一日に眼下の隅田川を行き来する船は、あれは思いつきではなく、ちゃんとスケジュールで運行しているのは、ここ隅田川河畔にちょっと棲んでみればすぐに分かることである。
まず早朝の4時半頃に「登り」の小さなタンカーがきて、これを筆頭に数隻のタンカーが遡上してゆく。もとより隅田川の上流の工場かなにかに油を届けにゆく通い船であるから、上から見ると実に小さいものである。ところがこの船を地面の高さでみると、それなりに立派な船舶であることがわかって、驚くと同時にまたそれが面白い。
他は、普段は中央大橋の向かいの係船所に停泊しているのに、東京都水辺公社の「あじさい」と「こすもす」がいる。居るとは人間みたいな言い方だけど、あたしはこの2艘の船を擬人化して我が家の2人の娘だと思っている。その船の父親が自分であると「創作」すると、二人の娘はどっかにおつとめしているわけだが、残業あり早出ありでなかなか大変な仕事のようだ。ただし「外泊」してきたことは一度もない。
この2人の船の「あじさい」の方は、以前出した「チョートクぼくのカメラたち」という1000ページ本の中の巻頭カラーページに出てくる。あの時は「あじさい」に越中島から乗船して、赤羽経由で新河岸川の先の小豆沢まで行ったのである。この路線はなかなか長くて、しかも赤羽から先の乗客は自分一人であった。
今はこの航路は廃止されたようだ。
これも定刻にきっちり登場するのは、「HIMIKO」である。例の宇宙戦艦めいた銀色の未来的な船体で実に人目を惹く。ただし、窓が開閉できないから、仮に乗ってもその逼塞感が面白くなかろう。やはり河船は川風をうけて行くのがよい。
隅田川で一度だけ見た船で実に不思議な船名だなと思ったのは「はと」である。これは東京都の関係の船らしいのだが、はとは隅田川にもいるけど、水上に降りることはないから、なんとなくその名前がしっくりしない。
東海道線のかつての特急「はと」なら納得がゆくが、こっちはいかにもお役人が「思いつき」で付けたような名称だ。その点、警察のボートは「いそちどち」とかなんとかこれは水鳥に関係がある。
しかし、こういうのは「変な名前」の方が一般に記憶にのこるようで、最近「文芸誌」をよく見るようになったけど、「なんとかなおコーラ」さんていう作家の人がいてこれは凄いと思った。こういうのは絶対に記憶に残る。
その意味で東京都の船である「はと」も記憶に残る。ただしそのはとはこの5年ほどで1度しか見ていない。そのはとを待っているがなかなかこない。
ゴドーを待っているようなものか。
と、ここまで、書いて間違って 16日の日記にアップしてしまった。すみませんねえ。
さて、河面を観察するには双眼鏡とカメラが必須である。双眼鏡は6x30,10x50,それと34x50の3種をベランダのそばに常に置いてある。普通は6x30(勝間製)で「索敵」をしてその細かい部分は伊太利亜はガリレオ製の34x50で見る。隅田川の永代橋よろも上流の「策敵」には、10x50を使うがこれは仏蘭西海軍の双眼鏡で「1932」などと刻印されている。
デジカメはリコーCX1みたいな高倍率ズーム付き(GRDは広角だから使えない)と、エプソンRD-1sに640ミリのノボフレックス付きは遠方の撮影にかなり効果がある。
いぜん、「2ちゃんねる」で、ベランダ写真家の称号をもらったこともあるが、住居の中からの撮影というのは、これは写真家の伝統芸能なのである。エドワード・酢体験(この誤変換は最高!)は晩年、自宅の庭の巨木を35ミリアリフレックスで撮影していたりした。アンドレ・ケルテスはマンハッタンの5番街1番地の上の方から撮影してるし、ユージン・スミスの場合は6番街のミッドタウンのそれほど高層階ではないところから撮影している。このスミスの撮影法は、ブラインドカーテンが古くなっているその隙間に400ミリのキヤノンレンズを突っ込んでちょっとハードボイルドなのも好きだ。
ケルテスは時代が時代だから、コンタックスDにキラー400ミリ。この当時の初期の一眼レフを使う写真家には「凛」 としたところがあった。今のフルサイズデジカメおやじとは比較にならない。
スミスの場合には、各種のライカやらキヤノン6tならであって、レンズはミラーボックス付きの400ミリだ。初期5ミリカメラのユーザーはなぜこうかっこいいのであろうか。