2009年7月 6日 (月)

前世紀の極地探検隊の居室にあこがれる

R1180022 引っ越しから1週間が経過しようとしているが、室内は相変わらずの倉庫状態である。
日本の著名写真家の家に行ったら、立派な応接セットのブラックレザーのソファに座らされて落ち着かないことがあった。
仕事場のヒルズのゲストルームも「身過ぎ」の感じがあって、どうも革のソファというのは、そこに美女のおしりがのるのなら許せるが、そういう場所でお金のやりとりの打ち合わせをするのは、性に合わない。

狭い質素でしかも頑丈な室内でそこに積み上げられた、トランクや19世紀的な観測用具に取りかこまれた探検隊員の古い写真は、あれは南極か北極かは分からないが、」大きめのトランクを机にして何かものを書いているところであった。そういうのがダンデイの極地というのであろう。
そういう理想の探検の環境にはかなわないが、この極東に越年してきたわれわれは確かにそれぞれ、一人一人が「勇敢」な冒険家には違いない。
我が家がそのような探検のシエルターであると認識するのは、なかなか都市を歩行する者としてわくわくすることなのである。

さしずめ、まだ金属のハードケースとか、雑多な雑嚢などが高く積まれている間に、その探検家気分を味わうつもりだ。あるいはアメリカの都市部には、ぞの実態は知らないが、引っ越パーテイなるものがあって、まだ荷ときをする前に親しい友人を招いて缶ビールなんかやるのも、気が利いている。

R1180021 この季節なら新居(というのもおこがましいが、前とまったく同じの間取りの川向きの角部屋)でバルコニーから隅田川を見ての一献も興がある。

そう言えば、10年以上前には、「名月やここ月島の佃亭」などと、其角を真似た色紙を書いてそれを看板にして、気のおけない友人を招いたこともあった。坂崎さんなどとその勢いで近所に飲み直しに行ったりもした。

| | コメント (0)

2009年7月 5日 (日)

AirMac Extrereme Base Staionで苦労

なにしろ、佃のネット環境は5年遅れていて、その指摘はしばらく前にブログの書き込みでもご指摘を受けた通りだ。それで移転に伴い、AirMac Extrereme Base Staionを手にいれ、昨日は苦労しつつなんとか設定した。

すべてAirMacは正常に作動していると、接続アシスタントは言っているのだが、インターネットに接続できない。
システムはOS X 10,4,11
現在の状況はAirmac  AirMac設定、ネットワーク設定、ISPは全部グリーン。
インターネット、サーバー は赤になっている。

なお、フレッツのマンションタイプで、ケーブルでは問題なく接続されている。
なにか大事な設定がかけているのかも知れないが、素人なので不明。

AirMacに詳しい方のご教示をお願いします。

★情報ありがとうございます。おかげさまで接続できました。これでMacAirも使えます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

七月四日に生まれて

R1179999 7月3日の午前10時頃に、PowerBookAirをオンラインで注文した。
その日の夕刻にライカインコが急逝して、翌、7月4日の午前中にPowerBookAirが到着した。
思えば、いままで18年ほどPowerBookを愛用してきたが、最初のモデルは新品で求めたけど、それ以降はずっと秋葉で中古で買っていた。
それでも歴代のPowerBookはG3にせよ、G4の最初のモデルにせよ、その中古価格は25万はした記憶がある。今度の最新モデルの速さにはかなり驚いた。しかも18万円。家で使っているのは初代のPowerBookG4であるのだから無理もない。
昨日の午前中にPowerBookAirを注文した時には、まさかその夕刻のライカインコ急逝事件は想像の他であった。
それで今朝PowerBookAirが到着した時に、セットアップをして、これは実にPowerBookのセットアップらしいのであるが、システムがそのコンピュータの名前を聞いてくるのである。
それで迷わず、Leica Inkoと命名した。

カメラのライカは1967年以来のおつきあいですでに42年間。
ライカインコの方は1985年以来、歴代4匹だからこれも通算で24年間。

人間の方だってすでに残り時間はあまりないので、これからはライカインコは永久欠番と決定した。まず、4代目はもう2-3年は生きると思っていたが、逆にライカインコがわれわれに2−3年の余分の時間をくれたことになる。これはありがたい。

思えば、1970年代の7年半の長い永いウイーンでの「新婚旅行」はあったにせよ、この四半世紀、家人と外国には行っていなかった。いつも家人が欧州から戻って、バトンタッチしてあたしが行く(この3月の家人のウイーン、あたしのプラハ行きなど)というパターンが常識化していた。

欧州の友人に「なぜフラウをつれてこないのか」と詰問されて「家にペットがいるので、、、」と、この20年間答えていたが、相手はどうもライオンとか象とか、にしき蛇とか、ハナモヘラトカゲとか、そういう「手の抜けないペット」がいると思い込んでいたようである。第一、日本ではかなり最初の飼育例になる、ハリネズミ(この針ねについて坂崎幸之助さんと談論したのも懐かしい)だって、かのプラハなら普通に夜の郊外の道を「家族ずれ」で歩行している。そういう背景があるので、まさか黄色いバジエリガーの為に家を無人にできないとはちょっと言えなかった。

R1180018 ところでこの24年間という決して短いとは言えない年月で、4匹のインコにつぎ込んだその総エネルギーを、そのまま写真のパワーなり、エッセイなり、はたまた家人の声楽のパワーにそれを転化すれば、今よりよほど良い仕事と結果が生まれたのではと思うかも知れないが、自分はそこはちょっと違う考えを持っている。それはそれで良いと思う。

ただ、この場合、過去から昨日までの24年間の後に来る「ロストライカインコの波」がちょっと怖いのでその対策をそれなりにこうじることにした。

それで新PowerBookは「ライカインコメモリアルPowerBook」と命名したのだ。よくニューヨークの古い建物などに「なんとかかんとかメモリアルホール」というのがよくある。それを冗談で真似てみた。
昨日、勝ちどきのクリニックで計った最後の日のライカインコの体重は45グラム。一方、7月4日のPowerBookAirの体重は1300グラム。そのままでは比較にはならないけど「同族」の中ではどっちもその軽さは「Airクラス」であると思う。

| | コメント (1)

2009年7月 4日 (土)

カメの背中

R1179984 移転して必要なモノは、例の市場篭とかリコーGRのブラックのトートバッグと、東京外人記者クラブのトートバッグ(印度製の青いの)に分散していれてあるので、それは迷うことはない。
一方で、仕事に必要なカメラの方は、段ボールの上に書いてあるのでそれも問題なし。
問題なのは「それ以外の記録されていないカメラ」の方である。これはパンドラの箱を開けない限り分からない。しかしこの5年の経験では、引っ越し後に開けなかった箱が沢山ある。
たとえば、デイアドルフノ8x10は何回も使っているので、それは問題なしとして、アルカスイスの8x10の方はこの五年間、見かけなかった。
くろねこさんに移動してもらって、それが一番下の方の箱に入っていたのを発見。最近の「お若い方」のステータスはデイアドルフのようだが、それより格上のジナー8x10(これは岡山のちょうとく固執堂に置いてある)があり、さらにそれよりずっとお洒落なアスカスイスの8x10もある。このアスカスイスが新たに出土したのでうれしい。

16ミリと35ミリの映画撮影機の方は、箱に入れずにそのまま運搬したのでそれはそれですぐに分かる。
この画像は仏蘭西のカメフレックスである。巨匠ウイリアム・クラインはこの撮影機を持っている姿が彼の本に出ていて、そのかっこよさに惚れ直した。

これが亀で、独逸のアリフレックスの方は蟻なのであるが、カメの魅力はダイレクトに交換できるマガジンが見所である。そのフィルムのゲートにしびれるのである。このカメは16ミリと35ミリの兼用モデルである。今は16ミリのゲートが差し込んであるが、それを撤去するとそのまま35ミリの映画が撮影できるという天才キャメラだ。
この月曜にテレ朝であったカメラ人類さんが「撮影機人間」なので、自分は同好の同志を得た気分であった。
ビデオの場合、アパチュアゲートにはCCDが邪魔しているわけだが、フィルムカメラ(こういうのはぎんしおカメラと呼称することに最近、偽ライカ共和国カメラ国語委員会で決定した)の場合は、それは「世界を区切る窓」であることが分かる。

| | コメント (0)

2009年7月 3日 (金)

懐かしの七月 四世ライカインコ急逝す

R1179900 偽ライカ同盟共和国、第四代「国鳥」の四世ライカインコは2009年7月3日午後5時10分急逝。行年4歳。

第四代ライカインコ(俗称オイチ)は西暦2005年7月に池袋西武百貨店ペット売り場に生まれた。価格2900円。
もっぱら生涯にわたり玉子の生産をアートライフワークとして行い、生涯に200個近くの「作品」を制作した。ひいおばあさんは白色レグフォンではないかと噂されるほどの多産系だった。その成果は本ブログで紹介されたこともある。

R1179992 ライカインコ4世はこの2週間ほど体調を崩していた。付属の医師団のソナー検査によれば、産道のに腫瘍があることが確認されていた。
7月3日のお昼まで、「あさりごはん」など食べて元気であったが、午後2時半に容体急変。実におだやかな突然の死であった。

上の画像は7月3日午前9時50分撮影。(代表取材)

偽ライカ同盟共和国は4代目ライカインコの長逝を哀悼し、3日間の服喪に入ります。
偽ライカ同盟共和国人民は偽ライカ共和国の国旗を半旗にして、哀悼の意を表されることを希望します。

2009年7月3日 偽ライカ同盟共和国葬儀典礼委員長代理 田中長徳

| | コメント (4)

七月の驟雨

宿替えして、家人の方はモノに固執しない性格なので、モノは少ない。家人の部屋はすでに新生活が開始しているが、こっちは広い部屋の真ん中に段ボールの砦が出来ていて、その中に籠城している格好だ。なにか人民戦線のヒロイックな感覚がそこに感じられるのは先月のアンダルシアが利いているわけだ。

日本カメラの前田編集長から8月号の締め切りの到来を聞かされる。日本カメラの「一眼レフの王国」は毎回、はやめ、早めに入稿しているのだけど、今回のように向こうから督促を受けるのは珍しい。
ところが、数あるカメラは全部、段ボールの山の中だしせっかく引っ越しのプロが築いてくれた箱の山を壊すのはちょっともったいない。
昔、アンダルシアのヘレスでシエリーの酒蔵を取材して、あれは何というのか、グラスを山形に沢山積んだのに上からお酒を注ぎ、それぞれのグラスを満たすという伝統古典芸能があったが、今回の段ボールの山系もそれに遣い存在である。

それで一眼レフの王国用のカメラを探したら、ここに一台だけ発見した。それがローライ6008なのだが、このカメラは過去5年間、常にこの机上にあった。その細かい内容は日本カメラの8月号に書いたのでここでは紹介はしない。
R1179980 バッテリーをチャージして、さてフィルムをと思ったのだが、フィルムは他の100個の段ボールの中である。あわてて銀座にフィルムの1本買いをしに行こうと思って、ロビーまで降りてきたら七月の驟雨である。それで小一時間、ロビーで仕事してから、ビックカメラにカラーフィルムを1本だけ買いに行く。530円なり。

あわてて撮影をするには、6008はモータードライブだし、オートだし便利だ。
撮影済みフィルムを京橋の堀内に持参したら、お昼前なのに仕上がりは午後6地45分という。以前なら90分待ちで、その間、銀座のカメラ店を散策してまた余計な出費をしたものだが、そういう人生の危機は今は遠のいたことになる。
佃に戻り、もっぱら段ボールの廃棄作業に従事。

モスクワから、アエロフロートのエリートプラスの会員カード届く。そのダークなゴールドカラーのカードは今時の日本では存在しないような色合いである。まさにクレムリンの秘宝の黄金色。

| | コメント (0)

2009年7月 2日 (木)

6月30日の宿替え+ヘリコプター

R1179969 30日、火曜。
冷涼多湿だが、引越しの好天日。同じタワー内のまったく同じ部屋の15fから12fへの移転。今回の作戦はこれを「2009,6,30生活防衛引越し」と命名した。なにか気象庁の大地震の命名みたいで大げさでばかばかしいのがよい。
つまり、今までの賃料の10月分が今度の1年分の賃料になる。

野々宮MBWの会社も最近、赤坂から麻布十番に引っ越したそうで、そのダンボールの開梱作業で多忙のようだが、あっと言う間に朝9時の作業開始で、息つく暇もなく昼休みになり、午後5時の作業完了になった。

部屋から荷物がなくなり、新しい部屋にどんどん荷物が運びこまれてあっという間に、どっかのマンションの引越し直後のような室内の光景の中にいすに腰掛けている自分を発見した。
くろねこ大和の引っ越しのクリューはプロだから仕事は速い。そのスタッフの中の「おねえさん」は5年前、うちの引越しをやってくれた人で、前の引越しを記憶していたので「旧交を温め」た。プロの引っ越しやさんは毎日が引っ越しなのだから、これを生活にしてその記憶を綿密に組み立てたら、新しい「引越し文学」が生まれそうだ。

いかにハイテクの時代であっても、最後には「人力」が勝利を収めるという「一事」がなにか真理であると思わせるのが引っ越しのパワーである。

午後6時にあわててシャワー浴びて、7時すぎには品川区東五反田の「ヘリコプター」に行く。前田司郎さんの「三島由紀夫賞」受賞記念の大宴会。

住居表示のメモだけ頼りに、五反田駅から夜の街を歩いて、知らない場所に一発で到着したのは、われながら びっくりした。犬の土地勘だ。

会場満員。en-taxiの田中陽子編集長、福田和也さんら。福田さんはパナソニックのG1にズミルックス35ミリf1,4で会場を連射。そこに前田司郎さんが登場して、さて三島賞の賞金でどういうカメラを買おうかという、こういうのは楽しい話題だ。

前田さんの劇場はもと鉄工場の広大な建物の一室である。父上が設計した「トラス」の構造を見る。実はあたしは一種「トラスフェチ」であって、その種の鉄骨構造を見学するのが好きだ。東京なら、富岡八幡のそばの日本最初のトラス橋がいい。たしか八幡橋といったか。

大宴会は大盛会であった。どうもあたしが一番年長のようである。
前田さんが最近脚本を書いた、NHKドラマで、それを自分は見ていないが、なんでも老人が東京に中古カメラ市に来るという筋書きというのは聞いていたので、作家自身からその細かい内容を聞いた。
それによると、そのほしいカメラは「コンタックス 2a」である。天皇陛下が皇太子時代に訪欧したとき、たしかカメラはそのコンタックスであったことを思い出した。
前田さんに聞きたかったのは、ドラマの撮影で「中古カメラ市」のセットをどのように組んだかという話であった。なんでも目黒のサンポーカメラでロケをしたそうである。

最近文芸誌「新潮」などを見ていると、フィルムカメラを使っての撮影行とか、ライカの出てくる小説がありそれが面白い。ポートレートを撮影するくだりで、ライカが登場してくる。そのライカのシャッター音が普通の擬態語よりかなりデシベルが高いので、これは作家の人がライカを知らないのかと思って、読み進めて行くと、そのライカはライカフレックスSLであることが分かったりする。ライカのシャッター音のトリック文学だ。

R1179965 福田さんが前田さんに対して「この際だから、三島賞の賞金で4x5カメラを買ってはどうか」と提案している。賞金は振込みだというが、それがどうも面白くない。こういうのは「とっぱらい」でその現金をもって中古カメラ店を徘徊するのが「正しいカメラクルージング」であろう。

引越し疲れで、ダンボールを枕にして眠る。

| | コメント (1)

2009年7月 1日 (水)

5年ぶり

この宿替えの数日間はまさに夢のようだ。

本当は、28日にアローカメラでシドニーがあって、29日にはカイロに行く予定であった。
YAHOOのリマインダーで、NARITA-CAIROと、かなり前に入れた予定が、更新されないままに出てきて、びっくりした。
思えば、この12日間は毎日、段ボールを風景として暮らしていたのである。カイロは段ボール色の大地であろうから、その意味では共通点はある。

引っ越しの前後には、好きな本は全部、段ボールにはいっているから、それは自由にならない。そのかわり、5年ぶりの再会の本もある。つまり前の引っ越しから一度も開封しなかった、箱があるわけでその中に入っていた、紅い表紙の本は1Q84年のピョンヤン発行の画集である。右の方は、
1Q88年発行のレクタフレックスの本である。この本が出たので、世界のレクタフレックスの価格は急騰したのだった。

この本が発見できないので、同じ本を注文したら、それはイタリア語のバージョンであったので、不便をした。こっちは英語版なので助かる。R1179954

| | コメント (1)

2009年6月30日 (火)

終日、移転中、面会謝絶

本日、終日、移転中、面会謝絶。

-----------と、昨日書いたのであるが、それではあまりに面白くないので、追加。

昨日は、知人に「届けもの」があるので、午後1時にテレ朝にゆく。
アトリウムというのが、どこだか分からないので、入り口のセキュリテイの人にきいて、はじめてわかった。
この界隈には7年いるのに、いつも地下鉄からヒルズの49fまでの直行だから、始末がわるい。

10日ぶりに49fのゲストルームで知人とカメラと映画撮影機と時計にかんして、閑談というよりかなり深い話しになる。映画撮影機は同好の同志がいないので意を強くした。

午後3時に佃にもどって段ボールと格闘継続。
午後6時に終了して佃小橋のそばの「麗江」。

火曜は目覚めれば、冷涼にて恰好の移転日和。

| | コメント (0)

2009年6月29日 (月)

オムライスの「最多価格帯」

R1179916

引っ越し作業の最中に段ボールを背景にして、手許にある新着の写真集をめくる。これは大した愉しみだ。
片岡義男さんと最近東京の町歩きをしていないことに気が付いたのは、片岡さんの新刊の写真集「名残りの東京」をめくっていた時だ。(発行東京きらら社 発売河出書房新社1980YEN)

五年ほど前には、片岡さんと東京の周辺部をよく徘徊したものである。東京の徘徊には最近では福田和也部長代理率いる、「あの写真部」もあるが、あの写真部の場合には「撮影の行楽と飲酒の快楽」とが半半になっていて、そこには向上心のかけらも存在しない。一方、片岡さんの撮影行は秘境のキリスト教の信徒めいていて、撮影の鉛筆の先をさらに研ぐという一種、苦行への快楽の感じがある。

まあ、主義主張信仰の自由であるから、いずれがどうのこうのという話しでもない。

この写真集を見ていてよく理解できたのは、撮影中の片岡さんはこんなものを撮影していたのか、という事実である。写真家の仕事はこのように写真集にしてそれを第三者に向って、ぽーんと放ってやるのが正しい理解のプロセスであるから、たとえば有名写真家(この場合には世界的にという意味で)と、一緒に撮影旅行をしたとか、彼の別荘に泊めてもらってそこで「薪割り」をしたとかいうような「著名写真家とのゴシップの話し」ではない。
ただ、片岡さんとの場合にはたしかに、同じ場所をカメラを持って徘徊したのだけど、正直いって自分は町を駆け抜ける方だし、片岡さんは一ケ所にずっと停滞するタイプであるから、同行の相手としては不向きなのである。
だから、片岡さんとは同行撮影よりも、こうして最終結果を拝見するのがはるかにためになる。

それで気が付いたのはこの本にはやたら見開きの「オムライスの肖像」(正確にはそのサンプル)がおおい点だ。オムライスというものは食べたことがなかったが、この前、「あの写真部」で浅草の神谷バーにいって、福田部長代理からごちそうになった。
しかしオムライスというのは、こういう比喩は、また誤解を招くのを承知でいえば、それはなにかフェルメールの絵みたいな存在感で、それに憧れているのは良いけど、欧州の多くの美術館を行脚して、実際にその絵の前に立つと、ちょっと想像の他の印象で「こんなはずではなかった!」と思うものである。
この本は20世紀末から21世紀初頭の極東の日本、東京の「オムライスの小売り価格帯」の資料として後世に残るのは必定だ。
それがまた絵の観賞のフェイントなわけだが、思うに片岡さんの「オムライス行脚」というのも、欧州の名画行脚のように思えてきた。それは、20余年前に、自分はイタリアから北欧までフェルメールを求めて旅した(と書くとかっこいいが、取材である)時に、この片岡さんの本で東京のクラシックな町が延々と継続してその間、間に、フェルメールが存在したことに、なにかオムライスの間に「名残りの東京」が挟まっているのと似た空間感覚を感じたのだ。


| | コメント (1)

«GRDストラップレスアナーキスト