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チョートクカメラ塾ブログ

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2009年8月31日 (月)

ニュース速報!

台風11号で、強風のため異常な揺れを見せる、中央大橋。〔東京都中央区)
http://www.youtube.com/watch?v=hyKWWkNn6v4

キャメラはペン。レンズはZOOMAR 50-125 (アリマウント)
素子にごみが付いてたので、この後、清掃しました。Img_0016

ソ連の金時計(ただし鍍金)

Img_0003 時計は好きでかなり前から遊んでいるが、高級なのは持っていない。つい最近の引っ越しで時計を若干処分した、ヤフオクで売ったのであるが、25年前にシンガポールで買ったRolexを同じ、ヒルズの敷地内の放送局の人が買ってくれた。その人に会って品物を渡す時、その買い手はあたしの読者さんであって、ヒルズとテレ朝が出来て以来、どっかであたしに遭遇するであろうと思っていたそうである。
ただしヒルズも広い。あたしはメトロの出口から直で、49fにあがってしまうので遭遇はなかなか出来ないのである。
しかし腕時計の縁で、その人とその人の友人が「かなりの撮影機好き」であるのが判明して、その後にヒルズの中の飲み屋で「映画撮影機愛好会」の設立総会も開催した。この所、多忙なのでなかなか時間が作れないがまた映画撮影機の同好会をやろうと思う。確かに  REDはいいけど、RAWでムービーを撮影するほどの「気骨」はないので、そこらはデジカメのおまけのムービーであたしの場合、十分。それにいふぉんのムービーも使える。
それで時計の話しにもどるが、長年、がらくた時計を集めていると、あるときには非常に大きな重い、「パ狙い」を凌ぐようなサイズの腕時計がソ連で作られていてそれを半ダース集めたり、あるいは第二次大戦の独逸軍の軍用時計のコピー(ソ連製)を手に入れたりした。最近、好きなのはこれはごくごく普通のドレスウオッチである。ただしpolejotというブランドのが好きだ。メカニズムはスイスのコピーだし、仕上げもなかなか渋くてそこに「偽Pathek」というような雰囲気がある。眞生パテの値段は知らないが、こっちはebayで10ドルほど。高くても100ドルである。

2009年8月30日 (日)

いふぉん と かつま

Img_0038 Img_0058 P8270013 いふぉんはこの3週間で、2回クラッシュしてそのたびに「圏外」になったので、イニシアライズしたのだが、もともと電話機能のないケータイを求めていたので、本当は電話はかからなくて良いのである。
でも、自分は欲が深いから、やはりなんとかいう料金プランを払っているのに、電話がかけられないのは「損」という気分である。
にもかかわらず、やはり電話は面倒である。
いふぉんから電話して、番号表示が出て、コールバックされるのは面倒なのでもっぱら電話はヒルズからの「有線」を最優先にしている。

ヒルズの仕事場で、いふぉんを何気なく勝間の10X40に押し当ててみたらこれはかなり使えることが判明した。
10倍の倍率で、ツエッペリンが東京タワーに串刺しになったショットなどが撮れた。これは一般のデジカメより、タイムラグがないのか!!と思うが、まさかね、、、。

まだ、手で勝間に押しつけているだけなので安定しないけど、適当なクリップで固定すればかなりの道具になるであろう。

ペンのアダプター遊びの次はこの、いふぉん+びのきゅら、だな。

いふぉんの相手は、なにも勝間である必要はさらさらないが、クリアな視野の双眼鏡を買うへし。

2009年8月29日 (土)

偽ライカならぬ、偽スカーレット

R8109628 REDに関しては、マンハッタンの怪人、チョーセイさんの独壇場である。あたしはREDは買えないので、オンラインでREDのTシャツを3枚買った。それでもFEDEX代がかなりかかったのを、新潮45の中島(なかしま)女流デジカメアナリストが褒めてくれた。
スカーレットというスーパー16規格のカメラが出るのを狙っていたのだが、ひょんなことから「偽スカーレット」をホームメードしたのである。
ペンのムービーモードで撮影するだけの話しだが、大昔のCINE EKTAR ll 25mmがなかなか良いので感心しているのである。3:2のスチルだと若干けられがあるが、ハイビジョンだと大丈夫である。ついでに不良在庫の映画レンズの中から、もう40年落ちのANGENIEUX12-120を発掘した。なぜか佃にはこれをはじめ、9,5-95とか9,5−75とか、17-43(だと思うが)のT1,3の明るいズームとか、12-240とか、10-150とか山になっている。35ミリのアリ用の20-120や25-250さらに35-500(記憶が定かでないが、やたら重いの)もある。しかし取り回しの点から言えば、この12-120がいい。この前の土曜に神田のカメラのキ(タ)ムラでチエリーのレボルビングするグリップを買ってきた。こういうコンフィギレーションだと、まさかムービーとは思わないであろう。こういう変なカメラで遊んで、YOUTUBEにアップするのも、アマチュアならの楽しみだ。

2009年8月28日 (金)

R10とCX1とCX2

P8231154 R10とCX1とCX2の3台のデザインは非常に似通っている。これは良いことである。デザインがデザイナーさんの自己満足になってしまうのはよくない。
この前のプラハ行では、ペンを2台にそのペンが2台並んでいるところを撮影するためにCX1を二台持った、と前のブログで書いた。
それに関して面白い顛末あり。
11月号の新潮の連載エッセイ4回目の「屋根裏プラハ」で「プラハのP」のことを書いた。プラハのPはパベル・バッハというチエコを代表する写真家、ジャーナリストである。そのPは長年のGR1の愛用者でもある。彼がこの前の3月のプラハ行きの時に2台持参したあたしのCX1の一台を貸与した。プラハから戻る時になって「これは便利なカメラだから返さない!」とだだをこねるのである。これはリコーの所有であるからそれは駄目と言って持ち帰った。それから100日あまりが経過して、今度は貸与しようと思って出かけた。プラハにはリコーは入っていないので大人気なのである。プラハのアトリエで仕事多忙で一歩も外に出ないから、最後の日の夕方にPに会って、二台のCXの白と黒の好みの方を貸与しようと思って、よく見たら、白の方はなんとCX1ではなく、その前のモデルのR10であった。別にこれで撮影して仕事では一向に困らない。
これでリコーのデジカメのデザイナーさんは実に偉いと思った。目先のデザインの小手先の変化ではだめだ。取り違えるような類似性があること自体が、カメラデザインのクラシック化に繋がるのである。それでPには黒のCX1を貸与した。
帰国したらCX2が届いた。これはズーム比が10,7倍という高倍率である。目下、常用のデジカメはこれで、ペンといふぉんと、CX2になった。GRD3もあるが、これは「ハレデジカメ」なので大事に「ライカインコの神棚」に飾ってある。

2009年8月27日 (木)

twitterのご案内

http://twitter.com/chotokutanaka
で今、何をしているか、レポート中です。これ↓をクリック。

chotokutanaka

ようやく、風が涼しくなる。 部屋の三方の窓を開放。寒いほどだ。 虫の声はさっきより低くなる。 隅田川の河面を渡る風の音。 月はまだだが、月齢はいくつかな?

ライカMP(レプリカ)は、回路に持参 することにしたが、レンズが決まらない。21,35は決まったが、85summarexか、90summicronか、沈胴のelmarか、はたまた nikkor 85/2 occupiedか、それとも73mm hektorか。そういう悩みが嬉しいわけ

それより行動を整理せなばならないのは、明日のモスクワのトランジットホテルの酒だ。液体制限があるのと、ノボテルはトランジットだから下のバーにも出られないし、ウオッカのルームサービスは高い。SVO到着時に免税でハーフサイズを買って、それを呑みきることだ。

先月、大事に使わずにプラハから持って帰った50ユーロ札と20ユーロあまりの小銭が発見できない。どうでもよさそうなことだが、SU機内でウオッカのロシアンスタンダードが2ユーロなので大金なのだ。まあ、明日は座席が1Aであるから、小銭はいらないわけだが。

夏の戻り。蝉の声、久々に聞く。など と、ここまで書いてまだ9月13日だ。クララーシューマンの誕生日、並びに家人の生誕日。普通はまだまだ猛暑の東京の筈だが、今年は冷涼だ。この夏の東京 の視神経の記憶でまだ視野に残っているのは「おしろい花」である。この花は路地裏に咲かないといけない。

外国行きのパッキングは10分で出来る。目下、悩んでいるのは持参するカメラである。6X6サイズで趣味の写真を撮ってくるつもりだが、目下、イコフレックス3とスーパーイコンタはいいとして、「二眼レフワークショップ の撮影に使用したテレローライが出土したので、それも持参しようか悩中。

ズーマースポーツレフレクター500MM

Rimg9638 P8221150 佃のクラシックムービーレンズ遺跡発掘現場からあらたな文化財が次々と「出土」している。そのひとつがズーマースポーツレフレクター500MMだ。2本同時に出土したので、先史時代にレンズ神殿の左右に鳥居としておかれていたもののようであるが、そこらはレンズ考古学者の研究考証と年代に関しては含有の炭素の年代測定に待たねばならない。

この玉は反射レンズであるが、当時はまだ反射レンズは一般的ではなかった。1950年代後半のアサヒカメラで外国のクルマレースを撮影した外人カメラマンの仕事の翻訳が「撮影は望遠の反射傘」で行われた、とあったので首をひねった。熟練の翻訳者も傘は知っていたが、レフレクターは知らなかったわけである。
それでこの反射傘であるが、これはアリフレックス用で実に高価だった。それにアリライカMマウントを付け、それにMペンマウントを付けた。もともとこのレンズの基盤はフラットベースであるから、まずベースのマウントにズーマーアリマウントが付く。だから都合、3個のマウントアダプタが介在するわけだ。三重通訳だと原意が反対の意味にぶれてしまうが、この場合には反射傘はシャープな画像を結像していた。
500ミリだからフルサイズで1000ミリ相当で、眼下の中央大橋の行人を撮影。
手持ち。1/1600秒。感度は800か?

2009年8月26日 (水)

スカイツリーがにょきにょき

P8251201 先週であったか、野々宮BMWが言うに、例の墨田区民の希望の星、スカイツリーはかなり基盤ができてきたとのことで、なんでもそれの部品のつり上げ用の300メータークレーンとかががないので、特注したそうである。昨年の12月であったか、今年の冬であったか忘れたがBMW野々宮をゲストに据えてen-Taxiの東京大周遊の撮影で、福田和也さんとそのスカイツリーの前まで行ったがまだスカイツリーの「芽」も出ていなかった。

そのまま、スカイツリーのことは忘れていたのだ。実は毎日、バルコニーから見ていたのだけど、スカイツリーの認識はなく、単に新しいタワーマンションが出来たと思っていたのだ。

それが25日の朝の6時37分という時間に「緊急地震速報」が流れて、起きたのであるが、実際には大地震はこなかった。その代わり、眼前のタワーがスカイツリーであることにはっと気がついたのである。

まさに「にょきにょき」という感じで、その成長は速い。夏休みの観察カードに使えそうな植物である。これからはどんどん伸びて行くであろう。
ちょうどこの高さだと、ウイーンの芸術歴史美術館の名画「バベルの塔」にそっくりだ。

成長が楽しみである。

撮影はペンにノボフレックス240ミリ望遠レンズ。例のフォローフォーカスレンズ。

2009年8月25日 (火)

例の「カメラ噂の真相」

カメラ雀の好む、英字版「デジカメ噂の真相」にパナソニックの次のマイクロ4/3が出ている。
http://43rumors.com/        どうも、ファインダーはLED のようであるが、外付け電子ファインダーも付く模様。

詳しい噂は上を参照。

ペン「一人勝ち」を追跡するルミックスというところだ。2001年にLC5の立ち上げ時に、型録を手がけたのを思い出した。ライカ社にライカレンズのルーツを尋ね、ナインイレブンの初日から秋のドイツを5000キロ走行したっけ。
「田中長徳ペンの本」の色校正が明日なので、
往時を思い出していささか感慨あり。あの当時のパナのエリートさんは、ライカに引き抜かれたりした人もあったな。

まず、ペンは半世紀。ルミックスは10年だからその点では喧嘩にならない。
Gf1_43rumors

ペン用レンズの素

Eclair 月曜。

終日「チョートク一目惚れ! 田中長徳ペンの本」の校正。

この金曜に下版して1週間後には本になっている。速い。速い。

朝、10時にえい出版の清水編集長、佃に「ローライがてんこもり」の段ボールを受け取りにくる。一昨年に出ているはずの「二眼レフワークショップ」が遅れに遅れたが、その時間経過で良いものが出ることになった。その巻頭の物撮影用カメラを渡した。

ちょっと進行の遅れている本に「田中長徳佃日記」(仮題)もある。これも扶桑社から近日中に出版予定。「あの写真部部長代理」福田和也さんの解説をいただけることになっている。感謝。

例の佃日記は何時でるんですか、とこの前銀座レモン社で遭遇したカメラ人類さんに聞かれたが、この出版も近い。お待たせしてます。

それで、繰り返すが9月5日に全世界同時発売の「田中長徳ペンの本」の校正でどこにもゆけない。新宿の中古カメラ市にもゆけないし、メールも読めない。それほどに集中を必要とするのは、雑誌や本つくりに携わった人なら同感するであろう。自分の場合、それだけやってもぼろぼろと誤植が出てくるのだ。

それは内部の事情であるが、このところ、ペンのCマウントレンズにはまっているのだ。なにしろ、今まではこのように16ミリカメラに付けるだけで、あとは「佃の砂利石ころ」となっていたのが、今度のペンの本でもプラハで大活躍である。いきなり「歩が金」になったようなものだ。
一部のカメラ店ではその価格の大化けで、かなりな強気値段でCマウントのレンズの値段がついているのは、なにかブームの足下を見ているようで愉快ではない。

Rimg9633 この画像のエクレールNPRはかのゴダールとか、ウイリアム・クラインの愛機であるが、カメフレックスマウントとCマウントの2本レンズターレットである。まずデザインが素晴らしい。このモデルの改良型にエクレールACLがあり、後年この会社を買収したグルノーブルの会社のAATONにも優れたカメラがあるが、エクレールNPR(ノイズレス ポータブル レフレックス)のデザインは最高だ。シトロエンDSと共通した感じがするのは、同時代のせいである。

このCマウントポートにお仏蘭西では、ANGENIEUX 25MM F0,95とか、同10MMなどを付けて、もう一つのターレットにはカメフレックスマウントの10倍ズームANGENIEUX9,5-95とか同12-120あるいは10-150MMなど付けて仕事するのが70年代の標準装備だった。そのプライムレンズをちょっと借りるとそのまま、ペンに使えるわけだ。

2009年8月24日 (月)

シドニー

シドニーオリンピック(Games of the XXVII Olympiad)は、2000年9月15日から10月1日までの期間、オーストラリアシドニーで行われた20世紀最後の夏季オリンピックである。
と、wikiに書いてある。
自分の経験したシドニーはあれは80年代後半のシドニーであった。シドニーの印象は固い岩にナイフが突き立ててあって、その岩の上に色とりどりのペンキの飛沫が飛散しているのである。なんでそんな印象を持ったのか分からない。
たぶん、撮影の関係でシドニーを一望することの出来る小高い丘に立った時の印象であろう。仕事であるからヘリにも乗って空撮をしたが、その時の印象ではない。空撮のポイントから見たシドニーのコンサートホールなどは、どこかの古いカレンダーで見た写真の印象が強すぎて一向に感心しなかった。おそらく世界の多くの有名建築でもっとも俗なもののひとつだ。
ちょうど、ケン・ドーンが日本の女性雑誌HANAKOの表紙を始めた頃で、その人を取材に行った。実にフランクな人柄で、茶色の老犬がスタジオにいた。そのワン公もなかなか味の出た犬だった。近々、ミュンヘンで展覧会をすると、ケンは張り切っていた。そこらが日本と同じ、世界の果てにある国のアーチストの悲惨をちょっと見せているのが可愛そうであった。
北半球の春先の取材なので「シドニーは秋!」なのである。季節は反転しているのに、時差がないのがまた不思議だった。ゴールドコーストの古道具屋で英国の刻印のある古い単眼鏡を買った。その単眼鏡は今でも持っている。その革ケースのステッチがほどけたので、2年ほど前、鵠沼のブレッソンに修理してもらった。

Img_0042 自分のシドニーとは、毎月の第四土曜の午後2時から開催される、四谷荒木町のアローカメラのミニ講演会のことだ。
これはもう20年近く開催している。最初は不定期であったが、二代目社長が「シドニー」と命名しのには感心した。だいよんどようのごご2じ。だからシドニーである。二代目はアローの社長になる前は超大手の広告関連に居たのでそういう方面の直感がするどい。
比較する意味ではないが、例の勝間ブーム以来の「なんとか力」という本のタイトルは大嫌いである。唯一、高く評価するのは「老人力」のみだ。これを長嶋さんが
老人パワーと勘違いしたのも、老人力のせいである。

シドニーが開始された頃、再来年はシドニーだからうちの企画と合致すると二代目は慶んでいた。そのシドニー五輪が昔の話しになって、もう5-6年が経過したかなとwikiで調べたら、あれは2000年であったので実に驚いた。
うちでもミレニアム記念で安物のシャンペングラスなど用意したのも10年も昔である。
アローのシドニーはその顔ぶれは年々変わったけどここに参集するカメラ人類のカメラへの愛情は実に深い。それがいい。
これは昨日の立ち会い演説会だ。

Img_0044 買った物はキヤノンL2のボデイにFL時代の55−135ズーム。これで1カメラ円でおつりが来た。アローカメラは「カメラ大人の駄菓子屋」なのである。

Img_0045 「田中長徳ペンの本」の校正がどっと日曜から出るので、嵐の前の静けさの気分を味わうために、シドニーの後、野々宮BMWに搭乗して馬喰町の裏のデイアドルフ専門店に行った。間口一間半で北向きの精密機器を売るには最適な店構えである。向かいに石造りの小さなお稲荷さんの鳥居があり、そのとなりが居酒屋と焼き肉屋なのもいい。その三件の実に日本的風景をそのお向かいで真面目な大型カメラが一手に引き受けている感じがある。今度、お店の開いている時に行ってみよう。http://www008.upp.so-net.ne.jp/sparrow/index.html

★追記。今朝、えい出版の清水編集長に会った。今度の「カメラマガジン」でこのショップが紹介されるとのこと。楽しみだ。

2009年8月23日 (日)

スプーンとMinox A

Img_0218 旅行に持ち歩く道具類は、この20年でかなり変遷したが、一向に変わらないのがこの2点の道具だ。
MINOXとアルミのスプーンである。

MINOXは常に携帯しているが、これはバッテリー切れから自由なのが最高だ。この前のプラハではついに一枚も撮影しなかった。ようするに4年ぶりに撮影して、現像してみたら4年前のパルテノン神殿の夜景がそこに映っていたという具合なのである。

2台持っているのだけど、そのうちの1台は目下行方不明だ。

まあそのうちに出てくるであろう。フィルムは富士のネガの400で30枚撮りを大量にストックしてあるので、まあ生きている間は大丈夫。

スプーンはこれも90年代はじめに、カメラジャーナルのツアーであったと思うが、ドレスデンからプラハに観光バスで移動するとき、かつての強制収容所のテレジアンシュタットのそばのカフェで小休憩した時に、そのシンプルさに惹かれて、所望してきたのだ。以来、海外行きのポーチの中で重要な位置を占めている。

こうして見ると、スプーンもMINOXもデザインはともに美しいが、やはり「鼻の差」でアルミのスプーンの勝ち。

2009年8月22日 (土)

正しいパスポート写真

P_14 こういうサイトがある。
http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/photo/index.html
サイト自体の存在感が「なんとなく変」なのは、画面のトップのPASSPORTという文字に変な日本的デザイン処理がしてあったり、パスポートのこれも不思議なキャラクター(これはピーポ君ならぬ、パスポ君とでも呼ぶのであろう)

作例をじっくり鑑賞するのも味があっていい。最後にこういうのがある。

乳児の写真の撮り方  

首のすわらない乳児の場合には、白い布に寝かせて上から撮るか、親が白い布をかぶって子供を抱いて撮ってください。  

上の説明もいい。なにかアメリカのKKKみたいである。併記する子、というやり方がなくなったので、パスポートの方式も変わったものと見える。手元に写真術っが登場する前のボヘミアの旅券がある。これは文字だかだからなかなか潔いよい存在感だ。

またこのHPで以下のような説明があった。百鬼園の随筆の「馬は丸顔」を思い出して、笑った。以下引用。

乳幼児が丸顔のため、顔の縦の長さを写真規格の最小である32ミリメートルとしても写真の横幅内に顔全体が収まらない場合には、縦方向が32ミリメートルに満たなくても、耳を含めた顔全体を写真に収めるようにしてください。

上の説明は、官公庁の文章だが、お上のお情けというくだりだ。馬は面長、猫は丸顔というわけだ。いい感じである。親が白い布をかぶって、、、というくだりは、まさに1950年代の「ハイレッドセンター」あたりを想起する。それをご存じないのなら、古く射す、いや、フルクサス芸術運動と言ってもよい。

この前の森タワーの通路のお茶の葉で作られた金庫と同じ見立てがここでも通用する。

なぜ、このサイトを発見したかと言うに、9月に埃及に行くのであるが、ビザの関係で、旅券を更新する必要があったからだ。あたしの旅券は埃及滞在の条件を満たしていないことが発覚した。半年プラス滞在日数だけ旅券の有効期限がないと駄目であることが分かった。それで有楽町に更新に行った。9年半ぶりに行ってみたら、以前のような「お上が威張っている」ような感じがない。威張っていようがいまいがあまり関係ないのだが、水曜の午前のすいている時を狙って行ったので、待ち時間はなしであった。

最近ではこの上のサイトが面白いので原稿書きの休憩時間にはもっぱらここで遊んでるのである。

2009年8月21日 (金)

紙チケット アエロフロートの赤い旗

7634 マイレージがたまったので、カイロに行こうと思った。チケットを予約した。数年前からe-ticketが普通になった。日本の航空会社の日本語の説明ではチケットは航空会社のコンピュータの中にあると書いてあった。たしかにそうかも知れないけど、その言い方はなにか子供だましのような気もする。チケットが紙の時代には面白かった。当時は飛行機は非日常であるから舞い上がってしまうのだ。有名な音楽写真家が1970年代にウイーンに来た。もとよりドイツ語は話さないから、コーデイネーターさんの脇にいて「黙って」いるのである。それはそれで良いがウイーンから東京に戻る時、ホテルの朝にさあ!チケットがないということになった。本人も関係者もパニック。コーデイネーターさんに空港でその旨説明してもらうことになり、やや落ち着いて部屋の中を再捜索したら、チケットはゴミ箱の中に入っていた。

1980年代に20名ほどで欧州をカメラ買い付けツアー兼、観光で旅した時、その団長の某誌の編集長が青くなってベルリンのホテルのあたしの部屋をノックした。100番のバスの中に全員のチケットを入れたセカンドバッグを置き忘れたというのである。さっそく、関係旅行社に連絡をとった。

その明け方、ホテルの夜警から部屋に電話があった。なんでもベルリン交通局のバスのデポにそのセカンドバッグが保管されているという。編集長とタクシーでその郊外の交通局に行き、拾得者にお礼を支払い、くだんのチケットの束を受け取った。

そういう紙チケットに比べて、E-TICKETは「航空会社のコンピュータ」の中に収まっているから安全なわけである。

アエロフロートの60年代の紙のチケットは赤旗だし思想が正しいそうでいい感じである。

作家の生原稿のようなものだ。30年前、芥川の生原稿が神保町にあって5万円が工面できないので考えているうちに売れてしまった。今の作家の原稿は単なるデータだからその魅力がない。

赤瀬川さんが最後の生原稿派である。写真界では飯田鉄か?飯田はあたしを上回る悪筆なので、カメラ雑誌の編集部では専門の飯田番を用意しているそうだ。豪儀なことであるが、判読して編集でデーター化するのでは急な用には間に合わないであろう。

2009年8月20日 (木)

なんで「いふぉん」の内蔵カメラなんかで撮るのか?

Img_0234 目下、我が「いふぉん」は常時圏外モードであるから、この世界から電話がかかってくることはない。それが心の平安である。
以前、「ケータイで電話機能のついていないのが最高」と書いたことがあったが、その理想のケータイに近い。
この電話機能が永久圏外モードのケータイのカメラは、その色味はちょっとアメリカンな味付けがしてあって派手だが、なかなかに良く写る。
時差の続きで、早朝4時に起きて、バルコニーからヴィーナスを見る。午前4時48分に下で蝉が鳴き出す。この数日間はその繰り返しだ。
やがて朝日が壁を直射するようになると、こんな具合に影絵で遊べるわけである。

締め切りマラソンランナーの孤独。

土曜日。

進行中の「田中長徳ペンの本」に全力集中したいのだが、編集部からリクエストあり。ペンFTとペンとの同じ場所の比較写真を掲載したいらしい。これをやると半日つぶれるのであるが「お上」の意向だから撮影に行く。どこでそんなアイデアを発見したのかと聞いたら、ベストセラーの「GRDワークショップ」にパリでGR-1とGRDで撮影した比較写真があったそうである。ただしペンFTは引っ越しの段ボールのどこに入っているか不明だから、神田のカメラのキ(タ)ムラにてペンFTを買う。使い捨てカメラだなこれは。神田のガード下にて撮影してそのままヒルズ。下のラボに入れて30分で現像とCDが出来る。上に戻ってさて画像を編集に送ろうと思ったらMacBookなので、CDドライブはない。佃に忘れてきたのだ。

さりとて、ライブラリの貸し出しのdellを使う気にもなれず、そのまま佃まで持ち帰る。この複雑な心理は後で研究の余地があろう。頑張って撮影した画像だから「dellなんかで送りたくない」という複雑微妙な心理である。

この「なんか」という言葉の使い方には誤解を生むので注意が必要だ。

以前、ツアイスがコシナと協業を開始するとき、あれは「偽ライカ同盟読本」(原書房)であったと思うが、その中で「ツアイスはなぜコシナ(なんか)と協業するのか」と書いた。これはコシナへの最大の賛辞のつもりであったが、コシナの関係者さんから文句がきた。その「なんか」はどういう意味なんか?と言うのである。そのメールがマンハッタンのホテルの朝に届いたので、嗚呼、、日本はジョークが通用しない地域なんか、と天を仰いで嘆息した。

天を仰いだら眼の前がエンパイヤステートビルなので感動した。ライカなんか駄目だとか、ツアイスなんかもう過去だとか使っているのは、それぞれにメーカーへの最大の賛辞なのである。

で、なんで「いふぉん」の内蔵カメラ「なんか」で撮るのか?

ということなのだが、これがめちゃ良く写る。そこらのデジカメを一掃するような写りをするのである。それとこれがいふぉんの最大の面白さなのだけど「縦位置でムービーが撮れる」のである。これはリュミエール以来の大革新である。映画史上、画面は横長でそれがどんどん横に広がるというのがムービーの普通の歴史であったからだ。

それが縦の画面。縦画面と言うと、片岡義男さんの「東京縦画面」を思い出す。

縦位置ムービーはこっち。http://www.youtube.com/watch?v=TmGa2Qwp_W4

ところであたしにいふぉんを感染させた、コーイチさんという人からメールが来て、いふぉんを落下させて事故ったそうだ。それでもガラスにクラックが入っただけで、ちゃんと使えるそうである。ただし、クラックしたガラスで指が痛いそうだ。これがライカだったらまず操作不能プラス1000ドルの修理代か

2009年8月19日 (水)

ニッポンの行く夏に追われる

Img_0276 プラハから「来日」して1週間。ほとんど佃にこもって「田中長徳ペンの本」の仕事。プラハでもそうであったが、1日の長さが8時間ほどにしか感じられない。朝から夕方まで仕事して寝て、午後11時頃に起きてまた朝4時まで仕事。また寝て午前10時に起きる。メールも見ていない。見るメールはデジタルカメラマガジンの編集部だけだ。19日に入稿なので最終のカウントダウン。
本日は、あまり佃に籠もるのもよくなかろうと思い、ヒルズの仕事場。半月ぶり。仕事場で落ち着いて、「田中長徳ペンの本」に掛かる前に、新潮の連載随筆「屋根裏プラハ」の三回目のゲラを見ようと思い、いやその前にと思って、いふぉんに入っている日本的な画像を捜索してアップ。
Img_0272 枝豆は月曜に「帰国」した家人の新潟産である。色がいい。ただしいふぉんなのでちょっと強調されている。佃の路地裏の小さな薔薇の小鉢の脇にホーローの容器のあるのが東洋の神秘である。その脇の「しゃべる」も日本の夏休みのキーワードだ。

先週は一日一回、スーパーでスイカを見て、買うのを忘れたと思った。良く回想したらあれは佃で見たスイカではなく、プラハで見たスイカなのであった。

日本の夏の聴覚はやはり蝉である。帰りのアエロフロートでは耳栓を使用した。昨年の6月にJALで西安に行った時の記念の耳栓?である。それを再度使いたくなるほどの、蟬時雨だ。朝の5時前に蝉が鳴くと、他の小鳥、カラスの声はまったく聞こえなくなる。

本日は、有楽町にパスポートの更新に行く。埃及は半年プラス滞在日数の余裕が旅券にないと駄目だそうだ。ところがその滞在日数だけ日にちが足りないのである。すでに旅券の査証頁がないのでちょうど良い。それで九月は埃及の回路。カメラは何をもって行こうかと新たに思案中なのも楽しい。

Img_0274

2009年8月18日 (火)

製造番号1204のライカ

01 ライカMP突撃隊長というのは、荒木町のアローカメラの常連さんである。あたしに「なついて」くれるのは有り難いが、ヒルズの仕事場に「勝手に来たり」する。ヒルズは受付に関門があるから、アポのない人は中には入れないはずだが、不思議だ。
つい最近、佃の部屋のインターネット事情が悪くなり、1fのロビーで仕事していたら、ガラス張りの広いロビーの庭の先で手を振る若者がいる。突撃隊長である。近くの銭湯の帰りなのだ。
中に入ってこられると迷惑だから無視した。

突撃隊長は良く突撃をする。ヤフオクなどで欲しいライカを発見すると、後先のことを考えずに突貫してしまう。これは一大才能である。
その隊長からプラハにいる間にメールが来た。「また突撃してしまいました」というのである。ライカ1型の最初期のモデルで、それをD3〔訂正する。画像を拡大したら、3aであった)に改造したのをヤフオクでやってしまったというのだ。こういうのは保護しておいた方がいいから、それは正しいんじゃない、と返事した。
突撃隊長はプロ写真家でウエブ用の型録のぶつ撮りを大量にこなしている。実際に、デジタル一眼レフが壊れるほどに使うのである。仕事の合間に撮影したというライカの画像がこれである。
02 これだけちゃんと写っているのに上の画像のサイズは100kbなのがプロの技、職人の根性である。この正面のカットなどはあなんと64kbである。世の中のフルサイズのデジタル一眼レフで「何時かのためにRAWで撮影している皆さん」は、こういう画像を見てもらい反省を促したい。

その後、突撃隊長は古書を研究して、くだんの1204番は、エルマックス付きであったことまで調査した。ただしレンズはエルマックスでもなく、ニッケルエルマーでもない、ソ連のジュピターである。これが一番、良い仕事をするレンズだ。あたしもこの組み合わせで、パリの朝に、ジャック・ラルテイグのアパルトマンで彼を撮影したことがあった。そのライカをジャックは褒めてくれたのである。それも30年の昔。101

2009年8月17日 (月)

トラベルライト

Img_0195 この前の水曜にプラハのアトリエを出る時に持参のスーツケースを写した。これと市場籠と、それからここには写っていないが、アップルのデイパックが移動手段のすべてだ。

理想のトラベルライトスタイルにかなり接近してきたのである。赤いスーツケースは家人のを借りた。この春のHISで4泊6日のウイーン行きのために買ったスーツケースだ。今回、これで十分に用が足りた。行きは14キロで帰りは15キロの重さであった。それはプラハで買った、2台の小型カメラ、一台はキャパのゆかりのブダペスト製のモメッタ。もう一台はドレスデン製のミモザ2が入っているからだ。

スカイチームエリートプラスのあたしであるから、40キロまでの荷物はオーケイなのである。ただし、アトリエは建物の最上階の屋根裏である。新潮に連載中の「屋根裏プラハ」のタイトルの通りである。しかも戦前の建物でエレベータはないから、重い物の上げ下げはあまりしたくない。ここに住み始めた20年前も今も体感としては同じ感じなのであるが、重いスーツケースを階段で引っ張り上げるのは楽ではない。

今回、プラハのアトリエにあるカメラを東京に持参しようと思って、それが無駄であることに気がついた。これ以上、東京の不良在庫を増やして、佃の居住空間を減らすことはない。それで何も持参しなかった。9000キロを隔てて、必要なものも必要ではないものも「分散」している方が結局は便利であることに気がついたのだ。

もっとも、旅行に必要な最小限の品物で持参を断念したモノはない。そう思うと、この前持参した、PROTEXの重さ自体が荷物の重さになっているわけだ。

こうしてスタジオの脇にその赤いバッグを置いてみると、いかにも軽量に見える。大昔にはこういうアルマイト製の赤い弁当箱があって、それが子供心に何とも素敵に見えたものだった。

斜めの天窓から入ってくる光で、1万円もしない安物の赤いスーツケースはますます立ち上がった存在である。

こりゃ「フェルメールの光」であるな。

2009年8月16日 (日)

プラハで買った「消失式メーター」

Img_0192 時差ぼけ 東京。

こういうタイトルの写真集があるが、あの写真集の画像のまさにそのままの体験。

いきなり、不思議な大都会に投げ込まれたというのが唯一の印象だ。

その不思議な東京はプラハなどより、閑散とした街である。カレル橋はツーリストで大混乱であるが、中央大橋の上には誰も歩行していない。

P8110927 さて、プラハの話。行きつけのカメラ店(ヤン・フスのゆかりのベツレヘム教会の向かいの)にプラハの滞在の最後の日に行った。
誰かがほとんど買いあさった感じでなにもなかった。棚が開いているのである。デジカメと異なり、クラシックカメラはもう生産できないという、秘密にプラハのカメラ人類気がついたのであろう。
買ったのはこのEXOPTA 2である。イタリアの16ミリ小型カメラ、GAMIに付いているのと同じ「消失式メーター」である。価格350円。
穴を覗いて、スケールをスライドさせ、光景がかろうじて見えているところまで動かす。それが適正露光だ。
アトリエにある、セコニックではかったら、F4で1/30と出た。
EXOPTA 2 では F4 で1/25と出た。
大変な精度である。
関式露光計算板を探して10年になるが、とりあえずこれでよし、としよう。

2009年8月15日 (土)

イフォン、日本到着と同時に圏外!これって故障?

R8109607 木曜の朝に、NRTに到着してラゲッジのピックアップでなかなか荷物が出てこない。プラハからちゃんと「プライオリテイハンドリング」のタグが付いているのに出てこない。HISの団体さんの荷物ばかりが出てくる。
時間稼ぎに、そこから家人に電話しようとしたら、例のいふぉんが「圏外」表示である。
ようやく荷物が出てきた。

かなり前、成田でビジネスクラスなのに、やはり大幅な遅れで最後の最後に荷物が出た時に、そこの男性職員に文句言ったら「すみません。なんせ外国の航空会社ですから」だと。これは回答になっていない。同じアライアンスだろうが!

あれはスターアライアンスだった。第一、ラゲッジのハンドリングの遅れはその空港の責任だ。
まあモスクワ以遠に行く時には、よくモスクワで荷物が積み残されるが。

一昨年の秋にセントレアからプラハを往復した時は、キャリアはAFで機材はJALだった。プラハ空港でビジネスクラスのチエックインカウンターで女性職員ともめた。あたしは穏便な人間であるが、相手がサービス業の認識がないのだから仕方なし。いやな予感がしたら案の定、荷物は3日遅延したのである。これは明らかにあたしに遺恨のある嫌がらせである。中にはプラハ製のバターが入っていた。ほかに生ものもあったので、宅配で到着した時は心配したが、なんとか大丈夫だった。税関用にスーツケースの鍵をセントレアに預けておいたのは、実に丁重に包装されて宅配便で佃に届いた。

以来、外国空港でのチエックイン時には「職員の方(特に女性)に失礼な言動がないように」注意している。

ところで、成田には不思議なことに「ファストトラック」がない。これは大問題だ。プラハ(ですら)にはある。長い列に並ばずにクリューのラインから通れるのである。

ああ、問題はそのことではなかった。ケータイがつながらないこと。
 空港でTCATのリムジンを待つ間、ここでも圏外。
バスの中でとなりのおばあが、「あら。あたし、今着いて、バスに乗ったとこ。」などとケータイで話しているが、いふぉんは頑張って圏外。
佃に戻って「有線電話」から新潟の家人に連絡。家人の話ではあたしのいふぉんは「留守番電話」になっているそうだが、こっちは相変わらず圏外である。
最初に考えられるのは「通話料金」を払わないので電話が止められるケースだが、2週間前に契約して、クレジットのデータも入れたからそれは考えにくい。

原因不明。こういうのは所轄の警察に相談に行くのであろうか?

そのいふぉんは仏蘭西ではパネルが爆発したりしているそうだが、15ミリオンも売れればそういうこともあろう。
圏外が不思議なのは、プラハで地下鉄に乗っている時だって、東京の家人からかかってきて「いふぉん」のしつこさに参ったし、静岡の地震の中継を2度までやってくれたのも、いふぉんである。

自分の場合、以前にもなにかに書いたのだが、「電話機能の付いていないケータイ」がほしいと言ったのである。まさにこの「いふぉん常時圏外モード」は自分の探し求めていたケータイそのものである。
やはりいふぉんは「お客様のニーズ」に答えているなあ。

ーーーーー

P8151073 時差のせいか、22時間起きていた。それで午前4時という時間に、東の空に怖いようなヴィーナスを見ることが出来た。

午前5時前には、隅田川の綠道で、まずカラスがなき、鴨が鳴く。秋の虫がそれに併せて鳴き出す。それから蝉が最初は楽器を調べる感じで鳴き出し、だんだんにトーンが高くなる。そうなると、雀もカラスの声も蝉にかき消されてしまう。

Img_0219 午前10時に起きる。空に白雲流れる。これだけ清涼は8.15は珍しい。

今日は「田中長徳ペンの本」のラストのカットを撮影に行く。ペンとペン(フィルムとデジタル)の「比較テスト」なのであるが、7月1日の生活防衛引っ越しの時の段ボールはまだそのままだ。それでどっかに入っているペンもペンFも存在しないのも同様なので、まずペンをどっかのカメラ店に捜索してそれで撮影の予定。

19日が入稿なので、かなり煮詰まってきた。こういう「どこかに出発する直前のような気分」は好きなのである。

2009年8月14日 (金)

ペンのブツ撮りに好適なCX1

R1180545 R1180549 今回はプラハで「監禁」されて

佃着。

時差で一睡して目覚めれば、眼前は午後の隅田川に中央大橋だ。

橋の上の人々を双眼鏡で見るに、東洋人が多い。という当然な事実に気がつく。

蝉の声がイタリアの夏みたいだ。アルプスの北には蝉はいない。

「田中長徳ペンの本」をプラハで10日かかって(実際にはその前から)執筆撮影したわけだが、なんとか窮地を脱した。

ここでブツ撮影に大活躍したのが、リコーのCX1である。

2台のペンを同時に撮影するとなると、第三のカメラが必要だ。

こういうようなカットというのは、以前はフィルムカメラでこれを撮影しようとすると、スタジオで大型ストロボであれこれ工夫して照明するのが常であった。なにより大げさで時間とお金がかかる。
それが手持ちのコンパクトデジカメで撮れてしまうのは実に大進化である。

今回も編集部とオンラインで結んで、撮影カットのアングルの指示が出て、それをすぐに撮影して画像を送るということがごく普通に行われた。
その一因は、新調したMacBook Airにも負っている。
8年経過したら、アップルも速くなっていたのである。

この前、細江英公さんが講演会で、ロダン美術館をCX1で撮影しているという話しを聞いた。付き添いのミュージアムの外人の担当者さんは「そんな小さいカメラで写るんですか」と言いたかったことであろう。

無人の隅田川眺めつつ、富柏村日剰 香港日記を眺めたら、この香港の怪人はすでに昨日12日に日本脱出したことが分かった。しかもヒルズのあたしの仕事場の上の森ミュージアムにまで行っている。ニアミスは怖いが、これは惜しいことをした。富柏村さんにはもう「偽リスボン」でアポをとって会談するしかなし。入れ違いのご本人からもメールに接する。

その影響で、森ミュージアムの上の「中国芸術家」の展覧会も見に行こう。この画像はその芸術家の作品で1トンのお茶を圧縮した物体なのであるが、その紹介でヒルズの下の通路の画像には、なんということか、取っ手がついている。まるで、お茶の葉で出来た来た金庫である。

意図しないで、別の存在になっているのが秀逸。

まさか南條さんの差配ではあるまい。

R1180579

2009年8月13日 (木)

世界の果てが揺れる

Img_0186 老人は早寝なので、プラハ時間の午後10時に寝ていたら、佃の家人の電話で起こされた。「まだ揺れている。東海地方で震度6」というのである。
すわっ! 例の東海地震かと思った。
さっそく気象庁の地震情報を見る。本州の真ん中が赤くなっているのは心配である。
地震は欧州ではイタリア、ポルトガルなど以外にはあまりない。
1973−80年まで棲んでいたウイーンで一度だけ大きな地震があった。一度だけの地震経験なので良く記憶している。とは言え、我々は地震慣れしているから大地震とも思わないが、あれは震度3ほどであったろう。
アパートの隣人のウイーン人は「眼前のドナウカナルの水が揺れてましたよ!」とコメントしたが、これは文学的な表現で取るに足りない。

1988であったか、ミシガン州をずっと回ったことがあった。最後の晩にデトロイト近郊のホテルで午後8時ころに、軽い地震があった。それを懐かしく思って、部屋のシャンデリアが動くのを見ていた。
翌日のローカル紙では、なんでも3人の人がショックでなくなったそうである。
地震は慣れの問題なのか?

知り合いのユダヤ人に聞いたことがある。
「なに、地震はそのまま通り過ぎる自然現象だ。怖くなんてない。それよりホロコーストの方がよほど怖い。あれは人間がやっているから」と言ったのを感心して聞いた記憶がある。
彼は東京在住で地震慣れしているのだ。〔プラハにて11日記す)

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Img_0209 モスクワトランジット。

ここのラウンジは、冷静に見ると、アメリカの田舎のバスの待合室である。

そういう感じが好きなのでここに来ると、佃に戻ってきたようだ。まあ、モスクワでリラックスしていても仕方ないが。

アゼルバイジャンのワインブランドを1杯。これはアルメニアのより旨いが、空港の免税では売っていないようだ。

今、気がついたのだが、この時計は実際より5分進んでいる。ビジネスマンを乗り遅れさせないような「配慮」がそこに感じられる。以前、モスクワの時計は「故障」が普通であったから大進化だ。

これよりSU583に搭乗。飛行時間は9時間20分。木曜の朝10時(ローカル)に成田着。

2009年8月12日 (水)

プラハ拘置所

Img_0185 Img_0193 ☆速報

大統領官邸を囲む不穏な群衆。昨日12時に撮影。

http://www.youtube.com/watch?v=iyI1V7iTpDY

本日。

移動日。

PRGSVONRT

佐藤優さんとは「新潮」の連載頁でお隣さんをやらせていただくことになって恐縮やら嬉しいやらである。http://www.shinchosha.co.jp/shincho/newest/
佐藤さんの獄中記は単行本で読み、岩波から文庫が出たのですぐ買った。

小菅に原稿書きに入るのはなかなか魅力的に思えるのは佐藤さんの文筆のなせる魔法ではあろうが、獄中記は人間の感性が研ぎ澄まされるのがいい。これが手記になってしまうと「怨念、私怨」が入るから駄目だ。
せめて、小菅に入れない身にしてみれば、疑似体験しかないのでプラハ拘置所に自主的に入って独房にて「田中長徳ペンの本」を書いた。日本時間の11日の午前0時に一応脱稿した。画像もインプレスのサーバーに入れた。
ほりえもんさんが「拘置所内ではインターネットはできないんですか」と聞いていたのを思い出した。
明日は仮保釈になりそうだが、そのまま明後日のSUにてモスクワ経由で東京に移送されるわけで、それから本格的な取り調べ(キャプション書きとかゲラとか)が始まる。

このプラハ拘置所は「開放獄舎」なので、自分で近所のスーパーに買い物に行かねばならないのが不便であるが、逆にワインが飲めるという利点はある。もっとも大杉栄はパリの未決監房でワインを飲んでいた。後世、鑑みるに大杉が可愛そうなのは、彼はあまり酒が強くなかったことだ。

監獄での飲酒というのはこの世の中の最高の快楽であろう。

佐藤さんのように三度の食事を運んでくれる方が便利だと思ったが、一日一回の15分の散歩では実にこの世界の不思議が見える。普通のプラハ人が普通のプラハの路上を普通に歩行しているのは何と不思議なことだろう。

20年前ビロード革命の直後、ハベル大統領が収監されていた施設を宿泊施設としてホテルにしたとか、するとか言う話しがあった。これはちゃんと外部から鍵がかかるのである。これはいいから泊まりたいと思っていたが、なにかその話しは立ち消えになってしまった。
プリズンではないが、コルビュジエの設計した集合住宅はホテルになっていて、宿泊が出来る。まあ、こういう時代だからそのあたりで我慢する他はない。

Img_0199 例によって、PRG空港。

半年前はこの光景は雪であった。時間の経過に驚く。

野面が暗くて、手前が明るい見通しの良い風景は、初期のアビエーションの懐かしさがある。

ラウンジでウオッカを1杯。

Img_0200

2009年8月11日 (火)

Skype

Img_0184 スカイプはこれが登場した当時には珍しいので使った。もう何年前のことであるかそこは忘れが、家人の兄の娘がイタリアに音楽留学していた当時の話しだ。
手元に佃から持ってきた「わがままいっぱい名取洋之助」の分厚い文庫本を見ても、あの「鬼の名取」がドイツ遊学中の娘さんが心配で、癌の末期の体にむち打って、渡欧している。
どうも、家人の兄は東京から「ただの国際電話」を駆使して娘に作戦の指示を与えていたらしい。

70年代のウイーンでは国際電話はもっとも高価な贅沢であった。親戚に不幸があった時にしか使わないものだった。知り合いのエージエントカメラマンさんが取材費の件で東京の会社と喧嘩になり、それがウイーンのうちの電話からの長電話になって確か3万円ほどの請求が来たのも昔話で懐かしい。

携帯でG3で自由に「国際電話」が話せるのでも凄いと感心していたら、孫さんの会社から「国際電話は思わぬ高額になりますからご注意」と脅迫のSMS来た。日本の会社は親切だな。
アトリエを見回したら、古いスカイプのヘッドセットがあったので、さっそくスカイプに契約して(というよりも5ユーロ払って)家人に電話したら果たして通じた。
しかし、現代人なら「ほんでもって、あんでもって、、、」とチャットで無駄話を延々とするのが常であろうが、家人との連絡は何十年来「おせん泣かすな、馬肥やせ」方式なので実に短い。だからせっかく東京と電話がつながっても、話すことはない。
すぐにスカイプをきった。
せっかく、スカイプを再開したのだから、せめて新型のヘッドセットでもと思って、商品検索したら、プラハのサイトなので、価格はクローネ単位である。
週の半ばはすでに東京だからそれを買うのもやめにした。

仕事場のヒルズでもスカイプで国際電話をしている人がいる。他人のことだからどうでも良いようなことだが、「ただの電話」はどうも真面目に話しをしないから、決まることも決まらないようである。やはり業務連絡はメールに限る。

2009年8月10日 (月)

アトリエの窓は世界に開いている

P8081094 8月8日からアトリエに入ってもっぱら「田中長徳のペンの本」と格闘。
やはり仕事するには快適である。他の邪魔が入らない。ヒルズの49Fだって快適だけど、あそこは快適すぎて駄目である。それに空調完備の反面、窓からそよ風の入る隙間はない。
佃も仕事場は快適である。ときどきライカインコが邪魔しにきてパワーブックの上に乗ったのも懐かしい地上の思い出である。

プラハのアトリエの話は新潮の8月号に書いた。

連載エッセイ「屋根裏プラハ」である。その二回目の連載は新潮9月号で「ホテルプラハ 神無きカテドラル」というので、これは元迎賓館の話だ。皇太子様もお泊まりになったし、ゴルバチョフ氏も、ボブ・デイランさんも宿泊した。あと、ニコル・キッドマンとか。

ここのアトリエは天窓が2年前から開くようになった。大改装であった。良い風が入る。それ以前は夏は暑くて住めなかった。それでも居住していたのは裸で水を浴び、その気化熱で涼をとっていたのである。
P8081093 「屋根裏プラハ」の一回目で「アトリエの窓は世界に開いている」と何気に書いたら、校正段階で矢野優編集長から「いいです!」となおし原稿に鉛筆書きの「エール」をもらった。まるで小学生が先生に作文を褒められたようで嬉しかった。

初心者の自分にとってこの連載はまず「矢野文章塾」に入門したようなもので実に有り難い。矢野さんは一字一句おろそかにせずに、活字を磨いている。(今だとATOKを磨いているのであろうが、これでは気分がでない。やはり活字だな)

敬愛する稲垣足穂は戦前の横寺町時代に「なんら文学的修練を経ずして新潮の檜舞台を踏んだのは林芙美子と自分があるだけ」と回想しているのも懐かしい。

考えてみれば、ここプラハで連載エッセイを展開するのであるから、プラハに居住しても少しも不都合はないのだが、今の生活はそれを許さない。週中からまた東京である。
あ、撮影カメラはペンに12ミリ。

2009年8月 9日 (日)

御礼!6000000頁ビュー達成!

愛読者の皆々さま

いつもご愛読ありがとうございます。

プラハにきて1週間。ようやく時差もとれて
こちらの朝7時(日本時間午後2時)に起床しました。
嬉しいことに、カウンターが6000000を超していました。
日本時間の午後2時頃に達成したと思われます。

今後とも本ブログをよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

プラハでは朝8時から午後8時までの12時間かんずめ体制で仕事。
また水曜からは東京です。

田中長徳

5000クローネ札

プラハの「静寂ホテル」にて。〔8月6日 日記の記載の関係で時間の前後あり)

この前の引っ越しで発見したのは、チエコの最高額紙幣である。自分も以前は景気がよかったと見えて、こんな高額のお札を持っていたのだ。書き付けを整理していたら5000という札が出てきたので、最初は30年前のポーランドのお札かと思った。それで表面を見たら、チエコの初代大統領が写っていたので、これが日本で換算するに2万5千円札であることが判明した。つまり2,5カメラ円札である。
こういう高額紙幣は持っているとろくなことがないので、すぐにカメラ店でカメラと交換した。それは1台が東ドイツのミモザ2という真四角なカメラであり、もう一台はハンガリーブダペスト製のモミコンである。
Img_0083 そのおつりは2000クローネ札だ。これが今まで、最高額紙幣とばかり思っていたのだ。もっとも自分の日常で使うのはその十分の一の200クローネである。〔画像)知り合いのミランクンデラに教えを受けたジャーナリストにその200クローネの札は誰かと聞いたら知らないという。知識人の端くれのくせにだらしないと思ったけど、自分だってお札の人物が良くわからないこともある。日本の最高額紙幣が私学の創設者だとこっちで言ったら、実に腑に落ちないようであった。こういう問題はよくわからない。

終日、「田中長徳のペンの本」を執筆。食い物を買いに、いつものBILLAに行く。行き帰りは大学の構内を通るので、なにか留学生の気分だ。Img_0104 昨年、建築していたプラハ工科大学の建物にはスケールが入っている。この先をちょっと行った左が我がアトリエになる。

この広大なキャンパスはもともとは空き地であって、例のSUDEKが彼のパノラマカメラで撮影した「ルナパーク」はここなのである。その先は森であって高級住宅街だ。

2009年8月 8日 (土)

AUAがLHになっちまう

Img_0170 プラハで以下のニューズレターに接した。
以下引用ーーーー
ご既承の通り、ルフトハンザ
ドイツ航空によるオーストリア航空の買収案がEU欧州委員会によ

り承認されました。これにより2009年8月末までには正式に買収手続きが完了する予定です。

買収に伴う変化について

お客様への影響:
オーストリア航空はヨーロッパ最大の航空会社の一員となります。これによりお客様には世界240ヶ所以上の就航地を結ぶ最適なネットワークを、より幅広い選択肢の中からお選びいただけるようになります。更にルフトハンザ
ドイツ航空と共同で、お客様にとってより魅力的なキャンペーンを今後展開してまいります。ーーーー引用おわり

これであのウイーンの路面電車のような田舎くさい赤白の塗装は見られなくなるのか、そうなるとショックである。
プラハとウイーンを連絡する小型機もよかったが(最近ではチロリアンエアになったけど)なによりまだ東西世界のあった時代の、東欧とかソ連で見る、赤白のAUAの機体は良い感じだった。時代遅れの貴族然としていた。
ワルシャワで仕事して空港で「あげられた」のは1982年であったが、AUAの機内に入ったら、ウインナワルツがなっていた。これはもっとも嫌いな音楽であるが、あの時にはまったく別の気持ちで離陸を待ったものだ。
ドイツがウイーンにやってくるというと、あたしのような「古参党員」はあの1938年をどうしても思い出してしまう。
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Img_0174 プラハ日記。
7日の金曜。早朝から原稿書き。午前9時に静寂ホテルを出て、スーツケース引っ張って、徒歩にてニコリテスリーのアトリエ。3月以来の久々のエクササイズ。
流れる汗。
天窓をいっぱいに開けて冷涼な風をいれる。爽快。どう考えても夏の快適さで日本は欧州に負けている。こういうしわよせが、逆に一念発起して日本を鎖国させたり、文明開化させたり、一大先進国化されたのであろうか。東京にせよ、マンハッタンにせよ、なんであんな夏は暑く、冬寒いところに「文明」と仮に我々が呼んでいるモノが発達してしまったのか。不思議。

ペンの白いのを持って、レンズは25ミリのアンジエニューでフォーマットは正方形にしてプラハ旧市街を撮影。
3月以来、行っていない、日本大使館の隣のバー(まだ名前も知らないのに常連)にて、白ワインを1杯。ソーダを一杯。このバーに偽ライカ同盟の福田同志をつれてきたいものである。もっともこういう悪所にあまり入れこんでいると、仕事が進まない。
早々にアトリエに戻って、永い夏の日の下でMacBookAirを相手に仕事。
何しろ、9月5日には書店に並ぶ「田中長徳のペンの本」である。週末はアトリエに自主かんずめだ。
Img_0178 実はライカインコも一緒なのである。これは壁紙ではない。実際にここに居るのも同じことだ。

あ、ペンの画像は本で使うので、ここではもっぱら「いふぉん」で撮影した画像である。


2009年8月 7日 (金)

プラハの月

プラハ日記  090805

P8051041 西暦2009年8月4日から5日にかけて、プラハは満月であった。〔後に訂正する。暦を見たら満月は6日だった)
ただ、こう書かないと事実ではないような気がする。西暦を書くことによって自分の見た月が実在した時間の中の月であることが、そこに証明されているような気になるのだ。
この日、8月4日の夕刻、ホテルプラハの広い露台から見ていたら、今にも雨になりそうだったが、雨は結局来なかった。雨はあったかも知れないがそれは広いボヘミアの野原の別の地域を走り雨したらしい。
時差で7時前に眠ってもう深夜かと思ったらまだ11時すぎであった。居室のフロアに長い月光の影が射していた。実は月光と蛍光灯の灯りはその光の具合が似ているんだが、ホテルプラハの露台には蛍光灯はない。佃のバルコニーは、向かいのタワーマンションの蛍光灯がある。それで区別がついた。
露台に出てみれば、パノラマ状態のスデクの夜景の書き割りの空に満月。
ペンを持ち出して夜景を撮影する。12ミリレンズでF8で4秒を基本に十枚ほど撮影する。荷風はかつて佃の近所、南高橋に月を愛でたが、こっちは仕事があるんで、そういう悠長なことは言っていられない。

また眠って午前4時に眼がさめたら、さっきまで満月の左側にいた明るい星は西に傾いて、月はすでに丘に没していた。もっと良く見ようとベランダに出たら東の方に巨大な明るい星。これでこの星がヴィーナスで、月の隣の星はジュピターであることがわかった。
ジュピターは明るいけど落ち着いた黄色い光である。6年前の1月にアテネでやはホテルの高楼からジュピターを見た。その時は双眼鏡がスタビライザー付きであったから、木星の衛星の2つまで確認できたのも懐かしい。
旅先で星の記憶があとで思い出されるのは、かの野尻抱影も指摘する通りである。
午前5時に東のヴィーナスが雲に隠れてしまっても、ジュピターは最後まで朝焼の空に見えていた。
そういえば、珍しい惑星直列を佃の37階から観察したのは前世紀の半ばころであったか、それも水、金、火、木、土なのである。いい加減な直列ではない。そういう記憶から佃の生活も旅先の一齣なわけである。

日食より、惑星直列。

2009年8月 6日 (木)

ちぐはぐ

R1180543 プラハで仕事中。

ところで、東京の暮らしを思い出すに、ヒルズへの行き帰りには地下鉄に乗るので、電車を待っている時には自然にビルボードを見るわけであるが、ソフトバンクの白い犬が「お父さん」という芸名なのであろうか。その携帯ストラップがキャンペーンで付いてくるというのは、完全に忘れていた。それはしゃべるのであるが、その親父の声が森田健作みたいで、単純で可愛げがない。ユーモアに欠ける「お役人声」である。それで興ざめだ。
「いふぉん」であるが、これは不器用なアメリカ人が作ったモノにしては、なかなかに「フライバイワイヤー的感覚」があるので気に入ったけど、それに日本国内の販売プロモーションでこの白犬をつけるのは、じつにちぐはぐだと思う。TVを見ないじじいの戯言であるが。
それで「お父さん」には、ライカインコのお宮の「狛犬役」をやってもらうことにした。これは適材適所である。

もうひとつ、わからないこと。

「いふぉん」にはマイクロSDカードが同梱されていた。32GBなのに、これをどのように使うのかが不明。しかもスロットも見あたらない。もい一点、本体の斜め左上に3ミリほどの穴がある。これは何であろうか?

^^^^^^^

 Img_0081 プラハ日記。

毎日撮影。持って歩くのはペンの白い方である。それにポケットには「いふぉん」これは電話は家人との緊急通信用にしか使わない。そこらここらから、仕事中に電話をかけてこられては迷惑である。

プラハのアトリエの「管理人」が目下スイス行であって、その鍵をカメラ店のおやじに預けてあるのだが、この人が重役出勤でなかなかつかまらない。それで昨日、元迎賓館から山をくだり、メトロの終点に向かい森の中を歩いている時に「静寂ホテル」という名前の旅館を発見したので、5日からそこに泊まっている。迎賓館は朝、朝食の部屋に歩行して行く間に疲労するほどのサイズなので、庶民向けではない。アトリエには滞在後半に移転の予定。

追記。アトリエの鍵はすでに受け取った。ただし、ホテルプラハから駅に行く途中の森の中の「静寂ホテル」が気に入ったので、そこに二泊する。アトリエには金曜から宿泊の予定。それでこのホテルだが、一昨年に出来ただけあってなかなかの環境だ。あたりはウイーンならまずハイリゲンシュタットというところだ。

中庭に巨大な菩提樹あり。

Img_0094 Img_0099 上は迎賓館。下は静寂ホテル。やはり自分には下の方が向いている。

2009年8月 5日 (水)

ライカビットTAって何?

R1169526 先週、プラハへの出発前日に銀座に行ったら、こういう品物に出くわした。
ライカビットMPは知っているが、ライカビットTAとは何か?
TANAKAの略ではない。これはカナダ人、TOM ABRAHAMSON氏の製作したラピッドワインダーである。
20年近く前、そのトムが自社製のラピッドワインダーを日本に売り込むのでそのお手伝いをしたことがあった。

たしか日本では数百のロットを受注したのであるから、小さな町工場(と言っても、NASAの宇宙服の腕のジョイントなどを作る精密工房のある、工業団地と聞いた)で家族でやっているのだからなかなかのビジネスであったようだ。
その時、お礼というわけでもないが、マグナムの連中のために試作したワインダーをもらった。これは試作品だから渋い存在感だった。
その数年前、1990年代の初めに、フォトキナがらみでケルンに行った時に、ドームの前の壁に張り付いている中古カメラ店で、カナダ製のブラックペイントのライカM3に手製めいたラピッドワインダーが出ていて、それを手にいれた。このライカは「ライカの謎、謎のライカ」の表紙にあるやつである。

なにあろう、このカメラはトムの会社のごくごく初期の製品で、彼自身だったか彼の友人であったか、この手作りM3でどこか砂漠を取材して、戻ってきたライカを整備したら、中から砂漠の砂がスプーン1杯でてきたそうだ。

このカメラをライカビットと命名したのは偉い。もともとトムはスエーデンの報道写真家であって、何台かのライカMP(例の1台3万ドルするやつ)を使っていたが、そのライカビットMPが壊れたので、ついに自分で会社を興した熱意の人なのである。
せっかく買ってきたが、上のライカM2-Mは目下シャッター壊れである。他のライカM2とかM1とかは、まだ段ボールにはいったままでどこにあるのかすら不明なので、これにつけられるライカはない。もっともライカにライカビットをつけたところで「写真がうまく」なるわけはないから、そのまま机上のオブジエとして佃の机の上に置いてきた。
そのトムとももう15年は会っていないのだが、このライカビットTAはその意味で彼からの「暑中見舞い」のようなものだ。

☆大発見

ボブ・デイランのライブで右のライカマンはライカビットMPを使っている。

ああ、60年代よ、、、

http://www.youtube.com/watch?v=iXwynAlYNS0&feature=related

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以下はプラハで記載。

快晴だが、冷涼。午後になると、ボヘミアの野が所々にかげって、雨が駆け抜ける。それをホテルプラハのバルコニーから観覧するのは爽快だ。野面を雨が移動してくるときに雨のにおいがするが雨が降り出すとその香りはなし。

ジュニアスイーツなのだけど、寝室の奥は広大なバスルームは良いとして、トイレはリビングの脇、部屋を入ったところにあるので、夜中などはそこまでが大変な歩行になる。まず運動不足は解消。

Img_0070 エレベータの中にローカルなホテルのナイトショーの紹介かと思ったら、ここに宿泊のゲストの一覧であった。その中には極東のプリンスの画像もあり。さすがブレジネフさんは入っていなかった。そのブレジネフさんの宿泊した当時のホテルプラハのお話は7日に発売の「新潮」の9月号に掲載する。

本屋さんにゴー!

2009年8月 4日 (火)

プラハの仕事場+ビール付き

Img_0064 日曜の晩、プラハ着。
例のごとく、ホテルプラハに入る。しーーーーんという音がするのも例のごとし。
このホテルはこの前、1月に泊まった時もそうであったが、ケーブルでLANなのだが、自己割り当てのIPアドレスが設定されているとかで、どうやっても接続できない。ただし、一日に8ユーロもとるので、昼に旧市街の行きつけのカフェで仕事しながら、脇にビールを備える。
実に不謹慎のようでもあるが、日本時間なら午後7時であるから罰はあたるまい。
昨夜は持参の2台のペンで夜のプラハ城を撮影した。ゲインは6400でレンズは300ミリのセンチュリーだ。眼でほとんど見えないような光景が写るのだから今は凄い時代だ。

10日の滞在中にペンの本を一冊仕上げるので、張り切っている。
持参のレンズはこの前書いたのとはちょっと様変わりにて、実用一点だ。
今川焼きレンズと、ズーム。それに25ミリの0,95のANGENIEUX〔坂崎さんとお揃い)に、300ミリ、12ミリの腰名である。
何時も思うのは、レンズをたくさん持って来すぎて結局、一枚も撮影しないことなどが多数ある。その点を反省したわけである。

2009年8月 3日 (月)

6000000ページビュー接近す!!

何時も、本ブログをご愛読ありがとうございます。

おかげさまで、六百万頁目前も、目前となりました。

これも皆々様のおかげです。
今後ともすみからすみまで、ずずいっと、、、チョン!(拍子木)
KCチョートクカメラブログご愛読のほど、御願い奉ります。(平伏)

田中長徳 プラハのカフェセラピーにて 8月3日

「いふぉん」の悲しみ

R1180540 愛読のブログのひとつに富柏村日剰 香港日 記  がある。その最新の日記を見ていたら、中国の工場で例の5年ぶりに手にいれた話題の新製品「いふぉん」の関係で工場管理の若い男性が「いふぉんの試作機」をアップルに上げる数が1個足らずにトラブルになって自殺した話しが出ていた。

まるで、番町皿屋敷の現代版というところだ。その内容をまた到着したばかりの「いふぉん上」で読むのは何か複雑な気持ちである。

あたしの場合、ケータイは実際には使わない。外国に居る時に家人との臨時連絡用に持っているのである。5年間持ち古したdocomoは、最初の段階でウイーンからメールが送れなくてびっくりしたことがあった。広告が先行して「まだ実際に外国でこれでメールを使う奴はいないであろう」という見切り発車であったのか。やはりこういうモノの5年間というのは50年間に相当するのだと認識した。

ただし、携帯は怖い。パリのホテルで着信音がありコールバックしたら「はい、千葉県何とか市の救命センターです」と電話の相手が答えた。「今、コールがあったのでコールバックしました。こちらはパリですが」と言ったら救命センターの方が驚いていた。それでその時は家人に電話して家人とライカインコの生存を確認したこともあった。

「いふぉん」が便利なのは、ベッドの中でニュースを見たりメールを見たりできることだが、そういうのはすぐに飽きることであろう。半覚醒時に読みたくもないメールを読まされるのは精神上よろしくない。

「いふぉん」は現代の十徳ナイフのようなものだから、少年の冒険心は満足させる。磁石もついてるし、現場の位置も確認できる。ただそれだけのものだから案外にすぐに飽きがくる。一方、感心したのは、内蔵のデジカメの感度が案外に高いことだ。単機能のデジカメとは比較にならないが、竜巻くらいなら撮影してTV局に提供することくらいは可能だ。

予定では、(これは土曜の午前に記す)未来の今頃はプラハの迎賓館のジュニアスイーツに収まっている筈である。その「いふぉん」でプラハの天候を確認するに、最高は23度で最低は12度という。プラハはインフルになりそうな「寒波」のようだ。

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Img_0059 NRT SVO 飛行時間は9時間16分39秒3。

SVOンのFのラウンジに行くので、4月に足止めをくったトランジットオフィスで「入場券」をもらった。そうしたらダイナーズのアンバーラウンジが眼の前なのでそこで日記を更新。ここは前は毎月来たが、今回は62日ぶりだ。

前回まであったガラスのコップが撤去されて、紙コップだけになった。

しかしなにか家に戻ってきた気分である。これよりプラハ行きに搭乗。

2009年8月 2日 (日)

い・ふぉん3Gsのパッケージ

R1180538 本日、移動日。

NRTSVOPRG

iMacが登場した頃、赤瀬川原平さんの奥様が、この最新式の「電子計算機」を求められた。それを「い まっく」と命名したのである。
この「い まっく」は周辺で大流行した。ライカの場合には「い ライカ」である。ライカの社長さんがまだHPコーンさんの時代には親しくさせていただいた。新橋のガード下でも呑んだしSOLMSに「UR LEICA」を拝観に行ったこともある。
東京のホテルのバーで、酔った勢いで無理なことをライカの社長にお願いした。あたしのライカM6のトップカバーには[ I LEICA]と白いマーカーで書いてある。それでライカの底蓋に社長のサインを求めたのだ。コーンさんは紳士だから、酔っぱらいの願いを聞いてさらさらとサインしてくださった。「敬愛する偉大な写真家ちょーとくさんに云々の添え書き」もあった。

数年後、そのライカをアルパ研究会で手放した理由は忘れたが、差し迫ったお金の必要があったことには変わりない。馬鹿をしたものだ。その価格はM6なので6万円にしたらたくさんの手があがったので、決勝はじゃんけんにした。その中、アルパ研究会の常連のM氏はじゃんけんに強いのでゲットした。
数ヶ月後、銀座で偶然にM氏にあって、「あのM6、あれ以来どうかね」と聞いたら「うん、調子いいよ。変な外人のサインが入っていたのでそれは消しておいたから大丈夫」と真顔で言うのでこっちはびっくりした。偉大なライカの歴史がまた一個、払拭されてしまったのである。

それで「いらいか」とか「いまっく」の用法の例にならって、これは「いふぉん」なのである。先週、リコーGRD3の馬込の満員の発表会で遅れてきて隣に座ったミク友がその「いふぉん」を持っていたのだ。手にしてみるとなかなかの硬質な感覚の物体なのである。その隣の人も「いふぉん」だった。
それで帰宅してさっそく、孫さんのサイトで1台注文したのが来たわけである。
そのパッケージの姿はなかなかのものだ。MacBook Airよりも格段に上のクラスだ。

例によってNRT。

Img_0047 持参の新潮8月号を空港のSUのスーパーバイザーさんに進呈する。新潮連載のトップでSUのことを書いたのでその記念の意味で佃から持参したのである。ただし、今日のNRTSVOは767だ。これだって優秀名飛行機だ。767は昨年のJTBの仕事でレニングラードに行った時以来。

デルタのラウンジにはアップルのモニタがずらりと並んでいる。それを使わずにAIRを使う自分はまずへそ曲がりの部類であろう。これより搭乗。

「いふぉん」の試写をする。こういう感じである。

バージンの機体NO WAY BA/AAって政治広告か?

2009年8月 1日 (土)

プラハに持参〔予定)のペンとレンズたち

R1180533 2日からプラハ行き。

1月から3月までは毎月行っていたのが、4月がパリ、5月がマラガ、6月は生活防衛引っ越し、そして7月3日にはライカインコ4世の昇天などありプログラムが多彩であった。
実に5か月ぶりのプラハだ。今回は「田中長徳のペンの本」の仕事を締め切りと競争でやりに行く。しかもその本の原稿書きもあるので、アトリエではなく前半は元迎賓館に宿泊。夏休みなどとんでもない。サルコジ大統領は3週間の休暇。日本は総選挙。プラハは最高気温24度で、最低は12度で毎日良い天気のようである。
それで持参の機材とレンズであるが、ペンは仕事の他に遊ばせてくれるのが、マウント交換というおまけがある。ただしレンズ交換の時に起こりがちな「埃問題」は依然としてあるものの、マウントアダプターによるレンズ交換は、仕事を忘れさせてくれる。
持参のレンズはまず、基本のパンケーキと、常用ズームの2本は外せないとして、各種マウントアダプターを持った。レンズは時計回りにアルパマウントのアンジエニュー180ミリf4,5、ズマレックス85ミリf1,5、PAクルタゴン35ミリf4という具合だ。R1180535 他に映画用のCマウントアダプターがあるので、これに画角198度という超広角レンズをつける。これは飛行機に搭載する機材であるから、「飛行の前にこのカバーを外せ」などとオレンジ色の警戒色のキャップにそういう脅迫の文句が書いてある。これはアメリカのレンズということになっているが、どうも仏蘭西のkinoptikのOEMのようだ。それと、その描写が例のノクチルックス0,95を超えている、仏蘭西製のangenieuxの0,95も持参。

R1180536

ただし大事な心得は、レンズマウントで遊んでいてはいけないこと。ペンの基本は17ミリのパンケーキレンズだ。これが往年のオリンパスワイド35ミリ広角レンズを思い出すのであって、このレンズはレンズ交換が出来ないようにボデイに固定するようなサービスがオリンパスであっても良い。そうすれば少なくとも写真の腕は上がるかも知れない。業界ではこのレンズを「パンケーキ」というのが気にくわない。本物のパンケーキはずっと薄い。これは「今川焼きレンズ」であると思う。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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