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田中長徳パノラマ写真プロジェクト

✴️お知らせ 田中長徳 Panorama Europe 1975 プロジェクト

ツアイトフォトサロンの石原悦郎さんが四十年近く秘蔵してくれた田中長徳ヨーロッパ世紀末のパノラマ写真群が公開され、写真集になります。
詳しくはリンクを!http://www.gallerymain.com/project/

2016年12月 9日 (金)

あまりにも有名な大観覧車ですが


1973年にwinに居住するようになって最初にこの大観覧車に乗ったのは数年後であったかと思う。今にして思うと路地裏が好きなのでルナパークが好きではない。いや私が好きなのはルナパーク的な気分が良いのであってルナパークそのものはあんまりと言うわけである。
だから本当に好きなのはwinでは本家のプラター公園ではなくボヘミア人のプラターと呼ばれているwinの南のほうにある寂しいルナパークの方だ。

しかし日本から来た知り合いに頼まれてガイドの役割で乗ってがっかりした。
もともと上からの眺めは大観覧車の場所が変なばしょにあるので全くダメなのである。

その後も取材の仕事で何度か乗ったことがあるがこれは仕事だから仕方がない。
大観覧車に乗りたい人には、あれはつまらないからおよしなさい。後悔しますよと言うボランティアを何十年もやっている。
winの観光局には長年お世話になったのだが、一方でこういう業務妨害がわかったら観光局に叱られそうだ。

でもそれに乗らずに周辺から見る大観覧車は19世紀末の夢をはらんでいて素敵だと思う。
特に大観覧車の見頃は真冬なのである。それで実に良い日にやってきたと感心した。

3年前に出した「ライカマイライフ」の中でやはり大観覧車をロングショットで撮った作品がある。これも好きなものだ。

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2016年12月 8日 (木)

しりの便利さと怖さ

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アップルの音声入力システムSiriが登場したとき、かなり話題になった。

私は音声入力の原稿書きにしか使わない今回初めてしりに質問してみた。
ここはどこ?
と聞いたら稲今いるアパートメントの正確な住所つまり枝番まで出たのにびっくりした。

アメリカ軍が私を攻撃するのならば無人爆撃機をそこに差し向ければ良いのである。
昔エッセー集の屋根裏プラハで私は自分のアトリエの窓に小さな紙を貼り付けてあるのが軍事衛星から見えると言う事を書いた。
その、窓から東に4つ目の 窓にピンポイント攻撃するとそこが私のベットでちょうど枕の上なのである。今の精密爆撃はそんなものではないであろう。

ばかもんゴーやっている皆さんこのようにすべての人類がその場所を特定されていると思うとたいしたものと言うより恐ろしく感じる。

2016年12月 7日 (水)

ヒトレルの描いたウイーンの風景画

iPadから送信 Chotoku Tanaka 【ウィーン=笹沢教一】オーストリア大統領選のやり直し決選投票は4日の投開票の結果、リベラル・緑の党のファンデアベレン氏(72)が得票率51・7%で、極右・自由党のホーファー氏(45)の同48・3%を上回り、勝利した。
ーーーーニッポン危ないなあ、、、あたしは1988のウインをわすれない。
ーーーーー

かなり昔のことになるアドルフヒトラーがwinのアカデミーにいた頃の風景画を見たことがある。
だーネットで見たので正確な絵画のサイズはわからない。それは数点あってwin ミュンヘンなどの有名な建物を描いたものであった。

第一印象としては絵画での才能がないのであるが、妙に細かいディティールが書き込まれていた。それと全体の風景の空間がちょっと歪んだ感じであってキュビズムというのでは無いけれども何か不思議な印象であった。

Winのアカデミーの学生であったアドルフが絵画に見切りをつけてバイエルンに流れていってああいう、ホロコーストとカタストロフィーを起こしたわけだ。

ドイツもオーストリアも第3帝国時代のものを販売することを法律で禁じている。現在の日本の若者の第3帝国時代のファッションが流行しているのを見ると非常に不思議に思う。

1988年に私はウイン滞在していた。
winを引き上げてから8年後ということである。
私はオーストリアがドイツに併合されてオストマルクになって半世紀ということでその怒りと悲しみを忘れない行事を忘れない。

今のオーストリアの大統領選挙でエクストリームライトの40代の男性はそういう過去のことを知らない連中である。
銘菓モーツアルトクーゲルの他に、アドルフクーゲルができそうなのだ。
Winはと言うよりオーストリアはかの独裁者を生んだ国であるからそういう土壌があるのは勘違いじゃない。
そう街にいう街に八年くらしてそれから日本に2年滞在して、いきなりニューヨークに行った。まずニューヨークでびっくりしたのはユダヤの末裔の人々が自由であると言うことだった。

1939年にかのシグムントフロイトはwinを追われるようにロンドンに去って翌年その場所で客死している。
ワルターベンヤミンはベルリンから脱出してフランスも危なくなりスペインの国境で自殺してしまうのだ。殺害と言う話もある
アシュケナージ関係で1番幸せというか助かった人の中に、この間東京で作品を破壊されたロバートフランクがいた。
フランクの父親は1,920年代にドイツのパスポートを没収されてしまい機転ををきかして母親が息子のためにスイス国籍を取ったのである。これがフランクがスイス出身であると言う理由である。

1,970年代のwinの滞在中の大統領はルドルフキルシュレーがーであった。首相はブルーノクライスキーだった。クライスキーは第二次大戦中英国に亡命していたのである。
1974年5月1日のメーデーに私はボレックス撮影機を携えてwin市庁舎前の広場でメイデイの大集会を撮影していた。

クライスキー首相に接近してボレックスを回した。すばらしい5月の朝で青空に赤旗がひらめく背景で集まった全員がザ、インターナショナルを歌った。
オーストリアは当時オーストリア社会党なのである。

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2016年12月 6日 (火)

✴️おしらせ

十二月のチョートクカメラ塾はウイーン取材でおやすみです。十一月までの月謝未納者はお支払い願います。

ウインの仕事カメラは

今回のwinでの撮影は短期間なのでカメラは最低限にした。

今年の1月のプラハでは持参したライカとコンタックスが壊れてさらに現地で購入したキエフも壊れて大変な目にあった。

それで今回はライカM3のオリーブの軍用カメラを持ってきた。これは私の写真のコレクターである野々宮の所有するものでずっと借りているのである。
ロバートフランクのオリジナルのマケットをジョエルマヤロビっつがニューヨークの近代美術館に預けてあるようなものである。

野々宮との信頼関係が構築されているわけだ。非常に大事にしているので、以前NHKの特別番組で私が撮影中と言う心をとるのに持参して佃の路地裏でオリーブのライカで撮影した。

ライカジャパンの二子玉の店ができた時にアサヒカメラの取材で持っていったら店長さんはオリーブの軍用ライカを知らなかった。まぁそれはそれでよろしい。

デジカメのほうはリコーを持ってきた。今回はローモードで撮影している。

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2016年12月 5日 (月)

ウイーン

winに到着した。
夜なので真っ暗である。もともと電気を節約する町だがこんなに暗いとは思わなかった。
昔住んだパートの川の反対側のアパートに泊まるので探しだしたがとにかく真っ暗で管理会社に電話をすることもできない。今日のドイツ語で鍵の受け渡しについて電話があったそうである。
しかしマイナス3度と言う凄い寒さでこれは凍死すると思ってそれでフランツヨセフ駅のそばのホテルにとりあえず宿泊した。
夜勤のおじさんに俺は昔のフランツヨセフ駅を知っているんだぞと煙に巻いてやった。
時差時差なのでもう寝ます。

2016年12月 4日 (日)

本日移動日 成田 モスクワ ウイーン

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昨年の2月ぶりのwinである。最近はロシア航空アエロフロートが激安値段にて驚くべきことにラウンドトリップが6万円ちょっとだった。トランプ次期大統領とプーチン首相が結託して競合他社のエアチケットを軒並みやっつけると言う作戦だろうか。
この数年来エミレーツとか中東系のチケットを使っていたのだがこのアエロフロートの最安値にはまいった。

2016年12月 3日 (土)

現場監督ズームの実力を見る

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コニカ現場監督ズームの実力をここで示したところですでに手遅れだがこれは普通に使える優秀なレンズだ。

現場監督シリーズノ中では最高級で五万円近かったそうだ。それがオークションで500円というのもまんざらうれしくないこともない。 要するにバーゲンハンターの喜びなのだが私が普通のバーゲンハンターと違うところはカメラを手にしたら安心してしまってそれをクローゼットにしまうということがない。 工事用記録フィルムこそ現場監督には工事用記録フィルム。それを100本単位で買っているのでこれは水を得た魚とゆうか、工事用記録フィルムをえた現場監督ということになる。 そういうところに私と現場監督のクリエイティブな花が咲くのである。

工事現場というか新興住宅地のまっさらな建築物と言うと数年前に亡くなった私の好きなアメリカの写真家ルイスヴァルツを思い出す。 彼は南カリフォルニア出身であってなくなったときはパリに住んでいたがやはりこれは我々極東の人間と同じような意味で南カリフォルニアに対するコンプレックスがあって彼はパリに住んだのではなかろうか。

ヴァルツの初期の仕事はリンホフ6センチ× 9cmでとられていて非常にフラットな画面構成である。それが言い換えれば建築写真の記録のようにも見えるのだ。

このズームレンズは28ミリとその2倍の56ミリであるからたいていのシーンはこれで用が足りる。やツクダの街を歩いているとこういう街路樹を囲った白い柵が私の好むモチーフである。その表面的なテキスチャはアメリカ軍の基地が似たような白いフェンスで囲まれていて中は遠い国であったという点だ。 この小さな花園はその模型なのである。

2016年12月 2日 (金)

私の廃園趣味 RICOH 500

Pict0189Pict0190最近手に入れたカメラでリコーの500というモデルがある。 購入価格は2,500円だった。 レンズはリコーブランドであるがこれは富岡光学が作っていた。実に優秀なレンズである。そのカメラを1台だけ持って12月の東京の街を徘徊した。 私が好きなのは手入れの行き届いていてない公園なのである。 その公園の空間に耳をすまし目をシャープにして撮影をした。 仕上がったネガをスキャンしてみたら、これは自分が想像していた以上の好きな光景をキャッチしていた。要するに自分の好きなのはうちはてられ忘れ去られた公園、つまり廃園なのである。 別にイタリアの有名な忘れ去られた公園に行くまでもない。身近な中央区の手入れの悪い公園、これは地方行政からすれば問題なのだろうが私はそういう手入れの悪い公園が素晴らしい。

ウイーンの観光のスポット、シエンブルン宮殿の広大な庭園の正面の高みはグロリエッタと言って幾何学的な丘の頂上に凱旋門のようなものがある。 そこはつまらないから行かないが、その左手の公演の奥にこれはローマの遺跡をフェイクで作った泉がある。それが気に入っているのである。 どんなものか説明するとローマ時代の巨大な構築物が崩壊してそのまま草に覆われ苔むしてしているのだ。 これはキリスト教世界の通常考えるところと全く反対の世界である。神が勝利を収めて永遠の天国を作るというのが彼らのコンセプトだが、このフェイクの壊れた世界を見ているとそこにはこの世界にはなんの救いもないということが証明されてるように私は思う。 つまり西欧の哲学とは全く反対の東洋の哲学、言い換えれば諸行無常の有様がそこに具現化されていると言ってよい。 そこが気に入っている。廃園というのはその意味で私にはなかなか魅力的なモチーフである。

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2016年12月 1日 (木)

フルシチョフ第一書記の愛機

フルシチョフ第一書記の愛機である。
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300ミリの望遠レンズをフェドに付けたもの。
本物のガンストックがついている。
1,945年前後に赤軍のためにごく少数が作られた。これは本物の光学兵器である。
ソ連のフルシチョフ第一書記はカメラ好きでソチに休暇に行く時にソ連製のハッセルブラッドであるサリュートを持参した姿などが写真に残っている。

このフォトスナイパーはフルシチョフ第一書記の最もお気に入りのカメラだった。戦後になってご自慢のカメラを修理するためにモスクワ郊外のクラスのゴルスクにあるカメラの修理工場に行った。
そこで第一書記はもうこのカメラが生産されてないことを知って、指令を出して似たようなカメラを作らしたのである。
それが300ミリの望遠レンズをゼニット一眼レフにつけたフォトスナイパーである。政治のトップが指令でカメラを作らせると言うのはなかなかすばらしい独裁体制だ。
ここまで行かなければ本物ではない。安倍首相などはまだまだである。

winのライカショップの倉庫にこれを発見して手に入れた時は嬉しかった。東西ドイツ統合から10年目の1999年のことだった。そのままドライブしてサウスモラヴィアのテルチに行って古い町並みを300ミリの望遠レンズで圧縮して撮影した。

そのままベルリンまで行ってベルリンの四ツ星ホテルの窓からフォトスナイパーで撮影した。翌日にコンシェルジュが「お客さま、、、向かいの建物はドイツ外務省のビルでございますから撮影にはお気をつけ下さい」とサゼッションをされたのである。

しかしそれで撮影を止めるような私では無いからさらに撮影が楽しくなった。
このカメラはコンタックスのフレクトスコープと同じで目の高さでファインダーは見ることができるがファインダーの像は左右逆雑なのである。
しかしそれに慣れてしまうとむしろそのほうが使いやすい。カメラを水平に構えて右にふると画像は左に逃げるのだ。ローライフレックスの二眼レフやハッセルブラッドと同じである。

このカメラは非常に優秀な作りで手に入れてから1度もメンテナンスはしていない。それよりも制作されてから70年以上が経過しているのでストラップなどがボロボロになってしまった。
それは鵠沼のチョートク研究家であるササキジュンイチに依頼して新しくストラップをつけてもらった。

«駄カメラ展に出品の作品

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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