八重洲ブックセンター5月29日

【福田和也さん友情出演のあたしの新刊トークショーのお知らせです】

http://www.yaesu-book.co.jp/events/index.html

最近、文学界を「あの写真部」で騒がせている、福田和也さんと
都内をデジカメとクラシックカメラでジグザグ徘徊しております。

その福田さんが、あたしの新刊「カメラは知的な遊びなのだ。」
になにやらご意見、ご賛同があるというお話なので、
それなら、いっそ、トークショーを開いて皆さんの前で白黒をはっきりしようということに。

銀塩カメラと、デジタルカメラの30年戦争の決着がいよいよ明らかに。

場所はカメラジャーナル時代から御世話になっている、八重洲ブックセンターさん。
隅から隅まで、ずずーーーいっと、ご参加ください。
あ、でも先着100名様だから、お急ぎ願います。

チョートク

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★『カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。』刊行記念 トークショー

田中長徳&福田和也講演会

タイトル「カメラは知的な遊びなのだ。」

・日時 2008年5月29日(木)18:30〜20:00(会場18:00)
・会場 八重洲ブックセンター 本店8Fギャラリー
・募集人員 100名様(先着順)
・参加費 無料
・申込み方法 八重洲ブックセンター1Fリファレンスコーナーもしくは電話03-3281-7797

カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51) (アスキー新書 51) Book カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。 (アスキー新書 51) (アスキー新書 51)

著者:田中 長徳
販売元:アスキー
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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2008年5月17日 (土)

日経BPのウエブ

R1148761 真夜中に起きて、メールを見たら午前1時45分に日経BPからメールが入っていた。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/cover2/080507_record/

これは日経BPのかなり巨大なポータルサイトである。5月29日から一週間、このウエブマガジンでクラシックカメラの特集をするそうで、そのトップインタビューのご指名にあずかったわけである。

LPレコードの特集であって、ピーター・バラカンさんのインタビューが出ている。懐かしい名前だが、自分バラカンさんが来日した1974年の前の年にウイーンに行って80年まで戻ってこなかったので、いわば「行き違い」である。

そのバラカンさんのコメントの中で、以下のくだりが心にしみた。

以下、引用。

60年代半ばくらいは、ロンドンが音楽の流行の発信地で、格好いい音楽を生み出していたと思います。新しい音楽を生み出していった時代背景には、いろんな要素が絡んでいると思います。例えば、ビートルズはリバプールで育ったわけです。リバプールは港町なので、あの頃はリバプールからニューヨークまで貨物船がよく行き来していたんです。イギリスの船員たちが船に乗ってニューヨークに着くと、積んでいた荷物を降ろすのが波止場の黒人労働者たち。そこで、イギリスの船員たちが黒人の労働者たちと仲良くなって、黒人が聴いていたブラックミュージックを聴いて、レコードをイギリスに持ち帰った。それで、リバプール・サウンドと呼ばれる新しい音楽を発信していくことになったんです。リバプールで、ブラックミュージックが流行っていたのには、そういった背景があると思いますね。

引用おわり。

なるほど、ビートルズも港湾の沖仲師から生まれたのか。日本郵船のライラ(75000トンのコンテナ船)を取材したわけだが、今は沖仲師ではなく、ガントリークレーンが荷揚げをするから、そういう人間を「媒介」にした文化は「伝染」しないわけだ。これはさびしい。

それで15日の午後に日経BPのインタビューと撮影があった。15台ほどのカメラを佃から、旅行用バッグにいれて、タクシーで往復運搬した。

行きかえりの東京の風景というものをじっくり観察して、それが面白かった。

面白かった、その意味は東京の四季の移り変わりが目でわかるからだ。メトロだとそれがわからない。

「季節の感覚はとうに失われている」

このフレーズは明治時代以来、かなりの文豪ですら、この常套句を使っているのだが、このフレーズが自分は大嫌いである。大好きな作家もこの一節で大嫌いになる。

その「季節の感覚はとうに失われている典型的な場所」がメトロだけど、そういう常套句が嫌いだからと言って、生活のためとは言え、メトロに乗らないわけには行かないのがつらいところだ。

タクシーだと往復で6000円。ヒルズ行くのに一月で20万円弱となる。それもよかろうが、この場合、歩かなくなるのが大題だ。昨日の歩数は往復タクシーなので5360歩に過ぎなかった。これはよくない。

地下鉄がまだ、東京に2本しかなかったころには、地上の交通が当たり前だから、子供心に地下を行くという方法に、未来冒険活劇小説を感じて興奮したものだった。

その感激は今は失われているが、丸の内線が聖橋を超えるときなどは、少年のパッションが一瞬だけ再燃する。あの一瞬だけはこの世の記憶として来世まで持って行きたいアウゲンブリックである。

話を戻すと、日経BPのそのクラシックカメラ特集なのだが、インタビューは1973年生まれの人である。だから、われわれにとって周知のことも、わかりやすく説明した。

同時に、同行した日経BPの中田編集長が「かなりマニアックなお話も」というので、要するに坂崎さんと立ち話で30分かけるような、「日暮里とニッポール」のような高踏的カメラ話にも言及した。

今のクラシックカメラの新局面は、その担い手が、われわれのようなおやじ趣味から、知的冒険者に移行しているという点である。

例によって、福田和也一味と「あの写真部」を肴にして、話題を展開した。無論、福田教授は「反面教師」であって、手あたり次第、触るも恐ろしい高級カメラと高級レンズを買うのであるから、よい子の皆さんはそういうカメラ非行に走らないようにしましょう、と、「教育者の立場」から説教申し上げたのである。

福田さんの世代がわれわれ還暦世代に比較して、まだ救いがあるのは「写真の向上心の欠如」にある。

これは大事なことだ。われわれだと、すぐに写真を上達させて「二科写真部に出品」とか、「東京都写真美術館で個展」とか、「日本郵船氷川丸1000ページ写真集を出す」とか、そういうような社会を転覆させようという怪しからんことばかり考える。

福田教授世代は、その意味で「しらけて」いるので、12時間の撮影行で、6回も飲み屋に入るのはあまり感心できないけど、写真への向上心が欠如している点は評価できるのだ。

昨日のインタビューで、指導したのは「高級カメラよりも安いクラシックカメラにその存在の真実が宿っている」という点だ。

1936年製のアメリカのアーガスカメラなどは、完璧なアールデコデザインであるが、その価格10ドルで手にいれた。

日本郵船氷川丸の一等社交室はアールデコであるが、それが気に入ったからと言って、持ち帰るわけには行かない。

アーガスのアールデコなら「テイクアウト」自由である。ポータブルアールデコだな。

あの写真部に関して言えば、マドリストの和歌子とか、新潮45の編集部員(女性)あたりに、クラシックカメラの嗜好の未来形が模索されていると言ってよい。

マドリストは、おじいちゃんの遺品のマミヤ6だし、新潮45の編集部員はデジカメのクラシック化を模索しているようなのだ。

そういえば、新潮(あのメジャーな文芸誌)の編集長の矢野さんもかなりクラシックカメラ方面にいってしまっていて、ライツミノルタCLなんかを振りかざしている。この人とは、1月前に四谷の「いぬっころ」で福田さん一味とあったときが初対面だが、実際に非常に若く見える。黒ずくめのスリムな人で、文学志向青年という感じであるのが、その方面の「頭取」であるのがおかしかった。こういう意外性の一撃は本物のブラックユーモアだ。

自分が29歳のとき、映画の仕事で、フォルカー・シュレンドルフ監督とウイーン近郊で仕事をしたことがある。(映画:とどめの一発)

ロケ地について、朝にスタッフが準備している中で、監督に挨拶に行こうと思って、黒澤さんみたいな、いかにも映画監督、監督しているおやじさんの所に仁義を切りにいったら、その人は大道具の係りの人であった。

本物の監督は、払い下げのNATOジャケットを着た、実に頼りなさそうな青年であって、びっくりした。

上の画像はR8。実に久しぶりの使用。スナップにはやはりコンパクトデジカメがよい。

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2008年5月16日 (金)

夕暮れのDSパラス

R0011771_2 R0011772_2 R0011774_2 いまさら、車の趣味もないが、乗りたいのはカブトムシ型である。

それもVWとかポルシエではなく、シトロエンDSパラスである。

自分が欧州にいた当時は70年代だから、このカブトムシもやや時代遅れというだけで、案外にたくさん見かけた。

マンハッタンの怪人、ちょーせいさんは若いころ、この車で、アメリカ大陸横断をしたらしい。でもDSはなにかアメリカよりもやはり欧州である。

パリの場末のどぶの脇に、腰をぬかしたような格好でだらしなく駐車していて、そのタイヤには犬のおしっこが、かかり果てたりしているのだが、ひとたびエンジンが回りだすと、まるでらくだのように腰をあげ、それから高速度で、コンコルド広場を経由して、オペラの方に疾走してゆくのが魅力である。

一本スポークのハンドルと、飛行機よりも複雑な油圧装置と、かなりわいせつな革張りのシートを持つ、どちらかといえば、都会のラグジャリーな車に見えるのに、これがまためっぽうラリーに強かったりしたのも懐かしい。

銀行強盗もこれに乗って逃走してもらいたいものだ。

今、このDSに似合うカメラを考えた。やはり時代は1968年のパリ。

5月革命の時期でなければならない。だからカメラは16ミリ撮影機のエクレールNPRにしよう。NPRはウイリアム・クラインがポリー・マグを撮った、かっこいい16ミリ撮影機だ。そのクラインがカメラを構えている姿に惚れて、6台のエクレールが今、ある。

エクレールと、DSとはそのデザインコンセプトが似ている。

DSにこれを積んで、サンルーフからデモ、でも撮影してみたい。DSには、ガブリオレはなかっただろうか。でもあのカブトムシスタイルがよいのだから、やはりサンルーフあたりに止めておくのがよいか。

学生がやる気になって、パリの路上の敷石を割って、投石を開始する。

「敷石をめくるとその下は砂浜だ」と、五月革命の闘士詩人が謳ったあの状態をエクレールで撮影しよう。

ここでシトロエンを運転するカメラマンの自分は無論、20代でなければならず、しかもフランス人であるのは必須だ。まあ、オランダ人なら許せるが、アメリカ人ではだめである。

さらに五月革命の気分を盛り立てるためには、自分はゴロワーズの両切りをくわえる、ヘビースモーカーでないといけない。

ここまできて、夕暮れの街角を曲がって行くシトロエンに乗るという自分の願望はもろくも挫折するのである。両切りのゴロワーズは、煙くて脂くさくていやだ。想像の上でもいやだ。

有楽町の夕暮れに見た、DSパラスは60年代の夢を撒き散らす。なぜ、あんなに未来志向の宇宙船みたいな車が存在したのであろう。

場所はプランタンの前だから、まあ、日本でフランスの空気が濃厚な意味では、フランス大使館の次かも知れない。

ちょっと周囲に東洋人が多いけど、パリのヴェトナム人街とか、チャイナタウンにいると思えばよいのである。あわてて、Gパンのポケットから取出した、キャぷリオR7で撮影した。こう書くと、リコーの広報さんはもう過ぎたカメラのことを書くといっていやがるのである。(昨日もGDD2とR8のことは書いてほしいがR7はほどほどにといわれたのだ)それが面白くてわざと書いている。遠くなるDSの姿をズームインして「追い写し」する。28ミリレンズだけのGRDではこうは行かない。R8よりもR7の方がわずかに薄いので、携帯はしやすい。

シトロエンは、波板鉄板でできた、2cvもあるけど、あれはあれでクラスの異なる車種だから、ここで同一に論ずるわけには行かない。

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2008年5月15日 (木)

死すべき渋谷

Photo_2 Photo_4 Photo_2 東急Beのライカ愛好会の撮影会はこの前の土曜だった。
例によって、最初の30分は「座学」で、あとのセッションは60分の撮影である。

もともと自他ともに許す「渋谷嫌い」なので、講座の外題も「渋谷嫌い」とした。
15年前に4x5のカメラでその嫌いな渋谷をカラーで撮影した。
写真家にとって、好きなモチーフより、嫌いなモチーフの方が燃えるのである。だから渋谷は嫌いでも、渋谷が嫌いなその意味をカメラで解析するのは、ちっとも苦にならない。

12名ほどの参加者で、中には75歳で亡くなった父上のライカM6アンスラサイトを持参の青年がいる。「お父様の供養になります」と、申しあげた。

ライカMPの今のレプリカ(ライカ社製だから、レプリカは変か。別に国産のワインダーが付いていたって文句はいわないが)ではなく、1956年製造の「ほんまモノ」を持ってきた人も居る。
「歩く三万ドル」というところだ。

ヒルズの向かいのミッドタウンで仕事をしている、という紳士がいる。話をしてみたら、富士フィルムの広報さんだった。それで遅ればせながらごあいさつ。

こっちは、掛け値なしの田中長徳のはずでいるが、受講者さんはいずれも「身分を隠して」いるので怖い。

そういう怖い参加者さんの、ご機嫌を損ねてはならんと思い、まず撮影に行きたい方角を議会制民主主義の真似して多数決で決めたら、「西方10万億土」となったので、これは1時間では行けないから、西方1万歩」に負けてもらった。

この神泉、円山町あたりは15年ぶりに足を踏み入れたのだが、こんなに「写真のモチーフとして面白い」場所とは知らなかった。

こんなへんてこな街は世界のどこにもなかろう。

そういう環境で「お若い方々」は、それを普通に楽しんでいるのがかなり変に見える。

やはり若いもんにはついてゆけない。しかし思うに自分の1976年の夏、この時、一度だけウイーンから帰国して(現代日本写真家展の準備で)その時は渋谷のジャンジャンの先の渋谷東武ホテルに住んでいた。自分は「にわか外人」ぶっていたので、音羽の両親の木造二階建ての関東大震災の後に出来た仮普請などには住めなかった。それで渋谷を自分の街と思ってしばらく滞在していたのだが、その29歳当時、やはり渋谷は好きになれなかった。

だから自分の「渋谷嫌い」は40年来の筋金入り。

カメラはブラック(リペイント)ニコンS2で、ゾナー(戦前の沈胴のやつ)50ミリである。今週末の大阪ニコンプラザの講演会に合わせて、福田和也さんの50ミリf1、1とは無理ながら、山とある50ミリのニッコールをカメラジャングルに見失ったので、代打としてツアイスである。

時代はかわった。

40年前だと、お金持ちはコンタックスにゾナーを大事にして、雨の日には大事なコンタックスが濡れてはならぬ、というので雨に濡れてもおしくない、ニコンS2とかSPにニッコールを付けて撮影に行ったものだ。

ブランドの価値反転。やはりコンタックスブランドがなくなって、コンタックだけになったのもかなり効いている。

フィルムは下の55ステーションで買った、3本で799円だかのコダックの400カラーネガ。

「死すべき渋谷」とは50年前のアサヒカメラで、ペンタックスのブラックで森山大道さんみたいな、くろぐろ写真を撮影していたパリのカメラマンの「死すべきパリ」のぱくりである。
この渋谷は観察するに、充分に「死すべき」資格を持っている。
いや、「死の街ブルージュ」ではないが。

そのブルージュにはホテルアムステルダムという、ちょっと古いホテルがある。
創業17世紀。

家人の大学の歌の教え子で、ロータリーでイタリア留学して、そこでイタリア人のファゴット拭きと結婚した女性は、今、15世紀の教会の一部であった家を購入するそうだが、四川ではないが地震が怖いので、専門家に調査を依頼しているそうだ。

これが歴史だな。15世紀の建築に耐震基準があったかどうかは分らない。
でも、「死すべき渋谷」は100年前にはただの丘陵で、そこに独居する独歩を花袋が訪問して、丘の牧場からミルクを買って、それをココアにまぜて飲んでいる、
これが100年前。
今の渋谷で100年前はおろか50年前の建物も発見は困難だ。Photo_5 Photo_3

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2008年5月14日 (水)

赤いBMWに「しろおけ」四匹

R0011711 今年は佃の住吉さまの本祭りである。それで例の如く、佃小橋の下に埋めてある、幟用の巨大な柱(水中に埋めるのが一番良いらしい)を、重機で掘り起こす大作業がある。そのぷーんと来る、川の泥のにおいをかぐと、ああ、本祭りだなあと思う。
ライカインコの先代が亡くなって、4代目のライカインコが来たのは、前回、つまり3年前の佃祭りの後であった。
その前の前、9年前の佃祭りに二代目のライカインコが昇天してその時も佃の幟の立っている時期であったので

飼い鳥も老いて佃の幟かな   長徳

昨日、雨の中をお祭りの打ち合わせをしている。その小橋の前に、真っ赤なBMWが停車して、そこに四匹の「しろおけ」が居った。
「しろおけ」とは過去三十数年、うちでだけ通用する用語なので、説明すると、白いプードルのことだ。
これはウイーン時代に作られた言葉であって、ウイーンの住まいの最寄り駅の前のニューススタンドに黒いプードルがいた。これがなかなかの器量良しで、「ああ可愛い、まるで犬のお人形みたい」と家人が言った。

犬のお人形は変である。人間を形どったのが、人形である。
それなら、犬なら犬形、つまり「お犬形」(おけんぎょう)である。
これは長いので、短縮形にして、おけんぎょう、が、たんに「おけ」になった。ただしその前にそのプードルの色を前置詞として使用するので、
黒いのは「くろおけ」
白いのは「しろおけ」
茶色は「ちゃおけ」
灰色は「ぐれおけ」
となる。

メタボリズムがメタボになったようなものか。

ゆえにプードルの子供が四匹では長いので、こしろおけが四匹となる。
こちとら、魚河岸の人間だから、長いこと言ってちゃ日が暮れるわけだ。

そのしろおけ4匹などは、ライカに真面目にトライXを入れて「コンポラ写真」を撮る芸術に萌えていては、絶対にこういうものは撮影しない。
しかし、Gパンの尻ポケットのR7なら、そういう抵抗感はまったくない。
ここら辺が、ライカの銀塩撮影と、コンパクトデジカメの国境である。
デジカメの撮影するものはその意味で節操がないが、それはそれで良いことにしよう。

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2008年5月13日 (火)

赤フィルターは何処に売っている?

最近は、定時にヒルズに出社して定時に退社(でも最近は多忙なので退社は遅れぎみ)している。

たかだか佃からヒルズまで30分の通勤時間であるが、その間の観察が面白い。もう還暦なので、席があいていれば、しっかりシルバーシートに座っている。

ところでパリの地下鉄では、座席に座る順番が決まっていて、妊産婦とか老人は無論、権利があるのだが、その中に第二次大戦中に負傷した兵士という一項目があった。

もっともこれはそういう、ヴェテランがまだ矍鑠としていた、1970年代の初頭の話であって、最近はこの表示は見ないようだ。

だからこれはまだパリのメトロに1等と2等のあった時代の話だ。

朝の女性専用車も結構だが、国内線の空の便もファーストクラスがあるのだから、地下鉄にもファーストクラスがあってよい。いや、地下鉄は朝は通勤に使うのだから、これはビジネスクラスか。いや、そうなると、今ある普通のコーチはツーリストクラスになってしまい、不公平である。なにも朝のラッシュに乗っている皆さんは、これからパリに行って、エステをしてショッピングを楽しむわけではない。ちゃんとお仕事に行くのだから、やはり1等と2等のクラスか。

それR0011652 はともかく、目の前の女子高生が勉強しているときの、赤いフィルターが気に入った。昔なら、R60というフィルターであって、これは当時のニコンFに21ミリのレンズで撮影した記憶が浮上したが、そのフィルター枠はこれはマットブラックではなく、かならず、クロームの光っているやつでないと感じが出ない。

これは理由なんかじゃなく、そういうものなのだ。フィルターの枠は銀色に限る。

地下鉄の女の子の勉強フィルターは、これを重ねると、赤文字が見えなくなるのであろうが、これがかっこいいのは、それがプロの道具であるからだ。プロの女子高生という言い方は変かも知れないが、やはりユニフォームを着ている。そのユニフォームは伊達ではないのだから、やはり女子高生のプロか、、、、。

これは銀一にもレモン社にも、スキヤカメラにも売っていない。車内で「すみません、その赤いの、どこで売ってるの」と聞くのは迷惑防止条例になりそうだ。

まず、文房具店であろうが、近所のお店、銀座の伊東屋などでは売っていないだろう。やはり女子高の購買部などとなると、これはほとんど、入手困難。

YAHOOのオークションにあるかも知れないけど、その検索用語が不明である。

赤セルロイドではだめであろうし、案外に商品名があるのかも知れない。たとえば「天才君レッド」みたいに。

この赤いモノなら、プロ用のビデオカメラである、レッドシネマならオンラインで買えるのに、たった一枚の赤いフィルターが買えないのは、現代の不条理である。

今はあるのかどうか知らないけど、こういうモノが「ブルセラショップ」にあったら、自分などは興味を示すだろう。だって、女子高生何日ものの下着などは、えんがちょだから願い下げであるが、この赤いフィルターは、若い女性の記憶の意思を示す視神経の眼力を教科書の上からさえぎり続けて1年」というものである。

このフィルターには女子高生の知識欲のために無残にさえぎられた、神経エネルギーがセルロイド内に充満蓄積されて臨界に達しているわけだ。メルトダウン寸前の赤いセルロイドというのは、我々が赤旗のもとに集まらなくなって以来、久しぶりの興奮する、赤色だ。

凄い、、、。

ここまで書いて、仮にこのフィルターが手に入っても、自分にはそれを使いこなす、参考書がないのに気がついた。

まあ仕方ない。やはり、自分はこのレッドフィルターよりも、レッドシネマで我慢しよう。

上のショットは、R7で撮影した。これをフルサイズのデジタル一眼で撮影したら、即、検挙だな。ケータイのちゃんぽらん、だともっと危険。

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2008年5月12日 (月)

電話嫌い

Sr_24680img600x4501208673380p101000 足穂によると、ビクトリア女王であったか、誰であったか、なんでも英国王室の偉い人が、電話嫌いで有名であったそうだ。
足穂がそれに同感して、ああいう機械に向かってものを言うことを強制されるという行為の不気味さについて書いている。

そして、なにか機械でもって、こっちから文字を送ったのがそのまま向こうに届くようなシステムの方がよほど理にかなっているとも書いている。

飛行機少年であり、パテの映画機材に憧れるキャメラおたくであった足穂が、唯一知らなかったのはインターネットであった。しかしその登場のずっと前にそれを予見しているわけだ。

自分が電話嫌いになったのはこの15年来であろう。以前、写真家名簿などに家の電話番号が記載されていたから、「熱心な読者さん」と自称する方からよく電話をいただいた。

時間があるときにはそういう相手を閑談していたいのはやまやまであるが、皮肉なものでそういう電話は忙しい時をピンポイントにしてかかってくるのである。

以来、電話を使わないことと宣言した。
だから、家人であれ、編集者さんであれ、浅田恵理子であれ、福田和也であれ、坂崎幸之助であれ(この間、敬称略)誰でもメール連絡である。

先日、神田明神脇のギャラリーバウハウスで展覧会の開催した榎本敏雄とは、日本デザインセンターを「卒業」以来付き合いがなかったが、38年ぶりに先日、トークショーで旧交をあたためた。

榎本はあたしが電話を使わないことは知らないから、昔の写真家協会かなにかの名簿であたしにごく普通に電話してくる。
しかしこの場合、電話に出ないというわけにもゆかないからその時には電話口(これは死語であるが、昭和20年代にはでんわぐち、という呼び方をした)に出て、トークショーの打ち合わせをした。その時、今後はメールにしてくれと言ったかも知れない。
しかし電話が普通の連絡手段と思っている「現代人」にそんなことを言っても無理であるのは承知の上だ。

その後、留守電で榎本から「5月30日にパーテイをやるので来てください」と入っていた。
それには仕事で出られなかったが、電話は「その場かぎりのもの」であるから、用件はメールの方がはるかに良い。

だから電話は今後も使わない。

しかし、電話でないと用の足りない部署がこの世界には何件かある。
それは、航空会社の予約のシートアサイン(もっともこれは最近ではオンラインで出来るようになった)京橋税務署(インターネットで個人課税課の人とか管理課の人には連絡ができない。イントラネットはあるそうだ)それと六本木ヒルズクラブのダイニング予約である。

この三カ所が電話をかけないと用の足りない三冠王だった。
そのうちの航空会社は先に書いたように、今はオンラインで出来るから電話はよほどのことでないとかけない。
京橋税務署は年に数回の連絡だからまず良いとして、六本木ヒルズクラブはメールでの予約が出来ないので面倒だ。

49fのオフィスから51fのクラブに電話をかけて予約をとっているのである。
まあ、考えかたによっては自分の唯一の社会との接点のある「有線連絡」だからこのくらいは仕方ないと考えている。

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2008年5月11日 (日)

ニコンS2に付けるレンズ

R0011673 今度の日曜には、大阪ニコンプラザでのオープニング記念の基調講演があるので、実にひさしぶりに大阪。一泊2日。
ニコンプラザでの話だから、ニコンを持参するのは当然ながら、それならクラシックなFを持参しようと最初は考えた。

1966年に手に入れた、21ミリf4は今でも使っているが、すでに42年愛用しているわけで、こういうのはあまりニコンの販拡にはならないのは確かである。
自分の場合、たしか、ニコンの新品を買ったのは、10年前のニコン登場50年記念の時の、F5に例の「ぐにゃりとしたNのロゴ」の入ったのを買った。
本当はそういうのは禁じ手らしいのだが、ニコンの本社から買ったのである。その時の「正式な領収書」はチエックライターで印刷した「本物」であった。
ニコンの出したすべての生産物をオリジナルと見るのなら、F5のぐにゃりロゴよりも、ニコン本社の領収書の方がコレクターアイテムだ。

それでニコンFを持参しようと考えたのだが、そうなると交換レンズ、まず21ミリと28ミリ、55ミリマクロ、250ミリ(これは珍品)それに200−600ミリズームなども持って行きたくなる。しかしアフリカにフォトサファリに行くのではないから、重さが問題であって、結局はS2の塗り直し1台だけ(あとはcoolpix 5100)にしようと思い直した。

西成の古物商。それと、恐怖の学帽、という日本カメラショーでの名物人物がいて、それが日本光学の人の間で、話題になったのは、更田さん時代であろう。このニコン伝説を、今度の日曜にお話しようと思う。

ところで、42年前に買った、その21ミリレンズであるが、本来はFマウントのニッコール21ミリにcosina製のF−Nアダプターが良いのだけど、他にも普通の35ミリレンズを持って行きたい。
それなら、ニッコール35ミリf1、8である。ところが、この銘レンズを佃のカメラジャングルの中で行方不明にしてしまい、発見できない。
それで代打として、カールツアイスイエナのビオゴン35ミリのさらに代打として生産された、ジュピター35ミリをとりあえず装着した。
まあ、これはウイーン時代に圧倒的に愛用したレンズであって、そのコストパフォーマンスはクラシックビオゴンなのだし抜群である。

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2008年5月10日 (土)

ハーゲンダッツの限定アイス

R0011674 R0011675 この3月のんNYKライラの乗船で、7000個のコンテナを見て回ったわけだが、その中に冷凍コンテナというのがある。

アイスクリームのハーゲンダッツなどは、その冷凍コンテナで運搬されているという。知らなかった。その話を今度の1000ページ本「チョートク 海をゆく」(「日本郵船氷川丸からタイトル変更。そのいきさつにかんしては、この本の中で詳しく触れている)の中で、コンテナ船のお話を書いているのだ。

そういう事情のところに、朝日の朝刊で前代未聞の「アイスのオンラインの限定販売」の広告である。

やじうまじじいなので、早速アクセスして、あわよくば買い物しようと思った。ところがアクセス集中にてまったくつながらない。

思うに、これはアイスの末端価格である。大変な値段である。2500セットとか3500セットというのは、この新聞の広告代も込みだから高価になるのはわかるが、それでも高い。

アクセスできたら買おうと思っていたが、アクセスできないので冷静になった。明日は築地の開市日である。

5個で6000千円のアイスよりも、6000円を投じるなら、場内でかなりの買い物が可能だ。まず、危ないところであった。

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2008年5月 9日 (金)

ニコンSPのセカンドチャンスオファー鷺

465b★日録

本日も終日、ヒルズ。今度の1000頁本の編集作業。

終わるまで帰宅できないのは、どっかの学習塾なみ。

すでにebayは10年。ヤフオクはそれほどではないが、結構長い間、かかわっている。

ネットオークションの醍醐味は、家人から頼まれたコシヒカリとか、はちみつとか、あるいはデリーのカシミールカレーを買うためではない。

こういう実用主義は面白くもなんともないが、不必要なものを買うのは、実に面白い。普通の不必要な品物とはライカM3にノクチルクス50ミリf1,2が、その最右翼と目されているが、自分の場合にはもう少し、上昇してしまったので、たとえばタルコフスキーがソ連を脱出する前に映画を製作していたソ連製の35ミリミッチエル撮影機(と、同型の)とか、NASAが使用した100インチの反射望遠レンズとか、世界に60台しか存在しない16ミリカメラとか、ローマ法王がもらったのと同じ、金メッキのレクタフレックスとか、ともかく「面倒な物」それに「業物」が多い。まあ、頼朝公六歳の時のしゃれこうべ、のたぐいである。

要するに市場価値はないから、これをわれわれ、同業者は「再販不可商品」と呼んでいる。

ところで、そういう業物ではない、誰でもほしがる商品にこの前、ビッドした。

ニコンSPだけど、あまり状態がよくないので最低落札価格はなし。というやつだ。こういうのは、別に自分がほしいのではなく、ご祝儀で出品者さんにお金がもっと入るように、高値をつけるのであって、それでその価格でその品物が買えるなら、ハッピーという程度である。

それでめでたく、あたしは誰かに高値更新(これをアウトビッドされたという)されて、オークションは終了した。

日本郵船氷川丸の本の追い込みで、ヒルズでしゃかりきになって仕事していたら、以下のようなメールがきた。

@@@@@

私、ヤフーオークションで
☆☆ニコン SP ジャンクボディ最低落札無し!☆☆
を出品しましたxxxx と申します。

実は今回のオークションで落札した方からキャンセルをしたいとの連絡が入り話をしたところ、オークションの評価に悪い評価を付けないでもらえるのなら、今回のオークション手数料とキャンセル料という形で代金の一部は負担しますとの話をもらいました。

もし、まだあなた様に購入の意思があるのであれば再出品することなく、このまま取引が出来ればと思い連絡しました。

評価等は付けられませんが、その分キャンセルされた方から代金も一部頂けるので、入札額よりも多少の値引きをさせてもらいます。

商品の金額ですが、送料込 61,000円ではいかがでしょう?

発送は 東京都 からです。

あなた様以外にも同様のお話をしていますので、購入の意思がありましたら、お早めにお返事下さい。
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ああ、またきたな、と思った。差出はp;;;;;;;;rとある。
これはセカンドビッダー狙いのオークション鷺である。
だいたい、コピーアンドペーストで大量のメールを送るのであろうから、数週間前に来たのとまるで同じである。
この前は無視したが、あまりに勉強不足なので、上の商品がすでに到着して、その買い手からのフィードバックのメールを添付して返送してやった。
評価:  非常に良い 非常に良い出品者です。 評価者:xxxxx   
☆☆ニコン SP ジャンクボディ最低落札無し!☆☆ (終了日時:2008年 4月 30日 20時 13分)
コメント 無事届きました。説明文にあるとおりの状態で大変満足致しました。外観は予想以上に良かったです。送料もご負担頂き感謝の気持ちで一杯です。本当に良いお取引ができました。大変にありがとうございました。 (評価日時 :2008年 5月 3日 10時 47分)
二番手のビッダー狙いのこの手の鷺は、伝統芸能であるから、腹もたたないが、タイミングが悪すぎる。
二番手が、ほしいものを買い逃して、欲望沸騰中にメールを送ってこないと意味がない。
ネットオークションのもっと笑える話はたくさんあるので、そのうち、本にしようと思う。

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その続編。
今朝、以下のメールに接した。

内容:
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本日の記事を見て吃驚しました。そのSPを落札した者です。以前
、同じようなメールが来て危うく購入しそうになりましたが、やはり詐欺なのですね。長徳さんには、うつわアートで一緒に写真を撮って頂いたり、前所有者が長徳さんだったというM5を所有している旨、連絡させて頂いたことがありますが、今回、このような形で記事にして頂き、嬉しいような不思議な感じが致しました。更なるご活躍に期待しております。大変ありがとうございました。

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上の鷺メールの人p;;;;;;;;rからは深夜にまたメールが2通きたようである。内容は見ないで、迷惑メールフィルターでゴミ箱に入れた。
これはかなり組織的な犯罪ではないか?被害が小額だからそのまま横行するケースが多いのであろう。
なお、このSPのハイビッダーはあたしの知り合いであることが分って愉快だった。
これは良い買い物だ。

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