浅井宏氏の101歳の誕生日
家人が「今日はおおきいパパの101歳の誕生日」と言った。
ああ、そうかと思った。「おおきいパパ」とは家庭内用語であって、孫におじいちゃんと言われるのがいやだった、義父が自分で命名したのである。
つまり「ちーまま」の反対語であるという認識もできる。
あたしもあたしの母も義父も5月生まれなのである。
このところ、ずっと義父の遺品のロンジンを使っている。ロンジンは沢山持っているが、その中ではこのロンジンが一番新しい。
義父の腕にこのウオッチを見たのは数十年前であって、当時は「なんとも地味な時計だな」と思っていた。
ところがあたしが同じような年代になってみると、その地味さがなかなか良いものだということが分かってきた。
その意味で「じじい」になることの現実は、あたしが若い当時にじじいをみて、退屈そうだと思ったのとは、まったく異なる現実があることが分かった。
これはなかなかの発見であると思う。
しかし冷静に考えると、クラシックなウオッチもクラシックなカメラもそれは誰かの遺品であるという厳粛な事実がある。
この一事に気がつくと、そういう物品に対する真摯な態度が自然に出来るように思える。
デジカメもそういう方向の存在が理想なのかも知れないが、、、
★カメラはiPhone5














