« エクザクタ66で「コンラン卿」 | トップページ | キヤノンビットという存在 »

2008年3月 8日 (土)

ライラの旅

Dsc02628Img_0283R0010589 写真集「日本郵船氷川丸」に掲載する、コンテナ運搬船ライラ(75000頓)の取材で2泊3日のクルーズ。水曜の午後11時半に出港。
木曜の午後1時半に定刻、大井ふ頭に到着した。

火曜の午後、名古屋の埠頭でライラの接岸を撮影したわけだ埠頭にいた関係者は総勢4名。

われわれの前になにも存在しない海の上に東京駅のような島がゆるゆるとあらわれて、眼前はその巨大な存在で埋め尽くされた。

あ、上の写真は、△○×号こと、α200での撮影である。

レンズはカメラのキタムラで買った2000円のミノルタ80−200ミリ。優秀な描写である。望遠レンズは2千円のに限るな。

以前、ANAの撮影で、羽田空港の立ち入り禁止地区に担当の人を入って、ボーイング747を8x10カメラで撮影した経験があるが、それとは比較にならない迫力であった。

2008年の「ノアの方舟」いう感じがする。
もし、ハリウッド映画「ライラの冒険」を自分が制作するのなら、地球上の大洪水でこの船だけが海を漂流して、最後に新天地を探し出し、新しい人類が再出発するというストーリーにする。

ただし、乗り組みは本船二十数名と、便乗が3名。全員男性だから、これはストーリーをちょっと変更する必要がある。ただし主演は二コル・キッドマンではだめである。キャステイングはよく考える必要がある。

名古屋の3月5日の午後11時半の出港はブリッジの明かりを全部消して行われた。なにか暗室作業という感じがして、それが実に「写真的」であった。

港湾の水先案内人と通常の水先案内人の二人が乗り込む。キャプテンがスターボード側の艦橋に立つ。
スタートには感動した。島がゆるゆると動き始めるのである。

まるで「ひょっこりひょうたん島」である。

昨年の10月には、パリから帰国するときに、セントレアに着陸し、偶然に愛知県知事さんと隣合わせになって名刺交換した珍事があり、その早暁に小牧基地で戦闘機の事故があって、あわただしい帰国になった。

その思い出のセントレア空港をずっと左手に眺めつつ夜景を楽しんだ。同行して各種のアテンドをしてくれた、郵船の一等航海士の木村和裕さん(写真3番目)はアフリカからペルシャ湾から世界中の海洋を駆けめぐった専門家である。
自分は航空機に関しては以前の仕事関係で素人なりに多少の知識は持っていたが、
船の方はまったく知らないので、木村さんにいろいろと教えてもらった。要するに航空機の各種運行のシステムはその基本が航海術から来ている。そりゃ、航海術は有史以来、航空術はこの100年だ。
今回の日本郵船のサポートとアテンドのことは感謝して長く忘れない。

あたしのポートレートは、日本郵船(ただしくはニッポン郵船と発音する)木村さん撮影。

船長はルーマニア人、オフィサーもルーマニア人で他のスタッフはフィリピン人である。便乗の3名だけが日本人というわけだ。船内には神棚があり、宮原社長の安全航行に関するステートメントが顔写真入りで神棚の脇に掲示されていた。この前、郵船でお目にかかった人がそこに掲示されているのは、ちょっと不思議な感覚だった。

海図の脇にはパセンジャーリストとして、あたしと博報堂の増村さんと、郵船の木村さんの
名前がみえる。

総勢クリューは23名。便乗が3名で、26名。二十六人の海賊どもというところだ。

あてがわれた居室はかなり広い。以前、世界中の高級ホテルのインスペクションをした経験からすると、自分の部屋RADIO OFFICERの部屋は、シンガポールのラッフルズ(旧館のほう)のスタンダードツインの大きさはある。あそこは空調はなかったが、ライラには空調がある。これは氷川丸より居住性は良い。

だから、木曜の夜に3日ぶりに佃の自分の寝室で寝るときには困惑した。海の上のホテルの方が陸の上の自分の寝室よりも広いのである。

普段なら、飛行機で帰国して「やっぱりフルフラットシートより、自分のベッドの方が広い」と安心して足を伸ばすのであるが、今回は逆である。

三日ぶりにヒルズの49Fに戻ってきた。これからは東京湾は今までと異なった感覚で眺められるようになった。

|

« エクザクタ66で「コンラン卿」 | トップページ | キヤノンビットという存在 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/440927/11044589

この記事へのトラックバック一覧です: ライラの旅:

« エクザクタ66で「コンラン卿」 | トップページ | キヤノンビットという存在 »