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🐦❤️5月13日ブラパチワークショップのご案内です。メタボリズムの原点を歩く

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私は文京区音羽5丁目2番地で生まれました。5月は31日が私の誕生日です。尊敬する写真家木村伊兵衛さんのご命日も5月31日です。それで生誕した地域をご案内しようと思います。日本のメタボリズム建築の原点となった菊竹さんのスカイハウスそして丹下さんの東京カテドラルです。スカイハウスは1958年の竣工で東京カテドラル= 1964年の竣工です。面白いのはどっちの歴史的建築物も私は着工から竣工までを目で見ているんですね。メタボリズムというのは建築の様式のことです。デブの事ではありませんよ。😎🌈

2018年4月25日 (水)

「墨田区京島3丁目のコーポラスの看板について思う

墨田区京島3丁目のコーポラスの看板について思う

キラキラ橘商店街に熱中していたのは25年ほど前だ。ニュー間宮セブンでたくさん写真を撮った。最近思い出してまた通っているがカメラは1,940年生の1番最初の真宮6である。これがだめなカメラかというと素晴らしいカメラで映りが非常に良い。デジタルカメラの場合は新型が止まらなくて去年のモデルよりも今年のモデルの方が良いと言う認識があるけれどもフィルムカメラの場合にはそういう尺度は当てはまらないようだ。

この前の日曜日の話の続きであるがダークルームを2時間やってその後キラキラ橘方面を歩いた。
20年ほど前にTBSのメインのニュース番組で何故かわからないがクラシックカメラ特集をやってその時この界隈を取材した。私がライカカメラを持って2人の女子がライカ持ってぶらぶらすると言う元祖町歩きみたいな短いニュースであった。読者の方が声をかけてくださってまたコッペパンのハトヤの取材ですか?と言った。そうでは無い。

コッペパンのハトヤは美男美女のおじいさんとおばあさんの店である。裸電球も懐かしい。
これも10数年前に店ライカ愛好会でこの界隈を歩いた時にアパレルの社長ビクトリーが無断で店をとって親父さんに叱られる。ビクトリーの奥さんはコッペパンを買ってからカメラを向けたら別に叱られもしませんでした。下町の神器と言うものであろう。

最近私も家ではコッペパンに凝っているので久しぶりにかってやろうと意気込んでいったらガラス戸がほそめに開いている。手書きのヴィラを見ると都合により閉店したとある。いつかはこういう日が来るだろうと思っていたがその日が来たのである。

コッペパンの先をちょっと行って路地を北に角を曲がるとそこにこのコーポラの看板がある。これは私にとってランドマークであって四半世紀ずいぶんいろいろなカメラといろいろなフイルムで撮影をした。
この日は古い間宮シックスで撮影をしたのである。現像してみたら何か今まで撮影したこのアパートの看板の中では1番良い出来であるような気がして嬉しかった。

本物のコーポラスが裸足で逃げ出すようなそういう建物なのである。でもしばらく見ないうちにこのコーポラスの裏手に新しいコーポラスが立っていた。時間はどんどん変化していくのである。D1c8d945a2e04d9790bb91cef2c78cd6


京島1丁目ボルトナット斉藤製作所

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押上から京島方面に歩くのが好きである。最近はそこにレンタル暗室のアウラができたのでさらに町歩きが楽しくなった。アウラの1階のカフェでパリから来たエアフランスのパイロットのマンフレッドにあったのも不思議な感じがする。

この斉藤製作所は好きなランドマークだ。建物全体が傾いているのであるがその傾き方を見るためには建物の表面よりも左側から観察するのが傾き方が強調される。この前の日曜日にレンタル暗室で作業をして快晴の良い天気なので京島3丁目まで歩行した。いつも斉藤製作所は撮影するのであるがこの日はいい具合に道路工事の人が立っているので逆にポイントが面白くなった。

こーゆー東京の古い部分に散在するランドマークは全く油断ができなくてすぐなくなるかと思うとずっと存在しているしこれは当分なくならないなと思うとすぐなくなってしまう。我々の人生そのものである。

このショットは真宮6の最終モデルつまりオートマチックで撮影した。他にも真宮6はたくさんあってこの前ガラクタ屋さんで買ったやつは1,940年代の1型であった。
そのレンズは3枚構成トリプレットで上代光学のレンズが付いている。最終モデルはオリンパスの瑞光がついている。どちらもよく映る。

2018年4月24日 (火)

京島1丁目テイクアウトショップ交差点

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京島が気にいって通うようになったのは四半世紀位前だ。坂崎幸之助さんの実家の酒屋さんが近い。何かの雑誌でお店に協力してもらって坂崎さんやカンパニーと一緒にここで雑誌の記事の資材をした。

坂崎さんの実家の酒屋さんは立ち飲みはしないと言う決まりであるがそれを無理にお願いして坂崎さんと私で何か飲んでいるような感じの写真を撮った。

その10年位前に京島界隈の路地の突き当たりにある街の明かりつまりランプがタングステンランプから蛍光灯に移ってしまうので慌てて撮影をした。野々宮をモデルにたたせて間宮7で撮影をしたのであった。それから時間は何年もたたないのに今や路地裏のランプはLEDになってつまらない時代になったものだ。

このテイクアウトショップは大通りに面している。しかし私の4半世紀の間このお店が開いていた記憶は無い。看板がいい具合に古びていてプリミティブであるので京島に行った時はこれを見に行くのが楽しみの1つだ。

この前の日曜日にレンタルダークルームで作業をして真宮6に根本豊治さんのフイルムを装填してこの看板を取りに来た。その日のうちに現像してスキャンしたのがこの画像である。この看板は色のさめているのがなかなか天然色写真で撮るには格好なのであるが初めて白黒写真で撮ったらそれなりの良い感じが出てていた。キラキラ橘商店街は完全にシャッター街なってしまって寂しかった。例のコッペパンのハトヤも閉店してしまったのでがっかりしている。
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2018年4月23日 (月)

根本豊治さんの形見のフイルム

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心臓外科医で写真家の根本豊治さんが不慮の死を遂げたのは2月13日。もう2ヶ月以上になる。しばらく前我楽多屋さんに行ったらコダックのモノクロフィルムが根本さんの遺品であると言う。亡くなった人の

カメラを使うのもその人思い出すことにはなるがなくなった人がこれから取ろうと用意していたフイルムを使う事は何か供養として2段階ぐらいレベルが上のような気がする。それでそのフィルムが入っている容器を丸ごと買ったらにだいめさんはお金を受け取らなかった。
すなわち根本豊治さんの形見分けと言うような形になるのであろうか。

モノクロームの撮影を半年ほど休んでいたのだが急にこれは根本さんの供養のためにモノクロ写真を撮ろうと思い立った。

それで120のフィルムをカメラに入れて東京を撮影した。1本取ってくるとそれをすぐ1本現像するのである。現像液は老舗の鰻屋の秘伝のタレを持っている。これは簡単に人様にレシピを教えるわけにはいかない。
今の時代が退屈なのは全てテクニック至上主義である。だから私の現像のデータを教えるのは簡単だが皆さんそれをすぐメモして結局は同じテクニックは使わないのである。だからテクニカが逆にオープンソースにしない方が良い。

佐々木昆さんが木村伊兵衛先生の弟子をやっていた天然色作品で優れたものがあってそのテクニックを昆虫 さんが木村先生に聞いたら木村先生は不機嫌になった。あれは特殊なフィルターを使って撮影した。でもそのフィルタは破って捨ててしまったと言うのである。いかにも木村先生らしいコメントだ。

なくなった人が使う予定だったフィルムを装填して東京歩いていると言うのはこれは何と言うべきかやっぱり供養なんですね。あるいは根本さんの視線が私に乗り移るのだ。写真撮影のいたこ状態である。

根本豊治さんの事は私の連載している日本カメラの今月号トゥデイ東京に書いた。

2018年4月22日 (日)

さくらんぼさくらんぼ

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さくらんぼが難しい。
1973年にオーストリアのウィーンに行った時市場でさくらんぼ買った1キログラムが150円位だった。これがさくらんぼの国際適正価格と言うものである。それに引き換えこの極東の謎の国ではさくらんぼは国産が異常に高い。

でもカジンガさくらんぼが好きなので時々買うようにしている。近くのスーパーで見たこれは980円もする。実際にこの数でその値段なのだ。さくらんぼが気楽に食べられないと言うのは何か戦後70年のストレスが我々の味覚に堆積しているような気がする。

ソメイヨシノのような花を見て楽しむ桜より私はやはり実のなる方が好きである。

まだプラハにビロード革命が起きる前の頃ターミナルステーションでカンツリーから出てきたおばあさんがさくらんぼを売っていた。値段が分からないので小額面の紙幣を出したら古新聞に山のように包んでくれた。それはそれ全部食べられないのでまずプラハの友人に分けて歩いた。さくらんぼはおいしかった。

2018年4月21日 (土)

モノクロ写真をブームにしてはいけない

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1,970年代のカメラ毎日などはまだカラーページが少なかったから天然色作品を掲載できると鬼の首でも取ったような感じだった。私が山岸さんに見てもらった天然生写真で掲載された1番最初のやつは3ページの作品であった。トヨタ自動車の撮影で出かけた愛知県のオープンスタジオの晴れた午後と虹が出た空と星を取った。

でも当時のメインとなる写真家の作品群は高梨さんの東京人でもTatsukiさんの舌出し天使でも写真の本編と言うのはモノクロームであった。下津さんの沖縄島にもしびれたこれらは全部モノクロなのである。当時は天然色写真は1部の広告写真家あるいは浜谷先生のような巨匠に限られていた。浜谷先生の場合は日本列島4-5のリンホフでバンバン取りまくるのだから大変なお金がかかる。

写真の本来の道と言うのはモノクロームのようだ。
それがデジカメが登場しネットが登場しインスタバイが登場したので天然色が普通になってしまった。

最近のモノクロブームと言うのは美食に飽き飽きした連中がつまみ食いをする程度の話なのである。やっぱりモノクロームもいいよねレベルの話なのだ。
モノクロ写真に真剣に取り組むと言う事はビッグマックの脇に付いてくるサラダをいつものドレッシングから別のやつにすると言うようなレベルの話ではない。それは生き方の真剣勝負なのである。初心者はそこら辺をすぐ間違える。

デジカメの場合モノクロ変換できるとあまりにもお手軽にモノクロ写真ができてしまうのも面白くない。本当のことを言ってしまえばフィルムで撮ってモノクロ写真を作るよりもデジカメで撮って変換するほうがずっと楽なのである。それはしたくない。

第二次大戦直後だがイーストマン・コダックは巨匠エドワードウエストンのために特別に8x10インチのコダクロームを提供していた。その作品をニューヨーク近代美術館で見たりしてまた当時のカメラ雑誌のエドワードウエストン本人の印象なども見たことがあるがウェストにとって結局天然色写真はものにならなかった。
モノクロの作例は昨日撮影。まみやプレス65ミリ。アクロス。老舗の鰻屋の秘伝のタレみたいな現像液で現像した。

2018年4月20日 (金)

グラフレックスXLとコンバーチブルホースマン

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シュナイダーの47ミリレンズがついた蔵フレックスXLを仕事でよく使った。
すばらしいワイドカメラなのであるが問題はヘリコイドがプラスチックでできていることだ。だから10年も使うと必ず割れが来る。これは当時アメリカでも問題になったようで小さなワークショップでブラスで作ったヘリコイドをごく少数販売した。私のXLもそれを使ったが何しろ重くなる。
このワイドカメラについていたオリジナルレンズはスーパーアングロン47ミリのef 8の方だ。スナップを暗いところで手持ちでやる場合にはF8は辛かった。昨年の11月の年末蚤の市で飯田鉄さんからこのカメラを譲っていただいた。

このカメラはコンバーチブルホースマンを改造してスーパーアングロ47ミリがついている。しかも明るいほうのレンズが付いているのは嬉しい。

コンバーチブルホースマンは実に50年近く使っているが使い方に注意する点がある。ロールフィルムバックのロックが指が触っただけで開いてしまうのだ。これは実に写真家殺しですね。フィルムホルダーを交換する時暗闇では時間がかかる。直感的に交換できないのである。
間宮プレスのホルダーとかグラフロックのほうがはるかに使いやすい。

だからこのカメラの重要な使い方のガイドとしては撮影中にフィルムバックを交換しないことと裏蓋を開閉するボタンに触らないことだ。だからいつもブラックテープを貼って指が触れないようにしている。

このフレキシブルなフレームファインダーは蔵フレックスようである。フレキシブルなのでぶつけてフレームが曲がってしまう心配もない。

大きなプロジェクトを始めるときにいつも悩むのは6 × 7にするか6 × 9にするかということだ。私はどちらかと言うと6 × 9なのである。数年前なくなったLouis Baltsの場合Limhofの69サイズで撮影していた。

2018年4月19日 (木)

ネガフィルムを探すのに苦労する

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1973年から80年までのオーストリアウィーンにの滞在中に撮影したフィルムの数は約3,000本ある。
3,000本と言う数が大変なので昨年の4ヶ月のロングランのギャラリーバウハウスでの写真展の時は49本のネガフィルムを使った。柳行李の中に入っている膨大なネガフィルムからまるで葉書の抽選みたいなやり方でぐいっとつかんだのが50本ではなくて49本だった。

それをもとにして写真家の加納が私の古希を祝ってくれた昨年のCT70の時の引き出物に素敵な写真集を作ってくれた。これは全縦画面なのである。

でもそれでは昔のwinの写真展になってしまうので一昨年の暮れにwinに撮影に行った。ギャラリーバウハウスの写真展が終わってからプリントの追加注文があった。つまりエディション2のプリントと言うことになる。
前々回のこれもやはりギャラリーバウハウスで開催されたwinをテーマにした写真展では追加プリントの注文があったのだけれども三千本のネガの中から探して探して探してついに発見できなかったので買ってくれたコレクターさんにお詫びを入れた。多分私が見過ごしているのだろうな注意力散漫だから仕方がない。

今回はそれに懲りていたのでネガフィルムの数を絞ってプリントしたネガの本数が100本ぐらいだった。その中から追加注文のプリントのカットを発見できた。今回は選んだフィルムの上にシールが貼ってあってそこでダークルームでの印画紙の露光時間もメモしてある。

ネガフィルムの管理体制が悪いのでいつも皆さんにご迷惑をかけている。

2018年4月18日 (水)

蘭州牛肉面

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北京オリンピックの10年位前つまり私が北京に行きだした頃だが下町によく通う清真料理の小さい店があった。学校帰りの北京44中学校の女子生徒が2人牛肉面を食べていたり仕事帰りのおっさんが北京ビールを飲みつつゆでた落花生を食べたりしてる狭い店であった。若い人が経営していて売り物は言うまでもなく牛肉面なのである。
ウィグル自治区とか蘭州あたりが有名であるがムスリムの料理は中国中に浸透しているのがすごいことだと思う。
羊の肉まんもうまい。北京の鐘楼のそばにうまい店がある。1つ4人民元だった。

牛肉面をよく食べていたがある日行ったらその下町の路地は全部更地になっていた。その前にこの店を訪問したときに記念写真を撮ったのを持参したのである。仕方ないので水道管のところにビニール袋に入れた写真をくくりつけてきた。

牛肉面は実にシンプルな味であってとらえどころのない味覚なのであるが逆に飽きない。とゆうか日本で流行の腕組み組 系ラーメンは私は行ったことがないがそこでの価値観と言うのは何か予備校の成績みたいな感じでそれが嫌いなのである。腕組みラーメンは注文がしにくいと言うのも変である。何時間待ったと言うのも自慢にすらならない。その意味で腕組みラーメン成果自慢のおっさんおじさん専門学校生とは話をしたくない。私の周囲にもたくさんそういうおっさんがいるんだけどあなたのことを言っているのではないよ。
家系とか言っているがせいぜい50年位の歴史でしょう。清真料理の場合はその10倍は時間が経っている。歴史の土台が違うのだ。

神保町の三省堂の手前に以前は古いメガネ屋さんで創業明治22年とウインドウに看板があって色が褪せたジョン レノンのポートレートが飾ってあった。そこが蘭州の牛肉面になったらしい。

私は列に並ぶのが嫌いなのでその店に行ったら赤いLINEが引いてあってそこに3人の人が立っていた。前の2人は中国人男性である。3人めは日本の人ぽい。
列の最後列はこちらですかとその人にきいた。これは私がいつもアローカメラカメラガラクタ屋さんで入店するときににだいめさんに発する言葉なのである。

牛肉面の味は私が中国で食べているのと同じである。ラーメン屋の店主が腕組みをして豚骨スープを何日もかけて作ったと言うような熱血の味ではない。だから安心して食べられる。お客さんは半数近くが中国の人のようだ。言葉がわからないからそれはすぐわかる。サービスしている女性がムスリムのそれのように頭にスカーフを巻いているのも本格的な感じがする。

お店の人はお客にパクチーは大丈夫ですかと聞いたりしているがパクチーが食べられない客は来なければ良いのだ。マクドナルドでお客にパテは入れますかと聞いているようなものだ。
6年落ちのiPhone 5で撮影。😎

2018年4月17日 (火)

ハインツキルフィット66の正体

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ハインツキルフィットはミュンヘンのレンズメーカーである。後にアメリカでZoomarを起こしてテレビの初期の時代と映画の時代にファーストクラスのレンズを作っていた。ズームレンズと言うのはこの会社の®だった。まだニコールなどが登場する前の話だ。当時の世界の最高級カメラありフレックスの総合カタログなどを見ていると望遠レンズ系は全部ハインツキルフィットのレンズなのである。

この画像はネットの1,950年代半ばのハインツキルフィットの新型カメラはKowaシックスが噛んでいると勘違いしていた。実は藤田だった。私は勘違いしていたのである。

フィットはアルベルトアインシュタインなどとも親交があってアインシュタインの求めに応じてコロナスペクトログラム用の望遠カメラなども作っている。

私が驚いたのはこのカメラはもともと藤田緑緑が土台になっていると言うことだ。
キルフィットはカメラの制作の方では技術がなかったのだろうか?

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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