「歩きたらず」
なにか不満を感じていたと思ったら足りないのはこれであった。
一昨日(9.06)は日本路地裏学会の桃木会長と新年会(本年最初の調査)だったので、クラブでランチくってそのまま、53fのミュージアムで中国のうえいうえい氏の展覧会を見て、スカイデッキにあがった。東京は「秋」。
それで時間配分狂い、桃木会長のジュエリーのアトリエの所在が、旧銀座八丁庵の向かい、三井ガーデンホテル、すなわちリコー本社前界わいであったのを受けて、そのあたりを散策。吉兆の向かいはなんとか昭和レトロ食堂になっていたので、驚いた。ここは以前は吉兆の授業員詰め所であったからだ。
そこで時間切れとなり、メトロとバスを乗り継いで山谷の大林。
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月曜は単独行。
マップ有楽町で120フィルムの現像を出して、東京駅。駅がクリスト状態になっているのを確認して、丸善で新潮10月号を買う。950円。
「横尾x磯崎対談」微笑まし。五反田団の前田司郎さんの受賞第一作「逆に14歳」。島尾敏雄終戦後日記第三回。あたしの「屋根裏プラハ」連載3回目の「プラハにおける寿司酢の不足について」を確認。このサブタイトルは我ながら笑える。お上の報告書みたいだ。「xxについて」というのは「xx力」よりさらに普遍的に退屈陳腐なサブタイトルだ。だから逆に効く。いっそのこと連載の最終回まで「プラハにおけるxxのxxについて」にしてやろうかと思う。
あきばヨドバシにて、「田中長徳ペンの本」が平積みの一番手前右にあるのを確認。これは一番うれている本のポジションである。有り難い。ありがたい。アリガタイ。
8f「西安」にて「麻饠面」。
バスにて駒込。
徒歩、染井墓地。茶の本の作者の墓参。というのは「新潮」10月号で茶の本のことにちょっと触れてあるからだ。
1985年頃、まだ自転車で毎日100キロは走行しないと安心して眠れなかったバイシクルフリーク時代に、一度ならず自転車で「釈天心」の墓に乗り付けてそこに腰掛けて弁当を食った記憶あり。墓石の高さが格好の椅子なのである。若い時の剽軽とは言え、なぜそんなことをしたのか不明。後年、何かの会合でそのことを子孫の写真家にわびたら「其れはよい供養になりました」と言われ、その懐に感激したのもすでに大昔の話し。
染井の空に霊気満ちて、庵セルアダムスのヨセミテめいた光と雲になる。
巣鴨駅前のベンチで、漏れてくるどっかのお店の電波乗っ取って、twitterっていたら、国際なんとか大学のバングラデシュ(男性)とハノイ(女性)のインタビュー形式の日本語会話実践に遭遇する。
いろいろ聞かれる。「外人」と日本語で会話するときには常に緊張する。主語、動詞、時制、格変化、女性、男性の冠詞も監視せねばならない。
巣鴨の塩大福の説明をしても日本語では相手に分からないので、そこは英悟でする。ついでにイラストを描いて、即物的、形而上学的な説明を試みる。たちまちにして極東に民族学を講義している気分。
撮影はいずれも「いふぉん」による。