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🐦❤️ 6月10日ブラパチワークショップのご案内です😎

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1969年300倍の競争率で日本を代表する広告代理店に入社しました。広告写真家をしながら写真作家で未来を切り開こうと思っていましたが3年で挫折。逃げるようにオーストリアウィーンに逃亡。10回目のブラパチワークショップは3年間の銀座の夢と現実を検証します。😎

2018年5月23日 (水)

ベトナム航空の新型飛行機に乗る

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ベトナム航空の最初の体験は20年前に広州からハノイに乗ったのが最初だ。その時に漢字表記が河内と言うのでびっくりしたのであった。

エアバスの350は日本の航空会社も導入していない最新型である。この個体はスカイチームの塗装であってbrand-newだ。1年も飛んでいないのである。航空会社の業界紙を見たら
A350のってわかったその魅力
とキャッチフレーズがついていたがこれは安っぽくていただけませんね。

4時間ほどの飛行であるから楽である。16aと言うバルクヘッドを使った。これには仔細にがあってチェックインの時にハノイの係りの人はバルクヘッドを知らなかったので説明してあげたのである。その前に通路側の非常口座席をリクエストしたら60歳以上はそこには座れないと言うのである。法律ですときっぱり言われた。レスキュースタッフの資格としては70歳は無理なのである。これは若い国だなと感心した。
ベトナム航空が西側の航空会社の悪い影響を受けてきたら将来ここをKLMオランダ航空のように100ユーロで販売したりすることになるのであろう。

それで久しぶりにバルクヘッドを堪能した。クラスの最前列と言う意味だ。

羽田に到着してラゲッジベルトの前でびっくり仰天。私の荷物にはクライムタグがついていない。飛行中にはがれるものでは無いからロストバゲージにならずによく到着したものだと感心する。おそらく係員が私のバルクヘッドの講義を聞いてそちらに気をとられてタグをつけ忘れたのであろう。

2018年5月22日 (火)

ディエンビエンフー昨日行ったところ

ディエンビエンフー昨日行ったところ

インドシナ戦争のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が最後まで戦っていた地下の防空壕である。
ベトナムの歴史的な写真でベトナム軍がかまぼこ型の屋根の上に乗ってフラッグを振り回している写真があった。なんのことかわからないが現場に行ってみるとその意味がよくわかった。

日本の場合は敗戦国であるからこういうランドマークは存在しないし作りにくい。それに日本の場合はネズミ猿などがエンタメの基本になっているから方向がかなり違う。ハノイから若者がたくさん自分の国のプライドを再確認するためにこの歴史的記念物に来ていた。持っていたカメラは全部スマホである。気楽にムービーを撮っている。ホーチミンみたいな日本人の爺が地下から出てきたので人気になって彼らの記念写真に収まった。Ded1aa4489e046249bac8648d547a652_2


2018年5月21日 (月)

Bokekokkoをともとして

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本日移動日。鼻炎鼻炎風からハノイの空港ホテル。
そこら中にニワトリがいるので退屈しない。それぞれの鶏の声はそれぞれの声紋があるからどこの誰かがちゃんとわかるようになった。午前3時ごろには金子光晴が南方旅行記で紹介している特権となくトカゲも加わって賑やかである。

かつて佃島にボケこつこというチャボがいた。25年前の話だ。お母さんが子供を連れてきてほら鶏よと説明してるのでこいつはいつも文句を言ってた。違いますチャボですと言うのである。
そのなき方の声がボケ高校と聞こえるのだ。

その同じ鳴き方の鳥さんがたくさんいて71歳おきなはボケ高校を友としているわけである。

このホテルに置いてあるビールのブランドはホーチミンのそれである。私はハノイビールが口に合っているので河の側の茶店でようやくハノイビルにありついた。

2018年5月20日 (日)

眺めの良いブレックファースト

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宿泊しているホテルは7階建てである。7階はレストランになっている。
目の前を川が流れている。インドシナ戦争の激戦地である。国木田独歩の話を話を引用すればこれは武蔵野に出てくる小手指ヶ原の古戦場と言うわけだ。

ホテルは結構ゲストが入っているようだがブレックファーストの客は私1人である。ベトナム人は近くのカフェに行ってしまう。私は外国人旅行客であるからブレックファーストのバウチャーを持っているのでこういうことになっている。イスタンブールの定宿であったホテルは迎えにはブルーモスクで左隣が最高裁判所と言う変な場所であった。それで3階建てのトルコ風木造建築であった。最上階が新設されてそれが展望レストランになったのでそこでブレックファーストを取りながらブルーモスクの先に丸まら海を見ていたことを思い出した。

毎朝7時ごろから川べりにバイク屋自転車の人がたくさん集まっている。元気の良い軍国鳥のマーチが流れていたりする。社会主義国の国に来たと言う実感がある。
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2018年5月19日 (土)

フィリピン製のウォッカとベトナム製のハム

河野側の大きな市場に行ったのだがちょうど昼休みで市場が全部閉まっている。うどんを食べることもできわない。

Google マップで街の反対側のスーパーマーケットを仁間探していたら2つとも撤退している。
それで路上で売っているおばちゃんからフィリピン製のウォッカをかった。別のおばちゃんから豚の膝の肉のハムを買った。ドイツではあるけども日本では手に入らない皮付きのハムである。

これは肉そのものよりも皮の方がうまい。それで皮を小さく切ってウォッカのつまみにしている。何かライカのカメラのストラップを食べているような気がする。Img_7027_3


2018年5月18日 (金)

ディエンビエンフーの戦場カメラマン

フランスがインドシナから撤退することになった最初の大きな転換のポイントは1953年のディエンビエンフーの戦いだった。

1953年と言えばライカカメラで言えば3cの時代である。
今回持ってきたライカカメラは60年代初めのものであるから時代からすればちょっと間違えてることになる。
まぁここら辺は厳密にする必要は無い。戦場カメラマンが1番使うレンズは50ミリと135ミリの交換ルーズであると昔何かで読んだことがあった。

それを真似して135ミリの望遠レンズを持参した。よく映るヘクトールはうつりすぎて恐ろしいと言う評判が立つレンズだった。

他に21ミリのレンズも持参したから今回のアウトフィットは極めて標準的な21ミリ35ミリ135ミリと言うセットになった。
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2018年5月17日 (木)

今夜は河内の空港ホテルで

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エアポートホテルは250ドルが相場。ここは15

2018年5月16日 (水)

本日移動日 羽田ハノイ ハノイ鼻炎鼻炎風

フランスがベトナムに対して最初の敗北を喫した古戦場。
ハノイから飛行機の連絡が悪いのでハノイのエアポートホテルに行き帰り宿泊する。Img_6958


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2018年5月15日 (火)

変わらない風景。東京カテドラル。

変わらない風景。東京カテドラル。Faab90d3460b4a5fab9bda656f10b6cc

日本カメラの私の連載と企画が連動している月一回のブラパチワークショップである。
第二日曜日の午後1時からスタートしている。今回は東京カテドラルに出かけた。と言うよりも日本のメタボリズム建築のおさらいをしたかったと言う意味もある。

私が生まれた文京区音羽5丁目2番地はまず東側に菊竹さんのスカイハウスがあり音羽通りを隔てて西には丹下さんの東京カテドラルがあった。人間の存在で1番不思議なのはその生まれた時間と場所を本人は設定できないと言うところにある。だからこの私が人生をスタートした場所というのが実に不思議でならない。

スカイハウスのほうは1957年に完成している。当時の文京区音羽は普通の黒いかわらぶきの屋根ばっかりだったからこのコンクリート打ちっぱなしのテーブルみたいな建物は廻りをびっくりさせた。

ルコルビジェ風の建物が世界中に氾濫しているがこのモデルはその1番最初の一例なのである。

丹下さんの東京カテドラルは住居ではないからもっと自由な設計がされている。1971年の12月14日にここで私は結婚式をあげた。だからもう47年目が経過したのである。
カテドラルもかなり老朽化したからいちど大改修をしている。

私の好きな稲垣足穂は戦前にこの関口教会に公教要理の勉強に通っていた。幼きイエズスの春に
が そのタイトルである。稲垣の文章読んでいると当時のこの界隈の鬱蒼とした空気が感じられて懐かしい。もちろん当時はカテドラルはステンレスではなくて普通の教会であった。

1,964年にカテドラルが完成した時私は許可をもらって多量の写真を撮影した。その数年後に当時の土井枢機卿様がバチカンを訪問すると言うので私の写真を持っていかれた。
だから私のカテドラルを撮影した写真は今でもバチカンのどこかの書庫に忘れ去られて保管されているはずである。それがあと2000年ぐらい経過してから発見されたらまた面白いことであろう。

2018年5月14日 (月)

ハノイのビアホール

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ハノイのビアホールはリラックスできる。不思議なのはハノイの人間と一緒に行くと彼らはおしっこに立つのが普通のペースなのだ。一方私は外国人だからどんどん汗になってしまってトイレには立たない。この違いがあの違いなのですね。

ハノイ中央駅の西口から徒歩1分ほどにあるこのビアホールが好きである。5年ぶりに場所が1つ隣のビルに移動していた。そして売り場面積は5年前よりが狭いスペースになっていた。

実に不思議なのはベトナムの首都でしかも駅から1番近いビアホールが非常に小さいと言うことである。その理由がどうもわからない。黙って座ると明るいグリーンのビアグラスにいっぱいのビールを前に持ってきてくれる。それと南京豆である。育ちの悪いような小さな皮をむきにくい豆なのだが残りを持ち帰って家人に味わわせたらこれは昔の南京豆の味がすると言うのである。そんなものなのかと思った。

ハノイの大田区東雪谷5丁目は駅から6キロぐらい南にあるのでここまで歩いてきてビールは2杯だけにしてまた歩いて戻った。私は歩きすぎる癖があるので帰りに目的地のアパートメントより先のほうに歩いて行ってまた戻ったのでかなり時間がかかった。途中のスーパーでミルクを買ってそれを飲みながら戻ったのである。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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