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🐧第11回ブラパチワークショップのご案内です❤️

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7月のブラパチワークショップのテーマは花に駆け寄る人です。7月8日日曜日午後1時スタート。集合場所は後でお知らせします。東京大学附属小石川植物園は1902年にできました。私の体験した最初の西洋庭園でした。
今回はピクニック気分で行きましょう。🍉😎🌈🎶

2018年6月23日 (土)

間宮フレックスはC1がいい

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ちょうど50年前に間宮フレックスのC2を使いだした。その頃のスイスカメラマガジンにダイアンアーバスを撮影したポートレートが掲載されていた。アーバスの使っていたのは間宮フレックスのC3であった。
アーバスの写真集の中でフリークを撮影したシリーズはもちろんローライフレックスがメインなのであるがその他に間宮フレックスで65ミリと135ミリのレンズを使用しているのである。その両者の感覚というか空気の感覚が非常に素晴らしかった。

マンハッタンのセントラルパークあたりで撮影されたと思われるアーバスの肖像はだらしなくベンチに座って脇にはトートバッグがありそこに間宮フレックスが入っていた。何かそこら辺のローカルな学校のバザーで物売っているおばさんと言う感じがしたのでそれで私はアーバスが好きになったのである。

でもカメラの美学と言うことから考えれば私は1番最初の間宮Cが好きなのである。カメラのネームプレートのデザインがダントツに良い。これはあまり数がないカメラであってフォーカシングの分は右手で操作するのしかついていない。

だから間宮フレックスのことを知らない人が見ると左側のフォーカシングが失われたジャンクカメラのように思うのだ。

標準レンズは105ミリ付きだったようである。それがこのような結構薄いソフトレザーケースに包まれているのは何か非常に高級な文化財を見るような感じがする。

2018年6月22日 (金)

トニー0ジョーンズの事

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トニー0ジョーンズがなくなったのは1971年の3月だった。彼の仕事は当時クリエイティブフォトグラフィーと言う雑誌で見ていた。素晴らしいスナップシューターと言うよりも現実の風景の不可解さをそのまま切断するフォトグラファーと言うポイントが好きだった。

銀座の三原橋交番の裏にMingyu国際図書館というのがあって外国の写真集と雑誌は主にそこで見ていて私の大切な情報源だった。

トニー0ジョーンズが使っているカメラを調べてブラックのニコンエフにニッコールの28ミリであることが判明した。何か戦場の連帯感を感じたのである。

私はスイスのCameraの1970年7月号にポートフォリオを出している
Hiroshi Hamayaさんと同じ月の雑誌であった。

クリエイティブフォトグラフィーの編集長だったビルジェー
が退任して新しい雑誌アルバムを作ると言うので写真を依頼された。私の仕事をスイスカメラで見たのであろう。そのビルジェイが今どうしているかとウィキペディアで調べたらなんと2009年に68歳で昇天していたのである。何とも言えない気分だ。

トニー0ジョーンズは30歳で昇天している。
今回初めてトニー0ジョーンズとビルジェイの風貌に接した。

雨の中を今日からスタートしたギャラリーバウハウスの小滝さんの個展に行った。19年前と昨年のイギリスのリゾート地とか湖水地方の仕事である。トニー0ジョーンズの写真集を前にしていろいろ話した。 1,970年代初めの頃の英国やヨーロッパの写真について話をすることができる人が少なくなったのは残念である。

小滝さんの個展
Beyond Summerは9月15日まで開催。

2018年6月21日 (木)

鹿児島のカロワイド

鹿児島のカロワイド
1970年であった。初めて鹿児島にトヨタのロケで出かけた。当時の広告会社が物わかりが良かったのは私が個人的に撮影するということを許してくれたことにある。でもライカを使うなどと言うのは大げさであるから目立たないサブカメラを持っていった。それがカロワイドであった。

撮影はもちろんモノクロである。その作品は東京ニコン日記に1部が収録されている。
Konturファインダーと言うものがあってこれは暗闇にブライトフレームしか見えないファインダーである。
両方の目を開けて頭の中でブライトフレームを実際のシーンと合成するのであるが物分かりというか冗談の通じない人は何度やってもこれを見ることができない。

だからこの人が冗談が通じる人かそうでないかをチェックするためにKonturファインダーを覗かせるのは有効である。

正岡子規が明治の終わりに同じようなことを書いている。これは立体写真を見るときの人間の業のことなのである。正岡子規は立体写真に熱中していた。その中で書いているが何か物の道理が分からないような人は何度見ても立体に見えないとあった。これと同様なことなのであろう。

滝野川7丁目の中古カメラ屋さんでカロワイドを買ったときにはまだ高価なカメラで25,000円もした。ところが最近は10,000円位で買えるようになった。でもこの頃フィルムカメラブームが起こっているのでこれより下がる事はなくて価格は上がっていくのだと思う。

デザインが非常に良い。競合他社オリンパスワイドなどは足元にも及ばない。Img_7557


2018年6月20日 (水)

父親が亡くなった日の朝にあろうカメラで買ったローヤル35

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東京ニコン日記はちょうど20年前に出した。その前の年の春に父親が亡くなった。
その時の話だが父親の遺体にあって早朝にアローカメラに寄ったら買取名人が香典をくださった。その香典で買ったカメラがこれである。

20年以上使っているのはこのロイヤル35である。富岡光学の50ミリの2.8のレンズが付いている。優秀なレンズであってエルマーと同クラスである。

さっき手に取って見て大発見があった。
最短撮影距離が2フィートまで揺れるのである。レンジファインダーには連動しないだろうと思ってファインダーを覗いてみたらちゃんと連動するのである。
私はこの20年以上このカメラの何を見ていたのであろうか?

2018年6月19日 (火)

ニコン研究会 ダンカンさんを追悼する

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ニコン研究会の存在は前から知っていた。海外からも非常に注目されていて外国人のゲストの方が参加したりしていることも知っていた。ニコンはかつての私のクライアントであったしブランドとしての尊敬はあったのであるがちょっと敷居の高いと言うところがあった。

今回はダンカンさんの追悼会と言うことで参加させていただいた。非常に感銘を受けたのはメンバーの研究発表である。ニコンエフの最初の100台に関してこれは布幕のフォーカルプレーンシャッターなのであるがそのストーリーを発表したメンバー等は素晴らしかった。
ニコンがニューヨークで最初のスタートを切ったときのニコンの社長さんの奮闘ぶりなどは手に取るようで感銘を受けた。それをニコン研究会のメンバーが実際に調査して発表しているのであるからこれは大変なドキュメンタリーである。

思うにこのような素晴らしいストーリーを調査することができるのはやはりメンバーのメインの人々が日本人であるということにもよっている。
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2018年6月18日 (月)

Rでこでこ

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数あるローライ製品の中で1番魅力的なのは初代のローライコードだ。金属パネルをうまく使っていい味が出ている。原因不明なのはこのユニークなデザインが受け継がれずに最初のモデルで終わっていることである。

永井荷風は写真もなかなか上手だった。その一端は戦前に出た岩波書店の本面影などで見ることができる。
最初に手に入れたのはローライコードである。多分この金光のやつであろう。永井荷風は当時吉原を撮影していた。その夜景の写真は残っている。ローライコードのトリオターは明るさがエフ4.5だった。それに対して当時のローライフレックスはエフ3.5だった。

永井荷風はローライコードを手に入れてそんなに時間がたたないうちにローライフレックスに乗り換えている。そのいきさつは断腸亭日乗にも出ている。
出入りのカメラ屋さんが新しいローライを持ってきてローライコード持っていったらしい。いかにもお屋敷街の暮らしと言う感じがする。

私がこのローライコードを最初に使い始めたのは1970年の春だった。当時の東京の春がトリオターを通して原色で迫ってくると言う感じがして興奮した。

2018年6月17日 (日)

モダンタイムス

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この世界の果てまで行ってそこで撮影したものが自分の傑作であると考えるのは大変な錯覚である。
チェコの偉大な写真家Sudekの外国体験は第一次大戦のイタリア戦戦であった。そこで友軍に間違って射撃されて右腕失う。

彼の仕事で重要なのは自分の住んでいた街プラハを取った1連の仕事である。しかも毎日自分のアトリエから表通りに出るときのプロセスを克明に記録している。

このショットはその真似である。佃のこの辺の路地は非常に狭い。それは江戸時代の道幅がそのまま残っているのだ。

建物の裏側というか表面の配管設備前から注意を払っていたが普通の速度で歩いているからスマートフォンを取り出すゆとりもない。それである日ちゃんと目標を定めて35ミリカメラにモノクロフィルムを入れてこのショットを撮影するために出かけた。

都会と言うのは自然の風景よりも複雑なところがある。それが面白い。

2018年6月16日 (土)

ニコン101号館ここにありき

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、ミスターニコンの後藤さんからお誘いを受けて日本工学工業株式会社101号館を再訪した。2年3ヶ月前の3月31日つまり101号館最後の日の見学に呼んでいただいたのである。

西大井の駅から歩きながらひょっとしたらまだ101号館は存在するのであろうかと考えていた。
午後の光の中でまるで巨大な海岸に出たような感じがした。目の前は全部平面なのである。

永井荷風の戦前戦後の日記などを読んでみると巨大な焼け跡に接したときの印象が実にうまく描かれている。これは焼け跡ではなくて新しいシーンの始まりだから内容は全く逆方向なのであるが何もない風景の爽快さと言うものに接した。

同時に私が何十年も仕事で守衛所で話を通して中に入れてもらっていろいろ忘れられない体験が多重構造になって押し寄せてきた。

ところでニコンの後藤さんは入社時期がニコンエフ3の時代なので手元のカメラを選んで話題作りにニコンエフ3を持っていこうとした。
ところがバッテリー切れである。90分の1秒が使えるのであるがそれとバルブだけでは撮影が心もとない。それで609系統のカメラを持参した。これならバッテリー切れからは全く無縁である。考えてみれば今生産しているカメラというのは全部電池がなくなったらアウトなのだ。恐ろしい時代である。

大昔ニコンのカタログの撮影でベニスに行った。夜景を撮影しようと思ったらバッテリーがアウトになった。この時は三脚に付けたエフスリーでバルブで撮影したので何ら問題はなかったのである。
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2018年6月15日 (金)

志村坂上でカレーショップのチラシをもらった

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赤羽に行くのにはいくつかルートがあるがシルバーパスでダイレクトに行けるのは志村坂上まで行ってそこから国際航業のバスに乗る。

志村坂上を歩いていたらカレー屋さんのチラシをもらった。その人が店まで案内してくれた。いわゆるキャッチセールスと言うやつだな。すぐそばの店でガラガラであった。保険の外交のおばさんみたいな人が 2人カレーを食べながら上役や同僚の悪口を言っている。粉飾決算の話もしている。それが極めて日本的なので耳をそばだててしまった。同じカレー屋さんでもデリーのチャンドにチョークでは私は言葉がわからないからこういう面白さはない。

店員さんがどこから来たのかと言うので銀座の方から来たと言った。最初はお店の向かいにある病院に通っているおじいさんだと勘違いされたのである。それも悔しいので自分はフォトジャーナリストで赤羽を取材に行きたいと言ったら変な顔していた。

大門と門前仲町と東陽町にもお店があると言うのでクーポン券を作ってくれた。遠くまで来たと言うのでスタンプに2つをしてくれた。後でよく見たら42回こないとタンドリーチキンが1個もらえないのである。ここら辺はインド哲学ですね。

門仲の店などはデリバリもやってくれると言うのでびっくりした。今度注文してみよう。インドでもシンガポールでもそして日本でもカレーランチはずいぶん食べているがここのやつはなんが異常にでかい。タブロイド版の新聞紙ぐらいあるのだ。辛さが調節できて1番辛いと言うのを頼んだ。10段階で1番辛いって言う奴であるが別に辛くはなかった。
つまりこれは本場のインド料理なのである。

2018年6月14日 (木)

森以蔵さん

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頂き物の森以蔵飲んでみる。
今でもやっているかどうかわからないが毎年4月に日本航空の国際線で森伊蔵を定価販売で売っていた。それでニューヨークに行く時に1本買った。1本以上は売ってくれない。私はビジネスクラスの1番前に座っていて前のファーストクラスのお客さんが全部買ってしまうのかなとやきもきした。酒飲みは意地の汚いものである。

エンパイアステートビルディングのすぐ隣のホテルにチェックインしてすぐに下の角で食物売っているベンダーのところに行きチキン弁当を買った。

目の前に聳えるエンパイヤを見ながら森伊蔵をストレートで飲んだ。
帰りの飛行機でも森伊蔵を買った。それをそのまま忘れていてキッチンの隅から何年か経って出てきた。頂き物の森蔵さんも同じような形で発見されたらしい。

。それでその味なのであるがかなり保存されていたのでまさに水の如しと言う感じがする。やはりいつも宝焼酎で鍛えられているので高級な焼酎は体に合わないようである。

でも私は焼酎に関してはなかなか素敵な洗礼を受けている。1,970年頃に鹿児島の枕崎に行った時に当時の地元の焼酎を味わっているのである。これは結構きつかった。それで焼酎が好きになった。旅館だとちゃんと黒ぢょかの徳利で飲ませてくれた。

«ライカのレンズの汚いのが魅力です

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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