20年来、飛行機はCクラス、ときどきFクラスと決めていた。
こう書くと、いやみであるが、仕事関係でCクラスに乗っていたのとマイレージでFに乗っていたのだから別に不思議はない。
それが4年前にスエーデンのハッセルブラッドのプレスツアーに招待されて、実に久しぶりにYクラスに乗った。
もともと飛行機というのは変な乗り物であって、仮想の階級社会をそこに現出させているのである。
民主義が一応建前になっているこの現代だから、逆にそれが面白い。
業務でJLなどに乗っていた当時、業務用のチケットだから、言い方は悪いが「タダ券」である。そういう業務で乗る人に注意をうながすチラシがチケットと一緒に送られてきた。まだEticket以前の話であるのが懐かしい。曰く、ちゃんとネクタイをしろとか周囲のお客さんに自分が「ただのり」をしていることを言いふらさないように、とか業務上の注意事項が沢山ある。今でもあの注意の紙というのは存在するのだろうか。
そういえば、日本を代表する音楽写真家さんで、これは四半世紀前のことだが、日本にもどるその朝に何かの用事でホテルに行ったら、チケットがないというので大騒ぎになっていた。通訳兼、スタイリストさんがごみ箱をひっくり返して中身を調査したら、その中に入っていた。いかにも貧相なチケットなので、ごみ箱に誤って捨てられたのである。
福田和也さんの帝国ホテルのかんずめの話しで、重要なメモをホテルの人がごみばこから発掘した話しみたいだ。
KLMで乗ったYクラスが縁になり、それ以来、Yにも乗るようになった。以前のKLMのCクラスは食い物はいうに及ばず、ワインのセレクションがかなりオランダ人好みであって「オーストラリアのオークの樽でかもした脂の香りのする赤ワイン」というようにかなり個性的ワインリストであったが、こういうのは一般受けしない。それは別の問題だ。
Yクラスの必携は空気枕である。これは重要だ。数年前にスエーデン行きの時、NRTで買ったのは、ストローで空気を吹き込むという変なモデルで、これは万一、ストローを紛失すると使えない。
この1月には思いきってNRTにて日本圓1700金を投じて、上のような空気枕を新調した。さてシベリア上空でこれを膨らませようとしたが、ものすごい肺活量とパワーがいるのである。1万メートルの上空は富士山の山頂と同じ空気圧であるから、心臓がばくばくした。
ようやく膨らませて、今度はモスクワ到着前に空気が抜けないのである。
それでトランジットの時、膨らんだ空気枕をかかえて乗り換えの荷物検査を受けた。小さい子供がぬいぐるみのくまを持っているのは許せるが、還暦の東洋人が空気枕持参というのはやはりロシア人に怪しまれる。
不良品の空気枕を買ったと思った。というのは自分は機械ものについていないのである。この前のエプソンのP5000という画像保管装置も、インデックスが読めなくなって、目下、エプソンに入院中である。めったに起きない機械ものの事故に遭遇したりするのである。
3週間の東京滞在でBMW野々宮と東京のカメラクルーズをしたとき、その話をしたら、野々宮は空気枕に関する驚くべき、秘密を暴露した。
なんでも最近の空気枕には弁があってそこを指で押さえて弁を開放してから膨らませるのだそうだ。
自分が前に空気枕を使ったのは小学校の林間学校の時である。1950年代。あの当時には空気枕の中にそんな弁はついていなかった。世界の変貌はインターネットやデジカメやモスクワから赤旗の降りただけなのではなかった。
空気枕にも世界同時革命があったのである。
http://webcam.pis.cz/en/petrin-hrad.html
★プラハ日記
2月10日。雪。
ナリターモスクワープラハ。
この前はshort connectionというタグがついていたのに、荷物は到着が翌日になった。前回は「迎賓館」に泊まっていたから良いけど、万一、前のようにラゲッジが遅れたら、アトリエは6Fだし階段しかないし、クーリエがここに届けに来たら面倒だなと思っていた。
今回は運良く、最初から3番目に荷物が出た。そのかわり、税関でしっかり調べられた。
今回は空港でホテルのリムジンが迎えにくるのではない。プラハのPが迎えにくるのである。最初から25ユーロのリモサービスを頼めば良いのだが、そうなると「友情にひびが入る」ことになる。なにしろ40年近くの付き合いになるのだから、仕方なし。
思えば、プラハのPを最初に知ったのは長年連れ添っている家人よりやや古いのである。その訳は1967年にアメリカで開催された写真展にプラハのPも名前を連ねていて、その作品を見ていたからだ。
3週間ぶりにアトリエ。
気温は4度もある暖かさでこれは異常だ。今朝降ったという雪も全部溶けてしまった。
アトリエで置いてあるはずの4x5のフィルムホルダーが見つからない。某カメラ雑誌の特写で4x5のスピグラを持参したのであるが、10年前のアトリエの記憶が定めでない。危険防止の為に12枚分のホルダーを持ってきてよかった。
ダークバッグも持参した。アトリエには暗室があるが、フィルムホルダーが12枚分では足りない。だから撮影中に路上でフィルム交換をする必要あり。だから携帯暗室は役にたつ。
巨匠sudekは彼の代表作のパノラマシリーズでフィルム交換の為に自身がすっぽり入れる巨大なフィルム交換袋を作った。彼は右腕がないから、その中に入って作業をする。
彼のパノラマカメラはもともと104というロールフィルム(1947年にコダックは生産を中止)を使うのだが、それはないから、カットフィルムを暗室で装填するのである。いちいち、暗室にもどるのは面倒なので、フィルム交換を野外で出来るようにした。
それで便利なのだけど、人の大きさの黒い巨大な袋が路上でうごめいているのだから、農家のかみさんが「悪魔が出現した!」とパニッックになっても仕方ない状況なのである。
プラハの巨匠にならって、フィルム交換は屋外ですることにしよう。