岩波書店から曙橋方面
午前11時に岩波書店。
編集部の桑原さんに会う。新しく開始された「岩波写真文庫」の復刻版の「田中長徳セレクション」の選定の為の打ち合わせ。
岩波写真文庫は小学校の当時(文京区立小日向台町小学校)に図書室にずらりと揃っていた。その赤い縦縞のストライプがお洒落な感覚だった。
それから40年以上経過して、地方を旅したりして古書店を訪問した時などに、買いもとめて結構な数を持っている。
それが半世紀経過して、復刻版が出ることになった。第1回目は赤瀬川原平セレクションで、これはすでにリリースされている。
300冊に近い中から原平さんの選んだのが、1950年当時の時代をそのままに回想される内容の写真文庫で、これが非常に面白い。
たった半世紀前の日本と世界はこんなにも、今とは隔たった世界であったのか、ということが面白い。
復刻版というのは、実に不思議な存在である。手元に日本の文学の復刻版があるので、時々、それを手にしてその時間差の不思議を体験することがある。
漱石の猫などはその代表的な例であって、自分は教科書で読んだし、文庫で読んだから、そういうシンプルな存在だと長らく思っていた。
本物の「猫」は、これは実に立派な装丁の美術書的存在である。そういう本はすでに稀覯本になっているわけだが、復刻版は往時の本の存在感がそのままに手に出来るのが痛快だ。
「本のマイムマシン」だ。
時計の世界などでは、復刻版は権威であり、名声である。
著名なブランドの時計でないと、復刻に値しないからだ。
カメラの場合、時々、登場何十年記念というので、名門ブランドのカメラメーカーが復刻版をリリースするが、これは往時のそのままというわけではない。
当時の気分を盛り込んだ、という一歩手前で留めているから、自分のような復刻フェチには、ちょっと満足できないところがある。
その意味では、復刻フェチの赤瀬川さんは、千円札まで復刻して、それで国家と渡り合った人である。写真文庫はゼロ円札ほどの価値はなかったかも知れないが、それでも当時の売価は100円である。
その100円の写真集というのは、当時は破天荒であった。
100円の売価の本を復刻するという「それがどういう意味であるのか、今だにはっきり掴めない」というところを、出版するというのが、岩波の面白さである。
激論、4時間で、来年に登場する「岩波写真文庫田中長徳コレクション」の選定が終了。
ああ、そう書くのは正しくなくて、その編集部に「人類の文化遺産」が存在したのである。
名取洋之助のアメリカ時代の撮影したシリーズのコンタクトプリントのスクラップブックがそこにあったのだ。
我々、写真家は、「同業者のコンタクトプリント」に弱い。
オリジナルプリントの場合には、これは「最終商品であり、芸術である」わけだから、それはそれで結構だけど、写真家のネガのコンタクトは、あれは「生殖行為をそのままに開示している」という意味で、かなりのわいせつさがある。
だから、コンタクトは第三者に見せないのが普通である。
それを2冊も見る機会があった。
ニューヨークの近代美術館の写真部にも、写真家のコンタクトはほとんど収蔵されていない。
だから、「興奮」した。
名取の仕事は、コンタクトプリントで見るに、無駄玉を撃っていない。そこが凄いと思った。
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新宿線にて、曙橋。ここの駅の側のカレー屋でラムカレー。680円。
ここのカレーはチエーン店であるが、本場そのものだ。昨年、デリーに行ったのがちょうど今頃であった。デリー中央駅の南側の市場の菩提樹の木に下の「野点カレー」は野菜カレーであれはうまかった。
自分のような「外人客」が来ると、席をつくってくれる。その席というのは路上の敷石である。
坂を登って、アローカメラに久しぶりに行く。カメラの在庫をチエックする。
戦前のライカのコンパートメントケースがあった。ライカのコンパートメントケースは、初期のものは良いが後期のモノは縫製が良くない。このケースのケース(変な言い方)は、初期モデルなので、しっかりしている。こういうモノは現今には復刻版は造り得ないだろう。現代に
これだけの技術があるとは思えない。
ついでにアローカメラ3fの「ギャラリーちょーとく」で、某氏のホーチミンシテイのモノクロのスナップを見る。
露天の人。屋台の人。通行人、買い物客。
そういう人がみなカメラに向けて笑いかけている。
ああ、ヴェトナムというのはそういう国であったな、と改めて思い出した。
路上で撮影して「肖像権が云々、、、」と、文句を言われる恐怖の国がこの国であったな。
その足で、バスでヒルズの仕事場に行くつもりが、時間切れにて地下鉄にて銀座。
デパ地下で、買い物して佃に帰。
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