PATHE cameraの蛮勇
仏蘭西のシャルルパテの名前は、稲垣足穂の「パテエの赤い雄鶏」で有名だが、彼がl問題にしていたのは、アマチュア用の小さな黒い9、5ミリのパテベビーのことである。これは戦前のアマチュア用の飛び切り高価な玩具だった。戦後になって、パテとかボリューとか、ボレックスなどが手持ち撮影が可能な16ミリカメラを実現させて、一挙に街で手持ちカメラで撮影することが、「政治的であり戦闘的」であることになった。
かのゴダールは「言葉遊びに淫してその完璧なスクリーン上での日本語字幕」もかえってその意味の本質からどんどん離脱していく中で、コダールがプロトタイプのこれはアトーンと共同開発した、アトーン35の前身のあたる、35ミリカメラで200FTが撮影できるカメラで、自ら空の雲など撮影しているのは、格調が高い。そこではかのおしゃべりゴダールも「サイレントな映画人」であるからだ。
3年半前、リスボンとウイーンにいった時、このパテのカメラを持参するつもりであったのに、出発5分前になって、「普通の映画プロダクションが使うようなアリフレックスSR」を持って撮影にいったのは失敗だった。
たしかにアリSRでリスボンーウイーンの飛行ではモンブランの峰をオーストリア航空の飛機から撮影はできたにせよ、そこには初期の映画撮影に共通している、一種の「蛮勇」が欠如しているのだ。
リスボン物語(ヴェンダースの映画)の中で、35ミリの手廻しの木製クラシックカメラが登場するがあの物神が宿る感覚はpatheには存在するが、arriには存在しない。
パテというのは実に不思議なカメラで、60年代には仏蘭西の放送局がこれを機材にしていたりする。他に仏蘭西にはエクレールもあるのに、わざわざこういう音の出る機材を使うのは理解できないが、何時だったか、このカメラのカタログで、数人の男達が600ミリ相当の超望遠を付けたこのカメラの周囲に集まって、撮影しているカットが掲載されていた。彼らはゲリラのようなカモフラージュジャケットで、なんなく「ちょい悪おやじ」風なのも良かった。
結局、その時はパテは持参せず、そのままパテは同じ3台のカメラと同様に佃の仕事場で埃をかぶっていた。その一台を取り出して、埃を払った。それでカナダにエクタクロームのローストックをとりあえず、2000尺ほど注文したのである。
これで、撮影時間60分。ここには撮り過ぎになる「ハイビジョンの退屈」は存在しない。




長徳先生:なぜにある種の男は、16mmを見ると興奮するのでしょうか。小生も見るだけで、なぜか楽しくなります。あの撮影時の機械音はたまりませんね。作家の椎名誠さんも16mm撮影機マニアであるとの本を出してますよね。本の中で銀座からちょっと東京駅よりのカメラ屋によく行ったとありました、そこは小生は買えないのでいつもたたずむ場所と同じでした。子供のころ、よく老米国人が、3つレンズのついた8mmを回しているのをうらやましく見たものです。小学生のころ、学校で「ノンちゃん、雲に乗る」という映画を全生徒に見せた時、小生は映写機の側に座り、映写機の音とフイルムの巻き取られる音に陶然となっていました。映画は見ていず、感想文が書けずに、先生にしかられたことを思い出します。以上
投稿: 周徳古 | 2008年12月27日 (土) 08時27分
パテは祖父の愛機でした。
シロートですから16ミリではなくて9.5ミリのパテ・ベビーですが、このフィルムがかなり実家に残っています。
もう映写機は動かないので、先日その一部をDVDに落としてもらいましたら、戦前の日比谷公園内の遊園地らしき映像とか、面白いものが写っていて、けっこう楽しめました。
投稿: Summar | 2008年12月27日 (土) 20時10分