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ロック ユー

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2010年6月30日 (水)

木とキャベツと鏡@回路

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デジタルカメラは、スクラッチ籤のようなものだから、そこで勝敗が分かってしまうのは面白くない。

ライカで撮影したのは、現像するまで分からないし現像して、CDをもらってきても、それをPCに入れないと分からない。画像の結果を先延ばしにできるのが良い。その先延ばし感覚はまさに人生に似ている。

この三点の画像は、昨年の秋の回路である。自分としては、日本路地裏学会回路調査隊(全隊員1名)のつもりで調査に赴いたのだ。この時には、その前の年に偽ライカ同盟の野々宮隊員が事前調査隊としてこの地域は踏破している。

なんでもパッケージツアーに参加したそうで、この場合かなりのハードスケジュールで、しかもナイル川クルーズでは、船の上でツアー客にダンスを踊らせるというような「暴挙」とか駱駝警官との親善交流で、多色ボールペンを贈呈する式典もあるらしい。その情報を得ていたので、そういうのは面倒だから、あたしは個人で行った。ツアー客の泊まる、ラムセルヒルトンの向かいにある、地元の人の安宿に2週間居たのである。

回路は一大ムスリム地区であるが、古代キリスト教の地域が街の南部にある。そこに撮影に行った。自分のような無神経なツーリストの目には、回路の他の地域とあまり変わらないように見えたが、こちらの原始キリスト教はそれは確かに、ムスリムよりは古かろう。

繁華街(と、言って良いよ思うが)にはこういう鏡屋さんがある。カメラを向けると、まるで立体派のように反射した風景がちりぢりに分解するのがなかなかいい。

白く塗装されて樹木というのは、プラハとオーストラリア(わざと逆に書くのがマイブーム)のウイーンの間、かつての馬車の通った道などでは、やはり菩提樹などの下を白く塗装している。これは夜間などに、危険を避ける目印とするのと説明であったが、回路界隈の白く塗られている樹木に関してはその理由は知らない。

紅いクルマの脇に投げ出された巨大なキャベツなどは、その存在が風景を超えている。回路は凄いところだ。

カメラは確か、cx2かcx3だったと思う。

2010年6月29日 (火)

Longinesの銀時計

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オメガもそうだけど、ロンジンは大衆向けの時計であるから、その中古価格は安価である。この時計の好きなポイントは、マークが砂時計と羽ばたく翼である。これは1900年頃の銀時計だが、もともとポケットウオッチだったのを、リストウオッチに改造したらしい。ポルツエランノの7時方向に小さいヒビがあるとか、これを買う時にはそのセラーさんは専門家だからいろいろ説明してくれたが、こっとは「レンズは傷物に限る」という信条があるので、ウオッチも傷物に限るの信念があるから、それはかまったことではない。

これはハンターズケースとかいうもので、狩猟の時に時計が傷が付かないように、カバーがかけてある。リューズのボタンを押すと、ピンと蓋が跳ね上げるようになっている。ここらの機械仕掛けが楽しい。このLonginesは実に正確でクロノメーターなみである。ヨックモックのデスクトップの時計より正確なのではと思えるほどだが、100年前の世界はすでにこの方面の技術は最高度のレベルにあったことが分かる。

ところがこのLonginesもそうだが、秒針が外れてしまった。それを高倍率のルーペで見ながら固定しようと試みたが時計職人ではない、60歳プラスの人間にはこれは最初から無理である。秒針の外れたのは1年ほど前で、そのままベッドの脇の棚に置いたままで1年が経過した。しかし針はちゃんと保管してあるから、これはすぐに修理が依頼できる。しかし考えてみれば、秒針のお世話になることなどないのである。それでそのままに使うことにした。

2010年6月28日 (月)

WEST LICHTオークションの「釣果」

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ウイーンのWest Licht のオークションが始まって、もう10年ほどになるだろうか。
親方のペーターが最初にライカショップを開店したのは、あれは今の通りではなく、西駅に近い方のカイザー通りの店だった。ここで数年営業してから今のウエストンバーン通りに出たのである。

最初にあったペーターはまだ若かったからちょっと生意気で挑戦的な感じだった。これは彼の体格がどちらかと言えば格闘技系に由来するのかも知れない。ようするに接客業には向かないなと思って居たのだが、その後の盛業は今、われわれの知る通りだ。

そのライブオークションが先日開催された。
あたしは津久田の大ガラスの前に午後6時から午後12時頃まで座っていた。無論、高いもの(だげれおたいぷカメラが8,000カメラ円とか)などは完全に別世界の夢の又夢の夢であるが、本来、あたしは木製カメラの壊れたミカン箱のようなのには興味がない。もっぱら「銀俗カメラ原理主義者」なのである。それでその釣果は上の画像でご覧の通りである。

それぞれの詳しいカメラの内容と落札価格はここに記すまでもない。ライブオークションの結果を見ていただければ分かる。

2010年6月27日 (日)

琵琶

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毎年、この季節になると安房鴨川方面から、立派な琵琶が届く。年に一回のことは、その前のイベントが数ヶ月前のことのように思えるのは、老人の時間軸で過去を回想するときに典型の症状のようだ。この前の奈良路地裏調査の時も、桃木会長(まだ20代)とあたし(すでに60代)との会話の食い違いが面白かった。

ようするに桃木の過去の時間軸で大学時代の数年前は太古であるのに対して、あたしの「最近」という時制は、これは20年前なのである。

その時間軸のイベントの配列で行くと、この前に琵琶が届いたのは1年前であるのは認識しているのだけど、時間の距離感で言えば半年前のように感じる。

その琵琶は色形は実に素晴らしいが、あたしの場合これだけ種がでかい果物はあまり趣味ではない。それで毎年、山のような琵琶は家人が大半ではなく全部食ってしまう。まあそれはそれで結構だ。

琵琶のことを思い出すのは、足穂が横寺町でアパートを焼かれた昭和20年3月の大空襲の前後に雪の中から生えてきた「しゃもじ菜」(どういう草か不明)を見てその生き生きした緑色から連想したのが、背景に青空を伴ってどこかの教会のステンドグラスを下から見上げているようだ、という意味のことを書いている。

これは琵琶ではないが、同様に1980年代の東京を撮影した、ポラロイドSX70の絵の中に、一枚だけ神田かどこかで撮影した、普通の家の玄関のドアの上部に琵琶の意匠のステンドグラスがある。こういう建物に小さいステンドグラスを配するのは、世紀末ウイーンの建築の定番であったが、それが極東の東京の昔に存在したのが面白く感じられた。

それでテーブルの上の「琵琶」をペンデジタルで撮影。レンズはコンタレックス用のプラナー55MM F1,4。

2010年6月26日 (土)

はしむら

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この前の日本路地裏学会の報告。昨年の10月は京都に宿泊しようとして、ちょうど観光シーズンで一室も開きがなかった。それで奈良は平城城趾のそばの「新大」というビジネスホテルに泊まって、毎日、徒歩で平城京城趾に行って「石舞台」の上で昼寝をしていた。

持参のカメラはライカM2のブラックにライカビット付きでこれに21ミリのスーパー暗愚ロンをつけていた。これで撮影した数本のカラーフィルムのショットを選んだのが今、発売中の日本カメラ7月号に掲載されている。

「奈良の夢2010」というのである。この夢という言葉は「儚い」とか「実態がない」という意味である。それでタイトル文字も凝っていて、いまにも大極殿の上の暗い空に溶け込みそうな渋い色合いである。

その時は、近鉄の特急でちょっと京都が見たくなって、出かけたのは良いが京都駅前はあまりにも混雑で、駅の改札から出てそれで気後れがして次の電車ですぐに奈良に戻った。今回は泊まりは京都の鴨川の方丈ホテルだし、桃木会長は臨時の「京女はん」だし、そういうわけには行かないからちゃんと京都から近鉄で奈良に行ったのである。

雨の中を猿沢の池の退屈さは中学の修学旅行当時の記憶と一向に変わらないことを十分に堪能して、そのまま奈良町を南に歩行するのは何時もも例である。その諦めきった町並みの左側に「はしむら」という化粧品店がある。これはあたしがウイーンから戻った後の奈良の記憶にかならず刻まれている店であって、ひょっしたらその歴史は奈良時代にまでさかのぼれるかも知れない。ファサードに化粧品の巨大ポスターが一面に貼られているのが、いい感じだ。

化粧品のポスターの街に及ぼす影響というのは、これは1960年代後半から気になっているのだが、当時は60年代の貧しい日本の家並みの中でそこだけが近未来の美貌の楽園という感じがした。ところが2010年になってみるとそういう未来感覚は完全に払拭されてしまっている。

だから化粧品のポスターをそのクラシックな見方のスタンスで観察するには、どうしても60年代、あるいは時代がくだっても80年代初頭の日本の街の背景がそこに必要なのである。その意味で奈良町のこの「はしむら」は実に映画のセットめいているのが良い。

思えば、70年代にそういう美人ポスターを撮影した、写真家の友人知人はもう居ない。「花椿」で有名な横須賀功光さんと元赤坂の事務所で歓談したのも20年ほど前だがもう居ない。あたしの結婚式(1971)に立派なカーラーの花束をスニーカー履きで届けてくれた、小林麻美を撮影した稲越功一さんも、向こうの人になった。

昨年10月の「はしむら」は、快晴の目も開けていられない東洋の午前11時で、ライカで撮影した縦位置のカットを、日本カメラの「奈良の夢2010」のラストの頁に使おうか、それとも大極殿の暗いシーンのカットにしようかと、日本カメラの前田編集長とかなりの議論があった。結局、「はしむら」は止めにして、平城城趾のやつを使った。そうすると全体の流れに「救いがなくなる」感じが出るのである。

あれから9か月が経過して、6月の奈良は豪雨だった。桃木会長にそのランドマークに立ってもらって道の裏表を撮影したのが、この二葉の写真だ。

2010年6月25日 (金)

空塔日誌

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ライカインコ4世の昇天記念日が近づいてきた。7月3日である。昨年のライカインコショックは、ライカM7の製造中止のショック以上である。

家人の新潟の実家のお隣の広川さんのインコのごんちゃんは、11年生であったが、やはりこの4月30日に昇天した。5月21日には、実家の瑞光寺のご住職が遷化された。新潟方面にていろいろ展開しているのである。

あたしがライカインコショックから救われたのは、その翌日(だったか)にペンデジタルが発売になり、坂崎さんからマイクロ4/3について教えられたことにある。
それと、にょきにょき伸びる空塔(以前は空樹と言ったが、最近はごすぺらーさかいの命名によりこの語を使用)に視線が行ったことだ。
最初は変な恰好のマンションだなあとおもった。この写真の右側にあるタワーマンションよりその高さは低かった。

昨年も毎月、欧州とか埃及に行って、戻ってきて、空塔がどれだけ成長しているのか、それが楽しみになった。日本は雨が多いからやはり空樹は良く伸びるなどと冗談も出るようになった。空塔はヒルズの49fから、あたしのデスクの眼前にも見えるが、六本木からでは距離があるので、津久田の隅田川の上に見える空塔とは比較にならない。

それがようように成長して、上の方に展望台ができた。冷静に観察すると、これは大阪は通天閣の偽物に見えるのがおかしい。このように上が雲に覆われてしまうとそのフォルムがいっそう強調されるようだ。
津久田の角部屋の大ガラスの部屋から毎日、成長中の空塔を見てくらしたいと思うけど、時間のゆとりがないからそれは出来ない相談だ。

このショットはペンデジタル2に、今田レックスアダプターを使って、ゾナー135mmで撮影している。望遠効果は270mmになるからかなりの望遠撮影が楽しめる。それ以上に、ツアイスの黄金時代のレンズの作り(西独逸のオーバーコッヘン製)が素晴らしい。フォーカシングなど、もううっとりするほどだ。

時間がそれから数分で空塔はこんどはこんな感じになる。ドラマチックだ。

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2010年6月24日 (木)

Moerisの銀時計

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昨年の4月の巴里行きに、スイス製のこの時計をつけていった。その名をMoerisという。1910年頃のものらしい。

パネライのような大型時計のブームも過ぎたようだが、この数年来のあたしの好みとしては1900から1930年頃の時計が好きだ。それもあまり知られていないようなメーカーのがいい。この1月のジュネーブと3月のバーゼルとで、それなりにスイスには星の数ほどの時計メーカーがあることを再確認した。

このブランドのことは良く知らないが、通常ならロレックスとかJLとか、オメガとか、バチエロンとか、タイメックスとか、ブランドから入って行くのが普通のことだが、最近はその逆であって、時計そのものが気に入ってそれからブランドを知る。逆引き辞典のようなものだが、これはなかなか幸せなことだ。
それで巴里行というので、気張ってこの時計を持参した。巴里の裏町を撮影しつつ、「例えば、俺はぶらっさいだぞ!」と息巻いてみる楽しみもある。これは時代考証はあっている。HCBだと時計はもっと時代のくだったのになる。
これは銀時計なのでスチール側に比較して腕に当たる感触が優しい。
50歳を過ぎたら金無垢の時計だな!などと30歳当時に考えていた、あの頃の思慮不足が反省させられる。時計は銀に限る。シルバーエージだもんな。

この銀時計はもともとポケットウオッチを改造したものだから、銀の蓋を開けるとそこがまた銀の蓋で綺麗に刻印されて沢山メダリオンが並んでいる。1906年にどこそこのエキスポでグランプリとかそういう名誉がずらずら並んでいる。

オリンパスもせっかく、カメラグランプリとかそういう業界屈指の名誉を得たのだから、カメラの裏側にそういうメダリオンがずらりと並んだ限定のペンデジタル1など出したら、またカメラの風格、品格が上昇すると思う。

あ、オリンパスfのデザインを継承してるから、すでに風格は十分か。

巴里からモスクワに到着したエアフランスが2時間遅れでそのために東京便に乗り遅れて、空港内のトランジットホテルに一泊した時には、部屋で20時間ほど、この銀時計をずっと眺めていた。それでこの時計がまた気に入った。その巴里モスクワ便で、不用意に風防を開けて隣に偶然に座ったあたしの読者さんに文字盤を見せていたら、秒針が落下したのである。満員のエコクラスの機内で、落ちた秒針を捜索しようなど最初から考えない方がいい。

それで秒針なし。
でも秒針って飛行機の離陸の時に時間を計測して、離陸重量を推定する遊びの他には日常で要らないから、無くても一向に構わない。

2010年6月23日 (水)

氷室神社

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一昔半前、いやもっと前であったかも知れないが、酷い腰痛を患っていた。自分で救急車を呼んで、お茶の水の順天堂に入院した。今にして思うと夢のようなことだ。今のあたしは腰痛とは無縁である。

そのさらに昔の1985年当時、大阪に「ピクチャーフォトスペース」という写真ギャラリーがあってそこで個展を開催したりで、前後して大阪の近代建築に興味を持った。鹿島のその手のガイドブックを手に、8X10のカメラを担いで大阪のクラシックな建築物を撮影してまわった。その撮影した写真の中には今では存在しない歴史的建築が多数含まれている。こういう撮影はやはり8X10に限る。

しかし8X10ばかりで撮影していると「飽き」が来る。ある日、あれは5月であったと思うが、奈良に遊んだ。持参のカメラはステレオリアリストである。1950年代には立体写真の大ブームがあって、それは今の3Dテレビの比ではなかった。ただしこれはアメリカでの話しで当時は結婚式の記念写真は「宇宙時代の立体写真」と決まっていたようである。

そのステレオリアリストを持って、近鉄奈良駅から東大寺に歩行している間に、腰痛が酷くなって、ほとんど歩行不能になった。東大寺のずっと手前の左側に「氷室神社」を見つけた。例大祭かなにかの催しであったのだろう。そこでプラコップに入ったういすきのロックを振る舞われたのは忘れられない。腰痛は治癒したのである。

ここは名前の通り「氷業界」の神様なのだ。雨の中、実にひさしぶりの再訪であったが、境内には誰もいない。

同行の桃木路地裏学会会長を神社の巫女さん役に見立てて、ツイットキャストで偽インタビューを試みてオンエアした。
「東大寺に人気が行ってしまって、ここは誰も来ないんですよ、、」とは桃木巫女の偽インタビューの回答であった。うまいことを言うなあ。

氷が奉納してあるのをつくずくと見た。溶けつつある氷はまさにご神体であると思った。というのは溶けつつある氷は自分の場合(というか普通の人間なら)常にグラスの中にあるから、あまり真面目にそのご神体を拝んだことがないからだ。

神楽殿に25年前にはなかった、ハイテク時代の仕掛けがあった。
100円を投入すると、雅楽が流れるのである。これはなかなかの「モダン雅」である。曲は「越天楽」のようであった。なぜか偽ライカ同盟の東儀さんの顔が浮かんだ。これは単純連想ってやつだ。雅楽を聴きつつ無人の雨の境内を鑑賞した。

そこを立ち去る時に、もう一個、100円を投入して、雅楽を聴きつつ退出した。なにか「おおみやびと」になった気分であった。

2010年6月22日 (火)

ヘルシンキ徘徊

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リスボンに行くつもりが、火山灰騒ぎで経由地のヘルシンキに2週間滞在していた「事件」からまだ1月が経過していない。あれは実に不思議な体験だった。毎日、ペンデジタル1と2とを持って、広くもないヘルシンキの10本ある市電に終点から終点まで乗ったり、ヘルシンキは路地というような狭い道はないのだけど、それを無理に路地に見立ててみたりして、徘徊した。
最初の数日はペンに買った時についている(という言い方はよくないけど、本体のみの注文は特殊になるし、発売当時にはやはりレンズがないと使えないから)ズームを使用した。標準ズームというやつだが、知らない町に行って最初に使うのはこの1本ということになる。何があるか分からない時には、28ミリの広角から80ミリ相当のちょっと狭い角度が使いやすい。この常用レンズの使い方は、陳腐かも知れないけど、同時に旅写真の器材の常道でもある。
一緒にペンデジタル(例のカメラグランプリのペンデジタル1)についてきたパンケーキレンズは17ミリというから、ライカサイズでその倍の34ミリであって、これはライカで長年使ってきた常用広角レンズの35ミリと1ミリ違いだけど、これは無視していい。
しかし考えるに、常用ズームレンズとこのパンケーキレンズとはその個性がまったく異なる存在であって、ズームをつけたときには、まさに一眼レフとしてペンデジタルを使っているのだけど、ひとたび、パンケーキレンズを付けるとこれは学生時代に愛用した(今でも持っている)銘機オリンパスワイドと同じ性質のカメラになる。あるいはそれ以降、ずっと使っている、35ミリ広角レンズを付けたライカと言っても良い。この2本のレンズの使い分けは、言い換えれば、一眼レフの使い方とライカの使い方の全く異なる二つのカメラシステムをペンデジタルでバーチャル体験するようなもので、なかなかに興味の中心なのである。

上の画像は緩やかな坂の多い、ヘルシンキ中心部で見つけた、スーパーとその前に止まっている、ベーグルカーである。こういう「ブツの撮影」ではちょっと長いレンズがバランスを崩さないから良い。
下の画像は、旧ヘルシンキ港である。画面の中には人間の足とか船とか空に海に正教の教会とか、クリストの真似をする住宅街とか、多くの要素が詰め込まれている。こういう撮影には超広角が向いている。無作為に沢山の空間を撮影できるからだ。これは9-18ミリの超広角ズームで撮影。
今回のヘルシンキ撮影では、カメラは一台で、レンズはその日に1本ということに決めていた。正直に言えばスペアの交換レンズはバッグに入ってはいたが、ひとたび撮影に専念すると、案外に他のレンズには交換したくないものである。
それで結果として一日一本のレンズとなった。

2010年6月21日 (月)

JR京終(きょうばて)駅

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奈良の観光モデルコースに、このコースは絶対に入っていない。
などと今更言っても始まらないが、普通は奈良に着いたらまずは、東大寺方面とかに行くのであろう。

あたしの20年来の遷都くん定番コースは「ならまち」まで南下してさらに南に歩行するのは一般のツーリストさんと同様だが、普通は「格子戸の家」とか言う、典型的な民家までが普通のコースである。
我々は奈良路地裏調査隊なのでさらに雨の中を南下する。普通の家の駐車場めいた角地に「だしまきたまご」の販売コーナーがあった。周囲は何もない普通の民家のしかも「すでに諦めきったような町並み」にいきなりそういうお店が出現するのは、街歩きの難易度からするとかなり上級レベルだ。
桃木隊長は「だしまき」に目がないのと、ちょうどランチタイムをかなり過ぎていたのでそこに興味が行ったが、路地裏調査はまだ始まったばかりである。その先に、昨年秋の調査であたしが発見した「めだまやきポイント」がある筈である。ようするに書道教室があってそこの窓に、お習字の作例の優秀作が貼られてあって、それが「めだまやき」とあるのだ。そこまで到達したいので、「だしまきポイント」は通過した。

その「めだまやきポイント」を通過して豪雨の中をさらに南下すると、赤い鳥居があっていきなり道が狭くなる。道の中央においなりさんの社があって幅員が狭くなる。いきなり路地化する。すなわち「いなりポイント」である。

その先に今回の奈良路地裏調査の重要施設である、JR京終駅がある。
これは「きょうばて」と読むことを最初に知った時には実に驚いた。1300年前にさかのぼれるかどうかは分からないが、昔の奈良の町のボーダーであったのか。それを「京果て」ではなく「京終」と書くのが「トリスタンツアラ」風と言って良い。この地名を命名した人は大変な詩人だな。

ところで20年前の京終駅は周囲はもっと荒れすさんでいて、実に羅生門めいていた。今では駅の無人化が進んでいて古い小学校の教室のようだ。20年前には中に売店もあって、忘れられないのはそれが何の宣伝であったのかすでに忘れたが、駅の改札の前に「サモトラケのニケ」の像があって、そのミスマッチぶりが実に良かったのを記憶している。ルーブルが極東のならのみやこのさらにその限界に肉薄しているとう感じは言語に尽くせない「ダダ」ぶりであった。

昨年の秋には、ここでその切符を買って記念にもう一枚買ったのであるが、今回はあたしと会長の切符をJR奈良駅まで買って切符をデジカメで撮影した。駅に到着したらすでに30分に一本の電車は出たばかりだったので、待合室で自販機の水を買って次の上り電車を待った。平然と半時間も電車を待てるのが、さすがに「京終」のゆとりである。

この駅のひとつ南の駅の名前がまたシュールだ。
「帯解」という。
これを「おびとけ」と発音することを知ったのは大昔だが、日常ではそんなことは忘れている。今回の調査でそれを思い出してまた吃驚して、会長と京終帯解談義をしている間にすぐに時間は過ぎて次の電車が帯解駅からやってきた。

カメラはペンデジタル1で、レンズは標準ズーム。豪雨の時、レンズ交換なんてしていられない。普通の組み合わせが一番。

2010年6月20日 (日)

ライカのデザインはあいフォンG4より美しいか?

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いぱっどの使い始めの二日目。ヒルズで例のごとく、いぱっど枕を調達。本の選び方にも流儀がありそうだが、本当は大正期のアルス刊行の「子規全集」などがよい。クロース張りの茶色の表紙のやつだ。しかしこの本は大事にしているので、いちいち、いぱっど枕のためにヒルズに持ってくるのは不安である。だから「れでいめーど」の本にした。

光文社の電子書籍にあたしの文庫が4冊入っている。それをダウンロードして日比谷線の中で「流行ものに敏感なすたば帰りのじじい」を演じてみたかったが、なんせ、この電子書籍はけーたい専用だ。はやくいぱっどのが出てほしい。文庫が紙のが800エンで電子のは400円だからこれは儲かるのであろう。

アメリカではいふぉんのG4が出るようだ。ヒルズでも前のいふぉんの所持者は浮き足立っている。初代はかなり重いからそれは当然であろう。あたしは昨年のライカインコ昇天の7月3日の翌日(これはペンデジタルの発売日)に、よっくもっくと、いふぉんとペンデジタルを導入したのだが、いふぉんは十分に使えるから買い替えの予定はない。

注目すべきは、いふぉんG4のデザインに触れて、御大が「クラシックライカのように美しいと」いったことだ。マリネッテイの場合なら、サモトラケのニケより車の排気管が美しいといったから未来派になれたわけだが、デザインで過去にクラシックを褒めるのは、やはり工業デザインの袋小路にわれわれがいることがわかる。

競合他社(いふぉんにはカメラが入っているので、これは競合製品)のデザインをほめるのもたいしたものだが、これがショブスの本心ならかなりいける。

今年の1月に、時計Begin取材でのジュネーブサロンの新製品発表会では、バチエロンコンスタンチンのプレゼンで、よっくもっく(パワーブック)のエアがプレゼン画面に登場して、そのデザインの優秀さはわが社の薄型時計と同一の精神だとぶちあげた。

よっくもっくは1500ドルの「安物」であるし、新型時計は5万ドルの「普及価格」なのだからまあ仕方ない。こういう「隣の畑の作物褒め」はスイスの伝統の時計メーカーの地位を自らぶち壊すものであろうが、プレス担当者はお若いから、ついつい、仕事で使っている、マックエアと自社の新製品がダブルイメージになるのであろう。よく、広報のトップがこれを許可したものだ。

ジョブスの他社の製品褒めは、この意味ではまだ許せるけど、これがライカM9だったら、会場一同爆笑であろう。しかし製品の属性からすれば、いふぉんG4はいうまでもなく、M9の方に近いのである。

こうしてライカといふぉんと、いぱっどを並べてみて、これが新鮮な感じを受けるのは、タイムライン上で今が2010年6月であるという以外に意味はない。このうえぶを3年後に見たときには、いふぉんもいぱっども時代遅れに思えて、ただライカだけが輝いているのは確かである。

だから、ジョブスが戦前のクラシックライカの美学をいふぉんG4に重ねてあのコメントを言ったのだとしたら、彼はかなりのデザイン理解があり、同時に自社の金儲けの道具は過ぎ行くものであることを知っている。

2010年6月19日 (土)

いぱっど使い始めでトラブル続出

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いぱっとが、6月17日にようように到着した。先月は黄色いシャツの青年が一番乗りで銀座のりんごやの前に並んだけど、もう話題にもなっていないのがよい。所詮は際物だ。その後に、御大が「いふぉんG4はクラシックライカのようにすばらしい」など暴言を吐いたので、中古ライカは暴落。おかげでさらに買いやすい。今買うのは、いふぉんg4ではなく、ライカM4だな。

いぱっどはよっくもっくに接続してi-tuneで同期させてすぐに使い出した。大型のいふぉんという感じだが、そのつくりはなかなかよい。アメリカ人が考えて、中国人が作ったものとしてはかなりの精度だと思う。これが原因で中国の工場で自殺者が続出していると思うと複雑な気持ちだ。

画面がでかいから、高齢者向きである。ベッドに仰向けになって画面を見ていると、同時に筋力トレーニングにもなるという一石二鳥だ。メールもついったーもベッドで見れるし、短いテキストなら寝たまま打てるから、これからは「寝たきり随筆家」を襲名しようとと思う。そうなれば「子規流」となるわけだ。

ただし平置きでは使いにくいので、ヒルズで使うために、「いぱっど枕」を本で製作した。紙の本の時代は終わったという皮肉ではないが、書棚を見たら「日本の書物」というのと「書物について」というのがあったので「これ、格好の枕なり」と早速使用した。

G3sモデルではなく、wifiモデルで容量は16gbである。ここに大量の画像を入れるなどは面倒の極みだし、第一、紛失とかクラッシュの時に困るのでそれはしない。

仮想キーボードは想像以上に使いやすいが、やはり本物にはかなわない。キーの遊びがないから「触れなば落ちん」なのだ。今、馬鹿にしていた、dellの安PCで書いているが、原稿書き環境はいぱっどより「品格」(この言葉も死語)は数段上である。

まず、千住柳町公園のベンチで原稿書きをするのならこれで使える。千住柳町公園には無線lan環境はないが、そういう隔絶した場所の方が仕事にはよいだろう。東京大周遊時に思いついたことをメモ書きするにはよかろうが、昨日取材した原美術館でもそうだったが、いふぉんのボイスメモの方が格段に使える。

メールはいふぉんで使えばよい。

それはともかく、朝になって佃のwifi環境が変になって、いぱっどは接続できるが、ほかの機器がまったく電波を認識しない。素人なのであせったが、マンハッタンの怪人、チョーセイさんがついったーでさっそく助言をしてくれた。実にありがたい。

2010年6月18日 (金)

鏡の中のライカ

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カメラ遺跡を発掘して出てきたのが、この「鏡の中のライカだ。
以前、その話は「銘機礼讃2」(日本カメラ社)で書いたが、あの本の頃はまだその合わせ鏡のライカは手に入れていない時代であったので、ライカ1fか何かを鏡の前に置いて代理撮影した。
「本物の鏡の中のライカ」を最初に見たのは銀座のカメラ店で、その価格はかなりのものであったので見合わせた。それから数年後にプラハのバザールで、そのライカを発見した。価格は日本の十分の一だった。

左右が逆なライカというのは、カメラの空間認識のかなり変な所を刺激する。背中のかゆい所に手が届いた時のような快感をそこに感じるのである。
これはかなりブラックユーモアの理解できるカメラ人類が作ったのであろう。ライカのメカニズムを上下を逆に入れればそのまま左手で巻き上げてシャッターがきれるようになるのは、あたしのような素人でも分かる。
パネライの左手用の時計も、スモールセコンドが左側にあるのは、機械を反対に入れてあるのだ。

世の中「左手用のカメラ」というのにドレスデンのエクザクタがある。左の指シャッターを押すカメラにはコニカプレスもある。しかしこの鏡のライカの場合、最初から通常のライカがあまりにも有名なので、それを鏡に映したモデルというのに、ブラックユーモアのスポットライトが当たるので、それが良い。普通の無名のカメラを左右、逆に作っても誰も感激しない。

ただし実際これを使うのはちょっと面倒で、まずカセットのフィルムを逆さまに装填してやる必要がある。35mmフィルムで特殊なカセットで装填の面倒なのは、テッシナとか、ドカッテイ、ロボットSCなどがあるが、それらのフィルムの走行は左から右の普通の流れだ。この鏡の中のライカはその逆だ。コダックのエクトラも確か逆だったような気がするけど、手元にないので不明だ。

カセットを逆さまにするなど、30年ほど前なら繰り返し使えるカセットがあったから何の問題もなかったけど、最近のカセットは一回開けたら、再利用はできないようになっている。それでこういう面倒なカメラを撮影に使う為に、数年前に秋葉の淀で、リユーザブルなカセットを買ったんだが、大事にし過ぎて紛失してしまった。

最近ではこの鏡の中のライカをもう一度、鏡に映してみる。そうすると普通のライカ1型に戻る。

2010年6月17日 (木)

空塔とアボカドの赤ちゃん

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最近では、どんどん伸びる「空塔」(スカイタワーby ゴスペルサカイ)と、うちのアボカドの赤ちゃんの成長のいずれが速いかを比較して楽しんでいる。
一種のスポーツ観戦のようなもので、あたしにして見れば、南アのカメルーン戦よりもずっと面白い。

空塔の存在に気がついたのは、昨年の7月の初めのことだ。3日に4世ライカインコが昇天して、4代24年にわたるライカインコ独裁体制が終焉したのであった。政治体制が変わったのでそこの人民であった、あたしなどは将来に不安を感じていたのだが、デジタルカメラマガジン編集部の上田さんから、ペンデジタルを使ってみないかとお誘いがあり、これが気に入って、翌月8月には「田中長徳ペンの本1」の撮影でプラハに行き、以来、ほぼ毎月欧州やら埃及に行ったのは、この日記に書いた通りである。
その7月の当時の空塔だが、写真の脇に見える、タワーマンションより高さが低かったのは今にして思うと信じ難い。だから「変な恰好のタワーマンションが出来たな」という印象しかなかった。
その変な恰好の建物が実は空塔であることを「発見」するまであまり時間はかからなかった。
欧州から戻ってくると、2週間が経過しているからその成長が楽しみであって、実に雨の後などはぐんぐんと伸びるその成長力に感心した。

一方で20年ぶりにアボカドの種が発芽したのであるが、この生命力の方が実は空塔などよりはるかに勢いがあることに気がついた。アボカドは細胞分裂であるのに対し、空塔は建築である。前者は神の摂理であるのに対して、後者は人間の知恵が作る技術であるに違いないが、あたしにはウイーンのナショナルギャラリーの「バベルの塔」のようにも見える。そのねじれかたの基本デザインはバベルから来ているのではなかろうか。

アボカドのあかちゃんの成長は著しいが、今朝観察したら、双葉が完全に下を向いているので、これは案配でも悪いのではないかと心配した。
しかし茎に触ってみたら、しっかりしているので、これはアボカドがどっちが上なのか、伸びる前に重力の方向を調査しているのではと思った。
午後、部屋の片付けがようように済んで、アボカドを見たら天地の方向が判断できたようでちゃんと上をみ向いていた。

2010年6月16日 (水)

退屈なのは「京都」か、自分か。

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3泊4日の日本路地裏学会の京都奈良調査で歩行中にリフレインされたのは、理光の例の広告のフレーズである。これは最近の百凡の広告コピーを蹴散らしている。あたしも広告の末席を汚す者であったから、こういうコピーはよほどカリスマコピーライターが作らないと、まずクライアントの偉い人に一蹴されるのがおちだ。リコーの偉い人をあたしは知らないわけではないから、これはなかなか出来るなあと思った。
それで退屈なのはxxか、自分か
と文字を入れ替えるとこのセンテンスはほとんど無限に応用が可能である。

路地裏遠征に行ったの5月初旬から桃木会長が京都詰めになってそれがしばらく続きそうなので、その好機を逃すまいという戦略であった。桃木は3年落ちのクールピクスを日本路地裏学会の公式カメラとして使っている。持参のペンデジタル1を貸与して、撮影したが、ペンデジタルはカメラ女子に似合う。その家元はやはり家電Beginの藤嶋編集部員である。彼女のストラップ長めの斜めがけは、あたしも真似したほどである。

あと、いふぉんと、理光のCX3と、フィルムカメラのペンf(これは小文字が似合うね。桃木会長の父上1951生まれが、現役カメラとして買っている)と、モンブランのペンと、それにモレスキン。あとはよっくもっく。これが日本路地裏調査団の全装備であった。まあ、エベレスト遠征に比較すればかなり軽いが、カメラに関していえば、ヒラリーさんはコンタックス2とレチナ1だけだったから、我が調査団の方がヘビー装備。

雨の河原町は退屈なものである。会長の指摘通り、京都は河原町界隈と観光地は芋荒い通りなのに、他は静寂である。そこを会長は0,5カメラ円で買った中古自転車にてさっそうと通勤しているのである。その雨の四条河原町でトラックに上乗りした青年を見て、なにか北京というより中国の地方都市に居る感じがして、とても良かった。つまり「京都に退屈していた自分」が、トラックの上乗りの青年によって覚醒されたのである。すぐさまCX3をリコーの黒いトートバッグから探り出して、撮影した。

下の写真はホテルの508号室から。鴨川の二羽と二人。

2010年6月15日 (火)

金色の蛇 高瀬川を泳ぐ

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今回の日本路地裏学会近畿調査での新たな発見は「蛇」である。

その調査前日にヒルズのライブラリでヒエログリフの読み方の入門書を書棚にみつけてそれをメモしたりしたのが、なにか関係がありそうだ。ヒエログリフでは、当時、日常自然に見ることのできた、鳥とか生物がその文字になっている。鴨川のそばの旅館から見える鳥はいずれも、生きているヒエログリフである。

路地裏調査初日に、四条大橋を東に渡るとき、橋の上から下を見た。いずもは濁っている記憶が多い鴨川がクリスタルクリアでしかも初夏の快晴の日差しをうけてくらきらしている。
「あ、まなずがいる!」と桃木会長。あたしは視力0,5ほどでしかも乱視である。桃木会長の視力は2,0である。あたしの見えない世界が見える。
あたしが、え!どこどこ?と自分の収差の多い古い身体ズームレンズを操作していると、今度は「あ、へびが泳いでいる!」と会長。なるほど、なまずよりへびの方が人気があるのか。あたしはどっちも好物だ。

長さが2メーター近いアオダイショウであろうか。水かさはないけど流れの強い鴨川の水を斜めに横切っている。流れは速いからかなりの泳ぐパワーがありそうだ。しかも川下から川上に対角線に遡上している。その蛇の体のS字体は、そのままヒエログリフである。蛇の全身をきれいな水の中に見て、なにか荘厳な感じにうたれた。ようするにこれは「神の御幸」(神様が移動すること)ではないかと思われたからだ。いや、本当にそういう感じがした。

しかしその後、気になったのは蛇さんは川を泳ぎわたってもその先はコンクリの護岸である。その急斜面を昇ることはできないだろうし、その上には歩道があって、ジョギングの人やら自転車の往来が激しい。魑魅猛霊の世界である。蛇さんがようように川を渡って東側の中州に這い上がったところまで見て、祇園の方に歩行した。

この話には第二話がある。
六道の辻からまた鴨川西に渡って、五条楽園に行くので、高瀬川の右側の狭い工小路の裏手の幅は人がすれ違うのがやっとの道を水の流れを見ながら歩いていたら「あ、また蛇がいる!」と桃木会長。これには驚いた。金色の蛇を見るのに最適な日である。

「鴨川蛇」より「高瀬川蛇」の方がちょっと短いがそれでも1.7Mはありそうだ。この蛇さんは「鴨川蛇」と異なり、川にそって流れを下っているのである。快晴のきょうとの午後の日差しが蛇の体を照明して、なにかこれは本当に金でできているのではないかと思われた。
昨年の春、パリはサントノーレの高級品店のウインドウにそんな意匠の蛇のアクセサリーを見たのが記憶の引き出しから引っぱり出された。この連想は桃木が目下、5月から京都の宝飾関係の某工房で仕事をしていることからの連想なのである。

2010年6月14日 (月)

路地裏調査 天使突抜町

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★本日 日本路地裏学会京都調査

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日本路地裏学会京都調査1日目。歩行時間午前11時開始。午後8時終了。実働9時間。携帯機材ペンデジタル1(2010年日本カメラグランプリ受賞機)、ペンF(その原型の1964年登場)リコーCX3、いふぉん。モンブラン(義父の遺愛の品)モレスキンのノート。

午前11時に阪急デパート前から調査開始。阪急は閉店になるそうで、その閉店セール目当てに人間多数。路地裏学会などは眼中になし。もっとも33度の酷暑の中をただひたすら歩行するなど、正気ではない。これは宗教の一種か、それとも京都のどっかの会社の新入社員の教育プログラムか。

コースは1月前と同じ(先月、ヘルシンキ行きの前にロケハンしてた)で、六道の辻から五条楽園徘徊して、五条から天使突き抜けを南から北に突き抜けて、四条通りに抜ける基本調査。ただし酷暑の為、途上、ペットボトルで3回水分補給。(うち一回はスポーツ飲料)

天使突抜町にはかなりの異変あり。それは紙媒体でご報告するとして、この天使突き抜けは、最初、原平さんが騒ぎだし80年代にはかなり有名だった。袋小路の正面が浅井さん(家人の旧姓)その右隣の家が田中さん(あたしの父の姓)であるのを確認する。路地の奥、花が綺麗に咲いている。

アサヒカメラの1981年だかの別冊の年刊(あれは現代の写真っていうタイトルであったか)の取材でこの界隈を特写したのはすでに30年近くの昔だ。当時の機材はニコンF3にPCニッコールだった。京都をちょうどAtgetのように撮影したのである。無論モノクロだ。30年経過すると銀塩から完全にデジタルに移行したことに多少の感慨あり。まず大道さんが完全デジタル移行というのがなにか象徴的だ。この話は先週、デジタルカメラマガジンの福島さんから聞き、それをtwittしたらゴスペラーズの酒井さんなどがそれに繋がってコメントして、新人間関係が開示した。ここらは実に面白い。ゴスペラ・サカイはいふぉんで撮影してるという。

日の傾く頃、東華菜館の5階にオーチスのエレベータで昇降し、そこでツイットキャストで路地裏学会の公式ライブ配信。その後、新京極の旗亭にて眼前のキッチンでおかみさんが人間国宝なみの「だしまきたまご」を制作するのを鑑賞。桃木会長はだしまきが好物。会長、京都に仕事にきてまだ1月なのに「はんなり」してきた。環境は人間を変える。人間が変われば路地裏学会も変わるかも知れない。

2010年6月13日 (日)

京阪って京都駅には駅がないのか?

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★本日 日本路地裏学会京都調査

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もう30年来、いや、もっとか。京都に来て路地裏に関しては京都のお人より、よう歩いてはると思うのだけど、電車に関しては無知である。

京阪と阪急の違いがなんとなくわかるようになったのは最近だ。あたしこの頃の定宿は鴨川のほとり、「高き卑しき人の住まい」が群集する、四条大橋西詰めのビジネスホテルだ。40年前には京都ホテル(まだ建て替え前の)に泊まり、30年前は俵屋さんが定宿だったと書くとおだやかではないが(この件には子細あり)10年前は駅前のグランビアの「別荘パック」という5泊で5万円ほどのをよく使った。

しかし毎朝、新幹線ホームへの案内を見ながら、きゃうと旧市街に歩いて行く時、ここは八重洲のコンコースと物理的につながっていて、ひょっとしたら5分で八重洲口への秘密の地下道があるような気になって、グランビアは止めにした。以来、この安宿である。

昨日は伊丹空港からバスで京都駅八条口に着いた。三条京阪から淀屋橋におけいはんの「テレビカー」付きの電車で「通勤」したことがあるが、あれが25年前だ。それでおけいはんには、京都駅があるのかどうかがいまだに分からない。GOOGLEマップで見るとどうも京都駅近所には駅がないようにも見える。それで今回も八条口からメトロで烏丸四条まであがって、阪急で河原町まで行った。そこから30病でホテルのドアだ。どうもこのホテルの界隈って、阪急と京阪の引力圏の尽きたあたりの磁場という感じがして一種の交通網の空白域が感じられる。

それが面白い。

東京なら隅田川の下をメトロが潜っているが、鴨川は浅いからそういうのは逆に難工事になるのではないか。その手前にさらに浅い高瀬川もあるから、さらに工事は「困難」なのであろうか。

メトロの烏丸四条駅のホームに鳥居のイラストがあったので、へえ、京都やなあ。と感心した。こういう場所でおしっこする人間が居るのか。やはり応仁の乱以来の歴史を感じる。

2010年6月12日 (土)

ビテッサの革張りは本当に革が貼ってあるらしい

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★本日 日本路地裏学会京都調査

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ウイーン時代からフォクトレンダーのスプリングカメラであるビテッサを使っていた。観音開きの不思議な格好のカメラである。最終モデルではレンズ交換が可能になった代わりに、レンズは固定になってしまったので、本来の魅力が失われた。ただし最近ではこの交換レンズ用のアダプターがあって、ニコンマウントとかイオスマウントが存在するので、それはそれでレンズ交換マニアの方面では人気があると思われる。

以前はレンズがウルトロンでないと承知しなかったものだが、考えてみれば絞りを開放のf2で撮影するなんて生涯にそんなにあるもんでもない。明るさはf2、8のカラースコパーの方がこのカメラの地位っていうのは変だけど、その個性にはあっているように思う。その明るさf2,8だってなかなか使うことはない。普通はf8より絞って使っているのである。

カラースコパーがすごいレンズであることがわかったのは、10年ほど前に出したモノマガジンの「チョートクカメラ」で、ベサマチックにカラースコパーで撮影したときだ。

この当時のフォクトレンダーのカメラはまさにドイツカメラを否定するような個性があった。つまり反ライカ、反ツアイスなのである。先週だかに新宿のカメラのきたむらで買ったこのカメラはたしか0,6カメラ円であった。巻き上げはライカビットを横型とすれば、こっちは縦型である。金属の棒は潜水艦の潜望鏡めいたのが楽しいが、あたしのカメラはレンズを格納した状態ではこの金属棒も格納できるはずがそこが故障していたので安かった。

実際に撮影してみると、この「縦型ラピッドワインダー」「は軽快に操作できる。木星珠クラブの「スエード伍高酷」という変な名前の青年がいるが、これは彼の持っているライカワインダー(カナダのえぶらはむそん作)は、本物のライカビットMPよりその高さが5ミリ高いので残念だというのを、やはりメンバーの言語デザインが命名したものだ。

同じく、木星珠メンバーの野々宮BMWの調査で、ハローキテイのものさしで高さの差を調べたらその差は実際には3ミリであったそうだ。ハローキテイものさしはJIS規格なのでこれは信用してよい。

その関連からすれば、ビテッサの巻上げ棒の高さは40ミリはあるから、これは正しくは「スエード四拾高酷」(よんじゅうこうこく、と読む)なわけだ。

おっと、それが話題のメインではない。このカメラの革貼りはどうも、ライカのようなグッタペルカではなく、本皮のようである。だからこの個体のように使い込んだのは、その色合いがいい感じになっている。そういうカメラはいい。

2010年6月11日 (金)

NeXTを知らない子供たち

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★本日移動日。東京大阪京都

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この間の家電Beginのいぱっどに関するインタビューは面白かった。2時間の予定が3時間に喃喃とする盛り上がりかただった。しかも編集部からのゲストは6名(写真家さん1名含むである。通常、編集の最後のどたばたの修羅場になると、編集部は手分けして時間と締め切りを食い止めるのが通常の戦法であるが、メンバー全員が来るのはえらいというか、まだ時間のゆとりがあるのであろう。ただし最終入稿は11日だというので時間大丈夫であろうか。

家電Beginの創刊号はその名前のとおり、家電雑誌であるが炊飯器よりもミラーレスコンパクト一眼レフをトップにすえているのである。今、話題沸騰のミラーレス一眼だけど、各デジカメメーカーさんはこの機種の正式な呼び方に苦労しているようである。雑誌でやればあたらしい名称はだんだんに定着してくるものと思われる。まず短縮して「ミラレコンデジイチ」とでも呼ぼう。

そのインタビューなのだが、あたしは昔からのアップルファンだから、Jobsがアップルを追われて作ったNeXTのTシャツを着ていったのだけど、これが編集部員で若い連中には何のことかわからない。このロゴはJpbsがIMBのロゴなどもデザインした会社に恐ろしく高い代金で依頼したもので当時、話題になったものだ。

しかし今、30歳の青年が22年前なら8歳である。8歳でNeXTに興味を持つのは不自然であるからやはりNeXTの記憶は50歳以上の旧りんご人類の共同幻想ということになるのであろう。

あたしのいパッドはなんでも16日に発送とかで、手元にないから編集部の2台を見ながら話をした。光文社から電子書籍を出していたことを思い出して、アクセスした。1冊だけだと思ったら、4冊も出ていた。編集部の藤島さんがさっそく「カメラ悪魔の辞典」を400円で購入したが、これってまだいぱっど対応になっていなかった。

いぱっどで自分の電子書籍をダウンロードしてっやろうというのは当分はおあずけのうようである。それでも電子書籍が出たばかりの時は、ウィンだけでマックには対応していなかった。それに比較すれば大進化と言うべきか。

2010年6月10日 (木)

アボカドの赤ちゃん

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生命の神秘というのは、最初にアボカドの種から双葉が出てきた時の驚きのことだ。

佃に住んで20年の間に食べた、アボカドの数を計算しておけばよかった。伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」であったか、当時の60年代の日本にはまだ知られていなかった「鰐梨」のことが書いてあった。たしかジエームス・ボンドが鰐梨を食べる話であった。その食べ方が、半分に切ってその種の部分のへこみにオリーブオイルをたらす。あたしは英国人ではないのでさらにそこに醤油を数適たらした。

佃に住みだした当時に食べた鰐梨から芽が出て、これが20年経過したらごらんのような大木になった。歴代のライカインコの遊び場になった。大木とは大げさながらその土台は大地ではなく、植木鉢なのだからこれはかなりがんばっていると思う。

爾来、第二のアボカドの樹を育てようとして、食い終わった種をひたひたの水につけたりしたが、なかなか種の出るものではない。それが20年ぶりに双葉が出てきたのはうれしい。家人はこれを「アボカドの赤ちゃん」と命名した。

目下、このアボカドの双葉は空樹とその成長を競争中である。

2010年6月 9日 (水)

退屈なのは世の中か、自分か

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退屈なのは世の中か、自分か。

リコーのデジカメのメトロに貼ってある新しいポスターだ。遅くまで仕事して、六本木のホームに降り立ったら、その最初に目に入る位置にこのポスターがあった。
今朝は、ヒルズに出勤時に日比谷の乗り換えコンコースにこのポスターがあった。
これはいい。今までの駅貼りポスターのデジカメ広告は退屈と脱力を伴うものだったが、この短いコピーは通行人に逆襲する。

有名人を起用したポスターはあたしのような時代遅れにはわからない。金卓はわかるけど、外国人にはわからない。宮崎さんはペンの広告で人気だが、あたしは昨年までどっかの女子高校生かと思っていた。有名人起用の場合、あゆは知っている。2001年秋のルミックスの広告開始以来10年というのは強力なキャラクターである。
お笑いだったのは長淵さんとかいう人の京セラのデジカメ広告だった。「そうくるか京セラ」とかいうコピーでその後にすぐに京セラはデジカメから撤退したのである。まさに「そうくるか京セラ」であった。

上のリコーの広告がすごいのは、通勤客へのリアルタイムな問いかけにある。「そうくるかリコー」という印象があるからこれはいい。これはそのまま各国語のポスターで使える。有名タレントさんの広告はまず亜細亜文化圏だけだ。

渋谷の駅ではこんなことになっている。(提供、リコーのnoguさん)

Shibuya

2010年6月 8日 (火)

ローマ法王のレクタフレックス

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ICSに行って感じたのは、以前のような「珍品」とか「貴品」が出なくなったことだ。これは当然の理であって、そういう品物は既にコレクターの金庫の中であるとか、外国に存在するのであろう。中古カメラ市を四半世紀見ているとその品物の変遷が見えるのは面白い。
同時に数年ぶりに見に行って、世代交代というのか若い連中が入れ替わって入ってきたのも痛快だ。カメラはそのままに存在して、それを保有する人間の方が移動して行くのは、これはカメラを文化財の末端にある存在と見なすのなら、そういう世代交代を繰り返しつつ、クラシックカメラが次の世代に移行して行くのは決して問題なのではなく、むしろ文化的な行為であると思う。

ICSもいいけど、この数年来は月の半分がプラハであったりして、手元にあるカメラをよく見る時間もなかった。それでICSの開催に合わせて、手元のカメラをもう一度再見しようということになった。

イタリアのレクタフレックスに痺れて、そのイタリアはローマの本社のあった場所まで見学に行ったのはもう8年ほど前であるが、日本のカメラメーカーは皆、大井森前町とか下丸子とか、前野町とか小豆沢とか東京の周辺にあるのに対して、レクタフレックスはローマのど真ん中にあったので驚いた。アメリカ大使館のすぐ近所であった。最近ではレクタフレックスはなかなか高価で1000ドル以下のものを探すのは困難である。

ローマ法王ピオ12世はかなりのカメラ好きであったらしく、レクタフレックス本社に行幸して神の祝福を垂れて、お布施として、ゴールド仕上げのレクタフレックスを献呈されている。神の代理人がカメラ好きというのはいかがなものかどうかは分からないが、ダライラマ猊下もカメラ好きだから、そういう皆さんとカメラ好きという共通点が一点だけあるというのは、これは天国の門が開かれているということであろう。

オリジナルのゴールドのレクタフレックスは神の代理人とか、埃及国王に献呈されてその数台が知られているが、そうなるとイタリア人は気が利いているので、そのレプリカをちゃんと制作して、これをレクタフレックス好きに配給してくれるのはありがたい。

およそ、カメラのゴールド仕上げというのは難しい存在であって、ライカラクサスとか、世の中には数多いけど、もともとオリジナルのカメラの品格が試されるから、80年代に国産で限定生産されたゴールドモデルはすべて失格である。

還暦になったらお祝いに、このレクタフレックスきんぴかで東京大周遊をするつもりであったが、その燦然とした存在に接すると「まだ早いな」と感じたりする。まずこれで撮影するのはもう少し先送りにしよう。

 

2010年6月 7日 (月)

6/05東京大周遊の様子

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思い附いて、鵠沼のぶれっそんに電話した。
父の遺言で、電話はしないしきたりであるが、鵠沼のぶれっそんはインターネットなし、けーたい持たずの哲人なので、連絡は電話と手紙しかない。その電話も番号は忘れたのでまずはがきで電話番号を問い合わせたら、翌々日には封書で番号を教えてきた。
それで意を決して、いふぉんで電話した。電話は家人以外にはかけないから、緊張した。後で鵠沼のぶれっそんは、ちょーとくさんが緊張してるのが分かったと言った。電話は嫌いなのだからこれは仕方ない。

ぶれっそんと、東京大周遊。
浅草の神谷バーで集合(ただしお店の前)して、徒歩で北を目指す。玉姫神社のお祭りにてがらんとした町並みに綺麗な提灯が揺れているのは良い感じだ。
きんたろう寿司で麦酒のみつつ、四方山の話しをした。ぶれっそんと大周遊に行ったのはたしか3年前の夏であれは、藤沢から鎌倉を廻ったのである。
ぶれっそんは、あたしの審査していたカメラ雑誌のコンテストでポイントが高かった人間であるが、鵠沼在でその前は千代田区富士見町の老舗の洋服店の息子だった。天才的なもの作り人間で、あたしを題材にした不思議なフィギュアとかおぶじえなんかを作っている。

ちょーとく研究家でもあるのであたしの古い仕事などは自分では記憶にないから、ぶれっそんに問い合わせた方が早い。無論、連絡は封書であるのはかっこいい。思えばちょっと前はこれしか通信手段はなかったのだ。
封書はメールと異なり自分のコピーがないから、出す書信には自信がないとなかなか書けない。ペリカンの万年筆に鳩居堂の便せん封筒で手紙をよこす。メールならすぐにゴミ箱行きであるが、紙で出来た封書はカメラなどと同じ物体であるから、これは捨てにくい。
それで10年あまりのぶれっそんとの付き合いでかなり手紙はたまった。というより郵便で来る紙は、クレジットカードとか税金とか印税とか原稿料とかいずれも事務的なものの中で、唯一、ぶれっそんからの手紙は大事にしている。ああ、大塚寧々さんからの手紙もあれはメールではなく、紙の手紙の時代だったから、これも大事にしている。

ぶれっそんと北千住の柳町公園に行った。ここはあたしがエッセイのプロットなどを考える時に使う「仕事場」である。南向きのベンチは3脚あるが、そこにじじいが二人座ったらかなり狭いことが判明した。いつもはワンマンで座っているからだ。その時の様子はhttp://www.youtube.com/watch?v=SjG1MConBSkで見ることができる。

初夏の午後のうららかな天候で実に良い時間を過ごした。それから大林に行って小酌して、さらにバスとメトロでクラブエダムに行く。そこに突撃隊長があさしゆ(朝日湯、お湯が熱いので有名)に行くので自転車で登場。

ゴスペラーズの酒井さんの話しをしたら、吃驚していた。世に知られたグループらしい。G10というCDをアマゾンで買った(まだ未着)ので聞いてみよう。
芸大時代の家人の同級生で深町純というのを知ってるかと言ったら、ぶれっそんも突撃も知っているという。これもアマゾンで彼の最初のLP(をCDにしたやつ)を注文したが、えらく高い。聞けばミリオンヒットは安いけど、アーチストの初期の作品は高いのだという。そう言えばあたしがこないだアマゾンで買った森高(5月からいきなり発病)のCDは1円だった。深町のは2500円。あたしはこれをLPで聞いたくちだが、たしか深町君から売り込まれて買った記憶がある。当時のLPって3000円したのではなかったか。ジ・アルフィーのLPは常盤台の古書店で@100円で売っていたので、買って坂崎さんに差し上げたかその話しをしたか忘れたけど、中古相場の安いアーチストは売れている人なのか。あたしの中古プリントは高い。この前、バウハウスで開催した展覧会では@6カメラ円だったがあれはモダンプリントだ。80年代にプリントしたヴィンテージのはもう手に入らない。音源商品はメガ枚数複製されるのにたいして、モノクロの銀塩プリントなどは少数複製を自慢にしている。おなじ「板っぺら」「紙っぺら」でもその間の事情はかなり異なる。

2010年6月 6日 (日)

渋谷東急ICS

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この数年は本当に多忙で、中古カメラ市に行く時間のゆとりもなかった。それが先月のヘルシンキで一軒の中古カメラ店もなかったので、その反動で先週のウイーンで開催された、westlichtのオークションではライカA型を2台、フランスのpointiacなる、銀色で、でらでらの35mmカメラを手に入れた。(というかまだ送ってこない)あれはオンラインオークションであるが、そうなるとオフラインのカメラ買い。つまりオフ買いをしたくなるのが人間の行動というものである。
ほとんど、5年ぶりの夏のカメラ甲子園という感じだ。

会場で運良く、泰成光学所属の東京都公認公式中古カメラ購入指導員である、前田某さんに会った。この人のことはエッセイに何度も書いたが、ようするにその風貌が社会に貢献するボランテイアの好市民という感じで、黄色いジャンパーに黄色いキャップで軍手をはめて、朝の赤坂見附あたりのホームにいるおじさんとう感じである。
前田さんの購入指導はこの十数年になるが、彼ほどにカメラとレンズとアクセサリーの知識を豊富に持っている人はいない。
しかもあたしは、これは意識的にそうしているのであるが、前田さんの連絡先は知らないのである。ただ東京のカメラ店で偶然遭遇するのが、唯一の「えにし」なのだ。
その前田さんに遭遇して、もっぱら前田さんの後をついて歩いた。ヒマラヤのカメラシエルパという感じだ。前田さんの指導で手に入れたレンズの一例を上げれば、アメリカのフーゴーメイヤー製の105mm f2,8のライカレンズなどがその筆頭になる。誰も知らないレアレンズだが、市場ではその価値が出る前に、前田さんは「こえ、買え、わんわん!」と指示してくれる。一種のカメラとレンズ買いの予言者。中古カメラ世界のモーゼか。
そこに、まだフィンランドがマルカ体勢であった当時、ウラジミール・アユケナージのインタビューを、ヘルシンキのフィンランデイアタロに収録に行った、TVデイレクター(短編映画「さんちゃんの散歩」でも世界的に有名)の、オー如さんに遭遇した。そこでさらに渋谷の住人で東急の上客の某さんが加わって、6.04菅直人総理就任奉祝官民合体提灯行列となった。

おー如さんの持参のペンデジタル2(このシルバーはなかなか格好いい)に、会場の売り物のTVズームレンズがマイクロ4/3に改造されたのを付けて、そこでハイビジョンテスト撮影会になったりもした。
これがデジタル方面の遊びとすれば、他の店ではフォコマート1c用のネガキャリアの「ナングレアガラス」のパーツを売っていたりで、まさに中古カメラ森羅万象古今東西鬼が出るか、蛇が出るか!という感じであった。

画像の下がそれだけど、知らない人が見え場単なる枠であるがそこが専門のパーツたる所以である。ありがたや、ありがたや。

あたしは、ニコンs用の35mmレンズと、ハッセル用のsプラナー120mmをゲット。なにか新レンズを手にすると、それだけで視神経の命が延びる気がする。

2010年6月 5日 (土)

クルマと如雨露@ヘルシンキ

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5月のヘルシンキ大周遊の写真の整理がまだ出来ていない。昨日も今日も明日も快晴の「ど天気」というのはあたしみたいな「作例業務」を帯びてきた仕事師にはありがたいが、反面、昨日と一昨日と先週の今日の印象が同じになってしまって、1週間が4日くらいの印象で飛び去ってしまう。

ホテルアンナというのは、中央駅から徒歩で南に10分ほどの三つ星ホテルだが、もともとその並びの(というより一体化している)角地のエバンゲリッシュの教会が赤煉瓦でその隣だからなにか教会の宿泊施設であったような感じがある。
そこから毎日、ヘルシンキ中を徘徊したわけだ。

ライカke7aではないという名前のライカ(この話しは発売中の日本カメラの銘機礼讃2010に紹介している)か、ペンデジタルかどっちか持って撮影に行く。レンズは9-18か標準ズームかどっちかだが、ウインドウを撮影するには標準ズームレンズが良い。標準ズームと言うと、なにか「ただでカメラについてくるレンズ」の印象があるが、とんでもない。この前のオリンパスでのリスボン写真展でも、このズームで撮影した画像を巨大プリントにしたが、問題なしであった。あたしなど旧レンズ人類だから、ついつい「スーパー暗愚ロン21mmのホワイトクロームのレンズの無限遠のストッパーがパチンという感じ」とか、「タンバール90mmのブラック仕上げにクロームの距離環がしびれる」などと飛んでもない嘆美主義に走ろうとするが、実用の県展から言えば、プラスチックで構成されたモダンズームレンズには未来的存在学が見え隠れしている。

宿泊したヘルシンキのホテルの近辺は、これはまず、マンハッタンのsohoという感じで、ウインドウを見ていると飽きない。古い如雨露と、剥げたクルマの木製モデルを見て、はてこれを前にどこかで見たなと思った。それが6歳当時に母親の実家の中野区江原町の木造家屋の庭の縁の下にぶちこまれていたのと同じ品物で同一の材質感なのである。

なぜ、あの時、母親の実家に居たのか>これは母親が夫婦げんかで「実家に帰らせていただきます」の成果であったようだ。
そういう「ハレ」部分の外泊体験はしっかり記憶しているのに、生活の「ヶ」部分の音羽での記憶は綺麗に飛んでいる。困ったものだ。

お洒落なお店の飾り窓の木製のクルマと如雨露はいいけど、これに騙されて、佃に持ち帰ったら悲惨である。それはただのぼろぼろのガラクタに戻ってしまう。

2010年6月 4日 (金)

オートグラフ

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今月創刊される某新雑誌のインタビューを受けたのは、4月始めだった。3時間45分で今のデジカメの近未来とライカの将来を語って面白かった。
それが記事構成されることになって、編集部からオートグラフが必要だと依頼があった。そういう記事に「手書きの文字」が入ると、不思議なリアリテイが増すものである。

写真集にサインというが、あれはサインではなく、オートグラフというのが正しいのであろう。日本にはサインペンという便利なものがあるが、あれは写真集の販売会場とか、トークショーの後の著書の販売などでは「仕方なし」に使っているが、本当は使いたくはない。あれは色紙などのサイズに向いているのであろうが、欧米には色紙はない。いつだったか欧州の美術オークションにどういう次第で紛れ込んだのか不明だが、日本の保守系政治家の色紙が出ていて、それがマジックの走り書きで「座右の銘」など書いてあり、実にヒエログリフ以上の奇妙不思議存在であった。

それでオートグラフを頼まれたので、家人の父の遺品のモンブランに、改めて新デザインの瓶になったモンブランの黒インキを入れて、コピー用紙に3回だけ書いた。オートグラフを上手に書こうというのは、若い人の健全な意志であろうが、還暦過ぎるとそういう無駄な欲望はなくなるのが良い。一回のオートグラフには一回のペンしかない。
ただし編集者さんのことを思って、英文、和文の縦横の都合3バージョンを作った。

オートグラフは一回限りの自分自身の存在証明だから、沢山書いて、一番の上出来なのを使おうというのは邪道である。しばらく前、あたしのサインのロゴ入りのネックストラップを作ったことがあったが、あの時は「商品に入れるマーク」であるから、見栄えのこともあり、5回は書いたと思う。その「一番出来の良い」のが、ライツの革のストラップめいたのに、エンボスされている。そのサインをライカを手にする度に目にするのは、あまり好きではなかったが、制作されて5年が経過すると革に年代がついてなかなか味が出てきた。

2010年6月 3日 (木)

VITESSAというフィルムカメラ

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ヴィテッサはフォクトレンダーが、1950年当時に出していた人気カメラである。そのデザインは十分に未来的であって、なにかシトロエンDS時代のラインと共通するものを感じる。まずその表面に一本のビスも見えない。ライカM3だって当時は表面にビスが見えていたものだった。
ヴィテッサを最初に使い出したのは、あたしのウイーン時代の1975年頃であった。プランジャーと言う、煙突のような金具を押し込むをシャッターがチャージされて、フィルムが巻き上がる。案外に速写もできる。「縦型ライカビット」というところだ。このカメラのことを5−6年来忘れていたのだが、6月1日の写真の日に新宿のカメラのキタムラのウインドウの中にあったのを手にいれた。その革張りの色合いが良い感じにシフトしていて、実際にこのカメラが長く使われたことを示していたのが「犯行の動機」であった。それに値段も0,6カメラ円というお値打ちものである。
そこの店長さんは、「ちょーとくさんのライカMイズムとLイズムを見ながら育ちました」(本人談)というほどのカメラ人類である。店長さんから入荷したばかりの、ライカM型に眼鏡の35ミリレンズを付けたまま格納できるライツ製の革ケースもゆずってもらった。
何か直感で、ヴィテッサはライカの革ケースに入るのではないかとい気がしたのである。果たしてぴったりと格納できた。
ヴィテッサの初心者はすぐに、ウルトロン付きを所望するようだが、本当はカラースコパー付きがいい。このレンズはヴェサマチックでもそうだけど、凄い写りが良い。テッサーとかエルマーを凌ぐと言っても大げさではない。

2010年6月 2日 (水)

6月1日 写真の日、荻窪の記憶を逍遙する

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デザイナーの浅田恵理子が荻窪に棲んでいた時期は、一体何年間だったのか、今にして思うとあまり記憶にないが、カメラジャーナルの創刊号以来、そのタイトルロゴを作ってもらったのだから、遡るに二昔弱も昔ではないかと思う。
その後、写真集「ウイーンとライカの日々」も浅田にデザインしてもらったし、東京ニコン日記もそうだ。
浅田とは、荻窪でもよく飲んだ。

2010年6月1日の写真の日の記念というわけでもないが、昔、飲み歩いたお店が今どうなっているのかを荻窪探索した。一番よく行った旗亭「荻乃茶屋」はかなり前にオーナーのHさんが亡くなって以来もう10年以上だから、今は別の店になっている。あれはHさんが亡くなる前の年であったか、Hさんから浅田恵理子、あたしとあと数人で、浅草の「むぎとろ」に招飲されたことも忘れられない。Hさんはそれからしばらくして彼の郷里の東北で亡くなった。
Hさんの死後、その供養というわけでもないが一度だけ「荻野茶屋」の後の店にも行った。なにか赤ワインで餃子を食わせるような店になっていた。

でもその向かいの白山神社は初夏のせいもあって一段と緑が濃くなっていて、ここは何も変わっていない。こんな良い神社であったのかと思った。つゆの晴れ間に興に任せて浴衣姿の浅田をそこで撮影したこともあったが、その写真はすでに紛失している。
だいたい、10年とか20年とか前の追憶をたどるには、6月1日の快晴のまるでヘルシンキの午後のような天候はその記憶をたどりやすくするものである。ダークな曇り日は思索には適しているが、過去にジャンプするには不適当だ。

荻窪駅から環8に行く途中の「カメラのさくらや」は健在だった。もっと嬉しかったのは、フィルムカメラの在庫が山であったことだ。
発売直前のソニーのデジカメの立派なデイスプレーが店内にあって、そこにおとなしそうなフリーターめく長髪の青年がポスターに写っている。それが誰なのか、店長さんに聴いたら(店長さんと会うのも8年ぶりか)浅野という俳優さんであった。それで思い出したのはこの浅野という俳優さんはかなり前に、カンボジアで死んだ同級生報道写真家、一ノ瀬の役でTVドラマに出ていたことだった。

環8の通りに抜ける神社の脇の小道に「どくだみ」が綺麗な白い花を咲かせている。20年近く前、佃の住まいに引っ越した時、新居にすでにクーラーのユニットがついていたので、持参したけど不用の2基あったクーラーのうち1基を浅田恵理子に譲ったことがあった。1基は廃棄したのである。それは彼女の住まい兼仕事場にちゃんとセットされたようだが、その工事の時に「どくだみの花」が沢山あってそこを工事の人がどうこうして気の毒だったという話しは後で聴いたのである。

浅田恵理子は地元、荻窪の「顔役」であったから、この界隈には詳しい。当時としては珍しいモダンな建物の角の丸いビルの2Fのバーでも良く飲んだ。その名前を「ウイスパース・カフェ」というのである。この店は浅田がまだ荻窪にいる間に閉店になってしまった。あれは残念だった。朝日新聞の連載のシリーズでこのお店を写したこともあった。
もう一軒、荻窪駅から西に歩いて10分ほどの高級住宅街の中に、オリエンタルグリーンというレストランがあった。年中、クリスマスのイルミネーションが出ているような奇態な店だが、これはローマなどにありそうな、立派な構えなのだ。ただし値段は安い。広いレストランスペースの真ん中にドアがあるのだが、あたしはその先が「パテイオ」になっていると信じ込んでいた。本当はオフィスなのだがいかに奥に広大な中庭がありそうだった。

今でも浅田恵理子と会ったりするときにそのお店オリエンタルグリーンのことが話題になる。

結局、6月1日の写真の日荻窪回顧ツアーでは、ライカで3本。いふぉんでは何メガなのか、それはちょっと分からない。

2010年6月 1日 (火)

写真の日の「F 」

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70年代には「F」と言えば、それはニコンFのことだった。とりあえずFを買うことが人生の目標であることが、共通のカメラ人類の価値感という時代があったのだ。今のいぱっど騒ぎと似ているが、根本的な相違はFの場合は「耐久消費財」であって、孫子の代まで使う、あるいは「家宝」にするというような感覚があった。一方でいぱっどを家宝にしようという人はいないし、耐久消費財ですらない。
いぱっどだって一時しのぎの玩具であって、まず1年後には話題にもならない。

「コニレットによる風変わりなアルバイトで、ニコンFの購入に成功した実例を郵便切手3枚で急送」などという、読者投稿が写真工業誌に出ていたものであった。
なにしろ当時7万円はしたのだから大変な高価カメラだ。今の価値感だったら100万円の感じだ。

当時使っていたのは、このクロームのFではなくブラックのFだったが、こうして見ると、Fのクローム仕上げの金属感覚の立ち上がり方は尋常ではない。▲に尖ったペンタプリズムだが、今ではこんな製造の面倒なデザインは採用しないだろう。
ニコンFが15年間現役でいよいよ製造中止になったという、朝日新聞の記事を今でも記憶している。1973年だった。実に長い時間走り続けたカメラだった。
それで2010年の今でもなんら問題なく使えるのは奇跡みたいだ。21MMのニッコールを付けて東京の街を斜めにノーファインダーで歩き廻った。ミラーアップしたFは実に静寂である。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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