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ロック ユー

2017年2月25日 (土)

ペンギンズばあ

P2250024四谷三丁目の裏側のラビリンスのような場所が好きである。

実際には四谷三丁目ではなくて新宿区若葉というらしい・
毎月の第4土曜日の午後2時から始まるガラクタやさんのトークショーシドニーに行く前に時間があったのでまたこの界隈を徘徊した。
商店のシャッターというのは不思議なものであって商店が閉まっているときしか鑑賞することはできないのだ。 先週の京都の錦小路で非常に面白かったのはお店が閉まった後のシャッターが普通のシャッターではなく江戸時代の画家若冲の作品がシャッターに描かれているのだ。 要するにお店が開いてるときに見ることのできないギャラリーということになる。しかし皮肉なことにギャラリーが開館したとき、つまり言い換えればお店のしまった後には錦小路も誰も歩いていないのだ。だからギャラリーメインのトークショーのあとによる9時半ごろだったが私は錦小路を東から西に歩いて十分にそのギャラリーが堪能できた。
これは25年ほど前にサントリーの広告で大流行したその名前をペンギンズバーいった。それで思い出すのはギャルリールワタリが
そこのオープニングレセプションに出かけたときのことである。ワタリさんがパーティーの時に提供してくれるのがペンギンズバーの1番小さい缶ビールなのだ。 私は直感でこれは将来芸術品としての価値をもつのではないかと思って1つずっと保存していた。30年近いかんビールであるから中身がどうなっているか知らない。しかし時代が変わったなと思うのはこの缶ビールはアルミカンではなくしスチール缶なのである。
ギャルリールワタリといえば
ヨセフボイスを思い出す。そこでボイスは黒板に何かドロウイングしだ。これもギャルリルワタリのオーナーは樹脂で固定してちゃんと持っていたはずである。そこら辺の即興性というか時間を芸術的に止めようとする意思が感じられてすごいと思った。
四谷若葉界隈を歩いているときに、そういう30年前の昔のペンギンズバートとかヨゼフボイスが一気にしかしゆっくりと私の頭脳に浮上してきた。

ちょーせいさんとちょーとくさん

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マンハッタンの怪人船原長生さんは2011年にお目にかかったきりだがネット上では親しい友人である。

Facebookにダブル8をドアストッパーにしないための市民の会というのを昨年作った。さっき来た調整さんからのFacebookの書き込みではこの同好会ができて4ヶ月と何週間になるそうである。

それでダブル8-8ミリカメラの件で調整さんがメンションしてくれたのはカールツアイスの当時の超高級カメラのことである。

スーパーエイトと言うのであるがそれはフィルムフォーマットのスーパーエイトと言う意味ではなくて当時の商品戦略でスーパーなダブル8ということをであった。
そのカメラを見ていて思い出したのはそれに対抗して作られたと思われる東独のダブル8-8ミリカメラペンタフレックス8のことだ。

そこで四半世紀暮らしたプラハのアトリエはもう存在しないがアトリエがあった頃この画像の右側にあるカメラを私は時々使っていた。プラハのカメラ店で購入したのである。値段はよく記憶していないが確か2,500コルナだったかな。

それでプラハで使っていたカメラが今どこにあるかと言う事はわからない。これはここで書くと面倒な複雑な事情があるのでとりあえずここではプラハのアトリエにあったペンタフレックスの8ミリカメラは紛失してしまったということにしておく。

それで急にこのカメラが欲しくなったのである。最近病気になっているフランスはパリ製のカメックスもそうであるがカメラへの欲望と言うのはどうも数十年前にそれを使った記憶というのが重要なポイントになっているようだ。

eBayで探したら適当なのがあったから手に入れた。値段は安いものなのだがドイツから買うときにeBayのセラーが郵送料が高いぞと念を押してくるのである。私は「国際的なバイヤー」だからそんなことを気にしない。

フェデックスでもディーエッチエルでも何でも使うのが1番。

あたしが依頼したクーリエで一番面白かったライカ社の社長さんに私が依頼しハンガリー製のカメラでデユフレックスの修理が上がったので、それをお願いして持ってきてもらったこともある。

ライカ社の社長さんが同じ鞄に入れてきたのがウルライカなのであるから、かなりゴージャスだ。

マンハッタンの怪人調整さんは今までプロ用のデジタルムービーでプロフェッショナルとして仕事をしていて、ついこないだ6kの映像作品を完成させたそうである。

そこで調整さんは方向を転じてデジタルムービーはコンピューターにレンズがついたものだから面白くないと宣言したのであった。それでアナログのダブル8に変更したわけだ。

こういう方向変換は本物のプロでなければできないであろう。
横浜で開催中のカメラの見本市などはあれは全部コンピューターにレンズがついたものの競争と言うことになる。

調整さんのコメントで面白いのはこういうことだ。

曰くデジタルカメラの異常な発展の中でアナログシステムはダメだと言われているが、ダブル8のカメラはその中で唯一進化の可能性を持っているメディアであると。

それで調整さんは1ダースほどのダブル8のカメラを買ってそれを自分でテストして結局ボレックスが使えるというので自分はコレクターでは無いから残りのカメラも売ってしまうと言うのである。

私の場合はこれとはかなり方向が違う。
春のパリの展覧会の関係でパリで作られたダブル8-8ミリカメラをたくさん手に入れた。しかしそれはからシャッターを切って遊んでいるだけで実際にそれにフイルムを装填して撮影しようと言うのではない。

このところ私は自称写真家から自称映像作家に転向しているのか。それで愛用しているカメラは型遅れの二台のオリンパスのマイクロフォーサーズなのである。ただしスティールは一切とらなくてすべてムービーカメラとして使っているがこれが非常に面白い。

モダンなデジタルカメラをムービーで使って50年以上前のダブル8は観賞用に置いておくと言う変な展開が起こっているのである。

さあてどうなるかな。

どうやってここに入れたのか??

数十年前に地下鉄はどこから線路に入れたのかと言う漫才があったと聞いた。

工事中の佃小橋であるが1週間近く京都に行っていたのでその進行状態を見なかった。買い物の帰りに見にいって非常に驚いた。
こういうことになっている。

巨大な幅の広いキャタピラがついているパワーショベルである。
こんな巨大なものをどうやってここまで持ってきたのかそれがまず最大の謎である。

佃小橋の下を通すには無理だし水路の先は行き止まりになっている。そこに信じられないような巨大な重機が川底に置かれているわけだ。

この前までは川底が見えたので白さぎちゃんが喜んで魚を食べていたが、これだけ大きな怪物が来られるともうそれどころでは無い。写真のように慌てて逃げていくのが見えた。

部屋に戻って歌人にその話をした。
家人は常識人であるから佃小橋の上までトレーラーで運んできてそれをクレーンで釣りを下ろしたのであろうと言う推測である。

確かに常識的にはそれが1番理解ができるやり方である。しかしこのブルーの重機の巨大なキャタピラと言うのはほぼ川幅の4分の1位あるのだ。我楽多屋のにだいめがこの間鴻巣市に行って食べてきた川幅のうどんみたいなものだ。

こんなものをつめるトレーラーと言うのがこの世に存在するのであろうか。

しかも佃1丁目は結構細い路地の奥にあるの:だ。まぁ謎は謎でそのまま放置しておく方が人生面白いと言うものだ。
この70年にちょっとかける人生でもこれほど面白い光景に遭遇したことがない。
土地の古老もびっくりという光景である。
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2017年2月23日 (木)

僕もコダクローム

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初めて自分のカラー作品を発表したのはカメラ毎日であったと思う。1971年のことである。

当時はまだコダクローム2と呼ばれていてコダクローム25ではなかった。
巨匠エルンスト・ハースはその前の世代のコダクロームを愛用していた。

それで1形がなくなって新型になる時にあまりにも最初のコダクロームを愛していたので数100本のコダクロームを買ってそれを冷蔵庫にずっと保管したそうである。

そのコダクロームがだんだん現像ができなくなって今は完全にサービスは廃止されてしまったのである。
私は趣味で16ミリ映画を撮っていたのでドイツから買った400尺の特別なコダクロームを愛用していた。ありフレックスSRでやく十二分ほどの映画が取れる。

現像はベルギーに送っていたのである。それで最後にもうこれから後はコダクロームが現像できなくなると言う時に最後の週にブリュッセルにコダクロームを送って現像してもらった。おそらくこれが世界で最後に現像されたコダクロームの400フィートのムービーロールであったと思う。

ダブルエイトをドアストッパーにしない市民の会というのが昨年できて数人の仲間でダブル8を楽しんでいる。私はフランスで作られた最高級の一眼のダブル8カメックスを集めている。

フランスから届いたバックの中に撮影中のコダクローム25が数個入っていた。

カメックスのような高級なカメラを使う人はやはり当時の最高の保存性があるコダクロームを使っていたと言うことがわかる。

僕のコダクロームではなくて僕もコダクロームなのだ。

2017年2月22日 (水)

8桁のニコン

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ニコンのレンジファインダーの最初のモデルはニコン1型である。製造番号は6091から始まっている。その6091 は製品にはならなくて仕掛け部品として捨てられたのを後で拾い上げられて今はニコンミュージアムに展示されている。

ライカの製造番号に興味を示す人が多いがニコンの製造番号に興味を示す人はあまりいない。ただし6091 はこれはニコン1形から始まってニコンエスに至るシリーズであるがこれには興味を持つ人が結構いる。まず好事家と言ってよいであろう。

俗に8桁のニコンと呼ばれているのは製造番号が6091から始まってどんどん増加していったときに繰り上げる時609はそのまま保存して9999から10,000で単位が上がったのである。

普通のニコンの製造番号は7桁であるがこれは8桁で1けた多い。それで何か非常にゴージャスな感じがすると言うのも単なる物好きの興味から来ている。

私はニコンエスは609から始まるのがニコンらしくて良いのでそれを愛用している。ロバートキャパが使っていたのはこの8桁番号の後に作られた61から始まる7桁番号のカメラである。

フイルムのサイズの長いほうの長さは36ミリではない。これはニコン1形はニコン版の34ミリであったのを無理矢理伸ばしたのだ。
だから実測の値としてはライカサイズよりもほんのちょっとすん足らずなのである。これは逆に便利であって膨大なネガを見ていてもニコンエスで撮影したものは長辺がちょっと短いからすぐ見分けることができる。

どこまでがきゃうとか?ハッピー六原のベーコンロール

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旅先で地元のパンを買うのは楽しみなことである。今回は六波羅蜜寺の近くのパン屋さんでローカルなパンを買った。
ゴスペラーズのさかいさんはその道の達人である。私はさかいさんほどではないが初心者のローカルパンハンターである。

京都の鴨川の東、六波羅密寺の近くになかなかいい感じのショッピングセンターがある。以前は栄えたようだが今はこじんまりとしている。

そのエントランスの右側にあるのが小さなパン屋さんでお菓子屋さんである。
その名もハッピー六原と言うのが良い。そこの店先にちょっと立ち寄って思いつきで買ったのがこのパンである。パンを買うと言うよりも私が子供の頃の食料品店のガラスケースと言うのにひかれたのだ。

平らなガラスの板が木製のフレームに入っていてそれで食品の箱を覆うようになっている。考えてみたらこれを垂直にすると我々が普段商売にしている写真のフレームになるわけだ。

ベーコンを入れたロールを買ったのである。試食してみたらこれが非常にうまいのでびっくりした。世界中でいろいろな都市でパンは食べているがこれだけのクオリティーはパリでもなかなかないと思った。

感心してその夜のFacebookにそのことをアップした。そしたら京都のロック優に参加した東京の偽ライカ同盟の会員が京都から東京に戻るときに新幹線のアーケードで同じパンを買っていたのでアップして教えてくれた。

それでこのうまいパンがどこで手に入るのかがわかって非常に助かった。月曜日の帰りの高速バスに乗る前にそのお店に行ってパンを買うことが私の重要なミッションとなった。
京都は奥が深い。

2017年2月21日 (火)

終バスで京都に出かけて終バスで京都から戻る

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京都や大阪に行く時はいつも飛行機で出かける。数年前に友人と馬鹿な遊びをしていてファーストクラスで森伊蔵が何杯飲めるのかと言うゲームをやっていた。大阪行きはヘッドウィンドーだから時間があるが大阪からの戻りはテールウィンドーなので水平飛行時間は20分ちょっとしかない。それでなかなか遊べた。

考えてみれば新幹線も早く着きすぎるしじっくり時間をかけて京都にロックユウをやりに行きたいと思った。それで時刻表を調べてリバーシティーの前から出る終バス赤バスに乗った。これが午後9時44分なのである。

時間があったので駅の2階のコンコースで帰宅の人々を見ながらブラックニッカのポケットで良い気持ちになった。それで午後11時30分発の大阪バスの 3列シートと言うのに搭乗。京都には午前5時45分に到着したので長いいちにちを使うことができた。

それで京都から帰ってくる時はお昼12時10分発のキラキラ号と言うバスに乗った。これは10数年前にいちど乗ったことがある。消防車のように真っ赤な車体で犬と猫がでっかく描かれている。

新宿の新しいバスターミナル、バスタに到着した。そこから中央線の快速で東京駅まで来て佃ゆきのバスに乗ろうと思ったら驚いたことにまた時間は早いのにそれが最終バスなのである。しかも満員。

最終バスは午後8時20分なのである。子供の頃最終バスを見て当時は行き先表示の脇に赤い豆ランプがついてそれが子供心にかっこいいと思った。

今は最終バスに注意していなかったから気にして見てみたら、何の事は無い行き先の周りを赤いLEDで囲むのである。何か情緒がなくなりましたね。

それでも京都行きの行きと帰りが最終バスであったということを何か自慢したい気分だ。

😎おしらせ

チョートクカメラ塾は明日配信です。
タイトルは

「レコードジャケットっていいな
京都メインギャラリーのロックユー展でかんじたこと」l

2017年2月19日 (日)

おひなさまのプロフィール

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京都は今京都マラソンで盛り上がっている。
京都は今ロックユーで燃え上がっている。

京都御所の南側烏丸通りの角が京都マラソンの折り返し地点であった。
歩いていたら偶然出会ったのである。

ものすごい数のランナーが通過していった。後で立て札を見たらそこが35キロ地点というのでびっくりした。
皆さんものすごいスピードである。

ずっと歩いて京都ホテルまで来た。これは今のホテルオークラのことだ。1976年に現代日本の写真家展の準備で京都に来たときに私はここに宿泊したが、当時は白い7階建てのクラシックなホテルだった。車寄せは南側に付いていたな。今は東家についている。

ロビに座ったらちょうどひな祭りの季節である。


7段飾りのお雛様を脇から見たのが面白かった。要するにこれはかつてロバートフランクが撮影したローリングストーンズのフィルムのステージを脇から見たようなものだ。バックステージではないがサイドステージから見てると何かその現実の 骨格が見えてくる。

家人が大昔、東京芸術大学の受験生の頃に目白の親戚に下宿していた。その下宿先のすぐ近くに徳川様と言う家があった。言うまでもなく徳川家の徳川様なのである。

ひな祭りの季節になるとその末裔のお嬢様がお持ちのお雛様を近所の人々が拝見に行った。大変な名誉である。そのお雛様が不思議なのは雛人形が全部犬なのである。

だからこれをお犬様と呼んでいた。

そーゆー昔話が思い出されるのも春が近いと言うことなのであろう。京都の街はポカポカする陽気かと思って次の角を曲がるといきなり寒い風がさっと吹いてくる。それが早春の京都と言うものなのであろうか

2017年2月18日 (土)

あらーきーが若い1976

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1976年に発行されたヨーロッパでドイツ語圏を巡回した現代日本写真家展カタログをめくっている。

1976年であるから41年前の写真である。アラーキーさんが非常に若い。
私がヨーロッパから帰国してあれは1981年頃だったろうか、アラーキーはまだスーパースターではなかった。それで新宿の東口の名前は忘れたが大きなテーブルのある喫茶店で彼に会って真面目な写真の話をした。

それは別にアポイントメントを取ってあったと言うのではなくて行くとたまたま荒木さんがそこにいたと言うことなのかもしれない。

話した内容はウオーカーエバンスの写真がいかに素晴らしいかということだった。彼は寝るときにニューヨーク近代美術館で発行されたエバンスの写真集を枕元に置いて寝るのだそうである。彼はそういう真面目な写真家なのである。

その当時の彼は旧日本陸軍の歩兵のガバガバの大きな兵隊服を着ていた。それが変な風に似合っていた。ちょうどつげ義春の漫画の中に出てくるようなキャラクターであった。


あと、話をしたのはプロフェッショナルな写真家の話である。電通で彼は冷蔵庫をとっていた。私は日本デザインセンターで冷蔵庫をとっていた。だから4/5の大型カメラで冷蔵庫のボリュームを出すには210ミリのレンズが良いのかそれとも240ミリのレンズがいいのかと言うかなり真剣なプロ写真家のディスカッションをやったのだが…
今思うとそういう広告写真の話を彼としたことが実に不思議に思える。

石原悦郎さんのツアイトフォトサロンのクロージングのイベントで荒木さんと森山大道さんのトークセッションがあった。約10年ぶりにアラーキーに挨拶したら彼は私を抱きしめてくれた。

要するにそういうグッドオールドフレンズなのである。

«吉田大朋さん

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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