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❤️🐦お知らせ

❤️お知らせ 田中長徳写真展 WIEN CT70 🐦
開催期日2017年11月22日から2018年2月17日まで @ギャラリーバウハウス。トークイベント2017年12月9日と2018年1月20日。

❤️ ギャラリートークのご案内😎
【第二回】 「ウィーンで出会った人々」 田中長徳
日  時 / 2018年1月20日(土)19:00~ (当日は18:00閉廊、18:30より受付開始)
参加費 / 2000円

mailもしくはお電話にて要予約。
mailの際はお名前・ご住所・お電話番号を明記のうえ、送信して下さい。
後日、スタッフより予約確認のmailをお送りさせて頂きます。

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http://www.gallery-bauhaus.com/171122_chotoku.html


❤️長徳カメラ塾🐦おかげさまでランキングトップ 写真/アート :1位 / 23031ブログ中
http://www.chotoku01.com

🐦ますます好調 第6回 長徳ブラパチ塾開催決定!
2018年2月11日(日) 13:00 - 16:00
タイトルは 青砥 立石 つげ義春

🐦❤️🌈ブラパチワークショップ第6回は東京の北東青砥立石を散策します。漫画家つげ義春さんが青春時代のシーンでこの界隈がよく登場します。クラシックカメラ関係でお付き合いがあったつげさんのことを思い出しつつ散歩しましょう。青砥駅前のヨハンシュトラウス、それと立石様も見逃せません。私の大好きなノンベー横町がもうすぐなくなるそうです。これも見ておかねば。
日本カメラに連載のToday Tokyo 1964-2020とシンクロするワークショップです。😎


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2018年1月18日 (木)

湯島天神の存在は形而上学的である

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今回のブラパチ宿は内容が濃くてなかなか楽しめた。戯言であるが写真が上手くなる神田七福神と命名したのである。ギャラリーバウハウスでは今度の土曜日の午後7時から演説会を開催する。そこから神田明神、湯島聖堂、そしてニコライ堂を巡った。世界の異なる宗教建築をそこに見ることができた。

私は講師様は信用していないから逆に建物そのものをよく観察する。東洋風のエントランスの先に広い中庭があって本殿があるというのは建築の基本的な構造ではあるがそこに空間の認識を感じるのである。

しかも色彩がシンプルで非常に良かった。神田明神とかキリスト教のように視覚的な要素で参拝者を驚かすのではなくもっと内側の思考を助長するような建築物である。それがいいなと思った。

湯島聖堂のエントランスの右側に四角い水槽がある。そこの水面がいつも非常に静かで御茶ノ水の空の光を映しているのである。久しぶりにそれを見た。ワークショップの参加者の人でそのことに気がついてその写真を撮っている人がいた。そういう人の視神経のレベルは高いと思う。

2018年1月17日 (水)

神田明神は日本のバロック建築である

神田明神は日本のバロック建築であるR0471135
1月14日第5回目のブラパチワークショップに行ってきた。満員御礼宝船の盛況であった。
ちょうど開催中のギャラリーバウハウスで皆さん集合してそこで小滝館長に簡単なレクチャーをしてもらった。その後神田明神に行ったのである。

神田明神は大変な混雑であった。装飾が派手すぎる真っ赤な色彩を見ていて思い出したのはこれは日本のバロック建築ではないかなと言うことであった。
いやバロック建築よりももっと煮詰まっているからこれはロココですね。

盛りだくさんなスケジュールなので神田明神では10分だけ自由行動にしたのであるが大変な人でお賽銭をあげることもできなかったそうである。左側にある大黒さまがまた大人気で列ができている。なんでも1,000円札を奉納すると小槌で参拝者を殴ってくれるそうだ。大繁盛いい商売である。

商売繁盛家内安全無病息災ということなのであるが日本人はどうもよくがふかすぎる。イスラエルの神のように神を恐れると言うことがないのである。
現世ご利益ばっかりだ。これはかなり変だと思う。
、、、、でもそうか、、、神の災いと言うのは福島の汚染水の垂れ流しとかそういうところに出ているからそれで帳尻は合っているのかもしれない。😎⛩

2018年1月16日 (火)

労働者階級には上流階級よりもピュアなプライドがある

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おかげさまでギャラリーバウハウスの私の写真展が後半に入った。いろいろお買い上げもあり誠にありがたい次第である。感謝します。

今回の展示は私のwinの2,000本以上ある、ネガフィルムのストックがからアトランダムに50本を引き抜いてその中からセレクトしたものである。これが1階の展示であってB1は一昨年の12月に撮影した。

ここでお見せするこのショットは写真展には入っていない。手持ちのネガフィルムから偶然に発見したものである。
私が常々思っているのはオーストリアウィーンの階級のプライドのことだ。上流階級よりも労働者階級の方がプライドの質がピュアであると言う点なのである。
労働者階級に自らの誇りを持っているということだ。そういう人たちの雰囲気に浸りたくて私はwinの南の第10区とかそーゆー労働者階のバーによくいったものだった。これはウィンなまりの勉強にもなるのである。だから私のインチキドイツ語はウィーン大学で教わる正式なドイツ語とは反対世界に存在するものなのだ。

飛行機でフランクフルトの空港に着いてそこからタクシーに乗るとタクシーのドライバーさんが私を振り返って言うのである。お客さんwinから来ましたね?

2018年1月15日 (月)

赤瀬川さんが好きだったライカの古い35ミリファインダー

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赤瀬川原平さんがこの昔のライカの35ミリのファインダーについての魅力をいろいろなところに書いていらっしゃった。
その中のであったと記憶するが銀座Sanカメラで2つの同じファインダーがあって1つはとびきり高くて1つはそれよりちょっと安い。どちらを通うか迷っているときにそこに私がやってきたのだそうである。それで私は安い方が良いと進言したら赤瀬川さんはそれでは高い方にしますと言って高い方を買われた。当時このファインダーが非常に高くてちゃんとしたものだったら50,000円以上した。

ウィーンで古屋誠一に初めて会ったのは蚤の市である。彼は古いライカM3にこのファインダーをつけていた。それでそのことをよく記憶しているのである。

このファインダーは本来バルナックライカにつけるものであったのであろうが大きいのでバルナックタイプにつけるとアンバランスになる。エム型につけるのが良い。しかしライカエム2では最初から35ミリのフレームが付いているからつけるのはあまり意味がない。

このファインダーの最大の使い手は戦争写真家の澤田であった。彼はメガネ付きのSummiceon35ミリを使っていたのだがさらにライカの上にこのファインダーをつけているのである。それが戦闘的でかっこよかった。
私は腰抜けのライカ写真家だからファインダーのついていないライカつまりライカMDにこのファインダーをつける。でもそれは気休めのようなものであって実際にはファインダーを使わずに撮影しているからファインダーは見ないのである。

古い写真工業でアンリカルティエブレッソンが使っていたブラックに本人が手練りしたこのファインダーが登場した。その持ち主はブレッソンから譲ってもらったと記載されていた。不思議に思っていたのであるがニューヨークタイムスの25年ほど前のインタビューを見るとアンリカルティエブレッソン自身の言葉によれば自分は35ミリの広角レンズで写真をうまくとることができない。なぜなら自分は絵画の仕事をずっとやってきたから自分の目は50ミリ標準レンズになっていると言う意味のことを話していた。あーそれでブレッソンは35ミリファインダーを放出したのかと1人納得したことがあった。

2018年1月14日 (日)

ソ連製の腕時計

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十数年ほど前のことだ。Penと言う名前の雑誌で第二特集でソ連製の腕時計をやることになった。それで当時のeBayで海外からソ連製の時計を買いまくったのである。その数200位ではないかと思う。といっても大した事ではなくていっこの腕時計が10ドルとしてもトータルで2,000ドルと言うわけだ。
それでも向こうの業者さんにバイアと勘違いされたこともある。

その時あまりいい加減も書けないのでロシアの時計の歴史を簡単に調べたら確か最初の時計が国内で作られたのは1925年のことでモスクワ第一時計ファクトリーと言うところが作ったのだそうである。最初期モデルの時計は石が6石位でデザインもなかなか良い。

それらの時計は人にあげたり間違ってゴミと一緒に出してしまい今ほとんど手元にない。これなどはその残りの数個のうちの1つである。

当たり外れと言うものが機械にはあるようでこの個体などはクロノメーターの正確さなのでびっくりしている。
ガガーリンがつけていた最初のスペース空間で使った時計などはあちらの高校生がつけているような市販の安いものであった。でもそういう腕時計をつけるのが本当のダンディズムだと思った。

2018年1月13日 (土)

GRD偽貫禄

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もう5年位前のコンパクトデジタルカメラである。使い始めたのはほぼ同じだが左のカメラには特殊メイクが施されている。偽貫禄と呼んでいる奴だ。これは伝統のフィルムカメラの美学である。

カメラ友達のBさんが発案したもので彼は手先が気をだから実にリアルな使い込んだカメラを演出してくれる。

コンパクトデジタルカメラにはストラップをつけないのが私の流儀である。これをノーストラップアナーキスト同盟と言うのだ。そういうことをブログで大昔冗談で書いたら文芸評論家の福田和也さんが賛同して私のもとに駆けつけてくれたので実際にそういう同盟ができてしまった。

デジタルカメラはやはりフルサイズデジタル一眼レフよりもミラーレスとかコンパクトデジタルカメラがこれからメインになると考えている。
そのトップに立つのが森山大道さんと言うわけだ。フルサイズのデジタル一眼レフをぶら下げた森山さんなんて全くはい絵にならないと思う。
そういえばライカエムデジタルを下げた森山さんもイメージしにくいですね。写真家は本来光と影の微妙な存在を自分で作るものであるからデジタルカメラの力を借りてそれを作ると言うつまり高級なカメラの力をお借りすると言うのはちょっと信用できないところがある。

それでファインダーはやはりアクセサリーシューにつけたほうが使いやすいのでガラクタ屋さんで大昔に800円で買ったのをつけている。

数日前に私のカメラ塾で例のフルサイズのデジタルコンパクトカメラの噂に対して13,000ほどのアクセスがあってカウンターが壊れているのかと思った。

その直後にたまたま打ち合わせでその会社の方にお目にかかったのだがそんなものは企画していませんときっぱり言われた。それはそうであろうその通りですなどと言うはずは無い。

2018年1月12日 (金)

くまもんバックの実力

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数年前に東十条の駅のショッピングストリートのバラエティーショップで買ったくまもんのバックである。バッグではなくバックがあたらしい。

これを持っていったヨーロッパはパリウィーンプラハリスボンカサブランカなどなどである。ポケット入れて持ち歩けていざと言う時に収納力が非常に大きいのでツーリストには非常に便利である。どのくらいものが入るかと言うと赤白のワインが1本ずつ。ミネラルウォーターが3本それにバゲットやら野菜やら果物やらチーズやらを入れてもまだゆとりがある。あまり詰め込みすぎると逆に重すぎて持てなくなるから八分目ぐらい入れておくのが良い。

仕事とは言え以前ミシュランの星付きのレストランを毎日取材したりして私はガストロノミーに秋秋しているのだ。それで市場で好き勝手に買い物してきてホテルの部屋で1人で大宴会をやっている。これは人生の快楽である。それをお手伝いしてくれるのがこの黄色のくまもんのバックなのである。

何年も使っていると当然ながら穴が開いてくるのでそれをかがったりガムテープを貼ったりして使い続けている。もうだめかと思っているのだが意外と長く使える。今年で6年目になったから10年目までは使いたいものだ。

2018年1月11日 (木)

ギャラリーYocto吉村朗

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ギャラリーYocto吉村朗 1月12日から1月28日まで木金土日の4日のみオープン。
吉村に最初に会ったのはザルツブルグカレッジのワークショップの時で夏の盛りであった。 1979年か1980年だった。
校長のIna Stegenと一緒に日本から到着の数人の受講生を迎えに行ったのである。列車から数人の東洋人が降りてきた。その中の1人の男性が私に握手をして英語で挨拶をしたのであるこれが私の吉村にあった最初のシーンだった。
当時の私はザルツブルグカレッジでSindyシャーマン、ラルフギブソンなどの講師スタッフの一員としてMITの学生など10数名のワークショップを持っていたその中に日本人学生数名が加わったわけである。私のひどい英語はMITの学生連中は英語が母国語であるからかなり注意して私の講座を聞いてくれた。しかし日本から来た連中はやはり私のブロークンイングリッシュはほとんどわからないようだった。それで校長の発案で複式学級にしたのである。
つまり日本語での授業である。逆にこれが日本人受講者を混乱させる結果になったのかもしれない。言葉と言うのはペーパーとハサミのようなものだからつたない私の英語はペーパーを切るのには10分である。
一方で日本語は私はネイティブであるから1つのことをまっすぐ言うのにもともとシャイだからかなり回りくどい言い方を日本語でする。

例のザルツブルグ中心地のゲトライデマルクトで撮影をした。吉村の撮影のスタンスを見ていると彼はミノルタの一眼レフと17ミリの広角レンズをつけて病的に接近して撮影してその人に叱られたりしている。こいつは結構ものになるなと思った。

私が日本に戻ってから吉村との付き合いはほとんどなかったが噂に聞けば彼はミャンマーに撮影に行ったり韓国に撮影に行ったりしていたそうである。
今、東京総合写真専門学校の校長と当時クラスが同じだったらしい。だからすでに大写真家のカテゴリーに入る人間なのだ。

、、、今回の写真展で私がちょっと違和感を感じるのはこれが遺作展とタイトルがついていることである。誰だってエドワードウエストン遺作展とかロバートキャパ遺作展とは言わない。
吉村もそのクラスの写真家なのである。


2018年1月10日 (水)

1976年。森山大道さん36歳

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森山大道さんとのお付き合いは1976年にヨーロッパのドイツ語圏で巡回した現代日本写真家展に出品をお願いしたのが最初であったと思う。それ以前にお目にかかっていたかもしれないがあまりよく覚えてはいない。

この写真は大道さんが36歳の頃のお姿である。指定された新宿かどこかの自主ギャラリーに行ってそこでお目にかかったのだ。あれが伝説のキャンプと言うところであったのかしら?
私はクローム仕上げのボロボロのライカM2思っていてそれで撮影をした。レンズはSummaronの35ミリであった。
森山大道さんと言えばその数年前にニューヨークに撮影にいかれた。そのニューヨークを撮影したカメラがブラック仕上げのオリンパスペンワイドなのであった。アサヒカメラの掲載であったと思うが面白かったのは担当編集が何か面白い話でもあるかと思って東京の編集部から大道さんが滞在しているニューヨークのホテルに電話したのである。電話に出た大道さんは編集部の質問に何も答えなくて今何時か全然わからないよと言って電話を切ったのである。これも大道さんらしくて面白い。

断っておかなければならないのはその当時は国際電話と言うのは大変なステータスであったことだ。同じ時代にジョナスめかすがニューヨークのソーホーで公衆電話ボックスに花を飾りつけてそこからパリに電話をすると言うハプニングを実行したことがあった。周囲には当時のアーティストが群れていてYohko Onoの姿も見えるしサルバドールダリが奇妙なダンスを踊っていたりもした。それをジョナスめかすのBolexは撮影しているのである。

時代の最先端のテクノロジーなどと言うものはその時代時代でこういうトップクラスのアーチストですら騙されたりするのである。故に最新テクノロジーの進化はデジタルカメラも含むがわれわれは十分に注意せねばならない。
カメラの新機構にワクワクする我々がいるがそれはカメラが進化しただけの事であって別に我々の頭脳が進化したのではないからだ。これはちゃんとノートに書き込んでおこう。

いまどきiPhoneでニューヨークからパリに電話をかけようが東京に電話をかけようが誰もそれを芸術行為とは考えないからだ。ところが不思議なことに半世紀前のライカカメラで写真を撮ってそれをモノクロプリントにして展示したりすると世の中はそれをアート行為だと思ってくれるところもある。そこら辺の区別が私にはよくつかない。

森山大道さんは写真展の打ち合わせに応じてくれた後に会話をした。ところが私は3年ぶりの帰国でだし大道さんは新宿に生息している人であるから特に共通の話題がないので手持ち無沙汰でもあった。トンボのイラストの黒い Tシャツの森山大道さんである。😎

2018年1月 9日 (火)

1959年来日した写真家エルネストチェゲバラの写真がいい

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1959年に来日した写真家エルネストチェゲバラの写真が良い。コンビニで販売中の激撮と言うマガジンの最新号に乗っているゲバラの撮影した写真である。ニコンエス2 大口径の5センチf1.1をつけて日本を取り歩いたゲバラであった。

これは移動中の車の窓からの撮影であるが縦位置で都会風景の不思議なところを映している。
ゲバラが革命家ではなくて写真家になったらこれはまたかなりすごいレベルにまで行ったのであろうと思われる。言い方を変えるとこーゆー写真は意識していないときに自然に取れるものなのであるがその意識しないレベルに行くと言うのがすごいわけなのだ。

ゲバラ特集の別のページにはこの愛用のニコンを同じ革命軍の同行していた医師に譲って自分は彼が持っていたソ連製のコンタックスであるキエフと交換している。アメリカ軍のコンバット映画などだとポーカーで大負けした奴がこーゆートレードをやったりすることがあるがこれは革命のためと判断する外はなかろう。これもすごいことである。

そのキエフで写したゲバラのセルフポートレートも生々しくて好きである。晩年にはすでにトレードマークのヒゲは落としていると言うことも興味深い。
彼が殺される前の年にゲバラは密かにプラハに数ヶ月滞在していたのである。その時も変装の意味でヒゲは落としていた。その写真は私は確認しているのである。

ゲバラがプラハに潜伏している時小さなアパートだったらしいがそれがどこであったのかを私は気になって友人のジャーナリストに調べてもらっていた。でも彼は一向に真面目に探してくれなかった。それもそのはずである。ゲバラは社会主義者であるから当時のチェコスロバキアの社会主義体制と同じなのだ。ジャーナリストはカーター77の戦う人であるから一向に協力してくれないのである。社会主義体制に関係のあるゲバラなどは知ったことかと言う訳だった。


«アテネの1月の光

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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