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2008年5月15日 (木)

死すべき渋谷

Photo_2 Photo_4 Photo_2 東急Beのライカ愛好会の撮影会はこの前の土曜だった。
例によって、最初の30分は「座学」で、あとのセッションは60分の撮影である。

もともと自他ともに許す「渋谷嫌い」なので、講座の外題も「渋谷嫌い」とした。
15年前に4x5のカメラでその嫌いな渋谷をカラーで撮影した。
写真家にとって、好きなモチーフより、嫌いなモチーフの方が燃えるのである。だから渋谷は嫌いでも、渋谷が嫌いなその意味をカメラで解析するのは、ちっとも苦にならない。

12名ほどの参加者で、中には75歳で亡くなった父上のライカM6アンスラサイトを持参の青年がいる。「お父様の供養になります」と、申しあげた。

ライカMPの今のレプリカ(ライカ社製だから、レプリカは変か。別に国産のワインダーが付いていたって文句はいわないが)ではなく、1956年製造の「ほんまモノ」を持ってきた人も居る。
「歩く三万ドル」というところだ。

ヒルズの向かいのミッドタウンで仕事をしている、という紳士がいる。話をしてみたら、富士フィルムの広報さんだった。それで遅ればせながらごあいさつ。

こっちは、掛け値なしの田中長徳のはずでいるが、受講者さんはいずれも「身分を隠して」いるので怖い。

そういう怖い参加者さんの、ご機嫌を損ねてはならんと思い、まず撮影に行きたい方角を議会制民主主義の真似して多数決で決めたら、「西方10万億土」となったので、これは1時間では行けないから、西方1万歩」に負けてもらった。

この神泉、円山町あたりは15年ぶりに足を踏み入れたのだが、こんなに「写真のモチーフとして面白い」場所とは知らなかった。

こんなへんてこな街は世界のどこにもなかろう。

そういう環境で「お若い方々」は、それを普通に楽しんでいるのがかなり変に見える。

やはり若いもんにはついてゆけない。しかし思うに自分の1976年の夏、この時、一度だけウイーンから帰国して(現代日本写真家展の準備で)その時は渋谷のジャンジャンの先の渋谷東武ホテルに住んでいた。自分は「にわか外人」ぶっていたので、音羽の両親の木造二階建ての関東大震災の後に出来た仮普請などには住めなかった。それで渋谷を自分の街と思ってしばらく滞在していたのだが、その29歳当時、やはり渋谷は好きになれなかった。

だから自分の「渋谷嫌い」は40年来の筋金入り。

カメラはブラック(リペイント)ニコンS2で、ゾナー(戦前の沈胴のやつ)50ミリである。今週末の大阪ニコンプラザの講演会に合わせて、福田和也さんの50ミリf1、1とは無理ながら、山とある50ミリのニッコールをカメラジャングルに見失ったので、代打としてツアイスである。

時代はかわった。

40年前だと、お金持ちはコンタックスにゾナーを大事にして、雨の日には大事なコンタックスが濡れてはならぬ、というので雨に濡れてもおしくない、ニコンS2とかSPにニッコールを付けて撮影に行ったものだ。

ブランドの価値反転。やはりコンタックスブランドがなくなって、コンタックだけになったのもかなり効いている。

フィルムは下の55ステーションで買った、3本で799円だかのコダックの400カラーネガ。

「死すべき渋谷」とは50年前のアサヒカメラで、ペンタックスのブラックで森山大道さんみたいな、くろぐろ写真を撮影していたパリのカメラマンの「死すべきパリ」のぱくりである。
この渋谷は観察するに、充分に「死すべき」資格を持っている。
いや、「死の街ブルージュ」ではないが。

そのブルージュにはホテルアムステルダムという、ちょっと古いホテルがある。
創業17世紀。

家人の大学の歌の教え子で、ロータリーでイタリア留学して、そこでイタリア人のファゴット拭きと結婚した女性は、今、15世紀の教会の一部であった家を購入するそうだが、四川ではないが地震が怖いので、専門家に調査を依頼しているそうだ。

これが歴史だな。15世紀の建築に耐震基準があったかどうかは分らない。
でも、「死すべき渋谷」は100年前にはただの丘陵で、そこに独居する独歩を花袋が訪問して、丘の牧場からミルクを買って、それをココアにまぜて飲んでいる、
これが100年前。
今の渋谷で100年前はおろか50年前の建物も発見は困難だ。Photo_5 Photo_3

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コメント

神泉と円山町が、谷ひとつを挟んで、登ったり下ったりする地形なのが独特ですね。
欲望を大量消費するラブホテル街のすぐ裏手に、かなり死の気配の強い谷があるというのも、コントラストが効いていています。
「嫌いな街」に「写真的なおもしろさ」を発見される視線のダイナミズムにちょっと期待してしまいました。
生意気なことを申し上げてすみません。

投稿 胸の振り子 | 2008年5月15日 (木) 00時56分

たとえそれが傾倒する長徳さんの著書だとしても、誤植と見るや訂正加筆魔と化したのが亡き父。
10万億土超えて枕頭に立たれると面倒なので訂正いたします。
父の形見は頁頭に同じ、M2グレーハンマートーン。
長徳さんの真似をしたものか、後塗りにDRズミクロン付きのまま事務所に遺されていました。
これで「よげなこと書くな!」と枕頭に来ようもんなら長徳さんとの死の行軍を自慢して追い返します。

書いていただいたこと何よりの供養です。

投稿 イタンコ | 2008年5月16日 (金) 00時10分

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