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🐦 8月のアイランドギャラリーでの個展のお知らせです。
44年間歩き続けた古い都の ぶらパチ写真 の集大成です。
会期中に2回私の散歩術の方法と哲学のトークを開催します。入場無料です。詳しくはギャラリーまでお問い合わせください。冬に撮ったので暑気払いの効果もあります。
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2017年7月22日 (土)

宝田久人写真展ギャラリーシリウス ベルファストのくわえたばこの少年

ベルファストのくわえたばこの少年Img_3780

最近ギャラリーバウハウスで非常に有意義なAtgetの写真展をやった稲垣さんから新宿のギャラリーシリウスで7月20日からスタートした宝田の写真展のレセプションに案内された。

稲垣さんはなくなった宝田のアシスタントを長く勤めていたのである。新宿のギャラリーシリウスと言うのは2001年にできたらしいが私はギャラリーには行かない主義だから全く知らなかった。そこで宝田の20歳代の仕事を見た。

見てびっくりした。
私は世界中でおそらく1,001以上のギャラリーとかミュージアムは回っているはずであるがとにかくプリントのクオリティーが高い。
宝田の外見の印象からすると細巻きの葉巻をくゆらせらせている正体不明のじじいなのであるがこういうGJからどうしてこんな素晴らしいプリントが生まれたのかびっくりしてしまう。

荒木もそうであるけれど宝田にも何か東京人独特の実はシャイなのだが外見で突っ張るようなところがある。それはそれで良い。それよりはるかに重要なのは宝田の仕事は素晴らしいことであった。

スナップシューターとしての宝田のレベルと言うのはオランダの写真家江戸バンデルエルスケンと同等なのである。しかしエルスケンの方が政治的な嫌みをその背景に持っているからわずかの差で宝田が勝っているということを発見した。

これはレセプションでの大発見だった。

彼が撮影した場所は世界中に及んでいるのが1番感心したのは当時の世界の東西とか南北問題など最初から全く無視して ただただ単に素敵な人間の笑顔にアプローチしている点にある。そこが素晴らしい。
民族も国家も一切なくなったように見えるのが素晴らしい。

70年代の写真家の仕事と言うのは評価されるのは政治的な視点に目覚めているということにあった。ところが宝田の場合はもっともっとレベルが高いので最初からそんなのは問題にしていないのである。

例えばロバートフランクは深い意味ではユダヤ人の問題に肉薄した結果写真集アメリカ人を出したわけだがそういうのも宝田の場合は無視している。つまり無味乾燥あっけらかん合法磊落なのである。

ベルファストと言えば丼マッカランなどが撮影して死ぬか生きるかの大変な戦争大都会なのであった。
ところが宝田の3人横並びの少年のショットはそんな事はどうでもいいと言うような視点なのである。
そのフレキシブルな感じがとても良いと思った。

左に立っているくわえタバコの少年に私は恋をしたのであるが複写させてもらってクローズアップするとどうもくわえタバコではなくてボールペンにも見える。

でもそれは大した問題ではなくて少年のくせにボールペンを口にしてタバコのように見せると言うのは本当の男であろう。
アシスタントの稲垣さんで思い出したが私が尊敬する稲垣足穂の場合大手の出版社に著者写真を頼まれてボール紙を丸めて作った葉巻を口にくわえている。母でなアロハシャツはこれは奥さんからの借り物だったそうだ。

今見るべき重要な写真展である。
宝田が偉いのはいわゆる功成り名遂げた写真家になる道を選ばなかったところにある。

伝統文化継承者とか人間国宝になってしまってはおしまいである。

写真展は 7月26日まで。

2017年7月21日 (金)

新東京人 虫取りの夢

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私の中学での将来の夢は昆虫学者になることであった。
大体小学校の図書館にはアンリファーブルの昆虫記があるからこれは伝染病のようなものである。

結果としてならなくてよかったのだが中学校の時に文京区の音羽の自分の周囲の甲虫の生態を調べて東京は上野の国立科学博物館の大ホールで発表会をしたのである。

当時の文京区の音羽の谷を中心に小日向そして関口はまだ明治時代のクヌギの巨木などが残っていてそこには昆虫がたくさんいた。

ちゃんとした発表会用の資料も主催者が用意してくれた。そのスライド発表はモノクロームのミニコピで父親が複写してくれた。

尊敬している昆虫学者は加藤正世さんと言う人がいてその人の主催する集まりなどにも顔出していた。
その時の加藤先生は既に昆虫採集は半ば卒業して昆虫の写真を撮影しておられた。

朝日フレックスに大きなベローズをつけて金属三脚に乗せて色々と取るのである。
私は3本つないで長くした捕虫網を持って野山を駆け回るほうがはるかに面白いと思っていた。つまり当たり前の中学生である。

お付き合いのあった写真家で昆虫に詳しいのは大倉瞬二さんであった。1976年にヨーロッパで展開した現代日本写真家展の準備でアトリエにお邪魔した時にもっぱら写真展の準備はそこそこで彼の集めた蝶の膨大なコレクションを見せてもらった。

そういう昆虫少年が既に過去の記憶の中に全部格納されてしまったにもかかわらず自宅からメトロ駅まで歩いて行く中にこういう風景を見ると私の昆虫採集の血が騒ぐのである。

全てはここから始まった。


2017年7月20日 (木)

中野区本町6丁目のバスストップで来ないバスを待ち

中野区本町6丁目のバスストップで来ないバスを待ちImg_3724

シルバーパスを使うようになって2ヶ月を超えた。

中野のギャラリー冬青に打ち合わせに行った。

そこに行くバスはたくさんあるのであるが出発する時刻がほぼ同じなのである
例えば午後2時の約束で行こうとした

シルバーパスで全部いけるような一筆書きのコースを頭の中に描いていた。
午後1時に出るバスは1時5分1時25分1時50分と言うような感じなのだ。それが異なる系統でも同じ時刻に発車てしまうので1時5分のバスを乗り過ごすと次は1時25分しかない。

バスの出発時刻があまりに正確すぎるので逆に使いにくいのである。

70歳の老人が新宿の地下広場からバス停まで階段を上り下りして大変な労力を使った。

結局バスで行くのは諦めてJRで中野駅で降りて10分歩いたら約束よりも17分前に着いてしまった。
でもこれは良かったのがいきなり大変な集中豪雨がこの地を襲ってきた。
それでゆっくりいろいろな話をすることができた。

用件を終えて帰ろうと思ったら雨がますます激しくなる。そこにやってきたギャラリーのお客さんとか主催者さんなどといろいろ楽しい話ができよかった。

そのうち天候が回復してまた本物の夏のアフタヌーンになった。

本町六丁目のバス停から新宿行きのバスを待ったのだがこれが当然のことながら時刻通りには来ない。私にはジンクスがあって必ず自分が乗ろうとするバスの反対側にバスがどんどん行くのである。

今日もそうであって反対方向に走っていく たくさんのバスを見送って結局20分ほどでやってきたバスに乗った。
私はそういうときにはイライラしないのである。

本当の都会の風景が本当の都会のアフタヌーンがそのような逆光の中に自らを示しているからだ。

2017年7月19日 (水)

レトロフォーカスのレンズを来夏につける楽しみ

レトロフォーカスのレンズを来夏につける楽しみ

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一眼レフ用の超広角レンズいわゆるレトロフォーカスレンズの技術というのは割と最近に登場したものであった。それ以前は一眼レフでありながらわざわざミラーをアップして補助のファインダーをカメラの上につけたりした。

私が半世紀以上使っているニッコール21ミリなどはレンジファインダタイプのレンズであるからそれをアダプターでライカにつけたら非常に調子が良くなった。

広角レンズの過渡期と言うものがあってフランスのAngenieuxと言うメーカーは28ミリの一眼レフ用のレトロフォーカスレンズに距離計連動カムをつけてそれをライカカメラに使えるようにした。

レンズの全長が非常に長いので変な感じで当時は人気のないレンズであったが最近はそのエキゾチックな感じに人気が出て非常に高いレンズになってしまった。

このNikkor 20mmもそうである。私は最初期モデルのフィルター型が72mmのやつが好きなのである。
レンズが大きいのでちょっとみると何やらグロテスクな感じがするが手にしてみると全体のバランスは決して悪くは無い。

考えてみれば初期の映画撮影機に超広角レンズをつけたスタイルと言うのもレンズが大きくてちょっとグロテスクなのであるがそこに撮影機のダイナミズムを感じたものであった。

唯一問題なのはこの時代のレトロフォーカスレンズはピントはかなり良いがディストーションが残っているのである。このレンズに限ったことではなくてこのディストーションは原理的なものでなかなか根絶するわけにはいかない。

2番目の問題点は対象型の超広角レンズの場合は周辺が原理的に若干落ちて暗くなるのである。
その描写が私は好きなのだがレトロフォーカスの超広角レンズの場合は周辺がほとんど落ちないのでそれが面白くない。


2017年7月18日 (火)

時代劇の撮影に手間のかからない町

時代劇の撮影に手間のかからない町Img_3704

オーストリアウィーン旧市街。この小さな教会とその前の噴水の広場は映画向きなのでここで商業映画のロケをしたこともある。左側の小さな店がカフェであってそこで悪役がフィナンシャルタイムスを椅子に座って見ているという設定だ。俗っぽいがそれが映画と言うものだ。噴水のそばにエキストラさんを+配置した。そのうちの1人はちょうどATGETが撮影したパリの19世紀の行商人の姿そのままなのである。

以上はFacebookからのテキストである。

なくなったZeit Foto Salonの石原悦郎さんが37 8年保管していた1970年ヨーロッパでたくさん撮影したパノラマ写真のシリーズがある。

そのシリーズは200点以上あって昨年某出版社から出版の予定だったが出版社の都合により中止になった。それでプリントは今私の手元にある。プリントを端からずっと見ていると忘れていた記憶が復活してそれはなかなか面白い。

写真家の仕事というのは面白いものであってそれを撮影してから半世紀後にようやくその意味がわかって仕事が実を結ぶと言うこともある。このヨーロッパのパノラマシリーズと言うのもその一つではないかと考えている。
このシリーズの新たな出版計画も着々と進行中である。

この噴水の左側の角にある小さなお店があるが私が記憶している70年代後半はここは小さな喫茶店だったのだ。ところがこの写真を見るとそうではなくて別のお店になっているようだ。写真は正直であるからこれが正しいのであろう。

私の知っているこのポイントの喫茶店と言うのはKLEINES Cafeという名前で70年代の生き残りのフラワーチルドレンが集まってくるようなところだった。

私も負けず劣らずの髪の毛の長い青年だった。ここで商業映画のロケをした時は警察の許可を得て広場は立入禁止にしてそこで俳優さんとエキストラさんが完璧な演技をした。映画のロケーションの光景で非常に不思議に思うのは我々が見ている日常生活と言うのは始まりもなく終わりもない。

ところが映画の雑踏と言うのはそれぞれの俳優さんとエキストラさんの立ち位置が最初から決まっているのである。だから彼は所定の位置についてそれでカメラスタートとなると静止しているポジションからいきなり動き出すのである。
これは日常生活では全くないアクションであってそれを見るのが何か非現実的で面白かった。

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2017年7月17日 (月)

新東京人本日のカメラ プロフェッショナルソリゴールレンズ

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新東京人の撮影である。
別にカメラやレンズに凝ると言うわけでは無いのだが毎日同じカメラレンズを持っていると何となく飽きてくる。そういう嫌な性格なのである。

それで家の手の中のカメラの目先のブランドをちょっと変えてみるとそんなことでも何となく気持ちが浮遊してやる気になってくるものだ。

我ながら単純だと思うがそういうものだ。


カメラの目先のブランドをちょっと変えてみるとそんなことでも何となく気持ちが浮遊してやる気になってくるものだ。我ながら単純だと思うがそういうものだ。
大昔須田さんなどと話をしていた時もやはりスランプになると目先のカメラを変えてそこから1回ジャンプしようとしたりすることがあった。
50年この方ニッコールレンズレンズを適当なアダプターに入れてそれをレンジファインダカメラにつけて撮影するというのが私の写真術であった。

ところがそれにも飽きてきたので先日ガラクタ屋さんで手に入れたソリゴールブランドの28ミリレンズをマントアダプターでスクリューマウントにしてそれを適当なレンジファインダにつけるとなかなか格好は良い。

全体がブラック仕上げなのでなんとなくアメリカのNasa航空宇宙局が特別に依頼したレンズのようにも見える。
NASAのカメラレンズと言うのは特注品であるので何となく全体のバランスが変なのだ。
以前Monoマガジンの特集でスペースカメラをやったことがあったがたくさんスペースカメラレンズを見るとそれが1番強い印象なのである。

それでこういう組み合わせで撮影すると町が戦場に見えるなどと言う生易しいことではなくて
町が宇宙空間になる。それは東京だってスペースの1部であるのだから別に何の不思議もないわけだ。

2017年7月16日 (日)

お祝いに名前の入った1,000枚の原稿用紙いただいた

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非常にユニークなミニコミ誌出雲通信で今回原稿を寄稿した。
私の70歳のお祝いと言うことで名前入りの老舗の原稿用紙が1,000枚到着して恐縮している。

最後に原稿用紙に文字を書いてそれを入稿したのは四半世紀前のことである。朝日新聞の200字詰めのでペラと言うのである。
鉛筆で書き殴った。

岩波書店から数冊の本と写真集を出しているが関係で夏目漱石の原稿を見たことがある。
これは本番であるからきれいな文字で 1文字も間違えのないように美しく描かれていた。それが桐の箱に入って非常に立派であった。

漱石100年か。

原稿用紙に万年筆で文字を認めると言うのは既に時代からはかなりずれたいわゆる趣味の領域なのである。趣味の文房具などと言う雑誌がバカ売れしているのも時代背景を語っていて面白い。

大昔に神楽坂の坂の下の古い文房具店でその200字詰めの原稿用紙を買ったのである。当時すでに私が電子入稿していたからどうしても手書きで必要な手紙等のために買ったのである。

その頃の雑誌で何かのエッセイに書いたことだが1,000枚の原稿用紙を全部原稿料を取得のために使っても全く儲からないと言うことであった。

例えば私がお世話になった新潮社の文芸雑誌であるが私は新参者であるから最低の原稿料でそれは400文字が5,500円なのである。単純計算で言うれば400字詰めに500枚だから計算はわかるでしょう。

神楽坂界隈で戦前に原稿用紙で苦労した作家が2人いる。
1人は稲垣足穂である。
彼は原稿用紙を買うお金がないからそこら辺の映画館の入り口に止めてある映画の宣伝ビラをもらってきてその裏を使った。書くのは小学校の近くで拾ってきたちびくれ鉛筆である。

新潮社の文学雑誌の編集部にそれを見せて大体1年に1度原稿買ってもらったそうである。
そのためには原稿用紙に清書する必要がある。
それで原稿用紙をなんとか工面してインキを 78 から出してくるのである。それが書き終わったらインクががちょっと減っているくらいなら水を足してまた78に預けるのだ。


文芸雑誌新潮の昭和22年5月号というのは戦争直後初めて表紙が4色刷りのイラストが表紙に掲載された時である。私はその月の雑誌を何冊か持っている。そのトップの作品が稲垣なのである。

その傑作が大変な苦労の下に書かれたと思うと何か近親感感が湧いてくる。

私は生まれた家が万年筆製造業であったので万年筆は批判的である。
1時は東京都内の大手百貨店でパイロットとかセーラー万年筆と展示のウインドウを並べていたが昭和30年初めの頃の大恐慌で倒産した。だから子供の時に最初に聞いた大人の言葉というのが不渡り手形なのである。

せっかく原稿用紙をいただいたので万年筆で何か書いてみようと思って家を探したら十数年来忘れられていた万年筆用のインクが出てきた。それは小さなモンブランのガラス瓶だった。そのインキの量はほとんど減っていなかった。他に人からもらったラミーの万年筆があったので探したがそれを発見できなかった。

いただいたのは名前を刷り込んである原稿用紙である。
稲垣足穂が戦前に苦労しているときに稲垣をサポートしている関西の地元のお寺の住職の奥さんの小川さんと言う人が 彼のために専用の原稿用紙を作ってくれた。

それが何千枚であったか知らないが稲垣はそれで力を得て名作イタ マキニカリスをを書いたのである
。その原稿はなかなか出版されず両方の指で数えても足りないほどの出版社をぐるぐる回った後に戦後になって新潮社から出版部長に何か適当なものはないかと依頼されて出版されそうになったがまたダメだった。

それが戦後になってついにユリイカの伊達得夫が出版するのである。定価260円で500冊限定だったので今では稀覯本に属する。私も苦心惨憺してゲットした。

原稿用紙で苦労しているのは神楽坂関連では河西善三もそうである。
彼は原稿が書けなくてあっちこっちオロオロしているが弟の家に転がり込んで夜通し酒を飲んだりする。
その前の晩に葛西善三は書きなぐった8枚のいい加減な原稿を東京の出版社に売り付けてそれで若干の現金を得ているのだ。

当時が良い時代だったと思うのは原稿料は原稿と引き換えだったようである。今では忘れた頃に入金になったりする。いや永遠に支払われないことも結構ある。

その前に神楽坂の坂の手前で原稿用紙を買ったりしているのだ。これは私が10数年前に買ったお店と多分同じ店であると思う。

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2017年7月15日 (土)

クラッシックなNiccaのシャッターがすだれであった件

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デジタルカメラも使っているが好きなのはフィルム式カメラである。それも日本の戦後に作られたライカコピーなどが好きだ。

昨年の1月になるがプラハに撮影旅行に行った。
その時は3台のフィルム式カメラを持参したがライカエムファイブは巻き上げの具合が悪くなった。巻き上げと言うよりも底蓋の巻き戻しクランクの動きを伝える小さな部品が撮影中になくなってしまったのである。これではカメラとしては使えない。

バックアップとして持参したNiccaの3型を使って写真を撮った。でもなんとなく危険な気分がしたのでたくさんの本数は取らなかった。フィルム式カメラは何台か持って撮影に行ってそれに均等に写真を撮っておけば危険率が分散されると言う原理である。

案の定東京に戻って現像してみたらそのカメラは非常にキレイな程度なのだが大変な問題点があった。シャッターがすだれになっているのである。

だからこのカメラで撮影したフイルムは全部使い物にならなかった。

私はよく光の惨劇などと勝手な名前をつけて画面の1部に光が漏れているのは嫌いではない。
さらにフィルムの巻き上げが不十分でダブルエクスポージャーになっているなどと言うのも自分ではクリエイティブな写真だと思っている。

でもこの場合はあまりにも光漏れが多いので写真の地と図を分離できないのである。

早速シャッター幕を交換しようと思ったが考えてみればこの種類のカメラはたくさん持っているからあえてこのカメラが使えるようにする必要は全然ないのだ。

それでドアストッパーにするには軽過ぎるがテーブルの上でレシートを抑えたりするのに使っている。それもクラシックなフィルム式カメラの重要な使用方法である。

2017年7月14日 (金)

白山上の映画館と言うジャズスポットのプロ用撮影機

白山上の映画館と言うジャズスポットのプロ用撮影機

白山上に映画館と言う名前のジャズスポットがあってそれは急な石段を降りて下に行くのであるがそのエントランスのところにかっこいいオブジェがある。

いわゆるプロ用の35ミリ撮影機のクロップなのである。カメラ本体とかフィルムマガジンは何か適当なもので作ったようであるがレンズは100ミリのFujinonの本物がついている。
Finderはよく見るとペンタックススポットメーターなのである。
要するにムービーカメラの魅力を知り尽くした人が手間ひまかけて作ったと言うところが非常に良い。

だから私が白山上に行こうと考えるのはこのオブジェを見に行くと言うことである。

映画撮影機と言うのが心がワクワクする存在である。
ところが最近は全てがデジタルムービーになってしまったのでオートフォーカスの一眼レフか何かにでっかいフードをつけてみんなしかつめらしく映画撮影をしているのは滑稽である。

私のwin時代に手伝った映画の本編はちゃんとありフレックスで撮影されていた。
まだ若かった映画監シュレンドルフにはこき使われたらスタッフ全員が気合が入っていたようだ。
それは撮影がフィルム式ムービーカメラのせいであるかもしれない。

映画撮影するならやはり35ミリのスタンダードだな。
エジソンにそれなりの尊敬を払わなければならないと考えている。Img_3659


2017年7月13日 (木)

軍用のライカカメラを持って死の行軍

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1967年の2月ごろだったか神楽坂に高梨豊さんを初めてお尋ねしたときにいろいろな写真論を教えてもらった。

その時に高梨さんはライカカメラで距離計もファインダーも付いていないMDというのがあるのだがそれでとったら街が戦場のように映るのではないかとおっしゃった。

それで 10数年後に実際にそのカメラを手にしてwinの街を取ったりしたのだが 別に戦場には映らなかった。

軍用のライカと言うのは少ないのでなかなか手にすることができない。それから何十年も経って東京で私の友人がそのオリーブ色のライカを貸してくれた。

私は臆病なのでそのライカを盗まれたり壊したりなくしたりしたらいけないと思って10年この方ずっとカメラ保管庫に保管していた。

でも去年の12月になって命はそんなに先までないのだから今のうちに軍用ライカを使って街を戦場のようにとってやろうと思いついた。
それで真冬のwinを撮影したのである。その写真は今年の秋ごろに東京のギャラリーバウハウスで展示してもらう予定である。

東京カメラクラブとかアルパ研究会では20年ほど前は夏の暑い時と冬の寒い時を選んで鍛錬会と言うのをやった。20歳だけ若いからそういうことができるのである。

東京の南部に広がる広大な地域 東京モノレールが走っている大井競馬場から先の方 夏の鍛錬会で仲間と一駅だけ歩いたことがある。

驚いたのはその約2時間の歩行中に作戦を行った地域には1台の飲み物の自動販売機がなかったことである。
まぁこれは戦争なのだからそんなのは当たり前である。

先日は馬込の方から中原街道をゲリラ相当作戦で移動した。

オリーブ色のライカには純正のエルマー50ミリがついている。ドイツ連邦所有物と言う刻印が付いている純正のものである。

カメラ仲間の元新聞社のジュネーブ支局長が私よりかなり歳が上なのに毎日デジタル式カメラを持ってプラシックレンズをつけて東京を徘徊している。
その人のコメントによればこのエルマー50ミリは巨匠大竹先生がコメントしている通り素晴らしいレンズであると言う。

私はいい加減な撮影であるからこれが素晴らしいレンズであるかどうかわからない。
何しろ印画紙デベロッパーを希釈してそれで室温で12分いい加減な現像なのである。
その作例がこれである。

«佐竹商店街でお盆の果物を買う

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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