« GRDストラップレスアナーキスト | トップページ | 終日、移転中、面会謝絶 »

2009年6月29日 (月)

オムライスの「最多価格帯」

R1179916

引っ越し作業の最中に段ボールを背景にして、手許にある新着の写真集をめくる。これは大した愉しみだ。
片岡義男さんと最近東京の町歩きをしていないことに気が付いたのは、片岡さんの新刊の写真集「名残りの東京」をめくっていた時だ。(発行東京きらら社 発売河出書房新社1980YEN)

五年ほど前には、片岡さんと東京の周辺部をよく徘徊したものである。東京の徘徊には最近では福田和也部長代理率いる、「あの写真部」もあるが、あの写真部の場合には「撮影の行楽と飲酒の快楽」とが半半になっていて、そこには向上心のかけらも存在しない。一方、片岡さんの撮影行は秘境のキリスト教の信徒めいていて、撮影の鉛筆の先をさらに研ぐという一種、苦行への快楽の感じがある。

まあ、主義主張信仰の自由であるから、いずれがどうのこうのという話しでもない。

この写真集を見ていてよく理解できたのは、撮影中の片岡さんはこんなものを撮影していたのか、という事実である。写真家の仕事はこのように写真集にしてそれを第三者に向って、ぽーんと放ってやるのが正しい理解のプロセスであるから、たとえば有名写真家(この場合には世界的にという意味で)と、一緒に撮影旅行をしたとか、彼の別荘に泊めてもらってそこで「薪割り」をしたとかいうような「著名写真家とのゴシップの話し」ではない。
ただ、片岡さんとの場合にはたしかに、同じ場所をカメラを持って徘徊したのだけど、正直いって自分は町を駆け抜ける方だし、片岡さんは一ケ所にずっと停滞するタイプであるから、同行の相手としては不向きなのである。
だから、片岡さんとは同行撮影よりも、こうして最終結果を拝見するのがはるかにためになる。

それで気が付いたのはこの本にはやたら見開きの「オムライスの肖像」(正確にはそのサンプル)がおおい点だ。オムライスというものは食べたことがなかったが、この前、「あの写真部」で浅草の神谷バーにいって、福田部長代理からごちそうになった。
しかしオムライスというのは、こういう比喩は、また誤解を招くのを承知でいえば、それはなにかフェルメールの絵みたいな存在感で、それに憧れているのは良いけど、欧州の多くの美術館を行脚して、実際にその絵の前に立つと、ちょっと想像の他の印象で「こんなはずではなかった!」と思うものである。
この本は20世紀末から21世紀初頭の極東の日本、東京の「オムライスの小売り価格帯」の資料として後世に残るのは必定だ。
それがまた絵の観賞のフェイントなわけだが、思うに片岡さんの「オムライス行脚」というのも、欧州の名画行脚のように思えてきた。それは、20余年前に、自分はイタリアから北欧までフェルメールを求めて旅した(と書くとかっこいいが、取材である)時に、この片岡さんの本で東京のクラシックな町が延々と継続してその間、間に、フェルメールが存在したことに、なにかオムライスの間に「名残りの東京」が挟まっているのと似た空間感覚を感じたのだ。


|

« GRDストラップレスアナーキスト | トップページ | 終日、移転中、面会謝絶 »

コメント

オムライスは日本で発明された料理のようですね。
そのへんが片岡さんを存在論的に惹き付けるのかも。
メイド喫茶の定番メニューでもあるそうですが、それはさすがに片岡さんも知ないでしょう。

後ろの「8X10ディアドルフ」があやしいです。

投稿: 胸の振り子 | 2009年6月29日 (月) 16時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« GRDストラップレスアナーキスト | トップページ | 終日、移転中、面会謝絶 »