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❤️🐦お知らせ

❤️お知らせ 田中長徳写真展 WIEN CT70 🐦
開催期日2017年11月22日から2018年2月17日まで @ギャラリーバウハウス。トークイベント2017年12月9日と2018年1月20日。

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http://www.gallery-bauhaus.com/171122_chotoku.html


❤️長徳カメラ塾🐦おかげさまでランキングトップ 写真/アート :1位 / 23031ブログ中
http://www.chotoku01.com

🐦ますます好調 第7回 長徳ブラパチ塾開催決定!
2018年3月11日(日) 13:00 - 16:00
タイトルは ラッキーセブン 3月の寂しいライオン

🐦❤️🌈ブラパチワークショップ第7回
3月のライオンと言うのは佃あたりをテーマにした漫画のようですが次回のブラパチワークショップは3月の寂しいライオン。西新井の名所旧跡を歩きます。東京駅から都バスを乗り継いで行くミニトリップです。
日本カメラに連載のToday Tokyo 1964-2020とシンクロするワークショップです。😎

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2018年2月27日 (火)

上海方向 佃島の風景に似た風景

佃島の風景に似た風景R0471555

上海方向である。春節の時にはあちらのツーリストさんがたくさん古いスーツケースを持って日本に来て日本で買い物して古いスーツケースはホテルの部屋とか空港に置いていったそうである。
中国のツーリストさんが銀座通りなどで2つのスーツケースを持って大人数でぞろぞろ歩いている。上海から戻ってきたら何かそーゆー風景が日常的であるように見えてきた。それも今回上海に行った成果の1つだ。

3泊4日の走り度であって講演会などワークショップなどもやったので時間が限られていたがうまくアテンドしていただいたので助かった。

だから車であちこち連れ回されたのであるがこれは逆に効果的で自分の意思で言ったのでは無いから新鮮な感じがした。逆に言うとどこに行ったのか分からないのである。
この街角は何か私の住んでいる佃島に似ている。昔ながらの低い瓦葺の家並みがあってその後に高層住宅が並んでいる。こういうコントラストと言うのは40年前にシンガポールに取材に行った時に非常に面白く思った。
チャイナタウンの後のスカイラインが超高層ビルになってそのコントラストが面白いので大型カメラで確かアサヒグラフの仕事だったと思うが撮影に行った。私は暇な写真家であって他に暇なライターがいないかと観光局の人に言われたので飯沢と言う風太郎がいると言ったら彼が指名された。
当時はまだインターネットもない時代である。それでシンガポールのチャンギの空港にツーリストボードの人が我々2人をピックアップしに来るときに手配書が配布された。つまり私はテロリストに似ていて飯沢は薬中毒のジャンキーについていると言う手配書がいったのである。それで観光局の人はすぐ我々を逮捕することができた。飯沢はまだ写真評論に手を染める以前である。飯沢も出世したもんだ。

アサヒグラフと言う雑誌に何度か連載をした記憶があるが私がシンガポールのチャイナタウンの汚いところばかり撮影するので東京のシンガポール政府観光局の確か菊池さんと言ったと思うがその局長さんは大いに不安であった。

それでこの間の上海の方向であるがこうしてみるとシンガポールにも東京にも似ているのである。アジアの典型的な風景ですね。😎

2018年2月26日 (月)

「カメラの付属品のパーツをカメラジャングルから発見

カメラの付属品のパーツをカメラジャングルから発見
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カメラジャングルであるからあるべきものがあるべきところにない。本体とアクセサリーはバラバラでアクセサリーバラバラになる。
カメラジャングルからこういうパーツが出てきた最初はライカモーターでコントロールする部品だと思ってなくすといけないからテーブルの上にセロテープで貼っておいた。ところが細かく見ているそれはライターモーターのパーツではなくてMiraxレフレックスボックスの本体のライカのシャッターボタンを結びつける部品であった。
ミラーボックスとライカの本体をこのパーツで結んで同時にミラーを上げてシャッターを切るわけである。シンプルながら非常によくできていて操作性も良い。
ミラーボックスの本体は箱入りでちゃんとあるのだがこのパーツがそこからこぼれてしまって10年間ほど佃のカメラジャングルを放浪していたわけだ。
それでこのパンツはホーム
であるべきミラーボックスの赤い箱の中に格納した。それでレンズをつけてみようと思うと今度はレンズが発見できないのである。
人生と同じでまぁそんなものだ。

2018年2月25日 (日)

カシオのデジカメで撮影した古いフェドの写真

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古いブログを見るのが楽しみなものである。それで10年ほど前のこのブログを見ていたらその時点でさらに8年ほど前の大昔の画像を机の上に置き忘れたCFカードからダウンロードしている。そこに入っていたのはwinのカフェハヴェルカの写真とライカショップの世界で1番古いライカコピーのFedcaの画像であった。

細かい記憶は無いのだがその当時ライカショップのペーターからいろいろな珍しいソ連製のカメラを見せられてそれを記録した事は覚えている。

1932年に当時のソ連は国策としてライカのコピーを作る計画を立てた。記録によればそれは5つのライカ1型つまりレンジファインダのついていないモデルなのである。それは残っていないがその時のプロパガンダの印刷物は残っている。ここに登場するライカのコピーFedcaと言うのだがそれはその直後に作られたもののようである。
その作りは非常に良くてライカと全く変わらない。いやそれ以上の精密さである。

私はソ連製カメラを半世紀使ってきた人間だがソ連製のアナログカメラと言うのは実際ちゃんと使えるものである。噂では最新型のライカのデジタルみたいなソ連製カメラが出ると昨年から言われているがあれはどうなったのかな?

皮肉なのはソ連製カメラはプロトタイプとかごく初期のモデルの方が作りがいいと言う事実である。やはり大衆向けに作るのは工作の問題もあるから適当に手を抜いてしまうのであろうか?

それも面白いのであるがそれ以上にびっくりしたのは偶然発見したこれらの大昔の画像ファイルそれはごく初期のカシオのデジタルカメラで撮られたのであるがそれの画質が非常に良いのである。


マンハッタンに住んでいる専門家の船原さんが私がアップしたブログの画像に対してコメントをくれた。彼は専門家であるからそれによると大きくしないければブログのこれらの画像は使えると言うのでびっくりしていた。そういう実用主義に適合したのが20年前のデジタルカメラなのだ。
20年前のデジタルカメラがちゃんと使えると言うことに対して2018年のデジタルカメラはではちゃんと使えないのかと言うとそうではなくてちゃんと使えるのではあるがオーバースペックだということになるのだろう。

現代はオーバースペックが好きな時代なのだ。使いもしない大きなエンジンのフェラーリで銀座をエンジンをくすぶらせながらゆるゆる走ったりするのが自分を優越感に乗せる手立てと言うことなのだ。

そういうフルサイズの超高級なデジタルカメラが5年6年10年経過してしまうと単なるジャンクになってしまうと言うのは非常にかわいそうなしかし厳正な事実である。

2018年2月23日 (金)

西ドイツフライブルクのライカFutura

西ドイツフライブルクのライカImg_5890
西ドイツ時代のレンジファインダカメラが昔から気になっている。当時ライカは高級品であってライカでないカメラを要求している人も多かったのだ。フライブルクはほとんどフランスとの国境に近い西ドイツの1番西の街である。
このメーカーはカメラを作り出したのは戦後になってからの話であって戦前はドイツのLuft Waffenの製品を作っていた。
ハイデガーが哲学を教えていた街でもある。

Futuraと言うのはフライブルグで作られたレンズシャッター式のレンジファインダカメラである。自社製のレンズで50ミリef 1.5と言うのも作っていた。ただし性能はそんなすごいことはない。75ミリでf1.5も作っていたから大したメーカーであった。

四半世紀前に結構気にいったカメラで当時カメラ友達になった坂崎幸之助さんとこのカメラで盛り上がった。仕事でフライブルクに行く予定があったのであちらの中古カメラ屋さんで交換レンズを揃えてきますなると冗談を言ったのだが仕事であるからまず中古カメラ屋さんを探す時間とゆとりなどあるわけがない。

私は広角レンズしか使わないから35ミリの専用のレンズを長年探していた。そしたら最近市場でカメラ本体付きの広角レンズのカメラが登場したのである。それを落札した。
このカメラには最初のモデルからSという改良型などがあるが
カメラのネームプレートが黒字に白でクラシックなロゴの入った最初のモデルが1番良い。改良型モデルでは白地のクロームに黒になって何やら存在感がなくなった。

Futuraの問題点はカメラの貼ってあるレーザーがどんどん剥がれてくることである。私の持っているサンプルなどはバリバリに剥がれてしまってしかも皮が厚いので指に引っかかるような状態になった。

いっそのことそういうモデルはレザーを全部剥がしてから使おうかと思っている。

2018年2月22日 (木)

小伝馬町アイアイ英ギャラリーの最終日に走る

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基本的に写真展には行かないことにしている。この数年間で行ったのはアンドレアスグルスキーの写真展と吉村朗の写真展位である。
1日10軒以上の写真展を回った言ってスタンプラリー的な自慢をする人は嫌いである。四国霊場80八箇所巡りではないのだぞ。

私のブラパチワークショップの皆勤賞のIさんが参加しているダラダラ写真展の最終日にいってみた。広くないギャラリーに32点並んだ力作ぞろいだった。皆さんお楽しみのためにやっているからそれで万々歳なのである。ところが私は人間の了見が狭いから写真の表現として見てしまうので結局疲れるのである。

世の中の偉い先生方はアマチュアの指導とか学生の指導と言う自分の拠点がちゃんと決まっているから何とも考えないようであるが私の場合そういうバックグランドが全くないから写真表現としてまともに見てしまうのは体に良くない。私の場合は視神経の手加減をすると言うことができない。年取ったライオンが本気で生まれたての子猫と取っ組み合いをやるような感じなのである。これはよくないな。

写真のモチーフはお花あり風景ありポートレートあり水着写真ありのバラエティーだった。これを企画する先生もすごいバランス感覚が良い人だと思う。聞けば日大写真学科18歳後輩であると言う。

あまり広くは無いギャラリーにお客さんが次から次えとくるので私は10分ほどで失礼した。帰りがけにアマチュア写真と写真表現の事について深く考えながら歩いていたら道をロストしてしまった。馬喰横山の駅がわからなくなったのである。歩いていたら人形町に出てしまったのでそのまま大河の脇を歩いて佃島まで歩いて帰った。


2018年2月21日 (水)

上海歩行。GRワークショップ

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上海歩行である。GRのワークショップをやった場所はフレンチクオーターにあるクラシックなビルであった。結構大きいカフェとかギャザリングのスペースがあってその上がカメラミュージアムになっている。
1時間弱ほど話をしたのだが強烈に印象づけられたのは参加者の皆さんが20代30代と言うふうに非常に若いと言うことだった。同様なイベントだと大体定年時代人が来るのであるがそこら辺の市場の構成がかなり違うのである。しかも中にはこの春から東京芸術大学に留学するなどと言う人もいた。なかなか写真表現としては楽しみである。

私が手にしている写真集はかなり初期のもので写真集の前半分がフィルムコンパクトカメラのR1そしてあと半分ができたばかりのGR1なのである。
最初の大衆向きコンパクトカメラのR1は周辺のレンズの描写がちょっとマイナーであったがそれをRicohがすぐに手直しして画質を上げたのである。それが私がこの会社を信用するようになった最初のステップであった。

GR1は高価なカメラであるがそういうカメラのファンクラブができてしまうと言う中国は経済力の凄さに驚かされる。1980年に中国に行った時はカメラ産業はほとんどクラシックカメラ状態であった。私が中国で最初に買ったカメラは一眼レフの最初のモデルSeagulだった。それはまだ使っています。😎
by TN Noguchi

2018年2月20日 (火)

銀座シックスに私の写真集があるという情報

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銀座通りを歩行しなくなって久しい。5年位前まで銀座8丁目の中銀カプセルタワーに部屋持っていた。それで気が向くと8丁目から1丁目まで歩いたりした。以前は現像を出すのに1丁目のラボに行っていたりしたのだがそういう関係が切れたので銀座と言う街は私にとってはパリやリスボンよりも遠いところにある。
銀座シックスと言う商業施設を建築前の更地になったときに反対側のユニクロの上から撮影した事はある。でも完成してからはもちろん私のような普通の都民が行く所では無いから行かないし今後も行く予定は無い。

この間仕事で銀座を取る必要があってやむを得ず銀座シックスの前を通った。中国人のツーリストさんでいっぱいだ。何か上海にいるようで懐かしかった。

この商業施設が私にとってネガティブな印象があるのは銀座日の丸屋がここに店を出したときに呼ばれた連中がワインを飲んでかなり騒いだと言う噂を聞いていたのである。こういうのが企業イメージでマイナスになりますね。商業施設のレセプションはクールにやらなきゃいかん。

三重県に住んでいる友人が東京に所用があって銀座シックスに行ってそこの書店に私の古い写真集を発見したのでその写真を送ってくれたのである。
これはこれで独立して嬉しいと言うものだ。しかもスティーブンShoreの写真集の脇に置いてあると言うのが嬉しい。私の黒い表紙の写真集が見にくいであろうと言うので友人は黄色い0で囲ってくれた。

ShoreがNew Colorならこちらはオールドモノクロームと言うわけだ。😎

2018年2月19日 (月)

馬込99谷のピー

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大田区の馬込と言うところは味わいの深いところである。昭和の初めごろに後が各地に開発されてあちこちにアパートができた。私の好きな作家稲垣足穂は関西から上京してきた直後にこの界隈の友人の家に居候していたのであった。
稲垣の書いたものの中に大先輩の流行作家に連れられて大森1前のお店でご馳走になったそうだ。曰くハンバーグサンドイッチはうまかった。
食物について稲垣はほとんど作品の中ではかかない人なのである。
よほどうまいハンバーグサンドであったに違いない。
馬込文士村などと言われてその記念館もある。戦後は三島由紀夫が住んでいた。今でこそメトロがあるから便利になったが三島が住んでいた頃はほとんど交通の便がないようなところだったから担当者が原稿取りに行く時が大変だったに違いない。
しかも三島の家はその裏手が急な崖に近い酒のようなところであって秋にはすすきの稲穂が揺れているような山里なのである。

三島の家を訪ねて初めてそこに行った時は方向が分からないのでGoogle マップのお世話になった。それで分かった事は三島が住んでいた豪邸と稲垣が居候していた家とは距離で数分しか離れていないと言うことだった。
これは馬込駅と環状7号線が交差する好きなマンションである。巨大なアルファベットの意味がわからなかったがそれはパレスと言う意味であるらしい。
この一帯には立派な古い桜並木などもあって好きな場所だ。

2018年2月18日 (日)

Amazon.comで中国製の明るいレンズを買う

Amazon.comで中国製の明るいレンズを買うImg_5876

この時代にネットサーフィンと言う既に死語であるがそのネットサーフィンをやっていたらこのレンズを発見した。ちょうど300グラムのチリペッパーパウダーがなくなっていてそれをアマゾンに注文しようとしたのである。しかしそれだけでは寂しいのでついでにと言うのは変な言い方だけれどこのレンズを一緒に注文したのである。深夜にオーダーしたら翌日の10時過ぎにはもう品物が届いていた。アマゾン恐るべし子。

私はライカの50ミリのef 1.0とかそれ以前の非球面のエフ1.2のレンズを使ったことがある。しかし同じスペックのレンズが中国製で存在するということに興味を持った。先月末に上海に行っているので私の中国に対する印象はポジティブなのである。

レンズのコーティングが緑色なのが気にいった。1,950年代の後半にミノルタのロッコールがやはりグリーンのコーティングで有名になっていた。Hiro若林がそのレンズに惚れて当時のアメリカのカメラ雑誌に作品を掲載していたことも懐かしい。

緑のコーティングがきれいだと言うのは著名写真家の皆さんのご意見である。せっかくの緑のコーティングを生かすためにライカの軍用カメラを持ち出した。これは本体が緑色だからうまくマッチするのである。

緑色のコーティングのレンズを軍用ライカにつけてFacebookにアップしたらすぐに岡山の友人がにたようなカメラだが全く別のカメラをアップしてきた。それは偽物のライカM3軍用モデルにドイツの明るさが1.0のレンズをつけてきたのである。
しゃくにさわるからすぐ返事をした。
旦那それはドイツ製の偽物ですよ。
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ドイツのの野口ルックス

2018年2月17日 (土)

上海歩行 大世界

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12年ぶりに訪問した上海の話。
ホテルから71番のトロリーバスでバンドに向かう右側に見えたクラッシック。
大世界と言うタイトルもいいが建物のファサードがテーマパークぽいのも良い。

1,960年代の気鋭のテレビディレクターだった和田勉のテレビドラマに大市民というのがあった。小市民の捩りなのであるが妙に説得力があった。
このビルディングの名前はそれとは逆方向に作用しているような気がする。大世界と言うのは実はその反対語である小世界よりもはるかに小さいのではなかろうか?なぜなら世界の限界がそこに見えているからだ。小世界と言えばそれは1部であってその世界が無限に重なったのが大世界である。
カメラはGR。

«根本豊治さん

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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