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2009年11月30日 (月)

モナコ

Img_0522 「栄光のレマン」という映画は見たことがない。1971年の映画というから、あたしは日本デザインセンターの「二年生」だったから、仕事が多忙で見なかった。京橋のテアトル東京で上映していたような記憶がある。
ステーブ・マッキーンは当時のスーパースターである。仲間内の褒め言葉が「マッキーンに似ている」であった。「マッキーンに似ている木村君」(この場合、関西風に第三音節をあげる)みたいな用法である。
まあ、あんな「外人」と極東の人民とが似ているという発想自体が変なのであるが、これは40年前のことであるから今更言っても仕方ない。

四角いモナコはかなり前からがらくた箱の中に入っていた。この前、小川町のペンペンギャラリーのあたしの講演会で、世界文化社の時計BEGINの編集長と編集員が来た。そんなご縁で、編集部から時計BEGINの最新号を送ってもらった。その表紙がモナコを付けた映画のマッキーンであった。このモナコは最初期のモデルで、リューズは反対側についている。最近のebayでは8000ドルまで値が付いたけど、リザーブに合わなかった高値だった。これは2ダイヤルモデルである。無論、タグホイヤーではなく「ホイヤー」である。あたしの所持しているのは、その後のオートマチックではない3ダイヤルのモデルだが、最初は素人さんがメカを開けようとして、中途半端でケースが閉まらなかったので、それが斜めについていた。サービスに出したらちゃんと水平にメカを押し込んでくれたが、なにか最初の斜めになっていた方が良かったような気がする。
今回のおきゃーまの1週間では、その機械式時計の金字塔を持参した。手巻きであるから朝目覚めた時にねじを巻く。旅に出る時にはオートマチックより、手巻きがいい、暮らしのテンポが出来るからだ。

2009年11月29日 (日)

300円ショップの「世界の一流品」

R8110463 ★本日移動日。HNDOKA

以前にも話題にしたかも知れないが、やはり感心なのでまたここで取り上げておこう。
家人が数年前に八重洲の300円ショップから冗談で買ってきた、定期いれである。これに各種の証明書とか、カードを入れて世界中を持ち歩いてすでに数年になる。長い日本欧州のフライトの間にもGパンの尻のポケットで圧迫されているのに、この定期いれは別段悲鳴を上げることもない。
それで数年後に仔細に点検してみると、どこも悪いわけではない。これがデジカメだと数年も経過すると、すでに相手にされないどころかその存在も忘れられてしまうのである。その点、アナログ存在のモノというのは、圧倒的な強みがある。

あたしの300円パースは一部ではかなり有名であって、女子が褒めてくれたりする。まあ、還暦すぎのじじいを褒めるには、せいぜいが持ち物くらいしかないのでそこら辺が若い連中の思いやりというもので、これはありがたい。

ライカMP突撃体長などは、気を使って似たような定期いれをくれたものであるが、それはセサミストリートのキャラクターであって、その色合いもこの300円もののような「小便色」ではなく上品なホワイトなのでもったいなくて使えない。

生活のステップアップを狙うのなら、ここで佃から六本木の定期券を買うことだが、それはまだ実行していない。20年以上前、ヒルズがまだ存在しなくて、その場所に宮島整形外科があった当時には定期でここに通ったこともあった。WAVEがあり、六本木スタジオがまだあった時代の話だ。

2009年11月28日 (土)

速報 GXRのユニットで遊ぶ 2

Pb280271 R8110392 GXRをテスト開始して3日目。一昨日はen-Taxiの撮影でメーンカメラとして使用。同行の前田司郎さんはライカ2台と、ローライ二眼レフであたしを撮影してくれたが、前田さんの興味はもっぱらGXRでそれも、カメラユニット交換にあったようだ。そのカメラ人類二名が、瑞江駅前で怪しい立話しをしているのを、同行の田中陽子編集長が撮影してくれた。彼女のカメラはGRD2である。
江戸川1丁目では、「紙で出来た住居表示」(恐らく世界でここだけ)の前に、俳優前田司郎さんを立たせて撮影。歩行中には演出家前田司郎にインタビュー。「せりふが入らない」という業界用語を教えてもらう。おっとその話は次回のen-Taxiにて。
江戸川ロケではもっぱらズームカメラユニットで撮影。やはり何が起こるか分からないニュースフィールドではズームが便利。約200カット。「田中長徳ペンの本」のトップに出てくる、あたしのセルフポートレートはプラハの鏡の前の撮影だが、あれも8月4日の撮影初日で、なにが来るか分からないという気分だったので、ズームを使った。

昨日は午前に新佃の「マジックガーデン」に50ミリだけ付けて行って、いろいろ撮影。ここは勝手知ったる場所なので、「自分の中に潜り込む」意味で、レンズは50ミリのカメラユニットを使用。GXRでもペンデジタルでも目下、現行レンズ(カメラユニット)は、標準のプライムと汎用ズームである。
そういうシンプルな最低限の構成があんがいに、視神経を研ぎ澄ませてくれるわけだ。交換レンズの罠に落ち込まないこと。これだな。
本日は、アローカメラで午後2時半から恒例のシドニーあり。そこで11月初めのペンデジタル2の長崎ロケの裏話と、明日からのGXRの岡山ロケ(ならびに原稿書き缶詰)の話しをする予定。

このGXRの画像に見えるチエリーのハンドグリップ(カメラのキ@タ@ムラ)で1500円はなかなか気に入っている。ハンドリング抜群だ。
上のカメラの姿写真は、ペンデジタル1で、下の「しじみと老ワン公」の写真はGXRにズーム。銀座の夜景と、佃のマジックガーデンは50ミリのプライムで撮影。「50ミリ、すげーシャープ」(田村ショウエイ風の台詞)R8110532 R8110609

ライカD3ライカモーター付き速写ケース

R8110452 ライカD3にライカモーターを付けた状態で撮影の可能なカスタムケースである。これも鵠沼の匠、佐佐木潤一の作。彼の父上は有名な腕の良いテーラーだ。その血を受け継いでいるわけだが、これを作るに最初のは気にくわず、二度目も実はあまり満足ではないのだという。名人上手というのはそういうものなのか。その最初の作と二番目の作を一緒に送ってくれたのだが、素人の自分にはどちらも結構な作りで、区別がつかない。

このライカモーターは非常に酷使した個体で、以前、知り合いの岸本名人にスプリングの切れたのを直してもらったのだ。ウイーンの専門家の間でもライカモーターのゼンマイは始末に負えないから、中は開けない方がいいというのがもっぱらの話しであったが、岸本はそれを開封したちゃんと修理した。

ライカに付けたライカモーターのイラストでいいなあ、と思うのは戦前のやつで、3aにモーターが付いて、レンズなズマールのがライカのダイナミックな存在感が強調されていて好きだ。

ところで、鵠沼のブレッソンこと、佐佐木潤一作のこのライカモーターケースだが、一点だけ理解できないのは、最初にサンプルとしてオリジナルのライカモーターのケースを一緒に送ったのだけど、例のモーターの下部の巻き上げキーの「開放部」の窓がこのケースにはない。それで撮影時には12枚撮影のたびに、ライカをケースから取り出して、これを巻き上げる必要がある。いかにも面倒な感じがしたが、逆にその方がライカモーターを楽しめるのではと考え直した。

2009年11月27日 (金)

速報 GXRのユニットで遊ぶ

Img_0540 到着したGXRの本体とカメラユニットをテーブルの上に並べて、それぞれのカメラユニットを付けたり外したりする。その機械の感触がなかなか良い。着脱にはカメラの前のボタンを(操作者から見て)左に押してカメラユニットをはめ込む、あるいは引き抜く。「カチン!」と言う快適なクリック音がするのが快感。この場合、水平に差し込むのがこつ。ハッセルブラッドのマガジン交換を何十年もしている身にとってはこの水平挿入がなかなか慣れるまでに手間取った。どうしても最初にユニットを本体に斜めにいれて、「ひっかかりを探って」いるのである。人間の手先の記憶している行動パターンというのは恐ろしいものだ。
ユニットを斜めに突っ込んではいけないというワーニングが本体の裏(というか正面)にイラストでちゃんと入っているのは、開発段階でリコーがこのことをかなり気にしていた証拠である。この本体のカメラユニットとの接合部は、昔なら「見せない部分」であったわけで、目立たないカラーになっているが、いっそのこと、ここをサバイバルジャケットの蛍光色のオレンジなどに塗装してあると、カメラシステム全体の「メカ感覚」が一挙にアップすると思う。
電源のオンになっている時、カメラユニットを外そうとすると、「ピピピ」とアラートが鳴る。それでもカメラユニットを外すことは出来るが、これはどうも面白くない。フィルムカメラの場合、裏蓋を開けるとフィルムは感光してしまう例にならって、「罰ゲーム」としてその日に撮影した画像は全部、消滅するとかにした方がカメラを操作する「危険性」が増大して面白いのではないか。
GXRは理論上、レンズ交換は出来ないカメラである。「競合機」のペンデジタルはもっぱらレンズ交換で売っているカメラである。GXRが埃の混入から完全にフリーになったのは、朗報であるが一方、レンズ交換の不可能を「交換おたく」にして見ると、残念がる向きもある。でもこれはカメラの個性と割り切りをするべきであろう。何でも出来る瑞西アーミーナイフの分厚いのは、ツーリストのお土産にはなるが、瑞西軍の使っているのはごくシンプルなナイフである。
GXRはこれから各種のカメラユニットが登場するようだが、あまり数を増やさない方が商品としての存在はその鮮度が高く感じる。
一方でサードパーテイさんは「マウントアダプター」では、ペンデジタルやパナのようには儲からない。でもリコーと相談して、4/3アダプターとか、Kマウントアダプター(ではなくて、カメラユニットと訂正)などは商品価値があると思う。単なる町の機械屋さんではマウントアダプターは制作可能だけど、カメラユニットは制作できない。ロシア製の毛色の変わった、カメラユニットなどは是非欲しい。そうなるとブランドはやはりキエフになるのか、、、、などとGXRで可能性の夢が拡大する、というか妄想が拡大する。これはカメラ人類には福音である。

いふぉん用ZACUTOハンドグリップ

R8110449 周囲でいふぉんを落下させた話しを良く聞く。いふぉんには携帯ストラップが付かないので、どうしても取り落とす可能性がある。それでパネルの表面はガラスなので、割れていると指が痛いけど、それでも使うことが出来ると、あるいふぉんのゲリラ戦士から報告があった。
いふぉんをムービーカメラとして使うには、このグリップが必須である。最近では電車の中などで前も後もいふぉんユーザーということが多いが、これを出して胸のところにグリップを押し付けてTWITTERしていると、おや!何を使ってるのかな、と周囲のいふぉんユーザーからの視線を感じることもある。

電話としては使っていない。そう思うとこれが新しいデジカメの形であると認識することもできる。

自分の場合にはYOUTUBEの縦位置360度のパンをする時には、このグリップは必須だ。YOUTUBEも最近では何となくその解像度が高くなったように思えるのは気のせいかもしれないが、いふぉんムービーは楽しみなものだ。

2009年11月26日 (木)

ニコンSP+モーター付きの速写ケース

R8110450 R8110451 鵠沼のブレッソンこと、佐佐木潤一はフィギュア作家としても活躍しているが、同時にカスタム革ケースの制作者でもある。これはニコンSPモータードライブ付きのケースである。製作をお願いしてこの6月に佃に届いたのであるが、引っ越しにライカインコ昇天に、プラハにカイロに、浪速に遷都君などで多忙を極めていたので、到着してから実に半年ぶりに段ボールを開梱した。
実に素晴らしい出来である。

革は浅草橋まで自分の気に入ったのを買いに行くそうである。なんでも有名な女子用のバッグと同じ素材であるとその革屋さんから聞いたとのことだが、こういうぬめ革は時間が経過して良い感じになって行くのが楽しみだ。ただしまだおろしたてのスニーカーみたいで、ちょっと恥ずかしい感じがある。

今時、モーターで連射するのは流行らないので、バッテリーケースは使わずに、これで手巻きでぼつぼつと撮影するのが良いであろう。

当時の日本光学工業はニコンSP用の革ケースは各種制作し、ニッコール50MM F1,1用のフロントの大きなケースなども出しているが、モータードライブ用のケースというのはない。

2009年11月25日 (水)

THE ACTINA TOKYO

Img_0349 THE ACTINA TOKYOは謎の存在である。
1950年代のシュミットの型録だけ当時のアサヒカメラかは忘れたけど「アクチナ引き伸ばし機」の一文があり、それがライツ製のバロイ引き伸ばし機ににたデザインのものだった。後年、ライツの自由雲台に似たモデルでやはりアクチナブランドのものを持っていた。その仕上げは非常によかった。
それでこれはレンズフードなのである。その素性は不明であるが、THE ACTINA TOKYO JAPANでないからこれは講和条約以前の製品かも知れない。その作りはなかなかに優秀であって、ライツのレンズフードと肩を並べる。数年前に品川の松坂屋カメラで買ったのだ。価格は0,35カメラ円であった。アクチナブランドは謎なのだけど、どうも当時のライツ製品があまりに高価であったので、国産で同等品で手に入り安い品物を作ったのではと思う。しかしこれは想像の範囲を出ない。

2009年11月24日 (火)

ご近所の川鵜さん

R8110393 佃のベランダから観察する動物の中でマイ人気なのは「川鵜」である。この鳥はテリトリーが決まっているようで、佃水門の百本杭の上にいるのはまだ若い川鵜のようだ。どうも、カラスとか川鵜のような黒い鳥は全部が男の子に見えるのは、これは人間の方から見た「身勝手」というやつであろう。

ウイーンなどで2月頃になると、カラスのカップルが出来て、公園などで仲良く二匹並んでいる。人間の目から見ると分からないが、彼らには男女を識別できるわけだ。ライカインコの場合にも同様であって、4年間の生涯であったが、最初の2年は男の子か女の子か分からなかった。それが2年経過した9月の朝に「おめでた」があったので、女子であることが判明した。あの時には、赤飯を炊くのは面倒なので、下のリンコスで赤飯を買ってきて祝った。その影響でライカインコ昇天日には赤飯で祝福するならいである。

この川鵜が男子か女子かはさておき、住吉さまの水門のぼっくいの上で天気の良い日には羽を干しているのはのどかな眺めである。同じ格好の鳥の姿をどこかで見たなと思って、記憶をたどったら、チエコの高速道路でMATONIという炭酸水があってそのシンボルがこのようなスタイルの巨大看板になっている。これを高速道路で移動しつつ観察するのはダイナミックだ。ただしその鳥の種類は川鵜ではなく、イーグルである。

この画像はリコーCX2である。300ミリ相当の望遠撮影。CX2は複写に使ったり、ブログの撮影に使ったりの100パーセントの万能実用カメラだ。無論、GRDストラップレスアナーキストメンバーだから、紐がついていない。CX2の実用路線と、GRD3の芸術路線。それに新らしいGXRの哲学路線の三路線の使い分けを、新刊の「GXRワークショップ」で展開。そのメモ書きの真っ最中。

2009年11月23日 (月)

LONGlNES Antique 1925 Watch Hulf Hunter Silver Case

23 24 腕時計だが、スチール製のケースに比べて、銀のケースは手にやさしい。金鍍金はいいけど、金無垢は嫌みである。

銀時計の良さに気がついたのは、自分がじじいになってからだ。じじいになると老人力がつくのも良いけど、そういうデリケートな感覚が分かるようになるので、これは年寄りもまんざらでもないと思うようになった。
銀時計は2つ持っているが、瑞西製で、一つは風防の開く、懐中時計を改造したやつで、自慢していたのが、この4月のパリからの飛行機の中で秒針を紛失した。あたしの乗ってエアフランス機は今でもキャビンにその秒針を載せてどこかの空の上にあると思うと痛快だ。
もうひとつは、ロシアで皇室ご用であった、瑞西製PAUL BUHLEのトノー型のやつであるが、これも機械の調子は絶好であったのが、この7月3日の午後2時20分という時間にいきなり停止したのである。これがライカインコ4世の昇天の時間を予告するものだった。インコと時計のぜんまいが同時に切れたのである。
その2つの時計はプラハに行って修理しようと思った。プラハは天文時計などの本場であるから機械式の時計職人にはいい技の人が多い。
ところが時計などは小さいモノであるから、その後のどさくさでどっかに仕舞い無くしたままである。こういうモノは探すと絶対に出てこないから、時機を待つのが肝要である。それでその2個の時計は今のどこかで安らいでいる。

それでひとつすぐに使える銀時計を欲しいと思って、手に入れたのがこういうものだ。ハンター用と銘打った銀時計。これが1925年製という。ライカの1型の時代の時計で立派なカバーが付いている。
瑞西の名門論陣である。

2009年11月22日 (日)

日ノ出町グエル公園のライカ

Img_0503 バルセロナのグエル公園は俗悪な観光名所であって、港からかなり山の中に入った所にある。ここに行ったのはバルセロナ五輪の開催の2年前で、無論仕事で行ったのだ。そのタイルちりばめた公園の感じを、ここ、池袋の路地裏の小公園はよく留めている。東池袋の「名も無きコロッケ屋」を訪問するときには、コロッケがまだ出来ていなかったりすると、ここまで来て小公園のミニライブラリ(露天のライブラリはアレクサンドリア図書館より歴史が古そう)で、そこに置かれている日本カメラのバックナンバーを見たり、分厚いマグナムの写真集を見たりするのである。気分はバルセロナであるが、すぐに向かいには昭和20年代の家屋のセット(という風に見える)があって、そこに日本共産党のポスターが貼ってある。いつだったか、そこに座っていたらいかにも「古参党員」という感じの男性が自転車で乗り付けてポスターを貼り替えていた。
Img_0500 久しぶりのこの公園を訪問したら、すでにマグナムの写真集はなかった。2年前の時点ですでに雨にさらされて分厚いハードカバーがぶかぶかになっていたからこれは仕方ない。その中のマグナムの女性写真家がライカを構えて、脇には200ミリのキヤノンレンズを付けたコンタックスSをぶら下げている写真など見て、そぞろ50年代のカメラ気分に慕っていたのである。
ここが温帯モンスーン気候であることが判明したのは、小公園の中央の分厚い木製テーブルがすでに腐食してこれもぶかぶかになっていたことだ。
その腐食して分断された机の上に持参のライカをそっと置いて、いふぉんで撮影した。ライカもジュピターもバルセロナの青い空を映している。「ライカラシニコフAK47」には1本しかマガジンを持参しなかったので、ここまでの市街戦ですでに最後の1弾まで撃ち尽くしてしまった。
ここで傀儡軍に攻撃されたら最期である。と、ニコンS2にニッコール50mmf1,1を好むチエの気分を追想。やっぱり今日はライカはやめにしてニコンS2にしておけば気分は最高であったのか。

2009年11月21日 (土)

TWITTER 伝言板。三時間以上経過した場合は消すことがあります。

  1. 木星珠倶楽部の無届け集会から帰宅。参加者は主催者発表では5万人。警察発表では、あたし、げんごでざいん、すえーどM2の三名。数字開きすぎ。            
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  2.                  
           
            午後6時より、枝村越後屋にて、「木星珠倶楽部」の無届集会あり。有志は奮って参加せよ!            
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  3.                  
           
            @BMWnonomiya ヒルズの49fから麻布十番を見る。車の光の洪水。三井綱町クラブでオリンパスE1の発表会があったのは何時だったかな。庭園に真っ赤なF1レーサーが置かれていた。あれ以来、あちら方面には行っていない。            
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  4.                  
           
            例の論陣の銀時計。実に正確。クロノメーターなみ。これが1925年製という。時計の進化とは何なのか?ヒルズのエレベータに乗ってると、この「脱進機」がLV製の黒いレザー貼りのキャビン内に響きわたる。            
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  5.                  
           
            ヒルズ。15時28分。森ビルおかかえヘリコプター(白いの)は、こっちを離陸して1分後にアークヒルズに到着せり。            
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  6.                  
           
            ヒルズの午後。昔、イタリア取材の帰り、Y席に座って寝ていたら、周囲の若い男性がいちどきに動き出した。そのチームワークにびっくりしたが、後で聞いたら日本に行くF1のふぇらーりチームのメカニックであったと。そういうことをなんの具合か偶然に思い出した。            
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  7.                  
           
            ヒルズ。午前11時01分。森ビルおかかえへり(白いの)が向かいのアークヒルズに着陸。            
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  8.                  
           
            @yoshinorikikuch エルマー65ミリはかつて中央公論の巻頭グラビアの連載をしていた時、よく使いました。ただ、ビゾフレックスではなく、アダプターでコンタックスRTSにつけて使用。江副さん、浅利さん、稲盛さんなど皆、エルマーで撮影。ポートレート用には理想。            
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  9.                  
           
            老人力(老人パワーではない。念のため)がついて小物を持参するのを忘れる。昨日はカードリーダーのコードのみ持参した。今日は一式忘れた。いずれにせよ、役たたず。入館カードもロッカーの鍵も忘れて、今日はレセプションからスペアを借りた。やれやれ。            
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  10.                  
           
            AmexのPTデスクから電話。5千数百円海外 からの請求。それが架空ですでに未遂でほかのメンバーにも請求が行っているらしい。PaypalはVISAを使っているので覚えなし。今のPTカードは廃 番に。新しいのがくる予定。勢いでPTからのダウングレード依頼をするの忘れた。            
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  11.                  
           
            @yoshinorikikuch うーん。なかなかスタイルよし!やはりエルマー65はクロームがいいですね。            
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  12.                  
           
            今朝は佃の朝は省略して今、ヒルズ。半逆光ともやで空樹はっきり見えず。            
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  13.                  
           
            悪いじじいの癖にて、深夜に目覚める。ってプラハではまだ午後8時前か。プラハから「展覧会のプリントの準備はいいだろうな」の脅迫メール。ようするに30年来のプラハの人間関係もまったく信用されていない。        

Zoomar-Reflectar 150in/25

Dsc00051sized Dsc00057sized Dsc00078sized 十数年前に、NASAが使ったズーマーレフレクターという触れ込みで、EBAYのオークションがあった。あたしは数本のレフレックスレンズで一番長いのを落札したのである。150インチだから3750MMというながーーーーーーーーーいレンズ。
送金したが、一向に送ってこない。しばらくたってから知らない「外人」からメールがきた。同じ時に出品されたもう少し短い方のレンズを落札した人で、数点の出品があったから、連絡をとりあって「被害者同盟」を結成した。まだPAYPALもない時代で支払いは完全に個人のリスクであったのだ。
そのレンズをEBAYで検索したら、ヒットしたのがこれである。脇に巻き尺のあるのが親切だが、その長さはたかだか40インチほどだから小型軽量である。

まずこの送られてこなかった150インチレンズなどはまずは理想の買い物と言ってよい。実物がそばにあったらその収納で邪魔になる。一方で支払いをして物が届かなかったレンズは、いつまでも記憶の中に輝いている。ラストの画像はレンズを前から覗いたところだ。木村名人の言うところの「古井戸をのぞいたようなレンズ」の箴言は今もここには健在である。

2009年11月20日 (金)

千住公園のベンチのライカ

Img_0368 最近の東京大周遊のカメラ関係だが、まずデジカメ1台という場合には、ペンデジタルであって、ライカと併用する場合にはCX2とかいふぉんを持参する。これをカメラ心理学で分析するに、この前の長崎行きには、新製品のペンデジタル2を持参してこれは仕事であるから、一緒に持っていったライカの方は1枚も撮れなかったがこれは仕方なし。

ただ夜中にホテルの部屋でライカと遊んだだけだった。ペンデジタルは「酒の肴」になるほとんど唯一のデジカメであるなどと、この前の日曜の小川町のオリンパスのミニ講演会で話したのであるが、あれは思いつきの座興ではない。長崎の吉宗に3泊のうちの2回は行ったのであるが、入り口のとっさきのテーブルで「松」の酒(これは辛口でいい)を3本ほど並べると、良い気分でその前にはズマレックス付きのペンデジタルが置かれていたのは良い酒のつまみになった。

過去、40年間はその役目はもっぱらライカが果たしていたのである。
ところで最近の東京大周遊の場合、デジタルで楽に撮りたいと思う反面、ライカで結果を先送りして楽しみたいという気持ちもあって、その場合には手元のライカのうちの1台にフィルムは2本だけ持って出撃する。この場合にはCX2といふぉんが同行するわけだ。
水曜(11月18日)は、千住、押上、瑞江、江戸川、市川から浦安、中野から波長堀というコースであったが、まず最初に2本のライカのフィルムはすぐに撮り終えてしまうから、後はいふぉんで撮影した。ところがいふぉんというのはあまりバッテリーが持たないらしく、200枚くらいで残量が18パーセントにて赤文字になってしまった。本来、そういう馬鹿撮りはしないカメラ(そう、カメラと思っている)なのであろう。

こういう暇な時間を遊ぶ東京大周遊の場合、ライカの存在は重要であって、こんな具合に千住の公園で天候回復してベンチの上のライカに日が射してくるのを楽しむようなわけだ。このショットはいふぉんで撮影しているが、ここでカメラを持ち替えて、いふぉんに日が射してくるのに感激して、ライカでいふぉんを撮影するようなことは絶対にない。

この前、無理してライカM9を買おうと決意したのだが、結局その半値の40数年落ちのライカM2のブラックペイントに同色のライカビットMPを買ってしまったのも、深層心理を掘り下げてみれば、ライカM9というのはあれはその属性が「クラシックライカより、いふぉんに近い」のでそこで物欲が萎縮したというべきか。

2009年11月19日 (木)

夢二の墓

Img_0317 雑司ヶ谷墓地では目的のお墓を発見できたことがない。以前、断腸亭に心酔していた時には目をつむってもその墓地に行くことが出来たが、広大な墓地のx軸とy軸の交点を探すのは案外に面倒な作業だ。もともとその座標を事前に知ってそこを捜索ということが出来ないのである。
この前の雑司ヶ谷では偶然に「夢二の墓」を発見した。「竹久夢二を埋む」と石碑にあるが、これは自然石である。子規の場合には「自然石の墓石はいやにて候」とあるが、夢二の場合はどうであったのか。

R8310045 別に有名人の墓石を徘徊する趣味は自分にはないが、墓地は世界中をわりに歩いているほうだ。この前、回路では町の東方に「死者の町」というのがあって、これは墓地なのだけどその中に人が住んでそれなりの町になっている。墓地というのは、生者の方から見た彼岸のかりぞめの姿にしか過ぎないわけであるから、人間が普通に生活している町より、さらに「生気に満ちて」いるような感じがある。回路の死者の町では巨大なイスラムの墓の中で子供連が走りまわっていたが、それはその隣の生者の町の子供連より元気そうであった。

さて、夢二の墓はこのような感じでいかにも、ローカル線の田舎駅に到着した時の「近郊の観光案内」めいていてよい味が出ている。この木製の掲示板の経年変化は今がちょうど見ごろなのである。誰かが備えた紅茶か番茶のコップがあった。

2009年11月18日 (水)

論陣の骸骨

665 スケルトンの時計は2000年ころに一時こったことがある。その機械学的な存在が浮上してい面白いと思った。しかしこの手の時計は腕につけることは絶対にない。それは自分が「性格破綻」していることを公言するようなものであるからだ。もともとあたしなどは第三者から見て性格破綻であることは明らかなのに、その上に「骸骨時計」をつけてその駄目押しをするまでもないわけである。
この論陣のスケルトンは今朝、ebayにあったものだ。中に「いのしし」の意匠があるので、同じ干支だからいいかなと思っていた。それで締め切り10秒前に、スナイパーのあたしはおもむろにビッドしたのだが、時間きれになってしまった。理由はebayの場合、ビッドすると次の段階で確認があり、さらにボタンを押すとそこでビッドが入るようになっている。(ほかのオークションも同じ)ところが油断していたので、ログアウトしていたのである。あわててログインするには数秒かかるので時間きれとなった。
まあ、こういう品物は生活に必須ではないからまあ、それでいい。
と、イソップのきつねの「すっぱい葡萄」を気取ってみる。
やはりとり逃した時計は大きい。

2009年11月17日 (火)

学研の35ミリ二眼レフ

Img_0327 35ミリ二眼レフで一番有名なのはツアイスのコンタフレックスであろう。これは珍品ではあるが、日本に吹きだまりがあるようでまだまだ発見できる。

これより珍しいのはアイレスカメラのヤルーフレックスであろう。これは坂崎さんのお得意のカメラだ。イタリアにはラッキーフレックスという35ミリフィルムを使う二眼レフがある。これが今、言った2機種と異なるのは、そのフィルムの走行方向が縦方向に走るのである。もともと120フィルムを使う二眼レフはフィルムは縦走りであるのだから、コンタフレックスとかヤルーフレックスがフィルムを「横流し」していて変だとの見方も成り立つ。それはともかく学研が最近に出したのは35ミリ二眼レフのキットであるが、これはフィルム縦走りなのだ。

キットで販売していてその価格は0.15カメラ円くらいなのである。書店で流通させるためなのであろう。中には作り方と作例の小冊子が入っている。アローカメラで見せてもらったのだが、とても自分には作れないと思った。その方面の工作は天才的に下手なので、20年ほど前に、あのアルパ(そう、高級カメラのスイス製のあのメーカー)が、新型の中版サイズのアルパの新製品を出すときの、プロモーションであったのか、それとも通販で安く売ったのかは記憶にないが、ボール紙のボックスカメラを出したことがあった。これもキットなのであるが、その工作がまた自分にはなかなかの骨折りであった。

この二眼レフはちゃんとレンズもついているからはるかに高級品である。冊子の作例を見るに著名写真家が撮影しているのだけど、カメラはおもちゃであるから無論、その写りはよくはない。それを承知でこういうボックスカメラを買うのは「最初からぴんぼけ日和」がすきなホルガを好むような少女連なのであろうか。

その翌週にアローカメラに行ったら、二代目は仕事の合間をぬってそのカメラを完成させていた。やはり縦方向にフィルムを走行させるので、そのスタイルはコンタフレックスより、ラッキーフレックスに似ている。思ったより存在感があって、手にとってみれば軽いけどなにか写りそうだ。

そのカメラで撮影したコンテストを発行元はやるようだが、二代目のアイデアではこういうカメラは写りはわかっているから、それよりもキットを組み立てて、その出来上がりを競うコンテストの方が面白いのではと言う。あたしもそのアイデアには賛成だ。二代目が見せてくれた彼のデジカメに記録された画像の中に、「お客さんが見せてくれたこのカメラの仕上がりのバリエーション」が数カット写っていた。その中には高校生が製作したやつで、なんとこのカメラがブラック仕上げで、角がはがれて真鍮の下地が見えている。ライカではないのだからそういうことはないことはわかっていても、その感じがいかにもカメラの魅力をうまく捕獲しているのだ。

2009年11月16日 (月)

クラカメ中学三年生

Img_0332 アローカメラの二代目社長からの報告によれば、夜な夜なではなく、昼な昼な(という言葉はなぜないのか?)にハッセルブラッドと交換レンズを3本持った中学生がアローカメラに出没するそうである。

アローカメラにはライカ社の社長とか、坂崎幸之助とか黒田慶樹とか、石川直樹、ならびに新潮の矢野編集長なども出入りしているのだから、何の不思議もないかも知れないが、中学生がハッセル持ってというのは穏やかではない。地元教育委員会は何をしておるのか!ということになる。

過日、お昼前にアロー二代目とお店で歓談していたら、二代目が「ああ、きました。きました」と言った。まるで「イリオモテヤマネコ」が来たような感激具合だ。
くだんの中学生T君は、今、錦糸町でミノルタX1をゲットしてきたばかりとかで、持ち物検査をしたら、バック(バッグでないとことがいい)の中にはニコンF2チタンも入っていた。中学生と年齢比較するのなら、こっちは生活指導の教師のかなり古株にあたるから、「ああ、チミチミ、、、今日はガッコはどうしたの?」と聞いたら、何でもインフルエンザの為、学級閉鎖なのだという。そういうお休みを利用して、東京のあっちこっちを徘徊する中学生ってかなり進んでいるかも知れない。還暦過ぎのあたしなどは最近ではもっぱらお墓巡り。

2009年11月15日 (日)

空樹とエンテ船をEP1+TELEATHENAR300MMで

Pb150249 一週間ぶりの快晴の朝なので非常に気持ちが良い。昨日の「家宅捜索」で押収した、ガリレオ社(イタリア)の8X35の高倍率の軍用双眼鏡(こういう変な口径と倍率の組み合わせは他に知らない)で、空樹を観察する。今200メーター超だから、その見かけがヒルズと同じだが、この3倍になるのだからこれは楽しみだ。
楽しんでいるだけではなくこれを「記録」しておこうと思い、この夏に「田中長徳ペンの本」でプラハに持参したアメリカ製の望遠レンズTELEATHENAR300MMをペンデジタルにつけて撮影したのがこれである。骨格などが良く分かる。空樹の真ん中あたりに「こぶ」のようなモノがあるのも確認できる。
その画像をアップしようとしていたら今度は隅田川に「エンテ船」(えんてぶね)が登場した。これは「佃語」であって、この手の小さい船がぷかぷかと浮かんでいるのが、エンテ〔鴨)の様子に似ているからそう命名した。Pb150258
同型の船には「さくらちゃん」もいる。こっちは「千代田区」と表記があり、「さくら」と船名のあるピンクが主体の船だ。この藍色の方の船には名称の表記なし。それで「エンテ船」。
この小型軽量な300ミリは1983年に8番街と32丁目の角のPAWNショップで買った。例の金色の玉が店の上に掲げてある、大昔、ベレニス・アボットなども撮影した質屋である。店のおやじが「俺はグッドガイだからあんたには99ドルでいいよ」とその元値は忘れたが、質屋のおやじがこっちが言い出さないのに、値引きするとはよほど長い間の在庫だったのであろう。
前回のプラハ撮影(8月)では、このレンズをプラハ迎賓館から向けて、プラハの教会連中を一挙に撮影した。
これはCマウントである。
久しぶりにEBAYでCマウントのレンズの価格を調べたら、誰も買い手がなく、50ドルでも売れなかったボレックス用のマクロスイター25ミリF1,1などは馬鹿値で15カメラ円もする。ただしああいう25ミリレンズはけられが生じるから、「自己満足代」であって、実際には使えない。一方でCマウントのン望遠レンズは実用性が高いからおすすめだ。10ミリのスイターなども高値であるが、これもけられが出るので駄目だ。

大塚坂下町の驚愕

Img_0301 東京大周遊で出かけた先が、大塚坂下町。以前、福田和也さんとも取材で歩行したし、その後も数回、周遊したことあり。
豊島が丘御陵の北側にくっついているのが、「儒者捨て場」(墓地)である。そこにアプローチするには壊れかけた石段を登る。すでに門は壊れて石の門柱のみ残っているその彫刻には「東京市」と読める。
石段の左側には崩れかけた木造二階建ての巨大なアパートがあった。丸山薫とか稲垣足穂の棲んた戦前の滝野区は南谷端の中野荘(丸山の創作では「蝙蝠館)は、かくもあろうかという立派な同時にぼろぼろのアパートだった。

3年前に出した写真集「とうきょう今昔」(岩波書店刊)では、その一葉を掲載している。
そのアパートがいきなり更地になって晩秋の日差しが地面を照らしていた。
やれやれ、と思った。ここなら半年か1年は「体験居住」しても良いかな、と思っていたのだ。このように都市の様相はいきなり変わるのがおきてのようである。

それから雑司ヶ谷経由で鬼子母神の石丸元章邸前を過ぎ、鍵型小路を通ってヒルズに向かった。通勤路としては恐ろしく遠回りの経路である。

暗くなって帰宅する時、月島駅かリバーポイントタワーへのゆるやかなスロープを上る時、夕暮れの光はすでに空にその青さが残っているだけだったが、そのダークブルーを背景にして「ポプラの中」〔我が家の造語にて蝙蝠のこと。ウイーン時代に黄昏れに蝙蝠がドナウ運河のポプラの中に出入りしていたのでこの命名あり)が数羽ではなく数匹飛翔していた。月島もこういう飛翔小動物が居るのは大したものだと感心。

2009年11月14日 (土)

ペンデジタルにKERN SWITER 50MM F1,4

Pb140386 マイクロ4/3のお楽しみは、佃にあるガラクタのカメラとレンズのジャングルから映画撮影用のレンズを発掘してこれをアダプターにつけて、ベランダ写真家を気取ることである。

6月30日に同じタワーの上の階から移転してきて、来週の土曜に使用する予定の機材を段ボールの中から発掘した。それぞれの段ボールにはデイアドルフ8X10とか、ニコンSPモーター付きとか、りんほふテヒニカとか、それぞれ箱の外にマジックで走り書きがしてあったが、運の悪いものであたしの捜索していたそのカメラは、箱書きはなかった。そうなるとそれぞれが20キロ以上はある段ボールをそれぞれ開梱する必要がある。これは大変な作業だったが、結局目的のカメラは発見。

Pb140227 ついでにかなり前にアメリカからpatheを買った時に3本ターレットについていた、スイター50ミリを発見した。もともと自分の所有になるモノであるから何ということもないと思うかも知れないが、いったんその存在を忘れていたのであるから、なにか路上でレンズを拾ったような、あるいは誰かからもらったような、得をした気分である。さっそくアダプターを付けて、この所成長の増加している、「空樹」を撮影した。その先には筑波山も見える。ベランダからの撮影は、快晴の日ではなく、こういうグレーな午後の方が空の奥行きが見えて好きである。しかしこうして「空樹」を見ると、なにか全体が左に、かしいでいるように見えるのはこれはあたしの乱視のせいであろうか。それとももともとそのようなデザインなのであろうか。

エキストラさん

Fh000020 ドラマの撮影には昔、ドイツの映画を手伝ったことがある。ドラマで大事なのは通行人の役目である。俗にエキストラというわけだが、このエキストラさんの動きによってドラマの真実性は生きるも死ぬもそれ次第である。

たとえば、ウイーンの旧市街の小さな広場でその奥に教会があって、そこには小さいカフェがある。このカフェはkleines cafeといい、フランシスカナプラッツにある実在のカフェである。そのカフェの椅子に座って、ウオールストリートジャーナルを開いている主演の男性がいる。ウイーンでこの新聞は実に似合わないから、もうそれだけでこの映画が三流であることがわかるが、それはそれでいい。監督の一声でまずナグラが回りそれからキャメラが回り、いきなり、広場のそこらここらにいる連中が下手な動きで右往左往して「見せ掛けの現実」を構成するわけだ。それもせいぜいが30秒の偽真実なわけである。

こういうシーンのエキストラさんの動きは主演を邪魔しないように動くかから、そのアクションがいかにも映画の中のエキストラの動きになる。われわれはそれを本物の映画の中で鑑賞するわけだ。

このスチルショットには、その退屈なエキストラの動きを破壊するアクションがあるのではと思う。これはこの前の東急「ベ」での撮影会の様子であるが、参加者の皆さんは「一日に75ドイツマルクとランチ支給」の30年前のドイツ映画のエキストラではないから、ライカを手に勝手に動き回っている。その余地できない動きというのが実にいい。カメラはライカMP エルマー50ミリ。

1970年代のウイーンでライカに50ミリで路面電車かの中から眼前を交錯する人の群れを数多く撮影した。そのショットの一部は重さ2,5キロの豪華重量級写真集「wien monochrome 70s」にも掲載されている。

2009年11月13日 (金)

リコーGXR の4・3イラスト

Ricohmft 海外で新製品のGXRに関して、マイクロ4・3を熱望する連中がこんな「クールなイラスト」をブログにアップした。

この関係の質問は、先日のリコーの馬込での記者会見でも出されたのであるが、こういうイラストを見せられると、これはその実現の可能性は夢ではないことがわかる。もともと、GXRの開発コンセプトは、カメラユニットの交換にあるから、レンズの交換可能なカメラユニットにレンズなしというのは、本来のコンセプトではない。でも、どこかの会社がリコーと協業してこういうカメラユニットマイナスレンズ、というのを出したら面白いと思う。

ヒルズのPC関係の専門家のCXRへの意見では「もう、レンズも素子も行き着くところまでいったのであるから、これからはGXRではカメラユニット以外の部分の「取替え」が魅力になるのでは。コンピュータの性能はどんどん向上するから、毎年、新しいカメラユニットをつける本体が出ても、買う人はいるのでは」とのこと。

ペンデジタル2にズマロン眼鏡レンズを付けたり、ジオラマで遊んだり

ペンデジタル2が本日11月12日に発表になった。

http://www.olympus.co.jp/jp/news/2009b/nr091112ep2j.cfm

この前の長崎は、「ペンデジタル2の本」を撮影に行ったのだ。「田中長徳ペンの本」はおかげさまでかなり売れて感謝。その続編の「田中長徳ペン2の本」というのが12月号のデジタルカメラマガジンの付録なのである。

Pb010336 3泊4日で長崎の山と坂と路地裏を徘徊して、ペンデジタル2のリアルビューファインダーの中のグリッドの十字線に感心したのであるが、新機構のペンデジタル2の特に「ジオラマ」が面白いので、その気分を向上させるため、模型趣味の稲垣足穂の本(ヴィタ マキニカリス ユリイカ刊1948)と、ペンデジタル2と、戦前の英国の軍用腕時計MK2を持って長崎に遊んだのである。

その話がデジタルカメラマガジンの次号の付録に掲載の次第なのであるが、今思うに、よくこういう内容でOKになったものだといまさらながら関係各位のそのフレキシブルさに感謝している。

Pb030747 足穂は「一晩でできあがった街」とか「切り紙細工のエルサレム」というような模型と実景を混乱させるフレーズが得意である。それで、ペンデジタル2のアートフィルターのジオラマで長崎の箱庭をたくさん持ち帰った。

それで、長崎から「帰国」して、なにかペンデジタルをもっと自分なりに進化させようと思っていたやさきに、新宿でこのレンズを発見した。眼鏡付きのライカの銘玉ズマロンである。

澤田教一さんはピューリッツアー賞受賞の名戦争カメラマンだ。

数年前に出した「ライカを買う理由」と言う本では表紙に澤田さんとHCBの肖像を使用したこともあった。
澤田さんは映画「サワダ」でも有名になったが、彼の愛用のライカM3にはゴーグル付きの35ミリレンズが常に装着されており、そのライカの上にさらに35ミリのブライトフレームファインダーが「積み増し」されているのである。これがサワダ流というわけだ。澤田さんがゴーグル付きのレンズが似合うタイプのカメラマンだなと思うのは、彼の受賞作である「安全への逃避」(この反共的なタイトルがいかにもあの当時を象徴している)の名作は、エルマリート135mmf2,8のゴーグル付きレンズで撮影されたからだ。この眼鏡は本来、ライカのファインダーの視野を広角用とか望遠用に縮小拡大する光学系であるから、ペンデジタルの場合役にはたたないが、そのデザインがなんとなく「ピューリッツアー賞の澤田の精神」がそこに具現化されているような感じがして面白い。

R8110438 その、まねをしてペンデジタルに眼鏡レンズをつけると、これが案外に似合う。そのペンデジタル2のファインダーシューにライツの35ミリファインダーを付ければ「正統澤田風」かも知れないが、実際にはフルサイズで70ミリ相当の視野になるから、ここにはリアルビューファインダーを装着すればよいわけだ。

2009年11月12日 (木)

牛込柳町の発掘現場

Img_0058 アテネの街などを歩いていると、今でも遺跡の発掘現場に出会う。人間と土のまじめなおつきあいが農業なら、考古学は土の中に時間を聞くことであろう。アテネの遺跡の発掘現場にはなぜかドイツ人が多い。まじめな研究者と思えばドイツの考古学には敬意を表するが、これが彼ら得意の「比較人類学」と連想するとどうもアドルフさん方面の連想が働いて不愉快になる。

牛込柳町あたりは昭和50年ころには日本一空気の汚染している街区というので有名になった。この界隈は音羽から新宿に行くバスの経路にあたり、バスの中からよく撮影をしたものだ。

1967年にライカM2のブラックペイントを父と新宿のラッキーカメラに買いに行った11月の末の午後も確か新宿行きのバスの中から流れる風景を見ていたと思う。

おっと、流れる風景とは散文的な言い方にて、実際には百年渋滞にてまったくバスは動かなかった。この曙橋に行く右側の道路が改装されて広くなり、目下その関東ローム層を考古学調査中なのである。

ここらは寺町だし朱引き線内の御府内であったから、さぞかしいろんな古美術が出土するのであろう。

とおりすがりにちょっとだけ見たのだけど、画面の真ん中にはどんぶりがさかさまになって「出土」しかかっている。これなどは昭和、平成の吉野家のどんぶりでないことが明らかで、江戸後期の「時そば」の旧跡を実証する「親ばかちゃんりんそばやの風鈴」のどんぶり、すなわち人類の文化遺産であるかも知れない。

2009年11月11日 (水)

リコーGXRの将来性を評価する

R8110398 091110_gxr1 馬込のリコーの本社にこの前行って、GRD3の発表会に参加したのは、つい最近と思っていたらこれは夏のことであった。11月10日はカメラユニットが交換できるリコーGXRの発表会。よくここまでマニアックなモノを出したと感心する。というのはブログとかTWITTER上で話題になっている、カメラ人類のGXRの話題はもっぱら「ライカM9は購入したけど、色むらを発見して騒いでいる高等デジカメ人類」なのである。ライカと異なり最初からセンサーとレンズは一体化しているから、色むらの起こりようがない。もともと、リコーのデジカメ戦略というのは、通常のマーケットの「隙間スイッチ」的なスタンスが魅力なのである。そのあまりに個性的なカメラユニット交換システムは大手の報道関係の若い記者さんにも理解されなかったらしく「リコーがレンズ交換式のコンパクトデジカメ発表」などとウエブニュースのリードにはあった。レンズが交換できないユニット交換式のデジタルカメラ、これが正しい。

GXRはその意味でライカM9にも飽きた層を狙い撃ちするのであろう。M9にノクチルックスF1の開放での撮影を楽しんでいる皆さんはさておき、ライカからライカマイナスした「写ることに専心」しようと思う純粋なカメラ人類には、50ミリ相当のカメラユニットはこれが「HCBの衣鉢を継ぐ」方向と考えられる。デジカメの中ではもっともストイックな存在である。

湯浅プレジデントが「お年寄りが苦労して持ち運んでいる重いDSLRのその肩を楽にしてあげる」という開発コンセプトは確かに広告代理店の言いそうなフレーズであるが、これは本当のお年よりは「重いデジカメを担うのが趣味」なのだから、あれは放っておいていい。それよりも日々、自己のライフスタイルはこれで正しいのであろうか、とか自分のデジタルカメラライフには齟齬はないであろうかと自己矛盾を追及している高等カメラ人類向けの新機種と位置づけられよう。
ライカのX1(俗称ぺけいち)の発売予想価格と、GXRにカメラユニットが2個付きがほぼ拮抗するようである。

奇異に感じたのは、それぞれのカメラユニットのレンズ表記である。フルサイズ換算のレンズ表記を記してあるから、50ミリとか24−72ミリとか言う表記である。これはなにか開発の将来の計画が見えてきそうな意味深長な焦点距離表示だ。ここにフルサイズのカメラユニットが登場しないと、この「換算表記」は意味がないことになる。

4/3軍団とは一線を画しているのは立派だが、ここまで完璧なカメラユニットが登場すると、ついついサード会社製のライカMマウントを期待してしまう。かつてリコーはGR−1レンズをそのままライカマウントにして、これはプロカメラマンの垂涎になったこともある。あれ以来の「大冒険」であるが、これからの展開が楽しみ。

あたしが参加した発表会はこの9月のライカM9のインターネット配信での発表会以来だが、この手の「オフ会・発表会」では出色の出来。以前のようにモデルさんが新型機を持参などはなくもがな。湯浅プレジデントが演台の下から取り出すのがベストである。ライカM9の時にはライカ社のダニエルさんが、M9を持ち出すのに、体を低姿勢にし過ぎて、マイクがハウリングしたりで「全世界がはらはら」したものだった。

惜しむらくは湯浅さんが会場のテレビカメラに向かって、カメラユニットを交換する仕草が時間が短か過ぎてカメラが認識できなかった点。もともと数百人収容の大会場だからGXRは小さ過ぎて誰も目視は無理なのである。

空樹の育てかた

R8110299 この夢見やぐら(このぬるい名称がいいねえ)の存在に気がついたのは、7月初めであったろう。

ライカインコ4世が急逝して、視線が室内のインコの居場所にピントを合わせることが出来なくなり、遠方に視線が向いた時にこの構築物が目にはいった。その意味ではあたしの空樹はライカインコの代償行為なのである。ペットロスを埋めてくれるのが、twitterの青い鳥と空樹とは贅沢のきわみである。

ただし大きさからすれば、ライカインコの方が見かけのサイズはずっと大きい。恒星でも惑星でもその見かけサイズの方が実物の大きさよりも重要であるという古典天文学の常識がここでは当てはまる。

計画とおりに製作しているのであろうから、これを岩波映画の朝顔の微速度撮影のように撮影すれば面白いであろう。いや、すでに意思に萌えた映像作家がちゃんと「空樹の育つまで」という教育映画を製作中であろうことは疑う余地はない。

7月にあたしがこの存在に気がついたときにはまだ、となりのタワーマンションよりずっと背が低かったのだ。来年だかの完成の暁には、立派なライトアップがされてまさに東ドイツ時代に西ベルリンから見た、アレクサンダー広場のTV塔のように「悪夢の中の主役」ばりの存在感で迫ってくるのであろうか。

その日が楽しみだが墨田区はせっかくの悪夢のタワー(これは夢の中では最重要なポストである)の立派なキャラクターを単なるローカルな町おこし村おこし、かみなり興しには使ってもらいたくないものだ。

2009年11月10日 (火)

長崎からコニカ

Img_0289 周囲に「長崎からおこわがくる」というフレーズを言っても誰も賛同してくれないのは、これが古語であるせいだ。百鬼園の随筆の中でこのフレーズがあるのだが、おそらくその出自は古いのであろう。
愚考するに「あり得ないこと」を意味する言葉なのであろうが、最近では長崎からはからすみでもカステラでもおこわでもなんでも即時に到着する。あたしのこの前の長崎行きの荷物も午前中に出して翌日には東京に到着していた。
長崎からのおこわが非現実の象徴であったのが、「当たり前のこと」になってしまった。
それで「長崎からコニカ」が来たわけである。
長崎ではもっぱら仕事であったから、デジカメでしか撮影しなかった。持参のライカMPもミノックスも銀しおカメラは一枚も撮影しなかった。それはそれで仕方ないが、ホテルの部屋でのショートブレークの時には、MPにズマレックス85ミリなどを付けて遊んでいたが、夕刻になっていざ撮影という時にはそのズマレックスはアダプターを付けて、ペンデジタルに付けて撮影に行った。
撮影の後に例の思案橋カメラに行き、発見したのが、コニカ1型である。もっとも自分のコニカ1への興味はもっぱらオキュパイドジャパンモノであったのだが、良く見ればその後のこのモデルもなかなかいい。

ペンデジタルにはアクセサリーシューが付いているのに、コニカにはそれがない。このシューロスがKONICAの巨大なロゴの味がいい。

2009年11月 9日 (月)

お台場行

Img_0270 11.10ベルリンの壁崩壊20周年追悼国民大集会。または「あの写真部」の11月度の撮影会である。今回の「差配」は福田部長代理。11時10分前に御成門に集合というのが変だと思っていた。10分前というのは、何か意味があると思ったのである。百鬼園の随筆で何時も必ず遅れて約束にやってくる甘木君をちゃんとした時間にこさせるのは無理だから、わざと時間を早く言ってやれば、遅れて到着しても約束の時間になるであろうという、くだりがあるがこの場合にはメンバーはちゃんと定刻に集合。
その近くのなんとか苑という中華屋さんの「レバニラ」が本当にればとにらしか使っていないというので、その賞味に行く。味なかなかよし。ただし味覚認知症の自分はこれはかなり変わったレバニラであるなと思って喰っていたら、それはレバニラならぬ、牛肉の煮込みであった。これ老人味覚力。

徒歩、日の出桟橋から「ゆり」に乗ってお台場に行く。十年ぶりである。その前は1991年頃、レインボーブリッジの建設中に、ニッコール1200mmで8x10で橋を撮った記憶あり。今は自由の女神像があるのでどっか地方都市の大きなパチンコ屋に来たようだ。そのパチンコ庭園の片隅に適当な場所があったので、そこでホームレス宴会。赤白ワイン。遊びにきたチュンや鳩ぽっぽに持参のクラッカーをあげる。
Img_0284 Img_0288 宴果てて、連絡船の龍馬(これ、何時も佃の大ガラスから見ている赤い船)に乗って日の出桟橋に戻り、タクシーにて浜松の秋田屋。立ち飲みで「たたき」から初めて檸檬ハイを2杯。徒歩、新橋6丁目の名前忘れたワインバーもどきに入って、ライカ話。福田さんのM2のブラックの型番は99万台だが、113万台のはブラックペイントが脆弱なのですぐに剥がれるというマニアックな話しになる。佃さんのライカには、あたしのサインエンボス入り限定版ストラップが付いていた。
ここで福田部長代理は連日連夜の大学の講義と執筆と徹夜猫眼と激辛カレーとライカ話中毒のせいで、体調を崩されタクシーにて早退。
残留部隊はそのまま徒歩で行軍して銀座のおでんやに。そこで反省会と作品の講評。ただし藤原財政担当のみ作品を持参したので、講評は楽であった。藤原さんのワイドローライのモノクロ作品がなかなか世界が拓いている。92点あげる。そこに女流デジカメアナリストのなかしまさんが、銀座で父上にROLEXを買ってもらい合流。さらにen-Taxiの田中編集長がどくろのピカピカ光るシャツ着て登場。おい、おい万聖節は先週だったよな。
佐藤和歌子北千家家元は、古本屋に段ボール8箱を売って、3,2カメラ円の利益を得て、シュレッダーを買ったそうだ。それでクレジットカードなどをばりばり喰わすのが趣味であるという。カリスマバーテンダーの利根さんも来て、あたしのおでんの皿におつゆをレアものウイスキーを注ぐ手つきで注いでくれた。
酔って佃に帰来。

2009年11月 8日 (日)

アイレス連合

01345 あたしの周囲でアイレスカメラを一番愛しているのは、偽ライカ同盟の坂崎同志であろう。

前身のヤルーフレックスなども持っていて、カメラの取材陣に逆にヤルーを向けて(もっともほとんどの若いカメラマンはそれがなにかわからなかったようだが)アイレス闘争の参加表明をしているのである。ただし坂崎さんに何台のヤルーフレックスを持っているのかはまだ聞いたことがない。思うにこれが「人ゲノム」と同じことで人間のもっとも始原的な個人情報であるからだ。

先週の後半、長崎に行く前に荒木町のがらくた屋さんで、アイレス3cを買った。これが渋い、グレーハンマートン仕上げである。もっともお店の女子大生の販売女子は「単に日曜工作でおとうさんが塗りむらを作った変なカメラ」という認識があったようだ。冷静に考えてみればその女子の考えていることの方が真実に近いわけである。

アイレス3cのスタイルはM3にそっくりといわれるが、このカメラにM3以上にライカM型を感じさせるのはM3を蒸留したスピリッツがここに凝縮しているからなのであろう。だから偽ライカ同盟の公式カメラにしようかと思案中だ。

同じカメラは数台あるのだけど、この7月の引越し以来まだダンボールの中なのであって、それを捜索すると方図がつかなくなるから、そのままにしておいて新しい(中古の)アイレスを手に入れたほうが楽という意味である。

せっかくM3を蒸留したのに、残念なのはそのレンズの回転方向がM3と逆である点だ。それがアイレスの個性といえばいえるわけであるが、数十年もライカで撮影してきた「指の癖」というのはそんなに簡単に変わるものでもない。

アイレスで3cの次に出たのが上の画像のV型というモデルで、これは豪華な3本のレンズがついている。このカメラの美点は、その速写ケースの開き方が、スノーのそれと似ている、真ん中からカパッと開く方式であることと、レンズケースは同時代のニッコールレンズと同様な上質のものであることだ。

秋のうららかな日和にアイレスを持って裏路地などをゆるゆる歩行するのはまことに結構な人生の過ごし方である。

2009年11月 7日 (土)

日本路地裏学会思案橋調査

Img_0204 今回の長崎はそのごくごく一部を微視的に観察しただけに過ぎないが、日本路地裏学会の路地裏調査隊としてはそれなりの収穫あり。
この思案橋の裏の裏にある、注連縄の結界は1年前に福田和也さんと「発見」して感心したものであった。小便無用のサインなのであるがそこにもっと高潔なメッセージが感じられる。こういう物件をあたしは「季節モノ」と呼んでいる。つまり恒久的な存在ではなくある時間の間にだけ存在を許される物件である。その意味では「建設中の空樹」なども実は「季節モノ」の分類に入るのだ。
1年ぶりの思案橋でこの注連縄は季節モノではなく、常設モノであることがわかったがそのこと自体は別に嬉しいわけでもなんでもない。それより昨年の11月の数時間の長崎滞在での視神経の記憶にはっきりと残っているモノに再会できたのが嬉しいというほどの意味である。
この注連縄の手前に、ちゃんぽんの「康楽」があるのだがこれは連続の休みにて行けなかった。Img_0205 その向かいに「なか川」という、これは何というのか実に大正ロマンで中で辻潤とか、むさうあんあたりが飲んでいそうな店である。これは気になって、近所の思案橋カメラの50歳の男性とかギャラリーカフェhikomaのあたしと同年代の男性にどういう店なのか聞いたが要領を得ない。当然の話しであってカメラ店の店主とかカフェギャラリーのマスターがこういう場所に出入りすることはないのである。それぞれにそれぞれの仕事の持ち場に張り付いているからだ。
中が見えずにこういう具合にタングステンランプで照明されている店舗には夢がある。案外にドアをあけてしまえばそれまでなので、この期待感は次回の長崎行きにまでとっておくことにした。これで長崎に行く理由がまた一つ増えたわけだ。

2009年11月 6日 (金)

勝間とkern

R8110371 常用の双眼鏡は20年来使っている、瑞西のkernと3年来使っている、板橋の勝間である。ただし7月の引っ越しの荷ほどきがまだ出来ていないので(その間にプラハ、カイロ、関西、長崎に銚子などなど)で、段ボールはそのままで他の双眼鏡が出てこない。
この8月のプラハと9月の回路、10月の関西と11月の長崎にはいずれもkernのを持参。すでに革が剥がれかけているが、1977年製のこのモデルは見えは最高だ。勝間もいいが、モダンな光学系のせいか、癖がなさすぎで双眼鏡を覗いているという気分が希薄なのが残念だ。
6x30とか、8x30のサイズはもともと軍隊でも陸軍用だから小型軽量である。一方で海軍方面は艦橋に置いとくから携帯性はあまり重要ではない。だから大型の7x50でいいわけだ。イタリアはガリレオ社製のを持っているが、これは8X35とかいう小口径なのにやたらに倍率の高いモデルで、その全長などはワインの瓶よりはるかに長い。こういうのも軍用であったのだが、実用製はあまりない。でも双眼鏡フェチに自分にはやはり外せない。
さっき、ヒルズの49Fのロッカーから勝間の10X40を持ち出して、空樹の成長状態を観察。ここから見ると、前のタワーが邪魔になっているのだが、それを超えてかなり頭が見えてきた。成長が楽しみ。

2時すぎに、向かいの森ビルのヘリポートから何時もの白いヘリが離陸。それを勝間で追跡した。東京タワーの向こうをすり抜けて、そのまま東に飛んで行くのを双眼鏡で見ていると、ある距離まで行って「ふっと視野から消える」のである。
以前、佃の37Fに居た時には、バルコニーに25X100の大型の双眼鏡を据えて、羽田から西に飛ぶ飛行機を追尾した。これも伊豆半島あたりでふっと視野から消えるのであるが、その消え方が実にデジタル的で好きだった。
双眼鏡の分解能はかなりのもので、視程が良ければ勝間の10X40でヒルズの誌仕事場から成田の着陸の機体が見える。

2009年11月 5日 (木)

嗚呼、長崎、、、思案橋カメラよ、、、

Img_0211 Img_0196 思案橋ブルースという流行歌が大昔にあったことは、誰も知らないであろう。あたしもその節回しなど忘れている。それよりまだ記憶しているのは、「長崎は今日も雨だった」の方だ。

昨年の11月にハウステンボスの戻りがあたしの「初長崎」であって、その数時間を福田和也さんに案内していただいた。あたしは土地勘があるので、その時の歩行のコースはちゃんと記憶している。
初長崎では、吉宗で昼酒をやったのだが、その前に田中酒店のガラス戸の前を通った。その店の中の台がいかにも、立ち飲みに向いているので歩行しつつ、福田さんと「ここで立ち飲みが出来たら最高だね」と話し合っていたのである。
それが1年後の昨日、夕刻に田中酒店の前を通ったら、常連さんらしき人が立ち飲んでいた。その時はそのまま、吉宗に行って4合ほど飲んだので、田中酒店は止めにしたが、これはまた長崎に行く十分な理由である。
それと長崎には思案橋カメラがあり、カフェギャラリーの[HIKOMA]もある。
思案橋カメラが痛快なのは、これは新宿のゴールデン街に「ゴールデン街カメラ」というのはないが、それと同じくらいの存在感があるということであろう。
なにしろ、最近では姿を見なくなった、ズノーF1,1が鎮座していたりするのであるから、そのレベルは高い。しかも家族経営で、そこで四人家族の全員の皆さんと隣の果物屋さんの猫のチエリーちゃんにまでご挨拶ができた。
今の店主は20代でその父上が今年、50歳というのである。クラシックカメラはまだまだ大丈夫のようである。この火曜の夜には、若いカップルが来て、男子の方はニコンF3のファインダーのアイピースリングを無くしたというのである。そういう「些細なこと」で、カメラ人類とカメラ人類の交流が出来るのは大したものだ。ただしこの青年はニコンF3のメーンスイッチを何時も切っているし、巻き上げもしていないので、急なスナップに対応していない。それであたしがカメラ風紀委員として、「指導」したわけである。

2009年11月 4日 (水)

NGSは電柱の本場である

Nag091102 自分の風景感覚は普通の常識とずれているので、電柱は風景の重要な要素と思っている。巨匠くろさわは、ロケの現場で目障りな電柱を切り倒させたそうだが、こっちは風景で寂しい印象ならそこに1ダースの電柱を立ててもらいたいと思う者である。

80年代初頭にマンハッタンに居た時、8x10カメラでかなりの都市風景を撮影したが、あそこの風景に完全に満足できなかった。その理由を考えるにあそこはケーブルは全部、地下にある。それで綺麗な街の景観というのであろうが、自分は電柱に恋している者であるから、地下鉄に乗ってブルックリンの奥の方にまで、電柱を愛でに行った。ウオーカー・エバンスは尊敬する写真家であるが、MoMAで彼の名作、傑作を研究して判明したのは、自分はエバンスの芸術性に惚れているのではなく、単に彼の撮影した、戦前のアメリカの電信柱に惚れているのではないかと考えなおしたことだ。
デリーも、回路も電信柱とその上に張り巡らされている電線はかなりの技である。デリーで気がついたのは、あまった電線の処理のうまいところであって、これはもう完全にアートになっている。
その価値感から照らして見るに、長崎の思案橋の裏通りの電線も国際的なレベルでみるとかなりの程度になっている。
長崎で予想外の発見をしたので実に嬉しい。

2009年11月 3日 (火)

長崎の虹

Img_0191 Img_0192 11月1日のHNDNGSの飛行はなかなか良かった。座席が4Kであったから、富士山は反対側であったが、一方、離陸して高度を上げてから大東京が一望できた。丹沢山系が運ばれてきて、それから本州を西にずっと飛行した。近畿あたりで雲が出て、長崎の手前で寒冷前線を突っ切って、そこでタージュランス。この乱気流が一種、長崎への「結界」になっているのである。すばらしい虹が現れた。
いきなりハノイ空港に到着したようなおおらかな時間。これが飛行1時間45分の成果である。ツールーズからチュニスに着陸した、サンテクスの冒険とは比較にはならないけど、ここは無帽で歩けるという、そのリラックスさ加減はよく理解できる。
空港で片道800円だけど往復だと600円に割り引きのバスの往復券を買って、長崎に向かった。途中で11時02分を自分のロシア製pathekが示しているのに気がついて、ああ、東松さんの「長崎曼荼羅」の地元に来たかと感慨をあらたにした。(画面は11:03になっているがまあよし)
今回持参のNGSカメラはペンデジタルが2台。リコーCX1にいふぉんに、ライカMPに各種交換レンズ。あ、今回はKINOPTIKのTEGEA 5,7MMも持参。昨日、思案橋カメラでコニカ1型も買ったので、一台追加。無論、ミノックスAも持参。これは何時もの通りだ。

2009年11月 2日 (月)

ガムテープで作るバッグの本

R8110303 Img_0359 中島さんは、なかじまさんではなくなかしまさんである。なかしまでも、なかじまでもどっちでも良いではないか、と考えるのはこれは思いやりのなさというやつだ。

そのなかしまさんだが、正体は新潮45の切れ者編集者であって悶々ホルモンの和歌子女史さんなどとも組んで仕事している。彼女らは、福田和也ゼミ出身である。

なかしまさんは、天才と思うのは眠れない時に、出勤前にクラフトテープでこういう工作をするのである。あたしなどは眠れないことなどないから、やはりガムテープ工作には向いていないと思っていたが、この前の「あの写真部夏の陣」で、なかしまさんが持参した、ペンデジカメはイエローサブマリンになっていたので驚いた。ライカへのテーピングというのは、1970年代に「HCBに学べ!」というライカ文化大革命が起きて、スコッチの型番はすでに忘れたブラックテープを伊東屋に買いに走ったが、ガムテープにこんなカメラの外皮としての効能があるとは知らなかった。その黄色いペンデジタルに福田和也さんが「箱書き」をしたのが、この黄色いペンの図である。

黄色いストラップもガムテープで出来ている。この夏の陣の撮影行で、夕刻になって銀座で反省会に移動するときに、そのガムテープのストラップが「ぷっつり」と切れたのである。とことがなかしまさんは、少しも騒がずに、その切れたストラップを瞬時に修理したのでまた驚いた。考えてみれば、もともと粘着性のある素材なのであるから当たり前なのであるが、普通はカメラのストラップは切れれば、切れたままである。

こういう切れてもすぐにつながるストラップっていうのは、第二次大戦時に被弾しても漏れない戦闘機の油槽みたいなもので、大発明だと思う。

ガムテープでつくるバッグの本 (EASY TO MAKE!)

      

買ったきっかけ:
一冊は著者から頂きましたが、それが待てないので、amazonで買いました。

感想:
モデルさんとして、登場の筈だった筈ですが、ご本人の登場がなかったのが残念。あp30にちらっとご出演。

おすすめポイント:
あたしは「基本のバッグ」を作ろうと思う。
それから、これはやはり大都会の周辺部の流行り物の気分が大事なので、「バッグの本」じゃなく、「バックの本」であると思います。

ガムテープでつくるバッグの本 (EASY TO MAKE!)

著者:中島 麻美

ガムテープでつくるバッグの本 (EASY TO MAKE!)

2009年11月 1日 (日)

ワイドS オン ザ ロード

Img_0129 ★本日移動日。早朝からHNDNGS

1966年の日大の1年生の時、マンモス大学の写真学科にはたしかクラスが7つあった。各50名であるから総勢は350人以上。その中でライカM2のブラックを持っていたのは、どっかの不動産業の息子と、あたしだけだった。もっとも向こうはM2ブラックにしかもブラックのズミクロン35といういで立ちであるのに対して、東芝のサラリーマンの師弟である、あたしのレンズはそこまでは手が回らないので、キヤノン35ミリとかニッコール35ミリであった。

そういう「高級カメラ」で東京を撮影していたのだが、ある日、中野にある日東商事でオリンパスWスーパーのブラックを発見したのである。あ、ライカではなくオリンパスWで東京は撮れると思った。これは青年の直感である。是非欲しいと思った。当時、2カメラ円近くしたのであるから、金策して翌日駆けつけたらすでに売れた後であった。それで、クロームのワイドSにしたのであるが、この最初に出会ったブラック仕上げのワイドSというのは、自分の中の一種「カメラ怨念」になっているのである。
爾来、数ダースのクロームのワイドを買ったが、この40年間で一度だけアサヒカメラの広告でどっかの地方のカメラ屋さんにそのブラックのワイドSがあった。あわてて電話した。こういう欲しいカメラの価格というのは良く記憶しているもので、それは6,5カメラ円であった。ところがそのカメラもすでに売れていた。
40年来のカメラ放浪で20年に一度の遭遇というのは、これはブラック仕上げのニコンS2とか、同キヤノン6Tなどより(これは最近手に入れた)ずっと数が少ないのであろう。なんでも報道関係用に少数だけ生産したと言われる。
四谷のアローカメラで高校生で毎月のミニ講演会に来ていたHは、今は成長して日大の写真学科の1年生になり、ライカM2とM3を持つようなライカ人類になったばばかりか四谷のギャラリーで個展を開催するほどになった。そのHがあたしに「貸与」してくれたのが、このワイドの後塗りのカメラである。本物はもっとマットブラックの仕上げで、確か、巻き上げとか巻き戻しクランクもブラックで、さらにレンズのフォーカスもブラック仕上げであったけど、そんな贅沢は言っていられない。喜んでそのHの好意を受けることにした。
それでこの数日間の天候の良い毎朝に、このブラックワイドを持って、東京の周辺部を徘徊している。豊島区は南池袋の小公園で休息して、ついでに執筆中の新潮のエッセイの覚え書きなどをメモしてベンチの脇を見たら、良い具合にワイドSがそこにおかれているのを、いふぉんで撮影したのがこれだ。この日は長丁場であって結局は日没まで東京を東西に徘徊した。そういう時には気分はまるで20歳の日大の写真学科の1年生である。カメラが人間を若返らせるのは本当だ。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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