佃月島
香港広州から戻って、金曜は静養。
PCを持参しなかったので、連載のアサヒカメラのキャプションがまだであった。それで明日が校了というので、あわててその部分を書いて送る。
あぶない、あぶない。
朝、銀行に用事。
その足で佃月島のお祭りの様子を見物に行こうと思ったが、老人が生活費を路上に落としたりする可能性があるのでいったん家に戻る。
そうなると、書きかけの原稿をまた書きたくなる。要するにPowerBookは「開けてびっくり玉手箱」であって、開いたらそこには自分よりももっと真実の自分の存在が待っているから、面倒なことになる。
3泊4日家を開けていた間にライカインコの卵の数は五個から七個に増殖していた。めでたし。
午後、広州などに比較すればはるかに涼しい街を佃小橋の側の「住吉さまの幟」を視に行く。
今はタワーが立ってしまったけど、江戸時代までは遡らないにせよ、1966年当時にここのお祭りをライカM2にニッコール21ミリを付けて撮影に来た時だってその幟の高度感覚は実に天を突くようであった。
前、37階に棲んでいた当時は、その幟ははるか下の方に見えたのである。ベランダからその光景をAaton LTRの16ミリカメラで撮影した。まず幟のはためく様を150ミリで撮影しておいて、そこからゆっくりとズームバックして、カメラはややパンアップして、聖路加とか大川を全景として撮影するのである。
まず、文化映画の退屈な常套テクニックだがそれを真剣に撮影させるほどに、住吉さまの幟は威容を誇っているのである。
そう云えば代々のライカインコが亡くなる時期は、偶然ではあるが、3年に一度の住吉さまの例大祭の時期にあたるのも不思議である。
三代目のライカインコが昇天したのも3年前のこの時期であったし、その前の二代目もそうであった。
小橋を超えて、月島には入る。
路地、路地を徘徊すると、あれは何の鳥なのか白鷺とも見える鳥の意匠のちょうちんが路地にずらりと並んでいるのは良い感じだ。
1966年当時、そのちょうちんの路地では路地裏のがき連中が大騒ぎをしていたが、2008年の路地裏はひっそりとしている。思えば当時10才の子供は今は52才である。すごいねえ。
ただちょうちんを軒にぶら下げている家。
雨を用心してビニールでカバーしている家。
半ずぼんのお父さんが、家の中からコードを引いて明かりのつくようにしている家。
それぞれのちょうちんの使いかたも視ていると面白い。
月島の店で、めじ、真鯛、あおやぎなど買う。これで加茂錦を「ひや」で一杯やる予定。
道を北にとってまた小橋のそばのお神輿の飾ってある場所と、獅子頭のある蘆張りのお神酒所の前を通る。
あたし年令の男性がライカM6を持っている。連れの女性はmoleskinmの手帳で何か記録している。外見からは
今風の「民族学」であるが、男性が何を撮影するのか、注意してみていたら獅子頭をクローズアップしているので、ちょっとがっかりした。
いや、そういうつまらない撮影方法だから、案外「柳田民俗学」に肉迫しているのかも知れない。
小橋を渡って、「人間国宝」のうるしやの先のクラシックな瓦屋根の前でTVクルーが撮影している。
NHKドラマのせいで佃月島が有名になるのは、地元のもんじゃ連には良いかも知れないが、あたしのような偏屈には迷惑なはなしだ。

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