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[ブログカテゴリ] 写真/アート :1位 / 22793ブログ中Img_3313
PHOTO TOTSUGEKI

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❤️🐦10月8日第二日曜日午後1時スタート。
第二回ぶらパチ撮影ワークショップは赤羽岩渕方面。
小山酒造と稲付城と十条仲原商店街ぶらりパチリします。
8年間オーストリアのウィーンに住んでいるとき東京の赤羽は私の極東の憧れの街でした。

2017年9月27日 (水)

ウィーン平和橋

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ウィーンに住んでいた時最寄りの駅はこの平和橋であった。距離からしたらそんな大した事は無いのだけれども日常的に使っている最寄りの駅だから慣れてくると非常に長く感じる。外国に行く時なども当時はキャリーバックなどはなかったから時代遅れのトランクを下げて歩いた。そうするとこの徒歩5分位の距離なのだが長く感じるのである。

でもドナウ運河の中でここは1番風光明媚な場所と言ってよかった。オーストリアの有名な芸術家オスカーココシュカは1,947年頃にドナウカナルの風景をオイルペインティングに描いている。

それは私のアパートメントのある方向からの風景であってポプラの木がずらっと並んでその手前にドナウ運河がゆったりと流れているって言うなかなか素敵な作品である。

ここに住み始めた1973年と言えば彼がその作品を制作してから25年は経過しているのである。だからポプラの木の高さがちょっと高くなっているように感じたのは私の錯覚だろうか。

Otto Wagnerが19世紀終わりにwinの街を大改造した。当時のwinの街を1周する環状線電車も彼の設計である。日本だと山手線はそれぞれのステーションが全部バラバラであるがさすが都市計画の父はやることが統一されている。

このショットは1,973年頃に撮影されたものだ。それで昨年2016年の暮れに行ってみたら修復はされているが駅の建物そのものは全く変わっていないのが嬉しかった。

赤いクラシックな電車は私の大好きなメランコリーオブジェであったがそれは今では銀色のモダンなメトロに変えられている。もっともメトロが走りだしたのもずいぶん昔のことで私がwinに滞在中のことだ。確か1979年だったと思うがメトロ開通の初日は通行料が無料であった。それで面白がって終点から終点に乗ったりしたのも懐かしい。

2017年9月26日 (火)

Gegula Super Outfit

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レンズシャッター式のレンズ間が可能なカメラが好きでたくさん持っている。1,950年代後半に交換レンズが非常に高価であった時代には結構市場で勢力となったものだ。

このカメラはしてシュツットガルトからさらに西に行ったフランスのストラスブールの国境の近くでつくられたカメラである。その会社名はキングと言うのである。

しばらく前取材でこのあたりを専門に歩きまわったことがある。Donau Essingenと言う小さな町がドナウ川の源流であると言うことになっているが実際にはそこから数キロ上流に行ったところに草原があってそこから草の間からきれいな泉が湧き出していたそれが本当のドナウの源なのである。

フランスが近いなと言う感じよりもここら辺は戦争でフランスになったりドイツになったりしていた地域である。

このカメラはレアなカメラと言うわけではないが1,950年代に正式に日本に輸入された事はなかった。当時の西ドイツマルクは非常に高かったから代理店の商売にならなかったのであろう。
キングの会社は自社のレンズを持っていないからそれはOEMでレンズ専門メーカーに発注していた。スイスのアルパもそうだがこれは普通の状況であった。

このカメラのデザインを見て非常に派手な縦型のドレッドが目についた。以前似たようなカメラを使っていたことがあるなぁと思ってよく考えてみたら1947年にベル&ハウエルの作った当時700ドルもした超高級スプリングモータードライブ式カメラフォトンとデザインが似ているのである。

高級カメラではないにもかかわらず仕上げが非常に良いと言うのがこれはカメラを手にしたときに満足と言うよりもむしろ不気味な感じがする。それでこのカメラを使いたくなる。

カメラ本体とレンズ3本のアウトフィットを使ってみたら意外と良いのでもう1台スペアボディがないと戦場では困るので探していたらeBayでギリシャのアテネにカメラ本体だけ売っていた。

それを注文したらあっという間に届いてパーセルにはギリシャの偉人の切手がたくさん貼ってあった。こういうのはいいですね。

しかもギリシャのポストは非常に速い。ドイツが1番遅くて4週間ぐらいかかったりする。しかも郵便料金はギリシャの2倍なのである。

アテネオリンピックの1年ほど前にギリシャに取材に行ったことがある。大型カメラでパルテノン神殿とかゼウス神殿などをとっていた。1年前と言うのにオリンピックのポスターも何もないのでやはり古代オリンピックそして近代オリンピックのギリシャは偉いなと思った日本のような馬鹿なおもてなしなどがないのがいかにも本格的であると思った。日本人から出国するときの税金を取る言う馬鹿なこともない

アテネの国会議事堂のほとんど真向かいに中古カメラ店があるのである。まぁ日本でも赤坂見附に中古カメラ店があるようなものだがそれは不思議ではない。面白いのはそこはソ連製カメラを結構持っているので撮影の時ほぼ毎日遊びに行って油を売っていた。そうすると隣から店の主人がコーヒーを運んでくれるのである。

カメラ付きの常連さんも集まってそこで話題になったのはギリシャ製の35ミリカメラの話だった。つまりアテネライカである。話を聞いてみるとそれを実際に見た事のある人がいなくて噂なのである。でも結構確実な噂で35ミリのレンズシャッター式のシンプルなカメラであったそうだ。名前は聞いてメモしたが忘れた。アゴラとかアガペーとか言ったのではなかろうか?

2017年9月25日 (月)

ハンガリー製のレンズをライカカメラにつける

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ハンガリーの首都ブダペストはロバートキャパの故郷である。つまり写真がまだ浪漫ティックな時代であった頃の中心都市である。

オーストリアハンガリー帝国時代にはwinは中心でハンガリーは農産物を供給する地域と言うようにみなされていた。一方プラハはその周辺が工業生産物を生産する時期と言う認識があった。

オーストリアウィーンに住んだ私ですら帝国が崩壊してから何十年も経っているのにハンガリー方向はワインとかサラミの出身地であると言う認識があった。

ハンガリーはブダペストの数少ない工場で生産されたカメラに世界最初のクリックリターンのミラーを採用した一眼レフがあった。Duflexと言うのである。

winのライカショップで手に入れたのだが調子が悪いので修理をしてもらった。当時お付き合いのあったライカカメラの社長さんが日本にUr Leicaを持ってくるときにお願いして一緒に持って来ていただいた。知り合いならばライカの社長でも使えと言う酷いマナーを無視した行動である。
社長さんはちゃんとそのハンガリー製の一眼レフの修理の上がったのを持ってきてくれた。ありがたいことである。一緒のカバンには日本で展示する予定のうるライカも入っていたらしい。

ハンガリー製のレンズと言うのはレア物であるなどと言うよりももっとレベルが上で全く見かけないものである。 Momettaと言う名前のレンジファインダカメラはレンズは固定式であるがそれのセカンドモデルと言うのになってからレンズ交換ができるようになった。

それが面白いことにプラクチカマウントなのである。当時の東ヨーロッパのことを考えればこれが1番一般的な交換レンズのマウントと言うことであったのであろう。
そのレンズがなかなか性能が良いのである。

これをアダプターを介してライカにつけている。もちろん距離計には連動しないがもともと目測でとっているのであるからそんなことは問題にはならない。

2017年9月24日 (日)

5人のビートルズ

11月の半ばからギャラリーバウハウスで個展を開催する。昨年の暮れに撮影したwinのモノクロームである。その他1973年に撮影したパノラマの作品も展示するする予定。

1973年当時にwinのアパートメントの窓から撮影したショットがこれである。この先にはアウガルテンと言う巨大な公園がある。私は自分の庭だと思って散歩していた。
これがヨーロッパの公共的な施設に対する一般の市民の考え方である。

オーストリア最後から2番目の皇帝、実際には最後の皇帝と言われているがカイザーフランツヨーゼフはこの公園を散歩するのが趣味であった。皇帝が通過するのを見てwinの市民はお辞儀をしたのであるが皇帝はそれが面白くない。それで命令を出して自分が歩いている時にお辞儀をするには及ばないと言うのである。

目の前の広場はいくつかの路面電車の交差する割とwinとしても交通が頻繁なところであった。手前に止まっている車を見ると5台のフォルクスワーゲンが見える。
すなわち5人のビートルズである。

当時のwinはまだ戦後の敗戦した途上国であったから心が豊かな貧しいアーティストはフォルクスワーゲンと決まっていた。私の周囲の友人知人もみんなフォルクスワーゲンだった。
フォルクスワーゲンを何ヶ月洗っていないかを競うようなそういう番からな空気が漂っていた。

1番汚れが目立たないのはこれは現在の車ではちょっとない色だがベージュ色と土の色を混ぜたような変な色合いのフォルクスワーゲンがあった。これは汚れが目立たない。最初から汚れたように見えるからである。

winの親しい友人の写真家と一緒に一夏イタリアからスイス方面をその汚いフォルクスワーゲンで度した。運転は私と彼が交代。

全部の走行距離は3,000キロに及ばない位の旅行であったが帰りの高速道路でどうも異常に暑いなと思っていた。後で確かめてみたら旅行の全工程でヒーターがオンになっていたのである。これはお笑いである。Img_4581


2017年9月23日 (土)

Argus C3を忘れない

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1,960年代に一世を風靡した写真集にコンテンポラリーフォトグラファーズと言うのがあった。ハードカバーで四角い薄い本で銀座のJena書店に争って我々学生は買いに行ったものだ。

その数人の写真家の1人にDuaine Mikelsがいたのである。

遊び友達の須田一政さんなどと話題になったのがDuaine Mikelsはアーガスカメラを使っていると言うことであった。黒い真四角な弁当箱のような格好のカメラでちょっと見るとコンタックスに似ているが本体はベークライトなのである。

当時の日本はアメリカの軍人が制服で歩けるような国であった。それで銀座などでセーラー服を着たセーラーさんがこの黒い四角いカメラを頑丈な革ケースに入れて肩から斜めに下げているのがかっこよかった。

私の初任給が35,000の時このカメラは中古で10,000円したから大変な値段である。でも手に入れた。
Duaine Mikelsがすごいと思ったのは彼はこのカメラを友人から借りてまだ鉄のカーテンの彼方であった当時のソ連を旅しているのである。
アマチュアみたいなカメラアングルでピオネールの制服を着た少女とかグレコローマンのレスリングの選手を取ったりしているのだ。

当時のわれわれはライカカメラに35ミリのレンズをつけてスナップショットの美学とやらを追求したりしていたからわれわれはすでに極東の時代おくれの写真学生であると言うことが明らかになったのである。

だからこのカメラに出会って横位置で普通の風景を撮ると実はすごい写真が撮れると言うことを私は教えてもらったのだ。

1970年と言えばまだ若くて売り出し中の切れ者の松岡正剛さんがいた。彼が作ったoffと言う真面目な写真集にも私はアーガスカメラで撮った写真を掲載した。

だから私はアーガスを忘れない。

40歳の時にアメリカのミシガン州のChamber of Commerceから招待されてミシガンの人が一生かかって移動するだけの量をミシガンで旅した。
本当は永井荷風の卒業したカラマズーカレッジを取材に行ったのである。カレッジの偉い人から学籍簿を見せてもらったりして私は大満足であった。東洋人が珍しくきたと言うのでローカルペーパーに私のことが紹介されたがそれは極めて人間的でジャーナリストの田中は90度もあるのにプルオーバーをきていたとあった。

そのついでにアーガスを作っている街ミシガン州のアンアーバーを訪問した。行く直前まで私はそれは工業都市だと思って行ったのに行ったら大学がたくさんある学園都市などでちょっと意外だった。
私は先入観でユージンスミスが撮影したピッツバーグあたりを頭に入れていたのだ。

Duaine Mikels は他のシリーズではニコンFに28ミリををつけたのも使っていた。
当時私は広告代理店の1年生でクライアントは日本光学であったからニコンFも持っていた。それで少なくとも国際的な写真家と機材だけは同じレベルに達していたのである。

2017年9月22日 (金)

世界中の手がキャノンを磨いている

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ハーフミラーの反射鏡を使ったこのカメラはスチルカメラとしては世界最初だったのではなかろうか?

尊敬する写真家の東松照明さんがキャノンの広告でこのカメラを持って登場していた。1,960年代後半の話した。何か未来の写真家と言う感じがしてかっこいかった。

私がこのカメラを手にしたのはそれから40年後である。なかなか高価で手が出なかったのだ。

それは20年近く前。小岩駅の南口に中古カメラ屋さんがあってそこで3台ほど買った。メーターが動かなかったがもともとメーターは使わないから問題は無い。

Pelicleミラーだからミラーの往復運動はは無いはずであるがシャッターの音が大きいのでそれほどライカカメラのように静かに撮影できるわけではない。
それでも撮影の瞬間に一眼レフのようにファインダーがブラックアウトするのではないのが良い。

1,960年代後半にこのカメラ広告のカメラ雑誌に掲載されていた。

世界中の手がキャノンを磨いている
と言うのである。

これはいいコピーだと思った。
実際には当時のプロ機材はニコンエフしかなかった。キャノンがニコンに対抗できるようになったのはそのしばらく後F1が出てからである。

私は主にアダプターを使ってペンタックスのレンズを使用している。
付けているレンズは28ミリのVivitarのようなサードパーティー製の玉である。これが非常によく映るのだ。

このカメラはブラパチワークショップのオフィシャルカメラに制定した。

2017年9月21日 (木)

印刷の立ち会いについて

印刷所と言うのは印刷物をいつも目にしている割にはその実態が知れないものである。
小学生の頃に近くの凸版印刷小石川工場に社会見学に行ってびっくりした。人間の業と言うのはグーテンベルグ以来どんどん進化しているものだというのが小学生の私の印象であった。

写真集の印刷立ち会いと言うものがある。
印刷のエンジニアさんとその編集者さんは印刷のプロであるから脇に作者がいたりしたら逆にやりにくいと言うことだと思う。
私は昔からそのように考えているから印刷立ち会いはしないことにしている。

印刷の成果を見るとときにはTrue Lightと言う演色性の非常に高い蛍光灯で確認したりするのだが昔は書店の店頭は普通の白色の蛍光灯である。今ではLEDになってその色再現はだいぶ違うからいくらニュートラルなライトでチェックしても効果がないのではないかと思う。
もちろんこれは素人の考えである。

500ページの分厚いwin写真集を作ったときには志村坂下のずっと奥のほうの親子2人でやっている小さな印刷工場に行った。これも別に印刷の結果を私がチェックすると言うのではなくてそこに置いてある印刷機がみたかったのである。ハイデルベルグスピードマスターと言うやつだ。

我々の作る真面目な写真集などは部数が知れているから印刷機を回し始めた頃のやれ紙、つまり無駄にというかテストで印刷する紙がどんどん出てくるので貧乏性の私などはこれは写真集のコストに影響するのではないかと心配したりした。

1台分の印刷は1時間もかからないうちに終了したのでその他の折りを見るのはめんどくさいからスタッフと一緒に志村坂下のラーメン屋でラーメンを食ってそのまま帰ってきた。

その分厚い500ページの写真集はオーストリア大使館でやった写真展の時に最初の見本の100冊が届いたのである。

重い写真集なので1つの梱包が5冊であるがそれでも15キロ位あるのだ。大使館にトラックが横付けになってみんなでその梱包を運んだ。
肉体の労働がもたらす喜びと言うのはこんなものなのかと考えた。それでその写真集は写真展の間に皆さん買ってくださったのだが何しろ2.5キロも重さがあるので買ってもらうほうもちょっと恐縮した。

私が思うに印刷立ち会いと言うのは作者に後から文句を言わせないための方便なのではないかと思う。我々が広告の仕事などでクライアントさんに現場に立ち会っていただくのと同じことである。

でも以前は凸版印刷の写真集の立ち会い等にお邪魔したのでそこで私の著書を読んでいる印刷のスペシャリストの方とお友達になれたりしたからよかった。彼らがオフセットの原版を高倍率のルーペで覗いていると言うのにプロフェッショナルの本質を感じたのである。

そのことを絶賛したらしばらく経ってその印刷のスペシャリストの方が私に同じルーペをプレゼントしてくださったのはありがたかった。ちゃんとイニシャル私の名前が入っているやつである。でも私は印刷のスペシャリストではない単なる素人写真家だからそれを使いこなすことができなかった。
この専門家のルーペは高倍率すぎて日常生活には使えないのであった。Img_4564


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2017年9月20日 (水)

オリンパスワイドスーパーの露出計算ダイヤル

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1966年の春に大学1年の時であるが中野のカメラ屋で買ったオリンパスワイドが私のスタートであった。だからもう半世紀以上オリンパスワイドを使っている。

オリンパスワイドスーパーであるが、オーストリアウィーンに持参して友人のカメラマンに見せたのであった。彼が不思議に思ったのはカメラの裏側についている露出の計算表である。

要するに簡単な画像のシンボルを見てダイエットバリューを計算してそれをカメラに移すと言う単純なシステムであるがこれが意外と正しく得られるなのだ。

それはそれで良いのだがこの画面の上のほうにある日本人が万歳をしているシンボルがある。友人の外人の写真家はこれを見てなんだ日本軍が武装解除したところか、といった。

説明しておくとヨーロッパには運動会と言うものがない。だからオーストリーのwinなどでは運動会が珍しいので日本人学校の運動会は見物に来る地元民もいた。

中には日本の軍国主義の最も危険な訓練であると言うような意見を下す人もいた。これはなかなかうがった見方であって何しろアドルフヒトラーの出身はこの国なのである。

そーゆー独裁者の先進国から言われるとなかなか印象が強かった。

オリンパスワイドスーパーは8枚構成のあの頃ととしては、そして今も最高級のレンズが付いている。アサヒカメラのニューフェイス診断室で木村伊兵衛先生が絶賛したレンズである。木村先生は盆踊りの女の子が何か映していたな。

それと当時の報道写真家がよく利用していた。吉田茂首相の葬儀が東京カテドラルであったとき私も報道陣に潜り込んで撮影をしたのだが外国の通信社の腕章をつけた日本人のカメラマンはオリンパスワイドスーパーを使っていた。ストロボが500分の1秒でシンクロできるから確かに報道写真家にはライカカメラなどよりもこちらの方が使い勝手が良いわけである。

2017年9月19日 (火)

King Regura と言うカメラ

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第一回ぶらりパチリワークショップのスタート記念に何かカメラを買おうと思った。それでこのカメラを買った。

このカメラの生産地はシュツットガルトからずっと西に行ったあたりドイツフランス国境の手前にあった。その先の大きな街はストラスブールなのである。

まずそのデザインがすごい。
金属製のキャタピラーのようなデコレーションが付いている。
安物のトイカメラなどによくあるデザインあるが実際に手にしてその仕上げは非常に上質である。
わきにライカを並べてみたら仕上げは上なのである。アマチュアカメラのくせにこんな良い仕上げをしてハイクラスのカメラにいじめられるのではないか?

1,950年代後半のレンズシャッター式カメラの流行としてこのカメラもレンズ交換ができるようになっている。こういう会社は自分ではレンズを作らないからOEMで注文している。

Munchenの歴史あるメーカーであるSteinheilのレンズが使えるのでこれには驚いた。明るさが50ミリでf1-9と言うレンズなのであるが魂の数が非常に少ない。マイナーなカメラについているので探すのは非常に大変である。その名前をQuinonと言うのである。

35ミリの広角レンズと135ミリの望遠も付いている。この2つはIsco Goetingenのレンズである。この会社は映画館の上映用のアナモフィックレンズなどで有名である。シュナイダーのB級品と言うような位置づけをされていた。

これも非常に仕上げの良いレンズである。このカメラとレンズが3本あればもうライカもコンタックスもいらないと言う気分だ。

しかしカメラ本体が1台だけでは心もとない。eBayで調べていたら同じカメラの本体は1台売りに出ていた。その値段が35ドルなのである。

それも1台ゲットした。その売り手のアドレスを調べたらそれがギリシャのアテネなので非常に気にいった。ギリシャのアテネには中古カメラショップは非常に少ない。前回行った時に国会議事堂の向かいが中古カメラ店なのである。
毎日そこに行って油を売っていたがまさかその店ではあるまいな。

2017年9月18日 (月)

改造ライカカメラと偽物エルマーレンズ

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ライカエム6の時代だったと思うが当時ライカ人類がバカにしていたのはライカのポルトガル工場で作られたライカカメラであった。まだ原産地を重視すると言う考えがはびこっていたのである。
フランスワインのしゃぶり等はフランスの法律でその地域内で作られたものでないとしゃぶりと名乗ることができない。
でもカメラはOEMが普通の時代になってきたからもうそんな悠長なことは言っていられない。

このライカカメラは1型である。製造番号が50,000台なのである。それをライカの会社が改造して距離計のついたモデルにした。私が好きなのはこのように当時のクラシックならライカカメラはそのは製造番号だけが残っていて本体はダイカストであるのが好きなのだ。

大昔はこういう正式な改造ライターはコレクターは敬遠していたものであったが最近ではそのような純正の改造モデルを専門にコレクションするコレクターも登場した。面白いものである。

レンズのほうはソ連製のフェドについていたものだ。このフェドはモスクワのアルバート通りで買ったものだが金メッキがかかっているやつなのである。
それで写真ではちょっと見にくいであろうがこの偽物エルマーは金色なのである。

クオータリーのクラシックカメラ責任編集長やっていた時に私が書いた記事で本物のライカのエルマーレンズとこの偽物のエルマーレンズを同じ状況で撮影してさてどっちがどっちでしょうかとやったのであった。しかし性能が優れているからどちらも同じ位よく映るのである。

ライカの会社がOEMで狛江にあったシグマにエルマーの50ミリを製造依頼したときに若いファンの間でどよめきが起こった。
これはライカのレンズではありませんよねと言うのである。そんな馬鹿な事は無いライカがライカであると認めたらそれは世界のどこで作られてもライカレンズですと皆さんに申し上げてようやく納得してもらったけれど彼らの表情は半信半疑と言うところであった。

«本物の偽物のライカ

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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