ハローウインと万聖節
「R1143068.AVI」をダウンロード ムービーはプラハ最後の麦酒。
木村伊兵衛先生の佐々木昆先生に言った「プラハの黒麦酒はうまいぞ」のそれである。
旧市街の文学者カフェ(と、直訳するととんでもないが)にて。
飛行航路は PRGCDNGO
目下、移動中。
PRGCDGはエアバスの310である。シート1A
CDGNGOは777−200でシート3K
なにしろ、欧州を3回往復して、Cクラスが一往復のアワードというのは、KL/AFのファンになってしまう。
エアバスの離陸音と空中感覚はなかなかハードで好きである。それに比較すると777は、大人の飛行機で冒険がない。
ただし、AFはドル箱路線であろうに、掃除もちゃんとしてないのか、この前、CDGPRG間では3日前に乗ったアテネ便の半券がポケットに入っていた。記念に持ち帰る。
この前、JALのアテンダントさんに聞いたら、セントレアの777−200はここをベースにして、パリとバンコックを往復しているそうだ。
朝10時発のAFでパリ。それから夕方5時のJALにて気に入っている、セントレア。
そこから、名古屋に出て新幹線で東京。
その途中の常滑をこの前、夕方に一瞬だけ見た記憶が良く保存されている。常滑という地名がシュールである。
今度、撮影に行きたい。
交通手段はやはり中央高速で、麦酒工場とか、競馬場をみつつ行くのが良い。
今日は日本とかアメリカでは、例のハローウインの馬鹿騒ぎか。
この奇習を初めて知ったのは、1984年頃に碑文谷にあった、城田稔さんの経営していた、ギャラリーMINで10月末になにかお祭りをするというので、それに呼ばれていったのが最初である。
城田館長が子供達を引率して、近所を回っておかしをもらったりしていた。
欧州では一日おくれて、万聖節がある。これは日本のお盆のようなもので、祖先のお墓に参詣する。
11月1日と言えば、欧州は万物枯れ果てて実に諸行無常を感知するには、良い季節である。
ハローウインの方は、もっぱら商業主義の見にくいとことが、正面に出ていて、何のことやらさっぱり分からない。
ヒルズへの通勤路に、「窓の中に東京タワーを飼っている花屋」(チョートクx六本木ヒルズ所載)がある。その前に例のでかカボチャが飾ってあった。
その値段を見て、肝を潰した。それは貴金属とか不動産のなみの価格なのである。
1974年であったか、クリステイン・ロスタとウイーンの中央墓地に万聖節のお墓参りに行ったことがある。
実際にはライカとニコンを持っての撮影であったのだが、ついでにクリステインの先祖のお墓に行ったわけだ。
第三の男ばりの暗い天気で、あの映画では同じ場所が登場する。
くだんの墓石はよく読まなかったが、なんでも彼女の父方はポーランド、母方はチエコとのことだった。
そんな出身地はウイーンでは当たり前だから、これも話題にならない。
それから、数年後であったか、何かのはずみで、彼女のパスポートを見た。そこにはクリステイン・ロスタではなく、彼女の本名、クリスタ・クロスタとあったからだ。
いきなり、スロバキアとスラブの地が騒ぐという名前なのである。
ちょうど、キャパが彼の本名を隠して、アメリカっぽい名前にしたのと、まずは同様な背景である。まあ、中国人がアンナとか、ジャックとか言うよりも名前としての実在感はある。
ながのり、がチョートクで、幸二が幸之助さんみたいなものか、、、、。
話を戻すと、クリステイン・ロスタは1970年代にはウイーンでは知られたフォトモデルであった。ただし、身長が171センチしかないので、ファッションモデルは諦めたという。
コパトーンの黄色いビキニの金髪美女がその彼女であって、これはTVコマーシャルで放映されていた。ただし、ウイーンの我が家のTVセットはモノクロだから、モノトーンである。
この春に、そのクリステイン・ロスタから、30年ぶりに個展の案内が来た。それもメールなので、どのように自分のアドレスを知ったのかも不明。
金髪モデルだった彼女はドイツボーグのカメラウーマンから、さらに偉くなって何かの回顧展をケルンのミュージアムで解散するそうである。まあ、それは年の功というやつだ。
万聖節というと、クリステイン・ロスタとウイーンの中央墓地に行った34年前を思い出すのが常だ。クリステイン・ロスタの当時の写真は「ウイーン・モノクローム70S」(東京キララ社)にも掲載されている。










































