パベルの長征
暗い曇り。
気温4度。体感気温2度。
まだ朝の8時半である。
ようやく光がアトリエに降り注ぐ。
いつものことだが、プラハのアトリエから佃に戻って、何か変だな、と思うのは住居の広さの違いではない。
どっちも狭いけど、佃の方がプラハよりは広い。
問題は光のあり方なのだ。ここはもともと絵描きのアトリエだから、天空光を採り入れている。
この前、森ミュージアムで、コルビュジュエ展が開催された時、非常に懐かしく思った。
変な感覚だが、ミュージアムの中に造られたアトリエのモックアップの光が、プラハのアトリエのそれと酷似していたからだ。
天空光というのは、モノの存在が立ちあがるのである。
この場所では理想のライテイングが得られる。
もう出る筈の(編集部から見本の出来る日についてはまだ連絡なし)銘機礼讃3の表紙は、この1月にここで撮影した、プラウベルマキナ3なのであるが、光が実にきれいだ。
こういう撮影をスタジオで人工光で撮影しようとすると、かなり大きいスタジオが必要になる。
これは写り込みと光の廻り方の問題だ。
欧州の冬は光がないのは、よく分かっている筈なのに、日本からいきなり来るとやはり戸惑う。
カルロビバリからイタリアに脱出したドイツの文豪の気分が分かろうというものだ。
旧友パベルは今日から1週間、フランスのアビニオン近郊の村にクルマで出掛けた。
片道1500キロ、往復3000キロの「長征」である。これがパベルの南仏のギャラリーのポストカード。
撮影は1967年、プラハの春の事件の前の年だ。カメラのデータはライカMPにズミクロン35ミリ。
今では300万円はする、ライカMPと例のレンズおたくの好む「8枚玉ズミクロン」である。
大体、8枚玉ズミクロンは過去のレンズだから、2007年の現代にこれに固執するライカ人類は例外なく、写真が下手という共通点がある。特にデータに「ズミクロン35ミリ8枚玉」と書く連中はだめだ。その伝で行けば、「トリオター85ミリ 3枚玉」と書くべきであろう。
当時は彼のようなジャーナリストでなくてもかなり自由に外国に行けた。それが68年の8月以来、チエコは長い冬の季節になる。
パベルは9月に開催した写真展が好評で、そのクロージングパーテイをするのにわざわざ出掛けたのだ。人口千人以下の小さい村のシャトーでの展覧会だ。
我々の感覚からすると、往復3000キロの一人ドライブは凄いと思う。
途中でチューリッヒに1泊するそうだ。
明後日の朝には南仏着である。これが1940年生まれの写真家の体力なのだから脱帽。
ただし話をしてみると、自分が東京を随時脱出してプラハに活路を見いだすのと同じように、パベルはプラハを脱出して、南仏に逃避するようなところがあることに気が付いた。
この美しい街、プラハもそこに棲んでいるプラハ人にとっては、なかなかに現実的過ぎる殺伐とした大都会なのだ。
風邪は大分良くなった。咳のせいでそこら中が筋肉痛だ。
これよりパノラマカメラを持って、スデクのパノラマ旧跡を撮影する。スデクのパノラマ写真集の画像300点はエプソンP5000に入っている。ベッドで寝ながらそれを繰り返し視ているると、その撮影場所が大抵は分かるようになった。
このルナパークがどこなのか長年分からなかったのである。それが毎日通っている、メトロの駅への途中の広場だとは思わなかった。
これは大発見である。今は工業大学のキャンパスになっている。
スデクのパノラマ写真集を手に入れて四半世紀になる。ようやくこの写真集の面白さが分かってきた。(8:50)
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コメント
300枚を複写されたんですね。スゴイです。
スデクのプラハがどう変化しているのか、実に楽しみです。
やっと中古で、手に入れた、私の「プラハ・パノラマ」(92年版)は、もうボロボロで、崩壊しそうな感じです。
新しい版が出版されたら買うのですが、なかなか出そうもありません。
デジカメで複写して、普段見用の写真集にするというのを、自分もやってみようかなと思いました。
投稿 胸の振り子 | 2007年10月26日 (金) 15時41分