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2008年10月20日 (月)

快晴の東京大周遊

土曜。快晴。

涼風吹き渡る。ウイーンの秋に(これは9月だが)町に似たような風が吹いて、それはドナウのワイン畑の実りの季節であって、ぶどうジュースからワインになる中間のシュトルームという飲み物がありますの札が居酒屋に張り出される。これがウイーンの秋である。

本来は山になっている仕事を片付けにヒルズの49fに行かねばならないのであるが、この好天にじっとしておれず、東京大周遊。

9時すぎには佃を出る。カメラはローライ3,5fとコーワ6。フィルムはエクタクローム100.

本日はデジカメ(R10)は忘れたので、画像はない。

大江戸線にて蔵前。そこからが迷うところで、新東京タワーも見たいし、(どこまで建設されたのか、土台はどうなっているか)一方でその前の土曜に「福田和也とその一味」のあの写真部で踏破した西新井方面にも行きたい。

こういう場合は10円玉の裏表とか、ウイーン時代には1シリング銅貨の裏表で決めていた。

河口彗海がチベットに入るとき、難局になると瞑想に入って、選択肢を自然に聞こえる天の声で決めたそうだ。現代の騒々しい生活では、路上で瞑想などに入っては、老人の行き倒れを間違えられるし、交通渋滞、交通事故の恐れ大であるから、硬貨の裏表で決めた。これは30年来のやりかたであるが、今、自分がこのような「境遇」にあるのは、過去のドイツマルク、ペセタ、エスクード、フラン、シリングの硬貨の裏表の丁半の結果なのである。

ただし。かの彗海も人生の最後では昭和20年だかに、夜間に掘ってあった防空壕かなにかに落下して数日を経ずして落命している。これは自己瞑想の聖者であっても、路上の穴にはかなわないという点で実に教訓的だ。

それで本日の行き先であるが、コインは家にすべて忘れてきたので、都バスの蔵前駅にて3分待つことにした。正3分でバスが来なかったら、そのまま徒歩で最寄の地下鉄から、新東京タワーの押し上げに行くつもり。3分以内にバスが着たら、それを乗り継いで舎人ライナーで「荒野」を目指すのである。果たして、3分以内にバスがきた。

泪橋で日暮里行きに乗り換え、三河島で下車。前から気になっていた街角を撮影。バックがピンクのビルでその前に肉やと牛乳や(だと思うが何やだかわからないくずれかけた店)とその隣には樹木の生い茂った洋食やあり。そこを持参の6x6で写す。ローライは静粛に、コーワ6はばしゃりという音がする。

日暮里駅から舎人ライナー。荒野(本当は高野だが、老人は荒野を目指すほうがなにかとドラマチック)にて下車するつもりが、これも気まぐれにてその次のなんとか駅で降りる。

駅名失念。

その駅ははじめてかと思ったらそうではなく、大石記念病院のあるとおりだから、この6月に降りている。駅前に「コジマ電気」あり。初めて入店する。持参の120フィルムが少ないので、ここに120フィルムがあるとは思わないが、フィルム式の「使い捨てカメラ」(これ禁止用語)を買う。富士の製品で39枚とりで580円。これで一応安心する。この安心度は撮影行にはうれしいことだ。

デジカメを持参すると、その安心がない。なにしろ、R10で普通の画像で2GBで5000枚は撮れてしまう。「豊かすぎると野生がしぼむ」というやつだ。

鍵型小路を道に迷いつつ西新井から北千住に抜けるバス通りにでる。地元の有名キッチン、ラッキーに入る。先週の土曜は福田隊は一行が7名なのでここに入店できなかった。地元の皆さんのカンテイーナの感あり。

ハンバーグサンド。800円。なかなか美味。

かの稲垣足穂は食い物に関して書かない方面の最右翼であって、かのジョイスのユリシーズの中で、腎臓のバタ焼きを作るうまそうな描写だけが、この長長編の中で唯一の食い物の話であるとは、吉田健一が指摘しているが、足穂の場合、「明石」の一冊はあれは郷土のPRのために書いたのだから例外として、それ以外にはやはり食い物の話は出てこない。その中で唯一の例外は、馬込の九十九谷の衣巻省三のところに寄宿していた当時、大森かどこかのカフェで、それは犀星の取り巻きの関係であろうが「ハンバーグサンドイッチはうまかった」とワンフレーズだけあるのだ。

それを思い出してラッキーで同じものを頼む。果たしてうまかった。聞くともなく、地元の人の会話と生活の断片がわかるのはありがたい。「なんとかサンは、フィリピンパブが好き」とかそういう話題なのである。新聞をにぎわしている、ビザの不正発給をあわせて思い当りことあり。

かえりぎわに、合い席で向かいの50代の麦酒でポークチョップをやっていた男性があたしのローライを見て、「カメラが好きなんですか」と声をかけてきた。こういうのはいい。

扇2丁目の農道の跡を歩行。そこらで持参の120フィルムがきれる。2台のカメラが急に重くなる。

かねて用意の、コジマで買った「使い捨てカメラ」(これ禁止用語)で撮影。4年前に通過して、森の中の「よろずや」を苦労せずに発見して、らくらく撮影。土地勘さえまくる。フラッシュまでついているのはたいした機構だ。しかも感度は400。

1年前、福田和也さんとか田中陽子EN-TAXI◎編と田端駅北口で初対面の時、「スピード」の石丸元章さんが持参の3台の「使いすてカメラ」で撮影していて、それが実に粋であったことを思い出した。使い捨てだから、「ちぎっては投げ、撮っては捨て、、、」という豪傑談なのだ。

道に迷いつつ、舎人ライナーの扇大橋駅着。そこから日暮里方面にもどり、熊野前で下車。都電荒川線に乗る。モダンな舎人ライナーから荒川線への乗り換えは、ちょうど、モダンはボーイング777-200から、いきなりアントノフ2に乗り換えたような感じで、その乗り物のギャップ感を楽しむ。

三ノ輪橋で下車。写真館のある古い建物は通り抜け道になっているのだが、その左手の果物屋は1981年に8X10カメラで撮影。その右手手前のくぼ地に老婆が一人入っている新聞スタンドがある。これも30年来の店であるが、前を通ったら老婆がいた。まさか30年前と同じ人ではあるはずがない。ポルトガルのコインブラで、1980年の秋に旧市街のマーケットの真ん中に盲人のアコーデイオン弾きあり。その人を撮影した画像は写真集「ウイーンとライカの日々」に掲載されている。一昨年だかあるコンテストの審査でその同じ場所で同一人物が撮影されていたので吃驚。この場合、かのアコーデイオン弾きは年齢がプラス30歳になっているわけだ。

天才アラーキーの下駄屋跡を散策するが、空き地になっているようだ。

その先に実にクラシックなパン屋あり。それも奥が工場なのである。その機械をつくずく見るに、本物のクラシックなパン焼きがまであって、昔、ウイーンで見たのと似ている。1950年代のライカ製の幻灯機にも似てデザインだ。

印刷機はハイデルベルクスピードマスターがすきなので、わざわざ、写真集の印刷にはそのマシンのおいてある工場を指定したりするのだけど、自分の食べるパンのパン焼き釜もマニュアルマシンを指定するようになったら、その道のプロであろう。

入店して、店主と雑談。

なんでも先代以来、60年の歴史のお店で、立派なパン焼き釜は、先代のころに学校給食を支弁した関係という。「昔の釜は手動で、しかも鋳物が厚いから絶対に壊れません。最近のパン焼き釜は自動だからすぐに壊れます」とは店主のことばだ。なにかそれがマニュアル銀塩カメラとデジタルカメラに言葉を置き換えてもそのまま通用する。

お店では「シベリア」を売っている。@140円。カステラ地で餡をはさんだものだ。昭和30年代にはごくふつうの菓子パンであった。今では「懐かしいシベリアあります」の張り紙が出ている。

なぜ、シベリアというんでしょう?とあたし。

「おやじがシベリアで抑留されてたんです。なにかシベリア鉄道と関係があるみたいなんです」と、店主。

シベリア帰りでそのままパン屋さんになったのは大変な出世であったのだろう。

その先の町角で「なんとかパテイシエ専門学校」という小さいビルの前では女の子が暇そうにしている。食うためのパンと遊びのためのケーキ。時代ですなあ。

ついでにじじいの小言として言わせてもらうなら、日本の結婚式で「余興」として「なんとかパテイシエ専門学校」を出たばかりの女の子が白い仕事着で宴席に出てきて、愛嬌をふりまいてついでに自分で製作した食えないケーキを皆さんに振舞う、あれが嫌いである。

ミシュランの星付きレストランを取材した(ブルゴーニュで)自分の狭い経験でも、シエフはお客様の前に仕事着で出るようなことはめったにない。

泪橋から大林にいたるがまだ2時代にてお店は開いていないので、そのまま徒歩、金太郎すし。お持ち帰り1,5人を2つ買う。

都バスにて蔵前。大江戸線にて佃。

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