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Chotokuぶらり パチ塾

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2010年3月31日 (水)

リスボンの30年

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chotoka 

リスボンはもともと坂で構成されている。坂がなかったらまったくリスボンっぽくない。ナガサキは最初はポルトガル人が寄航して、それからすぐにオランダ人になってああいう風に栄えたわけであるが、オランダ坂という名称は変である。あれはもともとリスボンの坂だし、アムステルダムには坂などはない、平坦地である。大航海時代のポルトガルは澳門まで来てさらにジパングにまでその勢力を伸ばした。その視点で見ると、山坂の多い澳門とかナガサキはまさに、ポルトガル人の郷愁をそのまま外国で実現させたような地形がその背後にある。
この黄色い市電の登ってくる坂道の枝分かれした場所は、まず観光客も沢山訪問する「表リスボン」という感じの所だ。今回のオリンパスギャラリーでの展覧会は、あたしの初リスボンがキーになっているが、最初にこの街角を撮影したのが、リスボンに到着した日の夕刻であった。ただし50ミリレンズにトライXであったから、市電の塗装はこのようには写らなくて、単なるグレーである。同時に持っていたポラロイドsx70でも撮影をしたが、そのショットはもう手元にはない。というのはsx70は一点ものだから、その場であげてしまったり、30年近く経過してから、写真展でセットにして売ってしまったからだ。アナログ映像の一点主義に対して、デジタルの無数に存在する画像のそれぞれの長短所をここで論ずる余裕もないが、それらにはそれぞれの良さともろさがある。

この2月のリスボン行きで、やはりこの街角が懐かしく、この界隈を徘徊した。よく観察すると、この角の樹木はちょっと大きくなっているようだ。
それが30年という時間だ。
花袋に「東京の30年」がある。その真似をしてこちらは「リスボンの30年」。

2010年3月30日 (火)

タワーとアンテナ

P3135586 P3135588

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chotoka 

タワーと言っても、スカイツリーのような最新のやつではない。
これは数百年前からそこにある、プラハの教会の屋根の上にある尖塔のことだ。21年もプラハの北端に住んでいるのであるが、あそこは周囲は大学だし宗教関連の施設を作るには新しすぎる街区である。それで教会の鐘の音を聞こうとして、この前のプラハでは前半だけ旧市街のど真ん中に暮らした。
窓からはフスゆかりのベツレヘム教会堂の尖塔の緑のが見え、それを重なるようにその先の教会の尖塔も見える。その名前は30数年もその前を通過しているにも関わらず知らないのは不勉強のそしりもあるであろうが、教会の名前は自分には一番記憶しにくいもののひとつだ。
欧州の古い町で、そこに入っって行った人間に与えられる「視座」というのは路上からの視線が普通なのである。このように周囲の建物の最上階の窓からという見方はこれは最近(この100年来)に与えられた人間の目なのではと思う。
だから幾何学的に積み重なった塔のマッスは面白いかも知れないけど、そんな変わった視点というのはすぐに飽きてしまうのもまた事実だ。
この数日のプラハの旧市街の日々も最初にはこういう写真を撮影したけど、それより朝と夕方の教会の鐘を聞くために窓を大きく開ける方が重要になった。

教会の尖塔より、寧ろ面白いのはTVアンテナの方である。放送方式の異なるせいか、欧州のそれも旧東欧のTVアンテナのそのスタイルにはなにか夢がある。教会の尖塔とTVアンテナのデザインの最大の違いは、前者は象徴化と様式化がそのすべてであるのに対して、後者はまったくの実用性能の上にその形状が構築されている点だ。それで同時に、「神の声」を受信しているのが凄い。尖塔より、アンテナの方が現代ではずっと宗教的な存在に見えてくるのも、その間の事情にあるのだろう。

この画像はペン2に、ノボフレックスの135ミリのスクイーズレンズで撮影。

2010年3月29日 (月)

月島の総本家「倶楽部エダム」

Img_1201 帰国して、ようように、クラブエダムに行ったのは、この前の土曜である。がらくた屋さんのシドニーの後に同志諸君と行ったのである。クラブエダムの高級感は店内に放置された白ヘル「反スタ反ノク」のヘルメットである。この上の画像は、昨年だったか東急BE(べ、と読む)の撮影実習で、本来は日曜はお休みのクラブエダムをお願いして開けてもらって、撮影実習の反省会をした時に、受講生のKYさんが撮影してくれたショットだ。撮影は型遅れのレオタックスのゴチック文字のやつで、レンズは志村ーであったか。さらに光漏れがあるので、なかなかの良い画面になった。あたしも良い表情をしている。これは宝カップのなせる技だ。
Img_1199 昨晩はそのエダムで、こういう展開になった。うずらの卵と缶酎ハイと柿Pと、ライカM8とM8,2と木星珠と、帝国主義の手先レンズである、ずみくろん35mm八枚玉である。
この後、階級闘争が開始されるかと期待してたら何も起こらず。呆れた「ライカM8修正主義裏切り者集団連中」である。

2010年3月28日 (日)

プラハの倶楽部エダムの「VIVO」

P3237480 この数年、気に入っているのが、このワインバーVIVOである。VIVOと言えば、
戦後に出来た写真家の団体であったが、まず名前としてはどこにでもありそうで、その実、なかなかユニークな名前かも知れない。
その場所はモルダウの左岸のスデクのガーデンハウスの近所、日本大使館のある通りから数えて3軒南。建物は「緑の蛇の家」と呼ばれる。ファサードにそういう装飾があるのだ。この建物もかなり古い。ファサードの右の大きいスペースはモダンなギャラリーである。左側の間口1軒というサイズは、なにか東京は月島のバー「エダム」に共通点がある。もっとも月島のエダムは最高級だから椅子など置いてない。プラハはクラスが落ちるから椅子が置いてある。ここでも「木星珠倶楽部・プラハ支部」の会合が行われている。もっとも木星珠はソ連に占領されてたプラハが本場だ。
P3237474 Img_0780 店は12時から12時まで開いている。ゴールデン街には3年前に森山大道さんにおごってもらった時以来行ってないので、最近の事情は知らないが、お昼から酒の飲めるバーはないのではあるまいか。真昼からワインが飲める。これは重要なことで、ワインを昼から飲んでいるような奴は駄目だ、という指弾でない。昼間から酒を飲んでいるのは立派な人物であるという認識も成り立つ。もっともここの酒は普通のサウスモラビアの赤であるから何杯飲んでも懐は痛まないけど、グラスが大きいので2杯が限度だ。3杯は思考が停止してしまう。それでここでは一人で飲むのではなくてもっぱら会話が進行する。もっとも10名は入れないような狭いスペースだけど、あたしのような「外人」が入って行っても何の問題もない。それだけ「パブリック」な場所だから、ここには常連という存在がない。そんな当たり前のことが思い起こされるのは、日本だとなかなかこういう小さい酒場には入りにくいというルールがあることを自分が知っているからで、それがそれで日本の問題点なのである。
この日(東京に発つ前の晩)はここでワインを2杯だけのみ、そのまま隣のギャラリーのレセプションに顔を出して、さらにそのグラスを持ったままバーに戻って、そこで2杯分の支払いをして市電でアトリエに戻った。ワインは1杯が40コルナだから0,02カメラ円。

2010年3月27日 (土)

ピンクの建物

P3237431 プラハの王宮の上からだらだら坂を下ってきた道の左側にあるのが、スデクギャラリーだ。スデクはモルダウのそばのアトリエとここと二つ、拠点を持っていた。モルダウのそばのアトリエは例の「マイアトリエ」で有名な、中庭の掘っ立て小屋であるが、こちらの方はバロック様式の立派なものだ。

それがスデクギャラリーになってたのは10年以上前と記憶するが、竣工して驚いたのはその外観がこのようなピンクパンサー色であることだ。もっともすでに10年が経過してその色彩はやや落ち着いてきたけど、これが「桃色ハウス」であることには違いがない。

プラハの最終日の良く晴れた午後に市電で王宮の裏手まで行って、スデクギャラリーを訪問したら、あたしの例のジンクスでお休みだった。まあ、こちらの文化施設は月曜は休みは常識だからそういう日に行くのが悪い。

スデクはここのアトリエで仕事して、通りを隔てた修道院のある谷を見下ろす風景をよく撮影している。その向かいはまた丘になっていて、丘の上にはミニエッフェル塔がある。

春はチエコ語でjaroという。その春が今年もまた巡ってきた。東京で感じるよりもプラハで感じるほうがその季節感が強く感じられるのは、この1月の20年来の大寒波と今の変化が強烈に比較できるせいだ。

スデクの撮影したそのjaroというタイトルの作品は良い。この界隈の木々が一斉に芽を出しているところを撮影している。しかも言うも愚かながら、その作品はモノクロであるから、その若葉の存在が異様に引き立つ。

2010年3月26日 (金)

プラハのアトリエの天窓から月が覗く

Rimg4135 夕刻。プラハのアトリエで何かを忘れているなと思って、何気に上を見ると天窓から月が覗いている。これが毎度のことなのだけど、そのことはすぐに忘れる。それでまた新鮮な驚きになる。視線を仕事机から天頂に向けた時にいきなり月がそこに居るのが良い感じだ。
昨年の9月のカイロでの夕刻にあの時はホテルのバルコニーの18階あたりから、天球に月を探した。太って行くお月様と木星の追っかけっこが痛快だった。ただし探す月より無意識の視神経にいきなり登場する月とはその有り難さが異なるのである。カイロではあたしが月を探したのに対して、プラハの天窓は月があたしを発見してくれたという感じがするから、その有り難さでは前者は後者にかなわない。
Rimg4137 その月は先月にリスボンの36時間継続した大雨の後の月がかなり鎌のような薄さであったのに対して、一昨日の月はそれなりに育った立派な月だった。それだけ時間が経過したのである。
月を撮影するには、16:9の画面サイズが似合うと思った。富士山には月見草が良く似合うとは誰のつぶやきか忘れたが、プラハのアトリエの月には16:が良く似合う。
カメラはGX3だ。月が二重になっているのは、あたしの乱視のせいではない。天窓が二重ガラスなのでそう見えるわけだ。そのおかげでこの1月のプラハ大寒波の時、暖房が故障しても死ななかったわけである。

P3237485 P3237484 ★追加の説明画像。

新潮連載の「舞台」である「屋根裏プラハ」の現場写真。中央屋根裏部屋の8つの天窓を示す。この2葉はペン2で撮影。

アトリエと月の位置関係をついでに示す。

2010年3月25日 (木)

田中長徳写真展 リスボン

Pen2_hagaki_back_0317yo

http://fotopus.com/style/catch_up/#entry03

★大入り満員御礼! いよいよ、水曜日午後3時まで!★

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田中長徳 PENの本 2

      

買ったきっかけ:
著者なので必要に迫られて。

感想:
リスボンにペンデジタルを持って出かけた冒険旅行記というつもりです。

おすすめポイント:
ペンデジタルの話しですが、お酒と散歩の話しもおなじ程度に出てきます。リスボンの詩人ペソアが1920年代に書いたリスボン案内の実践記。

田中長徳 PENの本 2

著者:田中 長徳

 

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★満員御礼★

4/3(マイクロ4/3の日)のトークショー、満員御礼!

PEN PENチョートクカメラ日記 in リスボン 写真展のご案内。

この2月にリスボンでペンペンで撮影した写真展です。今年はあたしの初リスボンの1980年以来、30年目にあたります。

あまり変わっていないリスボンでもあり、かなり変わったリスボンでもあります。
一番変わったのはカメラの進化でしょうか。これにはバスコダガマも吃驚でしょう。30年前はライカでモノクロ、SX70でカラーでした。

今回もライカは同じですが、ペンを4台(1台のペン1、1台のペン2、1台のペンライト、それにバックアップ用のペン2)を軽々持参。リスボンでヴィーノヴェルデ(ポルトガルワイン)しこまた飲んで、路地裏小路酔行して、そのついでに撮影して来た写真展です。リスボンに酔ってもペンは良く写るなあ。

皆々様、ご高覧のほど。
リスボンのフォトシネマも初公開です。これ「ベンダース風のサウダーデ・シネマ」であたしのお気に入り。
「田中長徳ペンの本2」も同時発売。、、、っていうより、ペンペン本の発売記念写真展でもあります。

SVO NRT

Rimg4196 ★御礼★

念願の700万頁ビュー達成!どうもありがとうございます!

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モスクワの乗り換えのtransitデスクは、このところ毎月、行きと帰りに二度通過しているが、およそ航空会社のサービス部門とはかけはなれている。社会主義時代の怖いモスクワをそのまま保存した恐怖の博物館のようなところである。
昨夕は夕刻でかなりトランジット客が居るのに、女性職員はひとりで切り盛りしていて、しかも机を叩いて客をしかりつけているのである。その怒声がホールに響き渡る。
昨年4月にパリモスクワのエアフランスの到着が1時間半おくれて、あたしはSU575の東京行きの乗り遅れて、Novotel収容所にお世話になったことがあったが、あの当時のトランジットオフィスの方がまだずっと親切だった。昨夕のSVOのトランジットデスクは本当に酷かった。第一、あれだけの数の客を一人でさばこうというのが無理だし、職員にストレスがかかろうというものだ。
アエロフロートは最近はサービスは良くなったし、オンタイムで飛ぶし、評価が高いのに、ハブ空港のモスクワで誰もが必ず通過する関所があれでは、そこを通過するのが嫌という理由で、客は離れてしまう。
これは問題だと思う。

さらに大問題なのはそのサービスの基準が不明なことだ。1月にここを通過した時には、かなり詳しくチケットを調べた。2月に通過した時には、ラウンジのパスをくれた。3月の昨日はただチケットを見るだけである。その先にある「風呂屋の脱衣所」のような保安検査場が1レーンしか開いていないので、これまた大混乱だ。SVO空港は新ターミナルも出来て免税店は山とあるのに、そこに送り込む、客の通るトランジットデスクと保安検査がボトルネックになっては商売にもならないだろう。

飛行時間9時間10分で、寒い寒い成田空港に着いた。
荷物をピックアップする所で見た「お帰りなさい。税関」という大看板。
これもモスクワと競争するような「変な印象」であった。

画像はプラハ空港のA320-300型。その名をユリ・ガガーリンという。

2010年3月24日 (水)

プラハ空港から市内に

Rimg4120 ただ今、モスクワ=成田飛行中。

プラハ空港から市内に向かうと、進行左側にオリンパスペンデジタルの巨大看板あり。
おそらく世界最大のペンのイラストではないか。いつも瞬間的にパスしてしまうので、この間、チューリッ ヒからの到着時には注意して撮影した。その前にマック(ハンバーガー)のショップがあり、シテイバンクがあってオリンパスのビルという順序だ。日の丸がちょっと画面の右のはじに見えるのもなかなかだ。

数年前、ソニーのα100が出た当時、プラハの南の高速道路ぞいの建物に、巨大なα100の平面が展示された。クルマだとこういう手は良くあるが、カメラはまだ珍しいので、逆に目立つ。

2010年3月23日 (火)

飛行機とカラスをCX3で撮影

Rimg4129 ★最新のtwitter 掲示板はこちら。

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本日移動日。PRG SVO NRT

3月21日の早朝にスイスの田舎町からチューリッヒに出て、飛行時間50分でプラハに着いたわけだが、スイスはププラハの南西にあるので、そこから戻ってくる時には、モルダウ河の下流から反時計方向にプラハの外側を周回して、街の北に回り込みそこから西に向かってアプローチする。このアプローチはあたしにとって貴重なのは、いつも北東のモスクワ方面からプラハに着陸しているからだ。もっとも1月にも時計BEGINの取材でスイスに行ったから、同じ飛行コースであったはずであるが、あれは夜遅かったので何も見えなかった。
今朝はこれからプラハが朝という、ローカルタイムの8時半という時間帯もよかった。フォッカー100が高度を下げてくると、時々遊びに行くメトロの東の郊外の終点である、団地群が集結したチエルニーモストという地域を鳥瞰図で見ることができた。この贅沢ぶりはちょっと口には表現できない。

アトリエに落ち着いて、夕刻、北側の窓からCX3を16:9の比率で撮影した。手前がカラス2羽で、背景に飛行機一羽である。こうして比較してみるまでもないが、飛行物の貫禄はどうひいき目に見てもカラスの方にある。
血筋は争えん。

2010年3月22日 (月)

復活祭のウサギとたまご

P3207202 ★最新のtwitter 掲示板はこちら。

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毎年の復活祭は移動するので分かりにくい。今年の復活祭は4月4日という。これは通常に比較してかなり「前倒し」だと思う。
欧州人にしてみればクリスマス休暇の後、新らしい年になって「おっぴら」に休みことの出来る最初のやや短い休暇である。大抵は家族で旅行したりするのだが、この時期はかなり天候が悪いから、逆に「心の準備」が出来ていない関係で、本当の冬よりも寒く感じたりする。
復活祭の前の大スターはこの「うさぎ」である。これと復活祭のシンボルの卵はチョコレートで飛ぶように売れる。
これが室内にないと、何か春が来た気がしないので、ウイーンの清貧時代にも室内にうさぎと卵のチョコはかかせなかった。今回も「ライカインコ4世」と「同行二人」のスイスであったが、ライカインコは「自分のおこずかい」で家人の為に「卵のチョコ」をお土産に買った。なかなか大したものだと思う。
そう言えば、15年ほど前であったか、カメラジャーナルのツアーで欧州に行った時だが、ウイーンのカールス教会の前で、イースターエッグを売っていた。もともと春の季節モノを秋に売っているのが、真夏に門松を売っているようは変な感じがした。それを同行の旅行団のメンバーは買い求めていたが、フォルクローレのアート小物としては結構であるが、やはり季節感覚が混乱する。
画像はスイス、OLTENの宿屋の部屋で。

プラハのアトリエに戻って最初の朝。

朝焼けが綺麗。撮影したら手前の天窓にピントが合っている。しかしこれはこれで良い。午前8時半に向かいのスターリン建築を撮影。昨年の8月以来、アトリエでこれだけ快晴なのは珍しい。1月は大寒波でえらい目にあったし。P3227221

P3227215

2010年3月21日 (日)

zoomar 250mm f1,3がたった4万ドル

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BASELの町を歩いたら、犬の勘でカメラ店を発見。その話は明日にでも書くけど、EBAY 見ていたらこういうレンズが出ていた。たったの4万ドルである。その価格はいいけどこれは持ち運びはまず不可能。その関係の資料を見ていたらこれは同じ会社の75ミリF1、3のでっかいバージョンであることが判明した。この2本は姉妹レンズなのである。その小さい方のレンズは持っているのだけど、両者を並べてみるとそのでざいんがまったく同一なのが愉快だ。もともとこの明るいレンズは映画撮影のために開発されたのである。当時のZOOMER はこういう明るい変わったレンズを沢山だしている。 本日、早朝のスイスエアでプラハに戻る。

2010年3月20日 (土)

バーゼルのプレスセンター

P3186859P3186851プレスセンター。仕事場のマックの環境が瑞西ドイツ語からいきなり、ことえりにジャンプ出来たのにはかなり吃驚した。ようするにプレスクラブのマックがそのまま日本語で使えるのである。そう言えば、あたしの持参のペン2も35カ国語かで使えるので、今はチエコ語になっている。

プレスセンターは残念ながらその席数は足りない。コーヒーを飲めるスナックコーナーもタイプの出来る仕事コーナーもいずれも難民状態のジャーナリストが満載だ。ただし第三者の目で見れば、いかにも混雑するプレスセンターっていう感じがして活気がある。案外に主催者側の意図で席数を少なくしてあるのかも。これからまた取材なので、テキストは短め。

2010年3月19日 (金)

時計BEGIN特派でまたも瑞西滞在

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この1月に時計BEGINの取材で、ジュネーブサロンに行った。チューリッヒから列車で4時間近く走って、深夜のジュネーブについた。今回はそれよりずっと近所のバーゼルであるが、バーゼルの時計のショーは世界中から時計人類が集合するので、あの田舎町のバーゼルのホテルは満員で、あぶれた人はホテルのバスタブとか公園のベンチに寝るのだそうだ。
ちょうど、ケルンのフォトキナで、半径50キロのゾリンゲンと4711が全て買い尽くされるのと同じ状況だ。あたしはバスタブの中に寝るのが嫌なので、無理を言ってバーゼルから南に50kmほどの古都、oltenにホテルをとってもらった。ここから列車でバーゼルに行くのは横浜から東京に通勤するようなものだが、瑞西の感覚だと、これはやはり異常であってかなりの旅行である。それを瑞西の感覚で言うのなら、これはやはり「オルテンからバーゼルに行く遠距離通勤」なのである。

P3176808 オルテンには大きな河があって旧市街はその西にある。山は碧く春の色だ。河の名前は知らないが、シャフハウゼンのラインの源流に似て、その青みはなにやらもの凄い。ただし川幅はかなりある。その河に架かる橋は、木造であるが、屋根がついている。これは昔、流行した「マジソン郡の橋」みたいなものであろうが、こっちがオリジナルなのは言うまでもない。川岸には「いのししの銅像」あり。OLTEN中興の祖のいのであろう。
今日から毎日、オルテン・バーゼルの長距離通勤だ。

2010年3月18日 (木)

オペマの45MMF2レンズでペンを使う

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仕事に飽きたので、アトリエから旧市街のフォトシュコダで玩具を買ってきた。
何の変哲もない、チエコスロバキア製のRFカメラ、OPEMAである。ただレンズはあまり見かけない明るい方のF2だったので買う気になった。普通は明るさがF2,8かF3,5なのである。いかにもズマールめいた外見はいいけど、ご承知のようにこれはレンズのマウントが38MMであって、ライカとは互換性がない。おまけにニコンサイズの24.X34である。
今回はノボフレックス製のマウントアダプターを持参したので、レンズを沈胴状態にして手でアダプターに押し付けて撮影した、OPEMAの本体と、それと古いHEUERのMONACOの画像がこれである。マイクロ4/3がいいのは、ともかくレンズをカメラになんらかの方法で固定できれば、それで露光もピントも合った画像が撮れるという点だ。これは案外に凄いことだ。今回はライカ/4.3のアダプターを持参しなかったので、それはテストできなかった。絞りはF11である。まずまずの写りだな。往年のチエコ製の銘レンズがそのままペンペンで使えるのは痛快だ。

2010年3月17日 (水)

立体派建築に棲みたかった

P3136650 ★セントパトリックスデー。本日移動日。プラハーチューリッヒーバーゼル。

プラハに行く度、訪問するのがモルダウ川右岸にある、このキュビスム建築だ。かつて70年代には、なかば本気でこのアパートに住もうと思ったことがあった。そのファサードは紛れもなき「分かり易いキュビズム」なのである。当時はドアにオートロックなどついていなかったから、無断で中に侵入して階段のあたりは普通だけど、その手すりの意匠などはいかにも立体派であることなどに感心した記憶もある。
その話は連載中の新潮3月号の「屋根裏プラハ」で書いた。その中ではあたしはこの建物に1968年夏に棲んでいた若いプラハの労働者という設定になっている。
今回も市電の南行きに飛び乗ってこの建築を見学に行った。この建物を見る理想の光はこのような曇り日に限る。夏の午後の直射光ではコントラストが強調されすぎて、現実離れし過ぎるので逆に面白くない。いかにキュビズムが「異端建築」であったとしても、それは人間の暮らしをサポートするものでなくてはならない。
P3136664 この建物の先にあるのが、この別のキュビズム建築である。その通りの名前がネクラノバというのもおかしい。根暗通りだ。これは坂の途中にあるのでその建物の全体像はやはり効果的に遠近感が強調されて、実際よりダイナミックに見える。70年代のあたしは30代の時代にはそのとんがったデザインを楽しんだけど、還暦すぎて見ると、逆にその大げささがつまらない。このアパートには前出のプラハ人であるあたしの親友が住んでいるという設定だ。最初は美女を住まわせようと思ったが、そうすると話しが浅くなってしまうので、写真好きの青年をここに住まわせた。この二人はスデクの信奉者なのである。あたしとその青年とは旧市街のベツレヘム礼拝堂のミサで知り合うのだが、現実のあたしは、今回はその真裏のアパートに暮らした。数百年前からの建築と道がそのまま存在すること自体がプラハの奇跡だ。
要するに、建築の好みとか食い物の味とかは年代によってその好みが変化するのである。あたしも最近になって老妻のつくる野菜と麩の炊き合わせが加茂錦に合う事が分かった。キュビズム建築も炊き合わせも「年の功」によりその理解度が変わってくる。

2010年3月16日 (火)

sudekのたまご

P3126476 プラハで窓際に置かれた「たまご」とかパンを見ると、条件反射的にsudekの仕事を思い出すのは、自分だけの特殊な連想であるのは分かっているが、スデクの代表作と言えば、例の中庭のアトリエの11x14インチの大型カメラでの密着(スデクの仕事は第一次大戦で負傷して右腕を失った後は全部コンタクトプリント)で中庭を撮影したのとか、窓が寒気で氷結して花模様になっている「貧乏人の花園」とか、さらに乱雑を極めているモノの堆積の中、机のほんの真ん中にわずかに紅茶茶碗とバンと卵を置くスペースだけあって(今の時代ならそこにPowerBookが置かれる)他はモノで埋め尽くされている「写真家のラビリンス」とか、およそ名作にはことかかないが、その中で、ただそこにパン切れ端とたまごがおかれているショットなどは、ちょっと良い感じだ。その良い感じというのは、言うもおろかであるが、それは武者小路の「仲良きことは、、、」みたいな予定調和のなすびやキュウリが置かれた色紙ではなく、そこで唯々、パンとたまごの実在に肉薄しているからである。
そのスデクのオリジナルプリントよりも、実は10年ほど前に一人出版社から出た豪華写真集のレプロダクションの方がずっといい。というのは、本物のオリジナルプリントは、これはすでに神話化しているはなしだが、スデクは近所の商店で期限切れの印画紙を買って使っていたのであって、それは薄手のあまりトーンの良い印画紙ではないので、なにかそこに「安っぽい感じ」が否めない。天下の巨匠のプリントを「安っぽい」とは失礼千万なわけだが、どうもスデクの仕事の本質はオリジナルではなく、その印刷物の方に写真家の仕事の真実がありそうだと、これは30年来思っていることなのである。
プラハのアパートで戯れにゆでたまごをコップにいれて水をはって、スデクを遊んでみた。

2010年3月15日 (月)

for sale

P3136685

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chotoka

★twitterがかなり長い時間、TLが見られない障害あり。たまにこういう方がいい。
 

プラハの景気もよくない。昨年のプラハの訪問者は前年の3割割れだという。

ムステク駅のそばにciti bankがユーゲントシュテイル風のクラシックなファサードをそのまま支店にしていた。日本の銀行の支店の無粋さに比較するまでもなく、歴史的な建物をそのまま銀行にするのは、なかなかの文化である。いいなあと思っていたのが今回、その前を通ったら中はからっぽでケーブルの引きちぎられたのがそのままになって、新たな借り手を探している。P3126491

同じく旧市街の時計台に向かうねじまがった小路の見慣れた金の背景の絵が三枚かかっている伝統の家の窓になにやら張り紙がある。
よく見たら「売ります」の札であった。こういう歴史的な場所に住むのも一興であろうが、今ではこの通りの下はツーリストが毎時、一連隊以上は通過するから棲むには向かない。時計台に向かうにはこの小路を通る必要があるからその通過人員は半端ではない。プラハはそういう街になってしまった。
あたしのアパートはそういうツーリスト軍団の主要な行進経路からは外れているので、静寂である。この天国と地獄の差はまさに通り一つの差で明暗を分けるのである。
あたしの部屋は北向きで静かで、昔の家の間からベツレヘム礼拝堂の尖塔が見えている。
さっき、アパートからニコリテスリーのアトリエに戻った。室内が明るいと思うのは、天窓採光のせいである。また普通のプラハの暮らしがもどってきた。

2010年3月14日 (日)

ZORKI 4とZORKI 3用革ケース

P3126481 P3126482

★ご連絡★

諸方面各位。

プラハのアパートのインターネットがトラブルにて、日曜の午後までメールは毎日、午後7時(日本時間)に1度だけチエックいたします。ご不便をおかけします。日曜午後7時からアトリエに移動しますので、通常通りになります。

★最新のtwitter 掲示板はこちら。

chotoka

今のアパートはフスゆかりのベツレヘム礼拝堂の向かいの裏にあるが、10年前に作った「写真機店」という写真集の欧州の10軒のカメラ店のひとつだ。最初はカメラ店で、その後、店の右半分はカメラ店、左半分は宝飾店になった。1月に行った時もその通りであったが、今回行ったら店の左右が合わせ鏡のように入れ替わっていた。左翼がカメラ店になったのである。

その新規改装を奉祝して、ぞるきーを買った。1970年代にはまだ現行機で、ウイーンのカメラのチエーン店で「しゅねるれぽーたーカメラ」つまり迅速報道写真家用写真機として売られていたのだから、今昔の感が強い。
綺麗な本体に木製珠付きで、0,25カメラ円で購入。店主がサービスでぞるきー3時代の革ケースをつけてくれた。ソ連製の革ケースの歴史を見るに「古いほど質が高い」ということが言える。まさに赤軍の将校の双眼鏡の革ケースと同じ質で作られている。これは凄いことだ。

同じ時代の(50年代の)ライツのライカ用革ケースは大抵が本体の前の蓋のフラップが壊れているのに、このソ連製のはびくともしていない。
最高級の革ケースだ。これに比肩できるのは、イタリアのレクタフレックス用の革ケースあるのみ。

2010年3月13日 (土)

プラハ2日め また雪

P3126506 ★ご連絡★

諸方面各位。

プラハのアパートのインターネットがトラブルにて、日曜の午後までメールは毎日、午後7時(日本時間)に1度だけチエックいたします。ご不便をおかけします。日曜午後7時からアトリエに移動しますので、通常通りになります。

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プラハ2日目。

昨日の午後から気温、ドラマチックに下がる。しかしアパートの暖房はスチームだし、床暖房もあるので年寄りには楽。アトリエは半世紀前のリノリウムの床だから、まるで「生きている東欧の貧しさ」という感じがする。またそれも良いが。

インターネットがトラブルなので、アパートを出て、一昨日まであたしの個展会場だったルツエルナパレスのカフェで仕事。上の画像。

昨夕は旧市街を黄昏れの中、ペン2で撮影。EVFではなくマイクを付けていると珍しがられる。大手のカメラショップで、オリンパスのチエコ語のポスターの置いてあるような「先進国」でも、ペン2とマイクの組み合わせは店員さんを驚かせた。プラハの見慣れた光景も夕方にライトアップされると、大規模なデイズニーランドめいてくる。それが「出来すぎ」で面白くもあり、「こんな光景は本当のプラハじゃない」という批判精神も出てくる。P3126432

中心街のムステク駅の前で、ツーリストから道を聞かれた。「われわれはどこに居るのかこの地図で教えて欲しい」というのである。それが縮尺の大きな地図なので場所を指し示すのが大変だ。あたしは別段、老眼というわけでもないが、彼らを明るいショーウインドウの側に連れて行き、それでも細かすぎなので、ペン2のレンズを外してルーペがわりにした。それを見てカップルのツーリストは笑っている。しかしこの縮尺の地図でわれわれの今、居る所を示すのは至難の技だ。

「ここに30年も棲んでるんだけど、地図はみないで、歩いているんでね。地図だとまったくどこに居るのか分からないんだ」と言ったら、相手は「あ、その30年前に僕は生まれました」と言った。イスラエルから来たという。祖国なきイスラエルの民なら、この縮尺の地図を視るのも苦しくはないのであろう。相手の風貌を視て、アラブかなと思ったらその敵国の人だった。周囲のユダヤ人はアシュケナージばかりなのでこういうとんでもない間違いが起こるのだ。

2010年3月12日 (金)

プラハの初日/インターネット通信トラブル

Img_1176

★ご連絡★

諸方面各位。

プラハのアパートのインターネットがトラブルにて、日曜の午後までメールは毎日、午後7時(日本時間)に1度だけチエックいたします。ご不便をおかけします。日曜午後7時からアトリエに移動しますので、通常通りになります。

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成田からモスクワに15分遅れで到着。まだ時間があると思ったら、プラハ行きの飛行機は定刻に出発した。モスクワは曇っていたが、ワルシャワ上空から晴れて眼下にワルシャワの街が見えた。飛行時間2時間20分でプラハが左手に黒い羅紗紙の上に散らかされたトパーズという感じでゆっくり運ばれてきた。
空港にVWのトランスのバス。何時もアトリエに行くのとは経路が違うので知らないプラハの夜景を見ていたが、最後に「ピンクパンサーの広場」で自分の土地勘とつながった。
ベツレヘム教会(フスゆかりの)の裏手のアパートは初めてだが、インターネットはあるのに、パスワードが弾かれる。原因不明。それで近くの「文学カフェ」に行ってそこから家人にケータイで連絡。これが日本時間の朝の5時半。一睡して目覚めて、アパートではインターネットが駄目なので、最近まで個展をしていた中心部のルツエルナからメールしたら、家人に叱られた。何時も定時連絡するのにそれがなかったため。
家人に心配かけ反省。

しかし今の時代はインターネットが通じないだけで周囲に心配をかける。もっともヘリコプターだと30分連絡がとだえると捜索が開始される。あたしの信用度もへりほどではないが、まず小型機なみ。
プラハのPからも「???」の心配メールあり。もっともプラハのPはこっちが連絡しても返事しないこと多し。この前も「おい、P、もう天国かい?」とメールしたら、「今、ジュネーブのオートショーだよ」と数日後にメール来た。

数年前、アトリエのインターネットが壊れて、やはりインターネット難民になってプラハのwifiのカフェを探して漂流したことを思い出した。

プラハに雪はない。
2月前にはアトリエに行く前に遭難しそうになったのに比較すれば激変の環境だ。
ベツレヘム教会の脇にある「BSフォト」(小さなカメラ店)が一番近いカメラ店になったが、1月に行った時には、店の右手がカメラ店、左手がアクセサリー店であったのが、それが逆になってアクセサリー店が6割でカメラ店が4割の比率。
それでも春の近さで街行くプラハ人の表情はなごんでいる。

画像はインターネット中のパレツツエルナのカフェ。

2010年3月11日 (木)

NRTSVOPRG

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移動日。
ただ今、モスクワに向け飛行中。
モスクワで乗り換え。プラハに到着したらLIMOが迎えにくる予定。
ただし18EUROの安トランスなのでVWだ。
skodaではないのが、チエコ人のコンプレックスを示している。

今回はベツレヘム教会の向かいのアパートメントなので、まず到着したら、その裏手の文学カフェでPIVOだな。

                                                                                                                                                                               
Transport in Prague

Transport in Prague

(+420) 728 199 816
Firstname and surname:

NAGANORI TANAKA

Date / the number of order:08.03.2010 08:01:42 /
Phone:+813
E-mail:chotoku.tanaka@gmail.com
Type of transfer:from the airport / one way
From:Airport - Prague Ruzyně
Where: Praha 1 - K,

2010年3月10日 (水)

ノボフレックススクイーズフォーカシング135mm

Img_1154

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★本日移動日。NRTSVOPRG

ドイツはミュンヘンという所は不思議な町で、変なカメラやレンズを作っている。いや作っていた、と書くのがこの場合正しい。
novoflexというのは、日本のレンズが世界を席巻する前の50年代半ばには世界のカメラマンの標準取材レンズだった。280mm,400mm,640mmあたりの焦点距離の望遠レンズで、ハンドグリップを握ることで焦点を合わせる。慣れるとかなり迅速にピントが合う。当時のモナコのレースなどのカメラマンを見ると、ほぼ全員がこのレンズをペンタックスとかエクザクタに付けていた。
ノボフレックスは実は沢山持っていて、かなり使っている。軽量なのがいい。640mmなどは明るさはf9であるが、素晴らしく軽い。しかもこれが不思議なのだが、一群二枚のシンプルなレンズであるが、そこそこの写りをする。まあ、2枚のレンズ構成だからシャープなのかも知れない。
そのノボフレックスの中で、これは135mmのシュナイダーだが非常にユニークで、フォーカシングはレンズを「握る」ことで合わせるのである。こういうピント合わせをするのは世界広しと言えども、このレンズだけだ。
アメリカのebayのセラーで数ヶ月前からこのレンズを出品している人がいた。ただしアメリカ国内にしか発送しないと「宣言」している。カナダも駄目という。こういうコンサバなセラーは10年前のebayでは普通であったが、最近はインターナショナルのセールが普通だ。しかしどうしても手に入れたいので、マンハッタンの怪人チョーセイに無理をお願いした。
そのレンズがカリフォルニアからいったんマンハッタンのチョーセイさんの所に来てそれをまた極東に送ってもらった。実にありがたい。
さっそくこのようにペンデジタル2に付けた。本日からのプラハ巡業に持参して、なにかとスナップを撮影してくるつもりだ。
新しいレンズを手にすると、自分の視神経が新しくなったような気になる。

2010年3月 9日 (火)

裏元麻布

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裏元麻布などという地名はない。元麻布のここら辺はすでに麻布の裏という感じがして好きだ。ヒルズが出来た当時と言うからすでに7年の昔であるが、あの当時、「チョートクx六本木ヒルズという写真集を制作していた当時に、この「裏元麻布」には良く行った。閑散とした小公園であって、そこのベンチから眺める森タワーとうのは前景の古家屋の屋根瓦とミスマッチしてそれがなかなかの眺めであった。
この間、「田中長徳ペンの本2」の中の「いろもの」として島尾真帆さんと東京徘徊という企画があったので、この界わいを数年ぶりに散策した。この前、ここを歩行したのは、なぎら健壱さんとであったからかなり前のことだ。
それでせっかくのペンデジタル2であるから、例のように「ジオラマモード」で撮影した。ただしくは「ジオラマエフェクツモード」というのであろう。このモードの面白い所は実際に画面が合成されないと、どのような絵柄になるのか皆目不明な点である。だから成功すると楽しいけど、失敗することの方が多い。
この公園は何時も閑散としているつもりで出かけたら、数日の雨の後の一日だけの晴れ間であったので、外人さんの家族で大賑わいであった。
まず国際色のあるのは大歓迎だけど、周囲の高級マンションに住んでいる外人の家族が、子供さんを連れて行ける公園というのが、こんな情けない場所しかないというのがどうも申し訳ない。不動産業も高級賃貸は商売になるであるうが、公園はタダであるから、そういう方向の整備は誰もしないわけだ。

2010年3月 8日 (月)

麻布署裏の新潮社の脚立のわすれもの

Img_1119 数日来、麻布署の裏手には路面にガムテープはりまくってカメラマンの領土保全競争状態であるが、また有名人が宿泊しているのであろうか。貼り方が下手なので、週刊新潮に移籍のなかしまあさみさんに、ガムテープ工作の次は「領土保ガムテ道」の本を出してもらいたいほどだ。
各社の脚立が乱立しているが、麻布署がこれを遺失物として扱ったり、署内に侵入しようとしたマル被の捜査に当たらないのは不思議である。
脚立は思うに報道写真家の必携品であるが、やはりカメラマンバッグ片方の肩に提げて、もう一方の肩には短い2段の脚立というのは、報道カメラマン江戸っ子の心意気というやつで、この麻布署の裏手に放置の長いのは、江戸伝統の木場の梯子乗りみたいであるが、携帯には向かない。これは通常の車には乗らないから、どうやってここまで持参したのか。やはりあたしみたいに矢来町から徒歩で持参したのであろう。

有名人で思い出した。20年近く前、FRAから乗ったLHのCクラスが沿海州に接近してから気が付いたが、前の席が中上健次さんだった。NRTに到着して税関をあたしが抜けたら、10名ほどの記者さんがいる。「中上さんですか」と記者さんに聞いたら「ええ」というので、「今、税関で調べられてますよ」と言ったらえらく感謝された。その後はどうなったか知らない。

2010年3月 7日 (日)

アルフレックスとアリフレックス

Img_1083 佃の界わいは「お金持ち」が多いのであろうか、こういうバンが頻繁に到着して、でっかい段ボールを搬入している。その字体はドイツはミュンヘンのプロ映画機材のメーカー、アリフレックスにそっくりのアルフレックスである。英字で綴ると間にriがあるとカメラであって、ないと家具だ。カメラの方のarriflexはarnodさんとrichiterさんが作ったのでその名前があわさっている。そのアリフレックスの方は20世紀初頭からあるから、カメラメーカーの方が古いが、両者のロゴが似ているのでこうして路上でバンを見ると混乱する。似たようなバンが映画の撮影現場に偉そうに停車していることがある。これが映画の照明関係の電源車である。
もっともこの家具屋さんの運搬車の方のロゴは映画カメラの方では、たしか1960年代に使われていたロゴであって、最近のアリフレックスのロゴはCIかなにかの影響でもっとモダンになった。クラシック好きなあたしとしてはそれがまた面白くないんだけど、よその会社の話しだから、つべこべ言う性質のものでもない。
ミュンヘンにはアリフレックスがあり、リンホフがあり、オペルがあり、BMWがあるわけだがその中であたしの所有しているのは、最初の2つだけだ。BMは「BMWののみや」所有の車両に月一程度に「陪乗」させてもらうことがあるが、この前の土曜には野々宮は部下の結婚式で酒を飲まされるというので、交通弱者になってきた。それはそれでメトロの中で話しも出来るし、酒も飲めるから面白かった。アルフレックスはその上に座ることができるが、アリフレックスだって、その金属ケースの上には腰掛けることができる。

2010年3月 6日 (土)

路上の神保町

Img_1095 Img_1094 ★最新のtwitter 掲示板はこちら。

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エチオピア狂いになって、毎日、チキンでもビーフでもエビでも、豆でもかまわんから、70倍を喰わないと寝られないというのはよくない。30代の当時に自転車狂いで一日100キロ走行しないとなにか罪悪感があった、あれと同様である。
でも、エチオピアのおかげで足が遠のいていた、神田の古書店に行く機会が増えたし、今時としてはなかなか品揃えの良い「カメラの太陽堂」にも行くようになった。それで誘惑の多いのは言うまでもなし。
東京の路上の光景でこの40年の間にまったく変化のない場所と言えば、神田の古書店の北側にむいたウインドウの書籍の展示の方法であろう。町の光景を鏡にして反射しつつ、その奥に神寂びた全集が並んでいるのを見るのは良い気分だ。CDが並んでいるところにはそういう安らぎはない。
古書店の角に大道さんの「犬」のポスターが見えてその前に自転車が止まっている。鎌倉書房刊行の「日本劇場写真帳」が売れなくて、ぞっき本屋で300円でかったのもたしかこのあたりの店であった。その先にはあたしの個人カメラ誌の8頁時代CJ誌の綴じ込み用の表紙があった。しかも段ボールの中におかれているので、なにか「捨て猫モード」である。懐かしさに中をめくったら、無関係なカメラのパンフが沢山はいっていた。

2010年3月 5日 (金)

財布新体制

Img_1091 ★最新のtwitter 掲示板はこちら。

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2週間前の火曜の朝10時10分にリスボンの中心部、フィゲイラ広場の15番の電車の中で6人組のじじいの掏摸窃盗団にあたしの300円ショップで買った自慢の反ブランドモノの財布(というか定期入れ)をやられた。それでポルトガル警察の公式の盗難証明書ももらって、そのせいでリスボンがまた一段と好きになってこの5月の10日の連休明けにムーミン空港経由でまたリスボンである。
火曜に盗難にあって、木曜の午前中のまずアメックスのカードが宿屋に届き、同日にvisaも届いた。Dinersは欧州には届かずに日本に届いた。旅先でカード盗難の場合、1枚の有効なカードがあればいいから、すでに2枚でも再度の盗難の危険がある。その意味でdinersが旅先にカードを送らずに佃に送ってきたのは、実に思慮深いサービス、、、であるわけがなく、たるんでいるだけである。
もともと旅先では安全の為に必ずカードは複数枚を半分にしてそれぞれに外での持ち歩きの他に、ホテルなりアトリエなり保管という習慣が出来ていたのに、今回のリスボン行きだけは、ひとつの財布にいれていた。これはあたしが悪い。

盗難を記念して、リスボンの見えないカメラ店のそばの広場で蚤の市をやっていたので、そこでこの財布を買った。こっちのコーヒー豆のパッケージのデザインである。なかなか気に入っている。今度は取られないように、ピアノ線で体に結んでおこうかな。もうひとつのこれは本物のミルクのパックでこしらえた、小銭入れだ。こちらにはあたしの今回のリスボン行の「全財産」である、SDカードを入れてある。

2010年3月 4日 (木)

クラシックカメラ@美の壺

Rimg4069_2 TVは見ないから「美の壺」という番組のあるのも知らなかった。新潮の3月号の作家の日記を見ていてTVを楽しんでいるくだりが出てくると、ああ、意外と時間にゆとりのある人なんだな、とうらやましく感じたりする。自分の場合はただただカメラ関係のことを書いたり考えたりしつつ町歩きをしたりしていると自然にTVは見なくなる。家人から「TVでの最近の流行ごと」を聞いてなんとなく理解するのみだ。

美の壺という番組の取材は確か昨年の7月にあってその放映は10月だったと記憶する。これは家人の部屋で見た。20分かそこいらの番組でしかもカメラのことを知らない人にそのことを分からせるという「公共放送」というのは大変だなと思った。
そのまま忘れていたら、毎回の番組をフィーチャーした立派なムックめいたのを送ってきた。思うに放映された番組よりこちらの方がかなりいい。教育番組ではないが、どうしてもTVだと「何かを伝達しようとする」わけだから、そこに教育っぽい感じがつきまとう。これは草刈さんが案内してくれても同じことだ。
それに対して印刷媒体は自分の好きなように本の中を徘徊できる。ビデオオンデマンドも悪くないけど、あれもあらかじめ決められた時間軸の中を移動しているだけで単に番組の開始時間がそれぞれにずれているだけだ。その点、紙媒体は実に自由だ。このムックの宣伝の為に、あの番組があったのだと考え直してもいい。
Rimg4070_2 ムックの中で恐れ多いというか、ことの他、嬉しいのはかのライカの父、オスカー・バルナックとあたしが並んで登場していることだ。もう人生の目的を達してしまった感あり。

2010年3月 3日 (水)

フェドとズマレックスとズミクロン

Img_1081 100ミリ前後のレンズというのは、俗にポートレートレンズと言われるが、スナップや風景にも恰好のレンズだ。かのHCBも撮影旅行の時には、ライカにレンズ3本(50.90.135)を持参したが、135は重いのですぐに郵便で送り返してきたそうだ。HCBの90MMの種類は分からないけど、普通の撮影ならまずF2のズミクロンということはあるまい。あんな重いレンズを日中の明るさがF11の時に持参するのは無駄な労力だ、きっと、F4のエルマーに違いない。一方でHCBは当時の一番高価なズマレックス(それもブラック)をM3に付けてそれに旧式のビドムをつけて構えているポ−トレートが残っている。こんな重装備を外の撮影で使ったとは信じられない。なにか、このポートレートを撮影する目的でわざと仕組んだのではと邪推できる。
HCBが90MMを案外使っているのは彼の写真集を見ると発見できる。つまり50MM
視野のように見えるのであるが、注意深く観察すると写っている空間が開けている奥行きの非常に深い風景などは、90MMでの撮影だ。これを50MMで撮影すると空間の奥行きが出てこない。だからHCBは50,90のユーザーであってまったくライカのレンズにはお金をかけていない。
さてここに並んだ3本のレンズの真ん中にあるのがフェド100MM F6,3である。戦前に作られたノンコートのレンズだ。内面反射が凄いので本来は内側を黒く塗る予定がそのままになって四半世紀使っているが、順光なら良いレンズである。このプロトタイプは明るさがF5,9というので、デザインはこれほどにストレート感覚はない。それもあるが、この10年来、カメラジャングルに隠れてしまい行方不明だ。

2010年3月 2日 (火)

岡本さんのニコンSP

R1179851 YOICHI OKAMOTOについてはほとんど知られていない。日系アメリカ人で、1955年のウイーンに連合軍の情報将校としてやってきた。それで当時のウイーンを撮影したのである。その他のことはほとんど知られていないが、その彼が自殺してしばらく経過してからその仕事がまとめられて、英語とドイツ語の写真集がウイーンから出版された。この本は20年ほど前にウイーンのギャラリーで買ったのである。
OKAMOTOの写真は第二次大戦が終わった直後の、つまり「第三の男」の同時代のウイーンが撮影されていることは魅力であるが、反面、アメリカ人が通常、ウイーンに対して抱いているある種の異国情緒の上に成り立っている映像であるのは食い足りない。ウイーンを撮影したモノクロームの仕事なら、あたしはまず第一にエルンスト・ハースを(彼とは東京でウイーンのモノクロームテクニックについて話しをした)第一に、フランツ・フーブマン〔彼とはウイーンのボヘミアのプラターでライカのテクニックについて立ち話をした)を第二にあげる者である。

R1179854 ここで岡本さんにあたしが惚れているのは、この写真集の巻末の彼の肖像である。ここには知的な存在のほぼ理想の写真家像がある。手にしているのがニコンSPのクロームでしかも50ミリというのも効いている。ニコンSPは日本人が持つと変なことになる。アメリカ人が持つとまださまになるが、理想の持ち手はこのような「日系」の人である。それがなぜなのかは良く分からないが、その奥にはなにかありそうだ。ニコンRFを持った写真家ならキャパも居るし、革命家ならチエも居る。
この岡本さんのニコンSPの肖像はあたしの大好きなものである。R1179855

2010年3月 1日 (月)

2.28日本ペンペン倶楽部@小川町と東急「ベ」と須田一政さん

P2286117 P2286138 P2286120_2

★御礼★

さきほど、690万頁ビューを達成しました。どうもありがとうございます。

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chotoka 

2.28日本ペンペン倶楽部@小川町。である。
以前、この集会で「日本ペンペン倶楽部」(日本ペンクラブではない)の設立を宣言したので、その例会というわけだ。満員御礼。
前回は例によってあたしの雑談が迷走してしまったので、その反省をもとに今回は本番前に1時間かけて、デジタルカメラマガジンの川上編集長と綿密な打ち合わせをした。それであたしがタイムキーパーになって持ち時間40分でかっきり終了。ペン2とペン1とペンライトは何が実際に違うのかというお話。
満員御礼。

その後、5分だけ3月17日からの時計Beginバーゼル取材の打ち合わせを世界文化社の植田さん、藤嶋さんと立ち話で済ませて、オリンパスギャラリーを出た処で、東急BE(とうきゅう べ、と読む)のライカ愛好会の皆さんと合流して、そのままライカ実習撮影に出かけた。時間の使い方に無駄はないが、皆さんにはご迷惑をおかけした。

すでに雨は上がって良い天気になっていたので、傘はそのままオリンパスの鳥居さんにお願いして処分してもらった。ライカ愛好会の撮影機材は先週のリスボンの機材、すなわちペン2にペンライトにライカ1204である。
雨上がり日曜の午後の綺麗な光の中を歩行しライカ愛好会の面々と撮影していたら、神田駅前で停車中のmercedesの中から声がかかる。誰かと思ったら須田一政さんだった。おそらく20年ぶりの再会。いきなり時代は40年ワープ。
そこで立ち話。
例によってライカビットMPで富山町25番地の2階で、午後5時の飲み屋の開く時間まで、ライカビットMPR〔訳注:ライカビットMPにクイックロードのアクセサリーを付けたもの。そのコンフィギュレーションはライカMP−2Qとも言う。ただし須田さんとあたしの間の隠語)を畳に落として、それを突き刺して遊んだ話しなど。ポルシエ(近所の喫茶店)の看板娘「五十川さん」(いしかわさん、この字でよかったかな)に会いたいなどの話題になる。いきなり1966年の東京に時間が戻ったわけだ。あたし22歳。須田さんは29歳。それで一緒に「カメラ毎日」の「二十代の眼」という特集に出た。これが1970年1月号。同じ号では鈴木清さんも登場したのだから凄い。
須田さんはローライ2,8Fをとりだして、あたしを撮影してくれた。ローライには小型ストロボが付いている。これも須田さんの40年来の伝統的撮影方法だ。

カメラのキ(タ)ムラの2階で「模擬ライカ購入演習」をして、同行の東急BEの三好さんに「どっか、適当なカフェを探してきてください」とお願いしたら、中央通りの白亜の殿堂のカフェ(しかも日曜なのに無理にお店を開けてもらった)を予約してくれた。凄い才能だ。脱帽する。そこで後半の講座。このお店はB1がカタロニア美術館の中の教会堂の祭壇のコレクションみたいな感じの白いインテリアでかなりレベル高い。フリーメーソンの集会にも使えそうな感じ。
午後4時半に終了して、徒歩、日本橋から永代橋で佃。川沿いを歩行していたら東京消防の人に敬礼された。あたしが「佃大隊長」であることが分かったのかと思ったら、そうではなく、チリの大津波が来襲するので堤防の上に上がるようにとのこと。佃大隊長了解!

たしかに水位はかなり増していた。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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