンズだけ地方の友人に貸してしばらくたったら連絡がきて、そのレンズを家の玄関に置いてあったら、盗まれたという。奇っ怪な話であって、下駄泥棒は知っているが、そういう特殊なレンズが玄関先で盗難にあうものであろうか。窃盗事件で捜査をするのも面倒なのでそのままになっている。だからその貼り革のセットは今に所持しているが、ノボフレックスはもうない。

ゼブラの貼り革のペンデジタルはなかなかの存在感で、「サバンナの風を感じる」とはあまりにもゆーみんめいて陳腐であるが、たまたまその脇に新潮の最新号があって、これがイエローなのでなにか阿弗利加の太陽という感じがして、その脇のサバンナのゼブラパターンというのは悪くない。
盛夏はこのサバンナ気分で行こう!

2010年7月25日 (日)

Bloody Mary

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Bloody Maryのカクテルの手が最近、あがっている。毎日、朝から夜までヒルズに座ったままで、日月の運行を見ているのだが、それだけでは時間が持てないので、原稿も書いている。

ヒルズには数年前まで立派なバーが50fにあって、各種のお酒が並んでそれが会費に含まれていたのだが、どこかの誰かさんが深夜にどんちゃん騒ぎをしたので(それが中止の理由と聞かされた)やめになって、今はアルコールなしだ。もっとも上のクラブにある一番安いワインより、仕事場にあったワインの方が二段階以上も高級であって、ここに遊びに来た、元フェラーリのメカニックを驚かせたこともある。

それはそれで過去のこととして、この数年はアルコールは禁止ではないが、バーには備えてない。ヒルズの森タワーは「豆腐屋に一里、酒屋に三里」というほど不便ではないが、ここではコンビニにはアルコール売ってないし、同じ階のカフェではいまだにコロナしかないという遅れぶりなので、アルコールは国境を北に超えて(高速のこと)その先の明治屋まで買いに行く。ポーランド製の98パーセントという火酒でそのままでは飲めない。ラベルに火気厳禁とあるほどだ。

この魔窟で、やられた連中は福田和也とか矢野優とか死体累々だが、最近では心を入れ替えて、来訪者には飲ませないようにしている。なにもマナーをわきまえたのではない。こんなに旨い火酒をゲストに飲まれてしまうのがおしいのだ。

それで仕事が一段落すると、プラスチックカップははなはだ不似合いではあるが、これを一杯やる。ロングドリンクとは良くぞ命名したものだ。実際、小一時間は持つ。その間に大東京がゆっくりと「溶暗」する。

2010年7月24日 (土)

ライカM8夏期大演習4日め

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野々宮から貸してもらった、M8-2で遊んでおるわけであるが、大分、手になれてきた。貸してもらったカメラには、最新のライカのなんとかいう名前の28mmレンズが付いているが、それをそのまま使うのはあまりに平凡である。というより、M型デジタルはクラシックレンズを使って初めて、長いライカの歴史が生きる。ライカの歴史だけではない。ツアイスの歴史も生きるし、ソ連製のへどの歴史も生きるわけである。

これは通勤途中に佃名物、ぼけこっこのお姿を謹写したものである。皇族を撮影するレンズは昔から、ニコラペリシャイトと決まったものであったが、ニコペルのライカマウントはないから、それなら、ヘリアーあたりで我慢したいのだけど、今の信州名物のヘリアーは高性能過ぎて、つまらない。

11 それで、戦前のヒトラーが登場した当時の、鉄鎖ーの28mmを山さんのアダプターで付けた。これが無論、戦前の珠だし、くもりとかなんかが出ているが、拙宅の耳掻きで清掃したら、見違えるようになった。欧米には日本のような耳かきがないから、向こうのコレクターは気の毒である。

空気感と以前、ある単行本で書いたら、担当編集者さんが「空気感」が分からなかった。そう、空気感なんて分からなくて良いのである。ただ、この3点の写真で、ぼけこっこの周囲の緑が昔の記憶に結び付いたり、船たまりの風景が暑そうに見えたり、佃の住吉さまの陰祭りのポスターの周囲の陰に一涼を感じたりしたら、それが「空気感のようなもの」なのだ。

2010年7月23日 (金)

ライカM8夏期大演習3日め

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えむはち大演習の三日目。

前の作例と似てるかも知れないが、その理由はこの前の海の日を挟む三連休にあたしは佃の大ガラスの部屋にずっと座りっぱなしであったからだ。前のと同じように見えるが、これは「珠」が異なる。前回のはスーパー暗愚論であったが、今回のはキヤノン19mmf3,5である。これも有名な癖球であって、以前、坂崎さんや片岡義男さんと雑誌東京人の小特集で、神楽坂を撮影した時、坂崎さんはこの19mmを持ってきた。このレンズはそのゴーストが凄いので、業界では有名であるが、坂崎さんはその幽霊画像レンズを使いこなしていたので感心した記憶がある。

このレンズはもともと、キヤノンFTとかに、ミラーアップして使った。ミラーアップの出来ない、キヤノンペリックスには、これもキノコのような前珠の大きなレトロフォーカスレンズがあった。性能は無理のない、ミラーアップタイプの方が良かったと記憶する。なにしろ、フィルムで撮影するとへんてこな色合いになったりする。それがM8で撮影して、ちょっとだけ「ふぉとしょいしょい」で画像をいじくったら、なかなか見栄えのするようになった。大したものである。

しかも、sa案愚論21mmではTTL測光の出来なかったのが、このレンズではちゃんと測光ができる。それで40数年ぶりに名誉回復した。なにかスターリン時代の名誉回復みたいで、ソ連っぽい感覚があるなあ。

M8のスタイルが体内脂肪多そうなデザインだから、このレンズの大柄感覚はなにやら、マッチするのである。

 

2010年7月22日 (木)

セコニックスタジオの元祖

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最近のライカ人類の傾向で、著しいのは、その土台がデジカメ出身であることだ。つまりデジカメがごく普通のプラットホームになって、そこから「フィルムを装填するライカの魅力に目覚める」というタイプである。

これは今までのあたしのライカ論では完全に想定外であった。
時計BEGIN兼家電BEGIN編集部のF嶋さんは、ペンデジタルから入部したカメラ女子であって、女子ライカ部の系統だ。それがペンデジタル2にコンタックスのレンズだけでは満足せずに、最近、ライカ3Cを買ったようである。
そうなると、単独メーターが欲しくなるものらしい。

あたしなどは、長年のアシスタント生活で、両眼が「人間メーター化」してるので、メーターのついていないライカでの撮影は、全部山勘なのである。時々、メーターがちゃんと動作しているか、確認のために計るくらいだ。これは木村伊兵衛名人の「ときどきライカメーターをポケットから取り出して、ちょこっと計る」のまねなのである。

そのメーター購入希望者のF嶋さんから、メーターは何がいいでしょうか、と質問メールがきたので、セコニックスタジオを指名しておいた。これは入射光式メーターであるから、ハリウッドなどで大女優に接近できるメリットがあるので、その方面では有名なメーターだ。入射式は被写体の位置で測定するから、接近度が高くなるわけだ。

スタジオメーターは今でも、セコニックの定番商品だ。その品質は良いのだが最近ではフィリッピン製になった。そのことを文句言うのではない。その専用ケースがごく普通の四角い革ケースになってしまった。これがだめなのだ。もともとスタジオメーターは、ボデコンのこういうセクシーな革ケースが魅力なのである。

これはノーウッド デイレクターというセコニックスタジオの前身である。と言ってもほとんど同じ形である。ノーウッドがメーカー名で、デイレクターとはマンハッタン五番街にあった輸入会社の名前。この会社はイタリア製レクタフレックスなども輸入していた。

2010年7月21日 (水)

ライカM8の夏期大演習の二日目。

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ライカM8の夏期大演習の二日目。

人間の感覚の慣れは怖いもんだ。最初にM8を見たとき、その大きさに驚いた。格好が悪いのである。その格好の悪さは、ライカがM4からM5に変わった時の本体が大きくなった時の困惑とは質が異なる。あの変化はまったく異なる機種が登場したのであったから、M5そのものには他と比較する基準がなかった。70年代とはそういう時代であった。あれはまったく新しいライカの新基準であった。

それに対して、M8はあれはM6がブローアップされたというか、M型ライカの努力の末のダイエットがリバウンドした感覚がどうもいやなのである。
ところがM8登場以来すでに何年かが経過して見ると、こっちの目が慣れてしまう。これは視神経の順応というやつだ。この視神経の慣れは、たとえばあたしの人生で最初に出会った家人が当時は22歳だったのが今は63歳でも、それを同一人格として認識できるのと同じことかも知れない。人間の精神は実に柔軟だと思う。

ライカM8夏期大演習の二日目は、秘蔵のスーパー暗愚論をつけた。21mmレンズである。巷間、M9が登場した時にこれをM9に付けたら、周辺の色がかぶったというので、大話題になったこともあったな。

超暗愚論21は付けてみたら一応は使える。ただし、測光はできなくなる。(レンズが突出してるので)それで完全マニュアルで使ったら、その操作感覚はいきなり、往年のライカめいてきたのが非常に気に入った。

ライカM8やM9はマニュアル露光に限る。

残念なのは、あわてて電源スイッチをオンにするのを忘れると、空シャッターでは単なるマイクロスイッチの「カチッ」という音がすることである。これは嫌な音だ。なにか拳銃を頭にあてて、引き金を引いたら、不発であったという「がっかり感覚」がそこにはある。機械式のライカのしゃったーのように、指で押し込んで、決定的瞬間を狙うことはできない。これは電気仕掛けだから、それは仕方ないとも言えるが高価格のデジタルライカなのだから、飛行機の「フライバイワイヤー的機構」があってもいい。

画像を見るに、画面の左の描写がかなり落ちている。これはフィルムで写すとそういうことはないので、これはやはり「板っぱち」に問題があるのか?

2010年7月20日 (火)

NASA PROPERTY U.S. GOVERMENT

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NASAの使用した機材は世界のカメラオークションで高値沸騰になる。
20年ほど前、テキサスのジョンソンスペースセンターに取材に行った。広大な敷地に寝ている、サターンロケットはともかく、小さな展示であったが、アストロノーツが使用した、各種のカメラは興味駸々だった。

このニッコール21mm f4レンズは、その展示品ではない。
NASAは膨大な不要品を放出するであろうから、その大部分はサープラスというので近所のカメラ屋さんが引き取るようである。
あたしがUS NAVYの刻印のある、ライカM2なんかを見て関心するのは、アメリカ人の実用主義だ。ようするに、ダイヤモンドカッターかなにかで、平気で下手な外人の数字をひっかいていたりする。もう美的感覚はゼロ。
このニッコールもその一例だ。
これはその手のカメラ店から10年ほど前に買った。とは言っても、原産地であるから、NASAのマークが入っているから高価というのではない。
普通のこのレンズの相場であった。
それから何年かして、腰名がこのようなF-Sアダプターを作ってくれたので、ちゃんとニコンS型に付くようになった。実に有り難い次第だ。

思えば20歳の時に使い始めたのが、この21mmレンズだから、もう40年以上の路上スナップの友達である。だから同じレンズは何本あってもいい。

2010年7月19日 (月)

高倍率ズーム強化月間 その3 おっと!逆光には強いぞ!

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ズームレンズってやつは、過去半世紀以上、歪みがあるとか逆光でゴーストが出るとか差別されてきた。それが最近になって、プライムレンズよりも逆光に強いという、以前では想像もできない大進化を遂げた。

高倍率ズーム強化月間なので、その逆光にどれだけ強いのか実験しようと思っていたのだが、なにしろ梅雨のど真ん中でもあり、各地で空前の集中豪雨でもあり、その「太陽が万ど真ん中の逆光」が撮れない。

ようやくゲットしたのがこの2枚の画像だ。かなり満足の度合いを通り超してゴーストのないのがかなり物足りない。なるべくゴーストが出るようにカメラアングルを工夫したつもりであったが、まったく出なかったのはあたしの技術不足のせいである。

浜谷浩さんが、終戦の日、昭和20年8月15日の太陽を撮影した有名な傑作がある。疎開先の新潟の山村で撮影したもので、ど真ん中に太陽があり、その周囲にコロナのようにゴーストが出ている。これなどは当時の不完全なレンズが表現の一翼を担っているわけだ。そういう真似は今日の高性能高倍率ズームには出来ないことになった。これを進化と言うべきなのであろう。

時代がくだって、60年代に東松照明さんが撮影した傑作「泥の王国・アフガニスタン」では28mmのニコンF用のニッコールを使って、やはり王冠状のゴーストイメージを積極的に使った名作がある。

Off 思い出せば、松岡正剛さんが1970頃に出した写真集[OFF]の第一号にあたしも作品を出しているが、それは路上に降り注ぐ光のシャワーである。これはライカでニッコール50mmで撮影した。それもレンジファインダーカメラだから、ゴーストが出ているのは、現像後に気がついたのである。これがその作例。

こう考えてくると、瑞光の高倍率ズームは最高の性能であるが、逆に万能すぎて「幽霊の出ない」のは夏向きではないとも言えそうだ。8
 

 

2010年7月18日 (日)

晴れたらライカ 雨ならデジカメ 5刷に

「晴れたらライカ 雨ならデジカメ」(岩波書店)が5刷になった。うれしい。
2007年6月1日に発行だから、写真の日である。それから3年がたって、また版を重ねるというのが有り難い。

デジカメの話なら、世の中のデジカメムック本がそうであるように、3年という年月はデジカメの時間スケールなら30年と言ってよい。つまり普通なら「古文書」になってしまう筈である。

岩波から送られてきた5刷の献本をぺらぺらめくって、面白いと思ったのは自分が想像していたより、今の時代にコミットしていることだ。たとえば、「デジタル一眼レフの持ち方でその使い手のクラスが分かる」というようなことを書いている。これは3年前に三角形のペンタプリズム付きのデジタル一眼レフが大型で常時携帯の手にあまることを批判しているのである。

まだマイクロ4/3など世になかった時代だから、このあたりはデジカメは3年経過するとそのステージが変わってきたことが分かる。

ほかには「なぜ最新のデジカメより80年前のライカがおしゃれに見えるのか」
とか「カメラ付きケータイとデジカメの理想のつかいわけ」とか、これなどは今のイフォンG4のことを書いてるみたいな感覚だ。

この本の売りは「見返し」に「真っ赤な用紙」が使ってあることだ。
これは3年前にあたしの還暦祝いというので、担当編集者さんのプレゼントというわけである。

★御礼 どうもありがとうございます。本日、あたしの本の売り上げランクでいきなり、ナンバー2にランクアップしました。売り上げトップは「ウイーンとライカの日々」(日本カメラ社)です。これもうれしいことです。★

 

晴れたらライカ、雨ならデジカメ

買ったきっかけ:

2007年の6月1日写真の日に初版。まる3年が経過して5刷になりました。感謝!

感想:
3年経過して読むと、ある意味デジカメの未来を予測して当たっていた所と、大はずれのとことがあってそれが面白い。

おすすめポイント:
当時、マイクロ4/3がなかった時代のデジカメ論が愉快です。

晴れたらライカ、雨ならデジカメ

著者:田中 長徳

晴れたらライカ、雨ならデジカメ

銀時計の裏のメダリオン

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最近、気に入っている時計はいずれも100年前のやつであって、それらはポケットウオッチからリストウオッチに改造されたものだ。もともとリストウオッチは女性用で、ポケットウオッチが男性用であったのが、男性も腕時計がいいというので、20世紀初頭に現存のポケットウオッチが大量にリストウオッチに改造された。今ではそんな面倒はことを引き受けてくれる工房もないであろうが、まずおっとりした時代であった。

そのような元ポケットウオッチで現在リストウオッチというのが、油断している間に身辺に集合してきた。そういう古時計の何が魅力かと言えば、外見はさておき、ダストカバーにこのような100年前の受賞歴の数々が刻印されていることだ。まだ20世紀の二つの大戦も予想できなかった昔に、数多くの国際博覧会のメダリオンが銀の素材に精密に刻印されているのは、実に気持ちが良い。

それで、時計の時刻のずれを一日一度直す時に、ついでに銀時計の裏蓋をあけて、いにしえの栄光の痕跡を鑑賞したりしている。
 

2010年7月17日 (土)

ライカM8 夏期大演習

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「ライカワークショップ」(えい出版社)の雑文書きが佳境に入ってきた。ライカM8は日本に入ってきた一番最初にたしかアサヒカメラの記事でテストした。当時は実機が少なくて、ペーパークラフトが横行していて、それを手にとってM8について雑誌のインタビューを受けたりした。

まるで、火星人は実在するか?というような話しで、よっちゃん烏賊を手にとっての講義みたいなものであるから、これは空想物語になってしまった。

今度のライカ本ではあまりいい加減も書けないので、M9の方はライカジャパンさまから拝借するように編集部で手立てを組んでもらっている。実は酷評のきっさきが鈍るから本当は自分で買うのが一番なのであるが、昨年M9が出た時、その半額のライカM2ブラックにライカビットを買ってしまったので、すでにL資金が枯渇している。

ライカM8の方はBMW野々宮がこの前、M9が出て一時的にM8価格が下がった時にタイミング良く手に入れているので、無理を頼んでそれを貸してもらった。これはM8-2であって、なにかその外見は「虎屋のようかん黒糖」という感じがする。渋いお茶が欲しくなる。

さっそく使い始めたが、レンズは「ライカM4ではない」(KE-7aのレプリカのこと)に附いていた、ズマロン35MMを付けた。しかしどうもファインダーが見にくいので澤田の真似をして、35MMのライツファインダーを付けようと思ったが見つからない。それで、ライツの美度六(vidom)で代用した。フィルムが装填できないのが、M8の最大の欠点であるが、反面、撮影のたびに下のゴーゴーステーションに現像を出しに行く手間は省ける。フィルムカウンターが変な場所に付いているので見にくい。

さらに電気式なので人跡未踏の場所には持参できない。ここらが最大の問題点か。あ、それとイフォンみたいに、インターネットが出来ないし、電話も出来ない、「もりたか」(第二音節以降アクセント)は聞けないし、ムービーもとれない。そういう出来ないことだらけで高価であるというのが、この場合、正しい高級宝飾品の証明であることになる。

下の画像はそのM8 2で撮影したファーストショットだ。レンズは田中光学の50MMF1,5  TIFFの16階調でファイルレンスが64MBもあった。この設定は果たして野々宮好みなのか?さっそくJPEGで256KBに変換した。インターネット上の画像は突撃隊長(オンラインカタログの専門家)の言うように、100KBあれば十分。L9991016

2010年7月16日 (金)

ロボットで撮った台東界隈

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日本路地裏学会の研究テーマは多岐にわたるが、この流行を外れてしまったパーマ店などは、それだけでわくわくするようなテーマである。
この手のお店であたしの感じるある種の不思議な物質感覚は「このプラスチックはバロック時代の制作ではないの」いう錯覚なのである。
実際にはそんなことはないわけであるが、「パーマ かおり」のこの行灯などは風化が激しいから実際の経年変化よりずっと時間が経過しているように見えるのが痛快だ。

いつであったか、ジョンソンスペースセンターでマーキュリー計画の独り乗りの宇宙カプセルが展示してあり、その大気圏に突入時にカプセルの全面の耐熱レンガだか金属だかが溶解しているのを見たが、それは何か青銅器時代の遺物に見えたことだ。

それと同じ感覚で見ると、あたしの時間スケールではこの美容院など、江戸時代後期の作ではないかと思えてしまう。

そういう冗談はさておき、ロボットにごく普通の西ドイツ製のゾナー50mmをつけて撮影した。曇り日で感度400のカラーネガでその露光はよく記憶していない。

そのロボットの写り方はコンタックス2aに付けたゾナーとどこが異なるのか、と聞かれればこれは答えようがなくて、「レンズが同じなのだから写り方は同一には違いないが、撮影時の手触りが異なる」と言うべきだ。

そこが多種多様のレンズとかカメラを持っているあたしの言い訳になっているのだけど、人生とか生活に言い訳がきかない最近の状況下では、こういうカメラロボットの言い訳は案外に人生を救ってくれそうな気もする。4

 

2010年7月15日 (木)

高倍率ズーム強化月間 臨時増刊号 白オケが半ダース

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80年代から90年代にかけて、所謂、エキゼクテイブマガジンの口絵の仕事をして、年間250日以上も欧米に行っていた当時は、各種のカメラを使ったのは当然ながら、一番重要なカメラは、300mmf2,8のレンズをつけっぱなしにした、一眼レフであった。

これはグラフマガジンなどでは「興味のある人物なりモチーフなりが主題として背景から浮き上がっている必要」があったのである。グラフ誌というのは、カメラ雑誌のような芸術性がないから、見たいもの、見せたいものがくっきり、はっきりと写っていないといけない。

最近、アサヒカメラに発表した「カイロ」にせよ、日本カメラに出した「奈良の夢2010」にせよ、そこに写っているのは、ヌーボーとした写真的な空間である。これは前衛的なカメラ雑誌にだけ許されることであって、商業誌では駄目なのは当然のことだ。

300mmというレンズはかなりの撮影距離から自然なショットが撮れるのでそういう目的には最適だけど、反面、四六時中巨大な「さんにっぱ」を肩からぶさげているのはしんどかった。あれをぶら下げているのは、カメラマンぽくてかっこいい、というのはあれは高校の写真部の価値感である。われわれは御免だ。

高倍率ズーム強化月間の主役、瑞光14-150mmは実質は28-300mmなわけであって、特に300mmサイドでの描写はかなり使える。それでまあ、これは作例というわけだが、白オケの半ダースが朝のお散歩中の様子を「パパラッチ」したのがこれである。高倍率ズームの望遠サイドって、もともと運動会で「うちの子をでっかく撮影」するのが目的でばんばん売れているのだが、他の使用目的もある。

そう言えば、30年前、岡山のちょんまげカメラの店主が「オートニッコール85-250mmは海水浴にいい。オリンパスワイドは建築にいい」と言っていた故事が思い起こされる。合掌。

★用語説明。
白オケについて。これはカラオケのことではない。
1970年代のいわゆるウイーン時代に家人が黒いプードルに「黒オケ」と名前をつけた。可愛いからお人形みたいなのではなく、犬であるから、これはお犬形(おけんぎょうと発音)である。
それが短くなって、黒オケ。
だから白いプードルは白オケ、グレーならグレオケ。茶色のは茶オケ。(ぼけっこ広辞苑より)

2010年7月14日 (水)

日本税関のステッカー付きライカケース

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このライカのセットケースは20年以上前に新宿のピンホールで買った。その表面にこのような赤と青の対角線の真ん中に赤い丸のステッカーが貼ってある。

これが何であるか、知らない人が多かろう。
これは日本税関のマークなのだ。
おそらくもう使われていないかも知れない。あたしもこれが税関のマークだとは知らなかった。四半世紀前に新潟に行った。そこで旧税関のいろいろな展示を見たときに、いわゆる和船なのだけどその舳先にこのマークがついていた。これは税関の船なのである。おそらく明治時代のものと思われる。そのままずっと忘却していたのが、ああ、これであったと思い出した。

このシールには神戸税関とある。戦前のライカの上陸地点としてこれ以上に格好な場所はほかにはあるまい。

手に入れたとき、すでに中は改造されて、新しく135mmレンズを固定するバンドなどが付いていた。手元に当時のライカの総合カタログがないので分からないが、ふたの裏側には、距離計を固定するはさみもついているから、これはC型かスタンダード用であろう。距離計を格納して、同時に135mmとなればスタンダードかC
型になる。
この手のライカのセットケースは長年見ているが、不思議なのはいずれも長いストラップの付いたのは見たことがない。手提げ用の短いストラップばかりである。ただしこれだとライカを手にした時に撮影は不可能である。簡単に延長用のストラップを付ければ良いのだけど、そのシンプルな革のストラップそのものが最近では手に入らなくなった。
人間の手は二本だから不便だ。

2010年7月13日 (火)

カスタマイズされたGRD3

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リコーの紳士連がヒルズにいらした。これは何か新製品が見られるのではないかと思った。そこで見せてもらったのは、xxxxxx(以下、250w抹消)である。

これは凄いと思った。

その次に見せてもらったのが上の画像の、カスタマイズされた、GRD3である。なかなかお洒落だ。
今までも器用なカメラ人類が自分でカスタマイズしたGRDとかは見せてもらったことはあるが、これは国際モーターショーなどでカスタマイズカーのレザーなどと手がけるプロ工房の仕事らしい。だから手にとったら普通のGRDと違いがわかる。

確か、以前、GRD1が登場した時に3台だけカスタマイズの紅いGRDを作ったことがあった。その一台はあたしの所にあり、もう一台は坂崎さんのところ。もう一台はどこにあるのか、それは忘れた。
GRDは周囲にこれを「呑んで」いる人が居る。GXRなら紐でぶらさげているから分かるけど、GRDは皆さん、隠し持っているから分からない。
見せてもらったカスタマイズモデルは西武にある、H・C・L倶楽部というお店が手がけるものだ。http://www.hlc-club.com/?mode=f1

今、ライカ本の新しいのをしゃりきで書いている。それでHCBの事ばかり書いているので、H・C・L倶楽部って、アンリ・カルチエ・ブレッソン・ライカクラブのことかと思った。その三文字が一字違いなわけだが、その文字の順列がなかなかいい。

目下、カスタマイズはGRD3だけを受け付けるらしいが、最近の傾向では初代のGRDをまだ使っているカメラ人類も居ることだし、旧型もカスタマイズを引き受けることにしたら、さらに人気になるのではないか。

普通のデジカメは半年経過したらすぐに型遅れになって、話題にもならないのに対して、GRDシリーズの命は長い。そういう長くつきあえるデジカメをカスタマイズすることにはなかなか意味がある。個性的なカスタマイズにお金をかけるということは、そのカメラと長くつきあうことにもなる。ようするに今の普通のデジカメより上のラインを行っている、サービスだな。

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★追記。理研光学の紳士から訂正事項あり。以下。

販売を手がけているのは西武池袋本店5F(TEL:03-5949-2449)で、企画制作がHLC CLUBなんです。

2010年7月12日 (月)

高倍率ズーム強化月間 その2 ぼけこっこのお姿

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通勤途中の毎朝、佃島小学校の飼育部(想定)がかわいがっている、ぼけこっこのお姿を拝見するのが楽しみ。

高貴な鳥であるので、「御簾」というところだが、実際にはビニールがかぶさっているのも、なにか庶民的でいい。この鳥は以前、37階にいた当時にはよく声がきこえた。今は住まいが隅田川向きになってしまったので、朝の声は聞こえない。そのかわり、お姿を拝見するわけである。単にそれだけの話なのだけど、最近ではツイッターでマイブームになっているのが、コメントの最後にbyぼけこっこと署名するのが面白い。それで周辺ではその偽ぼけっこっこのサインが横行しているので、今後は「元祖ぼけこっこ」とか「宗家ぼけこっこ」とかサインを改めようかと思案中だ。

このショットはペンデジタル2に14-150ズームで撮影。最初に校庭の全景を撮影して、そのままカメラ位置は移動し、ケージの前から一気に150mmにズームアップした。ビニールの御簾の間からキャッチしたパパラッチ写真というところだ。

 

2010年7月11日 (日)

田中光学のf1,5

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田中光学というのは、1950年代後半にアメリカ市場で売れたタナックというブランドのメーカーであった。当時、ライカ3cのアメリカでの本体の価格より安く、しかもレンズが3本もついているのであるから、現実的なアメリカ人の賢い消費者から人気が沸騰したのである。

そのレンズがタナーであってこれは最近でもたまにインターネットオークションに登場するが、その135mmレンズの価格はさっぱり高騰しない。というのは恐らく実に大量の製品が売れたものと思われる。

一方でこの50mmf1,5のレンズはほとんど見かけることはない。このレンズはもともとは、タナックSDという、ニコンS2に良くにたコピーライカ(というよりもコピーニコンというのが正しいが)に附いていたレンズであった。

この銘玉はこれも10数年前に中野の南口のなんとか言うカメラ店の店主からゆずってもらったのである。もともとこういうレンズには値段はあってないようなものであるが、その譲渡価格は忘れたけど、高くはなかった。

驚くべきことは、1950年代に田中光学という会社が自社でこれを生産していたら、これは凄いことだという一事である。まじめにリサーチしたことはないが、当時、こういう「世界トップクラスの明るさで、ライツやツアイスに対抗するレンズ」をOEM生産した会社が他にあるのであろうか。

まず、謎が謎を呼ぶ夏向きのレンズ怪談。

2010年7月10日 (土)

高倍率ズーム強化月間 その1  昇降機中の自写像

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高千穂の28-300ミリの高倍率ズームを手にしてから、デジカメ撮影が面白い。10倍超のズームなど普通にコンパクトデジカメに装備されている(げんにリコーCX3を便利に使っている)ではないかと言われるわけだが、これはミラーレスコンデジについていると、そこに撮影のダイナミズムが生まれるから、それが快感であるということのようである。
普通のペンタののっかったクラシックなデジタル一眼レフだって、高倍率ズームはごく普通なわけだが、マイクロ4/3だとそのレンズのサイズがかなり小さくなる。これはAPS-Cより携帯にはかなり有効だ。

それで警視庁の交通安全キャンペーンではないが、これから数週間を上のようなタイトルにしたわけで、これは思いつきの不定期で展開してみたい。
最初に28-200のズームを仕事でちゃんと使ったのは、23年前にミシガン州を2週間で1500キロほど旅行した時だった。あれはシグマの10倍ズームであってクルマの中からの移動撮影ではこれ以上に楽なレンズはないと思った。ただし当時の高倍率ズームの描写は満足なものではなかった。それに加えてクルマで移動中に、ズームインしたらレンズの前のユニットがそのまま、とれた。それでガムテープで補修して使ったのだから、まだ大らかな時代だった。

海外ロケなどでは、なるべく楽をしたいので、たいていはそういう高倍率ズームを1本と、あとは室内用に超広角ズームを一本。こフィックスレンズも持参したが、これは気休めに過ぎない。大体がゲインを上げた状態でまずまずまともに写ってしまう。だから三脚も持参しないで、気休めにモノポッドを持参する程度。

これが趣味写真となると、これは言うまでもなく、ご趣味お遊びの領域だから、「おカメラ」や「おレンズ」で変わったことがしてみたくなり、1925年製のライカの旧エルマーをアダプターで使いたくなる。

このパナマのじしいのショットは例の如く、ヒルズのエレベータで49fの仕事場に行く間の撮影である。これだけの「雰囲気のまったくことなるショット」が短時間でぱぱっと撮影できるのが高倍率ズームの手柄だ。などと初心者向けカメラ教室みたいな寝言を申しておりますが。まず便利なレンズです。

2010年7月 9日 (金)

都バス秋葉=葛西をロボット36で撮った

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先週の東京大周遊で撮影した画像である。

700円の一日乗車で石原さんが「おまえ、調子にのって乗りすぎだよ」と文句言うのではないかと思われるほどの都営交通大周遊。なお、訂正しておけば、葛西から新宿には都営ラインでは行けない。あれは葛西駅前から船堀行の都バスで船堀に出て新宿線で新宿に出たのである。ここに訂正しておく。

さてこれらは、ロボット36で撮影した。東京の数カットである。そのほとんどは秋葉から葛西行のバスから撮影。ゾナー50とテレクスナー200とを交互に交換した。ゾナーの50はさすが名門レンズである。当時のロボットは本気でライカM型に対抗していたのであるから、無理しても西独逸製のゾナーを使いたかったのであろう。なお、標準レンズには少数だけどシュナイダー50MM F1,9も存在する。あたしはこの方がデザインは好きだ。レンズの名称の刻印の部分まで、クロームの仕上げで「でらでら」しているのである。およそ、現代の写真レンズが「全部軽量な黒いプラスチック」になってしまった現在、こういう存在感は貴重である。

テレクスナー200MMは本来、スクエアな画面のロボット24型用である。ロボット24も持っているからそれを使えば良いのだが、今のご時世だと、正方形の画面だと森たわーの4階のごーごー駅の受付がこれを現像してはくれるけど、ネガからスキャンしてくれない。一回、正方形の画面のを現像に出したら「これはトイカメラで撮影した変なサイズなのでスキャンできません」と返却された。天下のロボットをトイカメラとは失礼な奴である。

それで、そのまま24X35(ロボット36はその縦横比は通常のライカより1ミリだけ狭いが、フィルム送りはライカと同じ間隔)で撮影してこのように画面は暗黒のままにしてある。思えば、大昔はフォコマート引き伸ばし機で周囲のフレームをそのまま焼きだして「これがライカが偶然に撮影した無意識の空間である」などと形而上学をはっていたのだから、まあ、これで良いわけだ。

それにしても「空塔」って奴はいきなり無意識の領域からその存在を意識の地平にまでせり上げて見せてくれる。この空塔などはバスが高速で交差点を越える時の「瞬視」なのである。

つくずく空塔って恐ろしい存在だと思う。こういう恐怖の塔が見える環境は子供の教育には不向きなのではないか。

2010年7月 8日 (木)

ペンデジタルの新高倍率ズーム28-300到着す

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高千穂のT居さんが、ペンデジタルの高倍率ズームをヒルズに届けてくれた。さっそく使用開始。
まず小型軽量である。14MMサイドはかなり小さく見える。150MMサイドにすると、直線的にバレルが伸びるのがなにやら特殊な機械めいてかっこいい。包装されていた箱を見たら、その焦点距離に関しては28-300MM相当と書かれているるから、マイクロ4/3だけど、分かり易く28-300MMなんだと思えばさらに分かり易い。とんでもないグレーの日なので、ヒルズの49Fのデスクの上から銀座方面を撮影して見たが、こういうモダンなレンズでコントラストが高いとか、歪曲が少ないなどと通り一遍なお世辞を言うのはナンセンスというものである。

10倍ズームっていうのは、映画の世界では標準ズームであって、最初にフランスのアンジエニュー12-120MMがあって、これが映画の世界を席巻した。35MMの映画用には同じアンジエニューの25-250MMがあって、このレンズを昨年の夏にペンデジタル1に付けて津久田の大ガラスの部屋で夕景のまだ育ってなかった空塔をテスト撮影したのも懐かしい。

このレンズは大きくて重くて、しかも三脚を引っ張り出すのが面倒なので、ゆれゆれぶれぶれで酷い結果になったが、今日、受け取った新高倍率ズームなら手持ちでがんがん撮影ができそうだ。
こういうレンズは旅レンズとして最適なのは言うまでもない。この高倍率ズームをペンデジタル2に付けて、この前、リスボンとかヘルシンキとか京都に持参の超ワイドズームをペンデジタル1につければ、もうほかに旅用のレンズは要らないことになってしまう。

そういう完結感覚は旅を楽にするけど、反面、旅先の宿屋で遊ぶレンズも必要になるから、その場合には、古いエルマーとかを別途持参すれば良いのである。
この高倍率の新レンズの逆光にいかに強いかをテストしたいのだけど、なにしろ、七夕の夕べはベタの曇りなのでテストのしようもないのが残念だ。

悪条件の撮影。
デスクから津久田方面を撮影。新レンズをペンデジタル2につけた最初の3ショットである。上から28MM、100MM,そして300MMで撮影。なかなか使えそうだ。
雨とか砂嵐(とは大げさながら)のようなレンズ交換が不可能なシーンでは威力発揮しそうだ。

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2010年7月 7日 (水)

カレーの記憶

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大昔、[カレーライス]っていう、フォークがあったな。細かいことは忘れたが、[神田川]と良い対になっている歌だった。

あたしはカレーの武者修行で、ただその為だけにデリーに2週間行ったのはあれは何時のことかもすでに忘れてしまったけど、忘れられないのはオールドデリーの下の菩提樹の陰で営業の野点カレー屋だ。

無論、野菜カレーであって路上にしゃがんで皆食っている。あたしが来たら「極東の賓客が来た」というので路肩の敷石に座るように指示されたので、チップをはずんだ。これはマンハッタンの高級レストランで良い席を宛がわれるより嬉しかった。それで二日目からもう常連さん。

カレーで忘れられないのは、明治時代の話し。
花袋が独歩の渋谷の山の上にでかけて、そこで花袋は独歩からカレーを馳走されるのである。これは花袋の小説の中に出てくるがその出典は失念してる。田園風景の渋谷村の丘の上に花袋が独歩を訪問するのだ。
「なにもう飯させ炊けばいいのだからわけはない」とか独歩が言って、その飯は渋谷村の乳牛を飼っている家のかみさんに炊いてもらったのを、カレー粉をまぶして同じ大皿からさじで食ったとある。

「うまいな。まったくうまい」と花袋。
これは花袋のような名文家でもまるで、ただの飯の上にただカレー粉をかけたような勘違いを読者はしてしまう。それだけカレーが旨かったので花袋も細かい描写を忘れてしまったのであろう。その分かりにくいのがまたいい文章だ。(うろ覚えなので、あるいは大事な所がかけているかも知れないが)

10年前、素人モデルの工藤由起を東京中連れ回して、カラー豪華写真集「東京さんぽカメラ」を撮影した。工藤のご両親の経営の常盤台のシャーロックホームズも休業してしまったが、あたしがカレー好きというので、グリコの30倍カレーを箱ごと送ってくれて嬉しかった記憶がある。これは夏限定商品なのだ。

下のスーパーでまとめ買いした30倍を見ると「東京さんぽカメラ時代」だなあと思う。

2010年7月 6日 (火)

ロボットロイヤル36sで東京大周遊

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ロボットカメラに最初に興味が行ったのは、日大の写真学生のころで、当時はそういうカメラなどは夢のまた夢である。ところが池袋の光進堂というカメラ店にこの200フィートのマガジン(それはアリフレックスのマガジンを改造した純正品)があったのでそれをまず500円で買った。今なら0,05kamera Yenである。
1973にウイーンに行ったら、上のロボットが普通の顔をしてカメラ店に出ていたので、それを買って数年来の夢がかなった。
ロボット36と36sとは異なるモデルであって、最初に買ったのは只の36の方である。それ以来、艱難辛苦、膣撃して、今持ってるのは36sである。連続撮影ができるかどうかの違いだからまあ大した違いではない。

この前の平成20年のカメラ大発掘でそのロボットが出土したので、「7/03ライカインコ昇天1周年国民大会マーチ」を企画して、そのロボットを持参した。
撮影本数はカラーネガで2本であるが、まだ現像していないので見せられない。現像してないと画像がみられないというのは、なんと高尚な事実であろうと改めてフィルムカメラに惚れ直した。

そのコースは700円の都営交通一日乗車券で以下の通り。
月島ー新御徒町 大江戸線 そこから徒歩で秋葉
秋葉ー葛西駅 都バス
葛西駅ー新宿 新宿線
新宿ー王子 都バス
王子ー東池袋 都電
向原ー大塚  都電
大塚ー春日 都バス
春日ー月島 大江戸線

歩数は1、8万歩だったのは交通機関に乗ってる時間が多かったから。

ロボットには50ミリのゾナーと200ミリのテレ救世なーを持参した。これを状況に応じてとっかえたが、都バスの中から見えた、曇り日の幹線道路は交通も少なくてまるで昭和30年代のような感じだった。その並木道が視線の尽きるところまで遠近感になっているのを、200ミリで撮影した。まだ画像ができていないので何とも言えないが、気分としては「撮れた!!」と思った。

都電は最近話題の大正レトロっていうのか、9001系の電車に乗った。静かだし冷房効いててよかった。日ノ出町の名もなきコロッケ店で買い物して、あたりの路地裏を散策したら、「轢死者の花園」に出くわした。ここは4年前に日本路地裏学会での調査で発見されたポイントである。春ですみれが咲いていて、その路地の突き当たりがいきなり鉄路なのである。もっとも荒川線がゆっくり走るから自殺には適さないであろう。

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2010年7月 5日 (月)

赤羽路地裏学会

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ウイーンに住んで居た当時、極東のTOKYOの赤羽の存在が、あの当時の現実であった欧州とは正反対な存在であって、そのことに非常に興味がいっていたわけである。
ただ、実際に出あった赤羽の街は、自分の貧困な想像力など最初から相手にしていないように、軽くあしらわれてしまったので、それでますます「赤羽さん」に惚れてしまった。要するに片思いである。
ここまで書いて、やはり街というのは、日本では「女子的存在」なのではと、思い当たった。 その赤羽だが、新しいメトロの駅が出来て、今までは赤羽駅からアプローチしまなかったのが、ちょうど正反対からのアクセスが可能になって、このメトロの出来た当時は嬉しかったものであった。

あたしと「赤羽さん」のおつきあいは、淡く長いものであると思う。「精神主義者はねえやに惚れるものだ」(by ボードレール)からすればもりたか(第二音節以降にアクセント)となんとなく共通点もある。いいねえ。
だから逆に行きつけの飲み屋などは赤羽には一軒もなくて、常にカメラを持って街を、過ぎ行くだけなのだが、そういうことをすでに三十年もしていると、そういうおつき合いが日本の街との正しい向かい方なのではと思う。

駅裏のこの界隈、例のOK横丁の真っ赤なネオン接した時は、このけばさこそ、これぞ映画のセットだと盛んに感心した。こういう季節物の表情を持っている街の表面的表情が、赤羽の良さである。

2010年7月 4日 (日)

袖擦坂でライカA型でロドチエンコの真似をした

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先日のウエストリヒトのオークションで入手した、ライカAの試写を行った。その数日前に例の「カメラは詩的な遊びなのだ」(アスキー新書)の取材で編集部の本多さんの持参した、出たばかりのいふぉんG4と並べてツーショットを撮影した。

これはかのジョブスのおかげで、にわかにクラシックライカとスマートフォンが同じ舞台に立つようになったのである。これはたいした影響力である。

Fh000017 撮影の場所は足穂の横寺町の袖擦坂の高台にした。旧作「横寺日記」によれば、終戦の年の防空警戒下真っ暗闇の中で、この高台上で足穂は星座の研究をしている。東京高等数学塾の後は今でもアパートであるが、その二階6畳から夜な夜な、足穂はこの高台まで歩行して星座を観察しているのだ。Fh000018

ライカA型は1926年製だから足穂がこの上に立った時より20年は前に生まれているわけだ。袖擦坂の上で横寺町の方から日傘の女子が来たので、まず遠景でワンショット。その人が階段を下りるショットを撮影して、崖下を行くのをさらに撮影し、その姿の遠くなるのをさらに1ショット。これで都合4枚の撮影だ。これを昭和20年とすれば、まさにライカは高速で連写が可能な早撮りカメラである。Fh000019

仕上がってきた画像は、確かF12,5で1・200秒だっがので、ちょっとオーバーであった。でもそれが何か遠い夏の記憶を裏書しているように思えて、これは悪くない。

それにしても旧エルマーはちゃんと写る。かのロドチエンコがいち早くこのライカを手にして、例の高い場所からの「斜め撮り」でライカスナップ世界に新境地を開いたわけだが、なにかそのことを意識していて、この牛込の高台に立ったのかも知れない。Rimg2411

2010年7月 3日 (土)

板橋区と北区の「国境」を目指す

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☆追悼!ライカインコ4世昇天一周年記念日!アーメン!☆  

(上の焼き鳥とは関係ありません)

板橋は小豆沢のはずれのトプコン(東京光学)は、「痴漢も出ない寂しい通り」というので、その方面にはちょっと有名になった。今でもこの伝統は守られているようである。

時々出かけるのは、中仙道の浜出屋とその奥にある、楠である。土曜には浜出屋は休みなので週末は楠に行くしかない。その場合には、赤羽から徒歩で行くのである。掲載の画像が涼しそうなのは、これは本年1月5日に撮影したのである。無論。正月がまだ終わらない松の内だ。

赤羽駅から赤羽団地の高台に階段で上るといきなり空が開ける。枯れ木がゆれて、夕空の雲と追いかけっこをしている。しかも路上には誰もいないというのは実に不思議な光景で自分はどこの国のどの時代を旅しているのであろうと、考えてしまう。

一般に欧州の行きなれた諸都市より、自分がその町の環境を一番不思議に思うのは、東京である。都心部はイモ洗い状態なのに、周辺部は真空地帯だ。それであたしはその真空というか、減圧された東京の方を好むのはいうまでもない。

毎年、楠では口開けの日に、薦被りを開いてご祝儀で飲ませてくれる祝い酒の習慣がある。楠は開店して10年になるであろうか。その正確な年代をおかみさんに聞いたのであるが、忘れてしまった。

ここのおかみさんが眼前で手作りのメンチカツはかなりの逸品だ。つれてきたお客さんが黙るのである。ラピタという雑誌に食い物の連載をしていた当時、これを紹介したこともあった。

板橋区と北区の「国境」を目指す、とはこの楠が北区と板橋区の区界にあることによる。お店からちょっと北に行くと地名は赤羽になってしまう。赤羽駅からかなり歩行したポイントがまだ赤羽であるのがうれしい。1970年当時、ウイーンに暮らしていたとき、家人との間で「ここは赤羽ではない!」という言葉遊びが流行した。ウイーンの歴史的なしかも整理された美麗な風景にすでに飽きていたので、極東の混沌の都会にあこがれるという意味の戯れであったのだが、欧州近隣ではまずイスタンブールあたりが、やや赤羽的なのである。それで赤羽気分はなんとか味わえたが、やはり本場もんにはかなわないのはいうまでもなし。

2010年7月 2日 (金)

いぱっど用の高千穂製「袱紗」

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★6月28日のココログ総合アクセスランキング101位でした。

どうもありがとうございます。!

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使い出して10日ほど経過した、いぱっどだが、色々なことが分かってきた。
これは基本は画像をプレゼンしたり、メール読んだり、YOU TUBEみたり、青空文庫を読んだりするのには向いているが、長い文章を書くにはキーボードがないからやはり不便である。だからと言って、これにキーボードをプラスして使うと本来の軽快さがなくなって、王様のアイデアめいた中途半端なPowerBook(よっくもっくと読む)になってしまう。

いぱっどの使用法で一番、便利にしているのは、深夜とか明け方にアイデアを思い附いたり、エッセイのネタの浮かんだ時だ。以前はメモに手書きで書いていたが、生まれつきの悪筆なので覚醒してから何が書いてあるのかまったく分からない。それに比較すれば、いぱっどに殴り書きをしても、後でなんとか判断がつく。これが一番のいぱっどの功績である。

その持ち運びだが、ヒルズのA4サイズの封筒を使っていた。それはそれでハトロン紙からいぱっどが出てくるのは、これがいかにも文房具という感じがして悪くはないが、なにか他に方法がありそうだと思って、発見したのがこのオリンパスペンFのカバーである。正式の名前は知らないが、かりに「袱紗」としておく。マジックテープで留められるのでしっかりと梱包できる。これを開く時には「さあ!やるぞ!」と言う気分になる。

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ヒルズで仕事に使う時には、突撃隊長がダイソーで買ってくれた、100円のフレーム立てを使っている。これも案外に安定して良い保持が可能だ。
キーボードは「触れなば落ちん」の風情で、機械式のキーボードのような「遊び」がまったくない。それですぐにミスタッチになるが、その実例を挙げるのならw、という具合にwにミスタッチしたのが頻繁に登場するので、まるで昔の2ちゃんねるなみである。

でもそのうち慣れるであろう。いぱっどの最大の仕事場はどっかの公園のベンチで、電波只漏れのところが最高である。例の白銀公園のベンチがそうだがそういうwifiの楽園は他にも探せばごまんと出てくるのであろう。

一番、困るのはいぱっどは「ことえり」しか使えない点にある。ATOK 慣れしてしまうと、どうもことえりを「軽くみる」風潮があるが、実際不便なのだから仕方なし。
ああ、それからこれはあたしのいぱっどのバグであろうが、ラストのフレーズがリフレインされるのである。のである。> という具合になってしまう。仲間内のついったーでは、これをわざと真似る者が出てきたりして、ボスとしては示しが付かない。

2010年7月 1日 (木)

手紙。メールではないよ!

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数多い友人知人の中で、紙の手紙をくれるのは、遂に鵠沼のブレッッソンだけになってしまった。
無論、一部の請求書とか税金とか投票用紙などは紙媒体で来るのだが、紙の手紙はアナログだから大事にしようという気持ちが自然に起きる。これは戦前のライカに丁寧にフィルムを装填する気持ちに通じるのであろうか。

別に鳩居堂の封筒と便箋にモンブランの万年筆だから感じが良いというのではない。ただメールはそのままゴミ箱に直行なのに対して、紙のメールの場合、どうもゴミ箱まで歩行して行って捨てるのが面倒である。だから自然にそまま堆積してしまうのだが、今のところ紙の私信を呉れるのは、鵠沼のブレッソンのみだから、手紙の山を捨てるという手間はない。

此の間、受け取った手紙は、依頼したNikon sの皮ケースの材料の、白ぬめ皮を八王子に買いに行ってその皮を染色したとうかなり専門的な内容だった。鵠沼のブレッソンはその方面にはちょっと知られた名前なのである。 だから、この手紙が来た時には、慎重に鋏で封を切ることにしている。その理由は不明だけど、なにかイコンへの無意識な崇拝があるのかも知れない。

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