パンツ一丁
プラハ。
曇り。
気温5度。体感気温5度。霧。
この霧がくせものである。
1989年2月であったか、家人と2人で昇天した、ハリネズミの供養でウイーンに行った。
日本なら、四国88カ所であろうが、ハリネズミは欧州の出身だから、そうなったのだ。これを「針供養」と称した。
アエロフロートはモスクワからウイーンに向けて飛行していたのに、勝手にプラハ空港に着陸してしまった。
これはハイジャックではない。
ウイーンが霧なので、ダイバートしたのだ。プラハに一泊して翌日、ウイーンに飛んだ。
そのように、晩秋のプラハで、特に早朝に日本に出発の時には霧が気になる。
そう言えば、この1月のプラハでは自分の飛行機の飛んだ後に、大雪になってプラハ空港は数日閉鎖されたそうだ。
今回はKLMのアワードチケットで、それはエアフランスの便で、さらにJALと共同運行なので、事実上はJALであることは書いた通りであるが、Cクラスだから荷物は30キロまでオーケイである。しかもようやく、エリートメンバーの最低クラスのシルバー会員になったので、プラス5キロはオーケイだから、35キロまでは預けることが出来る。
ところが今回、何か出発時から荷物がやたら軽いようで20キロもなかった。
プラハのアトリエに到着して、調べてみたら、替えのGパンを佃に忘れてきた。
アトリエには20年前の履き古しのコールテンのズボンがあるのだが、それには足を通したくはない。
我々の世代はパンツと言えば、下穿きのことを意味する。パンツがズボンとかスラックスの総称であることをなかなか理解しにくい。
写真集「ウイーンとライカの日々」の中にブダペストのセクションがある。
1983年の夏であったか、ウイーンの3区のアパート(ヨセフ・ホフマンが棲んでいた典型的世紀末建築でガイドブックにも出てくる)の向かいの、ベルベデーレ宮殿を歩いていたら、日本からの一人旅の女の子に会った。
これからブダペストに行くのだと言う。
ちょうど、自分はブダペストに帰郷する、オペラ歌手の車に同乗して撮影に行く予定だったので、その女性を後部座席に乗せてあげた。彼女はずっと車内で眠っていた。
ブダペストに走行中、彼女(もう名前も失念している)の持参の「地球の迷い方」を見ていたら、そこに「持参品のチエックリスト」というのがあって、そこにGパンは荷物になるから、穿いている1本だけで良い」とあった。
へえ、そういうものかと思った。
ブダペストに夜遅く到着して、民宿を探した。その女性と同じ民宿であった縁で、それから3日ほどブダペスト観光で同行することになった。
これは東西ドイツ統合前のことである。
ブダペストの駅の近くで、東ドイツから来た、家族(ドイツ人の名前の方はちゃんと記憶している。夫婦と女の子の三人家族でその名をユンゲニッケルと言った)と、知り合いになったりもした。この家族との交流の話にはまた面白い逸話があるのだけど、それは本題でないので省略。
民宿と言っても普通の労働者の家である。キッチンの冷蔵庫にはキャベツが1個入っているだけであった。冷蔵庫の中にだだ一個のキャベツ。これは現代アートを凌駕している。
ぼろぼろの集合住宅の5fで、目の前には列車のレールがあり、貨物列車がアパートを震撼させつつ通り過ぎる。そこをプラウベルプロシフトで撮影した。その関連のショットは、写真集「ウイーンとライカの日々」に掲載されている。
おっと、ここで言いたいのはその同行の日本の女の子(当時としては長身で身長1,72mのそこそこの美女)の方が、着たきり雀のGパンをその民宿で洗濯してしまったことだ。
それでどうしたか?
なんと、その家のおかみさんの巻きスカートを借りたのであった。
女性は実に強いなあ、、、と、感心した。
自分は自分の1本だけのGパンを洗濯して、宿のオヤジから代替のパンツを借りる勇気など最初から持ち合わせていない。
市内を散策中に彼女から身の上を聞かされた。
実家は地方の建築材料屋さんで、子供の頃から建築の資材現場で遊んだので、ブロック塀をみると無性に懐かしくなるという。これは良い話であった。
1970年代のカメラ毎日の「アルバム」という写真の投稿ページに「ゴムホース屋の娘」というのがあって、そのシュールさに感心したものだったが、「ブロック屋の娘」とは、これに匹敵できる。
これは写真家佐内某がブロック塀の風景写真をひっさげて華々しくデビューするずっと前のことなのである。
ブダペストの2泊3日で、その女性は洗濯の渇いたGパンでウイーン経由で颯爽とミュンヘンに旅立って行った。
話はそれで終わりになる筈が、実はその後日談があった。
彼女はその1年後に語学留学でロンドンに旅立った。ロンドンから何回か近況を知らせる手紙が来たのである。
よくあることだけど、その語学留学先の先生に惚れて、それでなんとかなりそうだ、、、という内容だった。これは楽しみだな、頑張ってというようなメール(当時だからエアメール)を送った。
最後にその女の子から来た手紙はちょっと悲痛な内容だった。
その目当ての先生は「同性愛者」なので夢ははかなくも破れたというのである。
これが彼女からの最後の手紙だった。
あれからすでに20年が経過している。
今回は自分もパンツ一丁。
この言葉が頭に浮かぶと上の記憶が呼び戻されるのである。
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コメント
実に、いい話です。パンツ一丁。
冷蔵庫のキャベツが
得も言われぬワンポイントとなっています。
長徳サンの、
女性がらみのお話はいつも、なにかこう、
余韻嫋嫋と棚引く感ありますね。
またのお話、楽しみにしています。
投稿 妙法ポコペン | 2007年10月27日 (土) 03時53分
同じく、読んだ後に
いい感じに浸れたので
一筆とりました。
これからも楽しみにしています。
投稿 コマツン | 2007年10月27日 (土) 20時15分