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お知らせ

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親愛なる中古カメラ党同志諸君
出ました!
「我楽多屋で買ったモノマガジン 」
私家本(アローカメラ地下出版局印刷製本)
過去十数年の赤裸々なカメラレンズ買いの興奮の実話二百本収録。
非検閲地下出版。
限定二百部。カンパ2980円。
初版十部は三分で完売。重版出来。
我楽多屋のハトロン紙の袋を用紙にした奇書。
万国の中古カメラ党同志必携!

✴️詳しくはこちら
http://camera-kaukau.lekumo.biz/arrow/2016/07/magazine-7283.html

✴️お知らせ
チョートクカメラ塾 は今度の水曜日です。

チョートクカメラ塾

「新学期になったので新しいデジタルデバイスで遊んでます」

✴️九月の写真展Image_3

田中長徳写真展 dp PRAHA
会  期 9月16日[金]-25日[日] 11:00-19:00
入場無料 会期中無休
会  場 Island Gallery
     東京都中央区京橋1-5-5 B1
     phone / 03-3517-2125
協  賛 マルマン株式会社 Canson Infinity
     フランス菓子 エリティエ
     EIZO株式会社

トークライブ
9月18日[日] ・22日[木] / 15:00 start
参加自由 入場無料

✴️ビロード革命以来、四半世紀訪問した古都プラハの最終章。
dp PRAHAって何か強豪のサッカーチームのような名前ですが、これは使用したカメラのイニシアルなのです。 / 田中長徳

2016年9月25日 (日)

ワインレッドのペトリ

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ペトリの一眼レフにワインレッドのスエードを貼ったものがこれである。もちろんこれはオリジナルではなくて誰か手先の器用な人が作ったのだ。

オリジナルの赤い革張りのカメラと言えばスイスのアルパがある。これは高級カメラだが仕上げが良すぎてちゃんとしたオリジナルにもかかわらず何か偽物っぽく見えるのはへんだ。

それに対してこのペトリのワインレッドの一眼レフは本物ではないが、存在感が非常に自然であると思う。

スウェードなので手によく馴染む。
知り合いの一級建築士が以前、スエードライカM2というハンドル名を名乗っていた。彼のライカは見たことがないがおそらくスエードが貼ってあるのだろう。
グッタペルカの革張りも悪くないが、ソフトなスエード貼りのカメラと言うのは手に対するときの感覚がかなり違ってくるのが面白い。

赤いカメラと言うと例えば赤瀬川原平さんが活動していた時期のハイレッドセンター等を思い出す。これは赤旗の赤である。だからワインレッドとはかなりその思想が違う。赤旗と言うと何か物騒な革命的な感じになるのであるが、ワインレッドは色相がちょっと変わっただけで大人の雰囲気と言うのも変だが、ゆったりした印象になるのが面白い。
それは撮影のときの気分をちょっとだけ和らげてくれるので、とても良いことだと思っている。

任意団体のニッポンペトリ党だと日の丸至上主義の右翼集団のように勘違いされてしまう。
しかし私が目指しているのは赤ワインをちょっと飲んでほろほろと歩くプラハの街角と言うのが本来の撮影の楽しみなのである。

アイランドギャラリーのプラハ展示もおかげさまで本日千秋楽。
感謝!

2016年9月24日 (土)

9/23下赤塚 ギャラリーバウハウス 大林

天候がどうもはっきりしない。

台風の後の台風一過と言う快晴の日が全然なくてくらいモノトーンの日々が続いている。そういう日はけっこう好きである。
メトロで有楽町線を北上して下赤塚まで行った。
下赤塚の駅は以前は営団下赤塚と言ったのだが最近では地下鉄下赤塚になっている。でも東武東上線の踏切の付近はいつも大混雑になっていて30年前と全く変わらない。そういう凝縮した風景はヨーロッパにはないので撮影する気になる。

持ってきたカメラはミノルタのV2である。
当時2,000分の1までの高速シャッターがついて話題になったカメラだ。駅前で350円の牛丼を食べてそのまま都心に戻って方向を転じて御茶ノ水に 行く。

ギャラリーバウハウスで開催中の水島さんのプラハのモノクロームの個展を見るためである。今回が2度目。昨日アイランドギャラリーで私はトークショーやって私が撮影したプラハのカラーの作品をずっと見ていたのでいささか視神経が疲れたのである。
それでモノクロームカラーの実際的な違いと言うのは何であるのかということが体験学習できた。

水島さんの作品でB1の最初に展示されているのがモルダウ川の川面にボートがあってそこに人が1人乗っている。ボートはゆっくり進んでいて微妙なさざ波が立っているのだ。それが実に不思議なモノクロームのプリントなのである。
ルーペを持ってきて細かく観察したのが興味津々であった。

館長の小滝さんがどうしているかを聞いたらなんと私の京橋のアイランドギャラリーでの展覧会を見るために今不在であると言う。ちょうど行き違いというのが何か滑稽でもあり真面目でもあり偶然でもあり良い感じだった。
10/1土曜日の夕刻に開催される水島さんのギャラリートークに申し込みをしてきた。

そこからメトロでさらに北に進んで千代田線で北千住まで行き、日比谷線で南千住に戻った。実にほぼ1年ぶりに大林に飲みに行った。名物の親父さんは健在であった。ここの泡盛は実に不思議なことなのだがうまい。それを2杯飲んで焼き海苔とか山かけとかつまんでまた南千住から日比谷線で茅場町までいって、そこから歩いて佃に戻った。

光は貧しかったがプラハの光とアルコールで幸せな午後であった。大林は見識のあるお店なので店内の撮影は禁止である。

それで本日は画像なし。

2016年9月23日 (金)

フォトンの正しい使い方

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ベル&ハウエルは映画撮影機の専門メーカーである。その映画撮影機は世界のマーケットを席巻していた。

その映画撮影機の専門メーカーが制作したこれは唯一のスチールカメラなのである。登場したのは1947年だから私が生まれた年だ。その価格は発売当時700ドルであったと言う。週休が35ドル位の時代の長100ドルだからこれは天文学的な値段である。それであまり売れなかったのでその数年後に価格は500ドルにしたそうだがやはりでなかなか売れなかった。

その名前をフォトンと言うのもすごい。光子、みつこではなく、こうしである。
1秒間にフルサイズで6枚上の撮影ができるので主に報道関係などに使われた。当時それだけのカメラは市場になかった。1秒に6枚以上の撮影ができると言うのはそれから実に30数年いやもっとか、経過したニコンF3まで存在しなかった。

私は今までに3台のフォトンを買ったが連続撮影などはしたことがない。もともと壱発必中のスナックシューターだから1秒間に6コマ等は不必要なのである。

私が生まれた時代1940年代後半のデザインは何と言うのかアールヌーボー崩れのデザインでそれが好きである。本体の茶色だかなんだかわからないような微妙な色相の仕上げが好きだ。

20年以上前の話だが、私が電車に乗っているときに偶然に向かいに家族連れがいた。いや家族のそのお父さんがフォトンを首からかけているのである。それも速写ケースに入っているので外見からはちょっとわからないフォトンなのである。こうい偶然がちょっとこの地球上で起こるとは思なかったので今だによく記憶している。
同じiPhoneが1つのメトロの車両を占拠するというのとはこれはかなりその確率は違うのだ。

その標準レンズはテーラーホブソンのクックがついている。このレンズはその絞りのストップに特徴があって普通の写真レンズはFストップで表示されているが、これはTストップで表示されている。
ここで説明がめんどくさいので省略するけど、要するに実際にレンズを通過するなりの強さを絞りの値に置き換えたものだ。これは映画撮影機など映画関係者が標準的に使う絞りの値であったがビデオになってたおそらく使われていないのではないかと思う。

スプリングモータードライブのスチルカメラと言うのは各社かなり苦労しているようだが、ベル&ハウエルの場合は最初からフイルムを連続的に進行させると言う映画撮影機のノーハウが生きているからその動作の安定性には定評がある。

2016年9月22日 (木)

レニングラード決死隊

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Facebookで新たにソ連製のスプリング式のモータードライブカメラレニングラードの愛好会を作った。単にレーニングラード愛好会では面白くないので、何か社会主義時代のソ連にふさわしい名前を考えようと思ってその団体の名前をレニングラード戦線とした。

スターリングラードもそうだがレニングラードも第二次大戦のときの攻防戦が非常に激しかった。実際にレニングラードつまり今のサンクトペテルブルグを取材に行ったことがあるが、最も激戦の所には巨大な兵士の戦闘モニュメントが作られている。
それは巨大なモニュメントですごい迫力だった。

それでレニングラード戦線である。思いついて佃の家から北に向かって歩き出した。
レニングラードを持っての撮影である。
そうなるとレニングラード戦線なのだから、かなり歳をとった老兵ではあるがそのミッションはレニングラード決死隊と言うことになる。

戦闘能力はかなり劣っているのは間違いがないが、何しろもうすぐ死ぬ体であるから死ぬことが怖くない。そこが決死隊の士気盛んなところである。

深川に出て富岡八幡宮から数ブロック東側の角を延々と北に向かって歩いた。これは非常にまっすぐ 北に向く通りなのであるが面白いことにコンビニとか食堂とかが一切ない。
商業と言うのは事前にマーケットをチェックして人がいないところには作らないというのがルールなのである。

それで通りに見るのは普通の住居とか小さな工場であって時々運河の上を立派な鉄の橋がかかっている。
思いがけなく地理学者も間宮林蔵のお墓に出くわした。それも不思議なのはお寺の境内のお墓ではなくて普通の家のサイズの敷地にいきなりお墓が立っているのだ。

両国の総武線のガードの下も潜ったがやはり食堂もコンビニも何もないのである。
そのままさらに延々と歩き続けた。撮影をしているから速度は速くは無い。佃を出てから3時間後に東京スカイツリーに出くわした。

東京は便利な所だというのは実は幻想であってルートを選ぶとほんとに途中で倒れそうな状況になるのである。
だからこれこそがレーニングラード決死隊の本領ということになる。

さらに歩行してスカイツリーの脇にある私がいつも暗室を借りているアウラしゃまで行って、今日は休みなのでそこの椅子に座って休憩して帰ってきた。

もちろん帰りはメトロ使った。

2016年9月21日 (水)

プラハで意識と無意識の限界を歩行する

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東京京橋のアイランドギャラリーの私の個展も中盤に入った。明日木曜日は午後3時から二回めのトークショーを開催する。

このプリントを買ってくれたのは20代の青年だそうである。非常にびっくりした。
この中に展示されている50点の作品の中で最も無意識の領域に近い部分で撮影されたのがこのショットであるからだ。

言い換えればプラハをさまよっていてほんの一瞬何かに惹かれたときに反射的に私の右の手の人差し指が動いているわけだ。
だから観光名所ではなくこれはプラハのどこにでもある路面電車の石畳の交差点の午後の光のレールの反射なのである。
それが好きになってこのプリントを購入したことがすごいと思う。

私のプリントを所蔵してくれる若い人に私が逆に覚醒させられていると言う感じなのである。
この不思議な現象は今に始まったことではなくて、つい先日も四谷のインディーギャラリーニエプスで私のプリントを買ってくれた若い人はやはり同じように私を目覚めさせたのである。

それは40年以上前のどこかの自動車教習所の横断歩道のショットなのだ。絵面が非常に悪いのでまさかこういう作品は売れないと思っていたら、それが売れたのであった。
このプラハの石畳の交差点の路面電車の クロスのポイントにも似たような要素がある。

プラハは歴史的な美しい街で私自身のそちらのほうに視神経がいってしまうのだが、一方で日曜生活に流れている私の時間と言うのは、こういうプラハの午後の斜めの光を横切って行きつけのビアホールにいっぱい飲みに行ったり、あるいはワインショップにワインを買いに行くと言うのが私の真実の時間なのだ。

もっともこの路面電車の石畳のショットにも捨てがたいところがあって、例えばこれは90度に交差しているレールの部分がよく映っているが、こんな複雑な構成物を作っているプラハの交通局はすごい仕事してると思う。

さらに不思議なのはドイツなどでは大抵路面電車はアスファルトやコンクリートの道の上にレールが敷かれているのであるが、プラハとかリスボンはその上を馬車が走っていた当時と同じ石畳なのである。そこら辺の皮膚感覚というのがやはりプラハは面白いなと思った。

でもそういうことよりも何よりも、私が非常に力づけられるのはこのような私が撮影するプラハ時間の意識と無意識のその境界線で仕事をしている、そういう視線を評価してくれる若い人なのだ。
これは非常に感謝しなければならない。

このプリントが売れたのは9月19日だそうだ。
まずは最高のあたしへの敬老の日のプレゼントと言うことだ。

2016年9月20日 (火)

9283

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東京は京橋のアイランドギャラリーで開催中の私のプラハの展覧会がある。これはプラハの市電の終点、これから出発しようとする電車のフロントを撮影したそのクローズアップだ。
見たところ何の変哲もない。ただ車体番号が9283なのである。

ギャラリーに行ったら偽ライカ愛好会の国や会長が先生、これいただきますという。
ああそうか番号は928なのかなと思った。
国谷さんはカメラやレンズの製造番号の刻印が928のコレクターである。だから私も気をつけているのであるが注意してみるとなかなかこの3桁の番号でもビンゴは少ない。千に対して1の確率ではあろう。
ところがこれは9283だから国谷さんと読める。
そうなると確率的には1万分の1ということになるのであろうか。

だから私も日常的に注意していて例えば我楽多屋さんに登場した中古カメラで末尾が928などがあるとうちの会長に連絡しておくのである。

しかし4桁というのは非常に珍しいので私もびっくりした。もちろん撮影の時に路面電車の車体番号等は全く注意を払ってないからこれは単なる偶然の産物なのであるがそういうコレクターもいるということなのである。

いつであったが国谷さんが東京のライカの会社に最新型のライカのデジタルカメラを買いに行った。その1台をカウンターで受け取る時にその番号の文字列がやはり928だった。これは凄いことである。
悪運が強いというか数字との出会いが奇跡的であると言うしか言いようがない。

私は別に鉄道ファンと言う事では無いがプラハの市電の終点が好きなのである。それはプラハの市電がループ色であるから、列車が終点でぐるりと円を描いてまたこちらに戻ってくるのだ。スイッチバック式は昔の東京の都電などがそうであったが方式として私はスイッチバックバックよりもループがすきだ。

それが永久運動に思えるのである。

だからこのワンショットは永久運動で動き続ける国谷さんと言うふうに翻訳することができる。

2016年9月19日 (月)

6月18日アイランドギャラリーのトークで分かった事

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東京京橋のアイランドギャラリーの私の個展の3日目。
例のごとくトークショーを午後3時から開催した。
昨年もカサブランカながら帰った直後に同じ日付でトークショーやっている。
さらに同じ日付で6年前に明治神宮の大きなホールで坂崎幸之助さんとゴスペラーズの酒井さんを招きしてやはりトークセッションをやったのを思い出した。

私が大阪芸大での講義は90分なのである。90分は話をしている方は一瞬だが聞くほうは大変な苦労だろう。それで今日は石島ディレクター、吉田店長と打ち合わせ をして1時間だけトークで残り時間は質問に当てた。
トークが私にとって重要なのは何が分かっていて何が分かっていないかということである。わかっている事はちゃんと話せるがわかっていないこともそれがわかっていないと言うことをちゃんと話せる。
だから別の言い方をするとトークの真実というのはその両方ではないと言うところにある。つまり私が話しをしなかった部分に真実があると言うことなのだ。
まぁここら辺は禅問答ですね。

今日も多数お買い上げがあったが、面白いのは買い上げてくださった方の前で私がその写真を撮ったときの状況説明をすると言うのは実に面白い。
要するにその写真を撮ったポイントで私が何を考えていたのかとかどういうアングルで苦労したのかということが表面的には全て忘れているのであるが、その作品を前にすると心理の深いところからいきなり浮上してくるのである。

トークショーは22日の午後2時からも開催します。

2016年9月18日 (日)

写真家は死んでからが本当の活動期に入る

普段はプラハとかパリとか東京の街をカメラを持ってふらふらしているのである。

それが9月16日と言う日には京橋のアイランドギャラリーで私の個展が始まったのでスケジュールが押せ押せになってなんと1日に五ヶ所の場所を回った。

老人が健康のためにギャラリーを1ダースも回ると言うのが流行っているようであるがスタンプラリーでは無いのだからそれはよくないと思う。

家で飼っていたザビートルズのガメ1号が9月の15日に昇天してがっくりしていたらFacebookで友人が9月の15日はプラハの巨匠ヨセフすスデクの命日であることを教えてくれた。それで気分が晴れた。Facebookの家のコガネムシの弔問は100人近くあってありがたい次第である。
金子光晴の詩集の中にコガネムシというのがあったな。

よく16日は午前11時に京橋のツアイトフォトサロンに石原逸郎さん追悼展の作品を納品に行った。
メトロで四谷三丁目まで行ったら雨が激しくなってきた。ここからは撮影なのである。でもアースダイブと言う言葉を10年ぶりに思い出して左門町から菅神社を経由して盆地に入った。

とんねるずが紹介した食物番組に登場の中華屋に入ってラーメン500円。私は野々宮とは違うからラーメンのピンポイント攻撃ではなくて行き当たりばったりにラーメンを食べる、東京ラーメンたりストなのである。
ラーメン原理主義。

大雨の中を信濃町の駅まで行って喫茶店で雨が過ぎるのを待った。
時間があるので神宮絵画館の家を見に行った。3年ぶりであった。エントランスまで行くのにマセラティの一大フェスティバルをやっているのでその中を通過して行くのが不思議な体験だった。

神宮外苑の庭園の中にある建物で東京アートブックフェアと言うのが開催されているのでそれを見に行った。タカザワケンジさんと赤城耕一さんが一緒になって作ったユニットの集団があって赤城さんが出した小さな写真集は写真家の顔をテーマにしている。

それをペラペラめくったら日本を代表する写真家の末席に私の顔写真も出ていた。末席と言うよりも最初が十文字美信さんで次が私である。ありがたいことだ。

そこで写真家をカウントしたら半数近くがすでに亡くなった方である。これは私にとって非常に重要なことで大阪芸術大学の写真作家論などでもいつも話しているのだが他の芸術家もそうであるがパフォーミングアート系でないビジュアル系のアーティストは死んでからが本番であると言うことだ。

赤城さんがそれを意識してこの冊子を出したかどうかは不明であるがなかなか面白いところを突いている。例えばロバートキャパ展で今日はロバートキャパが在廊していないと残念がるのは馬鹿である。写真家はいなくなってからが本番だということを再認識した。

アートブックフェアではTシャツで有名な那須さんとかワークショップ2bのさとる師匠を偽5プロで取材したのだがカメラの調子が悪くて何も写っていなかった。
写っているのは私が移動中のルイヴィトンのカバンの中なのである。だから真っ暗でゴソゴソ音ばかりしていた。やはり安いカメラは本番には弱い。

それから京橋のアイランドギャラリーに行ってお客さんといろいろ話をしたのも面白かった。本日9月18日は午後3時からアイランドギャラリーで私のトークイベントがある。入場無料参加自由であるので立ち見大歓迎。お待ちしています。
これが赤城さんの写真集。撮影は漂流者さん。Image


2016年9月17日 (土)

アイランドギャラリー初日

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多忙ないちにち。
京橋のアイランドギャラリーの初日。

その前に午前11時に京橋のツアイトフォトサロンに納品に行った。11月の石原悦郎さん追悼展のためのプリント。
雨降り出す。

四谷三丁目まで地下鉄で行きそこからアローカメラ方面にはいかず南の方向にアースダイブ。
須賀神社に至る。
若い連中がたくさん来ているので聞いてみたらこれはPokémon GOではなくて今流行している何とか言う映画の舞台にこの神社が出てくるそうだ。

そこから四谷のすり鉢型の地形の底まで行ったら雨がはげしくなる。
信濃町駅前の喫茶店で雨をやり過ごして神宮外苑の絵画館前に2年ぶりで行く。

絵画館に入るときにその手前でマセラティの会社の展示会をやっていた。その展示会場の中をぬけていくというのは実に効率が悪い。明治天皇の業績を誰もいない美術館の中で見て時間ちょうどに東京アートブックフェアに至る。

まずご自身のTシャツで有名な那須さんに遭遇する。それからワークショップ2bの師匠にお目にかかる。貴重なインタビューを二本5プロで撮った。後で見たら何も記憶されていない。ここら辺が安い機材は信用できない。

5時前に初日の京橋のアイランドギャラリーに到着。すでに多数のお買い上げまことにありがたい。来場者さんとプラハの話をする。

2016年9月16日 (金)

ミノルタV2のケースの犬の耳がデカイ件

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ミノルタV2。
このカメラも昭和30年代の製品である。当時は2,000分の1秒が使えると言うので話題になった。レンズシャッターは500分の1秒までの時代だから大変な宇宙時代だったわけだ。

このカメラの操作感覚というのは面白くて金内使用していると巻き上げレバーが指に痛かったりする。
使いにくいのだが一旦フイルムを装填すると実にバランスよく撮影が出ている。巻き上げも適度なトルクがあるし何よりも魅力的なのはフイルムをを巻き上げるときのパーフォレーションに噛み合う音がちゃんと確認できるのである。
こういうすごいテクニックはライカやコンタックスにもない。

先日は十条仲原あたりを撮影に行ってフイルムを二本持っていったが、あっという間にそれを撮り尽くししてしまった。
たくさん撮れるカメラが良いカメラとは言わないが、たくさん撮れるカメラは悪いカメラであるはずはない。

注目すべきはこのエバレデイケースなのである。30年代これは1,930年代ではなく昭和30年代のこと。あの当時のカメラケースはライカのそれでももうボロボロになったり、ストラップが切れたりしている。
ところがこのケースはそうでは無い。
真剣に作られているのである。

カメラケースとストラップをつなぐアイレット、俗ににわれわれは「犬の耳」と呼んでいるのだがそのサイズが尋常ではない。
おそらく世界で最大のネックストラップアイレットとしてギネスブックに出そうだ。

«錦鯉とソ連製レンズ

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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