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2010年5月31日 (月)

空樹・死の行軍

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東急の文化講座BE(べ、と読む)でライカ愛好会を始めて何年になるのかすでに忘却しているが、もともとこの講座の目的は、「向上心を捨てる」ことにある。年に2会ほど「野外火器演習」を実行しているが、それが5月30日だった。

例によって、午後1時半に錦糸町テルミナの4Fのヒカリカメラに集合して、そこから死の行軍を行うことになる。
死の行軍とは、冗談でつけた名前ではなく、往年の東京カメラ倶楽部で、厳寒と酷暑を選んで東京を撮影行軍する、一種の鍛錬会であった。もともと団塊の世代は芸がないからそういうことを好むのだ。
雑司ヶ谷の奥の「ひのまる食堂」で、あれは時期は酷暑の土用だったけど、「うう、さぶい、、、今日は冷えるねえ、、、」と言うので、熱燗となべやきで暖まったこともあった。あの時、同行したのは岸本まーしーであったかな。

そういう伝統ある「死の行軍」なのであるが、東急BE(べ、と読む)のメンバーがヒカリカメラからの出発時に、ヒカリカメラの社長さんが「上の階段室から、空樹の全貌が見える」というので、まず4階のヒカリカメラから6階のゴルフ練習場(ここらが錦糸町めいていいねえ)の脇の階段室まで行って、全軍の行軍の方向を再確認した。
その窓からは空樹はすぐ側に見えていたが、あたしの経験ではヒルズのすぐ側の東京ミッドタウンは実際に歩くと20分はかかる。だから眼前の空樹への行軍時間は90分と読んだのである。

ダークグレーの日曜の午後の閑散としたまっすぐな道路は、まるでここ、墨田区にだけ「戒厳令」が発令されたかのような不気味さだ。ところがあたしの歩行距離の読み違いで、90分なんてとんでもない。かなり早く、25分ほどで空樹の根本に着いてしまった。

そこは日曜とあって、一大観光名所になっている。ちょうど、マンハッタンの911の跡地に人間が集まったのと同じで、人というのはある建築物が消滅する前とか、これから稼働する前にそこに集まるという習性があるらしい。

それぞれにライカで空樹を撮影して、流れ解散。

あ、本日、5月31日はあたしの63歳の誕生日だ。せっかくなので仕事は明日に延ばして、今日は東京大周遊。

2010年5月30日 (日)

隣接する「不連続空間」HELTYO

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フィルムを使うライカやニコンで真剣に撮影していた当時、購読するカメラ雑誌で一番ステータスの高かったのは、スイスはルッツエルンのCJ BUCHERが出していたCameraだった。戦前からあるカメラ雑誌で、作品中心でメカ記事は最後の数頁に「平打ち」で入っているあたりが、現今のメカ情報満載のカメラ雑誌とはまったくことなる方向性だった。

ここに作品を出せば「国際的写真家」として認められるというのが、当時20代であった若者のあたしの考え過ぎなのであるが、ある部分でそれは真実でもあったようで、1970年に同誌に発表した時は巻頭が浜谷浩さん(はまやひろし)なので嬉しかった。浜谷さんは家人の親戚にあたる堀口大学が新潟の山中に疎開していた当時、大学と親交があり、終戦のその日の真昼の太陽を撮影した名作がある。

その浜谷さんと一緒にCameraに作品を出したりすれば、ライカ青年のアドレナリンの上昇は当然だ。
当時のカメラは毎号、編集長のアラン・ポーター氏が個性的な切り口で特集を組んでいた。その中の記憶に残るのが「シークエンス」というのである。まだビデオは黎明期でデジカメなどない時代の話しだ。35ミリフィルムの隣同士に並んだ画像をそのまま無作為に掲載すると、そのふたつのコマに撮影者も意識しなかった、カメラの移動と時間の経過が自然に開示する。なんでもそんな意味の特集であった。

ヘルシンキから戻って、上の事情に思い当たったのは、ヘルシンキのラストショットは半月が見えるホテルの窓からの瞬視であり、その次の時間軸上の記録は東京は小川町のオリンパスにペンデジタル2の素子の埃を取るので出かけ、その戻りに「顔」の大看板に出会って、少年時の記憶がいきなり巻き戻されたことにある。この顔の看板は過去半世紀以上の東京のポイントの中で、一番息が長い。子供の時には都電で小川町を経由して、日本橋に行くのが都心への正当なアクセスであった。まだ丸ノ内線のない時代の話しだ。

しみじみ「顔」の看板を見て、この光景を撮影したのはこの前は1970年当時であったことも記憶から発掘された。当時はライカM2であるがそのライカは今でも使っている。デジカメの将来は一体どのようになるのか?10年後にこの場所でペンデジタルを使って撮影することになるのであろうか。

2010年5月29日 (土)

月光町で大雨に遭う

R8310221 ★カメラグランプリ2010実行委員会は20日、カメラグランプリ2010の「大賞」および、「カメラ記者クラブ賞」「あなたが選ぶベストカメラ大 賞」の受 賞製品を発表した。選考対象となったカメラは、2009年4月1日から2010年3月31日までに国内で新発売された199機種。P5220774_3

★「大賞」に選出されたのは、オリンパスのマイクロ一眼「オリンパス・ペン E-P1」。
★一般ユーザー選考による「あなたが選ぶベストカ メラ大賞」でも、得票数1位を獲得した機種は「オリンパス・ペン E-P1」となった。

>>という嬉しいニュース。それでペン1でヘルシンキを撮ってた。

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戻って数日経過したのに、まだぼっとしている。木曜はさんぽーカメラは休みであるという認識があるのに、その前に行くまで気が付かなかった。

そこに行く前に、武蔵小山から歩いて古書店で鈴木八郎の写真集「わたしの庭」を買う。昭和13年に3円50銭のハードカバーの豪華本。装丁はもちろん、恩地考四郎。ライカD3などで戦前の世田谷の庭を撮っている。その庭の記憶は自分の幼年時代の音羽の庭の記憶と重なる。
要するに、あまり花などなくて、どっちかと言えば家庭菜園めいているのだ。この撮影は昭和13年であたしの記憶は昭和27年あたりだが、この12年は戦争を挟んでいるとは言え、なにか共通な庭の表情がある。ただ鈴木さんの時代には、ライカとローライであるのが、あたしの家庭菜園の記憶の時点では、すでに大井森前町でニコンが出来ている。これが戦前と戦後の画期的な違いだ。

ところで、上の画像(GRD3で撮影)の目黒本町3丁目だが、その風景の気配が旧ベルリンの「チエックポイントチャーリー」に似ているポイントをしっかり味わった。
頑丈なクルマ止めが道路をブロックしているだけなのだが、自分の考えでは「世界にはAとAダッシュの似た風景の場所が2つある」と言うのがあたしの風景論なのだ。しかも雨が来る前のダークグレーの空が白いクルマ止めの存在を浮き立たせていた。良い感じだった。

その先が好みの月光町。
そこで大雨になった。目黒郵便局の向かいの交番のお巡りが、雨が降り出したので歩道を歩かないでそのままクルマと一緒に道を横断した若い女子を叱っていた。まあ、このくらいのアトラクションがないと、交番も退屈でやっていられない。

この午後2時の驟雨はあたしの体験でも数年ぶりに一度という激しさで、コンビニで傘を買ってもそれをさして外に出ることができない。

日比谷線でそのまま銀座に直行した。

2010年5月28日 (金)

ipadの空騒ぎ

R8310274 Ipad0001 ★カメラグランプリ2010実行委員会は20日、カメラグランプリ2010の「大賞」および、「カメラ記者クラブ賞」「あなたが選ぶベストカメラ大 賞」の受 賞製品を発表した。選考対象となったカメラは、2009年4月1日から2010年3月31日までに国内で新発売された199機種。P5220774_3

★「大賞」に選出されたのは、オリンパスのマイクロ一眼「オリンパス・ペン E-P1」。
★一般ユーザー選考による「あなたが選ぶベストカ メラ大賞」でも、得票数1位を獲得した機種は「オリンパス・ペン E-P1」となった。

>>という嬉しいニュース。それでペン1でヘルシンキを撮った。

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金曜のいぱっどの発売前に、銀座アップル前に人が並んでいる。銀座のアップルストアが出店した時のアトラクションでは、たしか京橋あたりまで人間の鎖ができた記憶があるが、それに比較すると今回の徹夜の列はとなりのビルにまでも行かない。
観察するに、並ぶ方もそれを取材する方も最初から「暇ネタ」を意識して取材しているのが分かる。一番乗りの青年もメデイアへの受け答えが「想定問答」なみで面白くない。
あたしは昨夜、オンラインで予約してしまったので列に並ぶ必要はないが、アップルの「高札」を見ると、どうも予約者もここに並ぶことになるらしい。それではなんの為の予約なのか分からない。黒猫大和が信用できないから、直に持って帰るという不信の時代なのか。

この「いぱっど」の列がなぜつまらないのか?

答えは簡単で、アメリカで100万台も売れた大量消費物資を買う為の列であるからだ。その意味では80年代のポーランドの食料品不足に似ている。ただし80年代のワルシャワでは、待っていてもかならず肉の缶詰が買えるという保証はなかった。金曜の銀座では「かならず買える」という裏書きがあるから、そこには真剣さがない。村上春樹ブームにもなっていないのがちょっと可愛そう。

ポーランドのワルシャワでは、いふぉんの発売時には、エキストラを雇って列を作ったそうだが、祭りで、どうせ盛り上がるのならそのくらいの方が面白い。こと、行列に関してはポーランド人の方がはるかに格は上だ。

Ipad_camera_hole_0thumb400x31518642 10年ほど前に、銀座のカメラ店が中古カメラの売り立てをしたときには、これは真剣勝負だった。それがそれぞれが「世界に一点しか存在しないレアなカメラ」であったからだ。なんでもホームレスの人を雇って、3日前からお目当てのカメラを買う為に順番をとった人も居たそうだ。それなら面白いが金曜のイベントは一番に並んでも、他の数百万人の持っている「板」と同じものを買っているわけで、そこらがどうも興奮度に欠ける。人間は飽きるのが正しい性である。マンハッタンで発売時にエキサイトした、いぱっどもマンハッタンの怪人、チョーセイさんのついっとなど見ても、最近はまったくコメントなしだ。R8310275

2010年5月27日 (木)

200GBのサーバー

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P5139124 ★カメラグランプリ2010実行委員会は20日、カメラグランプリ2010の「大賞」および、「カメラ記者クラブ賞」「あなたが選ぶベストカメラ大 賞」の受 賞製品を発表した。選考対象となったカメラは、2009年4月1日から2010年3月31日までに国内で新発売された199機種。P5220774_3

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>>という嬉しいニュース。それでペン1でヘルシンキを撮った。

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過去20年来、撮影したデジタル画像というのが、手もとに一切残っていない。2001年の秋にちょうどパナソニックのLC5のカタログの制作で独逸に行ったのであるが、あの時の画像も手元にはない。
あたしのPowerBookのHDがクラッシュして、それでおしまいである。以降、代々のマシンがクラッシュしてそのままになっているので、デジタル画像が身につかないのだ。

最近ではSDメモリが安価なので、撮るだけとってそれで画像整理もしていない。欧州の知り合いのカメラマンなどは、自分の一生の画像の目録作っているやつも居るが、そういうシステムの構築に専念すると、手元の撮影の方がお留守になる。ようするに、「身仕舞いがよくて整理整頓は出来ているけど、特になにも仕事は残していない良い人」になってしまう。「整理術」の本ばかり出していてそれで有名な人みたいなもので、これも面白くない。

今回、火山灰騒ぎで行けなかった、リスボンの大詩人ペソアに関して言えば、生前に出したのは詩集が一冊のみで、あとは「ペソアのトランク」と呼ばれる、国立図書館で目下、研究の対象になっている大トランクの中に5万枚のタイプ原稿が詰まっている。もっともこれはアナログデータだから、5万枚のA4の原稿データなどは大した量ではない。

サーバーもあまり大きいと使い切れないので、200GBのを借りているが目下、これでも大きすぎのようである。あたしのHDはクラッシュするが、サーバーはしない。
ヘルシンキの12泊のあたしの仕事は連日の快晴にて、昨日と一昨日と先週の今日とが区別が付かなくなるほどの好天気であったが、リスボンの2月の2週間は晴れた日が36時間しかなかったのだから、それに比較すれば実に恵まれていた。

毎日の仕事は、午後3時頃に撮影からホテルに戻って、それからその日に撮影した画像をざっと見て、モレスキンに画像番号を書き取って、それをサーバーにアップするのである。
これは麦酒を呑みつつでも出来ない仕事ではないが、それだと決まりがつかないので、全部画像をアップするまでは、冷蔵庫のドアを開けなかったのは偉いが、ここのミニバーのドアは透明なので、誘惑が多くて始末が悪い。

それでようように仕事が終了すると、お部屋でハッピーアワーとなるわけである。ホテルの界隈はそこらじゅうにバーもあったが、今更、ヘルシンカー(ニューヨーカーの伝で言えばこれでいいのかな)の顔を見てもつまらないので、もっぱら言葉の通じる、かもめの顔と半月の顔を見て過ごした。
真面目に仕事すると、2週間など一瞬である。

2010年5月26日 (水)

時差ぼけ東京大周遊

P5259927_2 P5259971 ★カメラグランプリ2010実行委員会は20日、カメラグランプリ2010の「大賞」および、「カメラ記者クラブ賞」「あなたが選ぶベストカメラ大 賞」の受 賞製品を発表した。選考対象となったカメラは、2009年4月1日から2010年3月31日までに国内で新発売された199機種。P5220774_3

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>>という嬉しいニュース。それでペン1でヘルシンキを撮ってる。

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例の如く、時差ぼけ。

昨年の今日にアンダルシアで買った、パナマ帽を着用。強風の為に両三度、風に持って行かれそうになる。
快晴の東京の街。水天宮のカメラ店にライカM2を見に行く。

人形町で日本カメラの前田編集長に会って、快生軒にてコーヒーとバタートースト。なにか大正時代の文人の気分だね、と前田編集長と諧謔一番。

小川町高千穂光学にてフィランド取材で使ったペン2の清掃依頼。マウントアダプタをゲットして、持参のコンタレックス用プラナー55MM F1,4をペンデジタル1に着ける。最近のモダンレンズに比較すると、「これが本物の鏡玉」って感覚あり。

銀座に出遊。
スナップショットで遊ぶ。合成焦点距離が110MMで明るさがF1,4っていうレンズは無敵だな。これでムービー撮影したら面白かろう。レモン社に寄って、スキヤカメラに寄る。いつも帰国翌日に寄ること多し。徒歩、かちどき橋を渡って倶楽部エダム。宝を一杯。

そのまま、清澄の魚屋にて、うに、かにつめ、ぶつを買って帰宅。

時差で頭、よく廻らず。

作例はいずれもペン1で、コンタレックス用プラナー55MM F1,4。ところでペンデジタル1の「新品」って今、買えるのかな。P5259943P5259959

2010年5月25日 (火)

ヘルシンキ大周遊 13 中央駅前広場

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飛行時間9時間30分で、ダイレクトにヘルシンキから戻る。成田空港で、2週間前にヘルシンキで会ったデザイナーの遠藤さんに遭遇した。奥様が来日されたのでその出迎えらしい。

もの凄い雨の中をTCATまで戻ってきたが、首都高になってから凄い渋滞だった。2週間ぶりに佃にもどる。ライカインコよろこぶ。

大ガラスの部屋から、空樹の成長を見るのを楽しみにして7500キロ旅してきたのに、雨でまったく見えない。それで先週にサーバーにアップした画像がそのままになっていて、興味を惹いたのがこの、ヘルシンキ中央駅前の光景である。一国の中央駅の広場となれば、そこに雑駁な澱のようなものが存在して、その不純物が言ってみれば大都会の共通な眺めの筈なのだけど、ここヘルシンキの駅前広場にはそれがない。だから全体が著しく「テーマパーク」めいた印象を与えることに関しては、以前に指摘した通りだ。

バスは都バスの2倍の長さのロングボデイのがあって、それが街の眺めの魅力にもなっている。これはスカンジナビアが二度目のあたしとしては、なかなかの観察だと気に入っている。独逸にもフランスにもこの手のバスはなかった。フルストレッチリモよりも、フルストレッチバスの方が都会の格は上なのではないか。

この広場の右の建物はホテルであって、左のは商業ビルだ。さらに画面には入っていないが、クラシックなスタイルの中央郵便局がある。これが丸の内を彷彿とさせるわけだ。商業ビルの1階にモダンなカメラ店があった。品定めをしにいったらデジカメばかり。

かろうじて発見したフィルムカメラは、ニコンS3の再生産モデルとツアイスイコンシナがあったのみで、ちょっと寂しかった。

この駅前広場の30番乗り場からフィンエアのバスに乗って東京に帰ってきたのである。

画像は9-18mmズーム。カメラはペンデジタル1。

2010年5月24日 (月)

ヘルシンキ大周遊 12 まるで80年代のSOHO

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ヘルシンキで活躍のグラフィックデザイナー、遠藤悦郎さんに拝借した資料を返却に、ホテルから徒歩5分のCOMMONに出かけた。日本のデザインクラフトを扱う、北に開いた間口1間半のお店がこじんまりしているが、この手の専門店はイケアみたいに大がかりになってしまうとどうも信用が出来ない。スギモトヒロシのMINGEIだって、80年代にはウエストブロードウエイのマンハッタンボイラーカンパニーの脇の小店であった。

オーナーの中村浩介さんと長崎の話しで盛り上がった。中村さんは長崎市の出身だが、あたしはこの前の11月にペンがらみの仕事で長崎に行って、吉宗で毎晩、茶碗蒸し食べて酒ばかり飲んでた話しをした。
家人の声楽の伴奏者の平島さんも長崎市の出身だし、東松照明さんは長崎だし、長崎には親戚縁者こそいないが、あたしの好きな街である。

中村さんはヘルシンキは長崎に似ているという。確かに三方が海というその地形は酷似している。あたしはヘルシンキのこの界隈はマンハッタンのSOHO界隈のそれも1980年代に似ているという話しを持ち出した。
1983年はSOHOはコムデギャルソンが最初の店をwooster stのgreen stを下った所に出して、マンハッタナーの間で「250ドルもするジャケットを売ってるぞ!」と話題になった。日本円がこれは285円当時の250ドルである。

ヘルシンキ土産に数日前に蚤の市でアーミーナイフを買ったけど、中村さんのお店でカツシカセルロイド製の筆入れを買った。
その交差点を挟んだ斜め向かいの[蓮」(LENS)にランチを食べに行った。なんでもエビちゃんの旦那の姉上の経営するレストランだそうであるが気楽な軽食カフェってのがいい。「外人さん」で満員だった。味は悪くない。すっかり80年代のSOH0に居るようなリラックス気分になった。

2010年5月23日 (日)

ヘルシンキ大周遊 11 ペンはちょっと置いてライカで歩いた

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P5220774_2 写真は滞在先のヘルシンキのホテルで受賞の喜びを語る「オリンパス・ペン E-P1」さん。(代表撮影)

★本日移動日。ヘルシンキ成田。

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撮影に行く場合、デジカメはメーンのペンはちゃんと持参するが、その他に遊び用にライカとか他のフィルムカメラはかならず持参する。
木村伊兵衛名人は旅先でもライカの「素振り」を欠かさなかったそうであるが、そういう高尚な目的ではなく、デジカメは便利であるけど、不思議なことに空シャッターをきるという楽しみがない。
単に「カードを認識できません」というワーニングが出るだけだ。何故、ライカの空シャッターは快感で、デジカメの空シャッターはきる気にもならないのか。この設問はカメラの機械学とか心理学でかなりの重要なポイントになりそうなので、良く考えてみたい。
これから執筆する新しい「ライカの本」(仮題、エイ出版刊)では、クラシックなフィルムライカだけではなく、あたしの未知の領域であるM9にまで足を踏み入れるからである。

それで今回のヘルシンキ滞在(これは思いも掛けない結果)では、「KE-7aではない」という名前のライカ(これはなにかインド哲学めいた言い方だが、新宿のカメラ店にそのような名札で並んでいた)を1台に、レンズはカラーすこぱー21,トプコール50 ヘクトール135の組み合わせだ。撮影にはこの3本を持参しても、ほとど21mmで撮影して、しかもファインダーはつけていない。距離も目測であるからレンジファインダーも使わない。フィルムは10本だけ持参。
ライカのレンズはそのまま、アダプターでペンにつくのは言うまでもないが135mmヘクトールの描写が好きだ。

ところで日本カメラの次号で、「奈良」を撮影した口絵をカラーで載せるのだけど、これは昨年の秋に撮った。カメラはライカM2のブラックにライカビットMP付きであって、これはあたしの20歳の当時の機材のままである。唯一の違いは当時は10万円もして買えなかった、ライツのスーパーアンギュロン21mmである。43年前にはアダプターでニッコール21mmを使っていた。

さて今回のヘルシンキ滞在は好天にも恵まれ、その前の日までペン1と2で大量に撮影していて、いきなりライカに持ち替えたらそのタイムダグのないのに吃驚した。いや、ペン2はもともとタイムラグは少ない方なのだけど、デジカメの原理上、タイムゼロにはならない。われわれのようなスナップシューターには限りなくタイムラグの少ないデジカメがあれば、これはライカにとって変われるのである。これからのペンデジカメの目標もそのあたりにありそうだ。ペン1とペン2と来れば、次はペン3の筈であるが。
 

2010年5月22日 (土)

ヘルシンキ大周遊 10 赤煉瓦

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>>という嬉しいニュース。それで昨日からペン1でヘルシンキを撮ってる。P5220774写真は滞在先のヘルシンキのホテルで受賞の喜びを語る「オリンパス・ペン E-P1」さん。(代表撮影)

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一昨年は「チョートク海を行く」(日本郵船の氷川丸改装記念の千頁本)の撮影で横浜大桟橋に良く行った。叔母が急死して葬儀の日が、氷川丸のお披露目の日だったが、問うまでもない。
写真家は「芸人」であるから横浜に行った。

大桟橋でノスタルジーにかられるのは、その赤煉瓦の倉庫とかオフィスとかであるが、その郷愁の大もとを探ると、これは北ドイツのハーフェンなのである。

まずハンブルクだ。
あそこの倉庫街を撮影に行ったのは1979年であったか。当時はまだ沖仲士が人力で荷を上げていたから、赤煉瓦の保税地区の前にはかならず「荒くれの男達のバー」ってのが、いや、これは文学的な表現で誇張してる思われるかも知れないが、本当にそういう怖いバーがあって、またそういう所で肝試しをするつもりで出入りしたものである。店のおやじもっぱら中国船籍のあやしい貨物船のボースンとバーでは思われていたようだというのは考え過ぎだ。当時のあたしは30になったばかりだから東洋人の下級船員である。
そこではいつも喧嘩があって頭上を麦酒の空き瓶が飛び交うようなバーであった。今思うとあの暴力がまるで金太郎飴のようにどの時間帯でもその切断面に顕れる荒くれ気分はなんとも懐かしい。

そういう倉庫街のキーのカラーが赤煉瓦なのである。その記憶が30数年を経て、前頭葉の奥から取り出されたのであるから、赤煉瓦の存在は地球規模に拡大してハンブルクでも横浜でも良いわけである。

ヘルシンキの中央のバーバーにある、この建物の由来は知らないが、市庁舎の側、今は食品のマーケットになっている。その前にたむろしている男性連は沖仲士業務がもう無いのだから、普通の流通業者さんなのであるのが、ちょっとほろ苦い。

なんでも貨物の船舶でのコストの中で陸揚げと積み込みに要する人件費が半分ほどゆくそうだ。それで海運業は人間一掃し港の主役ををガントリークレーンに変えてしまった。機械式の港には赤煉瓦はやはり似合わないものだと思う。

ペン2で、レンズは9-18MMのワイドサイド。以前、デイスタゴン18MMのコンタレックス用を使ったものだったが、それよりこのレンズは良く映ると思う。

2010年5月21日 (金)

ヘルシンキ大周遊 9 海辺行くひと

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ヘルシンキの市電の4系統というのは、港の突先の正教会のある小島みたいなとこから発して、ヘルシンキ市内を斜めに北西に縦断して、反対側の海辺までつないでいる。路面電車のカバーする範囲としては、その東西の幅は一番長い。これに全部乗っても時間は40分ほどだから、街のサイズは知れている。

その電車の中で向かいに座った若者が話しかけてきたのは「観光か。どうだい、ヘルシンキは小さいだろう」であるのは定番だが、その答えは「そう、その通りだ。小さな街で退屈だね」などとはあたしは言わない。「小さいから面白いんだ」というとことから会話が始まった。

その青年は15年前にレニングラードからこっちに来たというのである。偉そうに言っているが今の彼をおおよそ、22歳と推測すれば、7歳の時にこっちに来たのだから別にこれはその青年の手柄ではない。
しかしそれはその青年の運命には違いない。手柄より運命の方がずっと上のカテゴリーに属するのは言うまでもなし。

なんでもフィンランドとロシアの両方のビザを持っているので旅行などでは、とても便利なんだだという。
実際、そういう二つのパスポートは西側と東側に頻繁に旅する人間ならこれはもうほとんど無敵である。自分の都合の良い方の旅券を出せば良い。

今度、日本に陸路で行きたいなどと、まるで、辻潤みたいなことを言う。日本のビザはどうだというので、あたしゃ日本のビザはとったことはないが、東京のモスクワ領事部でロシアの観光ビザでなら苦労している、日本人が殺到して身動きがとれないんだ、と言ったら笑っていた。

その若い衆は途中で降りて、4番の北西の終点に来たら、目の前がグレーな海で桟橋は壊れかけていて、実によい感じだった。
寂れたカフェがあって、濃いピンクの色合いの八重桜が満開だった。そこを歩行する通行人もこの上なく、完璧なエキストラさんなのである。

ウイーンで映画の仕事をしていたときには、エキストラさんとお付き合いがあったが初心者のエキストラさんは自分を表現しようとして、主演を喰ってしまうのである。これではぶちこわしだ。エクストラの本物になるのは、主演の本物になるより難しい。その点、ここに登場する女性二人は実に年期がはいっている。素晴らしい。

中年か、あるいは老年の二人の女性がこの場にぴったりなのは、これが若い男女だと恋愛ドラマの途中になってしまうし、男女の年齢差があると、家庭内問題を語り会うとか、不倫関係に見えて底が浅くなる。この二人の通行人はその点でも完璧だ。本当は職場の上司の悪口を言ってるのかも知れないが、見かけは人生を行くひとに見える。

もう一つ、指摘したいのは、この北欧のグレーの海である。オリンパスの作例にはまったく使えないが、あたしの海のグレーのトーンスケールはこのような18㌫の反射率が好みである。

撮影はペンデジタル2で、9-18ミリである。最初の海の真正面に写っているのが9MMで二人の後姿は18ミリだ。写真としては、上の方が好き。これはライカで35MMの撮影感覚なのだ。

2010年5月20日 (木)

ヘルシンキ大周遊 8 からすあたま

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ヘルシンキのメトロは「囚人服」のブライトオレンジだ。すべてが中間色でゆったりした町並みで、この電車だけが目立つ色合いというのは分からないが、まあその関係のお役人が決めたのか。それともコンペか。

路線は1本でその東の端は二股に分かれている単純路線で、ベルリンのように「メトロに目くらめっぽうに乗ってクロイツベルクの奥に隠れ棲む」とか「オスロワーストラーセとジーメンスシュタットの間でお百度を踏む」なんていう芸は出来ない。ただ行ったり来たりするだけだ。

しかし感心したのは、その駅名の表記がフィン語と瑞典語のふたつである点だ。それも似ているのではなく、最初の文字からまったく関係ないアルファベットであったりするので、最初は1本メトロなのに道に迷ったと嬉しくなった。

この黒枠で囲んだ駅名のフィン語「からすあたま」などは日本語の発音に似ているかどうかは知らないけど、たしかにそう読める。その瑞典語が「ふぃすかむねん」とか言って、まったく無関係の顔をしているのも良い感じだ。

「コキュの嘆き」のむさうあんが、かみさんのベルギーの公演をおっかけて、パリから列車の切符を買う時、その目的地はゲントだったか、どこだか失念したが、そのフランス語がラユーというので、駅の集札でとっさにその言葉がでなくて焦ったという話しは大正の昔である。

素人から見ると、まったく異なる駅名がふたつ、ひとつの駅に付いているのは優雅だな。

もうひとつの感心事は、この先史時代を真似た、メトロの連絡通路である。石川直樹が出て来そうだ。P5159712
 

2010年5月19日 (水)

ヘルシンキ大周遊 7 市庁舎とフェリー

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遠藤悦郎さんというのは、当地で活躍するグラフィックデザイナーだが、不思議な縁で(この2月のヘルシンキ経由でリスボンから戻った時、フィンエアの隣の席だった人が遠藤さんの友人)このたびの、火山灰難民のあたしに、いろいろヘルシンキ指南をしてくれたのである。その遠藤さんはその翌日に日本に一時帰国するというのに貴重な時間を割いてクルマで市内を案内してくれた。

これが最初のヘルシンキとの遭遇であったのだが、その1週間前の記憶を今、発掘して見ると、まずスカンジナビア通いのフェリーが実に巨大にクルマの中から見えたことであった。その直後に案内されたのが、水辺の市庁舎なのであるが、非常に奇態に感じたのは、例えばハンザ都市などでは市庁舎はグロテスクなほどに巨大建物であるのに対して、ヘルシンキはそれが実に3階建ての小柄なものなのである。市庁舎がその街の風景の象徴であるとするならば、この小型な建物は決して見劣りのするようなことはなくて、逆にある種の良い感じを与えたのである。

フェリーの方が市庁舎より巨大。

このことがどうもヘルシンキの最初の印象をして残っていたので、実際にホテルからすぐ側のフェリーを見てそれから市庁舎を見たら果たしてそうであった。

前にNYKの船の1000頁の本を出したこともあり、巨大な船舶はかなり見慣れている筈だが、このフェリーもかなりの大きさである。以前その本の中で自宅の37fから見た「飛鳥」の出港風景を「まるで巨大なビルが動くようだ」と書いたのだけど、こうして比較してみると、ヘルシンキにはタワービルはオリンピックスタジアムの先頭と、最近できた教会。それと東の地下鉄の終点にあるタワーマンションくらいが頭に浮かぶ。

旧市街とハーバー界隈では、どうもこのフェリーが一番高い「移動建築」というのも面白い。佐藤明さんの「北欧シリーズ」のまねっこで、また色温度をシフトさせてみた。手前のかもめは、合成ではないぞ。

2010年5月18日 (火)

ヘルシンキ大周遊 6 岩盤都市

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ヘルシンキは岩盤の上に建った街だという。

ゆえに地震はないらしい。しかも街は欧州の他の都会に比較して格段に新しい。荷風は親戚の葬式で当時の田園調布が出来たばかりでその「新開地」に行ったことを記しているが、まず極東の田園調布よりもちょっと古いというのがヘルシンキなのである。

キャッチコピーが「北欧の田園調布」というのは極東人民の考えつくことで、残念ながらヘルシンキの人民は「秋葉原」は知っているかも知れないが、田園云々は知らないからこれは使えない。

ヘルシンキの中心部の市庁舎と大統領官邸とその前の水辺が、ハウステンボスに似ていると気が付いたのは大発見であった。その共通点というのは他でもない。ヘルシンキが極めて「テーマパーク」っぽい感じを与える街であるからだ。

通常の欧州の街だと、そこに感じられる一環しているデザインは、「歴史の時間経過の手が勝手な重層化でこういう街を結果としてつくってしまった」という点にあるのに対して、ヘルシンキは「最初に計画ありき」の感がある。

だから街のど真ん中にセントラルパークがあったりするのもマンハッタンに似ているし、極めて人工的な美学を感じる都会だ。

それをさらに助長しているのが、冒頭に書いた「岩の上に構築された街」という点だ。セントラルパークのサウスで、巨大な岩山があってその上で日光浴してる人を見かけたりするが、まさにあれである。あまりにも岩山の感じがマンハッタンに似ているのに驚いた。さらに地下鉄というのは「ただ、単に岩山をくりぬいただけ」であるという。たしかにメトロに降りて行く時に、単に岩盤に塗装をしてあるだけなのを面白く思った。

2010年5月17日 (月)

ヘルシンキ大周遊 5 ノースポイントに行く

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プラハでもベルリンでもマンハッタンでもそうであったが、メトロや市電や市バスに乗って終点まで行くのが趣味である。思うに人生の終点は行ったらそこから引き返しが出来ないが、交通手段なら可能だからこれは人生の終点を疑似体験するような遊びらしい。
それはそれで問題なしだが、今、火山灰難民でヘルシンキに居るのは不幸中の幸いとは言え、成田でパリ行きのJALのアナウンスでは「着陸できない場合には成田に引き返す」と脅かしていた。実際、この4月のアムステルダム行では、途中から引き返した便があったのだから穏やかではない。

さて、市内から一番北西の果てに行くのがヘルシンキの市電の6番というやつだ。面白いのはその終点がそのような場所であるのか、実際に行くまでまったく想像がつかなかった。これは当たり前のことだが、GOOGLEのストリートビューで最初に見てしまうのは、これは手品の種明かしのようなものだから、やはりそういう場所は見ない方が良いのである。
6番の終点は赤い煉瓦造りの工場があって、それはあたし好みなのであるが、同時に集合住宅がかなり良い味を出している。しかも斜光が強くて、広場には誰もいないと思ったら車いすの男性と立っている女性が点景人物になっていて、他はまったくの無人でそこに緑色の市電がやってきて、ループ状の線路を巡ってまたもとの方向に戻って行くなどは、全体が一種の鉄道模型めいていて、なんとも良い感じだ。

その地名は忘れたので、ここでは「ノースポイント」としておく。あたしはヘルシンキ路地裏探検家だからそれで良いわけだ。

2010年5月16日 (日)

ヘルシンキ大周遊 4 ペンペン@ヘルシンキ

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1970年代に北欧を撮影したのは、亡くなった佐藤明さんだった。当時の北欧というのは、まだ貧しかった日本の若者が陸路、ようやくそこまで到達して「皿洗い」をして立身出世を目指す最初のポイントと見なされていた。
フリーセックスの国というような、およそ「逆マルコポーロ現象」とでも言える風説がリアルであったのもこの時代だ。

佐藤明さんの「白夜」のシリーズは、当時のまだ欧州の遠かった日本の人間に一種の憧憬を与えたのだ。太陽が沈まないとはどういうことであるのかと不思議に思った。佐藤明さんの作品はタングステンランプ用のカラーフィルムで撮影して、わざとブルー系にシフトさせるのである。

その佐藤流の白夜テクニックのまねごとでもしてみようと、ペンデジタルのホワイトバランスをわざと崩して、ヘルシンキ中央駅を撮影しようと快晴の朝に出かけて行ったら、眼前にオリンパスペンデジタルの広告があった。ええと、この場合の出会いは「地獄に仏」ではない。「友遠方より来たる」でもないし、やはり「ヘルシンキでペンペン」となるのであろう。

このポスターの女性というのが、フィンランドのみやざきあおいのような、スオミの有名人なのであろうか。それは分からないが、何かオリンパスペンデジタルに吃驚しているような表情だ。

その先にある、コンテナの箱は良く見ないでその前を通過したのだが、脇から観察すると「カメラオブスクラ」と読める。そのコンテナの箱のドアが開いていて、数人の若い男女がなにか書類を見ていたのだが、あまり注意はしていなかった。

また明日にでも様子を見に行こう。
写真術の黎明期のカメラオブスクラがあって、その前に、写真術の最先端のペンペンがあるというのも、今回のあたし、火山灰難民の未知との遭遇である。

撮影はペンデジタル2 9-18MM

2010年5月15日 (土)

ヘルシンキ大周遊 3 PAPAs Cafe

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ヘルシンキは新都市計画で古い町のセクションの西側の Toolo (oの部分には上にチョン、チョンがつく)は20世紀初めには都市計画がなされたが、まだ建物は出来ていなかった。当時の人口は10万というから田舎町にもならない。ウイーンは170万人を超えていたし、プラハも同じ大きさであった。あたしの投宿しているホテルの一角〔アンナ通り)の向かいの煉瓦造りの建物には1931の文字が読める。プラハのあたしのアトリエと同じ時期だから、この界隈の街は古い。

この西のブロックは本来の中心地の東のブロックと、ちょうど紙幣を重ねたのをちょっとずらしたような感じに接していて、そのことが街を退屈から救っている。これが北京とか京都のようにあくまで正方形の街の構造だったら、あたしなどは退屈したであろう。一昨年の西安訪問でも行けども行けども正方形な碁盤の目の街にいささか退屈していた。

その西ブロックの通りを終点まで歩いたら、そこで道がなくなってその先は水辺である。ここはポルトガルの模型めいている。「知果て海始まる」などはこれもテーマパークめいている。

ここに、カフェ・ヘミングウエイとは世界中にある、俗なカフェの名前の最右翼だが、まあ、ハードロックカフェに比較すれば許せる。

その西側の新市街にもこういうのがあった。40歳の時、ちょうどミシガン州が建国150年とかで、プレスツアーでミシガンをミシガン人よりも多く旅したことがある。ミシガンの一帯は弘法大師が日本中で錫杖をついて温泉を出したのと同じように、そこら中の湖にパパが釣り糸をたれた名所があり、そこら中のバーにパパの定席だったスツールがあって真鍮のプレートがついている。どこまで本当かちょっと分からないけど、観光局の人がそのスツールに座ってみろと言われ、ショットガンで自殺はしたくないので遠慮した記憶も懐かしい。

20年前、日本の男性雑誌は毎月、どこかの雑誌が「パパ特集」をやってたものだが、それもキューバのボートの船長が亡くなって以来、ようやく終息したようだ。それでこういう看板をヘルシンキで見ると、つくづく80年代を感じてそぞろ回顧気分になるわけである。

 

2010年5月14日 (金)

ヘルシンキ大周遊 2 かもめの皆さん 艸艸

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★ヘルシンキ路地裏調査中に、720万頁ビューを達成しました。どうもありがとうございます!

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1970年代の半ばにウイーンに居た当時は、「いぱっど」などなかったし、活字は印刷されたものしかなかったのは当然だ。
新潮の矢野さんが電子書籍というのは過去を引きずっているから「BOOK」などが適当な今後の呼称ではないかとTWITTERしていた。
まことにその通りで、今回は電子メールのおかげで1970年代に当時に音楽留学した友人Kの消息が分かったのだが、これを電子メールというのも、いかにも
NHKめいていて「マイカーによる家族ずれ」と同様に退屈である。これはメールで良いのでしょうね、と矢野さんにツイットしたら、「手紙というのも、紙が付属している」というお返事あり。
そういうやりとりは、普段東京とかプラハでは矢野さんと普通にしているのだが、処女地(とはおおげさながら)のヘルシンキとでやりとりするとなにかそこに「かれわら」を感じたりする。(言葉が見つからん)

さて、70年代には日本語の活字に飢えていて、一種、日本人在住者の間で「巡回文庫」めいたのがあった。あたしはかなり変わった本の愛好家だから、その間に出会った決定的なタイトルは足穂の「弥勒」であって、20代に足穂に出会ったのは実に人生の方向を決定することになった。
そういう本の山の中に「かもめのジョナサン」があって、これは当時、ベストセラーでこれも手元に廻ってきたが、アメリカの三流の自己啓発本なのですぐに放り投げた。ただしそのタイトルが気に入って、ドナウ運河に遊びに来るかもめ(極東の都鳥)に「かもめの皆さん」と名前を付けて楽しんだりした。

フィンエアの機内誌で見つけた「かもめ食堂」には興味はないが、かもめの皆さんには興味がある。そのカモメの皆さんのうちの一羽が、ホテルの真向かいの建物の真上に定期的に飛来して周囲の風景を楽しんでいるようなので、ペンデジタル2に、持参したズームでは長さが足りないので、ノボフレックスのテレクスナー135MMを付けて撮影した。
顔もなかなか良いが、飛び立つ瞬間は実に空気の布団に体を投げかけるようなスタイルになる。
「同行二人」のライカインコも感心しておった。

2010年5月13日 (木)

ヘルシンキ大周遊 初日 艸艸

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2010年5月11日。ヘルシンキ。
トランジットの空港ホテルからシャトルバスにて、空港。フィンエアのチケットオフィスは昨日はあたしの待ち札番号は266番であったのに、待ち時間ゼロ。ヘルシンキ以遠をキャンセルして、ヘルシンキ滞在とする。カウンターの女性が、東京便はもっと前倒しにしないでいいのかと聞いてきたが、とんでもない話しだ。
アイスランドの火山灰は、あたしをヘルシンキに呼んでくれたわけだ。

615Tという、中央駅に各駅で停まる公共交通のバス(フィンエアのシテイバスより2.9ユーロ安い4ユーロに乗る。針葉樹帯。時々集合住宅が現れて通勤客が乗ってくる。
40分で中央駅到着。ユーゲントシュテイルがそのまま駅になったようなファサードで欧州の駅の中では格段に良い。これだけでも拾いモノをした感じ。ベルリンのzooのように、駅は荒れ果てていて怪しい奴がいるのが、巨大駅の特徴だが、ヘルシンキ中央駅が駅舎が存在学に肉薄しているので、そういうマイナスイメージを払拭している。
最初にバスから降りた時には、これが駅とは思えなかった。
荷物を転がして、駅から南に10分ほど、のHotei Annaに投宿。

建築がかなり面白い。
第一印象はまず北ドイツだな。レニングラードにも似ているが、ここにはネバ河がない。ベルリンのクーダムのカフェクランツに似ているガラスの建物が駅のそばにある。建物上の「ハイヒールのネオン」がいい。靴屋だろうか。それならプラハにも似た建物がある。
建築の専門家ではないが、建築好きのあたしにとって、初日のヘルシンキは及第点である。

2010年5月12日 (水)

初ヘルシンキ

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フィンエアがヘルシンキ空港にアプローチした時は雲が深かった。この前にここに着陸したのが2月だからあれから3け月経過して雪がないのは当然だが、飛行ルートはモスクワよりずっと北を飛んだので、下は氷の世界が延々と続いていた。

リスボン行きのゲートで、天候調査で30分待たされた後、「リスボン空港閉鎖」とのことで飛行はキャンセル。手荷物の受け取りで、例によってあたしの荷物が出てこない。遺失のレポートをつくってもらい、最後にベルトに行ってもう一度見たら、あたしの荷物だけが廻っていた。こういうことは良くある。
振り替えの為のフィンエアのチケットオフィスは大混雑で何時、順番が回ってくるとも知れずなので、それは明日に延ばしてシャトルバスでホテルに行く。
部屋に入って何を思いだしたかと言うと、1973年の5月7日にモスクワの赤の広場の近くの、ホテルメロとポールに投宿した時の部屋の光と窓の外の風景が浮上してきたのが意外だった。
別に部屋の内部が似ているわけではないが、窓からの光がロシアの続きなのである。ここ、ヘルシンキからサンクトペテルブルグも近いし、戸外の光は今の自分には「極東」が基本だからそんな印象を持ったのであろう。

一方でデスクの上のよっくもっくと雑品のありさまは相変わらずの旅の途中の状況だ。
朝になったら空港に行ってリスボン行を予約するか、あるいはプラハに行くか、それともここでストップオーバーして、初ヘルシンキを体験するか決める。Img_0353

2010年5月11日 (火)

リスボン行きの「冒険」ライカと「冒険」交換レンズ

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昔はライカには35ミリのズミクロン1本だけあれば良かった。ウイーン時代などはそれでモノクロを撮っていたのである。まだ8枚珠などと話題になる前の時代であって、ライカM4が登場した当時も、M4の型録表紙のレンズにはその35ミリがついていた。
ようするに、35ミリレンズはそれしかなかったのである。
時代がくだってあのレンズでカラーを撮影するのは避けるというのは常識だった。レンズのガラスのせいか、それとも他の要素か知らないけど、ズミクロンの8枚珠は黄色くなったのが多い。それが最近ではカラーネガで撮影してデジタルイメージで扱うようになったので、色味はちゃんと補正が出来る。だからかなり色の変なレンズでも結果としてちゃんと写るようになった。

今回のテーマはズミクロン8枚珠の色味の話しではなかった。リスボンに持って行くライカとレンズの話しである。
デジカメの方はペンデジタル1と2。レンズはズーム2本とパンケーキ。それにライカMアダプターとGRD3だから簡単だ。あ、それといふぉん。

一方でライカの方はこれは玩具なのである。
だから何度も考えてたあげく「KE7Aではない」にした。この話しは今月20日発売の日本カメラの連載で書いているのでここには書かない。
さて、選ぶべきレンズだ。

1971年当時、ライカM5の型録では、揃えるべき交換レンズの組み合わせのセットをたしか5種類ほどあげていた。要するに目的別のレンズのセットを揃えて。レンズを沢山買ってもらおうという戦略である。
その組み合わせはほとんど忘れてしまったが、唯一記憶しているのが「冒険セット」なのである。つまり「あらゆる冒険的な環境での撮影に向く」とあって、それらは21ミリ、50ミリ、135ミリであった。リスボンは別に冒険の現場ではないが、冒険の気分だけは大事にしょうと思って今回はその組み合わせにした。
ただしこの画像にあるカメラは実際に持参するライカだけど、レンズの方はすでにパックしてしまって出すのが面倒なので、他のレンズを置いて撮影。
実際に持参するのは、カラー巣コパー21、カラー巣コパー50,それとエルマー135だ。

2010年5月10日 (月)

東華菜館の楼上

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★お知らせ
「田中長徳PEN の本 2」発売記念 田中長徳写真展@オリンパスギャラリー大阪
「PEN PEN チョートクカメラ日記 in リスボン」
大阪:2010年4月30日(金)・5月6日(木)~5月19日(水)開催。
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本日。移動日。成田 ヘルシンキ リスボン。
 

東華菜館のファサードは鴨川四条のランドマークだ。川向こうのアサヒビールのドイツ表現派めいた建物もいいが、四条通りから仰ぎ見るこの建物のファサードは一級である。だから凄い高級店だと何十年来思っていた。これは経済感覚の完璧な京都人もそうであるらしい。

ところが十数年前のこと、一夕、あたしと京都の友人連数人でこの高楼の角のバルコニーで宴を張った。想像外に安価でなかなか食える飯店であることが分かったからであった。それは初夏の夕暮れのことだった。興が昂じて「どうだい、今日からちょうど10年後にここでまた再会しようじゃないか」ということになった。その時はそれで10年後にちゃんと会うつもりであったのだけど、人生はなかなかそうは行くものではない。その一夕から十年とちょっと経過した時に、たまたま京都の西陣の古い友人の家を訪問した時に、くだんの「10年前の約束」のことが持ち出された。でも10年は瞬く間に過ぎてその約束を果たすどころではなかった。

以来、この東華菜館の階上には一人で行くことに決めている。窓を開け放した6階から河面を眺めると、1981年に初めて訪問した広州の南方大夏というクラシックビルの高楼にあった食堂を思い出すのだ。その広州の記憶も、今は単に記憶だけになった。その珠江に面したクラシックビルは全部がグラスウオールのスカイスクレーパーになってしまったからだ。だから東華菜館の階上は、30年近く前の広州を思い出すよすがなのである。どうにもこうにも、そういう具合に過去を回顧ばかりしているのは健康なことだとも思えないのだが。

この東華菜館のレストランのオーチス製蛇腹のエレベータはいい。この歴史的エレベーターは数年前にオーチスジャパンのカレンダーにもなった。他には横浜のニューグランドのエレベータもカレンダーになっていた。他はどこであったか。もとのライカの代理店シュミット商会があった5階建てだかのビルが神田室町にあった。そこのエレベータもオーチスの蛇腹の真鍮のドアであって、その2階にあったバーにも良く行ったけど、階段は使わずにわざとクラシックなエレベータを使った。その建物が取り壊されたのは10年ほど前のことである。

2010年5月 9日 (日)

魚肉ソーセージのグッドデザイン

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★★大阪オリンパスギャラリートーク満員御礼!ありがとうございました!!

「田中長徳PEN の本 2」発売記念 田中長徳写真展@オリンパスギャラリー大阪
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大阪:2010年4月30日(金)・5月6日(木)~5月19日(水)開催。

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外国に到着すると飛行機の都合で大抵が深夜である。酒は途中の免税で仕入れてあるが、酒のあてはない。それで大事な任務は日本を出撃する前に安価なさけのつまみを買っておくことだ。

さしあたり魚肉ソーセージなどは恰好のつまみである。われらの世代は戦後の第一次の学校給食時代だから、家人と「魚肉ソーセージは非常においしい食品に思えた」の一点で意見が一致している。世の中の離婚の原因は価値感の違いとか世界観の違いにあるようだがその意味で、魚肉ソーセージを共通の価値感として持っているのですでに結婚39年をやってこれたのであろう。

魚肉ソーセージは家人の新潟の隣家の元大学の教授のお宅のインコのごんちゃんも大好きであってすでに齢15年を超えている。小さな生き物が長生きするのだから、恐らくからだに悪いものははいっていないのであろう。

そういうわけで、酒のあての魚肉ソーセージはお馴染みだが、旅先のホテルで旅に持参の時計とかスペースペンとかミノックスとかと並べてみるとそのデザインにしびれる。最高の「工業デザイン」と言えようか。

フリードリヒスハーフェンで1900年、湖の上に浮かんだ、グラーフツエッペリンにも似ているし。そう言えば、あそこには同名のホテルがあったな、飛行船ゆかりの品々が並んでいたが、どういう関係でそこに自分が居たのか、思い出せない。この前、フリードリヒスハーフェンに行ったのは2001,09,11の当日であったが、そのホテルの記憶はそれよりずっと前のことなのだ。

2010年5月 8日 (土)

モンブランの新デザインのインキボトル

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★大阪オリンパスギャラリートーク満員御礼!ありがとうございました!!

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大阪:2010年4月30日(金)・5月6日(木)~5月19日(水)開催。

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行きつけの板橋は大原の「浜出屋」のおねえちゃんは、万年筆ファンである。愛読しているのは、えい出版の「万年筆ムック」である。この間、おねえちゃんは「モンブランのインキのつぼのスタイルが新しくなりました」と言っていた。そのムックを編集しているのは、えい出版の清水編集長なのである。その翌週に清水さんにライカ本の打ち合わせで会った時に、そのモンブランのインキ瓶のことが話題になった。

そのきっかけは、昨年の6月の引っ越しの時にそのモンブランのインキを見失ってしまったと言う話しをしたのであった。翌日、佃に清水さんから新しい文具のムックとその新モンブランのインキ瓶のデザインの頁にポストイットのついたのと、さらにそのインキの本物(っていう言い方は変だけど)が届いた。

こういう親切は実に有り難い。
しかしそのムックの頁を子細に見ても、自分には新デザインが旧デザインとどこが異なるのか、明確に示すことが出来なかったのである。ようするに、カメラのデザインに関しては一応、一家言を持っているようなふりをしているけど、インキ瓶に関してはまったくの素人があたしなのだ。
その贈り物には、清水編集長のペンで書いたレターも添えてあったので、そのまま隠匿してしまうのは惜しいような気分になって、いふぉんで撮影したのがこの画像だ。

最も家人の父上の遺愛のモンブランだが、これで原稿を書くということはないから、いただいた新ボトルのインキもそのままでまだ注入していない。月曜、リスボンに行きの前に完了すべきことの一項目だ。

 

2010年5月 7日 (金)

ライカM3とリスボンの敷石

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「田中長徳PEN の本 2」発売記念 田中長徳写真展@オリンパスギャラリー大阪
「PEN PEN チョートクカメラ日記 in リスボン」
大阪:2010年4月30日(金)・5月6日(木)~5月19日(水)開催。

東京に引き 続きトークショーを開催します。
日程:5月8日(土)11:00~/14:00~(参加無料)
会場:オリンパスギャラリー大阪
お 問い合せ:TEL 06-6535-7911

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十数年前、個人カメラ雑誌「カメラジャーナル」をやっていた当時、やはりライカM3を取り上げるのでその表紙を撮影したことがあった。その当時はまだデジカメではないから、ストロボでちゃんとライトを廻して撮影したが、そのライカのフォルムの美麗さにはほれぼれしたことがあった。ルネサンス時期の薔薇のリトグラフ(の複製)をバックに置いたら、ライカはルネサンス時代の銘品ではと怪しまれるよどの存在感だった。
日本の男性ファッション誌 「UOMO」の8月号で 「写真とカメラの特集」をすることになり、歴史的なスナップショットに登場する名機の選定を依頼された。カメラを選択して、それにコメントをつけるだけのつもりでいたら、編集部が写真も撮ってもらいたいという。最初はあたしの選んだ5機種の全部を持っているカメラ店を紹介してほしいというリクエストであったが、中にはハッセルブラッド1600Fなども含まれるので、あたしの選択した5機種を全部持っている中古かめら店は日本にはないかも知れない。それであたしは中古かめらや店ではないが、それらは手元にあるからついでに撮影することにした。

もっとも、切り抜きの白バックというリクエストだから、単に窓辺にかめらを置いてそれをペン2で撮影するだけの話しだ。実に簡単。撮影はペン2にレンズは普通のズーム。
昔、こういう撮影にはスタジオだと、カメラの角度を固定するために発泡スチロールの小片を沢山用意したものだったが、最近ではその発泡スチロールなる物質は、築地の場内には見かけるが、うちにはないようである。それで代用としてリスボンの敷石を使うことにした。そのサイズが大きいのであまり感心しなかったが、実際に画像が上がって見ると、その石の肌合いが淡いバラ色でなかなかいい感じなので、何か拾いものをした気分になった。

リスボンの敷石は訪問時に一個だけ持ってかえるというのが、自分のやりかただ。何の理由もない。あまりに沢山の敷石をリスボンから極東に運んでしまうと、地球の地軸に影響が出るかも知れないからだ。いや、本当に心配しているのである。
 

2010年5月 6日 (木)

デジタル画像保管の諸問題

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自分のデジカメの歴史で今のデジカメと同じスタンスというか、今のデジカメがそれ以前のデジカメの進化の延長上に確実に存在すると思えるのは、2001年の9月以来のことだ。なぜか?
それ以前のデジカメというのは「動く物体」は撮影することがほとんど不可能なほどにそのレスポンスが遅いカメラであったからだ。それがナインイレブンのあの時以来、デジカメはちゃんと動くモチーフが撮影できるようになった。ただ、当時と今とではそのメモリのサイズには天地の差がある。今、こういうことを書くと誰も信用しないのであるが、当時は最大のSDメモリはなんと64mbしかなかった。
パナソニックのルミックスLC5の撮影では、ジャケットの左の胸のポケットに山のようにその64mbのメモリを入れ、撮影したカードは右の胸ポケットに移動させた。時代がくだって、エプソンRD-1のプロトタイプの撮影では、メモリは最大が500MBになっていた。それに吃驚したのも過去の話で、最近では1GBが700円で買える。
しばらく前はあれは何というのか、イメージを蓄えるHDのデバイスを使っていたが、SDメモリが16GBとか32GBとかいきなり大容量になると、価格から考えても撮影したすべての画像をそういうデバイスに格納するのは割に合わない。それより撮影したSDメモリにそのまま入れておいて、必要なのはオンラインのサーバーにコピーした方が理にかなっている。HDのデバイスはそれがクラッシュすればそれまでだが、オンラインなら東京でもプラハでも画像にアクセスできる。
そこで問題になるのは、この切手みたいなSDカードをどう保管するかだ。市販のその手のケースをよく調べたわけではないが、どうも使いにくそうだ。結局、この2月にリスボンで掏摸に合って、新しいパスケースを例の「リスボンの見えないカメラ店」の近くの公園の蚤の市で、買った時、おまけでもらったのがこの「牛乳パック」の小銭入れなのだ。小銭を入れるには合わないけど、これが10枚ほどのSD
メモリ入れにはぴったりである。

2010年5月 5日 (水)

ライカに21mmでノーファインダー

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21ミリレンズは一番長い間使っているが、少年の時には石元泰博さんのスーパーアンギュロン21ミリに憧れていた。石元さんは21ミリのファインダーを付けないのである。高梨豊さんもそうであった。これは高価なファインダーを路上でなくさない為の方便ではない。50ミリのライカのファインダーで構図を設定して、さらにその周囲の画像を入れ込んでやるとなかなかにダイナミックな画像が撮れる。そういうことを石元先生がカメラ雑誌に書いていた。

あたしの場合にはその21ミリのファインダーを世界じゅうの路上になくしているのである。その数は半ダースに近い。世界じゅうで21ミリファインダーを路上に落とすというそのテーマはすでにフィギュア作家ささきじゅんいちが立体化している。これは世界の路上の石畳の異なる石組のパターンを四分割してその中心にクロームの21MMライツ製ファインダーが落ちているのである。

作例は都心の常盤橋界隈での撮影。カメラは70万代のライカM3だ。ここが過去40年来で一番変わっていない風景である。レンズはスーパー庵牛ロン21ミリではない。これは小型軽量なカラー素コパー21ミリなのだ。CDの焼きは品川区二葉のフラッシュに頼んだ。機械はノーリツであるがトーンがゆるやかなのが良い。なにか昔の「ニューカラーのCプリント」みたいな感じだ。

2010年5月 4日 (火)

63歳のヘクトール135mm

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ライカは人気なのに、交換レンズは35ミリや50ミリとまりで、90mmは人気がないし、その上の135ミリに至ってはさらに人気がない。そういうライツの銘砡が中古カメラ店だと1カメラ円以下で売られていてだれも顧みようとしない。

レンズを重さで買うわけではないが、広角レンズより望遠レンズの方がそれは材料も沢山使って有るし、原材料費は高いと思うのだ。

そういう1本のレンズを買った。あたしの生まれた年に生産された、ヘクトール135ミリである。1947年と言えば昭和22年で当時の月刊誌の「新潮」などは印刷用紙の割り当てが激減して,ぺらぺらな雑誌となり、斎藤十一編集長がその薄い雑誌を刊行せねばならなくて太宰先生の力作が一月先送りになったこと弁解している。そういうお詫びが後記に載っているのであって、当時いかに用紙が不足していたかが分かる。実にモノがなったくない時代であった。

当時の日本製のカメラはまだニコンやキヤノンのレンジファンダーがようやく出来たという段階で交換レンズどこではなかったが、一方でライツのレンズは、これは同じ敗戦国でありながら実に堂々とした造りでその仕上げも実に素晴らしい。

面白半分で買ったレンズだが撮影したら実に素晴らしのでかなりライツの135ミリレンズを再認識した。ブラックペイントがメインでそこに距離あわせのリングだけが上質なクローム仕上げなのだ。

戦争写真では135ミリは重要だ。沢田のピューリッツアー賞受賞作品「安全への逃避」は135ミリの作品だし、DDダンカンが朝鮮戦争に持参したのも、50ミリと135ミリだった。ダンカンは神話では85ミリを絶賛したことになっているが、実際にニコンから借り出して戦線に持参したのは、50ミリと135ミリだった。手練の戦争写真家は、使うレンズが分かっていたのである。

135ミリは遠距離でありながら、細かいデテイルを描写するには好適なレンズだ。この作例のように人物と背景がバランス良く撮れる。ただし、かのブレッソンの場合には、撮影旅行でも最初に持って行った135mmが重いというので旅先から郵便で送り返してきたそうだ。Photo_3

 

2010年5月 3日 (月)

ペンペン系女子

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スイスは自分には存在しないも同様な国だった。カメラとか時計とかはスイス製は売るほど持っているのに、スイスには10数年に一度しか行かない。それが風向きが変わって、2010年には1月と3月に時計の取材で二度も行ったのである。一月置きに行ったのだからあたしとしては新機軸だ。

あれは昨年であったが、故あって日本ペンペンクラブを立ち上げた前後に知り合ったのが、この時計女子である。時計の雑誌がカバーする分野は完全に機械式のそれがメーンであるからその区分けからすると、デジカメなどはどっちかと言えば、クオーツ時計に近いものなのだけど、このペンペン女子のペンに対する感覚はなかなかだと思った。
それで1月のジュネーブと3月のバーゼルでその時計BEGINのお手伝いをしたのである。
思うにデジカメをファッションとして「着こなす」のは実はなかなかに困難な技であって、コンパクトデジカメだとバッグに入れてしまうから、外見から見たらカメラは持っていないのと同じことである。
そうなると、やはり体からぶら下げるデジカメがファッション性がぐっと増加してくるわけだが、ここらが男子と女子のカメラに対する認識の基本的に異なるところだ。
このカットはバーゼルから「チャーチルさんの愛したスイス製の食堂車」に乗ってのプレスツアーでスイス国鉄の時計を造っているメーカーに見学に行った時のショットだ。

スイス国鉄のカラーはもともとはレッドであって、70年代のスイス鉄道の車掌さんはやたら長いストラップの真っ赤な革の鞄をぶらさげていたものであった。ペンペン女子もその伝統というわけでもなかろうが、真っ赤なコートで背景の赤列車が一種の保護色になっている。
思うに、真っ黒いでっかいデジタルSLRというのは、ファッション性からはもっとも極北に存在するから、そういうカメラだと単に「デジカメ一眼をもってる人」という認識しかこっちの記憶には残らない。その意味からもまずこの人は「ペンペン上手」と言えよう。

一方、まったく同じ場所でペンペン女子が撮影してくれたのが、このペンペン老人のショットである。人間というものは長年生活していると「やれて」くるのは仕方ないとしても、この目付きはなにか「下駄泥棒」みたいだ。

あ、スイスには下駄はないか。この後、激務でほとんど終電車でホテルに戻った。その時にペン2のEVFを紛失したのだった。
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2010年5月 2日 (日)

GRDすとーりー@讀賣新聞

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この前、大阪の讀賣新聞の記者さんが取材にきた。銀座のリコーリングキューブで取材をしてリコーの紳士連にインタビューしたそうで翌日はヒルズのあたしのところに話を聞きにきた。

その話はすぐに終わったのだけど、記者さんは実はあたしとライカの話をしにきたというのである。それは大歓迎だからGRDの話のあとに、もっぱらライカ談義になった。上の記事をその後、送ってくれたのだがその文体のスタイルがいかにも「新聞の記事めいて」いるのが面白い。それもオンラインで液晶上で読む文体ではなく、新聞紙の上に印刷された新聞記事を読んでいるという気分にさせられる。その内容はこの画像を拡大してもらえばそのアウトラインは読めると思うので、ここでは繰り返さない。この画像はいふぉんで撮影されているのである。

その記者さんの大阪に戻った後にメールがきて、「おかげさまでライカM3を買いました」とあった。ようするにすでにGRDは持っているので、次のステップとしてライカM3が欲しいというので相談を受けたのだ。すでに記者さんは確信犯であるから、銀座の檸檬で目当てのM3をマークしていた。今はライカMは買いだからその値段なら絶対にゲットした方がいいと助言したのである。
同時にレンズは1000円で買える、木星珠をすすめたのだけど記者さんの実際に買ったのは固定のズミクロン50ミリであった。なんでもレンズとライカをセットで買うと10パーセントの割引になるそうであった。

2010年5月 1日 (土)

ガムテバック(バッグニアラズ)ハサイコウノカメラバックデアル

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ギャルリルワタリというのは、80年代初期の名前であって、その当時は角地の柳の生えている場所に二階建ての白い建物があってそこによく行ったものだった。ボイスがまだ生きていた当時の話だ。
その後、それが拡大してワタリウムとなり、その向かいにオンサンデーズという「絵はがき屋」が出来たということを来日中のリー・フリードランダーから聞いた。「それがかなりキンキーな店なんだ」とリーは言うので、英語遣いの言うその本当の意味はどういうのか、一度そのオンサンデーズに行ってみようと思ったまま二十数年が経過してしまった。まことに時間の経過は油断がならない。
それで1月間開催されている、なかしまあさみのガムテ工芸展の初日を見に行った。その素材がカメラマンもお世話になっている、クラフトテープというのがユニークだ。ガムテープでバックを造るのが凄いアイデアだ。
そう、バッグではなくこの場合、バックなのである。東京を町歩きしていると、周辺部の街で売っているのには「バック」と書いてある。周辺部の警察の防犯ポスターもちゃんと「バックはしっかり胸に抱えて」とか書いてあるから、バッグではなくバックである。
そのガムテバックのオリーブドラブのを1個手に入れた。価格1500円なり。実に安価でしかもお洒落なオンサンデーズのショッピングバック(バッグではない。繰り返す)に入れてくれた。実に嬉しい買い物だ。でもそのショッピングバックからガム手のバックを出して、その中にオンサンデーズのショッピングバックをたたんでしまい込み、持参の軍用ライカもその中に入れた。それを下げてキラー通りから、墓地裏を通り、ヒルズに戻ってきた。その途中に135mmレンズ付きのライカで撮影をしたが、これが非常に具合がいい。望遠付きのライカはかなりの重さのはずだが、携帯していて軽く感じる。その理由はすぐに分かった。持ち手の幅が1インチなのである。これは2インチ幅のガム手を半分に折っていることから来たのであろうが、今朝、ヒルズに出勤する皆さんのバックを子細に観察すると、持ち手は紐であったり細かったりする。すなわち実際より重く感じてしまうのである。その点、このなかじまあさみ式のガム手バックはカメラを楽々持てるし、カメラを撮りだして撮影する時には二の腕にさげておいても重くないので実に効率的だ。
おもわぬ、良いカメラバックが手に入った。P4297937_2

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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