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ロック ユー

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2008年3月31日 (月)

還暦クラス会

R1148447 自分は人付き合いが悪いから、クラス会など出たことがない。大体、団塊の世代は一匹オオカミであって、グループにならない。小学校、中学、高校大学とクラス会など一度もなかった。
それが3年前に高校のクラスメートの幹事である、中西君からクラス会の案内が届いた。それで3年前にクラス会に出かけた。
大体のクラスメートの顔と名前は一致したが、会場の真ん中にえらそうにしている白髪の男は誰であったか皆目見当がつかない。
そのお声を聞いて(がらがら声)それが担任の升元正数先生であることが分った。
升元先生が何の学科の先生であったかも忘れのだが、その講義の細かい部分は覚えている。
「xxxをグループダイナミックスと申します、、、、言うなれば、、、で、あります」という午後の5時間目の授業は眠いものであるから、先生の講義の声を思い出すと今でも志村高校の赤土の丘の上の午後を思い出す。
その都立志村高校も創立半世紀にて、昨年なくなった。

クラス会で卒業以来、初めて会った人に、小原勉君がいる。今ではライカの測量機の会社を経営している。すなわち、wildの航空カメラである。
大昔、それ用の超広角アビオゴンをアメリカから手にいれて、ビオゴンに「ァ」が付いているから、ビオゴンを「アッと」愕かせるレンズであるという認識で、それに熱中した一時期があったのを思い出した。

こういうクラス会をちゃんと持続(自分は3年前と今回だけだが)できるのは、それをマネージメントする幹事の中西君の力が大きい。(上の画像の左の人)

あれは3週間前だったか、日本路地裏学会の桃木会長と板橋区清水町並びに宮本町路地裏調査をした時に、クラス会の案内の封筒から中西君のアドレスが分ったので、その前まで行った。
自分はシャイだからこういう場合、いきなり店に入って「やあ、お久しぶり!」なんて言う事は出来ない。

中西君は床屋さんである。
それでなくても、3年前のクラス会で自分が酔った勢いにて「自分は1966年2月以来、バーバーには行っていない」と漏らしたら「田中は理髪業界の敵だ!」と糾弾されたのである。

R1148244

日本路地裏学会の桃木会長を中西君の店の前に立たせて、せめてもの記念写真を撮影していたら、そこに黒いプードルを連れた女性がお店に入って行った。

「中西君のお母さんかなあ、、、」と還暦のあたしが言ったら
「奥さんじゃないですか、、、」と、桃木会長。

ここらに時間スケールのずれがある。自分の知る中西君は17歳であった。だからその女性を中西君の母上に見立てたのである。

一方で桃木会長はそれから40年が経過した時点での20代なわけだから、現実の時間スケールにはちゃんと覚醒しているのである。

撮影機材はいずれもR8。

最近、こればっかりである。

2008年3月30日 (日)

四川料理原理主義殉教旅団

R1148441 金曜の夜、午後7時に銀座7丁目の酒場thonetで前日に続き、福田和也さんと会う。
「人間嫌い」な自分としては、これは珍しい。

出たばかりのen-taxi最新号のキャストになぞらえていえば、これは断腸亭の日記の昔の万茶亭ののりであって、さしずめ福田教授は断腸亭(ともに慶応の教授だから共通点あり)で、あたしは神代翁というところ(家に恒産なく甲冑、写真機のほか何もなかったというのが似ている)というところだ。

そこに「あの写真部」の皆さんも集合してen-taxiの田中陽子さん、間取りストさん、藤原さん(ワーライワイドのキャップで苦労した人)など総勢半ダースのメンバーにて、8丁目だかの「四川料理」(これは、しかわと読んでもらいたい)に。

犯行の動機は、前日、木曜の午後6時過ぎに、月島の越後屋で、辛い四川の話になってそれで急遽、福田和也一味により「四川料理激辛殉教旅団」が結成されたわけだ。
一名、四川原理主義闘争ともいうが、市井の自爆テロなどと比較してその恐怖は比較にならない。

あたしは、一番辛い経験は10年以上前に羽仁未央さんに連れられていった、香港島の湖南料理の激辛体験がある。
普通の豚肉のピーマンいためなのに、一口食べたらいきなり眼前の香港の夜景が涙で見えなくなった。

爾来、4年前の北京では地元の人に一番人気の四川屋さんに行ったが、その時、案内してくれたリコーの斉木さんがホテルを出る時に、タクシーに足をひかれて、その関係で、四川料理店では終始、辛いのを食って、シャンペンのバケツに氷水をいれて足を冷やすというインシデントもあった。
その激辛が薬膳効果を発したのか、斉木さんは翌日は回復した。

その後、昨年の6月に日本郵船の広告の仕事で、上海の町で四川料理を食った。
昨日の銀座の四川の方がずっと辛かった。印度の人が日本のカレーは辛くて食えないという。これと同じで食文化というのはその本場よりも、外国で時としてより突出した個性的味付けになるようである。
なかなかの舌上炎上祝典、前頭葉発汗快楽。

麻辛(マッラアー)は偉大なり!

帰宅したら、JNBのワンタイムパスワードのトークンを紛失している。すぐに停止処置をとった。
ベッドに入ってから、路上で紛失したのではなく、ヒルズの小物入れに忘れてきたのを思い出した。
それで停止の解除をしようと思ったが、これがかなり面倒。その作動は、まずケータイで解除用の8桁の番号をもらって、その番号でPCから解除するという、2つの通信機を使うかなりハイテクなやり方である。

それが出来ないと、ダウンロードした書類に書き込んで、紙と鋏とのりで図画工作をして、JNBに送るのである。
まあ、トークンがないと振込が出来ないだけだから、無駄なカメラを買わないので、問題はないが自分のようにケータイを使わない、持たない人間はますます人間扱いをされなくなる。

2008年3月29日 (土)

六本木ヒルズの「ブラックホール」

Sdim0112 ヒルズの森タワーが出来て、今年で七年目に入る。その間にいろいろなことがあって、今、下のショップは大改装中でショップの顔ぶれも新しくなる。

2Fから49Fのアカデミーヒルズに向かうエレベータは、聞くところによると「LV」製のレザーが貼ってあるそうだ。かなり前だがエルメスだかどこだかの特製のライカが出てその値段がライカを超越しているので、驚愕したものだがそれはその有名アパレルの特製の張り皮であるそうで、自分の持っているニコンSのたぬきの革張りと実にその質感が似ているのでそれにも驚いた。

たぬきの革張りのニコンSとは自分で勝手の命名しただけだが、茶色のなめし皮風なのである。どこのたぬきの骨か分らない、無名のたぬきの皮なら値段はつかないが、これが有名ブランドのLV権力を背景にすると、それは天文学的な価格になる。

その意味で、このヒルズのLVエレベータの凄いのは、エルメスライカならライカを覆っているだけだが、LVエレベータの場合にはLVの皮で乗客が被われてしまうのが売りなのであろう。

全世界をLVで全部包んでしまうとうコンセプトだから、これは足穂の言うシガレットの「エアシップ」の連続模様とか、原平さんの制作物の「世界のかんずめ」と似たコンセプトだ。

その名物の黒皮をこの間見たら、そこに画像のように小さな穴が開いていた。ここのエレベータは24時間監視されているから、その犯人というかブラックホールを制作したアーチストは確認されていることであろう。

これこそ、アートである。
ヒルズのエレベータから世界で唯一、ブラックホールを経由して第四次元空間に抜けられる最終出口である。

目下、上のミュージアムで開催中の「アートは心のためにある」というポスターが1977年以前のハノイの政治ポスターめいているので、これは凄いと思っていた。地球とか健康そうな男性とか、オリーブをくわえた鳩、それに鎌トンカチは、なつかしの共産主義へのメランコリー物件である。

その展覧会のヘッドコピー、「アートは心のためのある」というのは、今更、なにを分りきったことを言っているのか、、、と首をかしげたが、これは大手の銀行のコレクションらしい。

銀行さんなら「アートはお金のためにある」が常識だから、きっとこのコピーを考えだした時には「やった!!」と快哉を叫んだのであろう。

こういう展覧会のコピーは二重の意味で、評価できる。つまらないと思ってよく考えると凄いという、落語の「考えおち」だな。

その意味で、これは実は秘密にされているのだが、下のLVエレベータに開けられた異次元世界へのブラックホールはまさに「アートは心の為にある」展の重要な展示物のひとつなのだ。是非、鑑賞してもらいたい。

展示ギャラリーはヒルズのエレベータホールに入って、右手の一番手前の箱である。

下の画像はR8、上の画像はDP−1で撮影。

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2008年3月28日 (金)

KCチョートクカメラコラム

★★  KCチョートクカメラコラム
R1148434
★銀塩クラシックカメラ
「悪と荷風とローライフレックス」

これは発売中のen-taxiの大特集の朝日新聞の今朝の朝刊広告である。
まだ雑誌を手にしていないのだが、この号から新連載「カメラと歩く」を担当することになった。今からヒルズのタワーの6fにある青山ブックセンターに買いに行く。

それで特集は荷風とローライフレックスなのだが、そこに「悪」がつくといきなりローライフレックスの表情が生き生きしてくる。
なるほど、ライカとローライフレックスを比較すると、どっちが「悪」であると言えば、ライカよりローライの方が悪の色彩の比重が重い。「悪」と「荷風」をローライでアマルガム化したこのコピライターはかなりの手だれであろう。

この特集の関係で「あの写真部」のメンバーと過日、新大橋から「いせき」を経由して、断腸亭の言うところの砂村の「貧民街」までローライ探索行をした。
面白かった。

その撮影行きでは同行の藤原さんのワイドローライのキャップが壊れたりしたので、これは一体何であろうかといぶかしがった自分だったが、上のタイトルの「悪と荷風とローライフレックス」で、その謎が解けたわけである。

その壊れたワイドローライのキャップは駒村商会に連絡してさっそく新品に替えてもらった。
駒村商会が今の号の en-taxiに広告をうっているとは思わないが、これはなかなかの広告効果である。駒村はローライの日本総代理店である。

木村伊兵衛も名取洋ノ助も、キャパもハースもライカとローライであったのは、そこにフォーマットの秘密があって、ライカだけではやって行けないということに彼らは気がついていたのであろう。

大体が、ライカの場合、真っ正直に被写体に向かうファインダーであるが、ローライフレックスの場合には、下から覗き視るわけでこれは陰険な視神経である。

かつて、東松照明さんがあれは「太陽の鉛筆」のシリーズであったか、香港で買ったローライフレックス2、8fであの空域を撮影して、「頭を低くするからモチーフに失礼に当たらない」という意味のことを書いておられた。

確かにその通りなのであるが、こうべを低く垂れて真面目なふりをしてそこに偽善をおこなうのが「悪のローライ」である。
ようするに、そこがローライフレックスの魅力なのである。

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★デジタルカメラ

ローライフレックスミニデジカメの何が「かわいい!」のか?

ローライの2、8fを半分のサイズにした、ミニローライデジカメを首からぶら下げて、ヒルズの中を行ったり来たりしていると、あまりカメラに興味の無い人、それも女性から声をかけられる。

自分のローライミニデジタルは真っ赤の方であるが、その本体は小さいのに非常に目立つ。しかしその目立ち方というのは、首からフルサイズのデジタル一眼レフをぶらさげているような物量としての「かさばりかた」ではなくて、これはむしろアクセサリーとしてのワンポイントとしての目立ち方なのである。
ようするに、これにダイヤモンドを散りばめて、テイファニーのショーウインドに並んでいても一向におかしくはない。

そのお洒落感覚が女性の興味をひくわけで、これなら二台目のデジカメを買う場合にも家庭内ではあまり反対勢力は起きないであろう。

このミニのローライフレックスの凄い所は、普通の銀塩のローライならば12枚か24枚しか撮影できないのに、このローライの場合にはそのメモリにもよるが、ほとんど記憶できない大量の撮影、つまりざっと3000枚以上を楽に撮影してしまえる点にある。

この前、日本郵船のライラの撮影でこれを持参したのだけど、海の男たちにも好評であった。ということはこれはまず普通に「かわいいい!」という商品ではなく、ユニセックスでアピールする商品というわけだが、ひとつ不思議なのは男性でこのミニローライデジカメに興味を持つ人は、これが精密なローライフレックスのミニチュアであることを了解している人種である。
すなわち、カメラ人類である。男性の模型趣味である。

一方で、女性の場合、このミニデジカメの何が魅力なのか、実のところ男性である自分からは分らないのだけど、そこには「オリジナルのローライをまったく知らなくてもそれが魅力に見える何か」を了解している女性の認識というのがそこにあるのであろう。

シグマDP−1を福田和也さんから借りた

R1148405 Sdim0025 この前の土曜に、シドニーの帰りに銀座の7丁目のおでんやにて、「あの写真部」の作品講評会というか、反省会があった。
もとより、「あの写真部」は写真の上達を目的としている部会ではない。ここが大したものなのである。
10年前にフォトキナであれはコダックであったろうか、いわゆる公式晩餐会に参列して、空腹の前にアメリカ人の経営者のあいさつがあって、会社の目的が「我が社の市場での拡大と利潤の追求」と言われたので、それは会社だから分るけど、わざわざこういう場でそんな言葉に出して言うほどのことでもなかろう、とちょっと不思議に思った。

そのセオリーからすると、「あの写真部」は向上心のないことが「向上心」であるとも言えそうだ。

がんばりましょう。とか、良い写真を撮りましょう。などと標榜しないのがおとななのである。

それはともかく、最近ではニコンSPのブラックリペイントとニッコール25ミリf4に勝手に体温を上げている福田さんをもっとビョーキにさせてやろうというので、筆者秘蔵のツアイスのトリオター85ミリ(皮のポーチ付き、紙製の円筒形ケース付き)をお貸し出しした。
その皮のポーチはどう見ても「南蛮渡り」であって、中に棗でも入りそうな様子なのである。

その「対価」というわけでもないが、福田さんが発売当日に買った、シグマDP−1を取り出して、撮影中のSDカードを抜いて貸してくれたのは嬉しかった。

それから、R8とローライのミニデジカメと一緒にDP−1も持ち歩いて、通勤路の佃公園の咲き始めの桜を撮影したのがこれである。

鳴りもの入りで1年の時間の後に登場したDP−1は、誌上その作動が遅いなどと批判されているようであるが、もともとそういうカメラだと思うと、そこにはそれなりの味わいがある。

4年ほど前に、あれは何と言ったか、シグマのデジタル一眼レフで、RAWしか撮影できないモデルを、雑誌penで、他の10数種のカメラと一緒にレビューしたことがあった。その時にRAWしか撮影できないので、個性的すぎるという印象と、デザインがどうもという印象だった。だからシグマのデジカメはRAWしか撮影できないという先入観があったが、このDP−1はちゃんとJPEGも撮れるようになっている。(なにか書き方が逆であるが)

その画質はもとより、このPowerBookの液晶などでは比較することも出来ないけど、それはそれとして、この新型カメラをしばらくテストしてみるつもりなり。

最新号のデジタルカメラマガジンで、シグマへのインタビューがあって、「おや、山木社長が随分と若返ったなあ、、」と思ったら、これはどうも息子さんのようなのである。

思えば、リコーのGR1が登場した、あれは1998年のフォトキナであったか、GR−1の調子が悪くなって、それをシグマの山木社長に見てもらったことがあった。(リコーはブースにはサービスの人がいなかったので)
あれから10年も経過すると、世代交代というわけだ。

ところで、1980年代には、狛江の近くの調布住まいだったから、なにかにつけて岩戸南のシグマにシグマ名物男の内田さんを訪問したものだった。あの会社は中に入る時にスリッパに履き替えたのだが、今でもそうなのであろうか。

5年ほど前の何かのビジネス本に「スリッパに履き替える会社は○●」のタイトルのがあったが、その意味で、シグマは大躍進の会社だから、この言い方は当たってはいない。

そうだ、、、信州中野のコシナだって、スリッパ履き替えであったが、今のツアイスとコラボして大躍進なのは、我らカメラ雀の良く知るところである。

★日録

昨夜(木曜)は福田和也さん、ヒルズ来。51Fでカクテル2杯飲んで、あわてて月島の枝村に駆けつける。そこで宝焼酎。福田さん、午後6時半に銀座で要件あり。銀座に去る。

DP1で興味あるポイント。これは説明書とかレビューを見ればたちまちにわかることながらそれでは面白くないのでわざとみないで楽しんでいるわけだ。

まず、フィルムの感度の切り替えがないこと。

つぎに露光の補正をどこでするのか皆目わからないこと。

日本語とか英語の取り説だとよく不明なことがあって、そういう場合のためにDP1の言語をドイツ語に切り替えたが、やはり上の問題は不明であった。

普通、デジカメでも銀塩カメラでもだいたい触ればわかるものであるが、DP1の場合ここがなぞである。大昔、似たようなことがあった。アサヒカメラのレビューでソ連製のフォトスナイパーをレビューしたのであるが、自分の見た限りでは一眼レフゼニットに巻き戻しのノブがついていない。

さんざんに考えて、探したが発見できなかった。それで撮影したフィルムはダークバッグで取り出したのである。

2008年3月27日 (木)

六本木駅の「案内ベア」

佃から月島駅でメトロに乗って、六本木駅に通勤しているわけであるが、退屈させない為に東京メトロを大江戸線を使い分けるのは常のことである。

普段は行きは東京メトロ、帰りは大江戸線であるが、これは帰りに月島の枝村酒店の外人バーでいっぱいやって、その後で富士マートで買い物をするという背景もある。行きに大江戸線で行く時には、これは自分のちゃんとした意思があって、「よし、今朝はあの乗り換えのエスカレータ前の「ブルーの案内ベアを見てやろう」と決心した時だ。

これは無論、東京都の石原さんとか、地元の町内会が貼付けたような「権力の方面からのシールの押し貼り」ではなく、どっかの冗談ボーイか冗談ガールが貼っていったものに違いない。

それを撤去せずに、そのままに置いてあるのは、なかなか東京都もえらい思う。自分の記憶する限り、これは昨年の晩秋からあった。実に見やすいアイキャッチであって、メキシコのメトロを思い出した。メキシコ市では文盲の人の為に、駅名の上のそれぞれのシンボルを付けている。猫とか神様とか、船とか天文台とか。

それで文盲の自分はこの絵を見るのが、乗り換えの手だてになって便利なのだ。

東京メトロは例の悪評高い、あまりにもキッチュな「ぽんたの広場」で不人気だし、一方の大江戸線も石原さんの大号令で、駅のそれぞれに五輪の種目のシンボルを置いたりして、通勤客に不人気であったが、その中で、上からの押しつけではない、この案内ベアが気に入っている。

R1148232

2008年3月26日 (水)

偽ライカ同盟のなぎらさん@月島

R1148332 通勤路は自分にとって世界の果て感覚があるのは、東京であれリスボンであれ、自分の歩行する世界線は歩行方向の前方に伸びているわけで、その左右には自分の選択しなかった「世界の深い淵」が口をあけているわけだ。
だからどこに居ても、「ここは世界の果て感覚」である。

その「作例」は、「リコーGRD2ワークショップ」(えい出版社)の中の口絵で今年の1月2日の中央区佃1丁目から、港区六本木6丁目への旅の一連の写真が良く示している。

有楽町線から日比谷線の乗り換えの、地下鉄構内でその世界線上のスターボード側に東京新聞の広告を「発見」したのである。
ちょうど2週間前にライラに乗って、午前中にスターボード側に青空をバックにして、大島が望見された光景をそこに重ね合わせた。
自分にとっては、大島も地下鉄構内のポスターも等価なのである。

なぎらさん、偽ライカ同盟のメンバーの健壱さんが、ローライを構えて月島の路地裏に立っている粋なポスターである。
おなじみのテンガロンハットにローライの二眼レフ。そうくれば写真では足下は写っていないが、トニーラマのブーツに決まっている。

へえ、なぎら会員は月島まで来たのか、、、それなら、前からなぎらさんの行きたがっている立ち飲みの「越後屋」(カメラは知的な遊びなのだ。にも掲載)に誘ってみよう、と思った。

ところが、ポスターをよく見て、ちょっと失望したのは、これが合成画像であったことだ。戦前の国威発揚雑誌のFRONTではないのだから、この程度の広告なら是非、現場に来て撮影してもらいたいものだと、ちょっと残念だった。

そう言えば、長年、地下鉄構内でおなじみの浅井慎平さんの、いいちこの広告も最近数年は、合成写真のようである。そのことに気がついたのは、どっか外国の川の真ん中の岩にいいちこの瓶がおかれていて、その周囲の状況を見てそれと知ったのである。

なぎらさんの@月島合成酒(じゃなくて写真)は、もうちょっとレーヤーをうまく制作してくれればそれと分らずに行けたのである。
あ、でも光線状態が月島の路地の天空光ではなく、スタジオライトだからやはり、これは苦しい。

★日録
昨日と、今日とランチの時に、49Fから東京湾を視る。
KERN 8X30の双眼鏡である。昨日は12時35分ころに、東京湾を西から東に横断する、タンカーを見た。自分はライラで航路経験があるので、大井埠頭に到着するかと思っていたら、横切っていった。
考えれば、タンカーなら埠頭のガントリークレーンなどは役に立たないわけだ。
目視で10キロと読んだが、船体をサイドから視ると、8X30の双眼鏡にてNYKの文字がはっきり見えた。

R1148424 今日はランチの時間に、今度はオーバーパナマックス(パナマ運河を航行できないほどの巨大船舶)クラスが、大井埠頭に向かう航路上に現れた。
その船をずっと双眼鏡で追尾して、R8で撮影したのがこの画像である。

船は埠頭に近づくと、手前の高層タワーがじゃまになって見えなくなる。それは先刻に承知であって、ライラに便乗していたとき、ブリッジのポートサイド側から観察していたら、いよいよ接岸となった時、ブリッジ上からヒルズのタワーが見えなくなった。

ヒルズから観察するに、2せきのタグボートに導かれたコンテナ船は、姿は見えないが、煙突からの白煙が良く見えた。
ようするに、勝利の白煙である。
コンクラーベで新法王が選出されたような、華々しさがそこにある。

2008年3月25日 (火)

ライラのブリッジがデスクトップに

R1148292 この画像はあたしのPowerBookG4のデスクトップである。
昨年に土浦のさかい写真実験室からいただいた新品同様である。システム9から起動できる最後のマシンでもある。以来、ヒルズの仕事場で大活躍だが、昨年の夏にいきなり液晶が壊れた。それで、秋葉の五州貿易に持ち込んで1萬円ほどで直した。こういうのはアップルに持ち込んだらその修理価格は想像するのも恐ろしい。

もらいものに対してこういうことを言うのは失礼だが、このマシンのメモリは512しか入っていないのでまずメモリの増設が急務である。それをやろうやろうと思ったまままだ果たせないでいる。

さて、このデスクトップだが、この前のライラのクルーズで本船が大島の南を航行中にブリッジから撮影した。写っているのは同乗の博報堂の増村デイレクターである。彼の持参のデジカメはニコンD40である。あたしのはソニーのα200である。
増村さんはなかなかのデジカメ選びのプロだから普段はコンパクトデジカメを愛用しているが、今回「思い切ってデジタル一眼レフ」を買った。

見せてもらうと、そのシャッター音はなかなか良くて、ソフトな音だ。α200よりもずっと良い感じである。まず、歴代のニコンの一眼レフではニコンFを持って「もっとも心地よい一眼レフのシャッター音の賞」を上げても良いと思うが、D40はこれに続く良いシャッター音だった。

PowerBookを再起動したら、そのブリッジ上での撮影のカットが、これはどうしたことか、偶然どっかを知らないうちに操作してしまったのであろう、その画像が立派な壁紙になっている。
それは自分の意思ではないのだけど、せっかく大島と奇麗な海がデスクトップになったのを消去するまでもない。

この直後に乗船してきた、浦賀パイロット(水先案内人)さんの話では、ここで20年水先案内をしているが、今日のような晴天は珍しいとのことであった。

大島の南の会場のライラ上での撮影は、α200。
そのデスクトップの撮影はR8。
これで見る限り、この程度の歪みなら別段問題なし。

2008年3月24日 (月)

我楽多屋の新・シドニー始動

R1148326 R11483282008323a 先週の土曜。
お台場のPIEに行こうと思ったいたがついに行けず。このウエブの冠スポンサーの駒村商会さんには挨拶くらいしようと思ったのだが、「カメラは知的な、、、。」(アスキー新書)が発売早々に忽ち重版になったので、ヒルズにて訂正箇所をチエックせなばならないので、時間切れになってしまった。

でも、昨年の11月の国際放送機材展は幕張メッセで遠かったのにちゃんと出かけて駒村商会が代理店のグライドカムを「着たり」している。あの展示会は自分にとって興味のある展示物が満杯だった。

一方のPIEの方は日本カメラショーと呼ばれた1960年頃、当時は日本橋の高島屋で開催されていて、これが来ると春が来たという感じがした。
それに毎年、隣の会場で岩手県物産展というのを開催していて、そこから流れてくる干物のにおいも春のカメラショーにつきもので、風情があった。

その後、カメラショーはサンシャインとか、平和島の物流センターなどでも開催されたような記憶がある。
どうもビッグサイトになってからエプソンのRD−1の発表のイベントなどで何度か行ったが、あれは講演者の立場であって、観客の立場ではない。

自分のような還暦世代にしてみると、まず銀塩カメラは富士の2機種くらいしかないのが面白くないし、PIEが苦手なのは、会場を埋め尽くす「カメラ小僧さま」である。あの皆さんと会場のキャンギャルの「交流」を見ているのが、かなりつらい。

それにデジカメでは「見たいものがない」。これが会場に足をはこばせなくなっている要素のようである。

思えば、この2月の中古カメラ市も欠席、PIEも欠席だが目の前に仕事と締め切りの土石流が迫っているので、まあ仕方ない。

土曜は、アローカメラの月一の講演会、シドニーである。今回からダウンサイジングにて以前の兜町のように、「場たち」でライブトーク・場内大乱闘を開催するので、それにあたって、ロンドンはグリーンパークの演説みたいに、木箱を用意してもらってその上に乗って「カメラノスタルジック大演説」をしようと計画した。

その場合、木箱では80キロを割ったとは言え、自分の体重を支えるのはおぼつかないので、頑丈無比のビールケースをアローの二代目社長にリクエストした。
佃に出入りの酒屋さんでも、最近は缶ビールばかり頼んでいるから、そういうビールのプラスチックケースは手に入らないのではと心配していたが、ちゃんと用意されていた。

それで、アローカメラの中をビールの箱を移動させつつ、移動大演説を試みてこれがなかなか良かった。
というのは、今まで椅子に座ってやると、緊張感が欠如していてそこで居眠りをする紳士が続出するのである。そういう居眠りの常連さんは昨日は参加がなかったのも良かった。

話をしていたら、眼前にイカレックスの3本レンズ付きがあったので、それをトーク中にゲット。例の「凹みウルトロン」付きである。カメラトークをしつつ、同時にカメラ買いが出来るのはあがたい。ちょうど、ヒルズで原稿書きをしつつ、ebayをするような気分である。

それを正面から見るとこんな様子だ。アサヒビールはかつての自分のスポンサーだったから「正統派」だけど、このスタイルはかなり笑える。

麦酒の箱の上からの話というのは、どうも癖になりそうだ。(画像はアローカメラ提供)

http://arrow-camera.weblogs.jp/blog/blog_index.html

場立ちでトークをすると、その場でカメラやレンズの実物があるので、実例を上げて話をするのにはなはだ便利である。weston masterの正しい使い方なども実演したのである。

しかも、これはPIEと比較するわけではないが、大体、ビックサイトで1時間ほどの講演などすると、間にこれは当然ながらその方面のイヴェント会社さんが入っているので、完璧な進行スケジュールが出来ていて、分刻みで進行しているから(傍目にはそうは見えないが)結構それで気を使う。

アローのシドニーはそれがないので気楽である。それにPIEの常連さんのような、フルサイズのデジ一に三ニッパで武装している「元カメラ小僧」を見るのは心が痛むが、シドニーでライカMPのレプリカを持っているカメラ青年の方にむしろ共感するのが自分だ。(上の画像)

@@@@@@@@

夕刻から銀座で福田和也さん率いる「あの写真部」の例会があって、そこで作品の講評をした。皆さん、写真がうまいわけではないが、なかなか心に沁みる写真である。「あの写真部」のことは、発売中のアサヒカメラの連載記事でも5頁にわたって書いているが、今後の写真の楽しみの有効な方向性を示している。

福田さんは「悪友」から買ったという、ニッコール25ミリ(クローム)とファインダーとキャップとレンズフードを示す。なかなかの名物である。
これは「貸金庫」に保管して、コシナの25ミリを日常使いにした方が良いのでは、、と言ったら「いえ、これは日常でがんがん使います」と、福田さん。
なるほど、かつて魯山人(ろさんにん)の名物をやはり日常で使用した例もある。
納得。

福田さんと分かれて、銀座4丁目に来たら、和光がクリスト状態になっている。

ベルリンのライヒスタ−ク(国会議事堂)をかのアーチストが梱包したのは、あれはもう20年前であったか。

2008年3月23日 (日)

月島商会をセレナー100ミリで撮影した昔

清澄通りを歩行していても、なかなか、この建物の存在に気には気が付かない。R1148226

清澄通りを月島駅から勝どき駅に向かって、通りの左側にあるのだが、左側を歩いているとまずこのファサードには気がつかないのだ。

それを通りの反対から見るとこれは実によい店舗建築である。ポストモダンである。

建物の構造はおそらく鉄骨つくりであって、そこにモルタルがかぶせてあるのだろう。

7年ほど前に出した「チョートクの僕のレンズたち」という本は、手元にある数百本のレンズを手当たりしだいに手にして、それで撮影した「いんちき作例集」である。

その中の作例には今の時点で見ると貴重な映像もある。つまり佃の最上階から見た、芝、愛宕、六本木方面である。

望遠レンズの撮影のカットだと、まだ愛宕グリーンヒルズは建設中であって、六本木ヒルズは影も形もない。無論、東京ミッドタウンなどあるはずもない。

写真の時間性を問う必要はないが、うかうかしていると新東京タワーも7月に着工するそうだし、ゆだんしている間に「まだ第二東京タワーが威圧する前のクラシックな21世紀初頭の東京のスカイライン」を見落としてしまいそうだ。

話は戻るが、この「月島商会」という屋号がいい。

撮影はR8をポケットから出して、普通のN1260で撮影しているのは、これはウエブ用だから差し支えないとして、このファサードをよく見ると、二つの窓はそれぞれに外側にオーバーハングしているように見える。

この撮影では、ズームアップして(これはGRD2にはできない離れ業である)200ミリ相当の望遠撮影も試みたのだが、写真解析の結果、そういうデザインなのか、それとも時間が経過したので窓枠が「たれている」のか、そこら辺は不明だ。

その窓枠の「たれ」がこの建物の身上である。なにか老舗のうなぎやの「たれ」と共通の音声感覚を感じる。

思えば、この月島商会を最初に撮影したのが、はや20年の昔であって、それはライカM2にこれもクラシックなセレナー100ミリf4の細い、「ギラギラでらでら」した金属感覚あふれるレンズで撮影したのである。その時はまさか20年後にこのクラシックな建物が存在するとは思ってもいなかった。

そのことを思い出して、当時使ったセレナーレンズを捜索したのだが発見できず。そのレンズはまだ戦後の占領下時代のものだから、本体ではなく(ここがなかなかうまい手だと思う)そのリアキャップにmade in occupied japanの刻印があった。

2008年3月22日 (土)

ロボットSCによる諜報写真

Robotsc10035 Robotsc10034R1148288 先日はコンテナ船「ライラ」の中に秘密裏にスパイカメラロボットSCを持ち込んだ。前の日記に書いた「本物のスパイカメラ」である。
18x18ミリの正方形画面を撮影するのであるが、これを船長に見せたりしてはまずいと思った。なにしろ、特殊任務を帯びているのであるから、そういう秘密撮影は秘密裏に撮影せねばならない。

それで事実である、「通信士官」の部屋でテーブルの上に隠し持った、サントリーのだるまとかコップ(無断で食堂から持ってきた)などを撮影した。
そのネガがあがってきたので、さかい写真実験室に行こうと思ったが、多忙の為に行くことができない。それにスデクばりのオリジナルプリントを制作している身にしてみれば、こういう諜報写真をわざわざ、バライタペーパーにプリントするのも勿体ないと思った。

それで実に2年半ぶりの、ミノルタのスキャナーを持ち出してスキャンしたのがこれである。
ウイーンモノクローム70sという写真集の製作にこのスキャンをつかった以来であるが、2年以上ほっておいたら、なにか具合が悪くなり、細かい筋が出るようになった。

それがいかにも「敵陣のまっただ中で撮影した決死のショット」めいているので逆に気に入った。

まあ、この程度のシャープネスがあれば、船内の様子は分かるし、佃でライカインコとそのカゴの周辺を取ったショットにしても、スパイクラスの出来映えである。

2008年3月21日 (金)

「カメラは知的な遊びなのだ。」忽ち重版!

「カメラは知的な遊びなのだ。」早速重版!

先週発売されたアスキー新書であるが、早速に重版となった。
知的カメラ人類の皆様に感謝!

カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51) Book カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51)

著者:田中 長徳
販売元:アスキー
Amazon.co.jpで詳細を確認する

α350の広告がヒルズを制圧

R1148223 R1148239 昨日の日記で、横浜の氷川○の戻りに、有楽町のビックカメラでα350に触って、いろいろな疑問点が出たわけであるが、そのことをヒルズで日記にしたためて、夕刻に佃に戻るときに、これは自分の不注意であって、昨日にヒルズに来るときにすでに展示されていたのであろうが、ろくろく広場のあれは何というのか、広告のボードの前が滝になっているのがあって、そこで女の子がα350をもっている画像が広場を制圧していた。

へえ、と思って、エスカレータのコアにきたら、あの広大な内部の空間がまたもα350に占拠されているのでびっくりした。自分の知る限り、この場所がデジタルカメラの広告に使われたのは、ヒルズ開闢以来、初めてである。

なにかプラネタリウムという感じがした。

しかしその広告展開を見ると、α350の売りは「上からも下からも撮影可能な自在なカメラアングル」のほかにはなさそうなのが、はなはだ心もとない。

ここらはソニーは最初から「写真と写真機のわからない一般大衆」に広告をうっているのだと思っても、前のα100の時の広告では「あなたのカメラ、ぶれ防止装置ついてますか?」であったし、当時はどのメーカーの機種だって、そんな装置はふつうについていたわけだから「何をいまさら」と思ったのである。

今回は前のモデル、α700で、他社に先を越された、ライブビューファインダー(職業カメラマンはあれは要らないと皆さん証言しているが)をようやくつけたので、それがいかにも斬新な機構のであるような広告の打ち出しかたをしている。

どうもソニーはよい物を作っているのに、デジタル一眼レフに関しては、その広告の打ち方はあまり上手ではない。

その広告に登場する女の子を自分は「こういう無名の人を起用するのはいい感じだ」と思ったのは、実は勘違いで、それはあたしが知らないだけでなにか有名な女性のようである。

キヤノンと、ニコンが「おやじキャラ路線」なのでそれを打破する方向なのであろうか。

ろくろく広場の中に展示されている。横書きのコピーはなかなかよかった。これを縦に読むと万葉集というか、なにかのじゃがたらぶみのように感じるのが妙である。

その360度の画像というのがどうも「見えにくい」のは何故であろうか?

★追記。
日本路地裏学会の桃木会長に上の女性の背景を教えてもらった。
キヤノンのコンパクトデジカメの広告に出ている長髪青年が配偶者だと。
なるほどねえ、、、。

2008年3月20日 (木)

KCチョートクカメラコラム

★銀塩クラシックカメラ

★Willam KleinとYohichi OkamotioのニコンSP

ウイーンの戦後を記録した、日系アメリカ人の写真家okamotoの写真集が発見された。
書棚の奥に入っていたのである。たしか四半世紀前にウイーンで買った本だ。アメリカの軍人として、占領下のウイーンで数多くの撮影をしたokamotoはその写真は往年のグラフジャーナリズムの限界を出てはいないが、ハードカバーの写真集は確か四半世紀前のウイーンでの展覧会の時のそのカタログである。

カバーの見返しは、眼鏡を額までずりあげて、クロームのニコンSPにニッコール50ミリf1,4の付いたレンズを腕のあたりで構えてまっすぐな視線の岡本のポートレートである。

そのニコンSPの扱いはいかにも1960年代のアメリカの手馴れたジャーナリストという感じではなはだ粋なのである。

これも何時であったか、ウイーン文化協会かなにかの年次総会に出席していた時、その会場を記録していた日本人の背の高い写真家が、何と2台のクローム仕上げのニコンSPに1台は35ミリ、もう一台は50ミリで仕事をしているのを見かけて、ああ、これも粋なもんだなあ、と感心した。
知的な存在を感じさせるニコンSPはやはりブラックよりもクローム仕上げに限るようである。ブラックのニコンSpはその「黒子意識」が逆に迷惑である。

かのウイリアムクラインが写真集「TOKYO」の撮影で来日した時には、当時の日本光学工業がスポンサーになって、ニコンSPとニコンFにレンズは21ミリから500ミリを提供したようだ。
そのニコンをクライン30年以上使ったわけで、その広告効果はかなりのものであろう。

時代がくだって、80年代半ばに来日したクラインから「あのニコンはもう古くなったので、ニコンに新たにスポンサーになってもらいたいのだが、、」と聞かされたが、これはうまく行かなかったようで、その3年後にプラハで会ったクラインはライカR6でプラハのスナップを撮影していた。つまりニコンからライカに「乗り替えた」のである。

ニコンSPというのは、60年代初頭、つまりまだグラフジャーナリズムのパワーがまだ充分にあった時代の象徴であることに、今、気が付くわけである。
最近のニコンSPはどうも「知識人の趣味よきお道具だて」という感じにしか認識されないのはちょっと残念だ。

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★デジタルカメラ

★α200で、海上から氷川丸を「激写」し「CCD」のゴミに苦労する

目下、仕事中の1000ページの写真集「日本郵船氷川丸」であるが、先日、ボートをチャーターして普段は見ることの出来ない、海側からの撮影をした。その話は日記にも書いた通りであるが、これは使用する画像は写真集であって、そのページ数は1000ページあるが、そのサイズはA5であるからそんなに膨大なデータはもともと必要ない。

しかし、4月16日の氷川丸のお披露目のパーテイのニューグランドの正面舞台に巨大な幕を制作するので、そのための撮影を依頼されたので、入門用デジタル一眼レフと世の中では呼ばれているが、我が写真事務所では「最大クラスのプロカメラ」と認識されている、α200の出番となったわけである。

それでRAWとJPEGの両方で同時に撮影して、約750メガの画像はそのまま現場で渡してしまった。あとあと、RAWで撮影していなかったので、結果が良くなかったとは言われたくないのは、これはプロ写真家の「本音」というところだ。

発売と同時にビックカメラで57500円でズームレンズ付きで購入したα200であるが、目下、何の不満もない。これで3年は仕事用カメラの良いのが手に入ったと満足である。

唯一の問題点はやはりCCDに埃の付きやすいその「性格」にある。入手した翌日にすでに画面の左下にかなりのごみを認めた。しかし時間切れなのでそのままライラのコンテナ船に乗り、その後、サービスに持参しようと思ったら、やはり時間切れで埃の除去が出来なかった。

それで、普通に下が海、上が空の構図なら目立たないけど、縦位置でペンタプリズムを左に持ってくるとてきめんに空にゴミの飛んでいるのが分かる。

実際に巨大プリントにするときには、それが除去してもらえるのだけど、「納品」する時にはやはり気分が悪い。
各社のデジカメ性能競走も大歓迎だけど、レンズ交換式のデジカメの埃対策の決定打はないものであろうか。

氷川丸のアングルとファインダーの諸問題

R1148214 横浜で氷川丸を撮影した戻りに、有楽町でソニーのα350を見た。

横浜では、氷川丸のスタイリングを船の上から撮影した。

これは4月16日に挙行される、ニューグランドでの氷川丸のセレモニー会場の背景に布地にプリントして巨大な展示になるのである。

その関係者さんと一緒にランチに乗って氷川丸の周囲を巡ってたくさん写した。

氷川丸の絵葉書はたくさん見ているので、その優美なスタイルはかなり遠距離から見た、「左頭サイド10対0」であると思った。

しかし最初はそのアングルで撮影したが、なにか弱いのである。船の到着の様子は2週間前のライラでも名古屋の飛島で視神経を集中してそのアングルをよく観察した。

その結果、左頭であろうと、右頭であろうと船のスタイリングは8対2くらいが一番美しいように確信した。それで、氷川丸もそのアングルか、7対3くらいが一番よいことがわかった。

こういうアングルのとり方は、30数年前にトヨタの車のスタイリングの撮影で知ったことである。車の場合には、カメラをすえた後でドライバーさんにスタイリングの位置を実際に車を切り返してもらって慎重にその位置を決める。

それも「あと10センチ」とか「あと5センチ」とか、「あと1センチ」というような実に微妙なアングルを決めるのである。氷川丸の撮影では、ランチは移動しているから、その手間が省けるのは助かった。

これが船のスタイリングの撮影では一大発見だった。それとズームレンズがなくては、こういう臨機応変な撮影はできない。57500円のα200のうち、18-70ミリズームレンズの値段は1万円である。これはコストパフォーマンスが高い。予備として、カメラの北村で買った、2000円の80-200ミリのミノルタも持参したが、これは出番がなかった。目標が近すぎたからである。

今回は、「父親の遺言」で、JPEGしか撮らないという「禁」を破って、RAWとJPEGの両方で撮影したのは、これは仕方ない。

撮影した画像は750GBほどで、これはバックアップしてすぐに関係者さんに渡した。R1147967

それで一仕事終えて、有楽町まで戻って、例のΑ350をビックカメラで手にしたのである。

こういうカメラは広告などではその使い道があって便利であろうが、スナップショット主体の撮影には、むしろα200の方がよい。これがアマチュア向けの「理想のカメラ」のように誤解されると、困ったjことになるであろうと思った。

要するに、「構図偏重主義」になるのではないか。

一眼レフの利点を最初から放擲しているのももったいない。リアルビューで行くのなら、レンジファインダーでもなく、ただのライカMマウントのカメラで、ライカMDみたいに何もファインダーのついていないモデルに、単にリアルビューファインダーをつけたのがよい。

それなら自分もほしい。この場合、ライカMマウントであるのが好ましい。そういうデジカメはソニーあたりで出さないであろうか。

ライカM8などよりずっと使いやすいと思う。ようするに、ソニーのハイビジョンカメラのシングルショットバージョンで、画質のスチルカメラなみのものだ。

帰宅して、アリフレックスSRにエクステンションファインダーをつけてみた。これは自由にアングルのとれる便利な道具である。一眼レフで行くのなら、一眼レフ式のファインダーにこのようなアングルファインダーをつけたほうがよい。

ソニーのα350の広告のローアングルは、愛犬を撮影。ハイアングルはフェンス越にわが子を撮影というのは、間に入った広告代理店の知能程度がわかってしまい、どうも残念である。もっとよい方法はいくらでもあったのに。

2008年3月19日 (水)

四十年ぶりの懐中しるこ

R0010626 かなり前、赤瀬川原平さんが「こんぶ茶」のことを書いていたので、それに刺激されて「こんぶ茶」を買ってきた。
それを吞んでいると、自分の20代の頃の東京の「純喫茶」では、コーヒーの後に「こんぶ茶」を持って来たことなどを思いだし、その連想でまだ喫茶店でタバコを吸うのがごく普通であったあの当時の純喫茶と、それからタバコの煙で向こうも見えない、ジャズ喫茶のことを思いだした。

子規の墨汁一滴だか、病床六尺であったか、子規の日記に「醒めて懐中汁粉を飲む」というくだりがある。
この一文を読む時は、いつもプラハのアトリエであるから、「ああ、この世の中にはそういう食い物があったか」と思いだしてもプラハでは売っていない。
その懐中しるこをこの前、佃の下のスーパーに発見して買ったのである。

こういう商品は買っただけで満足してしまい、そのままキッチンに2月ほど鎮座していた。
それが先週末は家人が居ないので、なにか不善を為してやろうという(これはどうも浮気なんかよりも、危険なことである)気になって、試食してみた。
それが文明堂のブランドであることが分かった。

その味に関しては特に印象はないけど、懐中しるこの滋味は、そのもなかの皮にあることが分かった。

この味実に40年ぶりである。

☆こころぐは、昨夕からさっきまで約20時間ほどメンテナンスであった。それで今朝の0時00分に更新予定の今日の分の日記の更新が遅れたわけである。

★追記 ライカインコの抱卵中の卵の数、ついに15個に達する。世界記録ならん。ギネスブック登録申請か?

2008年3月18日 (火)

カメラは知的な遊びなのだ。に関連して

R0015980 カメラは知的な遊びなのだ。(アスキー新書)が出て1週間になる。
さっき、アマゾンのランキングを見に行ったらなかなか売れているようである。

この新書には、相当数のカラー画像が収録されいるが、その中で使用されなかった画像のひとつがこれである。

一昨年の今頃、パリからミラノに行った。ホテルはスカラ座のすぐ裏手であって、周囲には古美術商だらけである。ところがその時の自分の買い物の急務は、靴を買うということであったが、その界隈には靴屋は一軒もない。
それで、リビア砂漠のサンテックスではないが、「明日はオレンジ色の市電に乗って、どこまでもどこまでも命のある限り、走って靴屋を探そう」というので、悲痛な気持ちで出発の準備をした。

その前の夕食を買いにきたのが、モンテナポレオーネの近所のこの食品店である。これはどういう意味づけをしてよいのか分からないのだけど、ゲルマン系の国ではスーパーもあるので、その食品の買い方はアメリカ式というか、日本式になる。ただし向こうにはコンビニに相当する店はない。それに相当するのはtabakである。
イタリアのタバコやはそれともかなり異なっていて、ゆえに長く居たドイツ語圏と比較しても、そこに「異国情緒」を感じるわけである。

オペラの裏の界隈にはこういう地元の人しかこないような食品店がある。これはいい。イタリア語は駄目だけど、買い物には不自由はしない。
このカットは自分のあつらえた食品を店の人が、平らな厚紙の皿に綺麗に盛りつけしてくれているのを撮った。カメラはGRDだ。同時に自分は脇のワインの棚で今夜吞むワインを選定しているのである。
本当はバローロが吞みたいのだけど、その品質はかなり良いに違いないけど、その価格は東京のその手のワインショップで買うバローロに比較してかなり高い。それで躊躇した。
だからその日には我慢して、もっと安い普通の白のテーブルワインにした。

あつらえた料理は綺麗な包装紙に包んでくれて、そこに紙の紐がかけてあって、ちょうどぶらさげられるようになっている。その包装紙のイラストがお洒落であった。

その包みの存在感は大昔、父親が近くの寿司屋からおみやげにぶらさげて来たあの経木の折の感じとそっくりなので、洋の東西を問わず、こういう「善きもの」のラップ感覚は同じなのかと感心した。

上の画像は「カメラは知的な遊びなのだ。」には掲載されなかったが、今、この画像を見るとその店の午後の空気とか、店を出てホテルに行く左手に煉瓦造りの小さい感じの善い教会のあったこととか、さらにその先の右手には、カメラのプロ機材店があってそこに35ミリレンズ付きのライカM2があったことなど、この一枚の画像を鍵にして、その前後のことがずらずらと目の前に展開してくる。

それに、画面の右下にちょっとだけ写っている、あれは何と言うのか、ズッキーニを軽くいためた料理と言うにもあまりにもシンプルなのが、あれはどうもイタリアに来ると非常に食べたくなる一皿であったことなども思い出す。

最近ではあたしのリコーのR8の病気が感染して、福田和也さんもR8などを使っているようだけど、福田さんの話ではデジカメで撮影した画像を参考にして、文章を書くことがあるそうだ。

デジカメ、それもコンパクトなそれはこの意味で記憶できる視神経であるわけだが、その記憶できる視神経を今度は文字に翻訳して行くのが、なにか知的かつ冒険な作業なわけである。

カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51) Book カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51)

著者:田中 長徳
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2008年3月17日 (月)

池袋と原平さん

R1147896R1147908 日曜日。
家人はお彼岸シフトで@新潟なので、人間の居ない佃の部屋はまるでどっかのホテルのスイーツに宿泊しているような気分だ。

そういう見立てをすると面白い。それにしては、周囲ががらくたカメラだらけなのがまた一興である。かつてのチエルシーホテルだと思えば良い。

昨夕は夜の池袋に行った。
夜の池袋でじゅんく堂という書店を探して徘徊した。夜に池袋を徘徊した経験は実は初めてである。ちょうど酒の味を覚えたはたち前後に、ここらの安いバーで飲んだのは池袋から都電で家のあった護国寺までの便がよかったからだが、それは40年前のことだ。

だから、池袋はまったく知らない東洋の夜の街という感じで、香港や上海よりも異国情緒がある。
じゅんく堂はその西武デパートの目白よりの東側に立っていた。自分の池袋に関する「土地の古老ぶり」はかなりのポイントである。
というのは、まだ西武百貨店の出来る前であって自分は母とぺんぺん草の生えている鉄道の枕木で出来た柵越しに池袋駅を見ているのである。駅前には巨大な「お釜」を車体の後部に載せた木炭バスが止まっていて、それがモダンに見えたものだ。これは昭和26−7年のことになるのであろう。

それほどに久しぶりの池袋で、探し出したじゅんく堂はプラハにある構成主義建築とまるでうり二つのモダン建築であった。

そこで土曜の夜の午後7時というゴールデンタイムに赤瀬川原平さんと零円ハウス研究家の坂口さんの対談のゴングがなった。

坂口さんは、これは自分の息子ほどの年下だし、原平さんから見ると孫というのは年下過ぎるけど、まあ疑似孫くらいの年齢差である。

じゅんく堂は大手の本屋さんだが、その4fの喫茶店が会場ではちょっと収容能力が少なすぎてもったいない。以前、丸善の本店であたしも似たようなことをしたことがあるが、あそこはキャパが200名くらいであった。だからいかにもバトルトークのゴングのなる後楽園の青いビルとか黄色いビルという感じがしたものだった。

せっかくの好企画なのにもっと大きな箱で開催してもらいたかった。

その対談の感想は自分は隅田川の住人であって、ブルーのパオは身近な存在なのだから、追々に書いてゆくつもりであるがそのことよりも、この手の著者の対談の「社会的な効能」について考えてしまった。

昨夜のキャパは40名ほどだ。この40名の半分が昨夜のメーンゲストの「零円ハウス研究家」の坂口さんの本を買うとしても、巨大な書店にしてみればそんな売り上げは物の数ではない。だからこういうトークショーは完全に「文化的」存在なのである。

それは良いとして、あたしの痛感したのはトークショーは話し手よりも聞き手の方が疲労するという事実であった。昨夜のは90分の持ち時間であって、それを2人で割りかんするわけだから、まあ一人あたりの持ち時間は45分である。自分の経験からすると、この位の時間はあっと言う間であるが、聞き手の方に座るとなるとこれは案外に疲れる。

自分の場合、話し手馴れしているが、聞き手馴れしていないのだ。これは今後の課題であった。

原平さんと坂口さんの会話は面白かった。
坂口青年は気合いが入っていて、何度も水を飲みつつフルパワー状態。これに対する原平老人はさすが老人力のVSOPの年期がはいっているから、完全に肩の力が抜けている。

坂口青年の攻撃は「老舗赤瀬川商店の暖簾に腕押し状態」であって、そのコントラストは見ていて面白い。

これは格闘技なのである。

その会話の中で、いわゆるホームレスさんの反対側の世界に居る、こっち側世界のわれわれの呼び名をどう規定したら良いのかという問題提起が何度も模索された。

愚考するに、ホームレスはそのキャラクターの人を意味するのなら、erを付けてただしくはホームレッサーではどうであろうか。レッサーパンダみたいで学術的な響きがある。

対するに、かりそめの屋根の下に居る我々根性なしは、ホーマーではどうか。サブプライムローンの無差別攻撃を受ける、ホーマーである。
ホームレッサーとホーマーだと、やはり前者の方がその哲学的な存在は比較にならないほど高いこと、これは言うまでもない。

会が散じて、原平さんに挨拶するのは野暮だからしなかった。講演者のお二人が会場に入って来て座った時に、「あ、チョートクさん、来てる」と原平さんがちょっと口に出して、「こんばんは」と自分が答えたのだからそれですでに挨拶は済んでいる。

昨年の暮れに岩波の人から、例の「赤瀬川原平セレクション」とあたしの同じシリーズのセレクションを記念して小酌に誘われていたのだが、その当日、原平さんから体調をくずしたむね、延期の届けをもらった。

その3月後にお目にかかったわけだが、お正月にいただいた原平さんの年賀状は「鼠の目がぐるぐるしている」イラストなのであった。それで原平さんの目眩が気になった。

武田泰淳の名作に「めまいのする散歩」というのがあったが、アーチストは目眩は製作の秘密に関する要素でこれは必須であろう。だから二日酔いの場合を除外して、日常で目眩のないような作家は本物ではない証しだ。
それはそれで良いだけど、ただ、健康面の目眩はやはりよくない。

講演終了して控え室に入る後ろ姿の原平さんは、ちょっと左手でその入り口の壁を支えたりしたのだ。その仕草が気になったがそのまま佃に戻ってきた。

原平さんのこれから、新宿経由で玉川学園まで戻ってお稲荷さん赤い鳥居の坂を登って、その突き当たりのニラ(ニナ)ハウスまでの短くはない帰宅の道のりが気になった。

ああ、坂口さんの「零円ハウス」の著作はその場では買わなかった。そこで買ってしまうとなにか浅草奥山の、蝦蟇の油売りの口上に載せられた無垢な観客めいてしまう。
これは著者に失礼であろう。だから帰宅してから、正式にアマゾンで注文した。

トークショーの「参加作品」として領収書をもらった。
池袋のじゅんく堂はレジが1fにあってそこで集中に支払いをする。パリのfnackと同じシステムだ。だからこういう手書きのレシートは「コレクターズアイテム」になる。

改めて見たら、領収証となっている。やはりじゅんく堂はその文化度が高い。

2008年3月16日 (日)

遊び相手が多すぎる

R0010624 R0010625 土曜日。
快晴。
暖かい。
暖かいので今日から、室内のエアコンを切った。そうなるとコンクリ製の部屋は冷えるようである。
ヒルズだと、朝、部屋にはいって最初の自分の仕事は設定されている室温25,5度を2度下げることである。
しかし佃の部屋は今、室内は20度である。これはちょっと寒いというほどではないが足が冷える。

家人は本日からお彼岸の法要などで新潟に出掛けた。実に久しぶりにヒルズに行かず原稿書き。
Phat Photoなど連載で、こぼれたいたのがあって(これはこの前のライラの乗船が効いている)それをかたづける。

en-taxiで次号から連載を開始することになってそのゲラを直して、これはファックスで送りたいのだけど、A3サイズのファックスマシンはヒルズにはあるが佃にはない。
昨日、それを何度かヒルズでトライしたが、ファックスというクラシックマシンは向こうでお話中だと割り込めないので結局送信ができなかった。

ゲラを送って相手のファックスがビジーというのを実に15年ぶりくらいに味わう。
それで、そのゲラに関してはデジカメで撮影したのをメールに添付して送った。

実に久しぶりに佃に居るので、ライカインコよろこぶ。ライカインコは現在、13個を抱卵中で実に「ご発展」である。
バルコニーに出て、周囲をデジカメ(α200がベースの○×△号)で撮影したり、仕事場にて旧型のキヤノンにセレナーレンズを付けて遊んだりしているのでなかなか仕事ははかどらない。

ついでにそこらで遊んでいるライカインコをスケッチしているうちに夕刻になる。
今夕は2月の初め以来、池袋に行って「じゅんく堂」での赤瀬川さんとゼロ円ハウスの著者の坂口さんの対談を見物に行く。費用は1000円。
そういえば、大学時代に買った原平さんの「零円札」は、あれは一枚は日本カメラの前田編集長に差し上げた記憶があるが、もうひとつはどうしたかな、、などと昔の記憶が蘇る。
あれから40年以上経過しているから、「零円札」がその市場価値が上昇して「マイナス零円札」になっているのではないか。

2008年3月15日 (土)

ライラのレストラン

R0010151 「便乗」からすでに1週間が経過して、あたしはライラに恋をしている。
先週の木曜に大井埠頭に着岸して2泊し、それから清水に向かい、そこでの日数は知らないけど、そこから海路神戸を経て、シンガポールからスエズ運河経由で、仏蘭西のルアーブル、ロッテルダムなを経て、ハンブルク経由でサザンプトンに向かっているはずだ。
乗員は交代しないそうだから、2泊3日でそれなりに親しくなった、コンスタンチン船長以下、順調な航海を続けているであろう。

ようするに、以前、商船三井の富士丸を斉藤茂太先生ご夫妻と同行取材したことがあるが、あれは中に地中海クラブという「人間を無理矢理遊ばせよう」という能天気なプロが1ダースも居たので、正直言って彼らが邪魔であった。

これは郵船の客船のクルーズでもそうであろうが、「旅の途中でお客様を退屈させない」というサービス精神が過剰なのは迷惑でもある。

思えば、「退屈」とは、最大の娯楽なのである。

だから、遊び方を最初から「固定」してしまう一般の商船のクールーズは自分などはごめんだ。
山下公園の氷川丸の向かいのタワーに棲む、例の「氷川丸少年」の見聞したところによると、レジデンス船というのがあるそうで、彼は東京港だかどこかでその船を見学したらしいが、これは大変なお金持ちのクルーズで、ようするに船に棲んでいるのである。

その意味で、昔の水上生活者は今思うと大変な贅沢だ。

氷川丸少年の見聞によれば、かのクルーズ船の見学をした時に、上品な老婦人がデッキチエアで、なにか厚い本を読んでいたそうで、ただただそれだけなのである。
まあそういうのが本当の贅沢であるのは疑う余地はない。

稲垣足穂の本の中に、どっかに日食観測に行く船の中で、大半の連中が浮かれている中に、欧州の天文学者の若い人が独り、そのグループから離れて、独り計算尺を使っているのが、粋であったというくだりがある。
思うにこれなどは理想的な船旅だ。

ところでライラに自分がぞっこんになったのは、これが「客船ではない」と言う一事に尽きる。
クリューがそれぞれの持ち分で黙々と仕事をしているのが、実に理想の人間社会という感じがある。

そのライラクルーズの食事を都合6回とったのだが、これが良かった。
この食事が何に似ているのか、なにが素敵なのか、これを説明することは容易ではない。

ちょっと頭に浮かんだヒントを言うと、実に唐突であるがまずミシュランの3つ★のレストランに似ていたと言える。

その意味は自分の経験した、そのミシュランの三ツ星レストランはブルゴーニュのど真ん中の小さな村にあって、そこに宿泊したのだが、周囲はすでに寝静まった村である。つまり、そこしか食事を出来る店がなかった。

その周囲はブルゴーニュの野原である。ライラのレストランもそこで食事をするしか他に選択の余地がない。
周囲は海である。
これが良い。

この「他に行く場所がない」という一事が、その食事をある種、高踏的かつ決定的な存在にしている。

その味わいは無論、ミシュランの3つ星のレストランのような「エンターテイメント」的に大向こうをうならせるというような味ではないのが良いことは言うまでもない。

これも15年前に腰痛で順天堂病院に、あれはちょうど季節は今頃であって、そこに2週間入院していたことがあった。

お茶の水の高台で、まあ楽しみは食事であるわけだが、あの時の食事と同様に、日々の食事というものは、人間の毎日のこれは祝祭事というよりも、もっと高いレベルの人間存在の秘跡とでも言えるような体験であった。

それで腰痛であっても、別に雑文書きには差し支えなかったし、自分がそこに居るというので、編集者さん関係が皆さんおいでになって、一種のビジネスセンターのようで実に仕事の能率があがった。

唯一の問題は差額ベッド代が@3萬円したので、無理に「早退」したわけである。季節であるから桜は自分の寝ているベッドの後ろの方面の上野公園で咲き出して、眼前には8フィートの正方形のガラス窓から、水色にホワイトの絵の具を混ぜた春爛漫のお茶の水の空が見渡せた。

看護婦の口から出流る花便り 長徳

眼のまえは八尺四方の江戸の春  長徳

@@@@

ライラの船室は、順天堂のそれよりずっと広かったがその隔絶感覚は、自分にある種の安らぎを与えてくれた。

それで、その夕食のこういうチキンとじゃがいもの普通の食事が「人間の最も基本的な食事」に思えたばかりか、自分はブルゴーニュのレストランで、ブレスの鳩を食べている、と見立てをするのもここでは一向に困難なことではなかった。

このオフィサーの食堂に入れ替わり登場する、ルーマニアの面々も黙々と実にストイックな感じで食事をして、その様子はなにか宗教的な高尚さすらあった。

その食事の時にサーブされた、小さな小さな紅いりんごを家に持ち帰ったのを、家人が一週間後の金曜の朝食に食べて「これは欧州のりんごの味がする」と感激していた。

そういう感想を聞くとまたライラに恋することになる。

2008年3月14日 (金)

キヤノンのらいか

R1147795 この数週間、キヤノンの旧型のRFモデルに興味が行っているわけだ。ラピッドワインダーの付くモデルが好きである。このワインダーは当時(1950年代)には3500円した。当時のその価格が今のどの位の価値になるのか、それは分らないけど、f1、5のキヤノンレンズの付いた4sbの価格は8萬5千円である。

ラピッドワインダーは付けたり外したりが可能なモデルが写真機の機械学としては重要である。その後のVTなどのモデルになると最初から、ラピッドワインダーは本体の一部になっているから、セクシーではない。

キヤノンがその生産台数が2億だったか、20億だったかは忘れたが、ブロンズ製のキヤノン4sbの実物大を制作して送ってきたのは、あれは20年以上前だ。

本物のカメラから、ブロンズの型をとる時に、ファインダー窓の飾りリングが欠如したモデルを使ってしまった。

だから完成した銘機観音四SB型の銅像には、そのまま飾りリングがない。

これは「カメラの制作に完璧はない」というキヤノンの自戒の為の会社精神の発露かと思ったが、どうも単なるミスのようであった。

その変なモデルをリリースする許可を出した当時の管理職もえらい。

どうもあの頃から「観音カメラは」それ以前に自分の思っていたそのメーカーのカメラとは異なる方向に羅針盤を転進させたようである。

らいか というのは、以前考え出した自作の業界用語であって、国産のライカコピーの意味である。だから、レオタックスも、安原も、ニッカも、タナックも、それらは「らいか」である。

その「らいか」が現役であった50年代から60年代に、そういう「らいか」にライツのレンズを装着するのは、カメラ使いとしては最高のダンデイズムであった。

自分などは、ライカは手に入れたけど、ライツのレンズは高価で買えないから、仕方なく、ニッコールやセレナーのレンズを「代打」で使っていたのだから、これはお話にならない。
その意味で、上の画像、らいか+ライツレンズというのはある意味「らいか使い」の理想なのである。

 


2008年3月13日 (木)

google earthで空中散歩

R1147781 ヒルズの49fはすでに5年目になるわけである。
その間に以前あった50fは閉鎖になったりまあ、紆余曲折があったわけだがヒルズの49fは気に入っている。

自分の書いた最近の10冊以上の本のまえがきとかあとがきは、「ヒルズの49fにて」みたいな、愚にもつかない文句を書き足しているのだが、それだけまえがき、あとがきの登場するのは、仕事場としては便利である。以前は「プラハのアトリエにて」と書くのが定番であったが、この数年、その方向が変わったわけだ。

そのライブラリの5年の間に、改装が行われたわけだが、そこに通う自分はいつもGパンにユニクロのTシャツで、一年中ほとんど同じ格好である。
しかし51fの倶楽部にはまさかそのスタイルでは入れないので、25年前にマンハッタンはキャナルストリートで20ドルでかった、グリーンのジャケットをひっかけて行く。

倶楽部の人も5年来同じスタッフさんであるから、自分のジャケットを嫌でも記憶しているわけで、挨拶してくれるのは嬉しい。
なにか、それしか持っていないような誤解を一部には受けているが、こう見えてもワードローブはそれなりに所持しているつもりなのである。

ただし、着て行くものが1種類であるから、結果としては着たきり雀のように見えるのは、これは自分の責任である。

ヒルズに行って仕事をしている時には、出来るならなるべく変わったことはしたくない。だからランチには下の以前はampmで、サンドイッチを1個だけ買うのが常だ。
最近、その店が無くなってローソンになった。

でも、サンドイッチ1個は同じであって、価格195円である。それで、グレープジュースを1缶飲んで、それでおしまいである。
その時に座るライブラリカフェの位置も決まっていて、サンドイッチを食べながら、読むのは稲垣足穂の「一千一秒物語」(1923年金星堂刊行の復刻)である。ランチの時、他の印刷物は見ない。だから足穂の本が食事の一部になっている。まさか紙は食べないけど、読み古したセンテンスを繰り返し読むのは興がある。

というのは、この初版本(の復刻版)は、後の時代のテキストとかなり異同がある。それが面白い。ちょうど、最近出た、岩波写真文庫の「田中長徳セレクション」の5冊の復刻本もそうであるが、半世紀前の本にはそれなりの個性的な文体がある。それが時代の味わいというか、クラシックライカのファインダーを覗いているような気分にさせてくれる。

そのように、印刷されたような暮らしをしているのは仕事の上では良いのだけど(でないと仕事が溢れてしまうので)一方で自由にそこらを歩行したくなることがある。
しかし身柄はヒルズの49fに居るのであるからそうは行かない。
それで思いついて、PCを二台列べて1台で仕事してもう一台では、google earthを立ち上げておき、これで空中散歩をする。

ヒルズの隣の米軍基地のパイロットは軍用ヘリでそこらを散歩(しているように見える)しているが、その真似である。
高度は500メーターほどで、東京湾の海ほたるの上から、羽田のC滑走路の上空に飛行し、さらにヒルズを目指して、そのまま都心を抜けて新東京タワーの建設予定地を飛び越え、荒川に遊びに行ったりする。

自分の身体はまさにここにあるのだが、脇にあるPCの画面では、自分は確かに空中散歩をしている。
時には、飛行高度を200メーターほどに低下させると、森タワーに激突してそのまま、反対側に抜けてしまう。こっちは別段死ぬわけでもない。
これは実にスリルがあってすっきりする。

今朝は仕事が混んでいるので8時前にはヒルズ。東京湾が逆光に輝いて古代の銅の色に見えるのが妙である。

2008年3月12日 (水)

ライラに見る正しい双眼鏡の使い方

R1147001 船のブリッジを仕事の場にしている男達は偉いと思う。

自分のような部外者から見れば、実にロマンチックな海の男の職場という感じがするが、いかに勤務地と住宅地が近いとはいいながら、(船長の居室はブリッジの真下である)毎日、毎日、同じスタッフと顔をつきあわせているのは大変であろうと想像した。
そのような長い時間(欧州から日本までは1月弱かかる)に耐えることもまた海の男の苦労のしがいがあるという点なのであろう。

ところで、2泊3日のライラの旅であったが、艦橋に入り浸っていた自分が一番に興味があったのは、彼ら、船のプロフェッショナルの使っている双眼鏡であった。
自分がヒルズの49Fから周囲を観察する時には、シュタイナーのM22とか、スイスのケルンのやつを使っている。
これらは高級双眼鏡なのである。

だから、75000噸クラスのコンテナ船で船長の使うのは、どんな「プロの道具」であろうかと期待していたのである。
その期待が見事に裏切られた。
それが実は「さすがにプロフェッショナルは道具を選ばないなあ」という感想であった。
広い艦橋の操舵士のところに1個、それからその右の船長のポジションに1個、さらにその右側のファーストオフィサーの位置に1個、これは個人の装備ではなく、会社から貸与された双眼鏡が都合3個おいてある。後、予備のやつも右手の奥に置いていある。
それらを見て最初に驚いたのは、その4個目の予備役とも見える双眼鏡は、秋葉原のバッタ屋で2000円くらいの安物なので、へえ、、、と思った。

船長のと操舵士のと、それからファーストオフィサーのは、さすがにニコン製であったが、よく見るとその本体はプラスチックでなんとなく安っぽい。
覗いてみると、なんとなく視野も狭い。

バルチック艦隊と戦った、東郷さんの双眼鏡は天下のツアイスであって、しかも接眼部はターレット式で、2組のレンズを交換できるやつだった。

まあ、現代の進んだ航法では、双眼鏡で「敵艦」を発見するのではなかろうが、ちょっと拍子抜けである。

でも冷静に考えて見ると、プロ写真家を「張って」いる自分も今回の撮影で持参したのは、いかにもプロっぽくないコンパクトデジカメ3台と、デジタル一眼レフの「入門機」と、ローライのミニデジカメである。まあ、プロというふれこみで乗船した自分の機材は安物ではないけど、一般向けの機材である。

本当はフルサイズのデジタル一眼を持参しないといけないのであろうか。にもかかわらず、自分はポケットから取り出したR8(上の画像はそれで撮影)と、カメラのキタムラで2000円で買った、ズームレンズ(80−200)で仕事をしているのだ。

弘法筆を選ばずは、古文ながら、やはりその道のプロは道具は選ぶのである。
その道具を選ぶという意味は「実用の最低限」を満たしていれば、道具は最大の効用を発揮するという意味なのであろう。

我々が、双眼鏡を使う男というイメージは、陸上では競馬見物は上等な方で、もっぱら双眼鏡を持って夜陰にまぎれている男性には、どうしてもよからぬイメージがつきまとう。
その意味で、航海中に双眼鏡を覗く男性は、ダンデイの極致である。

彼らはパパッと双眼鏡を構える。しかも長い時間は見ていない。それがいかにもプロという感じだった。

ついでに言えば、ジャンボのコクピットなどには双眼鏡は装備されていない。機長は秋葉のバッタ屋で250円くらいの安物の腕時計を付けている。

それがまた粋であった。道具に凝らない。これはその道のプロである。

一方で、アマチュアはニコンD3とか、M8に8枚玉の高価な広角レンズを付けて、それで武装しようとする。哀れなものである。

2008年3月11日 (火)

ロボットSCとR8

R0010609ここにあるのは、右が本モノのスパイカメラ。

左は一般向けのデジタルカメラだ。

まず大きさの比較である。
ロボットSCは1982年から90年代に約1500台が生産された「本物のスパイカメラ」である。もともとアタッシュケースとかに仕込んで、リモコンで撮影する。35ミリフィルムだが、特殊なマガジンに入れて、そのマガジンは本体の一部でそれごと交換できる。
16x16の正方形の画面を50枚前後撮れる。

スパイカメラマンはあらかじめカセットに80センチほど(つまり普通の135フィルムを半切する)を暗室で装填する。

これが当時のスパイさんには不評だったようだ。事実、フィルムに馴れている自分でもかなり装填は面倒である。もともと2個のカセットを用意して、それを交換するのである。
自分は2個のカセットを持っているが、市場にたまに出るのは、1個だけのカセットのカメラが多い。

無論、普通のカメラのようにファインダーを付けて撮影することも出来る。そのロボット製のファインダーは伝統的に視野が曇ったようではっきりしないのだが、その伝統はこのロボットSCでも守られている。

レンズはXenagon 30mm f5,6で絞りはそれだけ。オートで露光が出来る。
写りは優秀だ。

このカメラはまだこの世の中にデジカメの登場する以前に「もっとも小型な35ミリカメラ」であった。
もう一台は、おなじみのR8である。赤いキャッチアイのつもりで、以前、ぽん工房に作ってjもらった、エプソンの丸ぽちが付いているが、これは正真正銘のリコー製品だ。

こっちの方がどうもスパイカメラをしての有効性は高い。まず、ロボットはサイレントオペレーションということになっているがモータの巻き上げ音は聞こえる。

R8はまったく音がしない。
ロボットは撮影カットは50枚までであるが、R8は2GBで、4000カットは撮影できる。

ロボットは30ミリのフィックスレンズ。
R8は7倍のズームレンズ。

ロボットは80年代に5000マルクもした。ライカなどよりずっと高価であった、年間の生産台数は約125台。当時、同じ重さの純金と価格が同じと言われた。
一方のR8は、お買い求めしやすい価格だ。

ようするに、現代のコンパクトデジカメはごく普通の価格で、しかも諜報カメラとしての効用も兼ね備えている。
そういう面白い時代になったものである。
各国の諜報機関はそういう各種のコンパクトデジカメを任務に使っているのではあるまいか。

2008年3月10日 (月)

「カメラは知的な遊びなのだ。」本日発売!

カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51) Book カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51)

著者:田中 長徳
販売元:アスキー
Amazon.co.jpで詳細を確認する

R1147775 カメラは知的な遊びなのだ。
は、本日発売。
まずは、デジカメとライカのデザイン論の本音を語ることができたのが手柄であった。
本書は語り下ろしなので、その分、「話が先鋭」になっている。

もうひとつは、新書のカラー版として、かなり良い質の画像が印刷できた。
ようするに、ここでは「補正されたきれいきれい画像」ではなく、リアルなちょっと末枯れた画像を掲載した。
ウイーンの色の褪せたポスターとか、プラハの虹、さらにヒルズのたそがれ、プラハで炊事したリゾットなどである。

視神経の延長としてのデジカメの知的な使い方も伝授。

岩波の新聞広告の寺山修司さん

R1147741 朝日新聞の日曜の朝刊に、寺山修司さんと並んで、あたしの名前が出ていると家人が言うので、紙面を見てびっくりした。

岩波書店の3月の新刊の広告で、「復刻版岩波写真文庫 田中長徳セレクション 全5冊」というのである。その隣が「寺山修治未発表歌集 月蝕書簡」の広告だ。

昨夕、福田和也さんらと東京を浅草裏のすしや[468](これでヨーロッパと読む)から、もう閉店になる松風、さらに江戸文化道場という変な看板のある、どぜうやの裏にある、シャーロックという生ギネスの飲める店、さらになつかしの茗荷谷駅裏の四川料理店を探検したのだが、その時、福田さんは、あたしの旧著「東京ニコン日記」を手に入れたという話をした。

その翌朝に岩波の広告に寺山さんの名前を見たので、ちょっとした感慨あり。たしか10年まえの写真集「東京ニコン日記」の中に天井桟敷の当時の寺山さんの写真があったことを思い出して、頁をめくったが、なにしろ700頁を超える新書写真集なので、ちょっと発見できなかった。

当時(1967年ころ)写真家の須田一政さんが天井桟敷の専属カメラマンであって、その関係で自分も新宿の厚生年金会館の公演などに出入りしていたのである。

寺山さんはかなりのカリスマ的存在であった筈だが、その記憶よりも、喫茶店で食事をするとき、カレーをスパゲッテイにかけたのがお好きで、もともと喫茶店にはそんなメニューはないので、寺山さんはカレーのライスぬきとスパゲッテイのそのまんまを注文して、自分でレシピをするわけである。

前衛劇の演出というのは、そういう「カレースパ」を造るような仕事なのかと思った。
寺山さんは自分から見ればかなりの「おやじ」に見えたわけだが、今朝、岩波の広告に見る寺山修司はかなりの若造に見えるのが、実に不思議であった。

上の岩波の新聞広告の田中長徳セレクションの縦位置の瀬戸ものの写真。
実はこれは知る人ぞ知る、まだ若い頃の東松照明さんの作品なのである。

今回の5冊のセレクションは1950年から56年にかけての写真文庫の復刻である。
「写真」「レンズ」「本の話」「やきものの町 瀬戸」そして「パリの素顔」(発行順)の5冊だ。

デジカメ以前の写真のパワーを実感満喫することのできる本である。
半世紀前には、「写真」と「レンズ」というタイトルの本は出版されたが「カメラ」というタイトルの写真文庫はついぞ発行されなかった。
当然の話で、「写真」も「レンズ」も1950年の発行である。
すなわち、敗戦後まだ5年である。写真機などはまだまだ一般の商品ではなかった。

最近、講和条約以前の昔のキヤノンなどが好きになっているのは、どうもこの岩波写真文庫復刻版が深層心理に存在するようだ。

2008年3月 9日 (日)

キヤノンビットという存在

107893 最近、またキヤノンのRFモデル、それも1950年代製に欲望が沸騰している。

その理由は定かではないが、中学校の当時の理科の先生で梅田八郎先生という人がいて、この人はクリスチャンであって、当時の本郷教会のミサなどにも連れて行かれたのであった。

どうもそのあたりの影響のようだ。

稲垣足穂は神楽坂の赤貧時代に関口協会の公教要理などに通っていて、その芭蕉庵脇の胸突き坂の早春の描写などは好きなくだりである。
足穂はカソリック、梅田先生の場合には、エバンゲリッシュの違いはあったにせよ、昭和のモダンな環境にはそのような、耶蘇教がよく似合っていた。

その梅田先生の愛機が当時、八萬五千円もした、キヤノン4SBなのである。これには50ミリf1,5の高速レンズがついていた。

そういう影響が深層心理にはあるようだが、それから時代が下って、1970年代はじめに、北井一夫さんが、三里塚を撮影したのがキヤノン2dに、キヤノンのラピッドワインダーに25ミリの広角レンズであって、のちに木村伊兵衛賞を得てライカM4に「転向」するまでは、北井さんはキヤノンのヘビーユーザーであった。

時代のスター、北井を真似てわれわれ、駆け出し写真家は中古カメラ店で、ラピッドワインダー付きのキヤノンを争って買ったものだった。

この場合、そのあとのモデルには、キヤノンのVT(これはヴいていとは言わずに、ごていと呼ぶべきである)本体の下に最初から巻き上げ装置を固定化したモデルが出たが、この場合、カメラの機械学として大事なのは、それが取り外し可能なことが魅力なのである。

この前、ebayを巡回していたら、たまたまシアトルのカメラ店にこの装置が出たので手に入れた。
断っておくが、こういう余分な肥大した底蓋を手に入れたところで、写真の腕が上がるわけではない。

2008年3月 8日 (土)

ライラの旅

Dsc02628Img_0283R0010589 写真集「日本郵船氷川丸」に掲載する、コンテナ運搬船ライラ(75000頓)の取材で2泊3日のクルーズ。水曜の午後11時半に出港。
木曜の午後1時半に定刻、大井ふ頭に到着した。

火曜の午後、名古屋の埠頭でライラの接岸を撮影したわけだ埠頭にいた関係者は総勢4名。

われわれの前になにも存在しない海の上に東京駅のような島がゆるゆるとあらわれて、眼前はその巨大な存在で埋め尽くされた。

あ、上の写真は、△○×号こと、α200での撮影である。

レンズはカメラのキタムラで買った2000円のミノルタ80−200ミリ。優秀な描写である。望遠レンズは2千円のに限るな。

以前、ANAの撮影で、羽田空港の立ち入り禁止地区に担当の人を入って、ボーイング747を8x10カメラで撮影した経験があるが、それとは比較にならない迫力であった。

2008年の「ノアの方舟」いう感じがする。
もし、ハリウッド映画「ライラの冒険」を自分が制作するのなら、地球上の大洪水でこの船だけが海を漂流して、最後に新天地を探し出し、新しい人類が再出発するというストーリーにする。

ただし、乗り組みは本船二十数名と、便乗が3名。全員男性だから、これはストーリーをちょっと変更する必要がある。ただし主演は二コル・キッドマンではだめである。キャステイングはよく考える必要がある。

名古屋の3月5日の午後11時半の出港はブリッジの明かりを全部消して行われた。なにか暗室作業という感じがして、それが実に「写真的」であった。

港湾の水先案内人と通常の水先案内人の二人が乗り込む。キャプテンがスターボード側の艦橋に立つ。
スタートには感動した。島がゆるゆると動き始めるのである。

まるで「ひょっこりひょうたん島」である。

昨年の10月には、パリから帰国するときに、セントレアに着陸し、偶然に愛知県知事さんと隣合わせになって名刺交換した珍事があり、その早暁に小牧基地で戦闘機の事故があって、あわただしい帰国になった。

その思い出のセントレア空港をずっと左手に眺めつつ夜景を楽しんだ。同行して各種のアテンドをしてくれた、郵船の一等航海士の木村和裕さん(写真3番目)はアフリカからペルシャ湾から世界中の海洋を駆けめぐった専門家である。
自分は航空機に関しては以前の仕事関係で素人なりに多少の知識は持っていたが、
船の方はまったく知らないので、木村さんにいろいろと教えてもらった。要するに航空機の各種運行のシステムはその基本が航海術から来ている。そりゃ、航海術は有史以来、航空術はこの100年だ。
今回の日本郵船のサポートとアテンドのことは感謝して長く忘れない。

あたしのポートレートは、日本郵船(ただしくはニッポン郵船と発音する)木村さん撮影。

船長はルーマニア人、オフィサーもルーマニア人で他のスタッフはフィリピン人である。便乗の3名だけが日本人というわけだ。船内には神棚があり、宮原社長の安全航行に関するステートメントが顔写真入りで神棚の脇に掲示されていた。この前、郵船でお目にかかった人がそこに掲示されているのは、ちょっと不思議な感覚だった。

海図の脇にはパセンジャーリストとして、あたしと博報堂の増村さんと、郵船の木村さんの
名前がみえる。

総勢クリューは23名。便乗が3名で、26名。二十六人の海賊どもというところだ。

あてがわれた居室はかなり広い。以前、世界中の高級ホテルのインスペクションをした経験からすると、自分の部屋RADIO OFFICERの部屋は、シンガポールのラッフルズ(旧館のほう)のスタンダードツインの大きさはある。あそこは空調はなかったが、ライラには空調がある。これは氷川丸より居住性は良い。

だから、木曜の夜に3日ぶりに佃の自分の寝室で寝るときには困惑した。海の上のホテルの方が陸の上の自分の寝室よりも広いのである。

普段なら、飛行機で帰国して「やっぱりフルフラットシートより、自分のベッドの方が広い」と安心して足を伸ばすのであるが、今回は逆である。

三日ぶりにヒルズの49Fに戻ってきた。これからは東京湾は今までと異なった感覚で眺められるようになった。

2008年3月 7日 (金)

エクザクタ66で「コンラン卿」

R1146971 コンタフレックスには、戦前の二眼レフのそれと、戦後のレンズシャッター式のそれとの二つの同名異種のカメラがある。
ライカMPにも、1959年台のそれと、最近登場したそれとの同名異種がある。
ペンタフレックスというのは、ドレスデンで生産された16ミリ撮影機であるが、戦後になって、 日本で登場した35ミリ一眼レフでも同様な名前のがある。

それぞれに混乱する。
六本木ヒルズで仕事するようになって、5年であるが当時、コンラン卿デザインの室内というので、それが売りであった。自分はそれを知らないので、コンラン卿というよりも「混乱今日」だと思っていた。
それで5年前のメールなどではメールの始めに「混乱卿です」などとやって遊んでいたものである。

先日来、知り合いになった、日本郵船の停泊地を見下ろすタワーに住んでいる「氷川丸少年」の口から「コンラン卿のデザインが好きです」などと聞かされたので、ようやくこの言葉の正しい使い方を思いだした。

それで、エキザクタ66なのであるが、こっちの方はやはり混乱今日なのであって、エキザクタ66には、戦前のフィルムを横に送る方式のと、戦後のフィルムを縦に送る方式のと、さらに80年代に登場したペンタコン6を改良して、ゴムの被覆をつけたのと、都合3機種があるので、まらにコンラン卿なのである。

その中の2番目と3番目のカメラは持っている。一番好きなのは、この縦型の66である。
その操作は難解であって、10年ぶりのカメラを取りだしたらその使い方をすっかり忘れていることに気づいた。
特に、フィルムの装填がよく分からないのである。こういうカメラの使い方は、GOOGLE
で調べても分からない。

レンズは52ミリのフジタである。これを輸入していた(1500台だけ生産されたという)アメリカでは当時はまだ、レトロフォーカスの6X6用の広角レンズがなかったので、フジタ66の広角レンズがそのまま、エキザクタ66に使えるアダプターが存在した。
同様なフジタのレンズをハッセルブラッド1600Fに改造するサービスも存在したようだ。
こっちの改造はマウントを完全に造り変えてしまうので、マウントアダプターではない。

2008年3月 6日 (木)

「○×△號」に付けるプライムレンズ

R1146970 映画の(これは商業映画のこと)撮影では、35ミリフォーマットの場合、仕事用のレンズはズームレンズというのは、やや特殊な場合であって普通はズームではなく、固定焦点のレンズ、つまりプライムレンズを付けるものである。

自分が仕事を手伝った、1976年の冬のフォルカーシュレンドルフ監督のロケでも、カメラ(この場合、キャメラが正しいが)は、アリフレックス35BLであって、フィルムストックはイーストマンダブルX、レンズはツアイスの(当時の)スーパースピードであって、たしか25、35、50、85、135がワンセットであった。

そういう風に固定焦点の玉を使うのが普通である。シュレンドルフ監督の場合、多用するレンズはもっぱら50ミリ、それとたまに85ミリを使用するだけだった。

普通のかつてのコンタックスRTS好きのお金持ちのカメラマンが、お金にあかせて各種の固定レンズをずらりと揃えるのも結構であるが、大監督は逆にレンズ選びにはストイックなろころがあって、それが格好良かった。

どうも、25−250ミリのズームレンズなどを使うと「費用の切り詰められたクンフー映画のような感じがして、そこにはあまり「知的な映画の香り」がしないものである。

話が変わって、実は目下、コンテナ船に便乗して、その手の安手のズームレンズで楽に仕事をこなしている筈なのであるが、最近、手に入れたα200にしても、真面目に撮影をしようと思うとやはり、単焦点のプライムレンズが気になる。

もっとも、超高級なツアイス財団のツアイスは使う方策はないから、もっぱらオリジナルのツアイスイエナとその仲間とか、これも銘玉の誉れ高い、板橋は前野町の「琢磨」などである。

そうそう、地味だけどなかなかの描写のメイヤーのプリモプランも忘れられない。これは坂崎さんから数年前にもらったレンズである。

★日録
目下、日本郵船のコンテナ船に便乗航海中。
ネット艦橋なし。
帰国は週末か?

2008年3月 5日 (水)

ノーウッドデイレクターとセコニックスタジオデラックス

R1146969 セコニックのスタジオデラックスという、入射式メーターは今ではどうだか知らないが、この半世紀以上、プロ写真家の必須の機材だった。
これは反射式ではなく、入射式のメーターなので、周囲の影響を受けにくい。ポートレートの撮影などには必須である。

馴れないカメラマンだとモデルのバックが白と黒だと、それぞれにバックの影響のある露光を計ってしまって失敗することがあった。
今のカメラはデジカメでも何でも全部、反射式の測定である。内蔵のTTL方式のメーターで入射式のは、わずかにトプコンの一眼レフで、レンズの前に巨大は乳白色の入射式の測定の半球をつけた装置があった。
もっとも、これでは露光を計ってすぐに撮影することは出来ない。まずそのでっかい半球を外してからの撮影となる。

セコニックのスタジオデラックスには御世話になったが、昨年の5月にある会合でセコニックの会社の人と歓談する機会があって、まだ同じモデルを生産していると聞いて、非常に懐かしく思った。
しばらくして、セコニックから、最新式のメーターを送ってくれた。
と、言ってもなにも変わっていないデザインであって、こういう定番商品というのは時代の流れの中でも変わらないものである。
それが良い感じだった。

ついでに、大昔からうちにある、このセコニックのコピー元となったアメリカ製のノーウッドデイレクターを探し出した。
シャッター速度の表記などが昔風であること意外には変わっていない。
その光電池の感度も最新のセコニックと寸分の狂いもないので、これには愕いた。

入射式メーターには強力なマグネットが入っているので、キャッシュカードと一緒にすると、カードがやられてしまうのは要注意だ。

あの写真部の福田和也さんは、セコニックスタジオデラックスの使い手である。例の写真部の撮影で福田さんはかなり馴れた手つきでスタジオデラックスを操作していた。

入射式メーターの効能は、大女優さんの撮影などで、その近くまで接近できることにある。
測光する場所までメーターを持って行くのが、入射式メーターの使い方の基本であるかからだ。

★日録
目下、日本郵船のコンテナ船に便乗航海中。
ネット艦橋なし。
帰国は週末か?

2008年3月 4日 (火)

KCチョートクカメラコラム

R0010016 ★カメラコラム・デジタルカメラ

デジタルなミニチュアローライフレックス

次回のえい出版から出す私の本は「ローライフレックスワークショップ」なのだが、その打ち合わせで輸入代理店の駒村商会の山口さんと新田さんにヒルズであった時、発売したばかりのローライフレックスミニデジを見せてもらった。

今度のローライの本は当然ながら銀塩の話なのだけど、このミニチュアローライはデジカメであるのが面白く、これを次回のえい出版の本に載せようということになった。

デジタルカメラのデザインの本筋は、仕事カメラは例の一眼レフスタイルを当分は引きずって行くであろうが、普通使いのカメラはこのようにアクセサリーめいて首からぶら下げる「シュムック」(ドイツ語で宝飾品)のようなスタイルになるであろう。

ローライフレックスミニデジは最初からローライのミニチュア化であるので、ちゃんと上からファインダーを覗くことが出来る。実はこれはLEDであって、二眼レフの上のビューレンズはこれはダミーである(このことは取説にも書いてある)。

しかしその操作感覚は完全に二眼レフのそれだ。クランクを1回転させて撮影するところもそのまま、オリジナルを踏襲している。
姉妹機にライカM3ミニデジがある。これは巻き上げレバーはあるけど実際に使えるわけではない。だからミニローライデジの方が「オリジナルに肉薄」しているわけだ。

駒村さんと打ち合わせが済んで、博報堂の阿部さんが写真集「日本郵船氷川丸」打ち合わせで見えた。阿部さんは別にカメラには詳しくはないのだけど、ローライフレックスミニデジを見て「一目惚れ」であった。

これは女性のアクセサリーとして使える実例なのである。広告関係の人だと、ロケハンなどでケータイに付属のカメラで撮影するのはなんとなく、お洒落でないものだ。その次第は3月10日発売のアスキー新書の「カメラは知的な遊びなのだ。」に書いてあるが、こういうアクセリーめいたミニデジを女性が使うのはお洒落だと思う。

このカメラに宝石をくっつければ、テイファニーの宝飾ウインドウに並んでも一向におかしくはない。

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R0010025 ★カメラコラム 銀塩デジタルカメラ

ワクワクするカメラ人生

えい出版のGRD2ワークショップの売り上げは、シリーズ1の立ちあがりより好調とのことだ。

その出版契約書が出版社から送られてきた。同時に最新刊の3冊のカメラ文庫が到着した。そのタイトルは写真でご覧の通りだが、ちょうど春の撮影シーズンの開始と同時にこういう企画を出すのは、なかなか編集者の腕の見せ所である。

ここで展開しているのは、銀塩カメラの楽しみのその方法とそのテクニックとその感じ方と、それからこれが大事なのであるが、その結果としての作品である。

その結果としての作品が非常に心に染みるのは、それが自分の感性の満足の為にだけ奉仕しているのであって、仕事の写真などとは隔絶している点にある。
これが本当の写真の知的な楽しみなわけである。

しばらく前だと、そういうフレッシュな視線を広告業界とか出版業界とかが「広告の道具」にしてしまい、そこからすべてが発展というような図式なあった。これは世の中の仕組みではあるかも知れないけど、本当はここに展開するような「高踏」な映像群は、コマーシャルなどに使うべきクラスではないのである。

ここには個人の視線の柔軟な遊びと思考がある。

この3冊の写真文庫は「個人の視点」の存在がその原点だ。一方で岩波写真文庫の復刻版(と、そのオリジナル)の場合、敗戦後の日本の状況では写真というのは社会的な存在であって、個人の視点などではなかった。
この半世紀の最大の進化というか、異変事はそこにある。

3冊の文庫を見てそれぞれにそれぞれの方向に旅に出たいと思うが、自分の撮影方向はどうも鉢谷さんと池田さんの中間方向にあるようだ。

2000円ぽっきりのα用望遠レンズ

発売早々に手に入れたα200であるが、まずまずR1146968 満足。これ以上の高級機は今のところ欲しくない。
これだけの機能のデジ一が、「初心者用」というのは解せない。
大したものである。小型軽量な機材というのは、特殊なプロ用という見方をするのなら、日本のデジカメ業界はそういう高性能小型軽量の機材が安いというのが不思議なことだ。

α200の唯一の問題点は、M42マウントアダプターでプライムレンズを使用するときに、オートのモードでは撮影ができずに、「追針式」の露光決定になってしまうことだ。まあ、馴れれば何でもないことだが。

それで今日から、コンテナ船の撮影で名古屋方面の飛鳥埠頭に来ているのであるが(というよりもこれは予定稿)そのメーンカメラはR8とα200である。

α200には17−70ミリレンズが付いているのだけど、飛鳥埠頭では遠くから入港してくるコンテナ船(LYRA 75000噸)も撮影するのであるから、望遠レンズが欲しいと思って、レンズ探しに先週金曜に実に久しぶりに新宿を徘徊したのだった。

カメラのキタムラに行ったら、2000円のα用のズームレンズがあった、80−200ミリで明るさはf4−5,6で実に小型軽量である。
まさか仕事用のレンズが2000円ぽっきりで手に入るとは思わなかったので、大満足。
レンズも無理をしていないので、コマ収差も少なくて、「実写」したらなかなかシャープな描写である。

問題はα200はゴミの付着が怖いので、なるべくレンズ交換はしたくない点だ。以前、ソニーの広報から借りていた時には、レンズは18−250ミリだけを使っていたのだが、常時の携帯だと小型のズームが2本の方が良いのは当然である。
だから、今回は2本のレンズを交換することになるのだが、これもごみ対策を思うと、出来ることならあまりしたくない作業なのである。レンズ交換は風呂場でするのが、埃が立たなくてよいが手近にバスを用意するわけにも行かない。

もう一台のメーンカメラは、R8である。こっちはレンズ交換の手間がないのは便利。それにポケットに入る。銘機GRD2も持参したが、コンテナ船便乗だと、ズームレンズの方が便利であるのは言うまでもない。

★日録
目下、日本郵船のコンテナ船に便乗航海中。
ネット艦橋なし。
帰国は週末か?

2008年3月 3日 (月)

岩波写真文庫復刻版田中長徳セレクションとアスキー新書「カメラは知的な遊びなのだ。」

R1146967R0010026 昨年から仕事にかかっていた、岩波写真文庫の復刻版は5日に発売。
田中長徳セレクションという体裁で、5冊が出版された。
これが第三集だ。最初が赤瀬川原平さん、二番目が川本三郎さん、3番目があたしなのである。

「写真のパワー再発見」である。その通りのスローガンをシールにして貼った。無論、これを剥がすと、本物の写真文庫(のレプリカ)に変身するのが、アイデアである。

1950年代の岩波写真文庫を今に見るのは、なかなか興味深いものがある。
「レンズ」とか「写真」の復刻版を見ると、その技術の進化に驚かされるけど同時に、レンズとか写真の理論と効能は実は何も変わっていないのだとも再認識される。
今、愛用しているライカはその土台の上にあるわけだが、仕事に使っているデジカメはさらにその先に存在するわけである。

「やきものの町」と「パリの素顔」は、やきものの町は瀨戸のドキュメントを東松照明さんの若い当時の撮影(クレジットは入っていないが)であるのに、興味がある。
なにか、アフガニスタンを撮影した「泥の王国」(東松さんの写真集)を思いだした。

面白いのは、やきものの町と、パリの素顔を比較するに、瀨戸の方は、景徳鎮よりもまだ大昔のように見えるのに対して、パリの方はそれが半世紀前の光景であってもその変化はあまり見られないということだ。

復刻版の岩波写真文庫がもたらす一種の不思議な感慨というのは「写真の時間性」の不思議さである。昔の写真は時間軸の過去にあるから、単に古いとかその過去の記録性の効能などを頭では普通に理解しているつもりだが、実際に写真文庫の復刻版をめくっていると、どうも写真の時間性というものは、そういう普通に理解している観念とはちょっと違った位相に存在する様なのである。

@@@@

アスキー新書から「カメラは知的な遊びなのだ。」は10日の発売。

さっき、見本が届く。カラーの刷りがなかなか良い。プラハの壁の色彩とか、自炊したリゾットなどがおいしそうに印刷されている。

初心者のカメラのノウハウの疑問に答えるというスタイルで本新書は読みやすい展開にした。銀塩とデジカメをいかに知的に使い分けるかという最近の「カメラスタイル事情」にも触れている。

まず、カメラ選びと、撮影が「知的な冒険」になる一冊だ。

 

パリの素顔 田中長徳セレクション

      

買ったきっかけ:
買ったきっかけではなく、書いたきっかけであるが、パリは逍遙するのに、ちょうど良いサイズである。
東京は大きすぎて、味けない。

感想:
HISのツアーなどで、ぐんと近くなったパリだが、どうもこの写真文庫を見る限り、半世紀前も今も変わっていない。
東京にはそういうことはない。
それが問題なのだ。

おすすめポイント:
この本を持って、パリに行ったら面白いと思う。
実存主義スタイルとは、ユニクロファッションのことであった。
これは今回の大発見だ。

パリの素顔 田中長徳セレクション

著者:田中 長徳

カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。

      

買ったきっかけ:
では、なく、書いたきっかけですが。
ケータイで画像を撮影している人は、どうもね。というのがきっかけです。
やっぱり、カメラ(銀塩でもデジでも)で、かっこく撮影したいというその方法を伝授。

感想:
思ったより、カラーの印刷が良かったので、満足。自家中毒になって、カメラを持って旅したくなりました。

おすすめポイント:
なんと言っても、同業者ではない「アマチュア」の人からのカメラへの質問が一番怖い。
その答えは、なかなか真面目です。

すぐにカメラを買いたい人。もっと真実の映像の撮りたい人の参考例を満載してます。

カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。

著者:田中 長徳

 

2008年3月 2日 (日)

しもさんのアイレスフレックス@東京タワー建設中

R1146937 R1146938 アルパ研究会はかなり前に発展的な解散をしたが、そこに顔を出していた「しもさん」(mixiのハンドルネーム)が東京タワーの建設中の写真のすごいのを撮影している。

同じく、mixi友達の「めんくいももこ」(ももことは愛犬の名前)さんから、教えてもらった。
それで、しもさんともミク友になったのだが、アサヒカメラの4月号にて、新年度に始めるカメラ仲間造りというのを、連載の「かんれきからの写真楽宣言」でやるのであるが、その中で「カメラ仲間はmixiから生まれる」というセクションを書いた。

期せずしてその通りに「予言が成就」したわけである。
そのしもさんの撮影した東京タワーは、まさに「オリジナルの三丁目の夕日」であって、こういうのはCGでは絶対に出来ない。

その3点のmixiにアップされたのを、プリントしてみているうちに、眼前にそのモデルとなったタワーの50年後の姿が見えたので、新旧を一発撮りしてみた。
やはり、完成されたタワーよりも、未完成(というよりも、途中の)のタワーの方がアートとしての迫力は比較にならない。

15年ほど前であったか、ウイーンの工芸美術館で、アレクサンダー・ロドチエンコの鉄塔の立体作品のもともとスケッチだけしかなかったのを、展示を機会にそのレプリカを制作して、それはミュージアムの天井に届くほどであったが、それなどよりも、アートとしての格は、この途上の東京タワーの方が上である。

ライカは中古。
東京タワーは建設中に限る。

しもさんは、一連の撮影をニッコール付きのアイレスフレックスで撮影している。実は、平成20年の2.26事件(あの写真部と断腸亭、ならびに石田波郷のオムニバス撮影行き。次回のen-taxi記事)で、自分はローライMXを持参したのだが、直前まで、アイレスフレックス/ニッコール付きを用意していた。
そのアイレスフレックスは、巻き上げが不調にて、ローライに変えたのである。

今、新東京タワーが更地状態である。これはぜひとも、アイレスフレックス(しかもニッコール)で撮影しておかねばなるまい。

Dsc02516 ★日録

日曜出勤(というわけでもないが、メトロのすいているのがありがたい)。

東京湾の朝の逆光がきれい。

α200に2000円の80−200ズームで撮影。勿論、2000円分の映りではなく、高級レンズの描写である。

en-taxiの次回の号の原稿書き。あらかじめ早朝に目の覚めた時に頭に書き込んでおいたのでたちまちにして成る。

タイトルは「断腸亭のオリジナルプリント」。

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今朝の夢は2本あったが、実に面白かった。
電車に乗って、英国郊外のパブに居るのである。
例のごとく立ち飲みで飲っていると、そのカウンターを小柄な男性がいったり来たりしている。これが有名な「ビアヘルパー」であって(夢の中の話だから実際にそういう職業があるわけではない)
客は、自分のビールのジョッキの他に、小さいグラスにビールを注文して、これはビアヘルパーの「所得」となる。
かのビアヘルパーはそれぞれの客の求めに応じて、即興で酒の詩を吟じたり、あるいは健康な酒の飲み方、さらに好みに応じては、不健康な破滅型の酒の耽溺の仕方を伝授するので、これは英国でもこの地方だけの古い風習という。

そのうちに夢の中で尿意を催す。
何時も、夢の中で、トイレを探して苦労するのが常であるが、店主にトイレの位置を聞くに、そのバーにはトイレはなく、この丘の上の古城レストランにあるから、そこに行くように指示される。

暗闇の中を急な坂を登って、ようように到着したら、巨大なチューダー様式の古城である。ドアを押して案内を請うと、男性(当然、外人)が出てきて、ここはパントリーだから、その先のメーンエントランスから入るように言われる。

広大な天井の高い、エントランスから入ると、見覚えのある、赤ん坊を抱いたジタンの女が物乞いに来る。これは前に外国のどっかの町で実際にであった女である。
それを無視して、その先に立っているウエイターに聞いて、ようようにトイレに入る。男女のトイレットの区別がつかない。
エンブレムにmechとあるのは、menの意味であろうと、あわてて個室に飛び込む。
そこで目が覚めて良かった。

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二本目の夢は、さっきの夢を夢の中で反芻して、目が覚めたら記録しておこうと持っているうちに、また夢の中の夢に入る。

イタリアかどこかの古書店のウインドウの前に居る。目の前には、ワゴンのバーゲンの棚があってその中に「イタリアの16ミリ小形カメラの雑誌」というのを発見する。これがさすがに1950年代のイタリアデザインと感嘆させるほどの、優れたグラフィックデザインであって、夢の中なのに、なぜこんなにデザインの細かい部分が見えるのであろう、と夢の中で感心している。

頁によっては色紙を使ったり、カラーリトグラフを多用したりの大胆な実に良いグラフィックだ。それを求めるに、代価はイタリアなのにちょっきり円貨で700円であった。1000円札を出して300円つりをもらう。
これは夢の旅行中なので、この雑誌を現実世界に持ち帰るにはどのようにしたら良いのかを思案している。

******

目覚めたら、家人は我が家に「ペット宅急便」にて、これから犬っころが到着するので、騒ぎになっている夢を見たそうだ。

2008年3月 1日 (土)

弥生のロボットローヤル36

R1146928 春、三月。
この前、必要な機材を捜索して、例のカメラジャングルに分け入っていたら、探していたレンズは発見できなかったけど、その代わりに西ドイツヂュセルドルフは、オットー・ベーニング社製のロボットローヤル36が「出土」した。

先月のアメックスプラチナの機関誌の「バチエロンの差別広告」で、ローライフレックスの1929年モデルがやり玉にあがっていた。
あれでは、ローライフレックス社とあったが、そういう会社は存在しなくて、当時はフランケウントハイデッケ社と言った。
このロボットもそうであって、ロボット社ではない。でもオットーなんやらかんやらは面倒だから、仮に「ロボットの会社」にしておく。これなら「お父さんの会社」と同じで、問題はなかろう。

このローヤルシリーズに関しては、これは50年代後半から市場に出たと記憶するが、もともと偵察、諜報などの特殊カメラを生産していたロボットの会社が、ライカのアマチュア写真界での成功を羨ましく思って、自社でもライカ的なカメラを生産したのが、その「犯行の動機」である。

しかしもともと、ルフトワッフェン(独逸空軍)の戦果偵察用に生まれたカメラだから、無骨であって、この政治改革は失敗した。
ロボットの中で、普通は24x24サイズが定番なのであるが、これは24x36(ただし若干その長辺は短い)のサイズで、スプリングをいっぱいに巻くと、十数枚の連続写真が撮影できる。

こういう無骨なボデイの剛性が異常なまでに高い本体を持った、しかも金属の切削精度が指に痛いような、特殊カメラに「ローヤル」と命名して、しかもエンブレムに王冠を付けるなんぞは、さすがゲルマンの面魂(つらだましい)である。
日本の大井町や下丸子には出来ない技だ。

せっかく出土したので、使ってみる気になって、一緒に出てきた、純正の(一見、サードパーテイが改造したように見えるが)24ミリ広角レンズを装着した。
これは珍品である。

しかしそのままでは、どうも面白くないので、道具箱の中にあった、独逸製のhamaの角形フードがサイズがぴたりとあったので、これを付けて、「偽スーパーアンギュロンのフードコスプレ」を遊んだわけである。

重いカメラであるが、最初はこれも専用のモーターのスプリングブースターを本体の下部に装着した。これは本体に内蔵されているスプリングにさらにパワーを与える装置である。
こういうものを造らせたら、独逸にはかなわない。(逆にこういうものを制作していたから、極東の目のつり上がった連中にやられてしまったとも解釈可能)

そのブースターを付けると、一回の巻き上げで36枚撮影できるパワーを授かるわけである。
ところがそれを付けたら、カラシニコフより重い、ウエポンになってしまったので、それでは市街戦には良くないからブースターは外してその代わり、こしな製の球体のグリップを付けた。この球体グリップなこしな製の星の数ほどもある、各種アクセサリーの中で、一番有効な道具である。
カメラに付けると、絶対にカメラを取り落とす心配がない。

その24ミリと、もう一本、ゾナー(これも天下のオーバーコッヘン製)50ミリf2とで、佃の朝と六本木のラッシュを撮影しつつ、今、49fに到着したわけである。
これがデジカメの「マル×三角號」(α200)なら、その画像をすぐにアップして、「ウーム、やはり、今回のインプレッションでは、イエナの元祖テッサー50ミリf3、5は、本場もんだけあって、西独逸製とか、日の本製とかとは異なり、往年の独逸の光とその諧調が写っていますなあ、、、」などと馬鹿話が出来るのであるが、ロボットでの撮影はコダックのカラーネガなので、まず最初に撮影済みフィルムを6fの55ステーションに持参する必要がある。

未来の時間に向けて、光の罠を仕掛けるわけで、その未来志向がやはり銀塩の魅力ということになる。

デジカメはスクラッチのインスタント宝くじ(一回も買ったことなし)なのに対して、銀塩はドラッドな宝くじほどの差というべきか。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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