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ロック ユー

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2009年9月30日 (水)

時差ぼけ東京

カイロモスクワは飛行時間が4時間半。そこで13時間、ラウンジで頑張って、夜行で成田着。飛行中はずっと星を見ていた。星はシベリアで見るのが一番いい。
成田の着陸時は実に雲が低かった。雲がクリアになったと思ったらすでにランウエイ上であった。滑走路も濡れている。周囲の木立が墨絵状になって東洋の神秘である。

いつも、都心に入るまでのリムジンからのシーンに心惹かれる。「スズエエンターピライズ」という運送車が走る。1970年にNDCに入社した時、1月ほど遅れて鈴江という名の絶世の美女がデザイナーで入社して写真部の話題になった。これが鈴江倉庫のお姫様といううわさだった。かの鈴江さんはそれから2月ほどでまた姿を消してしまった。彼女はもうとっくに還暦を超えている筈。

高速の「ダブル料金所」という名前だが、どっかの小役人がつけたのか?実にがさつで品のない名称だ。ちなみに料金所に「バック禁止」とあるのも不可解である。

2週間ぶりの東京は、その真実の姿がみえるのでそれが面白い。
時差で思考まとまらず。

2009年9月29日 (火)

本日移動日。二日目。SVONRT

昨日、28日の夕刻にモスクワを出て、夜通しシベリアを飛行し、火曜の朝10時に極東の無宗教の国に着陸。ミナレットがないのでスカイラインにしまりなし。
ライカインコと同行二人にて、佃に帰着。
たまった手紙などは目障りなのでそのまま引き出しに。
回路土産の稲垣足穂の「イタマキニカリス」の白い本を手にする。この本は足穂のこの原稿がなかなか出版できずに、10以上の出版社(その中には中央公論や新潮社も含む)を転々としたあげく、新潮に掲載された昭和21年(だったか)の同名のショート版に、伊達得夫が「ひっかかって」それで出版となった本である。
過去長年探していたが、25カメラ円より安いのは今までなかった。この手にいれたのは「裸本」だけどそんなのは構うことではない。

2009年9月28日 (月)

本日移動日

9月28日。移動日。
CAISVONRT.
接続が悪いのでSVOにて13時間待ち。この時間を利用して次回の新潮連載の「屋根裏プラハ」を一回分書く。
この5月にマラガに行った時もそうであったが、ロシアのトランジットビザをとろうとして、ゴールデンウイーク前とロシアの休日が重なって取れず。2週間前までなら無料なのにそれの時間がきれるとやたら高いビザ料金になる。
今回も同じトラブルあり。ただし昨年の今頃にロシアに取材で「いやと言うほど見た」のでラウンジで原稿書きをしている方が楽であることに気がついた。

2009年9月27日 (日)

金字塔と人面獅子像

800pxspelterini_pyramids_2 回路空港にアプローチする時に、約6000ftからギザの金字塔を下に見たのである。これは貴重な視神経の体験だった。19世紀に高度600メーターから撮影しギザのピラミッドの写真がある。これで見るとまだ人面獅子像は全部発掘されていないようである。
今回の日本路地裏学会回路調査の目的のひとつは「金字塔と人面獅子像」には行かないことであった。
ところが禁酒は守っているのに、人間は意思が弱いもので、つい「出来心」で金字塔の前まで行き、前が道路でクルマ疾走するその先に三角形のマッスが見えるのを撮影した。現代の回路と金字塔を組み合わせると、なかなかモダンアートになることが判明した。
Img_0462 しかし此処まで来たので引っ込みがつかなくなり、遂に金字塔のエリアに入った。
俗な観光地であった。
すぐに人面獅子像の方の出口から出て、シナイ半島の方向の市内に戻った。

これで持参の眠蚕フレックスのフィルムはほぼ撮り尽くした。

ひとつ、御利益があったのは、9月はじめの銚子行きで、いきなりこのカメラの巻き上げが不調になり、絞りもF2,8まで開かなくなった。「ご先祖の呪い」かと思ったが、それが金字塔でなにかが変わって「自然治癒」したのである。

いや、単に暑いから固まった部品が動きだしたのであろう。

2009年9月26日 (土)

路地裏回路

 Img_0453_3 昨日、木曜のこと、死者の街(旧市街の東はじにある)を切り上げて、西に横断歩道橋を越えて旧市街にはいった。死者の町は、先週の火曜に回路に到着した時に高速道路を南下するときに左側に見えた。そこまで旅館から歩行したのであるから、それなりの長距離である。

旧市街のハンハリーリの北側の迷路の通路もないような場所を歩いた。
地元民が荒れ果てた家の中に「歩行者の速度」で入っていくので、これは抜け道であろうと思い、附いて行くと、果たして路地裏の反対側の裏路地に(日本語の活用形なら、路地裏の裏は裏路地)に出た。そこがまた地元のマーケットになっている。あたしの好きなモルヘーヤなどを地面に並べて売っている。
イスラム過激派はハンハリーリのおみやげ屋のような「外人密集地帯」を攻撃する。ワールドトレードセンターと同様に「資本主義のステレオタイプの場所」を狙うわけだ。ここいらには観光客の姿なし。
その抜け道から北に行ったら、八百屋のおやじで英語の達人が「この先に古い門があるからいってみろ」というので歩行したら、果たしてそれがナスル門であった。マイキロバスの乗り場になっていて、おばちゃん連が気長に日陰でバスを待ち、地元のやせ犬が「きんたまの手入れ」をしたりしているのんびりした光景だ。こういう昔の門とか城壁などは西側世界では最初に取り壊されて再開発になるのだが、そうでないのが偉い。
近くで「手動観覧車」という世界でも希な遊具を見た。子供が8人くらい乗って、脇で男性がこれを手で回すのである。これはウイーンの大観覧車をすでに超えている。
  路地裏から裏路地を徘徊して、おや、これは3日前に来たラムセス駅に通じる道であるなと分かった。それはさびれた鉄工所の脇にある、生えかかったさえない植物を記憶していたからだ。
数年前に姪のあや子とミラノに遊んだ時、彼女は天才的な方向音痴なのであるが、「チョートクオジサンノホコウカンカク」を不思議がっていた。何のこともない。迷路の街角のそれぞれの細かい部分を記憶に入れているだけなのだ。ミラノの場合洋装店の細かいデテイルであり、回路の場合には鉄工所前の小さい草というわけである。生体認証と同じで、こういう細かな部分は二つと同じものはない。

2009年9月25日 (金)

ライカといふぉんと論メルさん

Img_0409 今回の埃及に持参のカメラ連を新しい順にならべてみれば

CX-2
GRD3
ペンデジタル
いふぉん
ライカMP
ミノックスA
眠蚕フレックスとなる。

最初の4機種の場合、時間が僅差なので、あるいは前後が間違っているかも知れない。なにしろ1秒のその千分の一でお金儲けをしている証券会社の居る時代だ。
1938年から2009年まで約80年のカメラの発達史をそのまま持参して、それでそれぞれに実用品として仕事をしているのであるから、かなりユニークな「カメラ実験室」というわけだ。
その中でライカといふぉんを比較してみるに、ライカは36枚が一度のセッションであるから、そこで息継ぎができる。ノブでフィルムを巻き戻して、カセットを取り出して、やれやれと息を入れる。一方にいふぉんはこれがデジカメであるという認識に意義を挟むカメラ人類は居ないであろうが、なにしろ36GBも容量があるので、撮影枚数という認識がない。人間の身体的な視神経の記憶も別にカウンターがついているわけではないがそれがそのまま記録可能なのが、いふぉんと言ってよい。ライカにはオンとオフとが存在(36枚ごとに)けど、いふぉんにはそれがない。そのことが良いのか悪いのか、それは今のところ不明であるが、近々、ケータイのカメラ論は誰かによって書かれるであろう。

Img_0413 面白いのは、いふぉんの画像に関しては、デジカメおたくさんの言うような「ノイズ」とか「色むら」などの批判の定番(これもすでにステレオタイプで聞きたくもないが)が見あたらないことだ。もっともカメラ雑誌とかデジカメ雑誌で、ケーターカメラのレビューというのは存在しないから、そのせいかも知れない。
最新号のデジタルカメラマガジンの「デジカメ風雲帳」で、いふぉんで撮影した一連の画像を掲載してある。
今回の埃及では、その過去80年来のカメラをとっかえひっかえ遊んでいるわけで、これはひどく痛快である。埃及の歴史が4000年としても、その五十分の一のカメラ史の実物のカメラで遊べるのは愉快だ。
眠蚕フレックスは1938年だし、論メルさんが活躍したのはたしか1942年であるから、砂漠の狐よりも眠蚕フレックスの方が古い。自分より年上の写真器というのは最近ではあまり見つからないが、これは格別である。

2009年9月24日 (木)

人面獅子像の「絵はがき」

Img_0397 最初に人面獅子像を知ったのは、多分、幼年時代の絵本であったと思う。世界の巨大建築の中のエッフェル塔やらエンパイヤやら、金字塔のイラストの中にあったと思う。ただしそういう巨大建築物の中で、人面獅子像は小さく見えた。なにかペットの猫という感じだった。幼年時に日本橋の三越で「顔の異なるスフィンクス」と思った入り口双方の動物の像の由来など知る以前の話しである。
人面獅子像の写真の記憶の中で忘れられないのは、ちょんまげ姿の男性数人がポーズをとっている姿である。あれがベアトーの撮影であったのか。

100埃及£の意匠はその画像である。これは誰が見ても埃及であることが分かる。顔と髭は破壊されたり、第三国に持ち出されたりしたが、アフガニスタンのように高性能の爆薬のなかった時代だからこの程度の破壊ですんだのであろう。Img_0406
さらに長い間、砂の下であって、「つい最近」になって発見されたというのだから、大したものである。

100£札はそこらの屋台で出しても吃驚されるだけで、支払いができない。マンハッタンで50ドル札をだしても拒絶されるのと同様で、その意味では回路も現代都市である。

2009年9月23日 (水)

回路の水瓶

Img_0368 毎日3Lの水を飲んでいる。1週間で21リッター。人間の何分の一が水か知らないが、すでにあたしの体の「ナイル指数」は高いであろう。

あたしの回路飲料水は冷蔵庫で冷やしたやつだが、回路の街中を徘徊していると、こういう素焼きの壺に水が入って、ふたがしてあってコップが添えてある。水の蒸発熱で多分、中の水は冷えているのであろうが、これは通りがかりの日本路地裏学会が簡単に味を見るにはリスクが大きすぎる。

でも気温35度の環境ではこういう水は甘露であろうと想像する。

そういう露天の水を飲んだ経験は案外にある。7年前の北京で夏の暑いさなかに、北京郊外の鶏名駅とかいう農村に出かけた。「偉大的毛沢東思想万歳」などと赤ペンキの退色した土壁にスローガンが残っているような農村である。一軒の農家で水をもらった。カメにくみ置きしてあるような水だったが、甘露の一滴だった。

2009年9月22日 (火)

哲学者の椅子 

R1169679 回路一般のことではないが、暖かい地方だと戸外の椅子に座る職業の人が多い。中国南部から越南、印度からずっと壊れた椅子に座っているのが仕事の人だ。彼らの座る椅子はちゃんとしたものではなく、例外なく壊れている。クッションのはみ出した足の長さのそろわない椅子に12時間座っているのはかなりの苦行であると思う。

25年前、マンハッタンのソーホーに棲んでいた時、近くにパーキングロットがあってその管理人の露天で座っている椅子がMoMAに展示してもおかしくないようなアートであった。何時もその前を通ってCANAL STにTIMESを買いに行くので、知り合いになってその椅子に座ったことがあったが、これは椅子のライセンスが必要なほどの難易度の高い椅子なのである。こういう椅子に座り続けることがパーキングロットの管理人のプロたるゆえんであろう。

回路で一番目につくのは銀行の前に座っている制服のガードマン(なのかポリスなのか分からないが)である。彼らは椅子に座るのが職業であるから、その座り姿勢が参考になる。

さてここにマンハッタンの駐車場を超える椅子が登場した。今回、日本路地裏学会回路調査隊がハンハリーリ界わいで発見した椅子である。この椅子はなんと2本の足がない。それで壁にもたせかけて用を果たしているのである。もっともリクライニングにはこの方が快適であろう。椅子もここまで進化しないと本物ではないという気になってくる。

2009年9月21日 (月)

回路のZEISS IKON 眠蚕フレックス

Img_0360 「二眼レフワークショップ」(えい出版)も、まだ予約段階だが、ランキングが上がってきて嬉しい限りである。この本は二眼レフの使い方と選び方を丁寧に説明し、なおかつそれぞれの使い方のキーを直伝(腰巻きの文句より)するものだ。加えて世界の名作がライカより、実は二眼レフでより多く撮影されている実例を数多く挙げている。一例にロバート・フランクがそうである。彼は最初、まだ瑞西に居た当時にはローライの二眼レフで仕事をしている。有名な「モーリタニア号上の人々」(本当のタイトルは知らず)は、ライカで撮影されたと誤解されているがあれはローライで撮影して3:2にクロッピングしたものなのだ。
本書では、カラーでプラハ、デリー、名古屋常滑の作例を16頁ずつ。さらにモノクロで1980年代の東京のあたしの暮らしぶりを16頁掲載。愉快なのは還暦過ぎの自分には80年代などつい最近の25年前のことだと思っていたら、とんでもない25年前の大昔であったことが写真上に発見できた点だ。その詳しい内容はここでは書かない。
「二眼レフワークショップ」は、ハードカバーの単行本サイズなので、これをカメラバッグに入れて、ローライの古いのでも持って、一泊二日の旅の途中に読んでもらいたいおすすめ本である。あ、二眼レフはその気分を楽しむものだから、しゃかりきになって撮影する必要もなし。
今回の回路もそうだが、二眼レフはデジタルカメラと同時に持って歩いても、食い合わせが悪くなることはない。むしろ、デジカメと二眼レフは共鳴してそこに新たな視座が開けることが、昨日の「オールド回路」の撮影でも良く分かった。

オールド回路は回路南部の「小婦都教」の聖地であって、無論、回教などとは比較にならない歴史がある。ただし行ってみたら、兵士が重装備であっちこっちで警備していて、そこに観光バスから降りた「欧米のツーリスト」が横柄な態度で徘徊して、道路脇にけちなカフェとかいんちき土産物店が蝟集しているつまらない観光地であった。

あたしがイスラム原理主義でなくても、爆弾のひとつも破裂させたくなる。それで古道具屋の親父に道を聞いて、電車の跨線橋を渡り、反対側の古い町を撮影した。ここは面白い。魚の露天で、蟹を売っているのが珍しかった。その上は蠅だらけでこれも東京の1950年代で懐かしい。ここは小婦都地区だからそのせいかどうかは知らないが、ラマダンの最後の日に店は普通に開いている。小店でコーンビーフとチップスと「牛笑いチーズ」を買う。この1週間はまるで修行道のような生活で、実に快適だ。酒のことも完全に忘れている。チップスとコーンビーフを一緒に食うと「天国の味」がする。セブンアップはストレートでは強くて飲めないが、冷やした回路の水とハーフアンドハーフにすると天国のカクテルになる。このローレベル食生活では、恐らく名物の「鳩」を食いに行く時間はないかも知れない。まあ、鳩はブルゴーニュで沢山食ったからいいか。

古回路の裏町で、ケータイ屋さんが白壁に描いたケータイの図などは、そのままモダンアートである。通行人がおれを撮ってくれと言ってくるが謝絶する。日本の肖像権というのは東洋極東人のヒステリー被害妄想であることが分かる。
街角で眠蚕フレックスのフィルム交換をしていると、これがデリーでは子供も大人も牛も珍しがって寄ってきたものだが、ここ、回路では誰も見向きもしない。つまりガンジス文明より、埃及文明の方が機械学への初期的了解があるわけだ。偉い!!

古回路で眠蚕フレックスで120フィルム7本。

地下鉄の戻りで、込んでいた車内だが、立派な服装の青年紳士(他があたしを含めて超カジュアルなので比較の問題)が、あたしの手元のカメラをじっと見ている。貞人駅で降りる時、彼の手元を見たらZEISSのロゴの入った小さい立派なショッピングバッグを持っていた。思うにこれは眼鏡か何かであろう。リコーの複写機のサービスマンが某カメラ雑誌の編集部にコピー機のサービスに来て、そこでGR1を見せられて「えっ!!うちってカメラも作ってるんですか?」とは有名なジョークであるが、この青年も眼鏡のZEISSがどうも大昔はカメラを作っていたらしい、という理解であるのかも知れない。これはある意味正鵠である。眠蚕フレックスは砂漠の狐が活躍したころのZEISSなんである。

ついでに、論メル時代の砂色の軍用双眼鏡を持参すれば完璧であったな。今回の双眼鏡は勝間ではなく、KERNである。勝間の6X30は優秀だがオキュラーが小さいのである。KERNのそれは実にでかい。索敵にはこの方がいい。敵はイスラエル?とんでもない。夕暮れに高度を上げてナイル方向に飛んで行く3羽の鵲である。

2009年9月20日 (日)

風船売

R8109882 この宿屋は16階の「ペントハウス」である。これで適当な安ワインとアラック酒それにありあわせの酒の肴でもあれば、この楽園から下に降りて行くことはない。もともと環境にすぐに慣れてしまうのだ。
ところがラマダンの最後に遭遇したので、近くのコンビニ(は存在しないけど小さい食品店)も下の蕎麦屋(ではなく、小斜里屋)も全部休みなので、この前、銚子から持ち越してきたいわしと、さんまの缶詰を食い延ばしている。ちょっとスリムになった。

酒もきれたのでこのまま月末の帰国まで呑まない。イスラムが人間を変えるかどうか知らないが、自分の状況ではこれは当たっている。ピタは毎日、下の赤いクルマの上に山のように載せて売っているじじいから1枚買う。1ポンド。トマトはその斜め向かいに十年一日〔多分)のように露店を出している、ばばあから買う。それとチーズと回路の水を冷やしたやつ。家人の持たせてくれた各種サプリメント。恐らく回路の監獄でももっと気の利いた食い物を出していると思う。

それはそれで良いが、午後に北側の窓から下を観察するのが日課である。カメラはCX2だ。今度のGRD3の本ではCX2はGRDのサブとして大事な役割であることを書こうと思う。

このラッシュのクルマの間をすり抜けるのは普通のエキストラの通行人であるが、そうではなくここを商売にしている人をもっぱら観察する。まず風船売りがいる。こんな大きな風船が停車中のクルマに入るわけはない。これは「サンプル」なのだ。中国語の分かる自分から見れば漢字が印刷してある。この風船を持ってカオスの中を行ったり来たりしている男はなにか科学者に見える。ちょうどラジオゾンデを上げる人みたいだ。
不幸なことにこの風船はあまり丈夫ではないらしい。一昨日と昨日、この男の風船が割れる瞬間を2度まで見た。男はがっかりする風も見せずに、落ち着いて新しい風船をふくらましている。さすがプロのつらだましい。

風船売りで思い出すのは、1988年10月1日の朝のマンハッタンである。まだベルリンの壁もあり、ビロード革命の1年前だった。10月1日はマンハッタンは秋の最初である。人々はりんごを求め、熱いコーヒーに走るという。

その朝、パノンのパノラマカメラを持ってセントラルパークに撮影に行った。秋の最初の日であるからだ。地下鉄をプリンスストリートからアップタウン行きに乗ったら、メトロの箱一杯になるほどの風船を持ったベンダーに出会った。これはまるで映画の中のワンショットであった。多分、CPのZOOあたりに商売に行くのであろう。この風船売りを見て以来、世の中はどんどんと変わった。その10月1日に撮影を終えて、SOHOのロフトに戻ってきた時に、また象徴的な出来事があったのだが、その話しは次回に。

どっとはらい。

2009年9月19日 (土)

下の空き地のお巡りさん

R8109808_2 宿屋は16f建てで、東側のベランダから見るとすぐ目の下がモスクで、その裏手に自動車の墓場がある。かなりの広さであるが、使える車は一台もなく、エンジンなどが山と積まれている。そこに2−3名の制服警官が警備している。
実に暇そうに見える任務であるが、何事も起きないのが任務を全うしているわけだ。われわれは何もしなかったら即、砂漠に溶けてしまうのとは大違い。
原稿書きのかたわら、下のポリスの状態を調べるのが、回路暮らしの基本になった。
昨日のアリの重要任務は敷地内にちん入した、反政府勢力の手先の赤色のワン公を石を投げて撃退することだった。しかし投石のプロであった自分から見れば、そのフォームは本気ではない。脅しである。10,21の経験があるからそこら辺は良く分かる。
下のアリさんは、ちょっと警備過剰であって、なんと武器はAK47である。この「辛子の煮込」は各国でライセンス生産されているから、多分埃及製であろう。警官が辛子煮込を持つと、その様相がいきなり、兵士化してくるから不思議なものだ。
馬子にも衣装。
である。上下白い制服に立派なブーツの黒という色彩は、あたり一面が泥色の背景には凜とした威圧感がある。これもムバラクさんのご威光であろう。
ただし、彼らがその制服を脱いだら、いきなり反政府ゲリラか亜米利加の軍事会社の傭兵である。
AK47は持つわけに行かないがプラハのアトリエにある、フォトスナイパーを思い出した。

2009年9月18日 (金)

山羊をかってる家あり

世界の普通の生活圏では(つまり都会以外では)家畜を飼っているのは普通であろう。ハリネズミも、ライカインコも広い意味では家畜かも知れないが、ここでは入れるわけには行かない。1974年にイスタンブールから列車でウイーンに戻る時、羊飼いの青年に列車の中で出会った。なぜ羊飼いか分かったのか良く分からない。別に例の牧人の杖を持っていたのではない。ただその青年の目が無限に澄んでいて、同時に羊くさかったからだ。
羊などは、世界では普通に見られるのだ。どこだったかクルマで移動中になんども羊の群れが道路を横断するのでそれでながいこと停車したが、あれはどこの国であったか。

回路で双眼鏡で宿屋の眼下を見渡していたら、廃墟の屋上(その下には人間が住んでいる)に白黒の山羊を見つけた、そういう発見がなにやら嬉しいものだ。その下の向かいの通りでは普通の回路の生活がある。R8109829_2

ただし、今はラマダンなので街にいる男連もただただ、椅子に座っているだけ。

2009年9月17日 (木)

回路の窓から

R8109737 旅館は、考古学博物館のすぐ近くのタワーの最上階である。ただし15Fまでしかエレベータはないので、1F足で上がる。
新潮に連載中の「屋根裏プラハ」では6階の屋根裏まで重いトランクをひっぱり上げる苦労を連載の1回目にかいた。
ここはその点、楽である。SUのエリートプラスだと40キロまで持てるのだけど、デジカメになってからそれほどに必要な荷物がない。それでも今回は6X6と135のフィルムを数十本持った。それでもトランクの重さは17キロ。

回路のようにカメラ店のない都会は真面目に撮影に専念できるのが良い。プラハの日々では仕事しているのか、それとも中古カメラ屋に行ってるのか不明である。

アンドレ・ケルテスがあれは五番街1番地であったか、25階くらいの高所からコンタックスDに300ミリレンズで眼下の人の姿を撮影したシリーズは70年代にスイスの高等雑誌「DU」で見ていいなと思った。
その真似であるが、この程度の高さだと人間の暮らしが良く見える。
旅館は16Fの最上階であるから、屋根裏プラハならぬ、ペントハウス回路というわけであろうが、これは語呂の座りが悪い。やはり屋根裏回路である。

昨夜、かなり暗くなってから北側の窓から何気に下を見てびっくりした。銀行の上にある電飾に男性が2名登って、ライトの具合をなおしている。無論、ロープなどなし。命知らずの野郎共だ。「命が惜しくて、こちとら、回路に住めるかってんだ!篦棒め!」というわけである。

2009年9月16日 (水)

モスクワカイロ 

Img_0313 モスクワからの連絡が悪いので、駅前、じゃない、空港のノボテルに一泊。
この4月にAFが遅れてNRTに乗り遅れた時も一泊した。
この前に比べれば、新空港はかなり完成。
トランジットでホテルに護送されるときに、グランドホステスさんに聞いたら、来月には運用らしい。

これから、回路行きのSUに搭乗。
回路ですぐに更新が出来るかどうか、不明なので一応これをここで書いておこう。

搭乗直前のSVOラウンジにて

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飛行時間4時間20分。

回路。R8109707午後の町並みにクルマのクラクション鳴り響く。

こういう場所だ。これではあまりに通俗的だが、眼下には屋根のない家が並んでいる。あたし好みの路地もある。

ホテルの(というより宿屋)の部屋から。CX2で撮影。

★地方時の朝4時半だ。この部屋は角部屋なので佃と同じに風がよく通る。 ナイル川もよく見えるから、川と部屋の関係は佃と同じであることを発見。

2009年9月15日 (火)

アバターにはなぜ60+のがないのか?

Img_0114 本日、SVOCAI

回路で道に迷う予定。

Mixiより、twitterの方が面白いと思う。
その理由はMixiはお隣近所のおつきあいのようなところがあるから、礼儀正しくしていないといけないのに対して、twitterはテロリストのつぶやきのような存在感がある。そこが違いだ。それでtwitter。

ココログ(だったっけ)にはアバターというのがある。あばたもえくぼ、というがあれとは関係がないのであろう。そのキャラクターであるが、前から文句を言いたかったのは「じじいやばばあ」のアバターがないことである。これは冗談半分にアバターに着替えようとしても、自分に見合うキャラがないので移行できない。

しかも、そのアバターのキャラの棲む家にも選択の余地がない。森のこびとが棲むような田舎家である。60+のキャラを創作してくれたら、真剣になるぞ。

2009年9月14日 (月)

Zgrip iPhone Jr. #Z-ZG-IPJ

Zzgipjmain Rimg9685_2 本日移動日。

NRTSVO

一泊してSVOCAI

  Zgrip iPhone Jr. #Z-ZG-IPJという物をオンラインで買った。
かなり前、EOS5Dが出た後に、このメーカーがデジタル一眼レフカメラをプラットホーム上に載せて、ショルダーコンフォイギュレーションに使える付属品を出した。それがなにか滑稽なので「おさるの籠やだ、ほいさっさ」という紹介をしたのである大体がこういう付属品は「あってもなくても同じ」ものが多い。これは大事な要素であって、それだから物欲を刺激されるのだ。卑近な例がライカビットMPである。
マンハッタンの怪人、チョーセイさんのtwitterでこの物が紹介されていたので、すぐにオーダーした。値段よりfedex代の方が高いというのは、本当に必要だから買ったわけである。M9を予約した人の場合、思うにこれが「世界唯一のフルサイズのRFカメラ」というスペックに物欲刺激されるのであろうが、あたしの場合にはフルサイズよりペンサイズ党であるから、なるべくフルサイズは避けて通りたい。
それで最近はなるべく小さいサイズ、4/3よりコンデジ、コンデジよりいふぉんという具合にサイズの小さいのを「信仰」するようになった。これは憲法で保障されている(?)画面サイズ信仰の時自由というやつだ。

いふぉんで一番操作中に神経を使うのは、これを落下させないようにする注意だ。この前、知人がいふぉんを落下させて、ガラスにヒビが入ったりした。それでライカ突撃隊長がくれた、シリコン製のカバーに入れて使っている。これがグリップ感覚を高めてくれるが、小さいいふぉんであるからやはり落下の危険がある。
このグリップはその点、安全である。同等製品に300ドルに1ドル足りない上位機種があるが、今の亜米利加なら300ドルは大金であろう。それでジュニア版が出た。
もっともこの品物がフェデックスで届くのを待てないので、手持ちのチエリーのハンドグリップにゴム輪を使って、同等品を造り、昨日の大雨の中BMW野々宮との東京大走行にテストした。結果は上々であった。

冷静に考えてみれば、ペンデジタルが一眼レフであるのなら、いふぉんも一眼レフである。「おさるの駕籠屋メーカー」の純正品はオーダーしたが、今になってこれを佃ではなく、回路のホテルに送ってもらえば良かったと今にして残念がっている。でも、まず代替品で十分だ。問題は回路の大陽で輪ゴムが劣化してしまうそうなことだ。

2009年9月13日 (日)

「田中長徳ペンの本」増刷!二眼レフカメラワークショップ絶賛発売中!

「田中長徳ペンの本」増刷決定!
現在アマゾンで絶賛発売中。
Amazon.co.jp ランキング: 本 - 1,536位(10/ 6  21:49現在)

田中長徳 PENの本 (インプレスムック DCM MOOK)

      

買ったきっかけ:
書いたきっかけですが、若い頃からフィルムのペンのファンだったから。フィルムのペンとデジタルペンは半世紀の時間の一本の進化の途上にあります。

感想:
手持ちの映画撮影機用のレンズで遊べるのがまずは最高の楽しみ。画面はハーフで十分。

おすすめポイント:
プラハに2週間だけ居て「切羽詰まって」書いた本です。プラハの楽しみ方も満載。新潮連載中の「屋根裏プラハ」と同時読みしてお楽しみください。

田中長徳 PENの本 (インプレスムック DCM MOOK)

著者:田中 長徳

田中長徳 PENの本 (インプレスムック DCM MOOK)

Img_0592 二眼レフワークショップ堂々千位台突入!

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二眼レフカメラワークショップ
¥ 2,415

買ったきっかけ:書いたきっかけですが、デジカメより楽しめる、銀しおカメラが二眼レフであることを発見したから。

      

感想:最初の二眼レフの選び方をわかりやすく指導。使い方も図解で説明。これ一冊と二眼レフ持って旅に出ましょう。

おすすめポイント:写真集としても楽しめます。80年代の東京のモノクロ作品。現代のデリー、プラハ、名古屋のカラー作品を多数掲載。
著名写真家の二眼レフの使い方の解説と評論も。二眼レフの「蘊蓄」はこれ一冊ですべてカバー。

二眼レフカメラワークショップ

著者:田中 長徳

二眼レフカメラワークショップ


 

http://twitter.com/chotokutanaka
で今、何をしているか、レポート中です。これ↓をクリック。

chotokutanaka

  1. I uploaded a YouTube video -- IMG 0597 http://bit.ly/B4YaH
  2. I uploaded a YouTube video -- IMG 0598 http://bit.ly/90i6d
  3. インド、パキスタン、イランあの方面は時差が正時ではなく、30分ずれる。飛行しているといきなり、それらの空域でスカイマップが変な時間になる。もっともこれは我々の世界の話しで、彼らから見たらこっちが30分ずれているわけなり。
  4. チョーセイさん。曇り日のマンハッタンはそれ自身が偉大な撮影の舞台です。いいなあ。なんせ、回路は連日の馬鹿晴れでありました。
  5. 明日は「大事な日」。東急BEの「ライカ愛好会」の新学期である。教材用のライカはどれにしようか。思案中。
  6. 浅田恵理子と会談。4か月ぶりか。近況報告。その後、ヒルズから月島のおたべ寿司。(高校の同級生の店)徒歩、枝村酒店経由で戻る。
  7. ヒルズナウ いふぉんで書くのはしんどい 早くキーボード来ないかな
  8. パ ワーポイント(関西業界用語ではぱわぽ、で、第二音節にアクセント)は、便利であろうが、このところ、各社のアンダーテーブルを拝見するとき、これが全部 ぱわぽを出力してあるやつだ。それでどのメーカーの話しなのか、こっちもぼけてるので取り違えることあり。自分だったら、ぱわぽは使わない。
  9. chochan さま。原稿書きに通ったイスタンブールのブルーモスク向かいの商人宿にはバスルームにお部屋付きのモスキート軍団が居ました。前回に掃討したモスキートの死骸と血(あたしの)が白壁についていて、まるで池田屋騒動の柱の刀傷みたいでした。
  10. 4月5日。プラハでの小濱の演説。プラハにもノーベル賞をあげたい。
  11. Black Next上で、デイドリームというシステム7が動くソフト愛用した。シンプルテキスト1本だけ動く。これで本書いた。そのBlack Nextは捨てられずまだ机上にあり。キヤノンのモニタなんてモノクロ。
  12. セントレアはなかなか機能的だしサイズが小さいのが良い。一昨年、ここからCDGPRGと往復。その戻りに愛知県知事と隣同志に。なんでそんなことが分かったか。小牧の自衛隊の航空機の事故の一報がはいって知事さんに連絡がコックピットからあったから。
  13. 毎日、0時にブログの更新を確認するのであるが、昨夜は日付の変わる前に寝てしまった。それで今、更新日時の間違っていたことに気がつく。ぼけている証拠なり。
  14. 目覚める。5時だが周囲は真っ暗だ。ただ空樹の向こうの空は黎明になりかかる。プラハは秋か冬か。黄金の秋のイエローオーカーの紅葉が寒風に吹き飛ばされると、インスタントにいきなりプラハの冬がくる。


かぼちゃのスープ入れ

P9100061 最近、ブログとか本に登場する、「かぼちゃのスープ入れ」である。これは1982年にニコンの広告の仕事で欧州を旅した時に、その旅の最初で行ったベニスのサンマルコ広場からちょっと奥にはいった小さい骨董屋で見つけた。無論、当時のことだからリラであるが、旅の途中に買えるような値段であった。バロック時代の好事家が好きそうな瀬戸物である。
直径は40センチほどあるので、しかも割れ物であるから機内には預けられない。それで旅の途中はこのかぼちゃをずっと機内で膝の上に載せていた。
食卓の脇に置くと、いかにもいかにも、時代は数百年前に戻る。別に高級ワインとかシャンペンを開ける必要はない。ワンカップに鰯のかんずめでも十分に興がわくのである。
13日は家人の誕生日でそれを前倒しして地元のうなぎやに行ったらそこでかぼちゃの糠漬けが出た。その口当たりが面白いので、我が家のカボチャを検索したらこれが該当したわけである。

Img_0240 撮影はペンに戦前のヘクトール73ミリf1,9。
木村伊兵衛が、日本工房の撮影で人物を撮った有名レンズである。タンバールも良いけど、こっちの方が実用度が高い。ちなみにタンバールが現行商品であった当時、ヘクトールの方が高かった。

まず、「品格がある描写」と言うべきであろうが、当時、ライツの設計者はそんなことは考えてもいなかったであろう。

ただただ「明るいレンズ」を目指していたのである。

品があるなどとは70年後の我々が勝手にそう評価しているだけだ。

2009年9月12日 (土)

GRDストラップレスアナーキスト同盟埃及指令

Img_0244 先週、新潮の矢野編集長に銀座でお目にかかった時、彼の持参のカメラは「文壇バー乱闘記録用公式デジカメ」たる、GRD3であった。そのデジカメにはストラップが付いていなかったので、ああ、矢野さんも福田和也GRD殉教旅団の隊員であったかと、改めて判明したのである。
14日から埃及であるが、ここでは変装してGRDストラップレスアナーキスト同盟であることを隠して、普通のGRD市民のように変装して行くつもり。

なんでそんなことを思いついたのかと言うと、このGRD用の革ケースの出来がなかなか良くて、50年代のライカのケースでユニバーサルファインダーを「同梱」できた、ライツの黄金時代の速写ケースを思い出したのである。
ただし、手元の最初のGRD用ファインダーは大きくて収納できなかった。
ただし、カメラケースの前のフラップのスナップが緩いので、オールドカイロでこれを路上に落下させて、拾った子供から「バクシーシ」を要求されそうだ。
パスポートも新しくなったし、GRDも3になって新しくなったし、ここらで心機一転して、GRD3ワークショップをカイロにいる間に撮影してこようと思う。
近日、えい出版から例のGRDワークショップの第三弾として登場の予定。ただしまだ1文字も書いていないので、どのような方向になるか不明の部分あり。案外に埃及にはまり過ぎて再来年あたりになるかも知れない。いや、デジカメの命は短いからそれはない。出すか出さないかである。それに比較して二眼レフワークショップは足かけ3年かかったが、フィルムカメラは古くならないばかりか、熟成されるようである。

以下、埃及に持参のデジカメ
1 いふぉん
2 GRD3
3 CX2
4 ペン

埃及に持参のフィルムカメラ
1 ライカMP(ただしレプリカ)
2 イコフレックス3   またはスーパーイコンタ5型

デジカメの方は実用主義であるから、異動はないが、フィルムカメラは趣味カメラであるから、まだフィルムカメラ2の項目が決定していない。

万年筆とインキ

Img_0226 万年筆とインキ、と書いて、最新の「趣味の文具箱」の表紙を見たら、インキではなくインクである。
家が大昔は万年筆屋(製造も含む)だったので、祖父が家の奥の「研究室」の和室八畳で万年筆をインキ壺に浸して、古新聞に字を書いていた姿を思い出す。万年筆屋であるから、インキは1リッターのでっかい瓶に入っていた。それを小分けするときに祖父はこぼしたのであろう。「研究室」はインキのシミだらけであった。

実家がそういう仕事をしていたので、万年筆を持ったことはない。
ごく最近(とは言え、すでに四半世紀前)に、高田馬場に古屋万年筆店といったか、実際に古い小さな店で、ペンを一本買ってつかいだしたが、ちょうどワープロの時代になったので、そのまま使い続けることができなかった。
数年前、家人の父の遺品のペンとシャープのモンブランのやつが出てきたので、それを鵠沼のブレッソンこと、佐佐木潤一製のシースに入れて持ち歩くようになった。
モンブランの前は、趣味の文具箱の編集長、清水さん(彼はカメラマガジン、ならびに新ムック「F5.6」の編集長でもある)から、ラミーのペンをもらった。それをながらく使っていた。ただしライカと同じで、ペンもカメラも1台、あるいは1本あれば十分なのである。それで自然にラミーからモンブランに「政権委譲」となった。
伊東屋でそれまでは頻繁にラミーのカートリッジのインキを買っていたが、最近はモンブランのインキ壺である。
まず普通の量のインキ使いであろうと思うが、原稿書きはMacBookだし、メモはシャープで書くし、手紙を書くのは希であるから大した使用量ではない。
モンブランのインキ壺の箱の裏書きを見たら、2008年12月とあった。
にもかかわらずインキの液面はほとんど変化がない。

紙箱の印刷を見たら、INKとある。日本語ではボトルインクというのである。中国語の墨水というのはいい。

2009年9月11日 (金)

最新刊「二眼レフワークショップ」出来た!

P9110069 金曜日。午後、佃に戻ったら、「二眼レフワークショップ」(えい出版)の見本が20部届く。
なかなかの印刷である。特にカラーの四色の発色が渋い。
久しぶりのハードカバーの本だが、これで0,23カメラ円なのである。二眼レフに比較したら、一番安いのでもこの10倍の値段であるから、二眼レフを指向するカメラ人類に是非読んで、眺めてもらいたい。
帯は最新のローライであるが、それを外すとローライ2,8f
が登場する仕掛けになっている。
あたし自身、また二眼レフのマイブームが襲来しそうな予感あり。

ライカM9を買う理由

Frontview 「ライカを買う理由」というのは、旧著のタイトルである。東京書籍から出したので、今回の売れている「田中長徳ペンの本」はそこの印刷所で刷っているのだ。教科書会社でもあるが、その印刷はなかなか良い。

「ライカを買う理由」をそのまま活用すれば「ライカM9を買う理由」というわけだ。何時もライカの場合、発表からかなり時間が経過して発売になるのが常であるが、今回はもう月末に発売のようである。ヨドバシはじめ各店で予約を開始している。ライカかなり本気。
その価格は77,7カメラ円(1カメラ円は邦貨1万円)のようであって、それが5パーセント還元のようである。なにか自分でも無理すれば買えそうな価格である。これはやばい。この金額はかなりまとまったお金であるが、カメラ円建てではなくドル建てだと8000ドル以上である。そう思うとちょっと冷静になる。

ウイーンのプロ用35ミリ撮影機のムービーカムというのがあって、20年ほど前にその会社に取材に行ったことがあった。ウイーンの西の郊外の農家という感じの会社であった。当時、商売仇のアリフレックスよりフルセットでちょっと安くて2000カメラ円という価格であったが、その夢のカメラが最近、EBAYで韓国から出ていた。なかなか売れなくて最終的に7500ドルで落札されたのである。あたしも欲しいと思ったのだが、佃カメラ倉庫はすでに撮影機のオーバーストックである。ムービーカムを仕事場の角に置こうなどと場所ふさぎのアイデアを考えたが、それは中断してその代わりに仏蘭西はパリ製のパルヴォをそこに置いた。これはかのレニおばさんがベルリン五輪で使ったカメラである。その画像は目下発売中の「田中長徳ペンの本」に出ている。

「ライカM9を買う理由」というので上の事情を書いた理由は他でもない。ライカM9は欲しいのだが、自分の場合これは間違いなく「趣味カメラ」である。これは仕事カメラではない。仕事にはリコーのコンパクトデジカメとかエプソンRD1とか、ペンがある。自分の仕事はせいぜいが頑張って日経のモノクロの新聞広告程度であるから、これならコンデジで十分だ。
フルサイズのデジカメ、あれは世に流行る宗教のようなものであるから、仕事よりも趣味カメラの要素がずっと強い。そうなるとM9の実機がいかに物欲を刺激するかにかかっている。しかしオンラインで見た限りではあまり「このマキナなら借金しても欲しい」という印象ではない。
M9の性能は優秀であるが、その存在感が自分の場合、M9を買うかやめるかの分岐点になっている。

もう一言。ライカのライブの記者発表は効果的だった。15分遅れの「放送開始」も、わざとではなかろうが効果的であった。日本もこれからはプレス発表はインターネットがいいと思う。ただしSealとか言う黒人写真家(ここら辺が小濱狙いの感じあり)がせっかくたすき掛けにしたM9を持って壇上に立ったのに、話しばっかりで実際にM9で会場を撮影しなかったのは残念であった。あそこでM9で撮影したらさらに30パーセントのオーダー増であったろう。まさか、あのM9はダミーではないか?その後、ライカの社長からライカS2を「もらって」壇上から降りてしまったのでちょっとがっかりした。

これが9.11午前11時現在の感想である。
まあ、月末にカイロから戻ってゆっくり考えよう。

知らない道を通って

Img_0204 自分はクルマには乗らない主義である。

26歳当時、欧州で免許を失効させて、その時に思いついたのは、「我が余生は飛行機と電車、自転車、徒歩で移動しよう」ということであった。以来、40年弱、そのようにしている。

もっともアメリカ西海岸、欧州の田舎、カンガルーの居る方のオーストラリア、それにあたしのルーツの千葉県の銚子などに行くと、そういう贅沢は言っていられない。単なる交通弱者だ。それでもクルマはないからこの前の銚子でもコミュバスに乗っていた。これは駅前から港から犬吠方面循環して駅前に戻るのだが、午前と午後とでその循環方向がかわるのである。地元の人にその事を聞く前までは、自分の行きたい反対側のバス停がないので実に不思議におもった。
コミュバスは病院通いのお年寄りが絶対安定多数を占めていた。昼休みにはドライバーさんも休憩するから、その間、2時間もあきがあるので、これは敬遠してもっぱら銚子電鉄を使っていた。ぬれせんべいで「世界的に有名になったあの銚電」である。宿泊したペンションヴィラコモンズは電車の笠上黒生というと駅から15分はかかる。これはまず1本道である。その先の駅、西海驢島からだと、少しは近いのだが、農道であるから回路状迷路になってる。それがいふぉんには、GPSが付いているのでちゃんと道を教えてくれた。いふぉんは電話機能は使わないが、GPSは良く使う。これが町歩きには非常に面白い。

何が面白いかと言えば「目的地は知っているが、その途中の知らない道」を歩行できるのだ。これは人類の道の学習という、いや、ラットだって迷路の学習をするから、動物の学習という、長い長い歴史の中で、破天荒というか本末転倒、下克上というか、ロベス・ピエールというか、文化大革命というか、形容はともかく画期的事件なのである。

あたしが日本で乗る唯一のクルマはBMW野々宮の操縦するクルマであるが、これにもカーナビが付いているから、目的地をセットすると「その途中の知らない道」が走行できるので、これは大したエンターテイメントだと感心していたのが、それが徒歩でも可能というのがいふぉんの一大功績である。

来週からの回路では、いふぉんに頼ると「知らない街で道に迷う楽しみ」がなくなるのでなるべく、いふぉんには頼らないようにしようと思う。

2009年9月10日 (木)

フォトン世代のあたし

Dsc05108 大昔はスポーツの撮影にはアイモ改造機というのがあって、どこの新聞社にもこれはかならず常備されていた。スポーツ撮影には必須のカメラだった。24コマを1秒で撮れるのだから分解撮影(人間の動作の)にはこれで十分であった。35ミリの映画撮影機であるEYEMOのシャッターの角度を狭くして、実質なシャッター速度を高速化したモデルである。うちにも1台ある。
しかしこれより高価だったのは、同じ、ベルアンドハウエルのフォトンであった。ベルアンドハウエルは映画機材のトップメーカーであったが、この会社が製作した唯一のスチルカメラだ。ただし撮影速度はアイモ改造機ほどには速くはない。せいぜいが6コマ程度か。

このカメラが登場したのがあたしの生年の1947である。当時700ドルもしたらしい。昭和22年の700ドルですよ。いかにアメリカが裕福な国とはいえどなかなか売れないので翌年だかに値下げして590ドルになったが、やはり売れない。それで生産中止になった。このカメラが偉いのは、スチルカメラで唯一の「Tストップ」の絞り表示(無論Fストップも表示してるが)にある。レンズはクックのアモタル。このレンズをベルアンドハウエルは大量に英国から輸入した。後にそのストックのレンズをライカマウントにして販売したが、これも売れなかった。

フォトンの交換レンズは特殊なバヨネットである。4インチのクックのレンズ、10インチのもある。本体2台にレンズ4本持っているが、この20年来使ったことがない。今度使ってみよう。このカメラは一部に固定客がいるらしく、20年前だが電車の中の向かいの家族ずれのお父さんがフォトンを首にかけていた。この速写ケースなのでカメラが表にでていなくても、すぐにそれと判明した。

家族ずれの家長がフォトンを首から下げているのは、当時は「凄く変」と思ったが、今にして回想するとなかなか雅であったなと思う。

2009年9月 9日 (水)

あおりレンズ付き「いふぉん」??

Ggd044512 Ggd044411 先週のアローカメラ@四谷荒木町の「田中長徳ペンの本」のゲリラ集会は大勝利であった。その時、浪速から駆けつけてすぐに浪速に帰った水戸在住のGengodesignさんが撮影して、彼のブログにアップした画像の1枚がこれである。
こういうことも「いふぉん」で出来るとなると、これはデジカメの存在を脅かす。

シャープネスだけから見ればBLOGはいふぉんで十分どころか、最近ココログでは1mb以上の画像は弾かれてしまうので、リサイズして載せている。
なにか、あたしの本「カメラに訊け!」(ちくま新書)で、フルサイズのデジタル一眼レフで撮影して、それをちっちゃくリサイズしているカメラ人類のことを面白おかしく書いたが、そういう「もったいない贅沢」がまさか「いふぉん」の上にも起こるとは思わなんだ。
こうなると、我がデジカメ戦列の中に「いふぉん」を加えねばならない。それにフィルムカメラは撮影の楽しみを満喫するのには必須だから、外歩き町歩きのカメラ選びはかなり面白いものになる。

つまり、南方録なみに、お道具をこまかく規定再分割化して遊ぶわけだ。
回想するにこの前のプラハに幽閉されての田中長徳ペンの本の仕事では
ペン(デジタル)とミノックス(フィルム)という組み合わせだった。
これがライカ(フィルム)の相手にどういうデジカメを持つかという選択肢だと
まずペンは落ちて、CX2とか「いふぉん」とかがぐぐっと台頭してくる。
そういう複雑怪奇なしかも伝統芸能律法戒律のデジカメとフィルムカメラの複雑怪奇思いつき納得な組み合わせ番付で、本が一冊書けるのではと思いついた。あたしの本は常に思いつきから生じる。

どっかで出すことにしよう。そう言えば、昨年、徳間書店から単行本一冊書き下ろしの注文が来ていたっけ。
テーマは何でも結構ですというのである。

そこで書こうかと思う。

Tiltshift

TiltShift Generator

でちょっと遊んでみた。この画像は「田中長徳ペンの本」の前書きに使ったものだ。
まあ、イラスト効果はあるものの、ストレートフォトとは無縁のものであることが判明。
こういうソフトが100円でダウンロードできる怖い世の中だ。下は都バスで駒込吉祥寺あたり。東京ニコン日記の中に、この界わいを撮影した、やはり都バスからのショットがある。これが1960年代なのだからこの通りは実に半世紀近くその町並みの印象が変わらない貴重なストラーセである。

ちょい、ちょいと画像をいじくると、画面真ん中の「日傘の女性」にアイポイントが行くようになる。これは一種の「光とその階調」であるから、危険、きけん。画像はいふぉん。

Tiltshift1

2009年9月 8日 (火)

9.07東京大周遊「天心・茶の本ツアー」

Img_0141 「歩きたらず」

なにか不満を感じていたと思ったら足りないのはこれであった。
一昨日(9.06)は日本路地裏学会の桃木会長と新年会(本年最初の調査)だったので、クラブでランチくってそのまま、53fのミュージアムで中国のうえいうえい氏の展覧会を見て、スカイデッキにあがった。東京は「秋」。

それで時間配分狂い、桃木会長のジュエリーのアトリエの所在が、旧銀座八丁庵の向かい、三井ガーデンホテル、すなわちリコー本社前界わいであったのを受けて、そのあたりを散策。吉兆の向かいはなんとか昭和レトロ食堂になっていたので、驚いた。ここは以前は吉兆の授業員詰め所であったからだ。
そこで時間切れとなり、メトロとバスを乗り継いで山谷の大林。

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月曜は単独行。
マップ有楽町で120フィルムの現像を出して、東京駅。駅がクリスト状態になっているのを確認して、丸善で新潮10月号を買う。950円。

「横尾x磯崎対談」微笑まし。五反田団の前田司郎さんの受賞第一作「逆に14歳」。島尾敏雄終戦後日記第三回。あたしの「屋根裏プラハ」連載3回目の「プラハにおける寿司酢の不足について」を確認。このサブタイトルは我ながら笑える。お上の報告書みたいだ。「xxについて」というのは「xx力」よりさらに普遍的に退屈陳腐なサブタイトルだ。だから逆に効く。いっそのこと連載の最終回まで「プラハにおけるxxのxxについて」にしてやろうかと思う。
Img_0171 あきばヨドバシにて、「田中長徳ペンの本」が平積みの一番手前右にあるのを確認。これは一番うれている本のポジションである。有り難い。ありがたい。アリガタイ。
8f「西安」にて「麻饠面」。
バスにて駒込。

徒歩、染井墓地。茶の本の作者の墓参。というのは「新潮」10月号で茶の本のことにちょっと触れてあるからだ。

1985年頃、まだ自転車で毎日100キロは走行しないと安心して眠れなかったバイシクルフリーク時代に、一度ならず自転車で「釈天心」の墓に乗り付けてそこに腰掛けて弁当を食った記憶あり。墓石の高さが格好の椅子なのである。若い時の剽軽とは言え、なぜそんなことをしたのか不明。後年、何かの会合でそのことを子孫の写真家にわびたら「其れはよい供養になりました」と言われ、その懐に感激したのもすでに大昔の話し。

Img_0192 染井の空に霊気満ちて、庵セルアダムスのヨセミテめいた光と雲になる。

巣鴨駅前のベンチで、漏れてくるどっかのお店の電波乗っ取って、twitterっていたら、国際なんとか大学のバングラデシュ(男性)とハノイ(女性)のインタビュー形式の日本語会話実践に遭遇する。

いろいろ聞かれる。「外人」と日本語で会話するときには常に緊張する。主語、動詞、時制、格変化、女性、男性の冠詞も監視せねばならない。

巣鴨の塩大福の説明をしても日本語では相手に分からないので、そこは英悟でする。ついでにイラストを描いて、即物的、形而上学的な説明を試みる。たちまちにして極東に民族学を講義している気分。

撮影はいずれも「いふぉん」による。

2009年9月 7日 (月)

ライカビットTA付きのライカMP(レプリカ)という存在

Img_0110 この前のブログにも書いたが、トム・エイブラハムソンのイニシアルのあるライカビットTAがこれである。それを偽ライカ同盟の「象徴」たる、ライカMPのレプリカに付けてみた。調子は非常に良い。9月9日重陽の日に発表のライカM9の秒5コマにはかなわないが、秒3コマは手巻きでいける。まず速撮りなどなにもたらさないが、すでにかなり使い古しの売れ筋勝間本のタイトルの真似をするなら「政治力」ならぬ、「ライカ力」(らいかか、ではなくらいかりょくと読む)というわけか。

本家宗家のライカMPに比べれば、こちらは分家というところだが分家の方が出来るのだ。まずライカビットTAの場合、分割巻き上げが可能。もともとオリジナルの50年代に登場のMPは、あれはライカM3レバー巻き上げが2回式であったので当時のスター写真家が進言して、3Fに付けられていたライカビットの幅を広くして、ライカM3のプロモデルである、ライカMPに付けられるようにしたのが発祥の由来なわけで、その意味では「一気呵成の一回巻き原理主義」がライカビットMPの「精神」なわけである。
一方でこのTAライカビットは分割して巻けるからその方がスナップには向いている。
21世紀になってライカ社がご商売で出したライカMP(これが本物のライカMPと言われて、50年代のは昔のライカMPと呼ばれる世も末の時代だが)のことはよく分からん。
ところで、このようにニッコールの広角レンズなど付けると、そのアピアランスはいきなり、DDダンカン氏のベトナム戦争ケサン死の攻防という感じになるのが妙である。この場合カメラはライカM3-Dとなるわけだ。

20歳当時、ライカM2のブラックにライカビットをつけて、東京を肩で風きって歩いていたのである。時間経過は一本の線だから、あの当時と今現在も時間はそのままである。偽ライカ同盟の「象徴」のライカMPレプリカで東京の町を徘徊しようと思う。

2009年9月 6日 (日)

ライカフレックス1のチーズケーキモデル

Img_0109 木村伊兵衛さんの1965年のライカフレックスで撮影した、セルフポートレートがある。これはライツ社を訪問した時にホテルの鏡に向かって撮影されたものではなかったか?

歴代のライカフレックスの中で一番かっこいいのは、ライカメーターMRを乗っけた最初のモデルであることは言うまでもない。
今の世の中、変なことになっているのでフィルムを使う高級カメラがまさに「捨て値」である。ただし現在の最新型のデジカメは3年経過すれば「相手にされない」のに対して、ライカとかライカフレックスなら「古くならない」わけでこれはクラシックカメラの最大の福音である。
同時にクラシックカメラは「酒の肴になる」ということ。これが最大の魅力であろう。画像は「いふぉん」で撮影。
手元のシャフハウゼン製の金属トランク(中にボレックスPRO100が入っている)の上には何時も、ライカフレックス1型が乗っている。レンズはPAクルタゴン35ミリが付いている。最初のライカフレックスはファインダーも素通しのスクリーンで「ピントの深さが見えない」などと大昔のアサヒカメラで酷評されたものだが、考えてみれば被写界深度など、ファインダー上で分からない方が撮影はしやすいに決まっている。
その1型のライカフレックスは安い。本体が2カメラ円ということもある。そのシャッターはM型に比較して、幕速度が速いから空シャッターを切っているだけでいかにも高精度のマシンを操作している感覚になる。
一眼レフはあまり好きではないが(にもかかわらず、日本カメラに「一眼レフの王国」の連載を5年以上しているが)こういう緻密なカメラはこれを肴に酒が飲めるので大好き。
誰が言い出したのか知らないが1型の初期モデルはそのフィルムカウンターの窓は円形ではなく、チーズケーキをカットしたような格好をしている。
それがまた旨そうだ。

ーーーーーーー

P9060053

今朝の「空樹」観察絵日記。ペン+卓磨ー300ミリf4で撮影。

下の方の建物のカバーが上に上がってきた。
回路に半月行っている間にまた育つことであろう。

家人に水やりを頼まないと、、、

2009年9月 5日 (土)

タクマー300ミリF4

Img_0108 P9040012 初期のタクマーレンズにしびれるのは、最初に手にした一眼レフである、アサヒペンタックスAPの銀色の表紙のパンフレットによる点が大きい。自分が10歳当時のことだから少年の記憶は色あせない。まだ35ミリタクマーの広角レンズが出る前の昔のことだ。標準レンズは58ミリで、長焦点は最初は83ミリであった。85ミリではなかった。その上は105、135と続いて、200ミリf3,5はプリセット絞りで、その上が300ミリf4で一番長いのは500ミリf5だった。300ミリと500ミリは普通絞りであるのが、なにか非常にプロっぽい感じがした。
その当時の広告に300ミリのレンズを手持ち撮影でつかう青年の姿があった。その当時、その青年がどのような感じに映ったかと言えば、「町の遊び人のあんちゃん」である。それはその男のハンチングによっている。その青年はペンタックスを「裸」で使っている。当時はカメラはちゃんと速写ケースに入れて使うものだった。カメラを裸で使うのは「町のあんちゃん」なのである。しかも手持ちでそのあんちゃんが300ミリを使っているので「尊敬」した。大きくなったらそういう「あんちゃん」になりたいと思った。

9月3日の「田中長徳ペンの本」のゲリラワークショップでちょっと前に我楽多屋さんに行ったら、くだんの300ミリが鎮座していた。0,7カメラ円で即ゲット。早速一夜明けて、そのレンズで撮ってみた。300ミリを使っての半世紀前の手持ちのペンタックスのあんちゃんの真似なのである。それが今ではそれなりにあたしの少年時代の希望は達成されたばかりか、「超望遠を手持ちで使う町のじいちゃん」になったのである。
自分の人生の夢はまずまず実現されたと認識してもよいであろう。

タクマー500ミリf5というのは、後にペンタックス500ミリというブランドになったわけだが、昔、オーバーコッヘンに仕事で行った時、コリメーターにこの500ミリレンズが付いているのを通りがかりに見た。ツアイスの本拠で何のためなのか分からなかった。他の部屋にはショットにガラス素材ではなく、HOYAのそれがあるのも面白く観察した。まだ「ツアイスイコンシナ」になる10数年も前の話だ。それで思い出したのは、タクマーはアルパ用のレンズとして供給されていた故事である。カメラやレンズのブランドの変遷はまったく面白い。

画像は300ミリタクマー付きのペンと、永代橋遠望。「空樹」ますます成長中。

2009年9月 4日 (金)

ライカM9の噂の噂の噂

Rumour090301 どっかから流出したのか、そうではないのかそこらは分からないが、M9のうわさ画像が自主歩行中。

昨日、大阪から日帰りで「来日」したGengodesignさんのウエブで、あたしの「田中長徳ペンの本」無届け集会のレポートがあったので見に行ったら、こんなのがあった。
http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/g/e/n/gengo/rumour0903-01.jpg
へえ、これが9日に登場のM9のうわさ画像かあ。

一見して、巻き上げレバーのないのがちょっと残念。M8の時には本田技研の人にダミーレバーを生産してもらい、それをアロンαで接着して「フィンガーグリップ」にした記憶あり。
デザインはなにか「角を丸くしたライカM5の感」あり。すなわち好みのタイプである。LEDはエプソンみたく、カバーが欲しいところだ。
世界最初のフルサイズデジタルライカというタイトルは悪くない。
フラットトップで、シャッターコントロールは上から見えないのが、デザイン上の苦労であろうが、これは好みが分かれるか。この広大な「平原」を利用して人間国宝クラスの人に「らいかえむ九号」と揮毫してもらいたい。

このところ、ペンに始まり、パナのマイクロ4/3ときて、M9となればまさにデジカメのエルドラド。息つく暇もないので寿命が縮みそうだ。

実物が早く見たい!

http://gengo.blog41.fc2.com/blog-entry-684.html

チエリーのキャリングハンドル

Img_0005 2週間前、カメラのキ(タ)ムラの神田店にいって、手に入れたのがこのチエリーのキャリングハンドルである。価格0,18カメラ円。
ペンに付けた画像は数日前にアップしたけど、ライカM2−Mに付けると、案外に手に馴染むキャリングハンドルになることが判明した。
ライカモーターはこれが出た当時は、その大きさがまさにステータスであったのが、時代が変わるとその存在感の意味合いが変貌するもののようである。
新宿でマップカメラに行き、同じカメラのブラック仕上げが60カメラ円なので思案していたら、値札の下の説明に「当時のモーターはこんなに大きかったのです」の意味の記載あり。これが物欲をなえさせて、ウインドウを離れた。その心理的な構造を分析するに、IBMの真空管の電子計算機がビルの全部を占拠していたというくだりと何か似ているのだ。

2009年9月 3日 (木)

ikoflex lll

Img_0080 1970年代のウイーンで、ikoflex lllを使っていた時期があった。

セコハンカメラ店で誰も手をださなかったので、買ったのである。想像以上によく写るカメラであったが、ローライスタンダードを使っていたので、その大柄な本体はあまり好きではなかった。このカメラはウイーン出身のツアイスのデザイナーで、その前はsiemensに居た人が設計したそうで、他にはコンタフレックス(35ミリ二眼レフ)もそうだ。そう言われれば何か、アリバダファインダーのあたりは似ている。

そのアルバダファインダーが撮影距離によって、パララックスが自動矯正されるのは凄い。30年代後半にこんなカメラが存在したのだ。

30数年後に再会して使ってみたら、その迅速な撮影感覚もどうもローライより上である。その理由は巻き上げクランクがスプリングのテンションで自動的に戻るのである。ローライの場合には、手で戻してやる必要がある。このスプリング感覚がこの二眼レフをライカM3より「早撮りカメラ」にしている。

「二眼レフワークショップ」(えい出版)は9月25日の発売だがそこにはこのカメラは入っていない。つい最近に手に入れたのでそれが残念だ。

二眼レフの体温が上がってきたので、9月初めの「銚子」行きはこれで撮影するつもりなり。

2009年9月 2日 (水)

チャージャーの黒いのはなんとかならないのか?

P8280034 いつぞや某誌の仕事でベルリンにデジカメを半ダースほど持っていった。それ用のチャージャーも半ダースあった。各メーカーには共通性もあるのであろうが、たまたま同業他社のが使えなかったのはこれは偶然であったのだろう。

暗いホテルの部屋でそれぞれのチャージャーを探すのに一苦労だった。みんな同じ真っ黒な本体だ。リコーのGRDとCX1などは、外見はほとんど同じなのに、バッテリーのサイズが微妙に違う。メーカーにはそれなりの事情があるのであろうし、ああいうチャージャーというのは、きっと独占メーカー数社が各メーカーのを製作しているのであろう。
このように無くすといけないから、ひとつにまとめてあるのだけど、どれがどれか区別がつかない。デジカメは白とか紅とかあるのに、なぜチャージャーは「国定の一色」しかないのであろう。

まず、自分でカラーテープでも貼ればすむ問題であるが、、、。

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9月2日。銚子徘徊中。漁港の脇を歩行していたら、京成バスに追い抜かれる。これは八重洲を9時05分に出たバスが銚子について、犬吠崎に向かっているのだ。タイムマシンで「昨日に追い抜かれた」ような変な気持ち。
港町でめし食ってたら、ライカM9の話題が町を圧倒している。
その噂はTWITTERに書いた。上をコピペのこと。

2009年9月 1日 (火)

なぜオールドレンズがいいのか?

P8280032 P8280035 P8280036 巷では、ちょっとした25ミリレンズのCマウントが250ドル以上する。2,5カメラ円と言うとあまり高価とも思えないが、ドル建てだとかなりの値段だ。
まあ一時的な価格高騰であろうが、マクロスイター26mmなどは国内の「末端価格」が20カメラ円もするらしい。

なぜ、クラシックな映画撮影用レンズが人気なのか?
これは謎である。
上は1950年代のコダックエクター25mmで下は2009年のペンのズームを25ミリで撮影。
色は昔の方が悪いし、周辺も落ちるし、冴えない色彩である。
そういう変なレンズを好みというのは「世も末」なのかも知れないが、逆に言えばそういう変な色彩を好む「一部のカメラ人類」が存在しているのは事実だ。ただし映画レンズに浮かれる我々はごく一部の人間であることは確かだ。
金曜に見本のあがる「田中長徳ペンの本」ではクラシックレンズの作例が沢山掲載されているが、これは色はほとんどいじっていない。
色の悪いのが、クラシックレンズの取り柄であるからだ。

色の悪いのが良いというのは、今までの世界が逆になったわけであるが、冴えない色彩のいわゆる「色乗り」の悪いレンズが好まれるというのは、無論一部のカメラ人類の「酔狂」なのである。まず「ちゃんとしたペン市民」は2本の専用レンズを使うのに限る。下は普通の14-42ミリの作例。感度は3200。

11号は去ったのか、静粛な隅田川。午後8時を廻って、視程が澄んできた。秋の虫鳴き始める。

ああ。もう9月だ、、、

P8311336

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