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🐦 2019年1月13日 ブラパチワークショップ開催決定😎🌈

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新春恒例の開運フォトワークショップ開催します。2019年1月13日午後1時スタート。ギャラリーバウハウスで開催中の世界のトップフォトグラファーのコレクション展をフロアトーク。神田明神を参拝して新春の秋葉原、浅草橋そして柳橋を撮影します。

毎週土曜日曜日はChotoku Camera Notesの日です。おかげさまで定期購読者さん激増中です。
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2018年12月18日 (火)

今話題のこういうムックのお手伝いをすることに

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1週間前のニコン研究会の忘年会は盛り上がった。その時私に声をかけてくれた写真家でカメラ人類の人がいた。パーティーなどでカメラの話をするときは私は相手の位とりと言うことをする。大昔から京都でやられている社交の方法だそうである。要するに社交であるから誰もわからない話をしても仕方がない。それでお相手がどれだけカメラのことをご存知かをちょっとジャブを出してチェックしてそのレベルに合わせてお話をするのだ。

ところがこのカメラ人類さんがものすごいカメラ会話のレベルが高くてアメリカのあっちこっちのカメラの話をして時間も忘れるほどだ。さらに私が今まで出したたくさんの写真集の中で風変わりだから気が利いる写真集がある。写真機店と言うのである。20年以上前に出した写真集である。そのカメラ人類さんはこの写真集が大好きだと言うので嬉しくなった。わすれもしないのはプラハのカメラ屋さんに行ったらちょうどその時に数人の日本から来たジェントルマンがいらして皆さんがガイドブックとしてこのカメラ屋さんの本を持っていた。そこで急遽サイン会になった。

ニコン研究会の翌日にそのカメラ人類さんからメールがあって上の写真に出ている今話題沸騰のムックであるがその編集長が幼少の頃から私のカメラ本を愛読してくれているのでぜひ会いたいと言うのである。幼少といっても6歳と言う事はないだろうから20代なのかな。

それで早速週明けの月曜日にそのムックの編集長とカメラ人類さんが佃島においでになった。そこで私は初めてデジタルライカの最新型を見たのである。ライカエム8が出たときに10分驚いたからたいていのことでは驚かないつもりだが編集長が持参なさったライカエムM10d実はかなりびっくりした。周囲のライカ人類で話題になっている偽物のレバー巻き上げに初めて触ってみたのである。
やはりこれだけの事は天下のライカの会社でないとできないとまず感心した。本物の巻き上げればよりもちょっと短いのがついている。動かすとそれは動くのであるがスカスカである。ボディーの裏側には同じくさむグリップのようなものが付いている。

いろいろ話題になっているこの最新型のライカを実際に手にとることができて幸せだった。それで2人の紳士が来場なさった趣と言うのは次のこのムックで私に何かやれと言うのである。

25年位前に同じような経験があった物マガジン編集長と数人のスタッフが佃の拙宅に見えて何か書けと言われたのである。それがきっかけとなって物マガジンでは長い連載をやったり1000ページの単行本を出したりたくさんのことをやらせてもらった。
今回もそれに似た初対面の感触を味わったのでおじいさんはやる気充分である。しかし人間のつながりと言うのは不思議なもので若い方が私のカメラ本を読んでいてくれて何か嬉しくなったのである。
そのカメラ人類さんが持参したのは例の写真集写真機店であった。ムックの編集長はその写真集はご存じなかったのでそこでカメラ人類さんは編集長にその写真集を譲ったのである。それで私も四半世紀前の写真集にサインをさせていただいた。

こういうのも嬉しいね。ところが話がそれだけでは済まなかった。25年前のフランクフルトのカメラ屋さんのスタッフのページを開いていて編集長はおや知り合いの誰々さんがここに写っていると言うのでびっくりしていたのだ。

25年前には単なるスタッフであったのであろうが今はかなり偉くなっているらしい。編集長は今でもフランクフルトに行くとそのライカショップの本店員さんで今は偉くなっている紳士と食事をしたりカメラの話をしたりするそうだ。

四半世紀と言う時間はそういうスペシャリストが偉くなるのには十分な時間の長さなのである。ちょうど2001年 9月11日。私は新しく立ち上げたライカカメラ社とパナソニックの仕事で当時のライカカメラ社長にインタビューに行ったのだがその時にまだ駆け出しで私にコーヒーとケーキを持っていってくれた新人が今のシュテファンダニエルさんなのである。
光陰矢のごとし。

2018年12月17日 (月)

月曜日の朝に写真集を開く幸せ

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Josef Sudekの写真集を月曜日の朝に開く幸せ。外では営業マンが山のようにカレンダーを持って右往左往。1急いでいる人を見るのは辛いね。
この写真集は大写真家の最新の写真集である。といっても10年前に出たやつ。
Sudekの仕事はパノラマカメラとか大判カメラが有名だが小さいフォーマットも撮った。私彼は右腕がないから35ミリのカメラは使わなかった。

これは6センチ× 12センチのサイズだ。私もこの場所にはよく撮影に行った。

2018年12月16日 (日)

パリ3マルタン運河のベンチでくつろぐ

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Parisに1番最初に行ったのは1974年の夏であった。winから夜行列車でパリ東駅について荷物を持ってそのまま歩き出したら最初に出会ったのが3マルタン運河である。
私のパリの第一見学の場所だから今でもパリで宿泊する時は北駅とか東駅のあたりにホテルを取る。オペラとかシャンデリゼは無縁だからもっぱら1日の生活がここら辺のトライアングルで完成しているのである。取材だと仕方ないので五つ星ホテルに止まったりしたこともあるが私の理想は一つ星ホテルだ。でも最近一つ星ってほとんどない。
この間のParisも全く同じ暮らしであって昼前にいつも座るベンチに座って鳥の声などを聞いてから近くの安い食物家で食事してあるいはお弁当を買ってホテルに戻る。そこで仕事したりあるいは午後から撮影に行ったりする。

友人の首相官邸に仕事をしている人が年末に3泊4日でパリに行くそうだ。それも買い物ツアーではなく大型カメラで自分の写真をパリで撮影するのだから偉いと思う。21世紀のAtgetと言うとこだね。彼はフランスの専門だから年末の警戒線でブロックされている地域の地図をアップしてくれた。それを見るとまさにパリコミューンである。
普通のツーリズムで行った日本人はえらい目に合うことであろう。

この運河のいつも決められたベンチで私はプラスチックに入ったた アルコールの残りをすすって炭酸水を飲んだりすると気分がリラックスしてまるでクラブエダムにいるような気分である。
どこに行っても同じことであるから佃の運河を見ながら宝を飲めばそれはそれなりにパリのふいんきを味わうことができる。

お金のかからないツーリズムであるからJTBとか嫌がるであろうな。

2018年12月15日 (土)

キヨスクのイメージキャラクター

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結婚記念日のイベントの続きである。家人が持っている思い出袋と言う袋の中から出てきたのがこれだ。キヨスクのスタートした当時のイメージキャラクターである。キヨスクのぴーちゃんであるからキヨピーと言うわけだ。

当時はヨーロッパに行く飛行機の便が不便でアエロフロートを使っていたのだが同日乗り換えでパリやプラハには到着できなかった。夕刻にモスクワについてトランジットホテルでいっぱくするのである。でもその方が時差の調整にはなったのでよかった。
5時の始発の東京の電車に乗るのであるがキヨスクはまだ閉まっているからシャッターが降りている。そこに好きよぴーのお姿がずらりとあるのがよかった。キヨピーに挨拶をしながら日本を出発したのである。
キヨスクの営業時間中にはシャッター上がっているからこの鳥はいなくなってしまうのである。

2018年12月14日 (金)

1982年夏広東市における島尾さんと私

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1982年に初めて島尾夫妻に連れられて広東に行った。川の流れるクラッシックなレストランで食事をした。20年後に同じ場所に行ってみたらそういういい感じのビルは全部なくなってグラスウォールのビルになってしまってがっかりした。

撮影は有名写真家潮田さんである。つまり今年の写真界グランプリ3冠王の人である。このショットは私のパノラマカメラで撮影したものではあるが潮田さんの才能が40数年前にすでに花開いていることがこれを見てもよくわかる。

、、もう一つ気がついた事はこれはゼラチンシルバープリントであることだ。だからここに潮田さんのサインが入ればちゃんとギャラリーで販売することができるわけだ。歳をとるといろいろなことが発見できて面白いな。

2018年12月13日 (木)

曙橋の柿の木に柿の実がいっぱい

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アローカメラに行くのにはいくつかルートがあるが通常の20年来のルートはもう飽きたので最近は曙橋の真下の階段を上って行く。そこに柿の木がある。その柿の木に柿の実がなった。
学術的な用語ではこの言い方が正しいらしい。

どうも今年は柿の木になる柿の実が豊作のようである。今年到来した柿の木になった柿の実であるが最初に新潟のが来て次にギャラリーバウハウスの柿が来てもうたくさんと思っていたら岡山からまた柿の実が到来した。
それはそれでありがたいのであるが私は柿の木の実到来ごとにまず1口ぐらいしか食べない。そうなると責任感が発生して家人がみんな柿を食べているのである3回到来した柿の木の総数は知らないけれどもひゃっこでは無いにしろ60個よりは上であろう。

曙橋の真下の急な石段を上るときに隣の空き地に樹木があった事は記憶している。ところが今日ガラクタ屋さんから帰るときにその樹木が柿の木であって柿の木の実がなっていると言うことに初めて気がついた。

最新型のiPhone 6で撮影したのだが大変な柿の木の実の量である。人間の才能がこの柿の木の実ぐらいに一挙に弾ければ幸せなのになぁと思った。

2018年12月12日 (水)

一ノ瀬泰造1973 by Shisei Kuwabara

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一ノ瀬泰造の母上が亡くなられたと言うことを聞いた。
一ノ瀬泰造は日大写真学科の同級生である。寡黙な男で学生服姿であった。
ギャラリーバウハウスで9月に沢木さんと対談をした時も一ノ瀬泰造の話になった。
沢木さんはベトナムとカンボジアを超えてヨーロッパに行きたかったのであるが彼は普通のバックパッカーであるから南ベトナムのビザが取れなかった。皮肉なものである。ちょうど映画監督ゴダールがノースベトナムのビザを取れなかったのと表裏一体と言う感じがする。

それで沢木さんは深夜特急の取材でベトナムカンボジアはスキップしたのであった。
その後昔のかけた部分を埋め合わせるために彼は2000年の12月にベトナムに取材に来た。その帰りがけにホーチミンシティーで私は沢木さんに遭遇したのである。

言い換えれば一ノ瀬泰造は私と沢木さんをベトナムで結びつけてくれたと言うことになる。一ノ瀬泰造の母上は行方不明の息子の安否を気遣いながら写真技術を習得して膨大なモノクロプリントを制作した。これは母の愛と言う奴だな。
Shisei Kuwabara先生から御母堂のご逝去が伝えられたのである。

一ノ瀬泰造がカンボジアに出発すると言うので確か7人の友人が500円ずつカンパをした。トータル3500で上野駅前の国を払い下げショップでジャングル靴を買ったのである。
この写真で見ると一ノ瀬泰造はオフの日なのであるネタを拾ってゴムサンダルで歩いてリラックスしているように見える。胸にかけているのはニコンエフ2である。そのニコンのカタログをとっていた私であるが一ノ瀬泰造がカンボジアに出発したのと同じ時期に私は家人とオーストリアウィーンに出発した。
一ノ瀬泰造と連絡が取れなくなったと言う話はその年の秋であったのであろうか?

2018年12月11日 (火)

カメラ毎日1970年5月号帝都高速度交通営団の中吊り広告

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カメラ雑誌と言うものの存在感が50年前と今で話ずいぶん変わってきたようである。これはカメラ1970年5月号のメトロの中吊り広告である。最近のメトロの中吊り広告の週刊誌のコピーなどが下品で見たくもないが半世紀前はなかなかレベルが高かった。

もちろんまだデジタルカメラなどは存在もしない大昔の話である。登場している写真家の名前を見てお試しください。

2018年12月10日 (月)

部屋を真っ暗にして外を見ている

部屋を真っ暗にして外を見ている43096bc2c05d411c8f1df495ebf05c48
音声入力でテキストを書くときはキーボードは見ないから真っ暗にしている。そして顔は夜の隅田川の方向に向いているのである。
この数年間この気分が一体何であるのかということを思い出そうとして思い出せなかったのか先ほど思い出すことができた。

10年ほど前に日本郵船のライラと言う名前のコンテナ船で名古屋港深夜の出発のときのあの光の状態なのである。
1000ページの写真集を作るので最初はイギリスのサザンプトンから乗船する予定だったが
これだと日本到着が1ヵ月以上かかる。それでその途中の寄港地から乗船する予定がやはりスケジュールが合わなくて結局国内の名古屋港から品川埠頭に向けて出航した。それでも2泊3日である。

巨大な船の海図ルームは明るいけどブリッジは真っ暗である。その光の加減を思い出してどこかに出発する気分になった。
その1000ページの写真のタイトルは
Chotoku 海をゆく

2018年12月 9日 (日)

ニコンエスで撮った東京湾の不思議な写真

ニコンエスで撮った東京湾の不思議な写真

ニコンカメラはレンジファインダーのやつは圧倒的に使っている。理由は単純であって望遠レンズをほとんど使わないからだ。それでレンズは50ミリから35ミリが多い。後は21かな。

豊海水産埠頭の先端まで行って東京湾の表面と言うのは変だが海面を撮影した。カメラはニコンエスの裏ペイントのブラックであってレンズは私が得意のソ連製のジュピター35ミリである。40年前オーストリアウィーンにいた時はもっぱら28ミリのソ連製のオリオンレンズを愛用していた。それが最近ではレンズの焦点距離が7ミリだけ伸びて35ミリになった。

その理由はわからないが年の功というか老齢化というかそういうことであろう。このレンズは非常に気にいっている。それというのもカールツアイスのレンズのコピーであるからだ。Img_9382


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ごあいさつ

  • Note新ブログのお知らせ
    新ブログのお知らせ お世話になっております。2018年11月27日より tanakachotokuカメラノートがスタートしました。スポンサーに頼らないIndyなカメラストーリーです。
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  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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