おおつごもり★靴の抱える諸問題
四方八方に自分は「歩くユニクロ」であると公言しているので、何時も同じ格好をしていても、投石を受けることはない。
しかし歩行するのが商売なのにもかかわらず、カメラは売るほど持っているのに靴は「その日暮らし」であることが目下の自分の人生の諸問題の中の最大の問題点だ。
その問題とはこうである。
だいたい2月おきに、都内某所でかかとの減った靴をはいたまま行く靴店があって、そこでF1のピットみたいに「タイヤをはきかえて」即時に再発進するのである。この次第は以前にMCチョートクカメラ日記で書いたことがある。
この8月にプラハのアトリエに5年ほど前にそこに置き忘れていたスニーカーを発見した。
あれは何というスタイルか知らないが、要するにブラックのスニーカーであって、ヒルズの仕事場から、四半世紀前にニューヨークはキャナルストリートで20ドルで買った、グリーンのジャケットをGパンにTシャツの上にはおって51fのヒルズクラブに行っても、しかられない程度のドレスコードに合う(と、勝手に解釈している)黒いスニーカーである。
この場合、倶楽部の明かりの暗いのがありがたい。
そのスニーカーをプラハからはいたまま、つまり履いて言った普通の靴はプラハのアトリエに置いて東京に戻った。
東京をその古スニーカーで歩行して判明したのは、やはりかかとの硬い靴よりも、コンクリの上は歩行しやすいし、頭に響かないということである。
それで、亡くなったおふくろに「いい加減に靴をかいなさい、ながのり!」と言われたこととか、家人に「とーちゃん、靴!買え!」と言われ続けていたことなどが、毎日、佃からヒルズに通う上でのストレスになっていた。
しかし「靴を買えない日常」が現実なのである。現実は最大の謎であり、斯くも周囲に延々と広がっている。その現実を簡単に変えることができたら、それは第一の奇跡であろう。
そのうちに10月になり、またプラハに行った。プラハで靴を買おうと思ったのだが、フォクトレンダーのスパーブは2台も買ったのに、靴はついに買うチャンスがなかった。
靴は買おう、買おうと思うとどうも、その気力がそがれるものである。断腸亭が吉原の買い物と似たようなところがあるのではなかろうか。
靴というのは、日常の買い物ではない。これが発見だった。
靴は自己が世界を移動する手段として必要な道具である。
その点、オンラインでKLMのアムス経由プラハ行のチケットを予約するのと同様であるが、チケットは座席は1aが良いとか、食事はコーシャ料理(イスラエルのラビによって認定された正式なユダヤ料理。他の料理は汚れているわけだ)とかをオーダーすることも可能だが、オンラインで靴を買うのはどうもリスクが多すぎる。だからオンラインでは買ったことがない。
そのリスクはオンラインでライカを買うようなものだ。
第一、佃からヒルズまでの通勤路は実に不便で、自分の欲しいモノを売っている店がない。
靴屋はないし、酒屋もないし、ビニール傘も下のampmでは売っていない。
2fのショップには自分の知らないブランド品を売る店を回遊する若い男女で溢れているのに、生活必需品は売っていないのだ。
あそこは現代の消費社会の砂漠なのである。
一方で、ヒルズに行かない時に買えとは、家人の指導であるが(これは毛沢東主席の指導とか、京橋税務署のご指導という感じだな)ヒルズに行ってないときは、自分は都バスの荒川土手近辺とか、雑司ヶ谷(この前の福田和也さんとの日本路地裏学会ライカ同盟合同大演習の場所)とかに居て、その鬼子母神裏の路地裏にある、アムール荘とか、スナック ラバさんとか、雑2アーケードとか、そこの靴屋の看板はいいのだけど、そういうモノの販売はしていないというような、つまり商業の僻地というか、スニーカー売り場からは極北を徘徊しているので、やはり靴を買う環境ではない。
つげ義春さんと多摩川住宅の中の喫茶店で待ち合わせたのは、自分がニューヨークに行く前に、つげさんからミランダTを買って来て欲しいと依頼されたからだ。あれは1980年であるが、その時作者を前にしてつげさんの「赤い花」の話題になった。
おかっぱ頭に着物姿の、さよ、と言ったであろうか、その女の子が「町には赤い靴は売っているであろうか、、、」という台詞が心に染みた。
それを本歌取りして「スニーカーはどこで売っているであろうか、、」と山谷に向かって走行中のBMWの中で自分はつぶやいた。ちょうどクリスマスイブの夕刻で、花川戸なら靴の本場だから、そこで買うつもりであった。しかし花川戸は住民全員がクリスチャンのようで、店は軒並み閉まっていた。
野々宮BMWは、車もBMWだけど、衣類も靴も会社役員だから、ちゃんとしている。つまり198プルーフのウオッカとか(マンハッタンの怪人チョーセイさんのmixiを読んだら、あそこではこれは法律違反らしい。マンハッタンで1軒、それもspeak easy売りのようだ。日本では向かいの明治屋に売ってるが)スニーカーの販売所のことは良く知っているおとなである。
「スニーカーはアメ横に売ってます。abcマートとか色いろあります」と情報を教えてくれた。それから5日後の12月29日はヒルズに行かなかった。家人は新潟の別宅に行っていたので、日永、ライカインコの相手をしていて日が暮れた。「犯行を決行するのは今だ!」と思った。
単なるスニーカー買いが、まるで犯罪者が犯行の凶器を買いに行く心境である。その次第は描かないけど、それで同じスニーカーが2足揃った。上の画像がそれだ。
それを履いて、東京のおおつごもりの中を歩行して、佃からヒルズに来て、今、これを書いているわけだ。
大晦日は午前から午後1時過ぎまで佃に居た。家人がいるので、久しぶりにスパゲテイアラビアータを作る。それとソーダで割ったスペインワイン。エスプレッソ。
午後2時にヒルズ。
天気予報は寒気の到来を告げている。大晦日の東京を地上200mから観察するに、快晴ではないが、雲が北から南にゆっくりと流れて、その紫の影が野面(のずら)をゆるゆると這って行く。この方向には実際には野原はないわけで、都会の上を紫の影が走るわけだが気分はドナウの岸辺の風景という感じだ。
2000年の年末の午後に自分はウイーンの南部にある、ラーベルクという小高い丘の上から午後のウイーンの街並みを見ていた。その時の作品は写真集「ウイーンとライカの日々」(日本カメラ社)に掲載されている。6X6の戦前のローライで撮影したモノクロのカットだ。実際にはその高さではヒルズとラーベルクとは比較にならないけど、やはり今日の午後のように真っ白な雲が流れて、その下の野は紫色に陰ったり、また明るく輝いたりした。
大晦日の午後の東京がまるでウイーンの午後のように見えるのには、視覚のトリックがあることに気が付いた。
ちょうど東京の北辺から、筑波山の手前までが影の中にある。そこがブルーに見えるので、巨大な森林地帯がそこに横たわっているように見える。まったくの錯覚なのだが、皇居の森があり、その先が市街地でさらにその先には、ウイーンの森ならぬ、トウキョウの森が存在しているのだ。
この「発見」は今年一年のヒルズからの眺めとしてはなかなか気に入っている。手持ちのα700で、ズームは18−250ミリだが、その250ミリサイドで撮影した。手元にPowerBookに画像を転送する、Cfカードのアダプターがないので、画像はのちほど。
大晦日が夕刻から、横浜である。氷川丸の年越しの撮影である。今度の1008ページの写真集の中で、これは大事なセクションになる。
| 固定リンク



























