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🐦 2019年1月13日 ブラパチワークショップ開催決定😎🌈

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新春恒例の開運フォトワークショップ開催します。2019年1月13日午後1時スタート。ギャラリーバウハウスで開催中の世界のトップフォトグラファーのコレクション展をフロアトーク。神田明神を参拝して新春の秋葉原、浅草橋そして柳橋を撮影します。

2018年12月 9日 (日)

ニコンエスで撮った東京湾の不思議な写真

ニコンエスで撮った東京湾の不思議な写真

ニコンカメラはレンジファインダーのやつは圧倒的に使っている。理由は単純であって望遠レンズをほとんど使わないからだ。それでレンズは50ミリから35ミリが多い。後は21かな。

豊海水産埠頭の先端まで行って東京湾の表面と言うのは変だが海面を撮影した。カメラはニコンエスの裏ペイントのブラックであってレンズは私が得意のソ連製のジュピター35ミリである。40年前オーストリアウィーンにいた時はもっぱら28ミリのソ連製のオリオンレンズを愛用していた。それが最近ではレンズの焦点距離が7ミリだけ伸びて35ミリになった。

その理由はわからないが年の功というか老齢化というかそういうことであろう。このレンズは非常に気にいっている。それというのもカールツアイスのレンズのコピーであるからだ。Img_9382


2018年12月 8日 (土)

佃の日記帳期間限定で発売中note tanakachotoku

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田中長徳佃日記はペーパーの本として数年前に250限定で発売されたものだ。
箱付きの豪華本であってオリジナルプリントがサイン入りで入っている。これを買ってくれた人は同時にオンラインの日記も買っている。要するにペーパーの本はコレクション用であってオンラインのデータの日記を読んでいるのである。

12月1日からスタートした私のノートのブログもペーパーの日記の後の続編を読めるようにした。
2003年の日記なのであるが読み返してみると社会情勢も今とはかなり違っていて生き生きしているところが面白い。

田中長徳ノートでは買い切りのテキストと継続購読のマガジンがある。
月額1000円だが毎日更新して30本の記事をあげるのでシンプルにそれだけ読めば3000円なのでかなり
お得になる。

もともと25年前にスポンサーに頼らない紙に印刷されたカメラジャーナルを開始して10年間継続した。今回ノートで再起動した後したと言う事は当時のやり方に戻ってフレッシュになったと言うわけである。
継続購読のマガジンのプライスは1000円である。PayPalからも支払い可能。

内容は新しいデジカメと古いデジカメ。そして今まで私が体験した面の話の裏を書こうと思っている。
要するに写真機と写真をさらに深く広く哲学的に楽しもうというのがモットーである。

実は1年半前にカメラ塾と言うブログをスタートさせた。これも毎日更新だった。私はだらしがないのでアフィリエイトを設定するのを忘れて1年半が経過してしまったのである。しかし思うにアフィリエイトというのは私のブログの下に全く関係ないゲームソフトにクリックしたりしてお金を頂戴すると言うのは誠に申し訳ない。
ノートのシステムなら私の雑文を読みたい人の意思がダイレクトに反映されるのである。

頼みの綱はあなただけ…!!

😎🐦❤️どうぞご贔屓に

2018年12月 7日 (金)

ブラックロード

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1970年の大阪万博の時はすでに日本デザインセンターの1年生であった。それで会社の方針で勉強会というのがあって万博に行ったのである。その時の事はほとんど記憶していないのだけれどこのカメラを持参して会場のあちこちを撮影した。

すでに半世紀前の話なのである。2025年2大阪で万博があるらしい。
2025年の万博の開催の目的は金儲けであるなどと言って周りから顰蹙を買っているようであるがそれこそ浪速の商人のど根性と言うものである。どんどん金儲けをしていただきたい。こーゆーエクスポジションは関東より関西の方が似合うと思う。

私は2025年の万博の時に気が向いたらこのカメラを持って難波に撮影に行こうと思う。

2018年12月 6日 (木)

東松照明さんのあいきだったMinoltina

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尊敬する写真家東松さんは 60年代のいろいろなカメラメーカーの仕事をなさっていたようである。特にミノルタとキャノンはお付き合いが深かったようだ。

ミノルタが作ったこのカメラはまずコンパクトカメラの祖先と言う感じがする。朝日カメラがカメラ毎日フォトアートかそこら辺は完全に忘れてしまったのであるが東松さんが撮影した現代風景のシリーズが心に残っている。
どこか田舎のテーマパークと言う感じなのである。その写真シリーズのタイトルがアイアムアキングと言うのもしびれた。

それまでの彼の仕事と言うのは普通の一眼レフを使う撮影であったのがカメラがいきなり軽くなったのである。それが写真家の視神経が軽くなったような気がしてそれが魅力であった。

これもおそらく10年以上前にガラクタ屋さんで買ったものだと思うのだけど黄色いシールが付いていない。もう一台位欲しくなってヤフオクなどで見たのだが1台も売りに出ていなかった。ミノルタのカメラの歴史を調べてみたらこのカメラはあんまり売れなかったそうである。

2018年12月 5日 (水)

お歳暮の配達が早すぎると言う問題点です

お歳暮の配達が早すぎると言う問題点です

皆さんからお歳暮を頂戴しています。誠にありがとうございます。
貧困老人家庭を思ってお心遣いをいただくのは本当に感謝である。しかし昨年と今年でお歳暮の届き方が中ようになったので困惑している。

千葉の銚子から毎年着物などを頂戴していたのだが普通妥当注文して10日位かかってこちらに到着するのである。お歳暮というのはそういうものではないかと思っていた。ところが今年の日付を見たら12月3日に発送してその翌日の今日届いている。

何か早すぎませんかと言う感じがする。ヨドバシカメラで写真の薬品を注文してすぐ来るのはそれでありがたいが季節をしみじみ感じるものが瞬間的に到着するのは無粋と言うものだ。一方で日本指がだらしがなくて都内の普通郵便に三日間から四日間かかっている。だから封書でつまらないものをお送りしましたと言うご挨拶の方が数日後に到着するのである。

もう一つ問題だなと思うのは毎年千葉県の銚子から頂戴する魚の干物中に地元の佃煮が入っていた。それはそれで楽しみなものであったのだが今年から様子が変わって佃煮だけ茨城で作られたものなのだ。利根川を渡った事だからどうでもいいではないかと言われるかもしれないがそれは違う。

大量の魚の干物が届いてしまったのでカジンガおすそ分けにと言う意味で隅田川の反対側に居住しているピアニストにメールを入れたらなんと今チェコのプラハに行っているそうだ。今からチェコのプラハには届けられない。正岡子規は明治の終わりごろに夏のお盆の頃にそれぞれの家でおはぎを作ってそれが行ったり来たりするのが不経済で面倒であると批判しているが今のお歳暮もそれに近いところがある。C4d6988a3c1f4e9c91af195d1c9f4128


2018年12月 4日 (火)

次の日曜はブラパチワークショップ本郷撮影裏表

次の日曜はブラパチワークショップ本郷撮影裏表である。

本郷界隈は私が生まれた文京区音羽から1番近いポイントなのである。でもそのことが当時少年だった私にはわからなかった。なぜなら丸ノ内線でいくつも駅を超えないといけないのが本郷であった。ところが買ってもらったばかりの16インチの子供用のそこらを走っていたらいきなり本郷赤門に到着してしまった。

昭和29年に地下鉄の丸ノ内線が回通した。この界隈も便利になった。
吉田健一が戦前に描いた当時の本郷界隈の随筆が好きである。
東大の赤門が今よりはるかに深い樹木が密集していてその下に屋台のおでん屋などがあったそうだ。その描写が実に風流なのでそういう場所でいっぱい飲みたいと思った。

樋口一葉の住んでいた家はこの界隈では観光地としてはトップクラスである。クラッシックな長屋であってその長屋と言うのが急傾斜の地形に立っているから下と上は急な階段で連絡が取れるようになっている。

斜めの土地に立った建築物と言うのはダイナミックなものであって何かポルトガルのリスボンにいるような気もする。

私はいつもそこの階段を上り下りしていたのであるがそれは20年以上前の話だ。今度行ってみたら工事関係者の出したものと思われるポスターがそこら中に貼ってあって、通り抜けると住民のの迷惑になるからやめてくれと言うのである。実に不思議な警告である。

四半世紀前のおぼろげな記憶であるが樋口一葉の住んでいた家と言うのはちゃんと教育委員会か何かの立て札で案内があったと思う。ところがそういうのは一切なくなってしまった。

2番目に有名なのは木村伊兵衛な撮影した本郷森川町の交番派出所である。
これも昭和29年の撮影なので丸の内線が開通した年なのだ。交番の警察官とねじりはちまきのおじさんが向こうを見て何か話をしていて手前をソフトを被った紳士がおりカバンを持って歩いている。それでよく観察するとこの紳士の履物は革靴でもズックでもなくて草履を履いているのだ。
和洋折衷だと思うが私の子供の頃の記憶でもこういうおじさんはよく見かけたものであった。

木村名人はスナップの名人であるからカメラ目線のスナップは取らないものである。しかし画面中央におかっぱの子供が木村名人のライカを見つめている。
ちょうど私は昭和29年にはこのぐらいの年頃であったと思われる。691d3f570d3a4f76b79822d496917fc1


2018年12月 3日 (月)

今田フレックスだるまカメラはスナップショットに使えるか?

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戦前のZeissの最高級カメラ今田フレックスいわゆる日本で言うところのだるまカメラである。
戦前に発行された東京の大手カメラ店のカタログによればこのカメラは2200円した。競合するライカカメラがその3分の1の値段だった。

林文子の当時の小説にタイピストのお給料が40円とある。時代がもっと前であるが正岡子規がなくなったときの給料が40円であって正岡子規はこれを自分のお墓に掘り込む文字として採用したのである。
明治の終わりと昭和の10年代の同じ40円の月給はそれほど違うと言うことなのであろう。

試しに昭和10年代の勤労者の給料40円でこれを殿様の値段と比較するならば55倍になる。40円の給料が今のいくらに当たるかはわからないが300,000円と仮に仮定するならば殿様カメラは16,500,000円になるすごいです。

このカメラは作りが良すぎて非常に重い。以前プラハでこれで撮影で嫌になったことがある。

ついているのは50ミリの標準レンズだ。それならばコンタックスのレンジファインダーのほうがはるかに軽量である。

2018年12月 2日 (日)

汚いライカカメラが好き

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1960年代のライカのブラック仕上げの程度はそれはひどいものであった。新品で手に入れても大体2週間でブラックペイントが全部剥がれてしまうのである。私の持っていたライカM2のブラックもそうだった。
当時はトヨタの広告の撮影をしていて豊田市のオープンスタジオにほとんど年がら年中暮らしていた。それでブラックペイントの禿げたカメラにファインダーの部分だけ養生してマットブラックのスプレーをシュッとやって使い続けていた。

当時のブラックライカの正式な作り方はアンリカルティエブレッソンのやり方が正統派であるとみなされていた。要するにブランドを選んでそんじょそこらではないブラックテープでカメラにベタベタ貼ってにわかブラックカメラにするのである。

1960年代のアサヒカメラの広告などは完全にこの手の話としては神話伝説になっている。
シュミットにある日外人さんがブラックライトのオーバーホールを頼みに来た。フランス語なまりのある英語でスイス人と答えたその人がライカを預かってオーバーホールをした。
このストーリーそのものがまず変である。
写真家がオーバーホールなどにライカを預けては仕事にならないではないか。

技術者が汚いブラックテープをはがしたらその下にアンリカルティエブレッソンと言う刻印が見えたと言うのである。どこまでが真実でどこまでが伝説だかわからない。

でもフイルムカメラ自体の存在の美学と言うのはそこら辺に感じられる。
もっと驚く事はこの広告のコピーはシュミットがブラック仕上げのライカをうるために書いたと言うことだ。その意味でライカのセールスの知的なレベルの高さはあの当時と今とは比較にならないのである。

時々オークションに登場するアンリカルティエブレッソンのブラック仕上げのM3ライカなどがすごくて完全にブラックペイントがはげているから金色の仏様みたいになっている。


先日ダライ・ラマさんが来日して日本では全然ニュースしなかったけどダライ・ラマさんはカメラが好きなのだ。555,555と言う製造番号は彼に贈呈された黄金のライカなのである。
ダライ・ラマさんがまだ20代の頃に取材に来た映画カメラマンの持っていたEyemoカメラに興味を示してそれを操作しているところが当時のライフマガジンに掲載されていた。

2018年12月 1日 (土)

ポツダム広場のパノラマ絵はがき

ポツダム広場のパノラマ絵はがきImg_9295_2

1970年代後半のベルリンである。ポツダム広場の中心から東独を撮影したツーリスト向けの3枚続きの絵はがきだ。

ポツダム広場には東ドイツ軍が見張っていて地雷原もある。それを西ドイツのツーリストであるわれわれはちょっとした台の上から鉄のカーテンのあっち方をちょっとだけ見ることができる。
私は4x5インチのカメラを用意して大人上で手持ちで素早く撮影をした。

私が好きなのはこのポツダム広場ではなくてそこから北に30ことがあるんですか辺のベルリンの国境線が東西に走っている住宅地の中である。Bernnauer strasseと言う。

ベルリンの午後おそくにそこで撮影をした。100メートルほど離れたところにある監視塔のスモークグラスで何かがピカと光った。これは国境警備の兵士が私を双眼鏡で観察していたそのレンズの光なのである。

2018年11月29日 (木)

小豆島の若いオリーブがうまい

オリーブは好きでよく食べるのであるがどのようになっているのかを見たことがなかった。20年ほど前にあろうカメラの買取名人が小豆島ツアーを企画してくれたのでそれに参加した。

そこで実際にオリーブの木を見たのである。その次の週から私は取材でシシリー島に行くことになっていたのでこのオリーブの木の実地見学は非常に参考になった。

シシリー島10日ほどかけてあちこち旅をしてここは小豆島と非常に似ているなと言うのは前後関係が逆であるならそれなりに面白かった。
古代ローマ劇場の後に立ってエトナ山を見ながらちょうど300年前に文豪ゲーテがここに立ったのかなどと感慨にふけるとシシリー島のワインとオリーブがうまくなる。

シシリー島のツアーから数年後に買取名人からいただいたのが今度オリーブの塩漬けを作るようになったと言うサンプルめいた商品であった。ヨーロッパの南の食物であるからシシリー島ではなくて小豆島でどんな味なのかと思って食べてみたらこれがなかなかうまい。塩気も薄いしオリーブオイルの香が口の中に広がるのが快感である。

本当はシシリー島のワインでもあれば良いのだがそうもいかないので近くのセブンイレブンで買ってくるチリ産のワインである。この組み合わせはなかなかいける。5d0aadb98bfa44f297584519bd1fcbb3


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ごあいさつ

  • Note新ブログのお知らせ
    新ブログのお知らせ お世話になっております。2018年11月27日より tanakachotokuカメラノートがスタートしました。スポンサーに頼らないIndyなカメラストーリーです。
  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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