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チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

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2008年12月31日 (水)

大晦日

Rimg0083 おおつごもり。

朝、家人はメトロポリタンオペラのガラコンサートを歌舞伎座でやるというのに、出かける。

この前、5月の立川一座の親子会にしてもそうだったが、歌舞伎座は建替え前に多目的ホールになっている。これはよいことだ。

家人が戻るまで、佃で仕事。

筑摩新書に使う「ベストカメラ30」の撮影をする。30くらいの数のカメラは簡単に発掘できる。ただし、どうしても発見できなかったのが、この前、ブログに登場したブロニカDである。夕べまでそこらにあったのに、今朝はどうしても発見できない。

ようするに、老人の視野狭窄であって、そこにあっても見えないだけなのであろうが、実際に見えないのは存在しないも同じだ。

午後3時過ぎにヒルズ。

午後のすばらしい光の中に、東京湾が一望できる。南の角のラウンジから、勝間の10x40で大井埠頭から、コンテナ船が出て行くところを観察。

深夜0時には、昨年と同様に横浜の氷川丸でカウントダウン。それまでいっぱいやって時間をかせごうと思ったが、横浜は不慣れなので心あたりの店がない。

万一、そういう店があったとしても、大晦日に開いているはずがない。

そこで、ヒルズの49fの部屋でいっぱいやろうと思った。

ところがここにも障害があって、下のコンビニには酒のつまみになるようなものがない。しかし、六本木はよく知らないというよりも、まったく知らないのであるから、そのような品物を扱っているコンビニがどこにあるのかもわからない。

欧州など旅していると、たいてい、どこの町でもそういう関係の市場とか小さいショップなどがすぐに発見できるものだが、極東の東京ではなかなかそうは行かないのは不思議である。

ヒルズにあるのは、アパレル関係の「食えないお店」ばっかりである。

参台のボデイと六個のマガジン

Rimg0009

国産の金属製カメラの中で、一番美しいのはブロニカDである。
ハッセルなどよりもその格はずっと上である。
たしか、1957年の登場だと思うが、ステンレス製の本体にはチタン製のフードがつき、このチタンは当時、住友金属から買った、新素材であったという。

当時のブロニカレンズ付の価格は10万円以上する超高級機であった。

ぜんざぶろうさんのブローニーカメラであるから、ゼンザブロニカ。
その吉野善三郎さんを知る人も少なくなった。会社は常盤台、今の双眼鏡のメーカー、勝間光学の近くにあった。

ブロニカDはその後に出た、フォーカシングの方式はDと同じで、そのスタイルはS2に似ているS型というのがあるが、どうもこのデザインは改悪と思っている。
それで、最初のD型を探しているうちに3台になってしまった。マガジンの方は今はもう閉店した、リスボンの見えないカメラ店でまとめた買ったものだ。その中には最初期モデルの、フルアオートマチックのやつもある。これはスタートマークを設定しないでもちゃんと巻き停めができるのだが、そのことよりも、マガジンの中でフイルムを誘導する、ステンレスのカーブのガードが実に優雅である。

三台のうち、一台はなんとか作動するが、あとのふたつは1/30以下が止るとかいろんな問題がある。
それでも日本でこのような高い密度のカメラが出来たことは記憶せねばならない。

レンズの方は40ミリ、50ミリ、135ミリ、200ミリ、250ミリ、350ミリのニッコールを持っているので今のところ、不自由はない。

2008年12月30日 (火)

探し物発見

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レクタフレックスというのは、1950年代、まだ日本製の一眼レフが跋扈する前、アメリカで成功した一眼レフだ。
これはその中の特殊モデルである。

当時はまだズームレンズは実用にはならなかったので、そこでこのような3本のターレット式のレクタフレックスが登場した。

これがれとはいえ、その生産台数は50台ほどである。
これほどの少数であると、別に珍品であるといので価格がとんでもないことになるということはない。
こういうカメラはまず、お金持ちは興味を示さない。彼らが興味を示すのは、たとえばライツのレアレンズのようなものである。だから世界で50台であろうが何台であろうが、それを手にいれるのに困難はいらない。

レクタフレックスローターはうちには2台あるのも、これカメラ店の場所ふさぎなので、それを買うことは歓迎されたのである。これが20年前の話。

さて、この数年来の問題は、このガンストックをピストルグリップの元で固定するためのネジを紛失していたことだった。
2セット持っているのだから、そのネジを融通すればよいのでは、というのは素人考えである。
もともとこういうカメラは実用の引力圏外にあるから最初から使うつもりで持っているのではない。

これがデジカメと全く異なる点である。
デジカメならば、使わないけど楽しみのために持っているというようなカメラの楽しみは絶対に起こらないのである。
ところがこういう風流カメラはやはりちゃんと準備した状態で2セットが揃っていないと気分が悪い。

そのネジは佃のカメラジャングルの中にあるのだから、森林の中で、1本の針を探し出すようなものである。
それを2008年も押し詰まった日の午後に、佃でライカインコの相手をしつつ、ついに発見したのである。

それで、そのネジはもとのように、ガンストックにねじ込んで何時でも使えるようになっている。
もっともこのカメラは絶対に使うことなどないのであるが、やはり「備えよ常に」でないと困る。

2008年12月29日 (月)

P7000がクラッシュ!バックアップは大切!!

画像の保管にはエプソンのP7000を使っている。
最初にP2000を使い始めてから数台を継続して使っていてトラブルは一度もおこったことがない。

それが12月29日の朝に、CFカードの画像をバックアップしようとしてP7000がクラッシュ。
それまでの画像は全部なくなった。

HDを調べるとそれまでの画像は本当にない。原因は新年になってエプソンに調べてもらうが、大事な仕事の画像は3重にバックアップしてあるのでそれは問題なし。
ただし、日常の画像はP7000に入っていたのでこれは諦めた。

エプソンのこのシリーズには全面的な信頼をおいていたが、中は機械なのだから壊れるということを教えられたのは良かった。

不思議なのはそれまであった画像が無くなって、それで使えないかと言うとそうではなく、HDは空になってまた新たに使えるのである。
まずは2008年納めのビッグイベントだ。
今朝のニュースでは東北秋田新潟方面の新幹線がコンピュータトラブルで始発から全面運休という。
それに比較したら、P7000のデータの飛んだなどは大したことではないのは無論である。

今年の8月までの画像はその前の機器P5000にちゃんと保管されている。
なにか新年を迎えるにあたっての画像の大掃除をした気分だ。

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快晴のプラハ

Pva_5264 長い長い友人のPバッハからクリスマスカードが届く。

Pバッハとはもう40年以上のお付き合いになるのか。

プラハの春から今年で40年。

我が家のはりねずみの「ハー君」の昇天からすでに20年だ。1988年の12月24日に上のはりねが亡くなって、それで「針供養」というので、家人とウイーンに行った。

ところが飛行機がモスクワから出て、ウイーンにつくはずが、ウイーンは霧なので代わりにプラハに着いた。

プラハはハリネズミの本場であるから、これはうちの針ねの霊がここに着陸させたのだと思った。これが1989年の2月でホテルからプラハのPバッハに電話したら、彼はポーランド製のフィアット500で駆けつけた。それから、、モルダウ川の中州にあるペンクラブでPIVOを飲んだ。

ビロード革命はその年の秋に起きたのである。

このクリスマスカードはまずは皇居二重橋のシーンのようなものだ。ここは王宮の裏手にあたるが、まずツーリストはこない場所である。

残念なのは快晴であることだ。自分のイメージのプラハはモノクロでどんよりしたモノトーンでないと困るのである。

2008年12月28日 (日)

KCチョートクカメラコラム

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★KCチョートクカメラコラム/デジタルカメラ

オールドレンズパラダイス

恒例のアローカメラのシドニーは昨日の土曜だった。例によって麦酒箱の上に乗って演説をした。その前にいま、売れている本「オールドレンズパラダイス」の澤村 徹 (著), 和田 高広 (監修) 両氏の講演会が3階の特設会場であった。
本来は1階のカメラ売り場で「場立ち」でやれば良いのだが、慣れないとあそこはなかなか話しにくい。あたしなどは麦酒箱の上に乗らないと話しに身が入らないのはこまったものだ。

この本はライターの澤村さんが父上からゆずりうけたペンタックスの55ミリレンズをアダプターでEOS20D二付けたらこれが面白いというので、各種レンズでアダプターで遊ぶ実践的な趣味の本だ。
それを監修したのはプロカメラマンの和田さんである。普通から考えれば役割が逆ではないのかと思えるところが面白い。

最初はあたしもよく本を出している「えい出版」のシリーズかと思った。これは類書がないという意味でなかなかの出版である。
マウントアダプタで、デジタル一眼レフで遊ぶとか、今、話題のパナソニックのG1でマウントアダプタでライカのレンズを付けるなどは、今さらのことなのであるが、たいていのライカ人類はマウントアダプタを手にいおれると「これで道具は揃った。あとは撮るだけだ」というのでそのまま体温がさがって引き出しのこやしになってしまうのが普通だ。

本書の澤村さんの作品は「カメラ本の作例」と呼ぶにはもったいないほどの秀作である。われわれカメラ目かライターは総じて作例が下手っぴであって、しょうもないポートレートとか町中のスナップなどは百凡であって、それがメカニズム記事を退屈させ、なおかついかにもこれはカメラのメカ記事であるな、という独特の風情を与えるのであるが、この作者の視線はそれを超えている。

年末年始にはフイルムラボは休業である。だからこの本とアダプターはビックカメラとかよどで買って、レンズは押し入れから発掘して、撮影するのなら現像はいらないし、実にお正月向けのカメラエンタメになるわけである。

★KCチョートクカメラコラム/銀塩クラシックカメラ

ニコノス3型をプラハ用に用意する

今年最後のシドニーで、なにか欲しいものはないかと探していたら、正面の棚にニコノス3型が鎮座していた。このカメラはすでに持っているが、その価格に惹かれて手にいれた。
この特価品の価格からさらに20パーセントのオフなのである。暗算ができないのであるが12000円くらいだ。
ニコノスは仏蘭西のアクラングメーカーの造ったカリプソをそのまま日本光学が買って製作した、水中ケースなしで水中撮影のできるカメラである。
水中撮影だけでなく、荒天の撮影とか温泉に持ち込んでも良いし、なにより水洗いができるという大変なカメラである。

カリプソをそのままコピーしたニコノス(これってことえりの馬鹿変換だと二個の巣になるのも一興である)は1型と2型ではパーフォレーションをレジストしないので、フイルムの巻き上げの間隔がばらばらである。まあそれが野趣があるとも言えるのだが、やはりフイルムの間隔は正確な方がよい。

二個の巣の3型はちゃんと画面の間隔が正常に保たれている。それにニコンS当時に有名になった、二っコール35ミリf4が付いているのがいい。
こういう思想堅固なカメラを手にするとライカなどは思想が貧弱に見えてくるのだから愉快だ。


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オールドレンズ パラダイス EOS DIGITALとマウントアダプタで遊ぶBookオールドレンズ パラダイス EOS DIGITALとマウントアダプタで遊ぶ

著者:澤村 徹
販売元:翔泳社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

一生モノ

Rimg1282 ライカなどは実に一生モノである。この間、黒川紀章さんの遺愛のライカを黒川未来夫さんに見せていただいた。その話はアサヒカメラの2月号に掲載されるのであるが、ライカに比較して、デジカメは一生モノでないことはいまさらいうまでもない。

ヒルズの仕事場には各種OA機器が完備しているが、その中で一番、重要なのがこの機器である。日本語ではなにか外人の名前がついているのが、前から不思議でならない。カンガルーの語源と似たようなものなのであろうか。

それはともかく、この機器がいかに大事かと言えば、仕事場にたくさん居られる、企業コンサルタントさんの必須な道具である。パワーポイントを出力したコピーはこれで綴じておかないと前後関係が不明になる。

それほど重要な機器なのに、異常に安価である。しかもそれに使う針というのはまた驚愕するほどに安い。

政府は「プレゼン税」とでも名づけて、この針に税金をかければかなりの税収になるのではないか。

世の中の99パーセントの退屈なプレゼンと、1パーセントのためになるプレゼン。星の数のプレゼンも、このマシンで紙を綴じないことには始まらない。

おっと、しかし考えるにこの針はなかなかなくらならないものである。消耗品の中では一番長く使える物品だ。うちにあるのも、黒船が来た当時とは思わないがかなり古い。おそらく成人式の記念に買ったのではと思う。

また、外国から手にいれたプロ用の映画撮影機などの取り扱い説明書はたいていはコピーであるがそれが針で綴じられている、その針が錆びているのなど、侘び寂びの境地がある。

2008年12月27日 (土)

PATHE cameraの蛮勇

仏蘭西のシャルルパテの名前は、稲垣足穂の「パテエの赤い雄鶏」で有名だが、彼がl問題にしていたのは、アマチュア用の小さな黒い9、5ミリのパテベビーのことである。これは戦前のアマチュア用の飛び切り高価な玩具だった。戦後になって、パテとかボリューとか、ボレックスなどが手持ち撮影が可能な16ミリカメラを実現させて、一挙に街で手持ちカメラで撮影することが、「政治的であり戦闘的」であることになった。

かのゴダールは「言葉遊びに淫してその完璧なスクリーン上での日本語字幕」もかえってその意味の本質からどんどん離脱していく中で、コダールがプロトタイプのこれはアトーンと共同開発した、アトーン35の前身のあたる、35ミリカメラで200FTが撮影できるカメラで、自ら空の雲など撮影しているのは、格調が高い。そこではかのおしゃべりゴダールも「サイレントな映画人」であるからだ。

3年半前、リスボンとウイーンにいった時、このパテのカメラを持参するつもりであったのに、出発5分前になって、「普通の映画プロダクションが使うようなアリフレックスSR」を持って撮影にいったのは失敗だった。

たしかにアリSRでリスボンーウイーンの飛行ではモンブランの峰をオーストリア航空の飛機から撮影はできたにせよ、そこには初期の映画撮影に共通している、一種の「蛮勇」が欠如しているのだ。

リスボン物語(ヴェンダースの映画)の中で、35ミリの手廻しの木製クラシックカメラが登場するがあの物神が宿る感覚はpatheには存在するが、arriには存在しない。

パテというのは実に不思議なカメラで、60年代には仏蘭西の放送局がこれを機材にしていたりする。他に仏蘭西にはエクレールもあるのに、わざわざこういう音の出る機材を使うのは理解できないが、何時だったか、このカメラのカタログで、数人の男達が600ミリ相当の超望遠を付けたこのカメラの周囲に集まって、撮影しているカットが掲載されていた。彼らはゲリラのようなカモフラージュジャケットで、なんなく「ちょい悪おやじ」風なのも良かった。

結局、その時はパテは持参せず、そのままパテは同じ3台のカメラと同様に佃の仕事場で埃をかぶっていた。その一台を取り出して、埃を払った。それでカナダにエクタクロームのローストックをとりあえず、2000尺ほど注文したのである。

これで、撮影時間60分。ここには撮り過ぎになる「ハイビジョンの退屈」は存在しない。

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2008年12月26日 (金)

有明の月を見る

Dsc07640_2 普通の会社とか官庁は26日で仕事は終わりらしい。

毎日、仕事に追われていたら、忘れていた大事な仕事先から、今年中に納品せよとの指令がきた。

別にその仕事を忘れたのではないが、まだ締め切りが先なのでたかをくくっていたのである。それであわてて、12月25日の朝6時という時間にヒルズに行くので、佃のタワーを出たら、すばらしい有明の月がかかっていた。月齢 27.4

有明の月と書くと、きわめて日本的だがこれは月面学、まずヘヴェリウスあたりの見た早朝の月、あるいは足穂の描くところの、ボヘミアの夜明けの月である。

こういう時間帯に月を見るのは自分の場合、まれである。

似たような月をこの前、いつ見たのか考えて、確か7年ほど前に、イスタンブールからアムスへの飛行中に同じ月を見たのを思い出した。イスタンブール発の飛行機は朝の6時だかに出るので黎明の鎌のような月を見ることができたわけだ。

なにか仕事のおかげで、普段見ることのできないものを見ることができて、感謝したい気持ちである。

と、まあ、ここまでは普通の歳時記であるが、佃のタワーを出てその有明の月を撮ろうとしたら、持参のR10がない。さては家に忘れたと思って部屋に戻ったがない。

それであきらめて、α200を持ち出して撮影したわけである。

画面が90度ずれているのは、ご愛嬌と思っていただきたい。

ヒルズについたら受付の人から、探しているR10を差し出された。

昨日、ヒルズに忘れてきたのであった。やれやれ。

2008年12月25日 (木)

ブラックコンタックス+ニッコール25ミリ@雑司ヶ谷

ブラックコンタックスは雑司ヶ谷に良く似合う。

コンタックスに付くレンズはいろいろな面倒がある。つまりイエナの25ミリトボゴンは付かない。巻き上げがレンズのすぐ脇にあるから干渉してしまうのだ。同様な理由で180ミリのゾナーを付けたパンフレックスもダメ。

本家の東独逸のイエナのトポゴンが付かなくて、それのコピーのニッコール25ミリが装着可能というのは何か変だけど、まあ世の中の仕組みはそんなものだ。

雑司ヶ谷は日本路地裏学会指定文化遺産というわけで、快晴の初冬に撮影探索。

コンタックス1型は勘で露光を決める。

ただし、撮影はフィルム1本のみに決めている。そういう節操が今の時代には必要だ。

ニッコール25ミリはSマウントとLマウントがある。個人的にはLマウントの小さいレンズが好きだが、これは言うまでもなくコンタックスには付かない。

一方で、Sマウントの25ミリニッコールはアダプターを付ければライカにも使える。

ゆえにSマウントの25ミリの方が汎用性がある。

その描写はなかなかに良い。

その意味は周辺のやや危ない描写などが、モダンなレンズと異なり、味というか、風情というか野趣というか、空気感というか、まあ、そういう雑多な感覚があるのが良い。

思えば、25ミリは森山大道さんが東松照明さんから、ニコンS2のブラックに付けたのを借りて、それを最終的には「呑んで」しまったという伝説のレンズだ。

そういう伝説は最近のレンズやカメラでは生まれないのか。

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2008年12月24日 (水)

南房総からのクリスマスプレゼント

Rimg1251 ふゆみちゃん、というのであるが、どういう字を書くのかは知らない。
この人は家人の音楽大学の教え子なのである。
その人の実家は安房鴨川だかどこだかで、とにかく南房総で花栽培をしている。それで年に盆暮れにはお花が届く。

日常が火宅であるから、花鳥風月には縁がない。鳥はライカインコが居るがこれは風流とは500マイルは離れている。

その「花いっぱい運動」もう10余年になるのである。実に有り難い次第である。花というのは、不思議なもので、それがあるともとより狭い部屋の中が広く見える。
うちのタワーのエントランスは週代わり(いや、もっとか)の割合で、モダン生け花が飾られるのだが、それはパブリックスペースである。
プライベートのスペースまでは面倒を見てもらえないのは当然だが、その部分を南房総のふゆみちゃんの実家でサポートしてくれているわけだ。

ところで、恒例の年末のお花が届いて、そのお花の間にうれしい酒のつまみが入っていた。
あわびの煮貝(これでは言い方が馬から落ちて落馬みたいだが)と、さんまの煮物とひじきと帆立の煮物なのである。
うちは田舎者だから、江戸前の甘い煮物がダメなのだが、これは絶妙な味付けで実に良かった。これはふゆみちゃんの母上の味なのである。
そういう次第で、居間に飾られた南房総のお花よりも、あわもりの相手のこういう料理の方に眼が行ってしまうのは仕方ない。
ちなみに、ふゆみちゃんの父上はちゃんとライセンスをお持ちで、あわびなどを捕獲されるのだが、娘さんは子供の時からあわびは食い飽きて、あまり好きではないそうだ。
実に羨ましい環境である。

2008年12月23日 (火)

東京タワーが今日で50周年

Rimg1254 東京タワーが今日でちょうど50周年で、あるそうだ。
休日にヒルズで仕事していたら、窓の外を報道関係のヘリがいつもとは異なる空域を飛行しているので、それに気がついた。
普段は報道のヘリは東京タワーなど「見向きもしない」のである。

午後2時頃、例のダイワハウスというネームプレートを付けて、本田飛行場から来たグラーフツエッペリンがタワーの上に登場した。
ふだんだと、この風船は、ヒルズの南をまくように飛行して桶川に戻るのだが、今日の飛行はいきなり高度を上げて、森タワーをジャンプしていった。

それでつくずく、「50」の文字の付いた東京タワーを鑑賞したのである。
自分の11歳の時のことだ。その前の年にニコンSPが登場したわけだが、自分の距離感では東京タワーは遠い所にあった。それよりも日本TVの放送網の塔の方が身近だった。
東京タワーは音羽から見れば遥か南方だけど、日本TVのそれは音羽からそれほど遠くではなかったからだ。

当時の東京の低い甍に対しての東京タワーの威力は今では、推測すべくもない。
せいぜい、東京タワーと格闘する古いゴジラの姿に往時をしのぶだけである。

最近、東京タワーが頭に入ったのは、en-taxiのおかげである。
地下鉄の中吊りでリリーフランキーさんの同名のタイトルが眼に入った。リーさんは知り合いの大写真家であるが、リリーさんはてっきり女性だと思っていた。男性であることを「発見」したのはずっと後のことだ。

似た例に、パリの著名写真家izisが居る。スイスカメラ誌で同じ号にあたしはポートフォリオを掲載した。izisが巻頭であたしがラストなのだが、かの写真家は女性であることを知ったのはかなり後になってからだ。

東京タワーのご縁で福田和也さんの「あの写真部」とかen-taxiでの連載の関連もできた。次回のen-taxiでのあたしの「東京大周遊日誌」はその第二東京タワーの話を書いた。これはもうすぐ発売だ。
その意味でも、東京タワーには足は向けて寝られない。

スーパースピードグラフィク4X5

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3年前の7月にebayで購入した、スーパースピードグラフィク4X5がカメラジャングルの深いところから「発掘」された。

インボイスを見ると価格は355$。差し出し人はPat Salate氏で、差し出し地はLost Creek WVとある。うーむ、あの田舎のおっかあの待っている、ウエストバージニアか。
このカメラを買った犯行の動機はレンズに90ミリのオプターが付いていることだった。

あたしは広角使いであるからスピグラの標準レンズ135ミリではちょっと長過ぎるのだ。それで買ったままに忘れていたのが今回、出土したのである。
同型のモデルはすでに数台もっている筈だが、今は岡山のチョートク固執堂にある。他にもプラハのアトリエにあるのだが、やはり数年ごとに4x5のスピグラを使いたくなる。

4x5のプレスカメラにはリンホフスーパーテヒニカのあるが、しろうと衆は間違ってリンホフを買ってしまうのだが、あれは本来、三脚上で操作するカメラなのである。だから、一日中、ハノイの下町、裏町を徘徊するような撮影には、スピグラがベストである。テヒニカは重いので終日はぶら下げて歩けない。

堀出したスピグラは最終モデルなので、ソレノイドでシャッターがきれるようになっている。そのバッテリーは国内では手に入らない、EVERREADYの412というやつで、なんと22、5Vなのである。これを2本直列にするのだから、45Vである。すごいねえ。

カメラの脇の赤いボタンを押すと、ソレノイドでシャッターを切る、その力まかせぶりがいかにも超大国だったアメリカのカメラのイメージだ。
そのバッテリーは中古のスピグラより入手が困難のなので、8年ほど前にアメリカのカメラ店からまとめて買った。そのストックの中の2本を入れたら、ちゃんとシャッターがきれた。

それに感動した。

日本のデジカメだと3年たったら電池がもう使えないというのがあるが、アメリカはその意味ですごい。それで早速、手許にある期限切れのEPRで撮影し、ビックカメラ経由でホリウチに現像に出したらよく写っていた。無論、露光は勘なのである。そのフィルム代だが1枚が300円。現像は345円くらい。1970年代の日本デザインセンター時代にも、似たような価格だった。つまり40年近く経過して値段の変わらないもののひとつである。ほかに変わらないのはカメラ雑誌原稿料くらいなものか。

この前、4X5のスピグラを真面目に使ったのは、あれは2000年だったか、ハノイの猛暑の下でカメラを振り回していた。
それで、おくればせながら、また東京でスピグラを振り回してみたくなった。

2008年12月22日 (月)

プラハのアトリエの天窓をgoogle mapで見た

Rimg1185 Rimg1189 Rimg1188_2しばらくプラハに行っていない。
それでgoogle mapでアトリエを空中から見た画像を出してみた。
自分の写真集にもある画像であるが、この窓の大きさは長片は2メーターほどなのだから、大変な解像力だ。

8個ある天窓のうち、右の6つがスタジオであってそこに起居している。その二番目の天窓から、天気の良い夜は双眼鏡で星を見ているのである。
左の2つの天窓は、バスとキッチンの小さいのだ。

数年前まではこの戦前の建物は天窓が開かなかったけど、今は大改修されて「安手のデザイナーマンション」みたいなインテリアになってしまった。

以前は1月などは寒くて棲めなかったが、天窓がモダンになったので、気密が良いから最近では冬も大丈夫だ。

しかし、9000キロはあるのだ。ここへの行き方というのを検索したら、このようなメッセージが出た。
マップを地球規模で見るに、その間には中国やらモンゴルやら、カザスフタンやらウクライナやら、ロシアやらが「立ちはだかって」いるのである。
どうも、プラハは近いのか、遠いのか混乱してしまう。

2008年12月21日 (日)

紅旗の箱とその中身

文化大革命の一大旋風の勢いで登場したのが、この紅旗だ。このカメラは何度も手にしたことがあるが、所持したことは一度もない。これは例のドイツはニュルンベルグのフォトアルゼナルがebayに出品している商品である。

なにが感激かと言えば、「紅旗」の元箱を初めて見た」。

これに尽きる。ライカの箱、コンタックスの箱、ニコンの箱などは、捜索すれば発見できる。しかしこのカメラは200台といわれているけど、果たしてどれだけの箱がこの世の中に残っているであろうか。116129c 116130 カメラと3本のレンズのセットは長らく、北京の新華社の購買部にあった。それが見たくてわざわざ北京に行ったこともあったのだ。北京の知人を頼んで、このカメラを捜索してもらったこともあったが、あるにはあるが、どうもその価格が「舞台から飛び降りる」には中途半端な価格なので、結局は手にしなかった。

もうひとつの理由は、このカメラはシャッターが壊れていることが多いのである。

それに、これは大事なクラシックカメラの魅力の一要素なのだけど、本体の張り皮がはがれているのが多い。これは幻滅なのである。

要するに、中身よりもその箱の方に興味がいっている自分は、これは正常ではないと理解できるわけである。カメラの箱は危険な存在である。

2008年12月20日 (土)

デジタル一眼レフ○×▲号のごみ問題、年内解決す

Dsc07240
この秋、以来、懸案になっていたのが、愛機○×▲号のごみ問題であった。
この作例のように、画面の端にうっすら影が出ている。

実際に仕事の撮影であれば、こんなのはカリスマレタッチャーさんが取り除いてくれるのであるが、やはり気分のよいものではない。

ごみはつかないに越したことはない。

この○×▲号は1000頁の写真集「チョートク海をゆく」でも大活躍したのだが、この9月にロシアに行く前に機材検査をしたら、画面の右下にうっすらと影がある。

健康診断でレントゲンでなにかがひっかかったようなものだ。
まずいことに、修理を依頼するにも、捨ててはいないのだけど、大事な保証書が発見できない。

それでプロの特権を「不正利用」して代替機を借りた。

その時に具合の悪い○×▲号のごみを吹き飛ばしてもらおうと思って、その部門にお願いしたら、これは撮影素子の傷のように思えるから、保証書を持ってサービスセンターに往ってくださいとのことだった。

メーカーさんのこれはまさしく正論である。

しかし保証書がないので、そのままずるずると年末を迎えてしまった。
メーカーから拝借した○×▲号の代替機はそのままなので、申し訳がないと思ううちに年末になってしまった。
それで思いきって、暦のお日柄と天候を見極めてブロワーで念力を入れて掃除した。

果たして!
ごみは吹き飛んだのである!

撮像素子の問題ではなかったのでよかった。
それで長いこと拝借していた○×▲号の代替機を今日、返却することができた。
持ち越しの機材の問題が解決したのでこれで安心してプラハにゆける。

以下がごみが「離陸した後」の方の作例。
カメラは○×▲号。レンズはタムロン18ー250ミリである。

この秋のロシア取材の内戦状態で、レンズフードは割れてしまったのを、セロテープで補修してある。これがプラスチックの素材の便利さだ。

これが金属製ではなかなかセロテープでは補修できない。そのフードに「フォト」とロシア語のステッカーが貼ってあるのが自慢。

これはモスクワ近郊のスズダリで撮影した時、「カメラ持込料」を支払ったという証明なのだ。愉快だったのは、ズームレンズの「でっかいの」は、撮影料が高いことだ。

それでタムロンの18-250を一番短い状態にして、料金を払った。

Dsc07248

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2008年12月19日 (金)

黄昏の下を歩行

Rimg1080 Rimg116412/15。
佃で仕事をして夕刻から板橋方面。
これがヒルズで仕事の後、夕方から板橋というのは、なかなか行きにくいのは何故なのか分らない。

それで締め切りの原稿は佃で書いて、まだ日の陰らないうちに家を出た。
有楽町のビックで4x5のフィルムを4枚現像依頼。
3年半ぶりに開封したebayの包みの中に、スーパースピードグラフィックが入っていた。
レンズはオプター90ミリなのでこれはスナップショットに好適だ。
そのテスト撮影のテスト現像である。
デジカメの時代に、4x5のフィルムホルダーを持参するのは、なにか「写真を大事にしている」という感覚が「奥ゆかしい」ところがある。
三田線にて、黄昏の板橋区泉町、大原町、小豆沢などを徘徊する。

空は真っ青で、夕日が奇麗で丸天井という感じだ。つまりあまりに人工的な夕暮れであって、東急文化会館のプラネタリウムのドームと相通ずる。
人工的な感じがあるのに、それが実景であるわけだから、なにか頭上に荘厳なものが満ちているという予感がする。

だんだんに空がフェードアウトして、前景の蜘蛛の巣状の電線の上にビーナスがひかかっている。

拡大してみたら、ちゃんと丸く星の像が写っている。 R10の描写力、おそるべし。

痴漢もでないトプコン通りの楠に行く。今年2度目か。
トプコン本社のクリスマスのイルミネーションの前を通り、浜出屋。

2008年12月18日 (木)

忘年会@銀座

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17日夕刻。
リコーのえらい人たちと(Y浅、F森、Nguの諸氏と)坂崎さんとあたしで、銀座で忘年会。
集合場所は銀座三愛ビルの9fのリコーのリングキューブ。森山大道さんの展覧会の開催中。なかなかの展示でよかった。ドーナツが迷宮状態になっているのである。
その展示部分のラストの空間がミラーになって、銀座の「実景」が反射するのである。

昨年の12月18日にリコーのえらい人と横浜で忘年会があった。
今年の1月16日に偽ライカ同盟の新年会兼、坂崎さんの引き伸ばし機移転計画で、土浦のさかいさんのところで、暗室をした。
それで今年の忘年会である。
もっぱら、最近のデジカメのはなし。クラシックカメラの話し。リコーのえらい人はフォークソング博士の坂崎さんに日本のフォークのはなしを聞いていたが、こっちはその当時、ウイーンに居たので、だれがだれだか分からないのが残念。
坂崎さんは今年はあと3回の公演があるという。

石川は能登の「のどぐろ」を食す。この前、新潟の光琳で食べた以来だ。美味。

恒例により(昨年のそういうのがあった)坂崎さんの「ギター手」を見せてもらい、観賞する。本人の弁では右と左の手のサイズが「ギターのおかげ」で大きさが違いという。ほんとだ。
レノンとかクラプトンなどもそうなのか。

午後10時に散会。

ながーーーーーーーーーい、双眼鏡

Binocular1 Binocular4 伊太利亜の車にううつを抜かすのは、かなりの病気のようだが、自分は免許はもっていないので、その心配はない。

しかし、勝間光学の一件、以来、双眼鏡の病気である。

この病は7-8年前に一度あったのが最近では平静だったのがまた再発したのである。

伊太利亜のカメラなら、ガリレオ社だと思っていた。

GAMIなどはその代表であるが、35ミリRFのコンドルも悪くはない。同じガリレオ社の双眼鏡でこんな「とんでもないスタイル」のがあった。

これが軍用というのであるがまさか塹壕の中ではつかえてしまってつかえないであろう。

それでも最初にデザインから入っ行くのはさすがイタリアンデザインである。

これはebayのセラーの出した画像であるが、その双眼鏡の長さを表現するのに、ワインの壜を並べたのはさすがである。サイズは38x50。38倍の対物50ミリだから、かなり使いにくそうだ。そこが気に入った。

危ういデザインなのがよいが、真ん中からぽっきりゆきそうだ。Binocular3

2008年12月17日 (水)

「本物」のニコンSP+モーター

116143 ドイツはニュルンベルクのフォトアルゼナルの最近のebayでの出品物はなかなかレベルが高いので、ウインドウショッピングを楽しんでいる。

これは「本物」のニコンSPにモーター付きである。

先週、登場したあたしのもっているSPのモーターつきは偽ものというのはちょっとかわいそうだ。

つまりSPは本物だし、モーター部分は日本のどこかの飛騨の匠が製作したもので、これはニコンFのモーターを「切りちじめて」製作したのである。

もともとSPが進化してFになったのであるから、そういう整形手術は可能であるらしい。

先日、なくなった写真家で、作品「newyork is,,,」でロバートフランク氏から60年代に絶賛された人の大昔のポートレートを見ると、SPのブラックにモーター付きで、このバッテリーパックを首からぶら下げている。これは戦闘的であって実に60年代の「いなせなニコン」であった。

ただ、この単2を8本だか入れる電池ボックスはなかなか重くて大きい。あたしの「SPとモーターのレプリカ」の場合には、これを買った店で、後日、ニコンF用の直結式バッテリーケースがでて、これは接点をSPのモーター用に改造してあるのだ。

実に「かゆいところに手の届く」ような品物である。かなり高価であったが、これも手にいれた。ところが最初は調子がよかったのだけど、どっかがショートしているので、バッテリーが破裂しそうになる。それで目下、使っているのは手製の単三が6本入る小さいバッテリーケースだ。

しかしカメラとバッテリーをケーブルで結ぶのは面倒でもある。

それで最近はモーターをつけたまま手巻きで撮影している。モーター付きのSPの撮影は手巻きに限る。

2008年12月16日 (火)

「モダンアート」としての中央大橋

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しばらく前の日記にも書いたけど、眼前の中央大橋は来年の3月まで、塗装の改装中だ。

なんでも1億4千万ほどの費用でそそれは全部都の費用から出ているそうだ。

それはともかく、夕刻から午後10時まで点灯していた大橋は、今は夜は闇の中であるのははなはだ面白くない。

補修用の足場などでデコレーションされているその姿は東京にある数多くのクリスマスツリーなどよりずっと高級である。

こうなると、橋が一種のモダンアートである。

材料費をけちって製作を余儀なくされている、モダンアートの使徒はその意味で悲惨である。

びっくりしたのは、その作業の早さだ。先々週の金曜に仕事で神戸に行くとき、タクシーでその下を通ったときには、まだ以前の白い塗装であったのが、神戸から戻ってみたら、すでに、あれは下塗りなのであろうか、例のオレンジ色っぽい赤の塗装になっていた。

それで納得していて、一夜明けてみたら、こんどはその上塗りなのであろう、橋の上の方からまたグレーに塗装されてその下塗りの赤い色はすでに橋の足の部分にわずかに残るのみである。

これが先週の金曜の朝であって、茅場町のクリニックに出かけるとき、今度は徒歩にてその音叉のような格好の橋の基部の前を通ったら、数人の作業の人がすでに橋脚の一番最後の部分をグレーに塗装するところであった。

そのような迅速な作業にもかかわらず、作業の予定は2009年の3月に終了というのだから、きっとこれからさらに上塗りが重ねられて、人間国宝が作る輪島塗みたになったら、さぞ面白いであろうと思う。

これは巨大な橋である。下から見たショットはリコーR10で撮影したが、佃の部屋からのショットはエプソンR-d1sにノボフレックス640ミリでの撮影だ。35ミリのフルサイズの換算なら、約1000ミリの超望遠撮影である。もともと、この長いレンズは、アメリカから400ミリとのセットで手に入れたが、望遠レンズとしての必要十分条件を備えている。つまり軽くて、フォーカスがあわせやすく、さらになかなかシャープである。このように足場は細かく仕切られていて、その中に上下を連絡するためのはしごが見られる。これは640ミリの威力であって、肉眼ではなかなかに識別は困難だ。Epsn2354

2008年12月15日 (月)

KCチョートクカメラコラム

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★銀塩クラシックカメラ
銀塩フイルムをデジタルで複写する

連載中の日本カメラの「一眼レフの王国」は2009年で60回になった。今までは35ミリ一眼レフの話しが多かったが、いよいよ6年目に入ったので、中判カメラ、それに映画撮影機なども紹介したいとやる気になっているのである。

ところで問題なのは手許の現像した16ミリ映画フイルムだが、これは100ftの長さがある。
連載では以前はその必要な部分をカットして編集部に渡していたのだから、フイルムをちょん切ってしまうわけでこうなると映写機にかけることができない。南中する満月をアリフレックスに640ミリの超望遠で撮影したカットなどを上映できないのは残念だ。
それでカメラジャングルの中から、かなり前に買ったエイコール製のスライド複写チューブを発掘した。四ッ谷のがらくたやさんで買ったのであって、価格は800円だった。

これは35ミリのスライドを1コマ分複写する装置だが、フイルムのカメラで撮影していた時代には実に使いにくいものだった。これをα200に付けてテストしてみたら実に便利である。デジタル画像に変換するのはスキャンするのが普通だけど、このようにアナログの光学系の複写もかなり使える。
しかも期限切れの大昔のコニカクロームはフォトショップで補正したらそれなりの色合いになった。

★デジタルカメラ
発見した24MBのメモリを活用する

この前には神戸に撮影に行って、それが2回続いたわけだが、ロケハンの時には4GBのカードを3枚撮影して現場でデザイナーさんに渡した。本番の時には、8GBのカードを2枚撮影して、これも現場で渡して戻ってきたのである。

そうなると手許には1枚のCFカードもない。預けたCFカードはそのうちに手元に戻ってくるのであろうが、手持ちには1枚のカードもない。これは不便だけどさらに買い足したところで結局、あずけたカードが戻るのだから何か買っても損のうような気がする。

がらくたをかき回していたら、大昔のCFカードを発見した。なんと24mbなのである。
さっそくフォーマットしたらちゃんと使える。上の画像はそのクラシックなカードで撮影したものだ。撮影枚数は20枚ちょっとほどであって、それ以上は撮れないのは不便のように思うかも知れないが、ハッセルブラッドで220のフイルムを使っていると思えばなんでもない。

当分は、カメラジャングルに埋もれた大昔のカードを発掘して使うことに。
カメラはクラシックカメラ、カードもクラシックなのに限る。

ノクチルックスF0.95を超えるf。ライツのf0.85レンズ

116203 フォトアルゼナールというのはドイツはニュルンベルグにある、クラシックカメラ店である。

ニュルンベルグには、20年ほど前に、取材で行ったことがある。

ニュルンベルグのマイスターシンガーには会えなかったが、町はずれに小高い岩山があった。

あれは何であったのだろう。

軍事法廷のあった立派な建物の前で、カメラを向けたら番兵にしかられた。あのあたりでは戦争はまだ終結していなかった

らしい。

そのアルゼナールは最近ではインターネットショップで盛んにやっている。

店主はボリスというのであるが、7-8年前だったか、息子が生まれたお祝いに40パーセント引きという大盤振る舞いがあった。自分の目をつけたのは、コンタックススペシャル(コンタレックススペシャルではない)というカメラで、これはコンタックス2型をさらにモダンにしたプロトタイプなのである。レンズは60ミリのゾナーf1,5が付いていた。

これは秘密警察がターゲットを撮影する特殊カメラなのである。だから50ミリの標準より、10ミリだけ望遠レンズである60ミリが付いているなどは、いかにも「人間的」だ。

そのコンタックススペシャルは、40パーセントオフの時期を逃してしまって買えなかった。

代わって登場したのが、ライカM3に固定された(レンズ交換はできない)この75ミリf0.85レンズである。同様のレンズはアメリカの空母での発着の記録用に使われたことがある。

巷間、新しいノクチルックスが話題になっているけど、ライカもどうせやるならこのくらいの「でっかい」ことをしてもらいたい。

このレンズを見て、あわてて、上のカメラ店に連絡する方のためにアドバイスすると、まず、レンズはM3に固定されていて、M8にはつけることができない。製造番号は50万台である。

二番目に、RFには連動しない。巻尺で距離を測る必要があるが、これが本格派であるのはいうまでもない。

でっかいことは、ビッグマックにだけ任しているような時代ではないのだ!

2008年12月14日 (日)

37回目の結婚記念日

Rimg09431971年の12月14日に、目白の東京カテドラルで式をあけた。当時、駆けつけてくれた友人知人を思い出すに、東京カメラクラブの田村代表とか、写真家の稲越功一さんとか、もう大家ばかりで恐れ入る。

最近、仕事でお付き合いのある皆さんなどはまだ生誕していないような「先カンブリア紀」の昔である。

式場の東京カテドラルだって、まだ完成したそれほど時間が経過していなかったから、外部のステンレスはぴっかぴっかだった。それが昨年だかに、大改装をしたのである。
実に37回目の結婚記念日だ。これだけ人生を長くやっていると、周囲には再婚とか再々婚の人も居ないことはないが、あれは大変なエネルギーと金力が必要だ。
自分など日々の仕事でいっぱいいっぱいなのだから、そういうのはとんでもない話だ。
家人とは、「性格の不一致」という点ではかなり前から一致した意見であって、性格の不一致は離婚を招来するかも知れないけど、その不一致を確認しあっていれば、それは「症状」として認識することができる。
それぞれが勝手放題をしていたので、目出たく37回目の「討ち入り」になったわけだ。
世の中、結婚記念日をだんなが忘却してかみさんに団交されるケースが多いけど、うちの場合は、討ち入りの日だからよもや忘れる心配もない。

何時も、ヒルズには裏口から入っているのを、ひさしぶりゲートの方から入った。こっちからのアプローチはかつての麻布日が窪の時代の土地の高低が良くわかる。
シネマのクリスタルパレルがプリズムの働きをして、タワーの前の日陰に見事な虹が投影された。

プラハでよく通ったシネマカフェというのがあって、その店には古いアリフレックス35が据えてある。このカフェはもうないが、その建物はアールデコ様式なのだ。それで、ホーフの上から日光が射すと、クリスタルの窓で分光されて、白い大理石の壁に虹が投影される。
これはプラハのことだが、六本木もなかなかのレベルである。

2008年12月13日 (土)

原稿用紙に文字を打つ

Rimg0600_2稲垣足穂ファンとして、新宿の横寺町を徘徊していて楽しいのは、そこらで足穂先生に遭遇できるとは思わないが、ひょっとして彼が日夜の原稿用紙の代用にしていた、映画館のチラシなどが街の角などに今でも束になってぶら下がっているのではと錯覚する点に楽しみがある。

足穂はモク拾い(このタバコだけは、現代のファッションから外れているのがかわいそうだが)のかたわら、ムービーホールのチラシと、赤城小学校裏で拾ったチビ鉛筆で二階の六畳の何もない部屋に腹ばいになって、珠玉の文章を磨いていたわけだ。まさに王道の文学。

下書きができると「無理算段」をしてコクヨのペラとインキを手にいれて、これを清書して少し残っただけのインキ瓶には水を足して、これを持参するとまたも質屋でいくばくかのあわもりの資金を貸してくれるという路地裏の錬金術師でもあった。

あたしは雑文を書いていると、どうしても長くなってしまう。それが見開きの読みきりとなると編集者に迷惑をかけることになる。目下、使用中のPCは自分の嫌いな「中にインテルの入っている」デルであるが、仕事のためには今時、好き嫌いはいえない。これはライブラリから借りているマシンなのだ。

そのソフトの中に原稿用紙の割付ができるのがあって、大昔にはNeXTでクオークで原稿書きをした当時には及びもつかないが、それなりに便利なので使ってみるとなかなか速く書ける。これで欄外に「鳩居堂」とか「コクヨ」などと入れば、その気分はさらに満点だ。

それがさっき、1文を800字で書く予定で、延々と仕事をしたのだが、どうも筆の進みが遅いのである。要するに、原稿用紙の40行でぴったり800wなのであるが、それがなかなかに進まない。気が付いたら、原稿用紙の割付画面ではなく、通常の1行が40字詰めになっていたのに気が付いた。つまり予定の倍の1600wを書いていたのである。

あたしの文章は意地が悪いので、削られることを拒否する。変に削ると意味が通じないイレコ構造になっているのだ。しかし今から削るのも面倒だ。

また編集者さんを困らせてしまうことになった。

2008年12月12日 (金)

ちょか、で、東京大周遊

Rimg0599 先週のいつであったか、すでに記憶があいまいだが、神戸行きの前の前の日の快晴の日にen-taxiの連載の東京大周遊を行軍した。

その内容は12月末の本誌にごらんいただくとして、そのときに持参したのがこの「ちょか」である。本来はchiyokaというのであって、数の少ない国産ライカコピーカメラである。これを手にいれたのは、10数年前、まだ銀座のすきやカメラが、マツモトキヨシの8fにあった当時で、オークションで買った。値段は忘れたが、そんなに高価であった記憶はない。

同じようなライカスタンダードのコピーカメラには、英国のReidがある。これは本家のライカスタンダードより高価だけど、この「ちょか」についても、そのオリジナルよりは高い。

自分の「ちょか」であるが、ファインダーはその窓枠がちょっと厚めにできている。その理由は不明である。軍艦部分はこれはライカスタンダードそのものであって、見分けのつかないほどだ。シンクロ接点のついているのが、「ちょか2」で、これが自分のカメラである。その前のシンクロの付いていないモデルはさらにレアであるが、もともと200台くらいしかないカメラであるから、レアだ、レアだと騒ぐほどのものではない。

レアモデルで人気のあるカメラはせいぜいが3000台ほど製作されて、市場に出回っていないと、レアである認識に至らない。つまり価格の高いレアカメラは「一般向けの数」がないとなかなかレアの看板を掲げることができないのだ。

東京大周遊では、出発前には各種のカメラの携行を予定していたが、出発1分前になってそれまでの予定をキャンセルして、この「ちょか」(正確にはその2型)をもった。

レンズはそこらにあった、子品の25ミリ。ファインダーはこれもそこらにあった、ライカマークの子品の21-28ミリ。これは10年ほど前にアローカメラ我楽多屋で買ったものだ。

結局、フィルムは1本(安いカラーフィルム)撮っただけだが、その描写はなかなかのものだ。別に「ちょか」が優秀なのではない。レンズがモダンだからよいのだ。Fh020009

こういうライカスタンダードタイプのカメラで町を歩行すると、なにやら町並みの真実が見えてきそうだ。

作例は「ちょか+25ミリ」
墨田区。

2008年12月11日 (木)

ヒルズ49Fから

ヒルズの仕事場は一応、フリーアドレスになっているのであるが、長年(すでに5年以上)もいると、なんとなく座席が決まるものである。自分の場合には、一番窓際であって左に大東京が観覧できる。Rimg0028_2 Rimg0026 ちょうど、飛行機の座席でも左側の窓がすきなのであるから、こういうのは一種のすわり癖というのであろう。

仕事に疲れると、勝間光学の10x40の双眼鏡で東京を観察して楽しんでいる。

時には、このようにコンパクトデジカメを双眼鏡の接眼に密着させて撮影する。

なかなかのシャープネスなのは、デジカメがよいのか、双眼鏡がよいのか。

多分、その両方のパワーがミックスしているのであろう。

マンハッタンにはセントラルパークがあり、ウイーンにはシュタットパークがあるが、49fから眺めると、東京の場合、皇居の緑は実に息がつけるよい環境だ。

それ以外の地域はここから見るに、いけばなの剣山か、ヤマアラシが針を立てたように見える。

したの画像のまん中のしおどめのタワーの左が、寓居である。5年前まではその右のタワーの最上階に居た。西向きの部屋からは、黒川紀章の中銀カプセルタワーを前景にして、その先に森タワーが見えた。それを重ねて撮影するには、エクレールNPRにキノプテイクの300ミリで、超望遠撮影をしたこともある。このフーテージはなかなかのものだった。

一方で、仕事場がベランダから常時見えているというのは、なにか落ち着かないものだ。

それで5年前、今の寓居に越してきた。ここは、北西向なので、見えるのは筑波山であって、「仙境異聞」などに思いを寄せることができる。

朝、筑波が紫色の見えるのなどは、富士山などよりずっと高級である。

2008年12月10日 (水)

八重洲口大丸の野口琢郎展をみにゆく

Rimg0603 野口琢郎とは、京都の野口康の次男のことであって、野口とは「箔屋野口」の何代目かの当主である。

その息子、琢郎が大丸の10fで「箔画展」を開催していて、それの最終日の火曜にヒルズに行く前に見に行った。http://takuro-noguchi.com

ウイーンなどでは、ファインアートとクラフトアートとは、厳密に区別されていて、前者はビスデンデンクンスト、後者はアンゲバンデクンストというのであるが、野口の仕事は伝統工芸の箔屋さんでありながら、その先にファインアートを視座に見据えているのが手柄である。

ただし、この見方は日本での見方であって、それは少なくとも欧州では通用しないのである。だれも、エゴンシーレを工芸美術家とは思わないし、ヨセフホフマンをファインアートとは思わないわけだ。

野口琢郎展のギャラリーの外に展示された大作は、金の使いがそのまま、クリムトめいてなかなかのファインアート領域に攻め込んでいるのが判断できて、これはその先の空間に入って行ける感じだった。

ただし、金箔の作品というのは、やはり薄明かりでみるものである。クリムトはやはりベルベデーレ上宮のあまり採光のよろしくない展示室で見るのが「正しい鑑賞方法」なのである。

改装なった大丸の高級感あふれる宝飾売場の蛍光灯の下で見るのは、ちょっと残酷だ。

2008年12月 9日 (火)

ニコンSPと写真工業誌

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写真工業が12月をもって休刊になったのは、なんとも残念な次第である。
思えば、60年代の中川一夫先生のライカの記事などは、それこそ「暗唱」する程に愛読したものだった。
カメラのメカ記事を愛誦するというのは、何か大正時代の文学青年が新体詩を愛誦するようなものであって、そこには、つきなみな言い方だが「ロマン」がある。

ドイツのライカの記事を愛するのは、これはさしずめ「独逸浪漫派」というわけだ。
1957年11月号の写真工業誌は、ニコンSPが「カバーカメラ」である。その表紙がモノクロというのも、モダンな感じである。

ところで1957年当時の時代感覚とはどんなものであったのか?
同じ号に8ミリカメラメーカーアルコの15000台突破サービスセールというのがあって、これには賞品がついている。
特等はオースチンの乗用車。

1等が電気冷蔵庫又は14インチ白黒TV、2等は電気洗濯機、又は自転車、3等がトランシスターラジオという具合だ。そう言う時代であったのに現代に見るニコンSPはまったく古めかしい感じがなくて逆に現代ののっぺりしたデジタル一眼レフよりも、時代の尖端に居るように見えるのは実に不思議だ。

左のニコンSPには25ミリのニッコールがついている。

これはカメラに内蔵の28ミリファインダーのさらに一回り周囲が写るという見当で撮影すれば、別にアクセサリーのファインダはいらない。
仕事だと、デジタル一眼レフで平気で一日1000枚とか撮影するが、仕事とはいえ、そういう撮影方法は写真の楽しみとはまったく別の環境である。

36枚撮りのフイルムを入れて、まあ、1日に一本というのが案外に写真の楽しみを味わえる良い方法なのである。

そのニコンSPの発売当時の価格は50ミリF1、4付(ケース含む)98000円。F1、1付は139500円。
大変高価なカメラであった。昭和32年の話しだ。

2008年12月 8日 (月)

神戸に行ってきました。

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神戸に行ってきました。
という名前のクッキーだ。
観光地のキッチュな土産の中で、これはトップクラスである。
こういうのがビジネスホテルのフロントの脇に置いてあるのは、ホテル側にジョークの心得がある証拠である。いや、別段、キッチュな効果を狙ったのでは無く、観光都市大神戸を紹介しようという、真面目な感覚なのかも知れないが、それはどっちでもいい。神戸は例の明かりを付けるなんとか云うお祭りにて、大混雑で交通渋滞だった。
値段がやすく、かさがあってしかも事務所に沢山スタッフがいても、お土産は全員に行き渡るという、理想的な出張みやげだ。

8日の間に一泊で2度も神戸に行ったわけだ。そんなことにはびっくりしていられなくて、仕事を一緒にしたM村さんは、その前の日に仏蘭西から戻ってそのまま神戸に来たのである。まずは大統領なみのスケジュールだ。

午前8時から午後4時すぎまで、神戸市内から空港、大阪湾を一望できる素晴らしい環境で、撮影。
スタッフは皆さん、寒い寒いと云っているが、マイナス25度の真冬のポーランドに比較すれば、実に暖かである。

話しは、戻るが、この御菓子は、タイトルの最後に、ピリオドが付いているのが、売りである。
「千円札は拾うな。」とか
「カメラは知的な遊びなのだ。」とか、ピリオド付きは流行したことがある。

「カメラは知的な遊びなのだ。」は、あたしの書いたアスキー新書のタイトルだ。
おかげさまで5刷になった。

カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51) (アスキー新書) Book カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51) (アスキー新書)

著者:田中 長徳
販売元:アスキー
Amazon.co.jpで詳細を確認する

あ、岩波書店の「晴れたらライカ、雨ならデジカメ」も、おかげさまで、4刷。

ご愛読感謝!

晴れたらライカ、雨ならデジカメ Book 晴れたらライカ、雨ならデジカメ

著者:田中 長徳
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年12月 7日 (日)

ライカインコ

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目下のライカインコは四代目である。これははじめての「女の子」だ。2005年の夏に「来日」してから、最初は男子か女子か不明であった。 それが1年3か月後の2006年の秋にたまごを1個産んだので、性別が判明したわけである。 それから多産系のこともあって、今までに産んだたまごの数は100個以上だ。これが有精卵だったら、インコの大発生になっているところだった。 先週、ライカインコは体調不良で静養していたが、一日で回復して今はまた「巣つくり」に頑張っている。 新聞のちらしを丸めて筒のようにすると、その中に入って中の紙を小さくちぎってこれを排出するのである。 偶然に家人がそういう筒を造ったのである。中に入ると「ぶうぶう」と鳴く。 これは不思議な音であって、ぶたの鳴き声のライブは聞いたことがないけど、「ひいおじいさん」はぶただったのではないかと思えるほどの声でこれが面白い。 佃で仕事をしていると、こういう次第になるので、やはり仕事をするのはヒルズにかぎる。

2008年12月 6日 (土)

スナップショット

R0010212若い頃からスナップショットをやっている。

17歳当時からであるから、もう半世紀近くスナップをしているわけだが、ようやく最近になってその「勘所」というのも変であるが、スナップの妙味のようなものが分ってきた。

誤解をとく為に解説しておけば、もともとスナップ写真には長年これを行うと「有段者」になれるというようなことはまったない。むしろ、その意識のない若い連中が心にしみ込むスナップを撮れる。

自分の場合、スナップ写真の洗礼を受けたのは、実はライカ名人の木村さんではなく、ニューヨークを撮影したクラインさんを自分の先生とするべきなのであろう。森山大道さんの個展が銀座の三愛ビルのリコーのギャラリーで始まったようだ。

大道さんの芸術はすでに古典芸能、あるいは人間国宝化しているのが、その見所なのだけど、これはご本人のせいではなく、時間と世界が大道さんの表現を認めているからなのだ。その意味では大道さんはスタイルをまったく変更しない「頑固者」であってその頑固さはまず写真家には大事な資質なのである。

かつて、大道さんの仕事が「反体制の旗手」であったと若い連中に説明しても、それが何なのか理解できないのは当然だし、あの幻の「プロボーク」などは復刻されるような情けない(というか有り難い)時代になったのである。

だから、ゴダールの五月革命当時のステートメントなども、今になって読み替え強いてみるとそこに「滋味」がある。

上のカットはGRDでカラーで撮影したもので、数年前の写真集GRDボックスというのに収録されている。カラーをモノクロ変換すると、いきなりそこに「スナップショットの風が吹く」のは、やはり我々がライカにモノクロという青年時代のスナップ定番の「目触り」に慣れているせいなのであろう。

自分の出版したスナップの写真集は沢山あるが、10年ほど前に出た、ライカM6でモスクワを撮ったモノクロの写真集。それとその前に出した「ウイーンとライカの日々」などが記憶に残る。

2008年12月 5日 (金)

KCチョートクカメラコラム

★デジタルカメラ

「フルサイズでRAWでお願いできますか」

仕事で神戸に通った。
打ち合わせではちゃんとした広告代理店の偉いアートデイレクターが来る。偉いと言ってもまだ若い。その若いというのは、自分がじじいであるから比較の問題なのであって、本当は若いのではなく中堅なのである。これは年令の距離感の問題だ。そういう場合、まず昔は「撮影はフイルムですか。それともデジタルですか」と打ち合わせの時に出る会話があったが、最近は「フルサイズでRAW」でお願いします、なのだ。

アートデイレクターは、画像のファイルサイズとその印刷効果は熟知しているから、JPEGの普通のサイズでも印刷効果は十分なのを知っているのだけど、やはり画像は最大サイズのRAWを要求してくる。その会社のクライアントの広告責任者の偉い人は、あたしのカメラ本の愛読者さんであって、以前にも雑誌とか新聞広告をコンパクトデジカメで撮影してそれで仕事をさせてもらった。

それはあたしが、カメラ本で「親の遺言でRAWは使わない」とか書いていたので、その政治信条を気ずかってくれての事かもしれない。
しかしこれは本音の所であっても、やはり広告だと「建てまえ」を重要視するのは、これは社会の掟である。
あたしとしては、JPEGを死守するほとの「政治理念」も無いので、最近ではクライアントさんの言う通り、フルサイズでRAWで撮影しているのである。

★銀塩クラシックカメラ

「黒川紀章さんのライカM6J」

黒川君から久しぶりにメールをもらった。黒川君は黒川紀章さんの息子さんである。彼は気鋭の写真家でライカR使いでもある。車はメルセデスのステーションワゴン。趣味は自転車だ。
この前に彼にあったのは、6年ほど前か、東儀秀樹さんとTVロケで夜の銀座をライカを持って歩行している時に声をかけてくれた。それ以来の再会だ。
「今は父の会社で働いています」とあるので、HPを見たら代表取り締まり役になっていた。
その黒川君がヒルズに遊びに来た。
聞けばヒルズに来るのは初めてだという。
「父のライカを持参します」とメールにあったので、どんなライカかと思って楽しみにしていたら、なんとM6ーJである。レンズはノクチルックスだ。
これは不覚だった。
黒川先生に最後にお目にかかったのは、2007年の8月8日で、講演会の後に51fのクラブの内輪の集まりで、あたしの好きな銀座カプセルタワーに関して質問を発したのである。その時に黒川先生がライカ人類であるとはまったく知らなかったのである。それを知っていればライカのお話もできたのにと今になっては残念だ。しかし、あのラストチャンスにライカの話しで盛り上がるよりも、今にして思えばやはりカプセルタワーの謎についてお聞きしておいたのは、正しい質問の仕方であったな、とも思っている。
「父のライカを整理していたら、全部、フイルムが装填してある。それも1枚か2枚撮ってそのままになっているのです」と、黒川JRはいう。
これは正しいライカ道である。
「RIMG0492.JPG」をダウンロード

窓からの眺め

Dsc_3820 佃の寓居は角部屋で北と東に開いている。
日本の価値観だと北はダメなことのようだが、カメラに直射日光があたることがないので好都合だ。

プラハでも古い古書店はみな、北向きにドアを開いている。別に日焼けして困るような骨董品もないけど、ライカとかがらくたカメラに直射日光が当たるのは困る。

直射日光が当たらないと困るのは、少年時代の「日光写真」である。名刺サイズのネガ(それには稚拙なイラストで鞍馬天狗とか、月光仮面の図柄)を取り出して、付属の印画紙と密着させて、日光の下で「焼く」のだ。
そのうっすら画像の出たのを、水道の水で洗った。
しかし、その印画紙が黒い像を出すのではない。単に、乳白色が薄い茶色になるだけなのだ。
音羽の通りの駄菓子屋で買った日光写真のセット、あれは偽ものであったのだろうか。と、それを買ってから50余年後に真面目に考える。

この部屋は午後は陽射しが当たらないが、朝は斜めにベランダに太陽が当たるのは有り難い。
マンハッタンのエンパイヤビルのすぐ南のホテルの20階でここは完全な北向きの部屋だけど、快晴の朝にはほんの5分だけ室内に日が差す。それが貴重で壁紙の上に存在する光を奇跡のように見つめたことがあった。
同様な次第は、パリはピガールのオテルデシャノアでもそうだった。この場合には2月のパリの薄ら寒い曇りの日が10日も継続した後で、ある朝、奇跡の快晴に遭遇したのだ。

佃の部屋からの眺めで好きなのは、完全の隅田川の中央大橋が夜にライトアップされる光景だ。
2LDKの部屋を廊下ごしに歩行して行くと、どの部屋の窓からも「ライトアップされた音叉」のような橋が見える。
その窓にそれぞれにライトアップされた橋が見えるので、部屋の数だけ橋があるような錯覚になる。
このゴージャス感はよい。

その中央大橋イントレ(建設現場の足場)が運び込まれたと思ったら、あっと言うまに、上の方まで足場がかかり、保護ネットが張られた。
なんでも来年の3月まで塗装の補修工事という。それで毎夜楽しんでいたライトアップは目下中止になっている。
おそらく、東京都は「工事中のみにくい姿を見せない」という意味で照明を中止したのであろうが、これはいらん心配である。
ネットをかぶった橋はモダンアートである。
それもそこいらのギャラリーの開催する「材料費をけちっている彫刻家」の虚弱な作品よりずっとクラスが上だ。

カメラはニコンD700に20ミリ。

2008年12月 4日 (木)

三保ケ関親方とカメラ大相撲

Rimg0050 Rimg0051 アサヒカメラ連載「カンレキからの写真楽宣言!」の2009年新年号で日本相撲協会審判部副部長、三保ケ関親方とカメラ大相撲を展開。
銀座のカメラ屋さんで「あ、今、親方が見えたところです」とか「元増位山関はライカがお好きで」とか、よく聞いていたのが今回、カメラ人類対談となった。

こういうカメラ対談では、取り組みの相手を見てこっちの力加減を案配するものである。つまりお相手にあったクラスの話をするのだ。

ようするに、力士が子供相撲にゲストで出た時のあの加減である。

ところが、親方はライカ稽古を充分に積んでおられるので、気力体力ともに充分で、しばしば土俵際まで追いつめられた。
親方のライカへの知識と稽古と技はかなりのものだ。

「ライカ金星」なのである。

それで「偽ライカ同盟」にも「入部を許可」したのである。偽ライカ同盟はあまり活動していないが、格式だけは変にあるので、「入門をお願い」するのではなく「入門を許可する」のである。これは英国王立写真学会の真似なのだ。

偽ライカ同盟には11月には岩波書店の山口昭男社長、12月1日には三保ケ関親方とこのところ「新弟子」が相次いでいる。
ありがたいことである。

築地の会場にところ狭しとばかり名機をならべてその前で撮影した。
野本編集部員はその撮影に必要なお正月飾りの調達に苦労したそうだ。それはそうであろう。もう鬼に笑われることもないが、まだまだお正月の季節ものは早すぎる。
対談は編集長、副編集長総出の「稽古総見」となった。

Rimg0049 その実況放送は新年号のアサヒカメラで。
対談では西の大関、東の大関という形で番付を作った。四股名は「ライカの数増位山」と、「イコン多長徳」というところだ。

優勝決定戦では、対戦相手の持っているカメラをひとつ、指名するのであるが、親方の指名したあたしの番付中のカメラは「本物のライカ人類の証明」なのでおもわずうなった。
そのカメラの話はここで書けないのは無論である。
それは親方の構えているツアイスのこのカメラのことではない。

2008年12月 3日 (水)

降誕祭接近す

Rimg0016 晴れた日曜の朝に、仕事でヒルズに行くとき、タワーのロビーを見たら、クリスマスツリーが目にはいる。

これがあるので、居住区ではツリーは飾らないしきたりである。せいぜいがピアノの上に到着したクリスマスカードを並べる程度だ。

思えば、がきのころには、毎年、ツリーの飾り物が押入れの奥から取り出された。ツリーは角の花やから買ってきた。飾りつけは母親の指揮のもとに行ったが、ツリーのトップにつける金色の球の「戦前の色合い」がすきであった。主に球形のデコレーションを形よくぶら下げて、あとは金モールだったかな。昭和30年代には一般家庭にはまだ豆電球のデコレーションは普及していなかったようだ。豆電球のデコは好きではない。ましてや、例のLEDのやつは、安っぽくていけない。

当時はツリーの周囲にプレゼントを置く習慣は我が家にはなかった。

その本格的なのを体験したのは、ウイーンのライカショップのペーターの所に記念写真を依頼されてイブの午後5時に彼のウイーンライカショップの裏手の工場を改造したロフトに行ったのである。

ここで、立派なクリスマスツリーの周囲に並んだ本格的なプレゼントの箱の山を見た。午後7時であったか、「家長」たるペーターが蝋燭に点灯して、それから晩餐が開始される。

その前に家を辞して徒歩で、シュテファン寺院のまうらのペンションに戻った。その時の町の様子は忘れられない。まるで戒厳令のような無人の街にイルミネーションだけが輝いている。

ペンションの自室に戻ったら、ホテル側のこころずくしの、クリスマスのお菓子がデスクの上に並んでいる。思い立って、グラーベンの裏手のオープンサンドイッチの老舗に行って、ちょっとサンドイッチを買った。ここはオペラに行く前に、ちょっとつまんでそれからsektを一杯飲んでオペラを聴きに行く店なのだけど、部屋で一杯やるためのつまみを買うのは初めてだった。シャンペンはすでに用意してあるので、部屋で買ったばかりのアルフレックスSR2を肴ににして祝杯を挙げた。

かなりよい気持ちになったころ、真裏の頭の上にあるシュテファン寺院の深夜のミサを告げる鐘がなった。

そこらの事情は写真集「CHOTOKU X EPSON R-D1」に記録されてある。

2008年12月 2日 (火)

新幹線ゼロ系

先週の神戸の戻りに駅で、すきやき弁当をかった。
いや、買ってもらった。
同行のプロダクションの若い人がそう言うのが好きで、新幹線ではかならず駅弁を買うという。それと一緒にデザートにはなんとか言うアイスを食べるのが習慣だという。こういうのはなにか吉田健一的でいい。
そのすきやき弁は、家人におみやげで持ち帰った。
紐を引くと、化学反応が起こってあつあつの弁当が食えるのである。
家での家人の感想が「まあ、駅弁の味」であって、あまり評価しなかった。

思えば吉田健一時代の戦後にはまだ食うものがなかったから、駅弁は無類の美味に思えたのであろう。

新神戸の駅で、30日にどこからどことかを走行する、ゼロ系(といったか、例の鼻のまるい最初の新幹線)が混乱する恐れがあるので、なるべくさけるようにとの告知が出ていた。
特定の型番の車両がサービスを止めるので、それでファンが沢山押し寄せるというのは、欧州ではあまり例がない。JRはそれでワーニングを出すのは親切とも見えるが、逆に混乱に拍車をかけるのではと心配した。

部屋にはTVはないが、月曜の「とくだね」にはカメラ好きの小倉さんとカメラ大好きの福田さんが出るので、家人の部屋で視聴料を払ってみせてもらう。

新幹線のビュフェの話しになって、居並ぶコメンテーター連中が昔はなしで盛り上がっている時に、福田さんは指を組み直して退屈そうだった。これが世代の違いなのだと思って、同時にそれがなにか良い感じだった。

30数年前のあたしは、新幹線が混雑している時に、ういすきのミニボトルで、名古屋から東京まで居座った口である。
それ以外の、ちゃんと席を確保していた時も、ビュフェにはよく行った。帝国ホテルとか、精養軒がサービスしていた記憶があるが、勘違いか。
いつも、麦酒の小壜に、ハンバーグ。大壜はなにかおやじっぽいからかならず小壜であった。それをやっていたら、隣の席に勝新太郎が坐った。
勝さんも同じ、麦酒の小壜に、ハンバーグ。

福田和也に水曜日にen-taxiの連載取材で会う予定だが、この話しは還暦専用だから、話題には出さないつもりだ。
Shinkansentype0

2008年12月 1日 (月)

ラブラドルの「五頭だて」

Rimg0014

神戸から戻っての週末、ライカインコ体調不良にてそれの看病で在宅。

夕刻にはライカインコ体調大体もとに復す。

かたわら、原稿書き。例のえい出版の「ローライワークショップ」である。
ダイアンアーバスが使っていた二眼レフはマミヤC3であった話など書く。

神戸で宿泊したオークラは眼前が神戸のタワーは良いとして、完全な空調は仕方ないが、少し前の設備なのでそれが部屋でコントロールできないのは痛い。しかも窓は隙間が開くはずがそれは非常用というのであけることができない。
こういうモダンだけ度ちょっと前のホテルは苦手である。いっそ、非常に古いホテルの方が楽だ。ランチに撮影現場で食べた、オークラのサンドイッチは往年の格式を守ってなかなか美味。ホテルに泊まって、そこのランチボックスを持参というのは、古きよき伝統であってなかなか稀な体験だ。

過去の世界中のホテルインスペクションの中で、一番気に入っているのは、イスタンブールのホテルALSARの301号室だ。ここはトルコの民家の安ホテルであって、向いはブルーモスクとヒポドローム広場、隣は最高裁判所である。
窓はちゃんと開く。窓の先はマルマラ海。ここに自主かんずめになって、本を何冊も書いた。3年も行っていないがまた行こうと思う。

佃で原稿執筆。
気分転換に、部屋の外部の三方ベランダに出たら眼下を五頭だての犬の散歩が通る。
それを勝間光学の6X30で確認してリコーのR10で撮影。
こういうショットはこういう感じでデジタルズームで撮ると、往年のフォーカス風だ。

これだけの大人数の犬の散歩は珍しい。
なにかイスラエルの曠野の羊飼いという感じがする。Rimg0013

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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