本を100kg捨てる
クーラーのフィルターの交換で、半年に一回、室内のサービスがある。このタワーはサービスアパートメントというわけでもないが、管理はしっかりしている。
それはありがたいのだけど、佃の寓居の仕事机の廻りは常に乱雑を極めている。
その理由は単に整理ができないだけで、言い訳もできないのだけど、なんでも噂では1階下の田原総一郎さんの仕事場もかなりのラビリンスなのだそうである。
田原先生とはホールのエレベータの前で、「今日はエレベータが遅いですねえ」などと言い合う「垂直長屋」の間柄だ。仕事においでの時は実に仕立てのよいしスーツをお召しだが、普段は綿入れ半纏にサンダルばきのお姿を拝見した。
それで自分の場合、仕事のできる人間はそういうラビリンス環境でないとダメなのだ、とも言い訳が出来ないのは辛いところだ。
そのクーラーのフィルター交換は前日に対応策を講じる。つまり仕事机の脇のスペースのサービスの人が踏み台を置くだけのスペースを確保するのが一大問題なのだ。
これが12か月に二度やってくるのだ。
それでこの前の火曜は終日、家に居て、5回ほどB2にまで本と雑誌を捨てに行った。
一回の運搬がまず古本と雑誌、無慮20キロとすれば、全部で100キロである。少しはカーペットが見えるようになって、「部屋らしく」なった。
チエコの大写真家スデクは1924年に新築のプラハ旧市街のガーデンハウスのアトリエに入居して、1970年代後半の彼の死までそこで作品を撮影した。
実際にはあまりに物が集積してしまい、その後には王宮の近くのゴシック建築の一室も借りていたが、(ここも今はスデクギャラリーになった)左岸のアトリエはすでにそこにモデルさんを招じて撮影をするスペースがないほどの物の山であった。
それで、彼の妹さんの話では、スデクが亡くなるまで、彼のアトリエの窓のところまで、あまりに物がバリケードを構築しているので、近付くことができなかったそうだ。スデクは独身だったが、妹さんが手伝っていたというのは、なにか子規と律を思い出す。
物質放射線満載。本物のアトリエはこうありたい。
コルビュジエのアトリエの実物大のレプリカがおととし森ミュージアムに構築された。それがパリの建物の屋根裏であることはよくわかり、なかなかの展示だったが、惜しむらくは、がらんとしていたのである。愛犬の皮もて作ったブックカバーはよいとして、品物が少ないから、空間が遊んでる。これが本物とレプリカの違いだ。
100キロの本を捨てたので、ようやく絨毯(の一部)が見えた。捨てた本は最近にアマゾンで買った本ばかりだ。昭和20年のまだ「表紙に絵のない新潮」とか、辻潤の「ですぺら」とか足穂の「弥勒」などは捨てるわけには行かない。むさうあんものがたりも無論捨てず。












































プラハのお昼のウエブカメラを見たら、王宮へのつずれ折りの坂道の良い具合の雪景色だ。
これは楽しみである。












