我楽多屋銀塩組
なにか、時代劇のタイトルのような言い方だが、我楽多屋とは、四谷荒木町のアローカメラ1Fの変わったカメラ店であることは言うまでもない。そこで買った各種の「カメラとアクセサリーは、確かにその魅力を知らない第三者には「がらくた」であろうが、その魅力を知るカメラ人類には「宝石」である。
その買い物日記はすでに「我楽多屋さんで買ったモノマガジン」(東京きらら社)として上梓されているが、またその続刊は近日刊行予定だ。
最近の銀塩カメラの流通問題は今さらいうまでもないが、アローカメラも諸般の事情にて、このたびダウンサイジングをする。
1Fとその関連設備はそのままだが、2Fのカメラ博物館と、3Fの「ギャラリーちょーとく」は2月末にてクローズという。
このことは昨日、知った。
ただし、アローカメラと我楽多屋さんの営業に関しては今までと変わるところはない。巷間、間違った情報で閉店という飛語があるようなので、常連がアローカメラの二代目社長から聞いた話として、ここに正しい情報を伝達しておく。
無論、月一回のカメラのトークショーである「シドニー」も、継続して行く。会場は今の3Fはなくなるわけだが、以前は向かいの喫茶店でやっていたし、あるいは「ライブカメラトーク」として、我楽多屋さんの1Fの売り場でカメラ片手に行うのも、興がある。
2月の第四土曜のシドニーはアローカメラの3Fで行う集まりとしては、最終回になる。
さて、シドニーには常連さんも多いが、其の中にニコンS2のブラックダイヤルを持っている高校の制服の男子がいる。彼も常連さんであるが、この前の土曜には最近撮影したアルバムを見せてくれた。
普通の高校の男子が撮影した普通のスナップかと思って、アルバムを開いて驚いた。そこにはダライラマ猊下の講演会の画像が展開していたのである。
聞けば、その男子は日大豊山であるそうで、これは自分の生まれた音羽の先の護国寺の側の高校だ。その関係でダライラマさんが見えたのであろう。
ダライラマと言えば、カメラ好きでつとに有名である。1950年代のLIFEマガジンにまだ若かったダライラマが、取材にきたカメラマンの機材(それは35ミリのEYEMOのスパイダーターレットの撮影機であった)を手にしている写真を自分は忘れない。
あの時の感覚を手元に置いて置きたくて、後年、南アフリカのケープタウンから、同じ撮影機を購入したのである。
ライツ社がダライラマさんに贈った製造番号555555のライカ3Fのゴールドはどうなったか、そのことが気になって以前、ダライラマに近い筋の人に聞いてもらったら、「側近にプレゼントした」との答えが帰ってきて、それでさすが「カメラ活き仏のつらだましい」と感心し、ライカエッセイにその事を書いたこともあった。
ダライラマさんは、例の右手を肩から出した、チベット仏教の袈裟姿で、講演をしているところが写っていたが、講演なかばでダライラマさんは、サンバイザーの帽子を冠るのである。
それがなにかチベット仏教の袈裟姿と妙にミスマッチしてるのが良かった。
下のゴールドニコンFなどは、そういう「活仏さん」に手にしてもらいたいカメラである。
そういう珍しいカメラ人物の消息に触れることができるのも、このアローカメラのシドニーの特典である。自分などはこのシドニートークで新しい本の執筆の材料を良く発見することが多い。
この「危険集団」をこれより、我楽多屋銀塩組 と命名しよう。
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