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日本路地裏学会

ごあいさつ

  • リニューアルのごあいさつ 「 PEN PENチョートクカメラ日記」へようこそ!! チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  

富柏村

  • 富柏村
    かなりハードで、しかも優雅。香港に行くより面白い!

今日マチ子のセンネン画報

  • 今日マチ子
    多摩川を描くのはつげ義春さんとばかり思っていた。 GRDが登場する。

2012年5月23日 (水)

アグファの蛇腹カメラの蓋が開かない

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佃の非武装地帯の境界線を壱メートル北に移動したので、各種のカメラが発掘された。
その多くは10年ほど前にでた、千頁の@「ぼくのカメラたち」に掲載されている。このアグファの蛇腹カメラは「世界で最初の自動露光の6x6サイズ」というのである。ハッセルの外付け式の露光コントロールユニットなどよりはずっとこっちの方が古い。

さて、問題はこのカメラの蛇腹の開き方が分からない。日大の一年生の時、澤本れいこ先生の写真基礎技術で、最初に見せられたのが、スピードグラフィックである。その蛇腹をどのように開くかが課題であった。
今なら体が自然に反応してスピードグラフィックの蛇腹を引き出すなどはかんたんな作業だ。

ところが、このアグファの蛇腹の開け方は分からない。なにも突起物はないし、なにの手かりもないのだ。しかし「ぼくのカメラたち」を視ると、ちゃんとレンズは撮影位置に来ているからまさしくカメラは拓いたわけである。

このカメラは確か、シャッターを設定してやるとセレンメーターの針の位置に応じて、カメラ内に小さい風船のようなものがあって、その膨らみ具合が絞り値を決定するのだそうだ。これも20年近く前に淺草の早田名人から教わった。
しかしあたしの世界最初の自動6x6カメラはその「風船」が経年変化で硬くなっていたらしく、撮影したらやたらにオーバーであった。

しかし、マニュアルで撮ればこれはこれで問題はない。
しかしその前の段階で、まずレンズを出さねばならないわけである。
何事も最初が肝心だな。
人生も思ったほどに簡単ではないと思うのはこういう諸問題に遭遇する時だ。

2012年5月22日 (火)

テレジンのアルミ製スプーン

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佃地方かプラハ地方に居る時には、生活の最低限の用品は揃っているが、それ以外のホテルに居る時にはそういう道具は自分で持ち歩くのは当然だ。

長年、地球上をあっとこっちを持ち歩いている、パースの中にこのアルミのスプーンがある。

プラハの北、第三帝国時代のナチスの強制収容所テレジンで手に入れたものだ。
まだ社会主義時代のチエコの記念物である。

タレジンを取材していいかげん暗い気分になってから、近くの粗末なカフェでチエコ式の珈琲を飲んだ。
例の粉をそのまま入れて砂糖を入れて、スプーンでかき回して粉が沈殿したら飲みという、きわめて時間と仲良くなれる珈琲の飲み方だ。

欧州でここだけに、オスマントルコのトラッドな飲み方が残っているのである。

そのスプーンが気に入ったので、お店に20コルナほど払ってもらって来た。以来、世界中の安ホテルでこのスプーンが役に立っている。

当時のプラハのPの奥さんであったベラさんにこのスプーンを見せたら、面白いことを話してくれた。戦後になって、チエコの子供にアルミのスプーンを使わせるようになったら、際だって体格が向上したというのである。

アルミのスプーンを口にいれただけで、そのアルミが溶けてそれが子供の発育を助長するというのは、あたしは信用したいけど、戦後神話としては良い話である。

あたしも以来、身長を伸ばそうとして外国の安ホテルでこのアルミのスプーンで珈琲をかき回したり、パスタをすくったりしているが、一向に効果は現れない。

それよりも日本人なのだから、一円玉を舐めたりした方がいいのかも知れない。

2012年5月21日 (月)

古いSKODAのバン

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長い間、プラハに住んでいると、普通の観光地の地帯には行かないのは当然である。まず旧市街のカレル橋も、天文時計も、火薬庫にも行かない。

これは東京に居る時も同様であって、銀座、新宿、渋谷は行かない。五年以上も渋谷の東急BEでライカ愛好会の講座を持ったが、先天的な「渋谷嫌い」なので、講座は楽しかったが、渋谷に行くことそのものはストレスになった。だから渋谷を経由して世田谷などに戻る人々をあたしはその強靱な神経ゆえに尊敬しているのだ。

プラハも同様な次第であるが、しかし用事はあるのだから、中心部に行かないと生活に差し障りはある。それでプラハの繁華街には用事があると、朝に行くことにしている。これならあまりストレスにはならない。

このバンは旧チエコ時代の国産車Skodaのようである。
そのスタイルには見覚えがある。大昔はこの脇腹にSPOJE(業務)とか書き込んだ泥だらけなバンが午後のプラハの座頭の中でほとんど進行しないのを、あたしなどは重苦しい気分で見ていたものだった。

一方で、この黒字に白いロゴはかなりお洒落でこのクルマのちょっと「間延び」したスタイリングにマッチしている。

旧東ドイツはツビッカウ製のトラバントなどは最近のプラハではそのクラシックな存在を利用して、車体の上に巨大看板をのっけて、ピザ屋の看板になったりしているが、東欧のクラシックカーが看板の支持体になるのをあたしは好まない。

こういう実用車としてプラハの街を動き廻っているのが望ましい。

この近所で金ピカのフォルクスワーゲンを見たのもこの前後の時であった。それは本物のピカピカであって、マットのゴールドのそれではない。通行人が振り返るほどの「品のNASA」なのである。

あたしもミーハーなので、その金ピカワーゲンを持参のハッセルブラッド500cで撮影した。プラハにそういうキンキーなクルマが溢れているのは、これはまだクルマ社会が未熟であるからに他ならない。

マンハッタンなどではとっくに廃れたフルストレッチのLIMOなども、ここボヘミアではまだ棲息している。

2012年5月20日 (日)

OM-Dにレンズの着せ替えごっこはかなり遊べる

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えい出版から夏に出る、「OM-Dワークショップ」は鋭意進行中である。

他の出版社さんからも同様なムックが出るであろうから、あたしの計画しているのは「型録本」にはならないように気をつけている。これはあたしの「ワークショップシリーズ」の定番の考えだ。

清水編集長が佃地方に撮影用の機材をとりに見えた。この冬に金町のリサイクルショップで買った、1000円のサムソナイトの最大のサイズのは以来、プラハに1月と4月に行って活躍しているが、今回はそれにアダプターと交換レンズをいっぱいにしてえい出版のスタジオに機材は出張した。

ただしあたしは本文を書くのに多忙なので立ち会いはしなかった。

ここに沢山あるレンズはOM-Dの純正でない。ただしOM用の(旧一眼レフ用の)のレンズと戦前の昭和15年に高千穂で生産された、ズイコー200mmf4,5はもともと航空写真機に装着したのを、戦後、ミランダのオリオン精機が一眼レフ用に改造したものだ。その戦後レンズの性能には吃驚した。

そのレンズの話はこちら。

http://chotoku.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/200-bbd5.html

さて、打ち合わせをしながら、実際にマウントアダプターでそれぞれのレンズで試写(レンズおたくさんは、これを実写と呼ぶらしい)してみた。

作例写真家なので、その作例を上から順番に説明すると、

ソ連製Tair300mm f4,5
ズイコー50mm F1,4(フィルム一眼のOM用)
ニッコール6,5mm f18
コンタレックスプラナー55mm f1,4 に専用ベローズ
テレアテナー400mm f4,5

で、それぞれに適合するマウントアダプターを1個から3個ほど重ねて使っている。

清水編集長はかなり混乱したようで、それぞれのマウントアダプターにポストイットで名称を付けていた。

あたしはそれらを見ただけで、それがどのマウントであるのか分かるのは、やはり異常と言うべきであろうな。

清水編集長と話題になったのは、カメラぶれ防止機構のおかげで、400mmでも手持ちでシャープな画像が撮影できたこと。このメリットは絶大だ。フルサイズなら800mm相当のレンズである。

カメラはOM-D。

2012年5月19日 (土)

独裁者KGのピンバッチ

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クレメント ゴットワルドはチエコで一番人気のない人物である。最悪のチエコ人投票で堂々第一位だ。
KGは社会主義時代の独裁者だ。皮肉にもスターリンが死んだ直後に亡くなっている。それで記念切手がブラック一色で発行されたりした、その次第は「屋根裏プラハ」の中の「黒い切手と赤い駅」の章で書いた。

プラハの古老であるあたしは、今の旧市街の銀行がまだ「クレメント ゴットワルド博物館」であった時代を知っている。
これは70年代からビロード革命の前までの話で、この独裁者の執務室がそのままに再現されていた。
ここに来る外国人はまさに酔狂でモノ好きな極みであったらしく、何時もお客はあたし一人であった。
それで係りのばあさんから、その独裁者のバッチを行く度に一個ずつ買ったりした。

この上着はオーストリアでは公式な席でも問題ないし、チロルの田舎ではこれを着て農作業をしているし、酒場でも劇場でもどこでも御免の上下のスーツである。
上下を一緒に着ることはないが、便利なので1975年にウイーンの古着屋で買って、ずっと愛用している。もう三十数年の品物だ。

そこに上のミュージアムのピンバッチを付けると、これが時代を超えて、さまになるのは実に皮肉な次第である。

しかし現地のプラハでこのバッチを付けたことは一度もない。あたしは半島の北の親子のバッチも持っているが、これを日本で付けないのと同じ理由である。

ところで、この上着を着て、日本の会合などに行くと、かならずパーテイトークで「おやその金バッチの人は誰ですか」と聞かれる。
「この人ですか?チエコの著名な写真家のヨセフ スデクです。国民的な英雄芸術家」です。と答えることにしている。

先日、BSジャパンの7PMに出演した時も、この上着を着て行ったが、だれもピンの人物についての質問がなかったのは残念だった。

しかしKGBの初代長官の名前を冠したライカコピーであるFEDを持って行ってそれで話題になったのであるからそれはまあいいか。

2012年5月18日 (金)

マジックテープ仕様のOM-Dはシテイカモバーションである

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OM-Dにマジックテープを貼ったら、諸方面から賛否両論をいただいている。

カメラの取り回しに苦労しているカメラ人類さんからは「使い易そう」とのコメントをいただくし「新品のOM-Dを汚してけしからん」というお叱りのメールもいただく。

しかしデジカメは手中でなで回して楽しむものではないのは当然の理であって、よりスナップシューターの理想に近づけるのが理想のデジカメであることは言うまでもない。

それで思いだしたのは、一般のユーザーさんは、レンズキャップを大事にするということも学んだ。ペンペンの講演会の時のアトラクションでなにかオリジナルのレレンズキャップの限定販売があってこれが大人気であったのには驚いた。

あたしはレンズキャップは使わない主義なのである。それでも昨年の夏であったか、ぺぺんぺんを持ってベルリンに撮影に行った時に、チエックポイントちゃー^リーの近くで撮影しようとしてカメラをオンにしたら、何もモニターに見えない。

今まで、数多く、プロトタイプを持参している経験から、あ!またやった!と思ったのだが、考えてみればそれは市販品のペペンペンである。

レンズを見たら、普段は使うことのない、レンズキャップがついていた。これでは写らないわけだ。

このマジックテープ付きのOM-Dも外見はこのように接近してみれば、なにか貼り方も変だし、斜めに貼ってあるので綺麗ではない。

それで二枚目の我装だが、これは市街戦で使っている状態の画像である。いかにもあたしの着用のシテイカモジャケットに溶け込んでいる。

カメラというのは二つの局面があって、手にとって遊んでいる時には、カメラは撮影者と対立する物質である。

しかし一度、これを手にして「市街戦」になれば、デジカメは自分の身体の延長である。そうなるとそれまで気にしていた、カメラの欠点などはまったく気にならなくなる。

ここが肝心なポイントだ。

2012年5月17日 (木)

928邸の928物件について

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我が偽ライカ愛好会の会長はそのお名前を928さんとおっしゃる。本当国谷であるが、語呂合わせだ。なにかポケベル時代の女子高生の通信を思いだして、そぞろに懐かしい。4649とかね。

その会長のお宅に珍品カメラを拝見に行った。ようするに語呂合わせの928が製造番号の中に含まれているのをコレクションしておられるわけだが、これはあたしの宇山のようなガラクタカメラとレンズの中からその数字列を探したのであるが、なかなか発見できない。

この一事からしてもtotoとかlottoのキャリーオーバーを狙っている人種はかなりの楽天家であることがわかる。

さて、その928番のレンズやカメラはただ番号がそれでありというだけではない。それぞれのカメラやレンズが珍品であるのが凄い。

なんでも928さんの奥様がそのコレクションに協力的であるということを承ったが、これは案外に情報を攪乱させるための操作であるかも知れないのでにわかには信じがたい。

928さんはあたしの読者さんでもある。最初にカメラジャーナル誌の揃いのブロックを出してこられた時には感激した。

どうも渋谷の東急BEで最初に拝見した時、ライカMPの本物にニクチルックスのf1,2の方を付けていたりでかなりの人物と思っていたのだが、果たしてその通りであった。

会長は我が偽ライカ同盟の行軍を指揮しておられるのであるが、昨年の初夏の横浜での火器大演習に参加のみぎり、あまりに重い機材を持って行軍したので、目下腰痛になられておる。

それなら軽いデジカメを持参すれば良いのに、やはり重いライカとハッセルを持って行軍するのである。先週の火器大演習でも、MPにライカビット付で、のくちるっくすf1,2であった。

しかし重い珍しいライカを持って歩行するだけでは飽きたらず、最近ではイーゼルとか、フォコマート2型を揃えたりしている。お聞きしたら、フォkマートには製造番号は打刻していないらしい。

なんでも真面目に写真を撮影しようという「意気」じ萌えておられるそうで、これは会長の職務遂行の、実に鏡であると思う。

2012年5月16日 (水)

八年目のイタリア街

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気まぐれでヒルズから佃地方に歩いて戻ってくることがある。

そのルートには幾つかあるが、普通は溜め池まで行って新橋から銀座中央通りを四丁目まで行って勝ち鬨橋を渡って、エダムで一杯やってもどる。

この前はややルートを変えて、芝公園の中、東京タワーをかすめてから汐留カレッタを突っ切った。

ここが再開発されるとき、汐留駅の跡地を延々と文物調査をしていて、その大地との格闘はなかなか良かった。フェンス越しにマミヤワイドにモノクロを入れたので撮影したのはもう20年ではきかない昔であろう。

カレッタが完成してから、黒川さんの中銀カプセルタワーを「銀座八丁庵」としてそこで二年以上も温泉に入ったり、金屏風の影で昼寝したりした。思えばいい時代だった。ここは佃地方とヒルズ地方の直線の真ん中にある。あそこは東側がA塔で西がB塔だった。あたしの部屋はB1006だった。

窓から視ると、まさにスカイスクレーパーであった。真冬などは暖房の蒸気が雲のようにナチ上がるのがまるでミニマンハッタンであった。

その直後に汐留に住もうと思って、家人と物件を探しに行った。ちょうど話題になっていた、ツインタワーを見に行った。そこは高速道路の脇で、部屋のドアを閉めておけば静寂であるが、一端開けるとかなり賑やかである。

家人が反対したのは、近所に食品店がまったくないことだった。家人の観察は冷静だから、タワーマンションに入って行く住人がさげているスーパーの袋に注目したわけである。

思えば、ウイーンでもマンハッタンでもプラハでも食品市場は徒歩5分以内にある。これが交通機関を使って、食品を買いに行くのは毎日の生活だから感心しない。

しかしあたしが汐留に住むのを止めたのはそのタワーの南にあるイタリア公園がその理由だった。というのはイタリアの公園の愉快なパロデイであると感心していたら、実はそうではなく、どうも「本物のイタリア公園」としてこれが制作されているらしいことだった。

以前、赤瀬川さんが路上観察学のNHKの番組に出て、路上観察の話をしたら局のスタッフが笑っていて、それを赤瀬川さんは最初は自分の話が面白いので笑っているのかと思ったら、そうではなく赤瀬川さんの様子が滑稽なので笑っていることが判明してしらけた逸話を書いていた。

その反対方向とでも言える状況がこのイタリア公園だ、あたしは向こうのイタリア公園の退屈さを皮肉ったのかと思ったらどうも「マジ」なのである。

ちょうど最近のライカ社製のライカを「伝統のドイツのマイスター魂の結晶」とかつあいすレンズを「ドイツローマン派の光の芸術」というような人が一部にまだ居るとしたらその滑稽さにこれは酷似している。

久しぶり、実に8年ぶりに汐留界隈を通過して佃に戻ったのであるが、かつてそのタワーマンションを視た時に、その北側に建設中だった黒いビルはすでに出来上がって、その一部が高級ビジネスホテルになっていた。

新しいモノ好きなのでそこにエクゼクテイブルームに一泊した。特に感想はないが、この「偽コンラッド」の朝食の納豆はうまい。

イタリア街というのは、あたしの経験からしても、これは本物のイタリアのどっかの街ではなく、マンハッタンのリトル伊太利を真似したのだと理解すれば良い。この列柱の建物などは、ゆえにマンハッタンのキャストアイアン(これも立派な文化遺産)を真似したもののようである。

2012年5月15日 (火)

フジの「ぺけプロ1」でモノクロ撮影

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2012年5月の「偽ライカ愛好会火器大演習」は、ご存じのように幹事は持ち回りであるが、今回はガスマン堀野の担当。

帝銀事件の現場となった椎名町の駅前から徒歩、常磐荘の聖地を経由してワークショップ2Bを経由して日大芸術学部を通り、江古田駅前のラビリンスに至るなかなか見応えのあるコース。
ラストは2時間飲み放題食べ放題の焼き肉や(その名前が絆ってのがまたすごい。政治団体の絆はどうなったのか?)で大宴会やらハッセルSWCの闇市場などがあって楽しめた。

あたしはこの前、ヒルズに遊びにきた友人がわすれていった、フジのペケプロ1を当分貸してくれるというので、それを持参した。
銀座ではモノクロライカのお披露目がある日なので、それを意識してモノクロに設定した。

モノクロで真剣に撮影すると36枚などはライカではすぐにフィルム交換になってしまうが、デジカメの場合にはフィルム交換がないのはいい。

上の画像は日大芸術学部のエントランスである。数十年ぶりにいったので、あたりの様子が一変してかなり驚いた。

2012年5月14日 (月)

OM-Dをしっかりグリップする

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まだ発表前の新製品のデジカメを見せられることがよくあるけど、その時のあたしの興味が性能ではない。
現今のデジカメは画像エンジンやら画質やらは大変な進化であって、非の打ち所がないと言って良い。

その反面、最近のデジカメはしっかりとこれをホールドできないのが問題である。
この前、新刊の「OM-Dワークショップ」(えい出版から7月に刊行)の打ち合わせで清水編集長と長時間打ち合わせした。話題はやはりホールド感覚になって行く。

この間、黄金週間の間に佃の大ガラスの国境を1メーターほど北側に後退させた。その時にカメラジャングルを捜索したのだが、捜し物は一点も発見できず、探していない小物が沢山出土した。
これはこれでありがたい。
最大の発掘成果は数年前に突撃隊長桜木(仮名)からもらったマジックテープである。桜木はこれを軽四輪の中に張り巡らして、なにかNASAのスペースシャトルめいたインテリアにして遊んでいた。
あたしはそのマジックテープは、異パッドに貼り付けて、値ながら仕事する時に、異パッドが顔の上に落下してこないように、していたがまるまる2年も使うと、そのけばあ寝てしまいのである。

発見したマジックテープを貼ったら、OM-Dは見違えるようなグリップ感覚の良さになった。NASAの機内でもかなりのマジックテープが使われているようだが、もともとマジックテープとかベルクロとかは、無粋なものである。
実用第一主義で問題なしだ。

«エプソンRD-1Sはプアマンズモノクロライカか?

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お知らせ

  • penpenpen
    ★カメラグランプリ2010実行委員会は5月20日、カメラグランプリ2010の「大賞」および、「カメラ記者クラブ賞」「あなたが選ぶベストカメラ大賞」の受賞製品を発表した。選考対象となったカメラは、2009年4月1日から2010年3月31日までに国内で新発売された199機種。 ★「大賞」に選出されたのは、オリンパスのマイクロ一眼「オリンパス・ペン E-P1」。 ★一般ユーザー選考による「あなたが選ぶベストカメラ大賞」でも、得票数1位を獲得した機種は「オリンパス・ペン E-P1」となった。

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カメラは詩的な遊びなのだ

  • カラー版 カメラは詩的な遊びなのだ。 (アスキー新書) 買ったきっかけ: あたしの書いた本なので、著者購入本として買いました。 感想: これからはカメラテクニックではなく、カメラを手にしての「生き方さがし」と「生き甲斐さがし」が重要。そこをポイントに。 おすすめポイント: カメラで遊ぶことは、詩人になること。同時に金魚救い(掬いではありません)の達人になること。 アイフォンとデジカメの位置関係に関しても語ってます。デジカメとスマートフォンユーザーにおすすめ。取説に書いてないこと。 カラー版 カメラは詩的な遊びなのだ。 (アスキー新書) 著者:田中 長徳

セミナーイベント「写真の境界線」 --- Ceci n'est pas une photograph