KCチョートクカメラコラム
★KCチョートクカメラコラム 銀塩クラシックカメラ
一昔前、安原一式の思い出
この間、えい出版の清水編集長がこの次の本、GRD2ワークショップの取材(福田和也さんとの対談)でヒルズに見えた時、来年にえい文庫から出る、安原一式のことを書いた、安原さんの著書をいただいた。
思えば、10年前に一式フィーバーがあったことを思いだしたのである。当時はまだデジカメは相手にされていなかった。銀塩(クラシック)カメラがこの世の中の記録装置のすべてであって、まだデジカメは開発途上の未発達な技術であった。
安原一式を自分も注文した一人である。
55000円の代金のうち、予約金を5000円支払った。そのお金はカメラ代金に充当されるが、いかなる理由であろうとも返金しないと、契約書にあった。それで自分も郵便為替で5000円を振り込んでそのコピーを安原製作所に送って、折り返しに葉書で予約番号をもらった。
えい出版から出る、安原創業者(安原さんは自分でそう名乗っていた)の文庫は、あれから10年が経過して世の中が一式を忘れた頃になって、創業者自身が真実を明かすという展開になっているところがなかなか読ませる。
これは好著である。
その一式の取材で、世田谷区は松原商店街の近所の製作所に創業者に取材に行った。ロフト付きのワンルームマンションで、創業者はダブルのスーツで応対してくれたが、椅子が1脚しかないので、自分は畳にすわって話しを聞いた。
ちょうど安原さんのソックスの足の指が良く見える位置に自分の視点があった。安原一式の生みの親の親指を長く見ていたことに関しては、自分はギネスブックに申請できる資格があると思う。
同様な次第でその数年後にアテネはパルテノン神殿の前のホテルの「ペントハウス」で、自分は四六時中パルテノンを視ていた経験もある。視神経にパルテノンを焼き付けた時間では、これもギネスものであろう。
実は一式の予約番号は自分のはかなり後の方であって、それまで待てないので、銀座のカメラ店に中古で登場した2台の一式を買った。価格はプレミアムがついていて定価よりちょっと高かった。
そういう「不法な買い方」は保証の対象外と安原製作所は警告していたが、そういう「一人カメラメーカーの我が儘」は逆に自分の気に入った。そういう我が儘な対応に目くじらをたてる、カメラ屋さん(たとえばアローカメラ買い取り名人)なども居たけど、これは個人レベルのカメラの冒険なのである。だから身勝手を最初に提示して、「それでもついてくる人はどうぞ」と言っているのは良い感じだった。
自分は2台、「非合法」に一式を手に入れた。そのうちの1台を譲ってくれと言ったのは、コシナの小林さん(社長)である。ちょうどベッサRが出る直前のことであった。やはり小林さんは一式の存在が気になったのであろう。
問題はシャッターであって、一式は羽根が1枚だから、光線もれの恐れはあるがシャッターは静かである。ベッサRは「石橋をたたいても渡らない」(ご本人談)小林さんの完璧主義であって、羽根は2枚で光線漏れは絶無だけど、シャッター音は同社の一眼レフからミラー動作音をマイナスした程度の大きい音がする。
一式に各種のレンズを付けて、よく撮影に行った。一式は当時のカメラジャーナルでも取りあげた記憶がある。
今度の一式本はあらゆる意味で、ラストエンペラーならぬ、ラスト銀塩カメラの生きたドキュメントと言ってよい。
文中、ちょっと気になったのは、以下のくだり。
「ある有名作家先生がよく一式をイラスト入りで各誌に紹介してきれた。ありがたいが、まさにあおりではないかと思うこともあった。その先生は製作所には一度も来たことはなかった。また5000円の予約金は払ったが、カメラは買わなかった。だからこの先生は安原製作所のお客さまではない」(文意)とある。
有名作家先生とは言うまでもないが、赤瀬川原平さんである。
予約金を「没収」しておいて、一度も製作所に来なかったというのと、一式を買わなかったという二点で、好意で膨大な紹介をしてくれた原平さんを切って捨てるなどは、さすが天下の京セラ出身の大モノである。(私が会ったことのあるのは、稲森会長と安原創業者なのだ)
原平さんが安原製作所を訪問しなかったのは残念だ。原平さんに創業者のソックスの指が始終動いているのを見てもらいたった。これこそ銀塩カメラの戦士の武者震いであったのだから。
すべては銀塩時代の良き夢なのか。
すっかり忘れていた一式だが、久しぶりに使ってみようと思う。レンズは何にしよう。例の一式用の50ミリ、しばらく銀座のL社にあったが、あれを今、探すのはことであろうな。
★KCチョートクカメラコラム デジタルカメラ
超小形軽量な超高級デジタル一眼レフって出来ないのか?
年末年始はソニーα700で、撮影する。人気のデジ一なのでなかなか貸し出しの在庫のないところを、デジタルカメラマガジン編集部に御願いして貸し出してもらったのだ。
レンズは各種あるがその中で特にリクエストして18−250ミリのズームを付けてもらった。高倍率ズームである。
伝説のズームレンズに仏蘭西はアンジエニューの10倍シリーズがあった。今ではTV用のズームなどは50倍というようなのもあるが、大昔の映画機材は3倍が普通であったから、それが25−250ミリの10倍のズームレンズが登場したのは、実に破天荒なことであった。すぐにその16ミリ映画用の12−120ミリも発売になって、事実上、このレンズはドキュメンタリー映画の標準レンズとなった。
当時の映画機材を視ると、仏蘭西のエクレール16NPRは2本ターレットのカメラであるが、その1本はこの12−120ミリズームで、ターレットのもう一本にはアンジエニューの10ミリのプライムレンズが付いている。普通の撮影はズームの12ミリ側で撮影し、もっと広い画面は10ミリの固定に切り替えて撮影する。これが60年代のクラシックな撮影のメソッドであった。
それを真似したわけではないけど、10倍以上の常用ズームレンズはデジ一の撮影で、すこぶる便利である。しかも250ミリのテレサイドでそのままマクロ撮影が可能である。全景を18ミリで撮影しておいて、いきなりズームアップするというやり方は、普通、ライカで撮影している時には絶対に考えられない視神経の構図だ。
そういう「新方式の撮影術」が10倍以上のズームで可能になった。
世の中、定年退職したお金持ちお父さんが、札束握りしめて、次々と各社のデジ一のフラッグシップ機を買っている。実に羨ましい。そういう幸せな買い物をした、幸福お父さんの1月後を調査して見ると「やはりフラグシップ機はでかい、思いので、サブカメラにコンデジを買いました」という。
でもコンデジはあれは懐刀のようなものだから、その撮影速度ではデジ一とは比較にならない。今の一眼レフの序列は高性能だと大きい、高い、重いということになっている。
安いデジ一は軽い小さいということになっている。
ここにトリックがある。デジ一父さんは、高性能機を高いお金を出して買うこと、そのものに快楽を感じているのである。
だから発想を転換させて、今のフラッグシップ機の上を行く、スーパーフラッグシップモデルを出せば良いのである。
その代わり、そのボデイサイズは同じ会社の入門用のデジ一よりもずっと小形軽量にして、ダントツの高性能。プロ用映画機材では、16ミリ撮影機で、普通のサイズをずっと小形軽量にした特殊モデルがある。ボデイだけで、1000万。それほど高くする必要はないけど、超小型軽量のフラッグシップ機はうけると思う。
ついでにお父さん好みのうるし仕上げにして(ミノルタの一眼レフで前例あり)さらに、そこに人間国宝さんの蒔絵かなにかを配する。
超高性能を入門機よりもまだ小形のボデイに実装するのは、製作サイドのエンジニアさんにも挑戦のしがいのある仕事であろう。
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