ニコンS2のアメリカでのプロモーション絵葉書
ニコンS2使いは、自分の周囲で見れば、最初にこのカメラを使っていたのは、岡山の戸倉元である。1960年代後半の日大の写真学科の学生であったから、申し合わせ事項のように、Tシャツのタンガリーシャツベルボトムジーンズという中で、戸倉は一人、ストレートのジーンズという孤塁を守っていた。
その戸倉の肩からはすかいに下がっているのが、ニコンS2のクローム仕上げにこれもクローム仕上げの50ミリf1,4であった。
自分は1年先輩で、すでにM2のブラックを持っていたから、
Guen Tokuraquesなにするものぞ、と思ったのだが、戸倉はその翌年だかに、「退光現象」というタイトルで、個展をニコンサロンで開催した。たしかこれが。あたしに続いて日大写真学科で学生の「分際」で個展を開催した、第二例目であったようだ。
その影響で、戸倉はただ長髪なだけではなく、写真の方もなかなか挑発的であることが判明して、それから親交が深くなった。その後、30年ほどは離れていたのが、数年前にあたしが戸倉のスタジオの一角に「チョートク岡山固執堂」を開館した縁などで、最近はまたぼちぼちお付き合いがある。
上の1955年のニコンS2のアメリカのカメラ店のプロモーション絵葉書を見ると、当時、この無名の極東の敗戦国の目の釣りあがった連中の作った写真機をアメリカ人は別段「人種差別」をすることもなく、ちゃんと受け入れているのがえらい。
戸倉のもっていたニコンS2は実に金属的なシャッター音がした。それが当時の自分にしてみると、スナップ写真はスニーカーで歩行する必要があったほどだから、その甲高いシャッター音が腑に落ちなかった。
今でも、チタン幕になる前の布幕のシャッターがなぜにあれほど「乾いた金属的な感覚の音」がしたのか不明である。
当時のフォークソングエージの連中には、車は肩遅れVWのビートルであり、カメラも型おくれのS2が理想であった。
ただし、当時のVWは、日本ではあまりにも高価だった。だからスバルでもよいというわけでもない。
島尾伸三が椿さんの家に寄宿していたのは、あれはいつであったか、その前の旦那が椿方に時々現れる。その人の愛車はVWなのだが、家のがきはそれをスバル、スバルと言っていた。これは島尾本人から聞いた。
この舞台は、西武線の清瀬かどっかのはずであって、島尾は父上からもらったか、あるいはまきあげたかしたリコーワイドを通学中の女子高生のスカートの中にいれて撮影をした時代である。(これも本人談だから、そこには小説的な脚色がありそうだ)
そのリコーは、島尾敏雄氏の友人の吉行淳之介が島尾家には写真機がないので、それを「哀れんで」くれたことになっている。(島尾伸三談)
自分はその父親のエイスケの方がどちらかといえば好きだ。そのご近所で生まれたのが、岡山出身の百鬼園というのも、縁というものだ。
最近、我が家が大ファンなのは、エイスケならぬ、鸚鵡のホースケ(10日ほど前にそのリンクあり)である。
思えば、迷惑防止条例もない、平和な時代だった。
日録。月曜日も終日ヒルズで仕事。
紙数約50枚。以前、「ライカを買う理由」(東京書籍)を書いた時も日に50枚になったことがある。この領域になると、書いたから疲労するということはない。
もう、永遠に書き続けられる感じになる。これはやばいなあ。
しかし還暦過ぎて徹夜は似合わないから、そういう馬鹿はしないつもり。
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コメント
いえいえ「そういう馬鹿」をした文章を読んでみたいと焚き付ける気持ちが読者にはあるのです。
VWと聞いて(読んで)、友部正人が「VWがひっくりかえってらあ」と歌ったのを思い出しました。
投稿 satobo | 2008年5月 6日 (火) 00時25分
ウナギイヌは島尾伸三さんだったんですか?
投稿 宮沢豪 | 2008年5月 6日 (火) 00時57分
ええーと、いつも岡山県人をご贔屓(?)いただき、ありがとうございます。
吉行エイスケの作品は、息子淳之介自身が、「出版しても売れないよ」と言っているほど忘れられた小説家ですが、今では青空文庫で主要12作品が読めます。
海野弘さんが、モダン都市としての東京を考察するのに、エイスケの作品を取り上げていました。
投稿 胸の振り子 | 2008年5月 6日 (火) 19時09分
ニコンS2の巻上げ感覚は今でも最高であると確信している古いタイプの小生でありますが/当時長徳さんが所有していたM2ブラックにキャノンの25mmテレビファインダー付きを拝借して新緑で覆われた大泉の下宿の庭の撮影をしたのを思い出して昨日25mmを購入!
当時は森山大道のニコンS2 25mm、北井一夫のキャノンⅡdビット付き 25mmとまさに25mmの時代であった。今覗くと角丸の見え方が新鮮で扁平レンズにデカイファインダーのアンバランスがたまらんのぉ。
先日は島尾伸三(ライカ嫌いで有名)から架電ありウナギ犬こと上松恵武の消息を尋ねられたが返事に困った小生でした。つまりウナギ犬は島尾さんではない、、、、のです。
しかしながら長徳師は鯛の皮煎餅を召し上がりに岡山へ来る、来る、、、と言いながら3年が経過しました。
投稿 戸倉 元 | 2008年5月13日 (火) 17時50分