青酎
青ヶ島と云う所に行ったのは20年近く前である。田中角栄氏がなくなったニュースを青ヶ島の帰りに、大島空港でTVで見た。大島空港からはYS11で戻ってきたのであるから、かなりの昔だ。
それは何時であったのか?こんなことはオンライン検索すればすぐに分かるのだけど、あえてそれはやらないのに意味があると頑固に思っている。何年前か精確に知る必要などはない。20年近く前、それでよいのである。
最初は青ヶ島と聞いて、青島と勘違いした。これは別の島だ。羽田からジエットで八丈島に行き、そこから開通したばかりの東京シテイアイランドヘリでさらに南に40分。アエロスパシアルの8人乗りの高級ヘリであった。
伊豆七島の最南端の絶海の孤島。その先ははるか小笠原である。その時は芥川賞作家の某さんとJTBの旅という雑誌の取材だった。もともとは他の芥川賞作家の某さんとの予定だったが、その某さんの予定がつかず、一緒に行った他の某さんとに変更になった。こういうキャステイングのずれ、というのはよくあることで、それが不思議な人間の出会いというものだ。ちゃめっけのある某さんで、カメラマンのあたしの方がいかにも、作家先生の風貌で、作家の某さんは若いカメラマンという風情なので、「王子と乞食」ではないが、もともと面が割れていないのだから、お互いの立場を逆にしましょう、などと飛行中のヘリで打ち合わせをした。
青ヶ島のヘリポートは断崖絶壁上にあった。
着陸したその日はオンライン開通で郵便局からお金が引き出せるその最初の日であったので、「記念」に郵便局から1万円引き出してみた。島内を走行している軽トラックは全部品川ナンバーなのも珍しかった。
その夜は村長さんの家に泊まって、大歓迎を受けた。今はどうか知らないが、島民数は297名とかで、宿泊施設な当時はなかった。
その晩に呑んだ、焼酎が忘れられない味であった。
翌朝、村を歩行していたら、村民さんに挨拶をされた。怪訝な顔をしたら、「昨日のヘリで着いた方ですよね」と云われた。当時は人口が300人弱であったのだから、そういうわけである。
翌日から、伊豆七島をポップステップジャンプして、御倉島、神津島、新島と数泊して最終日が大島で、そこで田中さんの死去の報に接したわけだ。
御蔵島は鯨観察のメッカで、その天然水が旨いので、それをしばらくは送ってもらったこともあったが、やはり水の味より、酒の味である。
この間、片岡雪子がもときちとヒルズに来た時、片岡の持参したのが、この青酎である。往時が懐かしいというjこともあるが、それ以前にこの焼酎はなかなかいける。
その生産地に東京都青ヶ島村無番地とあるのがよい。

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コメント
原料のさつま芋、麦、麦麹というのがそそられます。
アルコール度数35度というのも、ホワイトリカー35度を「生」で流し込む身としてはもってこいの酒です。
青ヶ島行ってみます。
投稿: satobo | 2008年9月 2日 (火) 00時27分
私の元嫁が青ヶ島の出身でした。
伊豆七島というのは八丈島までを言い、伊豆諸島の最南端が青ヶ島と言う区分けなのだそうです。
余計な事ですが、青ヶ島と小笠原諸島の間に島は沢山あります。
ベヨネーズ、スミスなど大航海時代の発見者に由来した名前の島があるのが興味あるところです。
(鳥島だけは英語名が聞かれませんし、無人島になったのもそれほど古い話では無いようですが元来小笠原の島民は白人で日本に帰属するようになってから八丈島から入植させたと言いますから鳥島についても確認が必要かも知れません)
さて青ヶ島ですが当時でも民宿は数件あった筈です。
さて、島民が先生の事を何故記憶しているか教えましょう。
それはヘリポートが村民の集会場ならぬ井戸端会議場だからなのです。
この島は火口が海から顔出し、この火口の中にもう一つ火山がある世界的にも珍しい島だそうで、その地形の関係上平地が無いに等しいので自然とヘリポートに集まるのだとも聞いています。
焼酎は青ヶ島(青酎)と鬼ごろしがあったのではないでしょうか?
尚、郵便局長は平成になって自死されております。
因みに伊豆諸島で磯釣をしながらバルナックライカで写真を撮っているのが居たらそれが私です。
投稿: 無銘 | 2008年9月 2日 (火) 20時05分