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日本路地裏学会

ごあいさつ

  • リニューアルのごあいさつ 「 PEN PENチョートクカメラ日記」へようこそ!! チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  

富柏村

  • 富柏村
    かなりハードで、しかも優雅。香港に行くより面白い!

今日マチ子のセンネン画報

  • 今日マチ子
    多摩川を描くのはつげ義春さんとばかり思っていた。 GRDが登場する。

2012年1月31日 (火)

使いこんだXZ-1に美学を感じる

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今回のプラハ行きは、さかい写真研究所のさかい所長の、向こうでの個展というサポートがあったので、最初の1週間は目のまわる忙しさだった。
それで首からXZ-1をぶら下げて行った。まるでツーリストのじじいであるが、これが案外に快適だった。
ペペンペンだとやはり高千穂の銘機であるから、作例を撮影してやるぞ!(最近のtwitterの書き込みでカメラ女子が猫連を撮影したくず写真を皆さん、自分の作品と呼ぶのはやめて欲しいという投書に禿同、我ら「作例写真家」はもっと作例にプライドを持とう!)と、意気込むのが良くない。

その点、XZ-1は気楽に肩の力を抜いて撮影できる。昨年の3月のマンハッタンでも雨の中をXZ-1を裏返しにぶら下げて撮影して、好結果を得た。

あたしのXZ-1はご覧のように、最前線から戻ってきたような状態である。ベルクロは昨年の3月のマンハッタンで貼った。これはハンドリングが良くなるのであるが、この前、ヒルズで打ち合わせをした時、高千穂の偉い人の前ではロゴマークが見えなくなっているので、ちょっと心配した。高千穂光学は大事なお得意さまである。

しかしこういう高性能のコンパクトカメラは最初からレンズ交換できないから、あたしのようにラフに使う「都会戦場カメラマン」には最初からゴミの入る心配がないのが良いが、メーカーさんにしてみればレンズ交換が出来ないとご商売にならないのであろう。

この前、プラハのP(あたしの銘機礼讃に登場する、ハベル大統領の友人)が新しいフジのレンズ交換式のデジカメに興味を示していた。だから「実際の現場ではレンズ交換など煩雑だから、その前のモデルのレンズ交換の出来ないのがいいのでは」とサジエスチョンしたのだが。

2012年1月30日 (月)

新潟行き

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インチョン空港関係のニュースで「東洋最大の免税店」とか言われていたので、その印象は否定的であった。大体、免税店で何か買おうなどという「先進的」な欲望はあたしにはない。大昔は海外の取材に行って、おみやげは「舶来ういすき」というのがあった。
80年代に家人とウイーンに行って、その帰りにはおみやげのういすきを一人三本枠のめいっぱいだから、合計6本買った。
あまりに重いので、京成上野のコインロッカーにいれたまま、忘れてしまったことがある。

空港での免税の興味はとうにうせているが、最近の欧州行きでは「同行二人」のライカインコがいる。こいつはまだ海外旅行が新鮮なので、あたしがラウンジで麦酒を呑んでいるとその間に「ペット用の免税店」に飛んで行って「免税の鳥の豆」などを買ってくる。この免税店は普通の旅客には見えない。これはペットロス専門の店だならその方面の人には見えるのである。

あたしの現実の空港の観察の楽しみは搭乗口で思いもかけぬ行き先を「発見」することだ。
新潟行きがあるのは、インチョンはハブ空港であるから知識では知っていたが、実際に目の当たりにすると、目の醒める思いがした。
昨年の夏に急用で新幹線に飛び乗って新潟の家人の実家に「雨が降って来たので、閉め忘れた二階の奧のピアノ室の窓」を閉めに行ったのである。
そのことが思い出された、今度のこの飛行機に飛び乗って新潟に行かねばならぬと思い込んで見るとなかなか、その搭乗口に「近親感」がわいた。

新潟空港はあたしの「地球規模の演歌」(この話は新刊の屋根裏プラハに書いた)の中でも重要なポイントなのである。1970年代の新潟空港も080年代の新潟空港も、あたしの写真集「東京ニコン日記」「ウイーン ニューヨーク 新潟」に収録されている。
新潟の家に滞在して、新潟人になった気分の所で、インチョン経由でプラハに行ったらまた面白いであろう。

2012年1月29日 (日)

ソウルインチョン国際空港

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仕事と生活の関係でエアポートは日常の一部になっている。北井一夫さんが欧州の撮影に見えるので、当時、ウイーンからパリに到着する北井さんを迎えに行ってそれから欧州を旅行したのは1970年代の後半であったが、なんでも北井さんは空港が苦手でどこを歩行しているのか、分からなくなるのでアシストが必要なのだそうである。こういうのを「空港音痴」というのであろうか。

これは空港内でそこここにある、膨大な看板やサインを全部見て自分をコントロールしようとするせいである。到着したら、出口だけを目指せば良いし、乗り換えならトランジットだけを目指せばいい。

実は大韓航空は36年ぶりに利用したのだ。こう自分で書いて吃驚している。前回は1976年の夏に当時、「現代日本写真家展」のドイツでの巡回展の為に日本に行った時の帰りの便が大韓航空だった。帰りはチューリッヒで乗り換えて、スイス航空でウイーンに戻った。

その当時の金浦空港と今のインチョン空港を比較するのは無意味であるが、やはりカメラはクラシックがいいけど、エアポートは新しい方が良い。

感心したのは、韓国語、英語、中国語と日本語のそれぞれの案内がボードにでることだ。今では当たり前かも知れないが、何時も使っているアエロフロートでは、露西亜語と英語のみなのでその多彩さに驚いたのである。

2012年1月28日 (土)

「屋根裏プラハ」の表1と表4

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プラハから戻った翌朝の午前中に、新潮社のある矢来町の界隈を歩行した。極東の真冬の朝の光だ。建物がすべて小さくて、うすっぺらでまさに「一晩で出来た町」の印象がある。まず、神聖ローマ帝国の帝都と比較する方が間違っている。

文芸編集第一の佐々木さんと会って、プロモーションの予定を打ち合わせ。献本の10冊を受け取る。帯のダークなバックに銀の文字がプラハしている。

カバーを外して、初めて本体の表紙を見た。あたしが普通に表紙だと思っているのは、実はカバーなのであって、本体の本物の表紙はその裏に隠されている。
その業界用語で言う、表の表紙、つまり表1だが、これはプラハの中心部の建物のエントランスの上の「初期の飛行機」のレリーフなのである。

これを撮影したのは1985年のことだから、ビロード革命の4年前だ。恐らく20世紀初頭のまだ航空機が新時代の象徴であった時期に「時代を先取り」して、期待の20世紀の象徴をここにレリーフしたのであろう。

ところが実際の20世紀は実は、航空機による大量殺戮の時代になってしまった。
この建物が好きで、この数年は思い当たる街角を探しているのだけど、どうしても発見できない。

さて裏側、業界用語でいう「表4」だが、これは最近、あたしの凝っている、プラハの東部のZizikovの街区にある、包帯屋のウインドウである。ここは今回のプラハで確認したらとっくに別の店になっていた。

ようするに、この二葉の写真は1985年、つまり革命前の「古き良き赤いプラハ」の遺影なのである。カメラはプラウベルマキナプロシフトだった。百貨店MAJの写真機売り場でチエコ製のモノクロフィルムを確か300本まとめ買いしたこれは成果であった。当時は統制経済だからモノの値段はどこで買っても同じなのである。

今回の本ではその装丁がなかなか効いている。これは「新潮社装丁室」とあるが、田中さんという女性の手になるものだ。彼女の感覚はいい。

なにか昔の写真が退色したような銀の感覚がそこにはある。この画像はデジカメで分かり易くする目的でちょっとコントラストを上げてあるが、本物はもっと高級感覚のある、薄墨の銀色だ。実際には銀のインクは使っていないのだがそういう印象があるのは凄い。これは11x14インチのゼラチンシルバープリントが原稿だ。カバーの写真も同じである。

装丁室のスタッフのなんでそんなことを知っているのかと言えば、新潮社の新館のグリルで、文芸第一編集の佐々木さんと打ち合わせの時に、たまたまセルフサービスのグリルの列に並んでいた、田中さんを紹介されたのである。さらに本書の印刷の担当も、印刷会社の田中さんなのである。
だから「屋根裏プラハ」は三人の田中が制作した本でもある。

2012年1月27日 (金)

ニコリテスリーの窓

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新潮連載の「屋根裏プラハ」の第一回にアトリエの話を書いたのである。そのゲラに、新潮編集長の矢野さんが「いいです!」とエールを送ってくれたのが嬉しくてそのセンテンスは今でもはっきり記憶している。

「屋根裏の窓は世界に開いている」

これを褒められたのが嬉しかった。事実、このエレベータもない戦前の屋根裏の部屋から見ることの出来る「視覚世界」はこの窓だけだ。矢野さんはあたしは「矢野文章塾」と命名させていただいたのだが、足かけ3年間に文章を教えてもらった。なにしろ、ずぶの素人がいきなり「新潮」で連載を開始したのは、矢野さんの賭けであったのだろうが、かなりはらはらされたのではないかと思っている。

この窓はアトリエの窓であるから北側を向いている。これは採光は最高である。東京などでも最近は自然光は流行であってそういうスタジオはそれなりのレンタル料をとる。あたしのアトリエはねんがら年中、自然光だ。

向かいの建物はプラハに唯一のスターリン建築である。当時はホテルインターナショナルと言った。それが革命以降にはホリデイインとなり、伝統の赤い星が緑になった。その後、他のホテルチエーンとなって、星は緑から黄金になった。まず黄金都市プラハならこれで良いわけだ。

しかし今回、その星を子細に見たら、以前は夜には赤い星が光っていたのが、最近は灯りを消してある。

2012年1月26日 (木)

カフェスラビア

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★本日の夜遅くに東京着予定。

モルダウ川ぞいの国立劇量の反対がわの角が、カフェスラビアである。

ビロード革命の前にはこのカフェには良く行ったものだった。それがこの20年来は行かなくなった。その理由は不明だけど考えるに、あたしのプラハでの「立ち位置」が居住者でもなくツーリストでもないとくことにその理由がありそうだ。

しかし、今回はさかい所長と行ったので、さかいさんはプラハは初めてだからこういう「有名カフェ」に行ってもいいと思った。

その前にこのカフェスラビアに何時に行ったのかは案外によく記憶していて、ビロード革命の直度に行ったのである。その時に、このカフェでブロンドの女性の後姿を撮影したのが最後であった。

このカフェの前をおよそ、8系統ほどの市電が通過する。ここはプラハ市内の交通の要所である。かのヨセフ・スデクもここの角をコダックパノラマカメラで季節を置いて撮影している。確か見開きの右は雪景色で、その対向頁は初夏であったような記憶がある。

この席に座って市電を見ていると、かさに1分ごとに電車が来る。しかし実際に停留所で待っていると、20分もこないことがある。

 

2012年1月25日 (水)

宵越し麦酒

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★本日移動日。プラハ インチョン 成田

31日に発売の「屋根裏プラハ」(新潮社)のエッセイ集17章の中の、最初の章はあたしのアトリエの貧乏自慢である。まずエレベーターがない。これも20数年前は楽であったが、還暦になるとその階段の段差が増える。
数年前まであった電話は廃止して、ケーブル接続になったので面倒な電話はかかってこない。
これは貧乏暮らしではなくシンプルライフの楽しさが書いてあると言い換えた方がいい。

その中で、あたしの貧乏自慢の白眉は、宵越しの麦酒である。よく人物を評して、宵越しの麦酒のような奴といえば、これは日本ではかなり否定的な意味であろう。
チエコ語にはそういう言い方があるのかないのかわからないけど、個人的な見解を言えば、プラハの麦酒は一晩経過した翌朝が一番うまいと思う。
日本の麦酒もこれからの方向を模索するなら、有名人の起用より「宵越しの味が違う!」とやった方が良い。ただしこれは膨大な時間と開発費がかかる。この愛用のブランドだって、創業は1581年である。

これは「屋根裏プラハ」の中では東京から到着して疲れ果てて、飲み残しの麦酒を翌朝に呑んだらうまかったという話になっているが、たしかにその時にはそうであったのだけど、夜の麦酒を一杯やった時に、あたしは翌朝の為にコップ一杯分の麦酒をデスクの上に置いておく。
これは深夜にプラハの見えない「精霊」たちへのおごりでもあるのだけど、そういう精霊連が呑んだあとの麦酒はまた格別にうまい。
吉田健一は朝麦酒のうまさを書いているが、宵越しのそれではないと思う。

ただしそれには条件があって、やはりプラハのアトリエは24時間暖房が効いているのでそういう楽しみがあるのである。
東京のすきま風と冷え切った部屋では、まず麦酒以前の問題である。

2012年1月24日 (火)

路上のオブジエ

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普通のプラハっ子なら、もう何年もカレル橋は渡ったことがない。あたしもそうであった。

しかし今回はさかい写真研究所の展覧会があったので、案内で何度かそこを渡ったのである。そこで大学の後輩の木村君(仮名)に遭遇したりでまさに吃驚した。

ただし観光地で知り合いが遭遇することは、よくあることで70年代のカメラ毎日で「すれ違うアメリカ」という特集、これは山岸章二さんが企画したのだけど、日本の有名写真家のKとAとが偶然に出会うというのがあった。しかもその場所はアメリカの有名な観光地グランドキャニオンなのである。

せっかく木村君〔仮名)に遭遇したので、そのことをブログに書いたら、岡山固執堂の十文銭銀水からコレスポンダントが来た。この数年、岡山固執堂の「査察」に行っていないので、「袖の下」としてうどんを送るように言ったら、うどん国の高松とうどん好き国の岡山と二個口のうどんが届くことになった。

さて、名所旧跡には行かないあたしだが、上の画像のような路上のオブジエを観察してプラハ観光の楽しみにしている。

上のやつは、何かの自販機か、トランスのようなものが、梱包してある。ミニクリストアートというところ。

下の方は、看板の剥がれである。ハリーキャラハンが撮影した、シカゴのポスターの剥がれが有名だが、プラハのもそれに劣らぬ芸術だと思う。

2012年1月23日 (月)

「屋根裏プラハ」(新潮社刊)は本日発売です。

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田中長徳



住民でもなく、旅行者でもなく。この街に長年アトリエを構えてきた写真家が「屋根裏」からの視点で綴る、プラハをめぐる17の断章。街がくぐりぬけてきた過酷な歴史と、変わりゆく人々の姿。独特のユーモアの間に、街と人への敬意が滲む、個性溢れる名エッセイ。

発行形態 : 書籍
判型 : 四六判変型
頁数 : 288ページ
ISBN : 978-4-10-331731-9
C-CODE : 0095
発売日 : 2012/01/31

 
雑誌から生まれた本
新潮から生まれた本

    2,100円(定価)  

ーーーーーーーー以上は新潮社のHPから。http://www.shinchosha.co.jp/book/331731/

この「屋根裏プラハ」は、あたしがこの20年余、プラハで一体何をしていたのか?その存在証明でもある。

ビロード革命の最高潮の時、1989年11月末に取材中のプラハからあたしはリスボンに「脱走」したのだった。理由は不明だ。なぜ革命の最終段階で逃げたのか?その事を思いだそうとして、あたしはこのエッセイを書き出したようなのである。しかし赤旗が倒れる最後の瞬間だけは、あたしは見届けたつもりだった。

あれから22年が経過した昨年末、ビロード革命のヒーロー、バーツラフ・ハベル氏の訃報にリスボンで接した。寒くて熱かったあの11月の最終の日々がフラッシュバックしたのである。

今度のプラハ訪問で、故ハベル氏の肉親の方々に会うことが出来たのも、不思議な縁と言う他ない。先日、ハベル氏を偲ぶ会がビロード革命ゆかりのバーツラフ広場のルツエルナパレスで開かれ、そこには4000人のプラハ市民が集った。

新潮本誌に20回にわたって連載された全20章のうちから本書には17章を選んだ。取材と執筆でこのあしかけ三年間、プラハと東京の永久運動とも思える行き来が続いた。それが還暦過ぎのあたしの思索と活力の源泉になったと思うと実に不思議な感がある。

「屋根裏プラハ」の中の章には、アトリエでカメラを閲兵式めいて整列させるシーンがある。クラシックカメラ店の話の話がある、ヨセフ・スデクの話もある。そう、カメラエッセイも沢山入っている。

中でもエッセイの狂言廻し役として、本書では「ペンデジタル」が重要な役割を果たしている。この足かけ3年の時間は実はペンとプラハを往復する日々でもあった。

沢木耕太郎さんが1/27発売の「波」の2月号で「屋根裏プラハ」の書評を書いてくださったそうだ。新潮本誌4月号では池内紀さんが書評を書いてくださる。
実に有り難いことだ。

本書の刊行記念として、2/11または2/12には福田和也さんとのトークイベントもある。(場所は決まり次第告知)

それと同名の写真展「屋根裏プラハ」が2/11から京橋のアイランドギャラリーで開催される。あたしの二月は「屋根裏月間」になりそうだ。

1/23プラハ。
NIKOLY TESLY の屋根裏部屋にて記す。

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                  新潮社出版部文芸         
       
     
 
田中長徳著『屋根裏プラハ』、本日見本ができました。カバーに使われている二重露光の写真は、偶然こうなったのだそうです。つい見入ってしまいます。プラハ好き、写真好きの方はもちろん、歴史好き、機械好き、乗り物好きにもたまらないエッセイ集です。

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おかげさまで、「屋根裏プラハ」のスタートは好調だ。
沢木耕太郎さんが「波」二月号(新潮社)での書評は見開きの2頁ではなく3頁で絶賛してくださった。実に嬉しいことだ。
タイトルは「孤独な散歩者」。http://www.shinchosha.co.jp/nami/newest/

福田和也さんとの対談は2/11を予定。場所は六本木になる予定だが、正式に決まりしだいお知らせ。

アマゾンでは1/29の午後4時で本のランキングで1777位。トリプルセブンのラッキーナンバーだ。これも有り難い。
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★沢木耕太郎さんの「波」の書評。「孤独な散歩者」Kodkodokuo

アトリエの朝食

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1989年以来、プラハのアトリエに居る時にはこんなものを朝に喰っている。似たような献立が、大昔、エプソンRD1の写真集のトップに掲載された。

あたしの健康を気遣ってくれる方面から、朝に卵の3つは食い過ぎと言われて、以来、2個にしている。ただしこの3個の卵は先週の1週間のホテル暮らしで卵がなかったのでその反動である。

この「屋根裏プラハ」の屋根裏部屋は5年ほど前に改築して天窓が新しくなった。その時に工事の人が入って、十数年来、愛用の焼き込んだフランパンは、ゴミと間違われて捨てられてしまった。

それで新しいのを入れたが、それも数年経過してようやく、サニーサイドアップに馴染んできた。

トルコスタイルの粉を入れただけでかき回して、珈琲の粉を沈殿させる奇習はウイーンでは廃れてしまったが、ここではまだ生きている。珈琲の味を周辺まで楽しむにはベストだ。これでないとプラハの朝が始まらない。

«ヨセフ・スデクの家

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  • 日本グッドデザイン賞2011をペン3が受賞
    ★PEN3受賞対象の概要 OLYMPUS PENはポケットに収まる万年筆のように、誰もがいつでも携行できて気軽に写真を楽しめるレンズ交換式デジタルカメラ。E-P3は使う人の意思を込められ ることで圧倒的な好評を得ている「ライブガイド」やアートフィルター機能を更にブラッシュアップ。その上、ダイレクトインプットが可能なタッチパネルを搭 載。いたずらにオールタッチ操作とするのではなく、システムカメラを使うユーザーが一番使いやすいインターフェイスを新たに開発した。質感の良さで好評の 外観も持つ歓び、操作する楽しさを味わえるレベルに進化させた。

お知らせ

  • penpenpen
    ★カメラグランプリ2010実行委員会は5月20日、カメラグランプリ2010の「大賞」および、「カメラ記者クラブ賞」「あなたが選ぶベストカメラ大賞」の受賞製品を発表した。選考対象となったカメラは、2009年4月1日から2010年3月31日までに国内で新発売された199機種。 ★「大賞」に選出されたのは、オリンパスのマイクロ一眼「オリンパス・ペン E-P1」。 ★一般ユーザー選考による「あなたが選ぶベストカメラ大賞」でも、得票数1位を獲得した機種は「オリンパス・ペン E-P1」となった。

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カメラは詩的な遊びなのだ

  • カラー版 カメラは詩的な遊びなのだ。 (アスキー新書) 買ったきっかけ: あたしの書いた本なので、著者購入本として買いました。 感想: これからはカメラテクニックではなく、カメラを手にしての「生き方さがし」と「生き甲斐さがし」が重要。そこをポイントに。 おすすめポイント: カメラで遊ぶことは、詩人になること。同時に金魚救い(掬いではありません)の達人になること。 アイフォンとデジカメの位置関係に関しても語ってます。デジカメとスマートフォンユーザーにおすすめ。取説に書いてないこと。 カラー版 カメラは詩的な遊びなのだ。 (アスキー新書) 著者:田中 長徳

セミナーイベント「写真の境界線」 --- Ceci n'est pas une photograph